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中央競馬の競走/GI

  • 新規追加は開催時期順に(1月から)。
  • 格付けでローマ数字を入力する場合は、英字の「I(アイ)」を用いてください。

フェブラリーステークス

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  1. 中央競馬のGIで毎年最初に行われるGIレース。
  2. 1984年から1993年まではGIIIの「フェブラリーハンデキャップ」だったが、1994年にGII昇格。レース名も「フェブラリーステークス」に改称された。
    • 中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大されるなか、1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてGIに格付けされた。
  3. 「フェブラリー(February)」は英語で2月のことだが、1999年のみ1月(31日)にレースが開催されたことがある。
    • この時の勝ち馬は岩手のメイセイオペラ。
      • このメイセイオペラ、24年現在でもなお「地方競走馬ながら中央G1を取った只一頭の馬」
  4. 2003年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場のダート1800mで開催された。
  5. 2025年にキング姐さんことレイチェル・キング騎手が女性騎手初の平地GⅠ制覇を成した。
    • ちなみに牝馬は2025年時点でも女王ホクトベガしか勝てていない。
  6. 最初が芝スタートなせいか芝ダート両GI制覇の二刀流に挑戦するレースだったりする。大半は飛ぶが過去3頭(アグネスデジタル・アドマイヤドン・モズアスコット)二刀流に成功したりソダシが3着に来たことがある。

高松宮記念

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  1. 春のスプリント王者決定戦。かつての名称は「高松宮杯」。
  2. ジャパンカップダートがチャンピオンズカップとして2014年に移動するまでは唯一の中京競馬場かつ第三場としてのG1レースだった(代替開催の新潟でのスプリンターズステークスは除く)。
  3. 1995年まではG2で2000mであり、夏の中京の中長距離決定戦だった。
  4. 1996年春のスプリント王者決定戦としてG1に格上げされてから最初のレースのファンファーレはいろんな意味で伝説。
    • また、この年には三冠馬ナリタブライアンが参戦するというのも話題になった。
  5. 2011年は中京競馬場の改修工事の影響で、阪神競馬場での代替開催に。
  1. 2017年からG1昇格。かつての名称は「産経大阪杯」。
    • G1に格上げされてから、産経賞はセントウルステークスへ移動した。
  2. GII時代にも有力馬がシーズン初戦としてこのレースに出走することが多く豪華な面子になることが多かった。
  3. トウカイテイオーが出走した1992年のレースで実況の杉本清アナは「前の二頭はもうどうでもいい」と実況してしまった。
    • 言われたのはイクノディクタス(4着)とゴールデンアワー(2着)。全然どうでもいいことはなく、杉本アナに馬を見る目がないことがわかってしまった。そりゃ「私の夢」が当たらねぇわけだよ。
      • おまけに杉本アナはゴールデンアワー鞍上の岡潤一郎騎手から「真剣勝負をしているのにどうでもいいなんて」と激怒されて謝罪、オーナーの前田晋二からも「うちの馬も出ていたんだけどねぇ」とやんわり怒られ謝罪する羽目に。
      • どうでもいいと言ったのは、そのレースがトウカイテイオーの復帰戦という事でテイオー中心の実況をしようとしたと思われる。
      • このレースはテイオーがブッチギリの一強と見られていて実際そうだった。前を走っていたのは6,7番人気の馬で、実況の組み立て的には1番人気を追うのがセオリー。なので「不人気の逃げ馬より一番人気をしっかり映さなきゃだめだろ」というカメラへの指示出し位の意味もあってうっかり言っちゃったのである。
  1. 1939年にイギリスの1000ギニーを手本として創設。
    • 当初は「中山四歳牝馬特別」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1947年から。
      • 阪神競馬場での開催になったのは1950年から。
  2. 阪神競馬場の改修前は前半のペースが早くなりやすく「魔の桜花賞ペース」と呼ばれていた。
    • 改修後は順当な結果になることが多くなっている。
  3. 岡部幸雄騎手は旧八大競走の中で、このレースだけ勝てなかった。
  4. 桜花賞の名の通り、スタート地点の付近には毎年桜が咲いている。
    • どうやら、桜の木の幹を冷やしたりして開花時期をずらしているらしい。
  5. 「後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!」
    • 1975年にテスコガビーが大差(10馬身)で勝利した際、途中で喋ることがなくなってしまった杉本清アナが苦し紛れに叫んだ実況。今ではテスコガビーの強さを象徴する名実況として語られている。ちなみにこれ以来旧八大競走で大差勝ちは出ていない。

