京都市の寺院/東山区
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六波羅蜜寺[編集 | ソースを編集]
- 空也上人立像を保管していることで有名。
- 実は伝染病で亡くなった人の追悼施設。
- 年始の初穂授与の際には床がもみ殻だらけになる。
清水寺[編集 | ソースを編集]
- THE KYOTO
- 舞台と街をまとめて一枚の写真に収めておけば、それっぽくなるらしい。
- 舞台から飛び降りた奴って居るんか?
- 江戸時代にはけっこういたらしいが明治に入り法律で禁止されたので誰も飛び降りなくなった。
- 昔は下に木や苔がよく生えていたので生還率は8割超えだったらしい。もともと「観音様に願掛けをしてから飛び降りれば助かり願いも叶う」という民間伝承であり、「自殺行為」ではなかった。
- 拝観料を払わずに入る。地元民になればなるほど。
- 早朝だと体操しに行ったり音羽の滝で水を汲んだりしている方が結構居らっしゃる。坊さんも黙認状態。
- 建前上は舞台上へ上がる料金を頂戴している形らしいので問題ないらしいけど……
- ただ出口には「ここからは入れません」という看板が置かれている。拝観券をチェックする場所とかはないが。
- 最近は、警備員を常駐させて、拝観券の所持の有無をチェックしている。これで裏口から入ることができなくなったと思いきや……
- 石山寺もそんな感じだったような…。
- 創建は坂上田村麻呂とのこと。
- 田村麻呂が助けようとして叶わなかったアテルイとモレを称える碑が境内にある。
- いつ行っても人だらけ。
- バス停もいつも混んでる。
- 鉄道で行くと最寄駅は京阪本線の清水五条駅だが特急は停まらない(準急が毎時6本停車)。特急の停まる祇園四条駅(1時間あたり特急6、準急6の計12本停車)からは八坂神社、高台寺、三年坂経由で歩いて行けるがかなり遠い。
- 「今年の漢字」はここで発表される。
- 舞台が特徴的なので特撮でもけっこう壊される。
- ゴジラも参拝しにやって来た。
- 「日本沈没」のテレビ版でも地震で崩壊していた。
- 実は大阪にも同名の寺がある。しかも舞台や滝まである。
- 兵庫県加東市にもある。
- おみくじは凶が出やすいらしい。
- 本尊は秘仏で33年に1回しか公開されないとか。
- 境内に地主神社がある。
- 2017年からしばらく本堂の改修工事に入るので、あのおなじみの風景がしばらく見られなくなる。
- 清水坂の土産物屋街の一角にある某店は修学旅行生の大敵。
- 偽物のアイドルグッズなどを高値で買わされる。
- 「きよみず」は本来普通の読み方のはずだが珍しい。ここ以外で清水は本来難読のはずの「しみず」なので。愛知県清須市の春日町(はるひちょう)のようだ。
- たまに関東の観光客から「しみずでら」と読まれる。
- 清水寺を名乗る寺は全国各地にあるが、「せいすいじ」と読む場合もある。
- かつて名鉄揖斐線に「清水(きよみず)」駅が存在した。同じ名鉄の瀬戸線には「清水(しみず)」駅も存在(こちらは現存)。私鉄で漢字表記が全く同じ駅名が存在したのは珍しいケース。
- 岡山県の伯備線にある足立(あしだち)駅も。ここ以外では本来難読の「あだち」になる(東京都足立区など)。
知恩院[編集 | ソースを編集]
- 『ゆく年くる年』
- 鐘。
- 坊さんたちが鐘の試し撞きをしている様子が関西ローカルニュースで流れるのも年末の風物詩の一つ。
- 昔は「弁当はじめ」というのをやっていたらしい。
- 都中の女性が弁当を持ってお参りするというもので、多分正月の忙しいのが開けた後のレクリエーション兼ねてたんだろなあ。
- 浄土宗の総本山。
- 山門の2階には明治初期の落書きがある。
- 門が物凄く立派で圧倒される。
- 山門ではなく三門が正しい。南禅寺や東福寺も同様。
- 忘れ傘といううものがある。どこにあるか探してみよう。
- 現在はほぼ骨しか残っていなかったような記憶がある。
- 東大路通に面した門のすぐ横に天下一品があり、店名も「知恩院前店」。
- 百万遍にある知恩寺とは異なる。
- 七条通の東端にあるのは智積院で、こちらも紛らわしい。
泉涌寺[編集 | ソースを編集]
- 楊貴妃観音でお馴染み。
- 地元民は「潜入寺」と読んでいる。意味はお察しください。
- J1こと石田純一氏が好んでやまないという。運気が上昇するんだとか。
- 皇室の菩提寺。鎌倉時代の後堀川天皇・四条天皇、江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇が眠る他、歴代の皇族方を供養している。
- 塔頭の雲龍院には推理作家として有名だった山村美紗の墓がある。
- 舎利殿には狩野山雪が描いた龍の天井があるが、公開されるのは原則として12年に1回辰年のみ。
今熊野観音寺[編集 | ソースを編集]
