幸運な野球事典
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チーム[編集 | ソースを編集]
- 広島カープ
- 設立翌年に既に大洋(現横浜DeNA)と合併するという話があったほどの資金難だった。
- 当初はユニフォームが1人1枚しかなく、移動費すら払えない有様だったとか。
- 募金をしたり、運営会社を立て直したりして乗り切った。
- 地元の警察官がパトカーで募金しに来たとか。
- その後も貧乏球団だと言われていたが、多彩なグッズが話題を呼ぶようになり、今ではグッズがかなりの収入源となっている。
- 特に、Tシャツは自前の工場を持っている。
- 発足当初は成績も低迷していたが、その後1979年と80年代に3度の日本一、2016年~2018年は3連覇を果たした。
- その前の1975年の赤ヘル旋風で一躍人気球団にのし上がった。とにかく古葉監督の手腕が大きかった。
- 幸運というか、普通に企業努力の結果だよな、これ。
- 日本ハムファイターズ
- 後楽園→東京ドームを本拠地としていた時代は、どうしても巨人の人気の陰になってしまうことが多かった。
- 日本シリーズも、東京時代は1962年 (東映時代) を最後に長らく遠ざかっていた。
- 日本ハムファイターズになってから、東京時代のリーグ優勝は1981年のみ。日本一、及び東京ドーム完成後はリーグ優勝すら達成できなかった。
- ちなみにその1981年は、日本シリーズで巨人との後楽園対決だった。
- 日本ハムファイターズになってから、東京時代のリーグ優勝は1981年のみ。日本一、及び東京ドーム完成後はリーグ優勝すら達成できなかった。
- しかし2004年に北海道に移転すると、一気に道内でのファイターズ人気が高まる。
- 北海道は元々巨人ファンの多い土地柄だったため、ファイターズが受け入れられるのか?という懸念があったが、下記の新庄らの活躍や06年の日本一もあり、道民にファイターズが浸透するまでには時間はかからなかった。
- 成績面でも、2006年と2016年の2度の日本一を達成。
- 選手面でも、北海道移転初期は新庄剛志がチームの人気を引っ張り、その後現在にかけてダルビッシュ有や大谷翔平など人気選手を輩出。
- 東京ヤクルトスワローズ
- 同じ東京本拠地の巨人の人気の陰になってしまうことが多かった。
- 1978年に初優勝し日本シリーズでも当時黄金期だった阪急を下して日本一になったが1980年代は暗黒時代を経験した。
- しかし1992年に14年ぶりの優勝果たすと日本シリーズでは当時黄金期だった西武に敗れたものの翌年も優勝し日本シリーズでも西武に雪辱を果たす。
- その後1995年、1997年、2001年、2015年、2021年に優勝し日本シリーズは2015年の相手のソフトバンクを除いていずれも対戦相手を下して日本一に輝いてる。(95年、21年→オリックス、97年→西武、01年→近鉄)
- 常勝チームにのしあがったのは、野村克也監督の手腕によるものも大きい。
- ID野球、再生工場、長嶋ジャイアンツとのライバル関係などなどエピソードには事欠かない。
- 事実、近年では野村監督の愛弟子たちが指導者となり、ヤクルトのみならず色々な球団で活躍している。
- ID野球、再生工場、長嶋ジャイアンツとのライバル関係などなどエピソードには事欠かない。
- オリックス・バファローズ
- 大阪近鉄バファローズとの球団合併したのはいいものの、その後しばらくは同じ関西が本拠地である阪神の人気の陰になってしまうことが多かった。
- そればかりかブルーウェーブ時代の1997年から2020年までリーグ優勝がなく、最下位9回という暗黒時代を経験した。
- その間の2008年・2014年にAクラス入りするも、ともにレギュラーシーズン2位であり、1stステージがホーム開催にもかかわらず日本ハム相手に敗退。
- 2016年に至っては公式戦・オープン戦・交流戦・2軍すべて最下位という悪夢のようなシーズンを経験した。
- しかし2021年に25年ぶり・合併後として初のリーグ優勝を果たすと日本シリーズではヤクルトに敗れたものの、翌年も優勝し日本シリーズでもヤクルトに雪辱を果たす。
- それでも阪神VSオリックスという関西球団同士の日本シリーズはなかなか実現しなかったが、2023年になってようやく実現した(最終的にその阪神に日本一を献上したのだが)。
- また、某人気アイドルグループのメンバーがオリックスファンを公言したことも追い風に。
シーズン・大会[編集 | ソースを編集]
プロ野球[編集 | ソースを編集]
- 1985年の阪神タイガース
- 開幕当初は優勝への期待は薄かったが、4月にランディ・バース・掛布雅之・岡田彰布が巨人の槙原投手からバックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。
- 2003年に阪神が優勝するまで打たれた槙原投手は「阪神の自慢はこのバックスクリーン3連発しかない」と笑ったそうだ。なお槙原投手自身は阪神戦大得意。