中山グランドジャンプ

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  1. 1999年の障害レース改革に伴い、春の中山大障害をリニューアルして創設。
    • 第1回は桜花賞と同日開催だった。
  2. 2011年(第13回)は震災の影響で夏に開催された。
  1. 1939年にイギリスの2000ギニーを手本として創設。
    • 当初は「横浜農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1949年から。
      • その名の通り、1942年までは横浜競馬場で開催していた。現在の名称になった年から中山競馬場に定着。
    • ただし、2000ギニーがマイルなのに対して皐月賞は中距離と性質が異なる。
  2. 「最も速い馬が勝つ」と言われている。
  3. 2011年は震災で中山競馬場が被災したため、東京競馬場で代替開催。
    • オルフェーヴルが三冠馬になったのはこの年。この為、戦後唯一クラシック三冠を制した馬で、三冠戦限定で中山を走っていない競走馬になった。
      • そして同じ年の有馬記念を制し、中山も制覇。
      • シンザンの時も皐月賞は東京開催なので唯一ではない

天皇賞(春)

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  1. 通称「春の盾」。
  2. 平地のG1では最長の3200㍍を走る。
  3. 後述の秋にも言えるが、1980年までは一度天皇賞を制した馬は次の天皇賞に出走できない「勝ち抜き制」があった。これは天皇賞の権威を下げずに優勝馬を早期に繁殖馬にさせるという考えがあった。
    • この為、1955年まで優勝した馬は次に目標とするレースがなくなり引退する馬が多い為、より一流のレースを求めて「勝ち抜き制」がない有馬記念が創設されるきっかけになった。
  4. 1955年以降(1956年、1972年、1974年を除く)1990年まで4月29日(=1988年まで天皇誕生日、現・昭和の日)に開催されていた。
    • 1989年までは曜日に関係なく4月29日開催と決まっていたが1990年はたまたま日曜日だった。

NHKマイルカップ

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  1. 前身レースはダービートライアルの「NHK杯」。
  2. 外国産馬クラシック解禁以前は外国産馬がこぞって出走していたため「マル外ダービー」と呼ばれていた。
  3. ファンファーレを担当するのは「N響」ことNHK交響楽団。通常のファンファーレよりテンポをゆっくりにして厳かな雰囲気を出している。
  4. NHKでは放送するにあたってこの年の朝ドラや大河出演者をゲストとして招いている。
    • 一方フジテレビはかつて競馬中継内では「マイルカップ」と言っていたことがあった。
  5. 高配当が出やすいGIレースであり、2007年には三連単が900万円を超す大波乱になったことがある。
    • 府中の芝ダート両方のマイル自体に言えるがGI初制覇になる騎手が多いのも一因。

ヴィクトリアマイル

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  1. 春の古馬女王決定戦で、マイル女王決定戦。
  2. 安田記念の一ヶ月前に行われ、ウオッカなどヴィクトリアマイルの上位馬が安田記念の馬券圏内に絡むことが多い。
  3. 2015年には5番人気の馬が勝ち、2着に12番人気の馬が、3着に最低18番人気の馬が入り(その時の鞍上は江田照男騎手)1倍台の1番人気馬が着外に敗れたこともあって、3連複が286万円、3連単が2070万円の大波乱になった。

優駿牝馬(オークス)

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  1. 1938年にイギリスのオークスを手本として創設。
    • 当初は「阪神優駿牝馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1946年から。
  2. 2010年には、アパパネとサンテミリオンが1着同着になるというGI史上初の出来事が起こった。
  3. 2026年には今村聖奈騎手(ジュウリョクピエロ)が制し、JRA所属女性騎手の初GI制覇という歴史的偉業を果たす。

東京優駿(日本ダービー)

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  1. 1932年にイギリスのダービーを手本として創設。
  2. 「最も運のある馬が勝つ」と言われている。
  3. 今日はダービーめでたいな
    • この言葉から関係者などでは日本ダービーは競馬界の大晦日と捉えることが多く、ダービーが終わった翌週以降から2歳新馬戦が始まる。
  4. レース前には国歌の斉唱が行われる。
  5. 正式名称は「東京優駿」だが、副称の「日本ダービー」の方が正式名称のように扱われている。
  6. ゼッケンは白地に黒文字と金色の縁取りがなされる。

