ダンボール共和国
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歴史[編集 | ソースを編集]
- 十年くらいまで(1965)ダンボールの不法投棄が激しく、ダンボールの山になっていた。
- 数年後(1970)漁師が拝見したところ石炭化して、れっきとした島になっちゃった。
- 誰かが石炭で出来た島に放火(1972)。その勢いで海底火山が超爆発した。
- そのころ女子7人(7,13,14,15x4)男子(13,16,17)3人が日本海沖へ流された。
- その十(1982)年後、人口が50人くらいになっていた。
- 十五年後、(1987)人口が350人になった。外来人がきたっぽい。
- 1990年:人口約1200人。裏定期便で家出した小学生が目っ茶来たらしい。このころ島役所を作った。
- 1992年:知らないうちにテレビや電話も用意され、人口5000人。もう巷でうわさされていたが、新潟市の某部により黙殺。
- 1993年:気付いた時にはコンピューター開発を進めてた。そのとき開発したブラウザが、[1]これだ。人口16750人。
- 1995年:人口が50000人超え。人口が伸び悩んでることを政府が懸念した(注1)が、誰も気にしてなかった。
- 1998年:人口280000人になった。このころ政府が存在に気付く。
- 2002年:忽然と姿を消した。
- 2005年:とおもったらトルコに行っていたらしい。
- 2008年:なんかトルコで日本がはやってる。
- 2038年:燃やされるが、ダンボール技術の発達により1日で復活。
- 沖ノ鳥島海洋連邦共和国とは岩かダンボールかで仲が悪い。