幸運なモノ事典
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なんだかんだあったけど、幸運なモノを集めるページ。
- できるだけ起承転結のうち、起と結は別文にしてください。他の方にも間を書いていただきたい、という趣旨もあるので。
独立済み[編集 | ソースを編集]
交通[編集 | ソースを編集]
鉄道[編集 | ソースを編集]
鉄道会社・路線[編集 | ソースを編集]
- 銚子電気鉄道
- 電車の点検したいけど、乗客が少なすぎて費用が集まらない…
- なんか、地元においしいお菓子あるぞ?銚子電鉄が作って売るか…
- その際には地元のお菓子屋さんが、地元のためならと無償で技術指導をしてくれた。
- 至る所で売れたぞ、点検して電車をまた動かせる!
- でも次の電車の点検費用がまた足りなくなった…
- いっそのことあの映画のパロディでも作るか。
- 一度廃線になって数年後復活した。
- 路面電車
- 自動車交通の邪魔として全国から撤去されていった。
- 自動車を軌道敷内通行可にして、路面電車を追い出していった。
- 2000年を過ぎ見直され、路線延伸や鉄道からの転換が行われることに。
- 新潟トランシスやアルナ車両が超低床電車を製造するようになり高齢者や車椅子利用者にやさしい乗り物として広まったのも大きい。
- 三陸鉄道南リアス線・北リアス線
- 国鉄の建設工事が中断され、第3セクターの三陸鉄道を設立して開業。
- 2011年の東日本大震災で三陸縦貫鉄道網は軒並み長期間の運休。
- しかし国鉄から見捨てられ三陸鉄道として開業した路線は国鉄路線より早く復旧が進む。
- なんと震災発生のわずか5日後の3月16日に早くも北リアス線の陸中野田-久慈間が運転再開。
- 震災1年後の2012年4月までに半分以上の区間が復旧。
- そして3年後の2014年4月6日についに全線運転再開。「2度目の」開業記念式典が盛大に開かれた。
- 一方で国鉄→JRとして開業した大船渡線、山田線の復旧は進まず。
- 大船渡線は2013年3月2日にBRTの運行を開始。事実上鉄道での復旧はあきらめたのか。
- 山田線は沿岸区間の宮古-釜石間が三陸鉄道に移管され、南リアス線・山田線・北リアス線が統合されリアス線になる。
- JR東日本は見下していた三陸鉄道に尻拭いされる形に。
- 昭和30~40年代、モータリゼーションの影響で利用者が低迷し、廃線の危機に陥った。
- しかし、道路が渋滞するようになり、時間通りに走る江ノ電に乗客が戻ってきた。
- さらに、昭和50年代以降、各種作品で沿線が舞台になり、観光客が増加。
- 今では繁忙期はなかなか乗れないほどの人気になっている。
- あまりの混みように、とうとう「GW期間中は地元の人優先」というルールが設定された。
- 今では繁忙期はなかなか乗れないほどの人気になっている。
- さらに、昭和50年代以降、各種作品で沿線が舞台になり、観光客が増加。
- JR山手線
- そもそも貨物線として当時ド田舎だった場所に敷設された路線。
- 当初、渋谷は人口200人だったとか。池袋に至ってはそもそも駅が置かれなかった。
- しかし沿線が副都心として発展、今では日本人の誰もが知っているような路線に。
- 東京都内の副都心を周り、東京に住む人にはとてもなじみのある路線になった。
- 阪神なんば線
- 元々は伝法線と呼ばれていた支線だったが、1964年に西九条まで延伸して大阪環状線と接続、神戸方面から直通の特急も運転された。
- 引き続いて難波までの延伸工事にも取り掛かったが、沿線住民の反対で工事中止に追い込まれ、特急も廃止された。
- しばらくは西九条止まりの支線という状態が続いたが、21世紀に入って大阪ドーム(現京セラドーム大阪)のオープンなどもあって延伸の機運が高まり、2009年3月についに大阪難波までの延伸を果たし、近鉄との相互乗り入れも実現した。
- 難波延伸後の利用状況は好調で、年々利用客も増加、今や阪神は関西はもとより全国の大手私鉄でも1・2を争う利用客の増加をみている。
- そもそも阪神間でJR西日本どころか阪急にも大きく負けていたのがイタかった。そういう意味ではもはやなんば線自体が阪神電気鉄道存続理由となってしまっている。
- さらに近鉄特急も団体列車として乗り入れた。
- 愛知環状鉄道
- C線として高規格で建設されたが、国鉄末期に建設が凍結された。
- その後赤字路線として三セク化された。
- 三セク化後路線が全通した。
- そして黒字化を果たした。
- 境線
- 一時は新聞社の提案で廃線騒動になったことがあった。
- しかし鬼太郎列車はアニメタイアップの嚆矢であり、好評を博し、他の鉄道会社のアニメタイアップにも影響を与えた。
- 秘境駅だった大篠津駅を移転の上、米子空港駅に改称。空港連絡鉄道としての役割も果たすようになった。
- そしてJRグループとしては初となるICカードの車載精算機が設置された。
- つくばエクスプレス
- 常磐線のバイパスとして国鉄が建設する予定だったが、当時の国鉄は経営状態が悪かったため第三セクターが建設することになった。
- その後JR東日本に計画が受け継がれたが、採算が取れないとして運行も第三セクターに任されることになった。
- そして開業したが、最初はあまり人が乗らなかった。
- しかし利用者はどんどん増えていき、周辺私鉄やバス、さらには常磐線の利用者まで奪うようになった。
- 加古川線
- 特定地方交通線で野村(当時)~谷川間は西脇市街を通る鍛冶屋線より輸送密度が少なかったが、加古川線全体では状況が良かったので廃線を免れる。
- 阪神淡路大震災で京都・大阪方面からのバイパスとして活躍。電化もされる。
- さらに新快速のスピードアップで粟生以北・北条線から神戸方面へは加古川線周りのほうが早くなった。もともと神鉄が新開地止まりってのもあるが…
- 福島交通飯坂線
- バスが本業である福島交通にとっての鉄道路線であるが、実はああ見えてドル箱路線。
- 可部線(可部~あき亀山間)
- この区間は一度廃線となったが、2017年に復活を遂げた。