安田記念

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  1. レース名の「安田」は競馬法制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力し、日本中央競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門に由来。
  2. 1951年に「安田賞」の名称で創設。現在のレース名になったのは1958年から。
  3. 馬券がかなり荒れやすいレースで、三連複や三連単が高配当になることもしばしば。

宝塚記念

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  1. 有馬記念のようなビッグレースを関西にも、という声の元1960年に創設。
    • もっとも開始当初はやや格落ちのレースで、第一回に至ってはマイルの安田記念より賞金が安かったぐらいである。「五冠馬」シンザンも勝利しているが、有馬記念と違って八大競走ではないので六冠扱いされていない。
  2. 現在の6月下旬開催になったのは2000年から。それ以前は6月上旬や7月上旬に開催されていた年もあった。
    • 2025年から安田記念の翌週の6月中旬に。それに伴いさきたま杯と帝王賞も時期をずらした模様。
  3. 1999年からは専用のファンファーレが使用。
  4. 過去京都競馬場で7回(1966・1969・1974・1976・1991・1995・2006)、中京競馬場で1回(1980、芝2400m)開催されたことがある。
    • 2024年もリニューアル工事で京都に。
  5. 今年も貴方の、そして私の夢が走ります。
  6. ちなみに大阪杯、天春、宝塚を同一年3連勝した馬は春古馬中長距離3冠達成ということでボーナスがもらえるが、まだ誰も達成したことがない。
    • 3つ全部走って最も惜しかったのはメジロマックイーン (産経大阪杯、宝塚1着、天春2着) と、メイショウサムソン (産経大阪杯、天春1着、宝塚2着) である。
      • クロワデュノール(大阪杯&天春1着、宝塚2着)も追加。

スプリンターズステークス

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  1. 秋のGIシリーズの開幕を飾る短距離戦。
  2. 1967年に創設。1984年のグレード制導入に伴いGIIIに格付けされ、3年後の1987年にはGIIに昇格。GI競走となったのは1990年から。
    • 1990年から1999年までは有馬記念の前週に開催されていたが、2000年から秋の中山開催最終日に開催時期が移動された。
  3. 2002年と2014年は中山競馬場の改修工事の影響で、新潟競馬場での開催となった。
    • 2002年は東京の改修工事で東京→中山→新潟と日程が押し出された影響。
    • 2014年は8枠18番が優勝。
      • 中山の1200mフルゲートが16頭なので、今後このレースでこの馬番が優勝することはおそらくないだろう。
  1. 他の牝馬三冠やクラシック三冠と異なり、手本となる海外のレースが存在しない。
    • なのでゼッケンの色の文字も黄色ではなく他のGIと同じ白色。
  2. エリザベス女王杯が古馬女王決定戦に移行する為、それに替わるレースとして1996年に創設。
    • 牝馬三冠時代のエリザベス女王杯は2400mだったのが、このレースでは400m短い2000mとして施行されている。
  3. ローズステークスと紫苑ステークスがトライアルになっているが、優駿牝馬から直行した馬が勝つケースもある。
    • 2001年のテイエムオーシャン、2006年のカワカミプリンセス、2018年のアーモンドアイ、2019年のクロノジェネシス、2020年のデアリングタクト。
  1. 1938年にイギリスのセントレジャーステークスを手本として創設。
    • 当初は「京都農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1948年から。
  2. 「最も強い馬が勝つ」と言われている。
  3. 2015年はキタサンブラックが勝利したが、事実上の馬主である北島三郎が表彰式で勝った時の公約だった「まつり」を熱唱したため、最終レースの発走時間が遅れたのは有名な話w
  4. 「菊の季節にサクラが満開!」
    • 「神戸、そして京都に次いで、菊の舞台でも福が来た!」
      • それぞれ1987年のサクラスターオー、1997年のマチカネフクキタルが勝利した際の杉本清アナの実況。
  5. トライアル競走はセントライト記念と神戸新聞杯。
    • 他には2勝クラス(旧:1000万円以下)の九十九里特別(中山芝2500m)と兵庫特別(阪神芝2400m)がある。
      • 九十九里特別→菊花賞と連勝したのは2004年のデルタブルースがいる。
      • 一方で兵庫特別を勝って本番の菊花賞でも好走したのはビートブラック(2010年)とバンデ(2013年)ぐらいしか思いつかない。
  6. ディープインパクトの無敗三冠が懸かった2005年はフジテレビの「スーパー競馬」と関西テレビの「DREAM競馬」の共同制作で放送され、通常のカメラ21台のほかスタート地点やヘリによる空撮、並走カメラまで用意して大々的な中継が行われた。

