兵庫の寺院

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神戸市[編集 | ソースを編集]

能福寺[編集 | ソースを編集]

  1. 元日本三大大仏の一つ兵庫大仏が在った。
    • 戦時下の金属供出のため御国の為にスクラップ化されたのだが、後に戦争が終わり平和になると三大大仏の最後の一枠は何処がもらうかでモメるという新たな戦いの端緒となる羽目になったというのは誠に皮肉な話。
    • 現在のものは1991年に再建されたもの。

須磨寺[編集 | ソースを編集]

  1. 三重塔、源平の庭、敦盛の首塚など見どころ多数。
  2. Wikipediaでは「B級スポットとして紹介されることが多い」と書かれている。失礼にも程があるとは思わんのかね。

忉利天上寺[編集 | ソースを編集]

  1. 摩耶山山上にあった。
  2. 色々文化財を持っていたようだが、賽銭ドロに放火されて文化財焼失。

阪神・丹波[編集 | ソースを編集]

中山寺[編集 | ソースを編集]

境内にエスカレーターがある
  1. 安産祈願のため妊婦さんが訪れることに配慮し、ほかの寺社なら階段のみの場所にエスカレーターが設置されている。
  2. 節分の豆まきは、ヅカガール
    • ヅカファン御用達の神社の一つ。JR乗ったら「村」から一駅という近さもあって、ファンはよく来る。
      • 阪急なら3駅であるが、寺自体は阪急の駅の方が近い。そんなこともあってか中山→中山観音に駅名が改称された。
        • 阪急で降りたらまさに駅からすぐの場所に山門がある。
  3. 「いつの時代も変わること無い」らしい。
  4. 日本最古の観音霊場らしい。創建が聖徳太子の時代なので嘘偽りはなかろうが、ドラえもんでもいない限り確認もできないだろう……
  5. 梅の名所でもある。
  6. 本尊は毎月18日だけ公開される。

清荒神清澄寺[編集 | ソースを編集]

  • 宝塚市
  1. 地元民は「清澄寺」をわざわざ付けて言われるとほんの僅かだか何のことか迷う。
    • まだ、清澄寺とだけ言うてもらったほうが楽という感じ。
  2. 元大阪市助役の大平光代さんの更生の地。因みに彼女は西宮出身らしいが、他の寺は受け入れ拒否したんやろね。
    • こういうことをさせてくれる御寺って未だにあったんだなと思う。
  3. これだけの御寺だが入山料は取っていない。代わりに中の美術館が入館料を取っているが、手を合わせるだけの目的の人間にはものすごく有難い事だと思う。
    • しかもその入館料すら、市の中央図書館内にある文庫の美術書購入資金として、全額寄付している。太っ腹すぎ。
      • 貸出は不可能で展覧会図録があまりないのが難点だが、市立図書館としては美術の専門書が驚くほど揃ってる。
    • 美術館は、幕末明治の南画家・富岡鉄斎の個人美術館。鉄斎は多作で、あちこちの美術館などが所蔵しているが、ここが一番所蔵数が多い。
    • 中山寺も入山料無料。
  4. 真言宗の御寺だが神をも祀っている。なので「清荒神」とつくらしい。
    • その神様は「かまど神」。

神呪寺[編集 | ソースを編集]

  1. 見るからに名前が恐い…… 名前だけで見たらちょっとアカン事しただけで呪われそうな……
    • そんな所であっても地元の子供はちょくちょくかくれんぼをしに行く。
  2. 枝垂れ桜と日の出が美しい。
    • 「夜中に懐中電灯も持たんと老人が……」とか言う話が、よくブログとかオカ板に載っとうけど、アレ、十中八九、日の出見に行った後ラジオ体操やったりしてはる地元のおじいちゃんおばあちゃんやから……
    • どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりも鷲林寺の方がそれっぽい噂は多いからな。

鷲林寺[編集 | ソースを編集]

  • 西宮市
  1. 神呪寺よりも山の中へ入ってきました的な寺。ココも神呪寺同様真言宗のお寺。
  2. 神呪寺がその名前から心霊スポット認定されているのは一部で知られているが、こっちの方が雰囲気はよりそれっぽい。
    • おかげで、そういうのが好きな人達の中で集団で来る人間が時々荒らしに来るため、住職が迷惑しているらしい。
    • どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりさらに奥の五ヶ池がマジコワであってここは雰囲気だけでっせ。