- 中央本線・北陸新幹線
- 東海道新幹線が止まったり大幅に遅れたりすると、遠回りになるが迂回輸送の経路として大大大活躍。
- 特に24年7月に保守用車の脱線が発生した際は北陸新幹線が軒並み満席となり話題になった。
- 紀州鉄道
- 御坊臨港鉄道としての開業当初から赤字続きだが、会社の看板として走らせており廃止の動きはない。
- だが2022年に中国の企業に買収され親会社が不採算事業である鉄道事業を廃止したいと言い出し、事業譲渡先を探すことに奮闘しているが早ければ2026年に廃止されてしまう。
- 越美北線
- 3回廃線の危機に瀕したことがあるが現在もしぶとく生き残っている。(赤字83線に選ばれ特定地方交通線に選ばれかけて福井豪雨で足羽川に架かる橋梁が流された)
列車・車両[編集 | ソースを編集]
- EF64型電気機関車
- 需要がありすぎてJRに全車継承され、2000年代初め頃までは全車健在だった。
- 板谷峠の交流化で本形式を駆逐したEF71が需要がなくなって全廃された後も全車健在だった。
- Nゲージの1000番代はTOMIXが台車誤装着というトラブルをやらかして絶版になり、一時期ラインナップが途絶えていたが、競合メーカーであるKATOが製品化する形で拾われた。その後マイクロエースも製品化。
- 近鉄名阪甲特急
- 昭和30年代は名阪間の半分以上のシェアを誇っていたが、東海道新幹線開通で客のほとんどが奪われ、2両編成で運行される時代もあった。
- 単行運転用の両運転台車まで計画されたほど。
- しかし1970年代後半以降国鉄が爆発的な運賃・料金値上げを重ねたことから、安く移動できる近鉄に客が戻り、次第に増結されるようになった。
- そして1988年にアーバンライナーこと21000系を導入、利用客はさらに増加して昭和30年代のピーク時を上回るほどになった。
- その後は新幹線に「のぞみ」が登場するなどして翳りが見えてきたが、それでも一定の利用はある。但し名阪間ノンストップではなくなり全列車が津(一部は大和八木にも)に停車するようになった。
- 南海「ラピート」
- 1994年の関空開港と同時にデビューし、その奇抜なデザインから一躍人気者になった。
- しかし関西経済の低迷やJR「はるか」との競合で利用が低迷するようになり、「ガラガラピート」状態になってしまった。
- 当初は難波~関空ノンストップのラピートαと途中駅停車のラピートβに分かれていたが、これによりラピートβに統一されてしまった。
- 2010年代に入るとインバウンドで関空が再び賑わうようになり、ラピートの利用客も回復、時間帯によっては満席になることも多くなってきた。
- それに伴いラピートαも復活した(但し開港当初よりも停車駅は増えている)。
- 広島電鉄650形車輛
- 1942年に5車輛が製造。
- 1945年8月6日、広島市に原爆が投下されこれらの車両は甚大な被害を受けた。
- しかし、5車輛のうち4車輛は翌年にはほぼ原形に近い形で復帰、被害が大きかった残る1つも3年後の1948年に営業運転に復帰した。
- 製造から75年以上たった現在でも651番と652番が現役で活躍しており、653番も原爆の日や平和学習で活用されている。
- 常磐線上野~仙台直通特急
- あの震災がなくても(むしろなかったら)2012年3月のダイヤ改正で廃止が決定していた。
- いわきを境に分割し、いわき~仙台は別の特急を設定する計画だった。
- 震災と原発事故で常磐線の福島県内が不通。もう永遠に復活できないかと思われた。
- 2020年3月14日に9年ぶりに全線復旧によって、復興の象徴や震災の参考資料として常磐線全線走破の特急が復活。
- しかも3本のうち2本は上野東京ラインに乗り入れて品川まで延長。
- 特急の短距離分割化が進む中で本州最長の在来線昼行特急となった。
- しかも3本のうち2本は上野東京ラインに乗り入れて品川まで延長。
- E653系も再就職済み、わざわざ短編成のE657系を作るのももったいないため、復帰前は繁忙期しか見られなかった東北地方の超大編成までもが通年にパワーアップして復活。
- その後、東北新幹線が潰れる度に10両編成で仙台まで直通させたことが功を奏している。
- サンライズ出雲・瀬戸
- 寝台列車が次々姿を消す中、令和まで生き残った唯一の定期寝台列車になった。
- 1990年代後半に寝台列車を見直す動きがあり、そのとき導入された車両と列車のため。
- 東京~山陰・四国という、需要が消失するほどではなく、かといって新幹線が通るほどの需要でもなく、「飛行機の終便より遅く初便より早く付ける」という絶妙な距離感が存続へと導いた。
- 西日本での新幹線乗り継ぎで山陰、四国以外でも使い勝手が良かった。
- 72系970番台
- もともとは仙石線に投入された、103系の車体を持つ72系の車体更新車だった。
- 仙石線の全面新性能化で追われたが、川越線電化で拾われることになり、全車103系3000番台に改造された。
- 阪急8000系40番台
- 8000系の車体+8200系の走行機器を持ち、1997年に登場したが、増結用の2連×3本に終わった。
- その後アルナ工機は路面電車以外の車両新造をやめたため、結果的に阪急としては最後のアルナ製車両となった。
- その後も宝塚線の増結用として平日朝しか運用されない日が続いたが、増結運用の減少に伴い8040F+8041Fが箕面線で運用されたのを手始めに昼間や土休日にも運用されるようになった。後に7000系と組み本線に復帰した。
- 残る8042Fは神戸線に転属し、やはり7000系と組んで終日運用に入るようになったばかりか、車体と走行機器が1000系並みにリニューアルされた。
- 近鉄1420系
- 日本において、架線電圧が直流1500Vのもとで初登場したVVVF試作車。
- 一時は機器類が不調になるものの、2008年に車体更新を受けて復帰。
- 他社のVVVF試作車は207系900番台や東武10080型など大半が現存しないが、本形式は製造から40年経過した2024年時点でもなんとか生きながらえている。