天皇賞(秋)

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  1. 通称「秋の盾」。
  2. 1984年に2000㍍に短縮された。
    • それ以前は春と同じ3200㍍を走っていた。
    • 「競馬の神様」こと大川慶次郎氏は距離短縮に猛反対していた。
  3. 1978年に八大競走では唯一と思われるカンパイ(スタートのやり直し)が発生した。
  4. 2002年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場での開催に。
  5. 1970年代から1990年代にかけて、「秋の天皇賞は1番人気が勝てない」というジンクスが存在していた。
    • 1985年→シンボリルドルフがゴール前でギャロップダイナに交わされ2着。
    • 1991年→メジロマックイーンが2コーナーでの斜行により18着に降着。
    • 1992年→トウカイテイオーが乱ペースに巻き込まれ7着。
    • 1998年→サイレンススズカがレース中に故障を発生し競走中止。
    • この時代このジンクスを破ったのは1984年のミスターシービーと1987年のニッポーテイオーのみ。その後2000年にテイエムオペラオーが勝つまでずっと1番人気はこのレースで勝てなかった。ただし2000年以降は逆に「1番人気が強い」レースになっている。
  6. シンボリルドルフが唯一勝てなかったレース。もし85年勝っていたら未だ実現できていないクラシック三冠と天皇賞春秋制覇をいずれも達成した馬になっていた。
  7. 距離が長い菊花賞を回避して天皇賞に出走する3歳馬もいる。

エリザベス女王杯

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  1. 秋華賞導入以前はこのレースが牝馬三冠路線の最終戦。
    • 距離も現行の2200mより200m長い2400m。
    • 唯一桜花賞、オークス、エリザベス女王杯で三冠を達成したのはメジロラモーヌのみ。
      • そのメジロラモーヌは、牝馬3冠は勿論だが、なんとその前哨戦3種 (牝馬特別東、西、ローズステークス) も勝っており、前哨戦も牝馬クラシックも両方制した。
  2. 前身レースは「ビクトリアカップ」。
    • 条件は全く変わっていないのだが、何故か開催回数はリセットされておりエリザベス女王杯第一回から再カウントとなっている。エリザベスの前身だからビクトリア女王が元ネタのようにも見えるが、モデルはフランスのヴェルメイユ賞なので単に勝利の女神の名前だろう。
  3. 2010年・2011年とイギリスからの遠征馬スノーフェアリーが連覇を達成しており、国内の平地GIでは唯一となる海外馬の連覇を果たした。
  4. 3歳戦のときはサンドピアリスやタケノベルベットが人気薄で大穴を開けたり、古馬混合になってからもクイーンスプマンテとテイエムプリキュアが二頭逃げ切るなど波乱の傾向のあるレース。
  5. 2008年にはスタート直後に鞍上(武豊騎手)を振り落とした馬がそのままカラ馬の状態で逃げ、カメラから消えたと思いきや大外から現れて本来の勝ち馬よりも先にゴールしてしまうという珍事が起こった。

マイルチャンピオンシップ

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  1. レース名通り、秋のマイル路線のチャンピオンを決めるGIとして1984年に創設。
    • 当初は春に行われていたマイラーズカップを秋に移設・格上げする予定だったらしい。
  2. 第1回からずっと京都開催だったが、2020年は京都競馬場の整備工事の影響で阪神競馬場での開催になる予定。

