新潟vs長岡

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新潟視点[編集 | ソースを編集]

  1. 新潟市民は長岡市民に相当な敵対意識を持っている。

長岡視点[編集 | ソースを編集]

  1. 長岡市民は新潟市民に相当な敵対意識を持っている。
  2. 長岡市の人は,県庁所在地になれなかったことで,今でも新潟市を仇だと思っている。
  3. 長岡市の人は、戊辰戦争で新政府側について長岡を敗北に追い込んだ県内の新発田市(「しばたし」と読む)を、裏切り者としていまだに恨んでいる。
    • 新発田(勤王が藩是)も村上も佐幕とは距離を置きたかったようだけど脅しが一番効くところだもんね
    • 廃藩置県の当初は真ん中に県境が存在し、下の方は柏崎県だった。
      • 長岡県ではなく、柏崎県。理由はもちろん長岡藩が朝敵となったから。
        • いや、長岡藩がなくなった直接の理由は朝敵になったからではない。一旦は減封の上で赦免されたけど、その後破産して行政権を返上→政府管轄の領地として柏崎県に組み込まれたというのが正確。
        • いやいや、やはり朝敵だったからでしょ。ほとんどが焼け野原状態なのに、朝敵として七万四〇〇〇石(実収10万石以上)から二万四〇〇〇石(実収一万石)という最大の石高減を強いられた長岡藩は破綻に追い込まれ、政府からは救済も与えられず見捨てられる形で終りを迎えました。これが官軍の報復的処置の結果です。
      • 柏崎も新潟も幕府領では?
      • 長岡での戦闘が始まったのは、江戸無血開城で江戸以外の各地の天領も明治政府に明け渡した後なので。
    • 一つよくある間違いやミスリードに利用されて佐幕の純然たる仲間扱いされてるけど、長岡は武装中立という手段を取っていた。つまり討幕にも佐幕(むしろ西洋思想を取り入れてた)にも味方せず長岡が向かいたかった先はスイスのような独立国家と小説「峠」で語られる。
      • つまり新潟州のモデルは長岡独立国を考えた河井継之助にある。もし筋通りに、岩村精一郎ではなく、黒田清隆(黒田が鵜殿団次郎に向けて、戦争の回避を促す手紙を送ったそうな)や山県有朋との会談が果たされたの結果は違っていたのかも。しかし信濃川注ぐ長岡の風土が生んだ奇才は後世にいい考えを残したと思う。
      • 新政府軍の岩村と行われた小千谷会談を失敗させ、長岡を完全に佐幕に引き込むために、会津藩士が陰で動いていたらしい。
  4. 長岡市の人は,新潟市にあるものと同じかそれ以上のものを作りたがる。(美術館,博物館,大学,放送局etc)
    • 柏崎市の人は,長岡市にあるものと同じかそれ以上のものを作りたがる。
  5. 別に長岡は抵抗してないが・・・そもそも新潟は長岡藩の外港だし・・・
    • このように長岡はすぐに昔のことを持ってくる傾向にある。昔は栄えていたが歴史の浅い新潟市に抜かれたのが快くないのだろう。
      • でも遊びに行くのはやっぱり新潟市。でなければリバ千。
    • 昔の立場持ち出してる段階で語るに落ちてるじゃねーか。
    • そもそもアメリカはイギリスの植民地だし・・・