- それどころか同時期に登場した大阪メトロ20系でさえ2024年に全車廃車されてしまった。
- 京阪6000系6014F・7000系7004F
- 当初6014Fは界磁位相制御とVVVFが混在していたが、7004Fの製造にあたり組成変更を行い系列内で制御装置が統一された。
- このため、性能上の不均衡は存在せず、6014Fも無事にリニューアルされている。
- 京阪10000系
- 2002~2006年に登場した京阪線初のIGBT-VVVF車だが、支線ワンマン運転用の4連×6本が製造されただけで終わった。
- 塗装は当初はターコイズグリーン1色で個性を発揮していたが、新塗装化で他車と同じになってしまった。
- その後7200・9000系の中間車を組み込み、2編成が7連化され本線に「栄転」した。
- サハ208-951→サハE230-901
- 大半が車齢13年程度でお役御免になったサハ208や、中には車齢1桁で消されたものもあるサハE230の中で最も長寿だった車両であり、この車両のみ廃車時点での車齢は20年を超えていた。
- 415系1500番台JR九州所属分
- 2022年の西九州新幹線開業時の減便で運用が減るも、4両ロングシートの貴重な戦力であるために臨時快速で運用が増加し、定期化して快速運用が復活した。
- 南限も久留米、西限も佐賀だったのが荒尾や早岐になり長崎県や熊本県にも再び乗り入れる様になった。
- 並びに関門トンネルを潜れる貴重な車両だから重宝されている。
- 西鉄7050形
- 当初は1本が天神大牟田線系統に残り、甘木線内の限定ワンマンを強いられるか救援車改造を迫られる状況となっていたが、これも計画変更で貝塚線方面に拾われることになった。
- 転用までは本線内における併結可能な形式がドア数、ブレーキ方式、システムの都合で同系列同士に限定されていたため、併結を考慮する必要のない貝塚線への転用はまさに栄転となる。
- 高松琴平電気鉄道750形
- 元は備南電鉄モハ100形であり、さらにその手前を辿れば蔵王高速電鉄の注文流れを引き取った、玉野市営電気鉄道にとってはオーバースペックだった車両。
- 玉野市営電気鉄道が架線撤去されたことで琴電に入線したが、急行廃止後はその性能を持て余してしまう。
- その後、他社との併結対応工事がなされてからは増結用途を中心に幅広く運用をこなし、非冷房車全廃となる2006年まで使用された。
- 近鉄2610系
- 電装品こそ新製だが、当初は台車に2200系発生品のコイルばね台車を転用したり、車体更新時にロングシート化改造を受けたり等サービスの劣化が頻繁に見られた。
- 上記の出来事とトイレ付き4連であることが幸いしたのか2600系・2680系が全廃となり、2800系にも車両単位での廃車が出る中で、当系列は2026年初頭にX12が離脱するまで廃車ゼロだった。
その他[編集 | ソースを編集]
- 上越新幹線脱線事故
- 新潟県中越地震により、上越新幹線200系新幹線が脱線してしまった。
- マスゴミはフルボッコ。
- しかしたまたま車輪が排雪溝に入り込んだおかげで、転覆せずに済んだ。おかげで負傷者ゼロ。
- 脱線事故に関し、JR東日本では新幹線の安全性が低下したと海外から見られると思っていたが、転覆なし・負傷者ゼロという点が海外から絶賛され、新幹線の安全神話を強固なものにした。
- 脱線したのが重かった200系だったというのもある。
- 車内では乗客も落ち着いていて、携帯電話を貸したりするなどお互いが助け合っていた光景が見られた。
- 2011年の東日本大震災でも東北新幹線が被災したが、回送列車が脱線したものの営業列車の高速での脱線はなかった。
自動車・道路[編集 | ソースを編集]
- 5ドアセダン
- 欧州では市民権を得ている車種だが、日本では昭和40年代からラインナップしているものの「ライトバンみたい」と評され、昭和50年代半ば頃には大衆車クラスに設定したものの、大きな支持を得られず、平成初期には廃れていった。
- しかしプリウスの大ヒットでようやく日本でも市民権を得られた。
- スズキ・ソリオ
- 前身車種であるワゴンRワイドは2年間の発売にとどまり、モデルチェンジ後のワゴンRプラス/ソリオは11年間もモデルチェンジせずに放置プレイされるなど、競合車種に大きく水を開けられていたが、2010年のフルモデルチェンジで売上を伸ばした。
- スズキ・ハスラー
- 長年軽No.2に留まっていたスズキにとって軽No.1に返り咲いた車。
- 三菱・eKアクティブで市民権を得られなかった軽クロスオーバーだったが、この車で市民権を得た。
- マツダ・デミオ
- マツダが経営危機の頃に売り出し、見事大ヒットし、持ち直した。
- 初代だけでなくキープコンセプトながら弱点を潰した2代目、方針を180度変更した3代目、1.5Lディーゼルエンジンを搭載した4代目も…というか全部ヒット作。
- トヨタ・アルファード
- 日産・エルグランドに対抗してトヨタがグランビア・レジアス・ツーリングハイエース・グランドハイエースを発売したが、太刀打ちできなかったため、それらを統合して発売し、エルグランドを上回る売れ行きを見せた。今やヴェルファイアという姉妹車を生み出すまでに至った。
- トヨタ・ハリアー
- レクサス・RX発売後は絶版になる予定だったが、人気の根強さから現在に至るまで併売されている。
- レクサス・RXとは別にモデルチェンジも果たした。
- ちなみにエンジンやフレームはRXと全く一緒の物。余談だがレクサス・LXも同じように日本仕様としてランドクルーザープラドが生き残っている。
- レクサス・RXとは別にモデルチェンジも果たした。
- トヨタ・シエンタ
- 後継になるはずだったパッソセッテ発売後も併売され、パッソセッテの売上不振で障害になったことから1度絶版になった。
- それでもパッソセッテの売上は好転せず、やむなく復活。逆にパッソセッテが絶版となった。
- そして2代目へのフルモデルチェンジを果たした。
- 伊勢湾岸自動車道
- 当初、無駄な公共事業の代表格として取り上げられた。