- 夏場まで首位を快走していたが、8月12日に発生した日航123便墜落事故で球団社長の中埜肇が犠牲となり、阪神の選手達もこの事故機(JA8119)に直前のフライト(福岡発羽田行日航366便)で搭乗していたため、選手たちは大きな衝撃を受けて一時は大型連敗を喫して首位陥落。
- しかし、阪神の強力打線に加えて中西清起や福間納らのリリーフ投手陣も1年を通して大車輪の活躍をみせ、10月のヤクルトとの死闘の末、21年ぶりのリーグ優勝が決定。
- この年の日本シリーズで西武と対戦し、2リーグ制になってから初の日本一を果たした。2リーグ制になってから阪神が日本一になったのは2023年のアレまでこの年が唯一であった。
- なお、池田親興投手は第1戦終了後に「(85年セ・リーグ最下位の)ヤクルトの方が怖かった」と発言したものの、4年後の加藤哲郎のようにこの発言が原因で阪神が日本一を逃すというようなことはなかった。
- 1996年の読売ジャイアンツ
- シーズン序盤はリリーフ陣の崩壊などもありBクラスに低迷していたが、7月から快進撃を始め、首位だった広島と中日をごぼう抜きしてまさかの逆転優勝を果たした。
- 当時リーグ史上最大の11.5ゲーム差をひっくり返し、ここに「メークドラマ」が完成した。
- ただし日本シリーズではオリックスに敗れている。余談だが、長嶋監督はオリックスの前身球団である阪急に2度(1976年・1977年)も日本一を献上している。
- 2003年の阪神タイガース
- 前年、星野仙一監督のもと序盤は好調だったが、夏場に成績が低迷し4位に終わる。
- しかし、星野監督は前年オフに27人もの選手を入れ替えたが、これが功を奏し、主力選手の活躍もあって18年ぶりリーグ優勝につながった。
- 2007年の中日ドラゴンズ
- シーズン序盤は巨人と激しい優勝争いを繰り広げるも、中盤以降は巨人・阪神との三つ巴となり最終的に2位でシーズンを終える。
- だが、クライマックスシリーズでは阪神、優勝チームの巨人相手にストレート勝ちし、日本シリーズに進出した。
- 日本ハムとの日本シリーズでは初戦こそ日本ハムが取ったものの、その後は中日が3連勝。
- 最後は山井大介と岩瀬仁紀との継投による完全試合で勝利し、1954年以来53年ぶりの日本一に輝いた。
- 2008年の読売ジャイアンツ
- スタートダッシュには失敗。
- 阪神の五輪との兼ね合い、Vやねん!で失速し逆転優勝。
- ただし日本シリーズでは西武に敗れている。
- その西武も2024年現在まで日本シリーズ出場経験がない。
- ただし日本シリーズでは西武に敗れている。
- 2008年のタンパベイ・レイズ
- デビルレイズからデビルを取ったとたん、ア・リーグ優勝してしまった。
- チームは初のワールドシリーズ出場を果たしたものの、フィラデルフィア・フィリーズに世界一を献上している。
- 2010年の千葉ロッテマリーンズ
- 夏場から日本ハムの猛追もあってCS出場を争ったが、最終戦のオリックス戦に勝利し滑り込みでCS進出を果たした。
- クライマックスシリーズでは1stステージで2位西武に2勝1敗で勝ち抜け、優勝チームのソフトバンクにも最終戦に縺れ込み勝利。結果史上初のリーグ3位での日本シリーズ進出となった。
- そして日本シリーズでもセ・リーグ覇者の中日を4勝2敗1分で下し、史上初のリーグ3位からの日本一となった。
- この一連の出来事は「史上最大の下剋上」と称される。
- そして日本シリーズでもセ・リーグ覇者の中日を4勝2敗1分で下し、史上初のリーグ3位からの日本一となった。
- 2016年の北海道日本ハムファイターズ
- 開幕前はAクラスの予想が多かったものの、2位もしくは3位予想であり、優勝予想をした解説者・評論家はほぼ皆無であった。
- 首位ソフトバンクとは最大11.5ゲーム差をつけられていたが、6月19日に球団新記録となる15連勝を記録すると快進撃を始め、終盤にはソフトバンクとの優勝争いを繰り広げた。
- そして9月21日・22日の直接対決に連勝し、マジック6を点灯させる。マジック1として迎えた9月28日の対西武戦で見事リーグ優勝を果たした。
- この年のクライマックスシリーズでソフトバンクの3年連続日本シリーズ進出を阻止し、日本シリーズで広島を4勝2敗で下し10年ぶりの日本一を達成。同時に最大11.5ゲーム差をひっくり返しての日本一は日本プロ野球記録となった。
- 2017年の横浜DeNAベイスターズ
- 最後の最後まで巨人とのCS出場争いを繰り広げ、10月1日の対広島戦で勝利(更に巨人は同日の阪神戦で敗れる)し2年連続のCS出場を果たした。
- 阪神との1stステージは同時期に発生した関西地方の豪雨で危うく阪神の勝ち抜けという形での打ち切りも検討されたが、阪神園芸の奮闘(?)もあってか開催にこぎ着けた。
- その結果、初戦こそ落としたもののその後は2連勝し、2年連続のファイナルステージ進出を果たす。
- そして広島とのファイナルステージでも初戦こそ落としたものの、そこから4連勝でセ・リーグ史上初の3位から、そして実に19年ぶりの日本シリーズ進出を果たした。
- ソフトバンクとの日本シリーズは2勝4敗で敗れたものの、それでも3連敗からの2連勝で底力を見せた。
