旧日本軍の爆撃機

ナビゲーションに移動 検索に移動

旧日本軍の爆撃機の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 防弾性能が悪い
    • 海軍機だけ。
      • 呑龍はスピットの攻撃も耐えたしね。
      • ただし、九七重爆は・・・。
        • まちがえた。軽爆のほうだった。
  2. 高高度まで高度を上げることが出来ない。
  3. あまり、爆弾をたくさん搭載できない。
  4. 簡単に言えば、性能が悪い。
    • ただしやたらと長距離マラソンが得意。
      • 海軍の陸攻に比べれば短い陸軍重爆でも、ヨーロッパ機からすれば呆然とするしかない距離を飛んだ。
      • この「足の長さ」に加えて、整備状態の悪い滑走路から飛行できたため予想できないところから飛んできて奇襲しまくった。
    • これを見て性能が悪いというのは設計コンセプトを全く見ないでカタログスペックだけしか見ない人間の台詞。
      • 海軍は数で劣る米軍との戦いに少しでも多くの機体を戦力として参加させるために後方基地から前線にいける航続距離を重視し、陸軍は速度を生かして何度も攻撃することを重視した結果、搭載量が控えめになった。コンセプトが良いか悪いかを議論するならまだしも、性能が悪いの一言で決め付けるのは間違ってる。
    • 何気にヨーロッパ機が行動半径ギリギリで攻撃をするとしたら、同じ距離を日本機で攻撃するのと同じ程度かそれより少ない量の爆弾しか積めない
  5. 陸軍機は高速で進出して飛行場を破壊するのが主任務。
  6. 海軍機は敵艦に対して急降下爆撃するのが主任務。
  7. 米英独ソの爆撃機に比べると、生産数が桁違いに少ない。
  8. まさかの戦闘機が航続距離不足で護衛できないなんてことも一時期あった。そのおかげでゼロ戦の航続距離の要求が長くなったとか
    • 零戦の航続距離が長いのは長時間空母上空で直援を行うため(そのため「最大飛行時間」の要求はあっても「航続距離」の要求は無い)まあ、結果航続距離も長くなって護衛にも使えるようになったのは事実だが。

機体別の噂[編集 | ソースを編集]

九九艦爆[編集 | ソースを編集]

  1. 真珠湾攻撃で活躍
    • しかし、防御力の低さから撃ち落される機が続出。「九九式棺箱」と言う不名誉なあだ名までつけられてしまった。
      • 米英が28㎜機関砲やポンポン砲に代えて、あらゆる艦船にボフォース40㎜を据付けるようになるともうね……。
  2. けど、黄金期には命中率80%を超え、連合国の軍艦をもっとも多く沈めた。
    • セイロン沖海戦で空母ハーミズ、重巡2隻を沈めたときの命中率は87%だった。
      • たいして、アメリカはせいぜい30%。初期の日本軍艦爆隊は神。
    • 有名な話ではあるけど、それは日本側報告。英軍報告だと、コーンウォールの沈没原因は9発の直撃弾と6発の至近弾とされてる。まぁこれでも十分高い確率だが。
  3. 中隊規模での命中率なら100%も度々記録。しかも日本側記録だけじゃなくて米英側記録とつき合わせても100%
  4. 戦争末期にはこれの木造機版の「明星」が作られた。
  5. この名機も、戦争末期には、数多くの機体が特攻機として散っていった。
  6. 「彗星」の落成が遅れたので「繋ぎの機体」として登場した。

銀河[編集 | ソースを編集]