- 山号が「新那智山」。熊野那智大社&那智山青岸渡寺の出張所の感じが強いネーミング。
- そのくせ宗派は真言宗。因みに、青岸渡寺は天台宗。
- たった一回、後白河法皇の頭痛を治しただけで頭痛封じの観音様扱い。
方広寺[編集 | ソースを編集]
- かつて大仏があった。
- これまでに4回焼失している。
- 「大佛殿」の文字が入ったゴミ箱は21世紀まで生き延びている。
- かつて京阪に大仏前駅が存在した。
- 現在の一番の見どころは「国家安康」の釣鐘。
- 下に大仏関連の残骸が放置されている。
- なお明治期にはただ屋外に置かれていただけだったらしい。
- ご丁寧に「国家安康」「君臣豊楽」の箇所を大きく囲ってくれてある。
- 今のところ大仏再建の話はない模様。
- 73年に燃えた4代目の跡地は駐車場として使われている。
- 有名な寺なのに、未だ公式サイトがない。そのため方広寺で検索すると、浜松市の方広寺が上位に引っかかる。
- 五条通が現在の位置に移動したのはここへの参拝を便利にするため。
三十三間堂[編集 | ソースを編集]
- 長いので写真に収めにくい。
- かつては通し矢の聖地だった。
- 今では1月に新成人が矢を射ている。
- 中はとにかく千手観音だらけ。
- 千手観音を千躰作るという、院政期の過剰っぷり、デカダンスを今に伝えてくれる貴重な場所。
- 像としては二十八部衆像の方が、動きがあって面白い。普通なかなか作られない尊格も揃ってるし。
- 境内に「三十三間堂」と入ったマンホールがある。
- 正式名称は「蓮華王院本堂」。
東福寺[編集 | ソースを編集]
- 紅葉の時期にはじっくり拝観できない。
- 朝から大行列ができ境内は相当な混雑に見舞われる。
- かわりに桜は1本も無い。寺伝によると、東福寺三門の天井画を描いた画僧明兆が、この絵を賞賛した足利義持が褒美をあげようとした際、宴会などが開かれて修行の妨げとなる桜の木を全部切って欲しいと願ったからだとされる。
- ただ、塔頭の中には桜が生えている所もある。
- 最近はあまりに混雑するようになったため、紅葉の季節には通天橋が撮影禁止になった。
- 通天橋の通行料は普段は600円だが、紅葉の季節は1000円に上がる。
- 中世のトイレや浴室が現存している。
- 東福寺の伽藍面という言葉通りの遺構。
- 東福寺駅から来る途中に通る臥雲橋も重要文化財でビビる。さすが京都。
- 2022年にクルマが突っ込む事故があった。
- 明治時代の火事で焼失した本尊はかなり巨大だったらしい。
- 東大寺の大仏に匹敵する大きさの大仏だった。今も手が本堂の中にあるらしい。
- 日露戦争の際にはロシア兵の捕虜が収容された。
- 境内にある龍吟庵は枯山水が見もの。
- 特に赤い枯山水は珍しい。他にも白い中に黒い雲が描かれているものもある。
- 解説の人に小雨の後に来るよう進められる。なぜなら雨に濡れて、色がよりはっきりして綺麗になるから。
- 寺の名前の由来は実は奈良の東大寺と興福寺から1文字ずつとったのだという。
- 作ったのは九条道家。マイナーだが鎌倉時代の政治史では欠かすことの出来ない人物。
- メインアクセスは京阪・JRの東福寺駅だが、京阪利用の場合1駅大阪寄りの鳥羽街道駅で降りたほうが少し近く、なおかつ空いている。
- 同様のことは伏見稲荷大社にも言える(龍谷大前深草からも行ける)。
- JR線よりも南側にあるため、伏見区にあると誤解されやすい。
正覚庵[編集 | ソースを編集]
- 別名「筆の寺」。
- 普段は非公開だが、毎年11月23日の筆供養の日に限り境内が一般公開される。
- 本堂はかつての白洲次郎の父の実業家白洲文平の邸宅を移築したもの。
大雲院[編集 | ソースを編集]
- 銅閣寺という別名があるが、知っている人はまずいない。
- 石川五右衛門の墓がある。
建仁寺[編集 | ソースを編集]
- 豊富な文化財もつ京都を代表する禅寺の1つ。
- 河原町から歩いて行けるのが嬉しい。
- 京都の寺の常でここも期間限定公開が多いので、交通の便がいいの有り難い。
- 繁華街に近いので、夕方に回したほうが後の予定が立てやすい。
禅居庵[編集 | ソースを編集]
- 建仁寺の境内にある塔頭寺院。
- というか大和大路通に面している。道路を挟んだ斜め向かいに恵美須神社がある。
- 護王神社と同様、ここにも狛犬ならぬ狛猪がある。
- 寺なのにこれがあるのは神仏習合の名残り。
- 本尊は秘仏だがこれも猪と関係があるらしい。
長楽寺[編集 | ソースを編集]
- 本堂に安置されている御本尊は新天皇が即位された時にしか御開帳されない秘仏。
- 境内には頼山陽の墓がある。
- この辺りからは京都市内が一望できる。清水寺ほど標高は高くないが。
- 円山公園の裏手からちょっと山を登ったあたりにある。
- ちょっと坂を下った所に長楽館という洋館がある。