- 2018年の福岡ソフトバンクホークス
- シーズンでは山賊打線の西武になかなか首位を奪えず、最終的に2位でシーズンを終える。
- だが、クライマックスシリーズでは日本ハム、優勝チームの西武相手に勝利し、日本シリーズに進出した。
- 広島との日本シリーズでは初戦は引き分けに終わり、2戦目こそ広島が取ったものの、その後はソフトバンクが4連勝し、2年連続の日本一に輝いた。
- ちなみに2010年のソフトバンクは「リーグ優勝をしたが日本シリーズに進出できなかった」という屈辱を味わっていたのだが、その逆のパターンは史上初である。
- 広島との日本シリーズでは初戦は引き分けに終わり、2戦目こそ広島が取ったものの、その後はソフトバンクが4連勝し、2年連続の日本一に輝いた。
- 2019年の阪神タイガース
- シーズン終盤になって5位にまで低迷したが、そこから6連勝し、中日と広島をごぼう抜きしてまさかの逆転CS出場を果たした。
- さらに横浜DeNAベイスターズとのCS1stステージも勝利し、ファイナルステージに駒を進めた。結果は巨人に負けたが。
- 5位になった時CS出場は絶望的とも言われていたくらいだった。
- 9月19日時点でのCS出場確率はなんと1%。残り6試合を全勝した上で、同じくCS争いをしていた広島がシーズン最終戦で敗れるというのが阪神CS出場の条件だった。
- 2019年の福岡ソフトバンクホークス
- シーズンでは前年同様に西武にリーグ優勝を献上し、2位でシーズンを終える。
- だが、楽天とのCS1stでは初戦こそ落とすもその後はソフトバンクが2連勝し、その後優勝チームの西武に負けなしの4連勝で勝利。さらに日本シリーズでも19年ぶりに対戦した巨人相手に負けなしの4連勝とポストシーズンを破竹の10連勝で締め、3年連続の日本一に輝いた。
- 2022年の阪神タイガース
- シーズン序盤はセ・リーグワースト記録の開幕9連敗を喫するほど最下位に低迷したが、交流戦以降から少しずつ調子を取り戻した。
- 途中で主力選手のコロナ感染による戦線離脱など様々なアクシデントはあったものの、最後の最後まで巨人とのCS出場争いを繰り広げ、最終的にリーグ3位・2年連続のCS出場を果たした。
- 2019年の時と同様に横浜DeNAベイスターズとのCS1stステージを勝ち抜き、ファイナルステージに駒を進めた(結果はヤクルトに敗北)。
- 2022年のオリックス・バファローズ
- シーズン序盤は4月のロッテ戦で佐々木朗希に完全試合を達成されるなど打線の不調が目立っていた。
- だが、終盤になるとソフトバンクとの優勝争いを演じるようになり、10月2日に行われた最終戦の時点でソフトバンクと同率首位も直接対決で勝ち越したことでリーグ規定によりマジック未点灯のままリーグ2連覇を果たした。
- 結果的に8年前の10.2のリベンジを果たす形となった。
- なお、優勝したオリックスが首位に立った時間が3日、単独首位に至っては僅か20時間36分と最も短い事例となった。
- この年のクライマックスシリーズでソフトバンクのリーグ2位からの日本シリーズ進出を阻止し、日本シリーズでもヤクルトを4勝2敗1分けで下しブルーウェーブ時代の1996年以来26年ぶりの日本一を達成。同時に昨年のリベンジを果たした。
- オリックス・バファローズとしては初となる日本一であり、「バファローズ」の名を冠する球団としても初の日本一でもあった。
- 2024年の横浜DeNAベイスターズ
- 序盤は混戦の中、一時首位に立ったり最下位に転落したりと乱高下。その後しばらくは阪神や巨人などとのAクラス争いが展開するも、夏場には4位に長く沈んだ。
- だが、9月に広島が失速すると再び激しいAクラス争いが勃発。10月2日に広島がヤクルトに敗れたことでAクラス争いから脱落し、3年連続のAクラス入りと2年連続3位が確定。
- この年のクライマックスシリーズではファーストステージで2位阪神を2連勝で下し、さらにファイナルステージでも優勝チームの巨人を4勝3敗で下し、2017年以来7年ぶりの日本シリーズ出場を決める。
- ソフトバンクとの日本シリーズでは最初こそ2連敗したものの、DeNAはそこから4連勝でソフトバンクを下し、横浜ベイスターズ時代の1998年以来26年ぶりの日本一を達成。同時に7年前のリベンジを果たした。
- 「横浜DeNAベイスターズ」としては初の日本一でもあった。
- 2025年の福岡ソフトバンクホークス
- シーズン序盤は本拠地開幕三連戦をいずれも逆転負けというまさかの珍事で全敗を喫したり主力選手に故障離脱が相次ぐなど様々な要因で最下位に沈んだ。
- だが、5月に入ってからは少しずつ調子を取り戻し、交流戦では見事に優勝。
- 7月3日の日本ハム戦で勝利し今シーズン初の首位に立つと、以降は日本ハムと激しい優勝争いが勃発し、9月27日の対西武戦でリーグ連覇を果たした。
- 日本ハムとのクライマックスシリーズでは初戦と2戦目は勝利するもそこから3連敗。だが日本シリーズ出場をかけた最終戦で底力を見せ、日本ハムの下剋上を阻止した。