ジャパンカップ

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  1. 11月に行われる国際招待競走で、日本初の国際G1。
    • また、賞金の規模などから有馬記念や日本ダービーなどの八大競走と同格。
      • 賞金も有馬記念と同じ5億まで引き上げされたり海外馬を参戦されるためのインセンティブとかもある。
  2. 1981年に創設されたが、創設から十年間日本馬の優勝は2頭しかいないなど、日本と外国の差は大きく開けられていた。
  3. 90年以降は日本競馬のレベルの向上があり、現在は日本と海外の合計勝利数は日本が大きく逆転している。
  4. しかし、2010年代に入ると日本の芝と海外の芝の違いからの日本特有の高速馬場が祟り、加えてジャパンカップ後の数週間後に香港国際競走があるのか、海外招待馬の数が減少。
    • 特に2019年は海外招待馬が一頭もいないという非常事態に。
      • もう国際招待競走やめてチャンピオンズカップターフに改名しろ。
    • おまけに前の方にもブリーダーズカップがある。ブリーダーズカップから参戦するのも香港国際競走に転戦するのも間隔的に厳しい。
    • 対策として府中の馬場内に外国馬向けの厩舎とかを作ったり上記のインセンティブも導入した。その甲斐もあって2025年に20年振り外国馬が優勝した(前年は安田記念を優勝した外国馬もいたが)
  5. 近年上記の通りとやかく言われるジャパンカップだが、それでも天皇賞(秋)と有馬記念に並ぶ下半期古馬クラシック三冠の二戦目で、一年の東京競馬場を締めくくる大一番なのか、高い注目度は変わらない。
    • 加えて、ジャパンカップのみ日本競馬で唯一最終レースに行うG1競走でもある。(第11レースにやるのだが、この日の東京競馬場は11レースのみ)
      • 2011年までは第10レース(全11競走中)だった。最終レースでやるようになった理由は不明。
      • 2020年以降は第12レースでやってる。
  6. 2014年からスイスの高給腕時計メーカーのロンジンがサポートしており、ゴール版の近くにロンジン製のタイマーが設置されている。
  7. 2002年は東京競馬場の改修工事の関係で中山競馬場芝2200mで施行された。
  8. 突然二足歩行を始める馬、段ボール製で中の人が走る馬、ゾウやキリンやUMAが出てくるレースではない。
    • 騎手についても、ペアでコサックダンスをする人やSMのお姉さん、珍走団のお兄ちゃんなどは出てこない。
    • ちなみに出走馬紹介BGMおよびファンファーレは同じ。

チャンピオンズカップ

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  1. 2000年、ジャパンカップダートという名で東京競馬場に創設。その名の通り、ジャパンカップのダート版として国際招待競走として2100mで行っていた。
  2. 東京競馬時代は2007年までジャパンカップの前日開催。この為、ホープフルステークスがG1に格上げされるまでテレビ東京で中継される唯一のG1レースだった(後は一回だけNHKマイルカップを日程の都合で中継したのみ)
    • 2004年のみジャパンカップと同日開催。
  3. 2008年からは阪神のダート1800mに移行し、ジャパンカップの翌週日曜に固定。だがこの頃からジャパンカップ以上に多くの問題点が上がることに。
    • まず、ジャパンカップ創生期と違い、既に日本のダート馬は世界レベルに達しており、海外馬が優勝したのは2003年の一回のみ。後は全て海外馬が惨敗。
    • そしてダート競馬が盛んなアメリカと日本の馬場に使われるダートの違いが問題点の槍玉に挙げられ、海外招待馬が一頭もいない年が続出した。
      • アメリカはパワーが求められる赤土に対して、日本(というかJRA)はスピードが求められる砂を使っていた為、慣れない海外馬が苦戦することに。
    • 加えて、右回りの阪神に移行したことで、左回りのコースしかないアメリカから招待馬が来るのかという疑問が武豊騎手などの関係者から疑問が相次いだ。
      • 武豊騎手は左回りのコースである中京でやった方がいいと指摘した程(因みに府中にはダート1800mは設定できない)
        • 一度だけ中山で現行距離の1800mでやった事もある。
  4. 上記の声を受けたのか、2014年から左回りの中京1800mに移行。だが、招待馬なし連続が祟ったのか、単なる国際競走のチャンピオンズカップに改名することに。
  5. 日本のダートグレード競走にとってはJBCクラシックや東京大賞典と並ぶ事実上の古馬ダートクラシック三冠の一つである。
  6. ジャパンカップダートを廃止して新たに創設したレースではないため回次は2000年の第1回ジャパンカップダートから通算している。
    • 現在の名称になったのは第1回ジャパンカップダートから数えて15回目から。