本興寺[編集 | ソースを編集]

本興寺境内
  1. 日蓮宗本門流の大本山。
    • 尼崎の街なかにあるが、場所の割には敷地面積がデカイ。寺の格を考えると納得がいく。
  2. 開山堂、三光堂、方丈は国指定の重要文化財。開山堂は室町末期の建造物である。
  3. 日蓮宗本門流の中では教学の中心地。
  4. 庭がものすごく丁寧に掃除されている。
    • 白い砂利がきちんと隅々まで竹箒で履かれているのはなかなかだと思う。
  5. アマのど真ん中にあるのに、歴史ある建造物が多数で、驚く。
  6. 山門がまず大きい。これだけでも見入ってしまう。
    • 三重宝塔がある。結構目立つけど、割と新しいもので歴史は感じられない。

法園寺(尼崎市寺町)[編集 | ソースを編集]

  • 尼崎市寺町
  1. 佐々成政が切腹させられた寺院。
    • 成政の墓もある。
  2. 浄土宗鎮西派の寺院。
  3. 本堂等は新しいもののため、あまり歴史を感じられない。

全昌寺[編集 | ソースを編集]

  • 尼崎市寺町
  1. 尼崎藩戸田家の菩提寺。
    • 大垣にも同名の寺院があるが、それは、戸田家の大垣転封時に分院したところである。
  2. 震災で色々失ったため、建物が真新しい。

長遠寺[編集 | ソースを編集]

多宝塔と鐘楼
  • 尼崎市寺町
  1. 元々日蓮宗の本圀寺の末寺だったお寺。
    • 三河幸田の長満寺、若州小浜の長源寺とならんで六条門流三長の1つだとか。ところで六条門流ってなんや?
  2. 長遠寺と書いてじょうおんじと読む。
    • 知らない人は間違いなくちょうえんじ又はちょうおんじと読みそう。
  3. 本堂と多宝塔は国指定の重要文化財。
    • 特に多宝塔には桃山様式を感じさせるデザインが取り入れられており、是非見ておきたい。因みにこの多宝塔は1607年(慶長12年)建立の物件。
      • 内部は来迎柱を立てて来迎壁、須彌壇が設けられている。正面には釈迦如来が祀られ、その両側には千躰の仏像を安置しているらしい。
      • 須彌壇には「天女の図」、南側扉内側には「如来像」、北側扉内側には「愛染明王像」・「不動明王像」が描かれていると尼崎市のホームページに記載があった。是非とも、中を見させていただきたいものである。
    • 本堂は多宝塔に遅れること16年の1623年(元和9年)の建立。保存状態が良い。
      重文指定の本堂
      • 屋根の雰囲気が日蓮宗の寺院らしい反り具合。
      • 本堂の柱の配置など、よくよく見ると中世→近世における建築様式の変遷の間に建てられたことが感じられるように思える。
    • 鐘楼、客殿、庫裏も17世紀の建造物。重要文化財ではないが、兵庫県指定有形文化財である。
  4. 阪神電車の尼崎駅から歩いて10分もかからないところにこんな落ち着いた、それでいて重要文化財を複数持った寺があるというのは、尼崎市民ですらイメージが湧かないだろう。
    • とにかく静寂。
  5. ここも本興寺同様、庭の手入れが非常によく行きどといている。
  6. 1350年(観応元年)、永存院日恩によって七ツ松に創建されたのが始まりらしい。
    • その後、東本町に移転するも尼崎城築城に合わせて寺町へ再移転している。

大覚寺[編集 | ソースを編集]

大覚寺門前にて
  • 尼崎市寺町
  1. 寺町にある割と真新しい感じの律宗の寺院。
    • 実は本興寺や長遠寺を差し置いて尼崎最古のお寺だったりする。
      • 社伝によると605年(推古天皇の御代)に剣尾山を遥拝するために設けられた遥拝所が始まりだとか。
  2. 13世紀には寺勢も強く、門前にて市が立つほどだったらしい。
  3. 足利義詮が陣をはったらしい。何の戦だったかまでは忘れたけど……
  4. 本堂は1938年に再建されている、一応戦前のもの。
  5. 摂津国八十八箇所第65番札所だったりする。
  6. 道路を挟んで向かい側にあるたこ焼き屋が7個100円でたこ焼きを売っている。はっきり言って安い。