- 距離の割には、料金が高く、相変わらず国道23号などが利用されることが多かった。
- 長島町南部を通ることになり、ナガシマスパーランドへのアクセスが向上。
- 新名神、新東名高速が開通し、東名阪道などのバイパスとしても機能することに。
- 道東自動車道
- 1995年10月に十勝清水~池田間が先行開通。
- 開通当初は国会や東京のマスコミで「不要な高速道路」として槍玉に挙げられていた。
- 2007年10月にトマム~十勝清水間が開通。2年後には占冠~トマム間、更にその2年後には夕張~占冠間も開通し、札幌都市圏と帯広都市圏を高速道路で結べるようになった。
- 2016年の水害の影響でJR石勝線・根室本線が不通になるなか道東道はいち早く復旧、札幌と帯広を結ぶ唯一の交通手段として大きく貢献した。
航空[編集 | ソースを編集]
- デルタ航空
- 一度破産した。
- 今ではスカイチーム一の稼ぎ頭に。
- 名古屋空港国際線ターミナル(エアポートウォーク名古屋)
- 1999年に開業したが、中部国際空港の開港を受け僅か6年あまりで閉鎖される。
- その後、施設を改装しショッピングセンターとして活用し大成功を収める。
- An-225
- ロシア版スペースシャトルであるブラン計画のために作られたが、それが頓挫してしまい行き場を失う。
- しかしその250t超(スペック上は300t以上行けるらしい)というメチャクチャなペイロードを生かしてチャーター便として復活。
船舶[編集 | ソースを編集]
- 駆逐艦雪風
- もはやチートというより他無いレベルの駆逐艦。
- ただし「味方の運を吸い取って生き延びた」という陰口をたたかれることもしばしばあり、そういった点ではざんねんかも知れない。
- その疫病神説、どうも戦後発祥な模様。書籍で書かれたのも2000年以降だとか。
- そして戦後は中華民国(後の台湾)に戦時賠償として譲渡され、総旗艦にまで出世する。
- 台湾での退役後は日本に戻される予定だったが、直前で嵐に会い無理となり解体。舵輪と錨が戻ってきたが、元乗組員からは「あの雪風がこんな姿になって」と涙されたそうだ…
- 南極観測船宗谷
- 上の雪風をさらに上回る幸運っぷりを見せ、1936年に作られたにもかかわらず「今なお船として存在する」。
- 最も有名と思われる南極観測船で事典には載せたが、他にも商船、特務艦、巡視船など数多くの任務をこなした。
- 駆逐艦ジャーヴィス(イギリス海軍)
- もし世界一幸運な船を決める大会があったら上の雪風と唯一タメを張れるであろう船。
- 戦艦ウォースパイト、空母エンタープライズ(CV-6)
- 幾度となく被弾するが、最後まで致命傷には至らず大戦を生き延びたクイーンオブ武功艦。
- エンプラに至っては「船体ど真ん中に魚雷が直撃するも不発」「ブリッジ付近に爆弾を直撃させられるも不発」などの豪運エピソード持ち。
- ウォースパイトも戦後解体業者に引き渡された後「嵐に乗じて逃走」するという面白エピソードが有る。
企業[編集 | ソースを編集]
- アイホン株式会社
- 愛知のインターホン、だからアイホンと名付けた。
- 半世紀たって、太平洋の向こう側からアイホンと名乗るデバイスが来たぞ?
- 日本でアイホンと名乗るなら金をくれ!
- 毎年1億円のお年玉をもらえるようになった。
- iPhoneの商標は、下記企業のライセンスに基づき使用されています。アイホン株式会社
- 逆です。(ここが「商標を使わせないぞ!」ってブチ切れたら、下の会社が日本でアレを売ることが出来なくなるとか。)
- アイホンっのドアっホンっ♪、またアイホンっのインターホン♪というコマーシャルジングルがあった。
- 逆です。(ここが「商標を使わせないぞ!」ってブチ切れたら、下の会社が日本でアレを売ることが出来なくなるとか。)
- Apple(旧アップルコンピュータ)
- マッキントッシュなど、様々な先進的機器を発明。
- しかし流行が追い付かなかったのか、他社に抜かれてしまう。
- マッキントッシュと他のパソコンの互換性が良くなく、外部プログラムの作成があまり進まなかった。
- いや、単に高かったから。今でもiPhoneはAndroidに比べて高いけど、MacintoshとPC+DOS or Windowsの差はそんなもんじゃなかった。
- ストリーミング式音楽再生端末iPodで形勢逆転開始。
- とりあえず資金源は得た。
- スマートフォン市場にiPhoneで参入。
- アメリカと日本でバカ売れ、アップルコンピュータの新たなる地位を確立する。
- もはやコンピュータというよりスマホの会社になってしまったので、社名をAppleに変えてしまった。
- 今ではiPadも製造しているほか、マッキントッシュのアイコンもiPhone化させてしまった。
- GeForce 8800番台まではAMD(旧ATI)のRadeonに対して優位に立っていた。
- しかし、その後はリネーム商法(GPU自体が同じなのに別の型番をつけて出す)、リコール無視、新製品のエア発表(実物として出されたボードが動かないモックアップだった)、火葬ドライバー(ドライバーの不具合でGPUが焦げてしまう)など迷走。
- 特にGTX480は発熱量も消費電力も大きかった。
- 600番台の完成度が高く、NVIDIAは復活。
- さらにNintendo SwitchにTegraが採用、NVIDIAのプロセッサーがAI・機械学習や自動運転用プロセッサーの標準になり、完全復活している。
- AMD
- 64ビットCPUのアーキテクチャ争いでIA-64をAMD64が破り、Athlon64X2やPhenomIIの低発熱高スコアCPUをヒットさせ、完全にIntelから覇権を握る。
- が、その後マルチコアに特化したFXシリーズがソフトウェア業界からの支持を得られず大コケ、同時にRadeonシリーズもコケる。
- 買収したATiからゲーム系APUも引き続き開発していたが、そのWiiUがコケる。
- 心機一転、FXを切り捨てて新アーキテクチャで開発したRyzenシリーズがまた低発熱高スコアを達成、再びIntelから覇権を奪い返す。