- 日本シリーズでは2リーグ制では最も早く優勝を決めた阪神と対戦。2014年の時と同様に初戦こそ落とすもそこから4連勝し、4勝1敗で阪神を下し5年ぶりの日本一に輝いた。
高校野球[編集 | ソースを編集]
- 2004年~2005年 駒大苫小牧
- 前年2003年夏の甲子園は初戦で倉敷工に8-0とリードしていながら降雨ノーゲームで無効となり、再試合で2-5で敗れて初勝利を逃す。
- 2004年夏、初戦となる2回戦で佐世保実に7-3で快勝し5度目の出場で悲願の初勝利。
- 3回戦では初戦でPL学園を破った強豪日大三に接戦の末7-6で競り勝つ。
- 準々決勝で涌井秀章擁する優勝候補の横浜に林裕也のサイクルヒットなどで6-1で破り、北海道勢76年ぶりのベスト4進出。東海大甲府との準決勝も勝利し、北海道勢夏の甲子園初の決勝進出。
- 決勝は春夏連覇を目指す選抜優勝校の済美と対戦。初回に先制され、一度は4点差をリードされるが、4回に逆転。6回に再び逆転されるが、その裏すぐに追いつき、7回に再々逆転。
- 二転三転の逆転の末、3点リードで迎えた9回、2アウト1・2塁から済美の4番鵜久森淳志をショートフライに打ち取り、13-10の打撃戦を制して北海道勢初優勝を決めた。
- これによりそれまでの高校野球最北端優勝校を栃木の作新学院から一気に更新し、真紅の大優勝旗が白河の関どころか津軽海峡を越えた。
- さらに史上最高のチーム打率.448を記録しての優勝。
- ちなみに選抜優勝校が夏の甲子園決勝で敗れたのは史上3例目、平成以降及び1978年の1県1代表制以降ではこの大会が唯一。
- 二転三転の逆転の末、3点リードで迎えた9回、2アウト1・2塁から済美の4番鵜久森淳志をショートフライに打ち取り、13-10の打撃戦を制して北海道勢初優勝を決めた。
- 2005年は聖心ウルスラ、日本航空に危なげなく勝利し、準々決勝で鳴門工に5点差から逆転勝ち、準決勝で辻内崇伸・平田良介・中田翔を擁する大阪桐蔭に延長戦の末競り勝ち、2年連続の決勝進出。決勝は2年生エース田中将大が抑えて、史上4校目・57年ぶりの夏の甲子園2連覇を達成した。
- 翌2006年も3年連続で決勝まで勝ち上がり、斎藤佑樹を擁する早稲田実との決勝戦は延長15回引き分け再試合へ。再試合の末3-4の惜敗で夏の甲子園3連覇は逃したものの、戦後最も高校野球3連覇に近づいた学校として記録にも記憶にも残った。
- 夏の甲子園連覇及び3年連続決勝進出は、3年連続2回戦から登場のくじ&3年連続準々決勝1日目(2004年から2012年まで準々決勝は2日に分けて行われていた)という幸運なくじも後押しした。
- 2007年 佐賀北
- 佐賀大会でも下馬評が低く佐賀北の甲子園出場を予想する者は少なかった。
- ただし夏の県大会直前のNHK杯で優勝していたため全くのノーマークではなかった。
- だが数十年くらいNHK杯で優勝した学校は甲子園に出場できていなかった。
- ただし夏の県大会直前のNHK杯で優勝していたため全くのノーマークではなかった。
- 準決勝で前年甲子園出場・13年前に甲子園優勝経験のある県の盟主佐賀商に8-3で快勝、決勝で鹿島を11-0で破り7年ぶり2回目の甲子園出場を決める。
- 甲子園大会前の下馬評はまったくノーマーク。最弱候補の1つにあげられるほどだった。
- 甲子園では13年前に佐賀商が優勝したときと同じ開幕戦を引く。3年連続出場・前年ベスト16の福井の強豪福井商と対戦。過去の実績では圧倒的に下だがこの年の福井商は谷間世代だったこともあり、副島の大会第1号ホームランなどで2-0で勝利。
- 2回戦の相手は三重の宇治山田商。春季東海大会優勝校だが三重県勢は夏の甲子園9連敗中、さらに相手はこれが初戦となる49番くじ。延長15回引き分け再試合の末3回戦進出。
- 3回戦の相手は前橋商と浦和学院の勝者と対戦。浦和学院と対戦かと予想されていたが当時の浦和学院は低迷しており相手は前橋商に。延長15回引き分け再試合の疲れを見せず5-2で勝利。ベスト8進出。
- この当たりから佐賀県内で騒がれ始め、甲子園観戦ツアーまで組まれる。
- 準々決勝は優勝候補の帝京と対戦。今大会初めて私立の強豪との対戦となったが、延長13回の末4-3のサヨナラ勝ち。
- 優勝候補の帝京を破ってのベスト4進出で、この当たりから「がばい旋風」と呼ばれ始める。
- 準決勝は長崎日大との九州対決で諫早湾対決を3-0の完封勝ちで制し決勝進出。
- 決勝の相手は野村祐輔を擁する広陵。ここまで前評判を覆し旋風を起こしてきた佐賀北も、野村の前には手も足も出ず7回までわずか1安打。準決勝まで無失点だった久保が7回に追加点を奪われ、0-4とリードされて8回裏へ。
- 8回裏、ここまで抑えられていた野村からヒット2本と四球で1アウト満塁のチャンス。1ストライク3ボールからの5球目はストライクゾーンにギリギリ入っていたかと思われたが微妙な判定でボール。押し出しで1点を返す。
- そして今大会ホームラン2本の3番副島に打席が回る。野村投手のボールをジャストミートした副島の打球はレフトスタンドに飛び込む逆転満塁ホームラン。5-4と佐賀北が大逆転。