如来院[編集 | ソースを編集]

  • 尼崎市寺町
  1. 天平年間に聖武天皇の勅願により行基が建立した49院のうちの1つ。
  2. 後に法然が讃岐遠流に際して、この地で遊女5人を改心させたことから、浄土宗の寺院になった。
    • この遊女5人、改心した後、神崎川にて入水自殺している。一応、法然は念仏回向をしたらしいけど、その前に自殺を止める努力をしろよと。
  3. 御赦免となった法然が京へ帰るときにもこの寺に寄っている。
    • 地元民は法然を引き留めようとしたが、勅命で京へ上る必要があった法然は、弟子の湛空を釈迦堂に留めさせた。

法園寺(尼崎市猪名寺)[編集 | ソースを編集]

  • 尼崎市
  1. 昔、この地にあった猪名寺の成れの果てらしい。
    • ソースは摂陽群談。
  2. 開基は645年(大化元年)。インドから来た高僧が開いたそうな。
    • 数度に渡って荒れては再興を繰り返している。因みに奈良時代には既に1度荒れており、行基に再興されている。

高源寺[編集 | ソースを編集]

  1. 開山後たった一年で帝に認められた御寺らしい。
    • 今となっては知名度0ですが何か?
  2. 本当に知名度がない。けれども紅葉の時期のこの御寺は物凄く美しい。友人が撮ってきた写真でしか見たこと無いけど……
    • なんでも、開基なさったお坊さんが遠路はるばる中国からお持ち帰りになられたとか。

播磨[編集 | ソースを編集]

圓満寺[編集 | ソースを編集]

  1. 土山あたりにある五重塔のある寺。
    • JRの神戸線からも見えるのだが、鶴林寺でもないし、なんという寺なのだろうと前々から気になっているんだが、どういう謂れがあるのだろう。
    • 念の為に言っとくがwikipediaにも載っていない。
  2. 五重塔の名前は播磨五重塔というらしいが、エレベーター、非常階段付きの曲者。
    • 胡散臭いなあ、と思わなくもないが、実は消防法の影響もあるらしい。こんなもんにまで、そういうの付けるなよ!
    • 平成に入ってから永代供養のための納骨堂として建立された塔だから、エレベーターや階段があるのは仕方ないと思うけどね(お参りする人にとっては便利だし)
  3. 五重塔に納めるお骨がいっぱいになったのだろうか、今度は本堂の地下に納骨堂を作るらしい。
  4. 寺自体は弘法大師が開基した歴史のある寺だそうな。

鶴林寺[編集 | ソースを編集]

  1. 加古川の古刹。
    • 伽藍が現在でも16棟も残っているが、鎌倉後期には30棟ほどあったらしい。
  2. 一部では、西の法隆寺とも呼ばれているとか。
    • 聖徳太子が建立したとされるのでそう言われているが、聖徳太子からしたら、大した寺ではなかったようで、聖徳太子建立七大寺の認定を受けてはいない。
    • 西の法隆寺と言いつつ、聖徳宗の寺ではなく天台宗の寺だったりする。にしても、書写山と言い、ここといい播磨は天台系が強いね。
  3. 2002年、古い国宝ものの絵画が盗まれた。
    • それが、外国で見つかったそうだが、対馬の石仏同様、盗まれたままだったりする。

教信寺[編集 | ソースを編集]

  • 加古川市
  1. これも加古川の古刹。但し、ぶっちゃけ無名。
  2. 鶴林寺ほどではないけど、結構古い御寺で御薬師さんを祀っている天台宗寺院。
    • 立場的には圓教寺の子分なのだそうだが、圓教寺よりも歴史が古い。

播州清水寺[編集 | ソースを編集]