阪神ジュベナイルフィリーズ

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  1. かつての名称は「阪神3歳ステークス」。1991年から牝馬限定競争となり「阪神3歳牝馬ステークス」を経て現在の名称に。
    • 牝馬限定戦になる以前では二冠馬のコダマやタニノムーティエ、テンポイント、サッカーボーイなど関西の有力馬を数々輩出している。
  2. 朝日杯とはうってかわって勝ち馬が牝馬クラシックの主役に躍り出ることが多い。
  3. 牝馬限定競争以前は勝ち馬が×××な末路を辿ることも…
  4. 2020年はソダシが勝ち、史上初の白毛のGI馬となった。

朝日杯フューチュリティステークス

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  1. 1949年、『朝日杯3歳ステークス』として中山に設立された2歳馬チャンピオン決定戦。
    • 最初はスプリント戦だったが、十年後から1600mのマイル戦となり今に至る。
    • 2001年からは馬齢表記を国際基準に合わせたことで現名称に。
  2. 朝日杯の冠名が示す通り、朝日新聞が正賞であるが、実はこのレースの誕生がきっかけで多くのマスメディアが競馬の社賞を寄贈するきっかけになった。
    • 設立以前、競馬に関わる不祥事が多発し競馬界に悪影響が及ぼしていた。当時の朝日新聞も競馬そのものを社会悪と見なす声が多かった。
    • そこで当時の競馬会の重鎮である中村正行氏が「新聞社の名が付ければ競馬界のイメージ改善に繋がる」と考え、当時の朝日新聞編集局長信夫韓一郎氏に社賞の提供を持ちかける。
      • 信夫氏は競馬ファンであり、反対派を説き伏せて認可。中村氏が発起人となり三歳馬のチャンピオン決定戦として設立したのである。
    • 朝日新聞が競馬に対しての方針を転換したことにより、他のマスメディアにとって大きな刺激となり、以降毎日王冠やNHKマイルカップなどが生まれるのである。
  3. 1990年までは関東馬(美浦厩舎所属馬)による三歳馬決定戦だったが、阪神3歳ステークスが牝馬限定となった為、所属問わずの牡馬三歳馬決定戦に。
  4. 2歳馬チャンピオン決定戦であるこのレースは数多くのクラシック優勝馬を輩出するなど登竜門として有名なレースだった。が……。
  5. 1994年にナリタブライアンが三冠を制してから2013年にロゴタイプが皐月賞を制するまで、朝日杯優勝馬のクラシック優勝馬が一頭もいない事態になってしまう。
    • その期間中には種牡馬で有名なフジキセキや有馬記念二連覇のグラスワンダー、最初のJBCクラシック三連覇のアドマイヤドンなどの名馬が優勝したものの、いずれの馬もクラシック三冠を一つも勝つことができなかった。
      • フジキセキに至っては皐月賞で故障し引退を余儀なくされてしまう。
    • 対照的にラジオNIKKEI杯(2005年まではラジオたんぱ杯)2歳ステークスはアドマイヤベガやヴィクトワールピサなど三歳クラシックを制した馬が続々と出ている為、「朝日杯を格下げし、ラジオNIKKEI杯をG1にしろ」という声が出たほど。
    • 皐月賞の2000mより400m短い1600mで、かつ大外不利な中山のスタート地点にも原因があるという。
      • コーナーも3つあるという点も。
  6. 2014年からラジオNIKKEI杯がホープフルステークスに改名する形で交換となり、阪神に移動。これに伴い阪神でやっているもう一つの朝日杯がチャレンジカップからセントライト記念に移動。
    • これによって阪神ジュベナイルフィリーズと同じスタートとなり大外不利の問題は解消されたが、移転以降未だにクラシック三冠を一つを制した馬は現れていない。
      • 一応、NHKマイルカップや香港マイルを制したアドマイヤマーズを輩出できたが。
    • 更には2017年からホープフルステークスがG1に格上げされた事で、2歳馬マイル王決定戦という立ち位置が微妙な状態に。
  7. 武豊騎手が未だに勝利がないG1レースとしても有名。
    • 2021年、ドウデュースでついに勝利。実に22回目の挑戦だった。