- 9回表、初めて1点を追いかける展開になった広陵も粘り、ノーアウト1塁から送りバントを成功。だが直前の回の逆転劇で焦ったのか、広陵の1塁ランナーは2塁を蹴って3塁を狙う大暴走。あえなく3塁でタッチアウトとなり2アウトランナーなし、追い込まれる。
- そして最後の打者野村祐輔を三振に打ち取り、佐賀北が大逆転勝利で甲子園初優勝。県勢としては佐賀商以来13年ぶり2回目の優勝となった。
- 8回裏、ここまで抑えられていた野村からヒット2本と四球で1アウト満塁のチャンス。1ストライク3ボールからの5球目はストライクゾーンにギリギリ入っていたかと思われたが微妙な判定でボール。押し出しで1点を返す。
- 8回裏の微妙な押し出しの判定は、この年にあった特待生問題による私立への圧力も噂された。
- 2009年 日本文理
- 新潟県勢はこの年まで47都道府県で唯一春夏通じて甲子園ベスト4進出の経験がなかった。
- さらに3年前までは47都道府県で唯一選抜での勝利がなかった。選抜初勝利をあげたのは2006年の日本文理。
- 前年の明治神宮大会で鵡川に6-11で完敗。この年の選抜では優勝した清峰に0-4の完封負けで初戦敗退。
- 新潟大会を圧倒的な強さで優勝するも、上記のこともあり前評判は高くなかったが、奇跡とも言えるくじ運の良さが後押しする。
- 1回戦免除で2回戦から登場となり、2回戦で初出場の寒川に4-3で逆転勝ち。3回戦で初出場の日本航空石川に12-5で快勝。新潟県勢夏25年ぶりのベスト8進出を決める。
- 準々決勝で同じく組み合わせに恵まれて勝ち上がった初出場の立正大淞南に11-3で快勝。新潟県勢春夏通じて初のベスト4進出を決めた。
- 3試合連続初出場校との対戦だけでベスト4進出。
- 準決勝の相手はPL学園・帝京といった強豪を破って勝ち上がってきた県岐阜商。しかし強豪との対戦や準々決勝との連戦(日本文理は中1日休養があった)で戦い疲れていた県岐阜商に2-1で勝利。
- 決勝は堂林翔太を擁する甲子園最多優勝の名門中京大中京。中盤まで同点で進むも、6回に大量6点を勝ち越され、6点ビハインドで迎えた9回表も2アウトランナーなしと追い込まれ、誰もが日本文理の負けを確信した。
- だがここから怒涛の連打で5点を返し1点差まで追い上げる。最後の打球がサードライナーに打ち取られ、1点差で惜しくも敗れたが、日本文理の選手に涙はなく、下記のような「幸運な試合」が誕生した。
- 2009年全国高校野球選手権大会決勝 中京大中京vs日本文理
- 試合展開と試合後の両チームの表情から「誰も傷つかず、みんなが幸せになれた試合」と言われる。
- 敗者が存在しない試合、両チームも球場にいる観客も全員が勝者とも。
- 「日本文理の夏はまだ終わらない」は高校野球実況史に残る名言。
- そのため大逆転でも延長戦でもないのに、ネットサイトasahi.comの高校野球名勝負投票でこの試合が2位になった。
- 投票者に若い世代が多かった結果でもあるが。
国際大会[編集 | ソースを編集]
- 1984年 ロサンゼルスオリンピックの野球日本代表
- 本来なら前年にアジア予選として行われたアジア野球選手権でチャイニーズタイペイに敗れ、オリンピックには出れないはずだった。
- ところが東西冷戦の影響からソビエト連邦がオリンピックをボイコットし、出場権を得ていたキューバもこれに同調したことから急遽出場が決定。
- 予選リーグは2勝1敗で1位通過、準決勝でチャイニーズタイペイ・決勝でアメリカ(開催国)を破り、公開競技ながら金メダルを獲得。
- その後日本代表チームからは19人中16人がプロ入り、正田耕三(新日鐵広畑→広島)・和田豊(日本大学→阪神)・広沢克己(明治大学→ヤクルト)らがプロの世界でも大いに活躍した。
選手[編集 | ソースを編集]
- 赤星憲広
- 2000年のドラフト会議で阪神に指名された際は、阪神ファンからの非難が激しかった。
- 当時のファンの多くは高卒の若い選手を望んていたのに対し、赤星は社会人でしかも大卒であったこと、非力だったことからあまり歓迎されていなかった。
- 入団発表では「新庄選手の穴を少しでも埋めたい」と言おうとしたが緊張して「新庄選手の穴は僕が埋めます」と言い間違えてしまうビッグマウスでも話題になった。
- しかし蓋を開けると、発言通り新庄氏の穴を埋める大活躍。
- しかしプロ入り後は阪神の主力として活躍。2003年には阪神のリーグ優勝に貢献した。
- 特に同年の優勝の胴上げをした試合では、彼のサヨナラヒットで優勝マジックを1に減らした。
- 新井貴浩
- 阪神移籍時の「辛いさん」騒動で広島ファンから総スカンを食らい、「25番という選手」として名前すら呼ばれない状態だった。
- そして阪神でも雲行きが怪しくなってきたかと思いきや…
- そりゃ生涯広島宣言とか言って、その1年後に移籍となればね…
- そして阪神でも雲行きが怪しくなってきたかと思いきや…
- 広島に復帰して大活躍。25年振りの優勝に貢献しMVPも獲得、2017年に勇退。
- ムードメーカーかついじられキャラとしてファンからの人気も回復。
- twitterでは「新井さんクソコラグランプリ」なるものも開催されていた。
- そもそも新井さんが勇退したのは2017年じゃなくて2018年では?
