もし2リーグ分立直後から交流戦が行われていたら
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- 阪神対阪急、阪神対南海、阪神対近鉄が盛り上がっていた。(関西限定)
- 稲尾対ON、江夏対野村などの名勝負があった。
- パリーグのチームは巨人戦にエース格をぶつけまくった。
- 稲尾、杉浦、皆川、米田、梶本、尾崎、土橋・・・エース連投なんて当たり前だった時代だけに、巨人の足を引っ張っていただろう。
- セだと権藤が史実以上に酷使されていた。
- 巨人はV9どころか、リーグ優勝自体できたかどうか…消耗度が並じゃないもんなぁ…
- 過度の消耗に耐えられずに移籍する選手が続出し、それがさらにチームの弱体化と消耗度の増加に拍車をかけるという悪循環に陥り、読売新聞が球団経営を投げ出していた可能性も。
- 逆に森監督時代の西武は史実以上の成績を残していたかもしれない。
- 稲尾、杉浦、皆川、米田、梶本、尾崎、土橋・・・エース連投なんて当たり前だった時代だけに、巨人の足を引っ張っていただろう。
- 大洋-ロッテが「神奈川ダービー」中日-近鉄が「ビスタカーシリーズ」と呼ばれた。
- 松竹-東映の「銀幕シリーズ」もあった。
- 松竹ロビンスと東映フライヤーズは存続時期が被っていないためその対戦は不可能。
- じゃあ、大映スターズ。
- 松竹ロビンスと東映フライヤーズは存続時期が被っていないためその対戦は不可能。
- ドラクエ発売後には中日-阪急が「ドラクエ決戦」と呼ばれていた。
- 巨人-毎日の「新聞シリーズ」は毎日新聞が主に煽っていたが読売新聞はそこまで乗らず。
- 横浜大洋は川崎市(事前の相談なしで横浜に移転を決定)とロッテ(「横浜スタジアムの共同フランチャイズ」申し入れを拒否される)の両方に遺恨を残していたので、「神奈川ダービー」は結構ドロドロになっていたかも。
- 松竹-東映の「銀幕シリーズ」もあった。
- パリーグで指名打者制は採用されていなかった。
- もしくはセリーグでも指名打者制が採用されていた。
- 前後期制も導入されなかった。
- 仮に導入されていたら前期・交流戦・後期の勝率1位球団をぶつけ合わせてリーグ優勝を決める方式になっていた可能性大。
- 1986年以来西武-巨人は「KK対決」で黄金カードになっていた。
- 80年代になると外国人選手同士の対戦が話題に
- クロマティ(巨人)VSアニマル(阪急)の対戦は後世に語り継がれるほどの名勝負に・・・。
- 後年バラエティ番組で再対決が行われるかも・・・。
- クロマティ(巨人)VSアニマル(阪急)の対戦は後世に語り継がれるほどの名勝負に・・・。
- 西鉄→太平洋→クラウンは移動が大変。
- 下手すると阪神の「死のロード」より大変。
- ロッテは仙台に移転しなかったかもしれない。
- ジプシー化しなかったかも。
- 1992年のセ・リーグは優勝したヤクルトが勝率5割未満になっていた可能性があった。
- 逆に最下位の中日が勝率5割以上だった可能性もある。
- 2015年のセ・リーグのペナントレースが現実以上に1992年とそっくりな展開で話題となった。
- 1992年のセ・リーグは一時的に,のちの2015年みたく6球団揃って借金持ちになっていたかも。
- 12球団からの勝利や本塁打を達成する選手がもっと多かった。
- のちの球界再編問題での球団消滅・新規参入も史実通りなら13球団勝利or本塁打も現実以上に多かった。
- 導入時期によっては初の12球団勝利達成者が野村収ではなかった。
- 大リーグでのインターリーグ導入にも何らかの影響を与えていた。
- オールスターの試合数が減っていた。
- 1990〜91年にはロッテ-中日で乱闘が起こった時にはカネやんVS仙さんの監督同士の喧嘩が話題となる。
- マイク・ディアズ(ロッテ)が中日の投手からの死球に怒った際に、ディスティファーノ(中日)がなだめに入る光景も見られた。
- 逆もまた然り。
- ロッテ-中日はそれ以前の1987年には、移籍した落合への死球とその報復で乱闘が起こっていた。
- マイク・ディアズ(ロッテ)が中日の投手からの死球に怒った際に、ディスティファーノ(中日)がなだめに入る光景も見られた。
- シーズン終盤に首位チームのコーチ/選手が、もう片方のリーグの首位チームの偵察に行くことがなくなるのが早まっていた。
- 90年代のFA制度導入後には、移籍選手の古巣との初対決での古巣ファンからのブーイングや拍手が現実以上に注目されていた。
- 1994年の阪神-ダイエーでは松永浩美に向かって阪神ファンが、1997年の西武-巨人では清原和博に向かって西武ファンがブーイングしていた。
- 史実では日本シリーズで未対決だった、近鉄VS横浜、近鉄VS中日、近鉄VS阪神の組み合わせが見られた。