中山大障害

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  1. 「東京優駿に匹敵する競走を」という声の元、1934年に「大障碍特別競走」として創設。現在のレース名になったのは1970年から。
  2. 1998年までは春と秋の2回開催だった。
    • 1999年の障害レース改革で春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」に改称する予定だったが、結局秋は「中山大障害」のレース名のまま現在に至っている。
    • 尚、1999年の障害レース改革で新設された中山グランドジャンプと共にGⅠに格付けされた。それまでは単に「重賞」でグレードがなかった。
    • 年2回開催の頃は春は「華の大障害」、秋は「暮の大障害」と呼ばれていた。
  3. 2002年(第125回)はオーストラリアの女性騎手、ロシェル・ロケット騎手が騎乗したギルデッドエージが圧勝。女性騎手としてはJRA初の重賞勝利となった。
  4. 2003年は積雪のため中止になり翌年1月に延期されたため2004年は正月と年末の2回開催された。
  5. 読み方は「だいしょうがい」だが一部の解説者やコアなファンからは「中山おおしょうがい」と呼ばれる。
  6. 中央競馬のGIレースで唯一、メインレースとして施行されない。
    • 11Rを行う時間帯では太陽が傾いて西日となる。その光が目に入って障害を誤認したり、馬が驚いて事故が起きる可能性があるため、敢えてメインレースの一つ前で施行されている。
      • 照明装置が付いても同様。
  7. J・GI用ファンファーレ(事実上、中山大障害と中山グランドジャンプ専用ファンファーレ)が作成されるまで中山競馬場の平地重賞用ファンファーレが使用されていた。
    • 最近は生ファンファーレをしてたりする。
    • J・GI用ファンファーレは手拍子が打ちにくいように作成された(それ以外の障害レース用ファンファーレも同様)。

ホープフルステークス

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  1. 1984年、『ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス』として関西馬の3歳(現2歳)牝馬最強決定戦として阪神1600mで開催し始めた競争。当時はG3に格付け。
    • 朝日杯にもあるが、当時の3歳馬の環境は東西に棲み分けされており、東西別に牡馬・牝馬それぞれチャンピオンを決めていた。当時の関東馬の3歳牝馬最強決定戦は現在のフェアリーステークスの前身、テレビ東京杯3歳牝馬ステークス。
  2. 1991年からは東西別のチャンピオン路線をやめ、それまでの阪神3歳ステークスが阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)になった為、皐月賞と同距離の2000mとなった『ラジオたんぱ3歳ステークス』にリニューアル。これによって3歳牡馬限定戦に移行。
    • 2001年からは馬齢表記を2歳に改め、2006年からは『ラジオNIKKEI杯2歳ステークス』に。
  3. 朝日杯と対照的に、1994年から2013年までの間、アドマイヤベガやヴィクトワールピサなど3歳クラシックを制した馬を数頭輩出。
    • クラシックを制していない優勝馬の中には地方馬で初の国際G1を制したコスモバルク(北海道)やJBCクラシックを三連覇したヴァーミリアン、ジャパンカップを制したエピファネイアなど名馬も数多く輩出している。
  4. 2014年からホープフルステークスに改題し、朝日杯と交換する形で中山に移行。これによって皐月賞と同じコースで行うことに。
    • 同時にG2に格上げされるが、何故かラジオNIKKEI杯の冠がなくなる。代わりにラジオNIKKEI杯は重賞に昇格された京都2歳ステークスに移行。
    • ちなみにオープン特別のホープフルステークスという同名競争もあって、実はこっちが本来中山開催の同条件レースなのだが吸収合併されて消滅。JRA 的には現ホープフルステークスとは無関係らしい。こちらもウイニングチケット、エアシャカール、トーセンジョーダン、ベルシャザールといったG1クラスが出ており、結構有力なレースである。
  5. そして、2017年G1に昇格。だが、朝日杯から一週間以上の後に組まれたことや有馬記念の後の年内最後のG1レースになったことなどから賛否両論に。
    • 2019年まで三年連続で東京大賞典前日の12月28日に固定し、有馬記念の後に開催。最も全て平日や土曜日に行われた事で、久しぶりにテレ東がG1レースを中継できたが。
      • 2020年は日程の都合上、有馬記念前日でかつ中山大障害と同日開催。
    • ホープフルステークスがG1に格上げされたのは、朝日杯が阪神に移動した事によって中山の馬事会関係者が反発したのが原因だそうだが…。
    • 加えて、現レース名に改名してから格上げするまで日本ダービーを制したレイデオロを除いて出世した優勝馬がいないことから議論に拍車をかけていた。こうした経緯から、一部ユーザーからホープレスステークスと揶揄されることも。
      • 最も、G1に格上げされてから優勝したサートゥルナーリアが皐月賞を制した為、面目は保たれているが果たして。
        • 2020年にはコントレイルが同レース→皐月賞→ダービーを無敗で連勝した。もはや皐月賞のステップレースの座を弥生賞から奪ったと思わざるを得ない。
  6. 現レース名に改名されてからは一度もないが、武豊騎手は阪神時代何度も制している。が、ホープフルステークスよりも先に朝日杯を制した場合、全G1グランドスラム達成扱いになるんだろうか…。
    • G1格上げ後は最高着順が2着。