- ゲーム部門もPS5、Xbox Series Xの両方でAMDが導入されるという勝ち組に返り咲く。
- PS4/XBox OneもAMDだから元々第8世代からAMDの天下なんだけど・・・
- マンダム
- 当初の社名は「金鶴香水株式会社」。戦前から主力ブランドの「丹頂チック」が男性化粧品のトップシュアとなっており、1959年に社名もブランドである「丹頂株式会社」に変更した。
- 60年代に入ると資生堂の男性化粧品ブランド「MG5」の大ヒットにより倒産寸前にまで追い込まれる。
- 1970年に社運をかけた新ブランド「マンダム」発売。CMに西部劇のスター、チャールズ・ブロンソンを起用。更にはアメリカで撮影という前代未聞のCMで当初は反対意見も多かったが結果上大ブームとなる。
- CMのラストでブロンソンが顎にマンダムを塗りながら「う~ん、マンダム」は当時の子供なら必ず真似したことはあるほど。
- 「マンダム」のヒットにより社名もブランド名である「マンダム」に変更し現在に至る。
教育[編集 | ソースを編集]
- 品川女子学院
- 平成初期までは受験者数が伸び悩んでいたが、制服を教職員達がデザインしたおしゃれなキャメル色のブレザーに刷新したところ、受験者数が増加。制服も他校に影響を与えた。
- 広末涼子の出身校であったため、ブレイクと相まって受験するファンも現れた。
- 東京都立日比谷高等学校
- 1960年代前半まで東大合格者数が全国1位だった。
- しかし、1967年に学校群制度が開始したことにより東大合格者数が激減。
- その後も開成などの私立の台頭により、1993年には東大合格者数が1人になってしまった。
- 2001年に東京都が日比谷を進学指導重点校に指定し、進学指導に力を入れるようになった。
- 結果、2016年に東大合格者数が50人を突破し、2018年には1970年以来48年ぶりに東大合格者数ランキングでトップ10に入った。
- 最近では開成に合格していても日比谷に進学する受験生も出るようになった。
- 現在の大学があるところはもともとはアメリカの大学の日本校として開校した大学の敷地だったが、その日本校は2003年に閉校となった。
- それを秋田県が改めて公立大学として開校したところ、グローバル化に対応したカリキュラムが企業に受け、就職実績がよかったために秋田県以外からもたくさんの学生が集まるようになった。
- 江川卓氏の母校として有名な栃木の私立高校で、野球の強豪校として有名。
- ちなみに江川氏は福島出身。
- しかし1977年を最後に夏の甲子園大会に出場することができなくなっていた。
- 2009年に31年ぶりに甲子園に出場するようになり、野球の強豪校としての地位を復活させた。
- 特に2016年の大会では全国でも優勝している。
- 野球の強豪校として有名な一方で、昔は進学面では大したことなく、英進部ですら「県立高校に落ちた子が行くところ」という認識だった。
- しかし近年は進学校としても注目されており、東大や国公立医学科に合格する子も出てきた。
- 東北福祉大学
- 以前から野球などスポーツで知られていたが、宮城県内では偏差値では東北学院大学より下だった。
- しかし、「少子高齢化」により介護と福祉の需要が高まったことと、バブル崩壊による「長引く不況で手に職を」という志向が、少子化で全体的に大学受験者が減少傾向にある中でこの大学の志願者が増えた。
- そのため、この大学の受験倍率や偏差値が上昇した。
- 子ども科学部や保健看護学科が設置され、健康科学部や総合マネジメント学部の学科を増設、附属病院も設置され、事業を拡大した。
- 閉校となった代ゼミ仙台校を建物を買い取り、「仙台駅東口キャンパス」が開設された。
- 部活でも野球部は全日本大学野球選手権大会での優勝や、ゴルフは池田勇太や松山英樹など多くのプロ選手を輩出した。
地理[編集 | ソースを編集]
国[編集 | ソースを編集]
- 大韓民国
- 日本の敗戦により独立したものの、当初は農業国であり、日本統治時代に工業化が進んでいた北朝鮮との国力の差は歴然としていた。
- その後北朝鮮の奇襲により首都ソウルをはじめとする国土の大部分を占領され、一時は国家消滅の危機に立たされた。
- そしてアメリカを主体とする国連軍の奮戦もあって最終的に当初独立した時点とほぼ大差ない領土を回復したものの、国中が焼け野原に。
- 加えて当時は北朝鮮の計画経済が上手くいっていた一方、韓国はアジア最貧国といってもいい貧しい国だった。
- 「あと10年もすれば北朝鮮に呑み込まれて消滅」とすら言われていた。
- しかしその後朴正熙政権になってから、日本やアメリカ、西欧諸国からの経済援助や西ドイツへの出稼ぎ、ベトナム戦争の特需により経済が急成長。
- ベトナム戦争自体には勝てなかったけどね。
- 結果世界屈指の高所得国の仲間入りを実現し、OECD加盟により名実共に「先進国」の一員になった。
- 第二次世界大戦(太平洋戦争)で壊滅的な被害を受けたが、後に朝鮮戦争の特需景気によって復興を果たした。
- それどころか所得倍増計画によって高度経済成長を迎え、(当時としては)アジアで唯一の先進国となった。
- 戦争でボロ負けしたのに天皇制(外国でいう王制)の維持が認められた。
- ドイツや朝鮮半島と異なり国家の分断を免れた。
- かつては欧米諸国に比べて平均寿命が短い国だったが、今では世界一の長寿国だ。
- 2度の世界大戦で日本以上に甚大な被害を被ったが、今では世界トップクラスの先進国だ。
都道府県[編集 | ソースを編集]
- 福岡県
- 戦前から人口は熊本県を上回っていたが、九州の中心は熊本市にあり、その熊本の後塵を拝していた。
- だが、石炭資源が豊富であるために八幡製鉄所が建設されるなど工業化が早くから進み、日本の近代化を支えた。
- そして九州における国の機関は福岡市に置かれ、九州の中心は福岡市となった。
- そして炭鉱全廃後も自動車産業など重工業が栄え、日本屈指の工業県の一つになっている。