  1. 0系新幹線のデザインモチーフになったことはあまりにも有名だが、どっちかというとB-17のほうが似てる気がする。
    • なお銀河の設計者と0系先頭部分のデザイン者は同一人物。
  2. 洗練されたデザインはイギリスから絶賛されたとか。
    • これは喜ぶべき事なのだろうか、微妙である。
      • イギリスはモスキート以外全部不細工だもんなぁ(※ホイットレイとかスターリングとか)
        • 洗練されたイギリス空軍の爆撃機? あるじゃないか、フォートレスとかバルチモアとか。メーカーについては突っ込むな!
        • ボーファイターはまるくてかわいい。
        • ハートも(当時としては)かっこいい。
  3. 桜花の母機に使う計画があったがポシャった。
  4. 開発時の要求は、「速度は零戦並み、航続距離は一式陸攻並み、1トン爆弾で急降下爆撃ができ、雷撃も可能」。いかにも日本的な総花的な要求だな。
  5. 要求は達成したが構造が複雑で、生産や運用に負担を強いることになり、戦後「国滅びて銀河あり」と揶揄された。
    • 製造メーカーで「こんな複雑なものラインに乗るか!」と、独自に設計変更を行っていたほど。
    • 国が滅びたときに銀河も一緒に滅びたが・・・こんなもんをそろえでもしないと戦局をどうこうできるような状況ではなかった。
    • 開発したのが空技廠で、メーカーというより研究機関だったため量産など考慮してなかった。それでも1000機以上作ったのには技師もびっくり。
  6. 1945年3月の九州沖航空戦で、空母「フランクリン」(エセックス級)を大破させ、沈没寸前まで追い込んだのは、この爆撃機の急降下爆撃による戦果である。
  7. 夜戦型の「極光」もあるが、火星換装がアダになり斜め銃外して銀河16型になった。

九五式陸攻[編集 | ソースを編集]

  1. 実は居ました。
  2. 大型の機体に最大1.6トンまで爆弾をつめる当時日本最大の航空機
    • だったのだが、同時期に開発していた九六式陸攻が搭載量以外のあらゆる面で優れていたため少数生産にとどまった。特に最高速度200キロ台はあまりにも遅すぎたようだ・・・
      • 速度が遅いことと高い搭載量を生かして制空権下での爆撃、輸送に従事。

九六式陸攻[編集 | ソースを編集]

  1. 中国戦線で活躍したが、あの隼に一撃で落とされる程度の防御力だった。
    • 誤射事件があったんだっけ?確か。
      • 発動機に一連射食らって墜落。誤射にしてはなかなか本気出してる。
        • 米軍機だと決め付けていたから日の丸つけていた事にキレて本気で掛かったらしい
          • 確か東京発空襲(ドゥーリットル空襲)が終わった直後に訓練飛行していた機体が帰ってきたが、第二派攻撃が来ると思っていた隼パイロットが米軍機と誤認して攻撃したとか
  2. 完成直後、同時代の戦闘機(九六式艦戦)並に足が速かったため、「戦闘機より速い爆撃機が出来たなら護衛機なんていらなくね?」とか言われたりした。
    • He111と同じ考えだね。それが通じたのも最初だけだけど。
  3. 確か世界一周フライトしてる。寄港地有りだったと思うけど。
    • 旅客機に改造されたものは中国大陸や東南アジアへの定期便に投入されていた。
      • やけに高い位置にしか窓を作ることができず客室からは全く外が見えなかったらしい。
  4. 細い機体ゆえに爆弾倉がないので、爆弾も魚雷も兵装は全て機体下に吊り下げ。

一式陸攻[編集 | ソースを編集]