有馬記念

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  1. 日本中央競馬会理事長の有馬頼寧(よりやす)が、中山競馬場の新スタンドの竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては珍しかったファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年に「中山グランプリ」の名称で創設された。
    • 第1回中山グランプリは大成功に終わったが、その直後の1957年1月9日に有馬頼寧が急逝。有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称された。
    • 有馬頼寧は久留米藩主の末裔。なので久留米城にある「有馬記念館」は競馬とは関係ないが頼寧さんとは関係あり。
    • 開始当初は2600mで開催。ちなみに最後の2600m開催で優勝したのが「シンザンが外を回れと言った」で有名なシンザンのラストランである。
  2. 1996年には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げた。
  3. 6回コーナーを回る特殊なコースということもあり、外枠(15番枠・16番枠)はかなり不利。
    • 公開枠順発表会で抽選引いた騎手・オーナーが途方に暮れるのが風物詩になりつつあるが、騎手の力で来ることも。
  4. このレースがラストランになる馬も多い。
  5. シンザン、TTG対決、オグリキャップ・トウカイテイオーの復活、ダイユウサクの大激走、メジロパーマーの逃げ切り、ナイスネイチャの3年連続3着、グラスワンダーVSスペシャルウィーク、ディープインパクトの初黒星…名勝負・名場面多し。
  6. 競馬場の改修や震災による被災で多くの重賞が別の競馬場で代替開催、又は競走スケジュールの変更で移動となるなど、G1を含めた大半の重賞が別の競馬場で開催経験がある中、有馬記念は創設から現在に至るまで一度も中山以外の開催はない(日本ダービーは最初目黒でやっていた)。
    • マイルチャンピオンシップも創設から京都での開催が続いていたが、2020年は京都競馬場の整備工事に伴い、阪神競馬場で施行される予定。
  7. 1997年の生ファンファーレについてはお察しください…。
  8. 1年の〆を飾るレースだけあってか、世相を表した馬券決着になることがある。2001年のマンハッタンカフェ-アメリカンボスや、2012年の今年の漢字「金」でステイゴールド産駒と「キン」グカメハメハ勝ち馬で決まった例とか。
  9. 関西を中心に有馬記念の「有馬」は有馬温泉に由来し、そこから近い阪神競馬場で開催されるレースだと誤解している人もいるようだ。
    • 阪神競馬場で開催されるレースには「宝塚記念」もありこちらは競馬場の所在地である宝塚市に由来するので余計に誤解されやすい。余談ながら宝塚市内には「中山」という地名も存在する。
    • 但し有馬家で関係はあるようだ。
      • 有馬温泉付近発祥の有馬家の庶流が後に久留米藩主となり、それが頼寧さんに繋がっている。なお本流はだいぶ前に滅ぼされた模様。
  10. 天秋、ジャパンカップ、有馬記念を同一年3連勝した馬は秋古馬(中長距離)3冠達成でボーナスがもらえる。
    • 秋古馬3冠達成馬は、テイエムオペラオーとゼンノロブロイのみである。
  11. 3歳馬が熱いレース、古馬と比べて2kg軽いので距離が長く差が出やすいのと古馬との熟成度で差が少なくなり有利に働くため。

関連項目

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