- おまけに長寿日本一も全都道府県で最多の7人も出し、119歳まで生きた田中カ子など長寿世界一を3人も出し、男性長寿日本一も4人出し、114歳まで生きた中願寺雄吉や日本人男性として初めて110歳を迎えスーパーセンテナリアンとなった鶴英寿も出した。
- 更に出身芸能人も全国最多クラスとなっている。
市区町村[編集 | ソースを編集]
- 大正時代には人口は函館どころか小樽にも負けていた。
- だが、石炭資源が豊富な空知に近いため北海道内の人口はここに集中するようになった。
- そして太平洋戦争後には、小樽や函館を抜いて北海道最大都市に。
- 並びに冬季オリンピックも開催した。
その他[編集 | ソースを編集]
- 戦前は東京一の繁華街だった。
- しかし、1960年代以降は、テレビの普及による映画館の閉館、池袋・新宿・渋谷の副都心の発展などにより衰退。
- だが、隅田川花火大会や浅草サンバカーニバルで注目される。
- さらに羽田空港・成田空港の両空港から一本で行けるようになったことや、つくばエクスプレス開業で国内外の観光客で賑わうようになっている。
食品・飲料[編集 | ソースを編集]
- うまい棒
- 開発当時はコーンの品質や湿気で棒の太さや長さなどがかわってしまった
- 40年以上10円を維持して、ご当地モノやプレミアム、チョコレート味、チョコレート入り、カルシューなどもつくった
- 値上げへのお詫びで好感度を上げた
- 40年以上10円を維持して、ご当地モノやプレミアム、チョコレート味、チョコレート入り、カルシューなどもつくった
- カラムーチョ
- 1984年の発売当時はまだ辛いフレーバーの菓子が珍しかったのに加え、発売時の価格も200円と当時としても割高だったため当初の売り上げは伸び悩んだ。
- しかしあるコンビニで販売したところその年のすべての食品でいちばんの売り上げになるほど爆発的に売れ始め、辛い系のスナック菓子の先駆者となった。
- 明治ブルガリアヨーグルト
- 元は1970年の大阪万博のブルガリア館で出されたヨーグルトに感銘を受け、翌年発売開始。しかし当初はブルガリア大使館から国名の使用許可が下りずにしぶしぶ「明治プレーンヨーグルト」を名乗る。
- その後国名の使用許可が下り、発売2年後にようやくブルガリアの名を冠することができたのはいいものの、当時の日本人に酸っぱいプレーンヨーグルトはなじみが薄かったためにプレーンヨーグルトの商品名の頃から売り上げは伸び悩んでいた。
- それまで日本におけるヨーグルトといえばゼリー加工をした甘いものが主流だったため、本場仕様の酸っぱいヨーグルトは「腐ってる」と思われることもあったほど。
- しかし「酸っぱい」というイメージをCMで「さわやか」と表現しマイナスイメージの払拭を図ったところ次第に売り上げが増加。今となっては日本人にとって「ヨーグルト=ブルガリア」のイメージが強く浸透していった。
- カップヌードル
- 1971年9月にあのチキンラーメンを世に出した日清食品より発売されたものの、当時の一般的な袋麺が25円だったのに対して1食100円と高価だったため、当初は売れ行きは伸び悩んだ。
- しかし翌年2月にあさま山荘事件が発生し、その事件現場である軽井沢にいた機動隊員が非常用食料として配られたカップヌードルをすする姿がテレビで繰り返し放送されたことで、知名度が爆発的に上がり大ヒットに繋がった。そんなカップヌードルはカップ麺の先駆者となり、現在でも世界中でも愛されている存在となっていった。
- 大納言あずき(サーティワンアイスクリーム)
- サーティワンにおいて十数年以上売り上げ最下位(レギュラーメニュー中)をつき走り続けるフレーバー。そんなこともあって2010年代初頭頃に全国各地の店舗の主要スタッフを招いた総会において一度は販売終了が検討される。
- しかしその総会において多くのスタッフから販売終了撤回を求める声が上がり存続が決定し、現在に至る。
- 存続決定の決め手となったのは「代わりのフレーバーはない」というのが大きな理由。例えば仮に同じくワーストクラスの売り上げであるバナナアンドストロベリーが販売終了したとしても、ストロベリー派の顧客にはベリーベリーストロベリーなどを勧めることができるが、大納言あずきが無くなってしまうとあずきのフレーバーは他にないため代わりのフレーバーを勧めることができないのである。
- さらにそもそもサーティワンにおいて数少ない和風フレーバー(レギュラーでは他に抹茶しかない)であるため、家族と一緒に来るおじいちゃんおばあちゃんなどは本フレーバーしかたのまない人も多いというのも存続の理由のひとつ。
- ある意味「どんなものにも必ず存在意義がある」ということを我々に教えてくれるフレーバーである。
- ガリガリ君
- 発売開始した1980年代初頭、赤城乳業はオイルショックの影響による各商品の値上げにより業績が低迷し、工場も停止するなど会社始まって以来の危機的状況に立たされていた。
- そこでその危機を脱するための新商品としてかき氷をゼリーで覆ったアイスを発売し、一定の売り上げはたたき出すも袋の中でバラバラになってしまうというデメリットがあり総合的には失敗に終わる。しかしこの失敗をヒントに「かき氷をアイスキャンディーで包む」という発想が生まれ、翌年にガリガリ君が誕生した。
- 発売当初から当時増えつつあったコンビニでの販売に注力した結果、売り上げを伸ばしていくも、90年代後半頃には売り上げの伸びが落ち着き、さらに長年使用したキャラクターも不評であったことが会社の調査で判明してしまう。
- 発売当時のガリガリ君(ここではパッケージのキャラのことね)は現在と違い中学生の設定で、昭和の漫画のガキ大将のような汗臭いイメージだった。
- そこで2000年にキャラクターを現在のものにリニューアル。同時におなじみのCMソングも誕生すると売り上げは一気に増加しその年だけで1億本の売り上げをたたき出した。
- さらにブランドイメージ強化のためにキャラクターグッズの制作や、「レインボー売り場」と呼ばれる同じ時期に多数のフレーバーを展開する計画などを行った結果、ファミリー層を中心に関心は高まっていった。