- ムードメーカーかついじられキャラとしてファンからの人気も回復。
- 現在では阪神時代が黒歴史となりつつある。
- 2023年からは広島の監督に就任。
- 糸井嘉男
- 自由獲得枠で投手として入団するも登板なし。
- 野手転向後身体能力を武器に計算できる外野手に、トレードされるも35歳にして盗塁王獲得。
- 2022年に阪神で現役引退したが、外様選手であるにも関わらず盛大に引退セレモニーが行われた。ただ当日は試合時間が22時以降にまで延びたため、引退セレモニーが終わったのは23時台とかなり遅くなり、阪神電鉄は日付が変わった後も臨時列車を出していた。
- 伊藤敦規
- 阪急・オリックス→横浜でプレーしていたが、1996年のシーズン終了後に戦力外通告を受ける。
- 「幼少期からファンだった阪神でダメだったら諦めもつく」と決意し阪神の入団テストを受け合格。
- 阪神移籍後は中継ぎで活躍し、2000年にはセ・リーグ最多の71試合に登板、防御率1.86という好成績を残した。
- 野村監督時代、困ったらとりあえず伊藤を出す、だったそうだ。
- 大竹寛
- 広島からFAで巨人に移籍したものの、先発としては徐々に成績が落ちていた。
- 19年時点で引退をほのめかす程。
- 同年のプレミア12で辞退した千賀のかわりに招集、日本の優勝に貢献。
- 川崎宗則
- シカコ・カブスの悪夢「ヤギの呪い」を解呪するのに必要だった人物。
- 選手登録枠40人からは外れていたが、それでもムードメーカーとしてベンチ入り、そしてチームを優勝に導いた。
- これ以外にもMLB公式から「ムネノリ・カワサキ」賞を授与されるなど、ムードメーカーとしての実力が目立つが、実は2塁3塁遊撃と内野をどこでも守れる器用な選手である。
- ちなみに選手としての出場以外ならキャッチャーとピッチャーもやっている。
- その後日本に帰ってからうつ病で2シーズン休業してたが、台湾で活動を再開した。
- 北川博敏
- 大宮東高校→日本大学で活躍し、1994年のドラフトで阪神から2位指名を受け入団。
- 1年目からジュニアオールスターでMVPを獲得するなど期待されていたが一軍では関川・山田・矢野の壁を中々崩せず、2000年のオフに3対3のトレードで近鉄に移籍。
- 移籍1年目の2001年はオフの猛練習が実り初めて一軍に定着。
- 4月28日のダイエー戦でプロ初ホームラン、約1ヶ月後の5月27日(北川の29歳の誕生日)のオリックス戦でプロ初のサヨナラタイムリーを放った。
- シーズン終盤の9月24日の西武戦、敗色ムードの漂う9回裏に代打として登場すると松坂大輔から本塁打を放ち、中村紀洋の逆転サヨナラ2ランの起点となった。
- その2日後のオリックス戦(ホーム最終戦)、3点差の9回裏に近鉄は吉岡雄二・川口憲史の連打、ギルバートの代打・益田大介がフォアボールでノーアウト満塁のチャンスを作る。
- ここで古久保健二の代打として打席に送られた北川はオリックス・大久保の4球目の甘く入ったスライダーをフルスイングすると打球はぐんぐん伸び、バックスクリーン左横に飛び込む「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」となった。
- その後も近鉄→オリックスで長らく主力選手として活躍、2012年を最後に現役を引退した。
- 引退後はオリックス→ヤクルトで打撃コーチを務め、ヤクルト時代には村上宗隆をリーグ屈指の長距離打者に育て上げた。
- 2020年からは古巣の阪神に二軍打撃コーチとして19年ぶりに復帰。
- 古賀正明
- セ・パ交流戦の導入以前には3名しかいなかった「12球団全てに勝利」を達成した投手の一人。
- しかも、その勝利の挙げ方が非常に効率的。
- 最初に所属した太平洋・クラウンから1979年にロッテに移籍し、ここで古巣西武から勝利を挙げた。
- 翌80年は巨人、1981年からは大洋でプレー。1983年に巨人から勝利し12球団勝利を達成。これが現役最後の白星だった。
- 実働9年、通算でわずか38勝しかしておらず、通算1勝の球団も西武・巨人の他近鉄・ヤクルト・阪神と計5球団もある。
- 交流戦以降を含めても古賀より少ない勝利数で達成したのは林昌範(22勝)のみ。
- 古葉竹識
- 現役時代は目立った成績を残せず、怪我も多かった。
- キャリアハイは1963年シーズンで、唯一打率3割を記録した年。
- しかしシーズン終盤、顔面に死球を受け骨折、首位打者のタイトルを長嶋茂雄にさらわれる。
- 翌年以降は顔面死球の影響で打撃不振になり、代わりに足を活かすバッティングに切り替え、盗塁王も獲得。
- しかし彼の名声は監督になってから。1975年、当時のルーツ監督がペナント序盤で辞任し、後任の監督を引き受けることに。
- 山本浩二や衣笠祥雄、外木場義郎、大下剛史と、駒だけは揃っていたいい選手をうまく使い「赤ヘル旋風」として全国区の人気に。ついに球団としての初優勝を果たす。
- その後も高橋慶彦、正田耕三、川口和久といった名選手を次々と育て、名将の代名詞のような存在になった。
- 島野修
- 高校時代に2回甲子園に出場、1968年のドラフト会議で巨人から1位指名を受ける。
- 巨人からの指名を確信していた星野仙一は、この時「星と島を間違えたんじゃないのか?」と言ったとされる。
- しかし巨人入団後は高校時代の投げ過ぎが原因で肩を痛め、結果を残せなかった。
- 1976年に阪急へ移籍したが一軍での登板はなく、1978年に現役を引退。
- 引退後は芦屋市でスナックを開いていたが、1981年春に阪急の加藤選手会長が島野を訪ね、球団マスコット「ブレービー」のマスコット人形役への就任要請を出す。