  1. 「どこにあんねん」と言いたくなるような山の中。
  2. 西国第25番札所。正式名称は「清水寺」。同名で同じ西国の札所でもある京都の清水寺と区別するため「播州」をつける。
  3. 山号は「御嶽山(みたけさん)」
  4. 寺の本尊は根本中堂の十一面観音だが西国の札所本尊は大講堂の千手観音。前者は秘仏だが後者は西国の本尊では数少ない常時拝観可能。

光明寺[編集 | ソースを編集]

  1. インドから雲にのってやって来た仙人が開基。色々と変わった手品師らしい。
    • 布施を受け取る際に、自分は動かず鉢を飛ばしてそこに入れさせたとかなんとか。おかげで空鉢仙人という仇名があったそうだが、それ以前に頂物をするのにそれって無礼千万な気がする……
  2. 真言宗の御寺だが元天台座主の円仁が山内にて居住した経験あり。

浄土寺[編集 | ソースを編集]

  1. 運慶作の阿弥陀三尊像が光り輝いている。
    • 運慶ではなく、快慶の作。運慶は奈良や京都、鎌倉にいる権門相手の造仏に忙しく、地方までとても手が回らなかった。そのため、快慶などの流派傍系の仏師に担当が回ってくる。
      • しかし、その御蔭で快慶の作品は比較的よく残っている反面、運慶の作品の多くは戦災などで失われていった。後の長谷川等伯っと狩野永徳でも同じようなことが起こっており、歴史の皮肉と言える。
    • 早い時期の作品だが、おそらく快慶の最高傑作。快慶には珍しい大作であり、夕日の光を取り込んで阿弥陀如来来迎を劇的に演出する。まさに阿弥陀仏を熱心に信仰し、己の外に仏を見ることが出来た快慶の資質が、遺憾なく発揮された名品。
  2. 浄土堂は国宝。それ以外に多数の文化財がある。
    • 浄土堂は現存する大仏様建築としても貴重な存在(あとは東大寺くらいしかないし)

一乗寺[編集 | ソースを編集]

  1. インドから来た仙人が開基。宗派は違えどここは上の光明寺と同じ。
  2. 山号は法華山。でも法華教の寺ではなく天台宗の寺である。
    • 天台宗の高僧の像が数多く安置されている。平安時代から守られている大事な文化財である。
  3. 三重塔は平安時代の物。

随願寺[編集 | ソースを編集]

  1. 山号を増位山という。
  2. 聖徳太子さんが建立なさったそうな。
    • ここも僧坊が30を数えるなどデカかったらしい。すぐ横、広峰さんでっせ。
  3. サルも寄進をすれば、タヌキの子分四天王の1人も寄進するという有様。
    • それだけ、重要な寺だったのに、書写山に有名どころの地位を持ってかれて(涙目)。

圓教寺[編集 | ソースを編集]

  1. すなわち、侍終焉の地。
  2. 姫路の北の方にある。
    • ロープウェイと登山道があり、どちらかを選んでいくといい。
      • 登山道は、複数通じているのだが、1本を除いて、無人料金所となっている。でも、誰も入れている気配はないし、回収に来ている気配もない。
  3. 天台宗の陰陽本店。
    • ずっと昔は、確かに、ここいらは山陽地方だったのでそうなるんやろなあ。
    • 西の比叡山

八葉寺[編集 | ソースを編集]

  • 姫路市
  1. 日本史で出てくる難読人名の一つ慶滋保胤が坊さんとして入っていた寺の一つ。
    • だからといって取り立てて有名なものではない。
  2. 『ごちそうさん』のロケ地。
    • ウィキペディアにこの寺の項目があるが、初版が書かれたのはこの寺で撮られたシーンが放映された日のことである。

花岳寺[編集 | ソースを編集]

  1. 赤穂藩主浅野内匠頭の家系の菩提寺。
    • 偶然の一致だが、吉良上野介の家系の菩提寺も花岳寺というらしい…… これは因縁やろなあ。
  2. 大石内蔵助も眠っている。
    • 碑文を書いたのは大石主税らしい。この二人は家族ではないらしい。ところで、赤穂四十七士って、後1人ほど、大石さんって居なかったっけ? 大石多いし、なんちって。
      • 大石信清だったかな?確かいたと思う。