ヤオハン
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- 創業は熱海の個人商店。
- 日本より、海外では有名。海外在住時に世話になったという話もよく聞く。
- 屋号があからさまに日本のモノだから安心出来たんだろうか?是非とも、経験者のお話を伺いたいモノだ。
- 潰した二代目が無茶苦茶な世界戦略をやってた頃は、本部が上海や香港にあったらしい。
- 最終的には何故か沼津になった。まァ、熱海よりは動き易いだろうけど・・・(ぐるめ街道にあったし)
- 上海の「八佰伴」(ぱーぱいぱん)は、今なお現役。でも、店の場所が浦東新区の地下鉄もない地域だから、今となっては、微妙。
- 店舗は、総じてボロかった。というか、新しい店舗も含めダイエーに何か似た雰囲気があった。
- そういえば静岡はダイエーとは殆ど無縁な珍しい?土地だった。買収とかと無関係で出したのは清水くらい・・・か?
- 因みにダイエーでいうトポスみたいな業態の「ビッグ8」という店も出してた。
- 潰れる直前に、ロゴマークを地球から八の字型に変えてる。でも殆どの店舗で変えなかったんで知ってる人間は少ない。
- 主に海外で使ってた。国内だと熱海で見られたような。
- 2匹の鳥が向き合っているようなマークだった。
- 買物袋につかわれてましたよ。
- ココの創業社長は、NHK連続ドラマ「おしん」のモデルになったとの噂。(あくまで噂)
- 名前は、和田カツという。・・・何とも「太鼓の達人」っぽい名前だ。
- 怪しい宗教団体にハマってたらしい。
- 思いっきりその宗教の思想を社是にしていた他、社員全員を入信させたりもしていた。
- この方針に反発したパン工場を全員解雇にした上に閉鎖を宣告するなど、徹底していた(後に折れる形で工場の従業員も入信している)。
- その宗教団体とは生長の家である。当時は見逃されていたのだろうが、信仰を理由に労働者の待遇を違えることは労基法第3条違反なので絶対に真似してはいけない。
- 思いっきりその宗教の思想を社是にしていた他、社員全員を入信させたりもしていた。
- というか、どんちゃんの双子の弟と(カタカナとひらがなの違いはあるが)同姓同名。
- 怪しい宗教団体にハマってたらしい。
- ココの創業社長の五男は、イズミの創始者の次女と結婚し、現在、イズミの社長をやっている。
- 名前は、和田カツという。・・・何とも「太鼓の達人」っぽい名前だ。
- ココが潰れて思い切り影響を受けた街といえば、吉原(富士市)と三島だろう。
- 静岡以外でヤオハンだとパチンコチェーンをさす。
- マルハンと勘違いしてる??
- 因みに静岡はマルハンが大昔から進出してた(昭和40年代にはあった)んで、混同される事はない。
- ただし、同一名のスーパーがある栃木は例外。
- マルハンと勘違いしてる??
- 倒産以後、金谷ヒデユキにネタにされたことがある。
- ♪暮らしに小さな思いやり 今日と言う日を爽やかに ありがとうぉ〜 のお付き合い ヤオハンチェ〜ン〜
- 海外ではアジア人が多く住む地域への出店が多かった。
- 実際カナダ初出店は中国人が多く住むバンクーバーだったし。
- 海外進出第1店は日系人が多いブラジルのサンパウロ店だった。
- このときの銀行とのいざこざで資金調達を市場で行うようになり、これが経営破たんの一因になった。
- 要は銀行との関係作りを怠り転換社債に頼り切ったため、さすがにもう銀行にアタマ下げてでも資金調達しなければダメだとなってから出向いても「何を今さら……」と軒並み断られてしまったのである。
- 末期になると、日本法人で粉飾決算があったことも銀行からの信用度を落としていた。
- ブラジルでは1971~1980年に営業。日系人が比較的多い地域、先行している同業者が地元住民の間で評判が悪いなどの事情もあったが、何よりも生長の家の当地進出にお供したという意味合いが強い。
- 4店舗を設けたが第一次オイルショックの煽りで逼迫し、撤退。もともと同族経営の色彩が強い会社だが、ブラジル撤退を機に創業社長の三男は経営に一切関わらなくなった。
- このときの銀行とのいざこざで資金調達を市場で行うようになり、これが経営破たんの一因になった。
- 中国の歌手が「もうすぐ1997年が来る ヤオハンってどんなところ〜♪」という歌を歌っていた。
- 艾敬(アイ・ジン)の「我的1997」(私の1997)という曲。
- しかし現実の1997年、皮肉にもヤオハンは経営破綻してしまった。
- 同族経営の典型的な短所が表に出たこと、海外特に中国市場に入れ込み過ぎたこと、財界との関係造りを軽視し過ぎたことが致命的なしくじりだった。