- 島野本人はすぐ断るつもりだったが、メジャーリーグ各球団のマスコットの活躍をビデオで観賞、更にファンサービス担当者の「野球を知っていないとできない仕事」という言葉に「お客さんが少しでも増えるなら」と引き受ける決心をつけた。
- デビュー当初は新聞にネガティブな記事が書かれるなど、決して良い扱いはされていなかった。
- しかしある日、西宮球場近くの食堂で落ち込んで飲んでいるときに「またブレービーを見たいから球場に連れて行って」と親にせがむ子供の声を聞き、島野は迷いを吹っ切った。
- それ以降、1998年のシーズン終了までの阪急・オリックスの主催試合1175試合を1試合も欠場せずにスーツアクターを勤め上げた。
- 西清孝
- 1984年にドラフト外で南海に入団。
- 1990年のシーズン途中に広島へ移籍したが、1993年に戦力外通告を受けてしまう。
- 一時は引退を考えたが、横浜のテストを受け打撃投手兼任として入団。
- 1990年のシーズン途中に広島へ移籍したが、1993年に戦力外通告を受けてしまう。
- 横浜移籍4年目の1997年にプロ初勝利を挙げた。
- この年は58試合に登板し防御率2.55を記録。
- ラルフ・ブライアント
- 1981年のMLB二次ドラフトでロサンゼルス・ドジャースから1巡目指名を受け入団。
- 1985年にメジャーリーグデビューを果たすが、それ以降はマイナーリーグとの往復を余儀なくされており、1988年5月にドジャースと友好球団であった中日ドラゴンズに移籍。
- 当時の一軍登録の外国人枠は2名であり、中日では郭源治とゲーリー・レーシッチが活躍していた(郭が日本に帰化したのは翌1989年)ため、長打力はあるが三振も多いブライアントの出番は全くなかった。
- 二軍で燻っていたブライアントに転機が訪れたのは、6月の西宮球場でのウエスタン・リーグの公式戦だった。
- 下手投げのピッチャーだった近鉄の佐々木修からバックスクリーンにホームランを叩き込んだのを目の当たりにした近鉄の首脳陣は、「バットに当たればホームランだが、滅多にバットには当たらない」ブライアントの獲得を決め、中日のOBだった投手コーチの権藤博の伝手で中日にトレードを打診。
- 当時近鉄はパ・リーグのペナントレースで西武を追走する立場だった。しかし、主砲のリチャード・デービスが6月7日に大麻不法所持により逮捕され退団。
- 突然の事態に近鉄が急遽リストアップした外国人選手が、中日に所属していたブライアントだった。
- 中日の二軍スタッフはブライアントの将来性を高く評価しており放出に反対したが、6月28日に金銭トレードで近鉄に移籍。
- 近鉄移籍後、ブライアントは2度の1試合3本塁打を記録するなど、74試合の出場で34本塁打を放ち、近鉄の最大ゲーム差8からの驚異的な追い上げに貢献。
- 参考までに1988年のセ・リーグ最多本塁打は大洋・ポンセの33本(パ・リーグ最多本塁打は南海・門田の44本)。
- シーズン終盤には父親が危篤となったが、シーズン最後まで日本に残りチームに帯同。
- その最後の2試合こそ伝説の「10.19」であり、シーズン最終戦となったダブルヘッダーの第2試合の8回表に一時勝ち越しとなる34号ソロホームランを放っている。
- 翌1989年は49本のホームランを放ち、パ・リーグのMVPを獲得。その後も1995年まで近鉄の主砲として活躍した。
- 近鉄での通算本塁打数は259本。一方で通算三振も1186個と多く1993年にはシーズン204三振を記録したが、「三振かホームランか」の近鉄史上最強の助っ人としてファンに愛された。
- 2019年のインタビューでブライアントは「私は近鉄バファローズを愛している。偉大な伝説を作ってきたチームの一員になれたことを、本当に誇りに思う」と語っている。
- 古田敦也
- 眼鏡もありドラフトでは実力は認められるも敬遠されていた。
- ソウルオリンピックがきっかけで、やっと目をかけてもらえた。
- 野村克也監督との出会いで屈指の捕手となる。
- 実は当時、ヤクルトの監督に就任したばかりの野村はドラフト5日前のスカウト会議の場で「眼鏡のキャッチャーは要らん」「高校生の捕手を獲ってくれ。ワシが育てる」と古田の獲得に否定的な発言をしていた。
- が、スカウトの片岡宏雄が「古田との約束を破る事になるのでそれはできない」と喰い下がり、ヤクルトへの入団となった。
- 野村監督は皮肉にも「大学出に名捕手はいない」という持論を自らの手で覆すこととなった。
- ヤクルト以外にも日本ハムも狙っていたらしいが、同様に理由で入団に至らなかった。
- 実は当時、ヤクルトの監督に就任したばかりの野村はドラフト5日前のスカウト会議の場で「眼鏡のキャッチャーは要らん」「高校生の捕手を獲ってくれ。ワシが育てる」と古田の獲得に否定的な発言をしていた。
- プレー以外でも、2004年にプロ野球選手会長として、大阪近鉄とオリックスの合併を含む再編問題に対処。2リーグ12球団制の維持などに大きく貢献した。
- ストライキ決行時には、多くのプロ野球ファンがストライキに賛同した。
- ヘンスリー・ミューレン
- 1994年に千葉ロッテマリーンズに入団しまずまずの成績(.248 23本 69点、サヨナラHR2本)だったが、バレンタイン監督の招聘にあたり構想外となり、1年で自由契約に。
- ロッテ時代はメル・ホールにいじめられていた。後に「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」と語っている。