- その後もリッチシリーズ、ガリ子ちゃん、大人なシリーズなどの派生商品を多数展開し、名実ともに国民的アイスの名をとどろかせている。
- また、良くも悪くも攻めた商品を生み出すチャレンジ精神も忘れてはならない。
- 2012年に発売されたコーンポタージュ味は賛否ありながらもかえってそれが話題となったことで驚異的な売り上げをたたき出してわずか2日でいったん販売休止し、再開まで半年かかる事態に。だがこれが市場でのガリガリ君というブランドの強さを証明する結果となった。
- その2年後に発売されたナポリタン味は不発で、3億円の損失を出す事態になってしまったが…
- 2012年に発売されたコーンポタージュ味は賛否ありながらもかえってそれが話題となったことで驚異的な売り上げをたたき出してわずか2日でいったん販売休止し、再開まで半年かかる事態に。だがこれが市場でのガリガリ君というブランドの強さを証明する結果となった。
- ビックリマン
- 1977年の発売時は今のようにキャラが描かれたものではなく透明な背景に画びょうなどのリアルな絵が描かれた「どっきりシール」で、床などに貼ってイタズラするというコンセプトだった。
- このどっきりシールは2003年に復刻されており、オリジナルを再現したものの他に携帯のボタンなどの2003年当時の世相を反映したものもラインナップされた。
- その後も実写とイラストを組み合わせた「特ダネシール」、ふたつのものが合体したキャラクターが描かれた「まじゃりんこシール」などが登場したがどれも売り上げには結びつかず試行錯誤の連続だった。
- しかし発売開始から8年後の1985年に登場した「悪魔VS天使」シリーズが社会現象となる大ヒット。善悪の対立構図やバックに描かれる壮大なストーリーは後発のコレクション系ホビーに影響を与えた。
その他[編集 | ソースを編集]
- プラレール
- 元々は幼児をターゲットにしていた鉄道玩具だった。
- トミーとしてはプラレール→スーパーレール→TOMIX(Nゲージ)にステップアップしていく考えを持っていた。
- 1980年代半ば頃には新製品すら開発できなくなる。
- 185系や阪急電車ですら165系の車体を塗り替えた代物だった。
- スーパーレールの失敗もあり、ターゲットを3歳以上に変えたところ、幅広い層に支持されることに。
- 今や古典的な車種やマニアックな車種までもラインナップされている。
- アニメ化されたシンカリオンもこの種類に入っている。
- 今や古典的な車種やマニアックな車種までもラインナップされている。
- 博多駅前道路陥没事故
- 福岡市営地下鉄七隈線の延伸工事中、博多駅前の道路がかなり大規模に陥没した。
- ただ発生したのが早朝だったのと、作業員が前兆に気づいて退避や道路の通行止めを事前に行ったため、死傷者は奇跡的にゼロだった。
- その後の復旧も早く、1週間後には交通規制が解除された。
- が、復旧に際し掘っていたトンネルごと埋めたため、結局七隈線の延伸は2年以上遅れることに。
- そのためもあったか、2016年の「今年の漢字」はロンドン五輪に由来する「金」になった。熊本地震も同年にあったにも関わらず。
- ↑リオ五輪では?ロンドン五輪は2012年。
- 同年7月には相模原障害者施設殺傷事件もあった。
- その後の復旧も早く、1週間後には交通規制が解除された。
- ONO消しゴム
- 兵庫県小野市がPRのため作った消しゴムだが、MONO消しゴムにそっくりなデザインが商標権に引っ掛ってしまい、販売中止となった。
- そもそも業者がトンボ鉛筆に許可なしで作ったのだから驚き。
- まぁニュース沙汰になったのでPRはできたのだけど。
- だがその後トンボ鉛筆の許可を得て作り直されることが決定。イベントなどで無料配布されるとのこと。
- ノイシュヴァンシュタイン城
- 中世ドイツの古城…ではなく、中世ロマンに取り憑かれた19世紀のバイエルン王ルートヴィヒ2世が、借金を重ねて建設した新しい城である。
- 当時の人々も「浪費家」「狂王」などと非難し、国王は廃位された。
- 現在ドイツを代表する観光名所に。
- シンデレラ城のモデルともされており、聖地巡礼需要もある。
- ヒトラー曰く「城の建設費で常識はずれの浪費家と言われたが、外国人の大部分はそれがあるからバイエルンに来るではないか」
- ピエリ守山
- びわ湖わんわん王国の跡地に開業したショッピングモール。
- 開業当時は約200の店舗があったが、リーマンショックによる不況やイオンモール草津などの開業で店舗数の減少が進み、最終的には3店舗にまで減少した。
- そのため、インターネット上では「明るい廃墟」「生きる廃墟」「ネオ廃墟」などと呼ばれるようになった。
- その後は2014年2月末に閉鎖したのち、12月にリニューアルオープン。あの頃の賑わいを取り戻したのであった…。
- 1994年度生まれ
- 1992年度生まれ→高校卒業・大学入学時期に震災直撃、1993年度生まれ→高3の高校スポーツ全国大会が震災直撃、1995年度生まれ→中学卒業・高校入学時期に震災直撃と前後の世代がいろんな形で東日本大震災の影響を受けた中、1992~1995年度生まれでこの世代だけ東日本大震災で受けた影響が少なかった。
- もっとも羽生結弦みたいに東北在住・出身者は世代関係なく大変だったことは言うまでもないが。
- その影響かどうかはわからないが、この世代はスポーツ選手が大豊作の世代として知られている。
- 平昌オリンピック終了時点でオリンピックの金メダリストが夏冬合わせて5人(羽生結弦、萩野公介、ベイカー茉秋、土性沙羅、川井梨紗子)。これは1978年度生まれに次ぐ2番目の人数。
- 団体種目の金メダリストも含めると高木美帆も入れて6人。
- 平昌オリンピック終了時点でオリンピックの金メダリストが夏冬合わせて5人(羽生結弦、萩野公介、ベイカー茉秋、土性沙羅、川井梨紗子)。これは1978年度生まれに次ぐ2番目の人数。
- 野球界もいわゆる大谷世代。
- 芸能界も西野七瀬、百田夏菜子、川栄李奈、二階堂ふみ、土屋太鳳、松岡茉優など女優の当たり年。