- 翌1995年はヤクルトスワローズに移籍。
- 下位打線に置いて自由に打たせた結果、打率は低いものの長打力を発揮し「恐怖の8番打者」的な存在として、ヤクルトのリーグ優勝・日本一に貢献。
- 引退後はオランダ代表の監督に就任し、WBCで2回(2013年、2017年)指揮を執った。
- 矢野燿大
- 最初に入団したのは中日だったが、正捕手の中村武志の陰に隠れ目立たなかった。
- しかし阪神にトレードされた後は正捕手としてメキメキ頭角を現し、2003・2005年のリーグ優勝に貢献した。
- かつての師匠だった星野仙一監督との出会いも大きい。
- 彼を阪神に飛ばしたのが星野監督だったので、阪神で再会した当初は「また捨てられるのでは」と怯えていたが、師匠を見返せるほどの活躍が出来た。
- 前任の野村監督の指導の甲斐もあったのでは。
- 彼を阪神に飛ばしたのが星野監督だったので、阪神で再会した当初は「また捨てられるのでは」と怯えていたが、師匠を見返せるほどの活躍が出来た。
- かつての師匠だった星野仙一監督との出会いも大きい。
- さらに2019年からは阪神の監督にも就任した。
- 山口鉄也
- 横浜のテスト落選、渡米もした、育成で巨人入団。
- 支配下となると中継ぎエースとして君臨。
- 山本昌広(山本昌)
- プロ入り直後は球速も遅く、当時解説者だった星野仙一から「ただ大きいだけ」と言われたりしていた。
- しかし1988年のアメリカ留学でスクリューボールをマスター。これによってメジャーのスカウトからも注目されるほどの投手に成長した。
- その後はNPB最年長、左腕投手では世界最年長でのノーヒットノーランをはじめ「NPB最年長」の記録のほとんどを塗り替えるほどの息の長い活躍を見せ、50歳まで現役を続けた。
- 余談ではあるが「ラジコンのプロで趣味は野球」というくらいラジコンが好きで、大会の優勝経験もある。
- アルト・ロペス
- 1961年にヤンキースに入団。1965年には38試合に出場したが目立った成績は残せず、1967年には母国のプエルトリコで百貨店の売り子を務めていた。
- 1968年、大砲不在に苦しんでいた東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)がヤンキースと交渉し、「ロペスなら出してもいい」という返答を得た。
- オリオンズ側はヤンキースのスター選手だったヘクター・ロペスが来ると大喜びだったが、実際に来たのは別人のアルト・ロペスだった…。
- オリオンズの首脳陣は「もう契約金(約36万円)も払ったし、もし駄目だったら直ぐアメリカに帰そう」と別人のロペスをそのまま入団させた。
- オリオンズ側はヤンキースのスター選手だったヘクター・ロペスが来ると大喜びだったが、実際に来たのは別人のアルト・ロペスだった…。
- すると開幕戦で決勝のタイムリースリーベース・シーズン中には26試合連続安打・初出場のオールスターゲームでも史上初の初回先頭打者初球ホームランを記録。
- 結局オリオンズでは4年連続で20本以上のホームランを放ち、2年目からは3年連続で打率3割と大活躍。結果としてはとてもラッキーな「人違い」となった。
- 和田一浩
- 大卒社会人、伊東勤が君臨していたため捕手として恵まれず。
- 30歳前後でブレイクして代表招集、2000本安打を達成。
- 永尾泰憲
- 最初に入団したヤクルトでは1978年、球団創立29年目で初のリーグ優勝、日本一を経験。
- 翌年、近鉄にトレードされると球団創立30年目で初のリーグ優勝を経験。翌年も連覇。
- その後、移籍した阪神では21年ぶりのリーグ優勝及び球団初の日本シリーズ制覇を経験。
- と、行く先々でレアな優勝経験をした「もうひとりの優勝請負人」と言うべき存在である。
- 広澤克実
- 1984年に明治大学からヤクルトに入団、1992・93年のリーグ優勝(93年は日本一も)に貢献し、ヤクルト黄金時代を築いた一員となった。
- しかしヤクルト球団との対立などから翌1994年にFA宣言して巨人に移籍し、1996年に優勝を経験。
- 1999年に巨人を自由契約になり翌年阪神に移籍、ここでも2003年の18年ぶりのリーグ優勝を経験した。よって所属した全球団で優勝を経験したことになる。
- 余談ながら野球以外でも柔道の有段者でもある。
- 田中将大
- 2006年夏の甲子園では斎藤佑樹との投手戦の末に敗北し、勝った斎藤は「ハンカチ王子」として注目を浴びていた。
- しかしプロ入り後は逆転。東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した田中は新人王を獲得、2013年に最優秀選手(MVP)として表彰されたのち、翌年には総額約190億円の契約金で大リーグへと移籍を遂げた。
- 時を同じくして里田まいと結婚。プライベートでも幸せになった。
- 一方斎藤は大学時代の負傷などにより目立った実績を上げられず、2021年を以て現役を引退した。
ユニホーム[編集 | ソースを編集]
- 西武ライオンズ(1979~2003)
- いわゆる「ライオンズブルー」を使用したユニホーム。
- 選手の中には、全身ブルーのビジター用を「パジャマみたいで格好悪い」と思った選手もいたらしい。
- 野村克也も著書で「あれだけおしゃれな広岡達郎(当時西武監督)ですら似合わないのならどうにもならないのでは」とさえコメントしている。
- 選手の中には、全身ブルーのビジター用を「パジャマみたいで格好悪い」と思った選手もいたらしい。
- しかしながら、森監督時代の黄金期の象徴として有名でもある。