- 声優界も「ブレンド・S」のメイン声優3人(和氣あず未、鬼頭明里、春野杏)をはじめ、日高里菜、大橋彩香、麻倉ももなどとそれなりにいる。
- サッカー界も南野拓実や室屋成、中島翔哉など日本代表や海外組がいる。
- 2016~2017年
- この頃のニコニコ動画は音MADの成り年であった。
- アンテが広まったのと、けもフレが大ヒットしたのが主な理由か。
- 2016年といえば熊本地震や相模原障害者施設殺傷事件やSMAP解散といった衝撃的な出来事があったものの、同年の「今年の漢字」はリオ五輪に由来する「金」になった。
- キスカ島撤退作戦
- 太平洋戦争中、日本軍がアリューシャン列島のキスカ島から、無傷での撤退を成功させた作戦。
- 爆撃機からの攻撃を避ける為、濃霧を待ってから短時間で撤収作業を行い、アメリカ軍に動きを察知されないようにして撤収を成功させた。
- アメリカ軍側にとって、すでに日本軍が撤退した後に無駄に砲撃を行ったり、同士討ちになって兵力を損害させられたりして「史上最大の最も実戦的な上陸演習」と皮肉られる。
- 島に上陸後、日本軍の軍医がいたずら心で作った「ペスト患者収容所」の看板を見て、米軍一同がペストに感染したと大騒ぎになった。
- リトルワールド
- 1999年から、名鉄が赤字経営に苦しんでいたために、陸運事業のリストラだけではなく、日本ライン観光や内海フォレストパークなどのレジャー事業のリストラに走り、この施設も例外なく閉鎖危機に。
- だが、2005年に愛知万博が開かれることにより、人気回復を果たした。
- 2021年(令和三年)度
- 東京オリンピックがコロナの影響で一年延期になったため同じ年度中に夏季と冬季の両方のオリンピックが行われた。
- 両大会とも日本人選手が大活躍し夏冬合わせて金30個を含む76個のメダルを獲得。
- 両大会とも日本女子における最年少メダリストも誕生。
- 両大会とも日本人選手が大活躍し夏冬合わせて金30個を含む76個のメダルを獲得。
- 縄文時代から日本人に食べられている魚だが、江戸時代初期まではイワシやサンマと並び下等な食用魚とされていた。
- 昔は冷凍技術が発達していなかったため、保存が難しい鮪は「猫でも食べない」と揶揄されるほど不人気だった。
- 他の魚と異なり塩漬けにすると風味が著しく落ちるのも不人気の理由だった。
- 特にトロ(脂身)は赤身よりもさらに傷みやすく、食べ物というよりも畑の肥料として使われることの方が多かったほど。
- 昔は冷凍技術が発達していなかったため、保存が難しい鮪は「猫でも食べない」と揶揄されるほど不人気だった。
- ところが徳川吉宗が征夷大将軍になってから一気に鮪の人気が急上昇した。
- ボクサーブリーフ
- 1992年カルバン・クラインから発売した。トランクスとブリーフの良い所を取り入れた。
- 当時の若者ファッションにマッチしたのと、トランクス、ブリーフが嫌がる男性にマッチして瞬く間に広がった。
- パンツの線が出ないのがメリットになり、女性向けに発売した。
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
- 2001年のオープン時には1,100万人もの来場者数を記録していたものの、一時は伸び悩んでいた。
- しかし2012年に家族向けエリア「ユニバーサル・ワンダーランド」が誕生。アミューズメント施設の最たるターゲットであるファミリー層を獲得した。
- 世界初の後ろ向きジェットコースターである「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド バックドロップ」のオープンも相まって、翌年の入場者数はオープン時以来となる1,000万人を突破した。
- そして2014年には「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」オープン。ハリー・ポッターの世界を忠実に再現したエリアは国内外から大きな反響を得て入場者数が大幅に増加。
- 2021年にはコロナ禍の弊害を受けるも世界初のマリオシリーズをテーマとしたエリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」がオープン。翌年の入場者数は宿命のライバル(?)である東京ディズニーランドを上回っている。
- ユーフォニアム
- 「縁の下の力持ち」的な存在だったにもかかわらず、クラシック音楽ファンや吹奏楽部でもない限り名前すら知らないマイナーな楽器の一つだった。
- ところが2015年のアニメ「響け!ユーフォニアム」の大ヒットを機に一気に知名度が向上。
- 吹奏楽部内でも「ほかの楽器がやりたかった人がしぶしぶやらされていた枠」だったがユーフォニアムの立候補者が増え、人気パートになった。
- エッフェル塔
- 当時は奇抜な外観とされており、反対運動どころか塔を見なくて済むように1階のレストランに通う者もいたほど。
- フランス自然主義を代表する作家ギ・ド・モーパッサンもそのひとり。彼は「ここ(レストラン)がパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所」とのコメントを残している。
- パリ万博終了後はすぐ解体予定だったのが残され、今や誰もが知るパリの顔となった。
- 大丸札幌店
- JRタワーの誕生とともに2003年3月にオープン。しかし関西発祥の大丸は北海道での知名度が低いことが課題だった。
- そこで固定客確保のためオープン3カ月前よりポイントカードの会員募集を開始。開業までに10万口座、初年度22万口座目標のところ開業3カ月次点で27万口座と目標を大きく達成。
- そして迎えた開業日。初日でいきなり当時の札幌の人口の7%以上にあたる13万5000人の来店者数を記録するという華々しいスタートを飾る。
- デパート業界全体の低迷もある中で北のデパート激戦区札幌で生き残り、今では札幌市内のデパートで最も高い売り上げを誇る地域一番店となった。
- 似たようなケースとして名古屋駅の髙島屋や京都駅の伊勢丹がある。大阪駅の三越伊勢丹は既存勢力に負けたが。