  1. ワンショットライターと呼ばれることがあるが実は炎上するケースは少なかったとか。撃墜されまくったのは事実だが。
    • 途中から翼内に炭酸ガスを充満させて発火を防ぐ装置がつけられている。
    • また後期型では問題のインテグラルタンクを廃すことでさらに防御力アップ。
      • そのせいで航続距離が落ちました。
    • 一応、最初からタンクにゴムを張っていたが、殆ど効果のない微妙な位置だった。
  2. 桜花の母機として使われた。
    • 松本零士の The Cockpit では妙に撃たれ強くなってた。
      • その一式陸攻は桜花搭載専用機でしょ?この型の一式陸攻は防弾加工をしてある。でも、The Cockpit を見たとき、F6Fにエンジンを銃撃されても落ちなかったのはおかしい。 
      • でも自機以外の一式陸攻は・・・
    • 桜花の滑空距離を伸ばす為に探知されやすい高度で突入するしかなかったようだ。
      • なので米軍側は海面高度を突っ込んでくる普通の雷装機の方がよっぽど怖かったそうな……
  3. 連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将の戦死時の搭乗機としても知られている。
  4. 二枚の羽の双発型というのがB25を彷彿とさせる。
    • それ、九六陸攻と感違いしてね?
  5. 高高度爆撃では意外と活躍。と、いうか大型機で雷撃させるのがそもそもの間違い。
  6. 海軍の無茶苦茶な開発要求に、三菱の設計陣は3発か4発機にすることを提案したが拒否された。
    • 4発の陸上攻撃機は他の計画が進行してたため。実際日本が物にできた4発機というと飛行艇ぐらいしかないので双発にこだわったのは間違いじゃなかったかも
      • その4発陸攻とは、中島に作らせた「深山」であるが、その結果は…お察し下さい。
    • エンジントラブルの多かった英軍の双発機マンチェスターが、4発機のランカスターへと生まれ変わって成功した経緯を知ると、一式陸攻も4発化していれば…って思ってしまう。
  7. 終戦を連絡するための人員や物資の輸送にも使用された。
  8. この一式陸攻は、全身白色に塗られてたうえに緑十字が描かれており、「緑十字機」と呼ばれる。
  9. 連合軍がこの機種に付けた"Betty"というコードネームの由来は命名にも関わっていた某軍曹の彼女の本名。
    • 機体横の大きな膨らみがその女性の特徴(巨乳?)を思い起こさせたらしい。
  10. 葉巻。

キ-115 剣[編集 | ソースを編集]

  1. 戦闘機かと思いきや実は爆撃機…
  2. 機体はブリキに木、エンジンはすでに旧式になっていた栄を搭載。おまけに主脚は離陸後に捨てる仕様で、帰還時には胴着させることが前提の設計だった。
    • ただし軍側は特攻作戦用に使うつもりでいた。量産こそ開始したが実戦投入直前で終戦を迎えた。
      • 胴体下部は、爆弾搭載のため、えぐれた構造になっていた。この機体で胴体着陸する事は、死を意味する。
  3. 勇ましい名前だが、昭和20年になってから陸軍と海軍が共同で作ろうとした急造戦闘機。
    • 海軍では「藤花」。特攻機のかほり。
  4. 促成栽培搭乗員を乗せることを前提にシンプルイズザベストな機体を目指したが、熟練搭乗者でも扱いに手こずるような機体になってしまった。
    • 改修しているうちに戦争が終わってしまった。
      • まっすぐ滑走しない、飛べない。急造特攻パイロットなんぞに特攻出来たのか?
  5. 分類として「特殊攻撃機」となっているため誤解されがちだが、特攻(体当たり)専用機ではなく、建前としてはちゃんと帰ってくる戦闘機として設計されている。
    • じゃあ何が特殊かっていうと、その生い立ちが特殊。
    • ガンサイト(照準)はあるのに機銃を装備していない。よって戦闘機とは言えない。

九七式重爆[編集 | ソースを編集]

  1. 陸軍の主力爆撃機
  2. 後部上方銃座周り2メートル位の胴体が「おろしがね」状になっている写真があった。操縦席を狙えば落とせたのにねw
  3. タイでは戦後もしばらく使われていたとか。

百式重爆[編集 | ソースを編集]

  1. 上記九七式重爆の後継機、愛称は呑龍
    • だが、九七式に比べると搭載機銃以外は大差なかったため現地部隊は使いなれた九七式を好んだ。ただ、九七式より発展の余地があったため生産続行。
      • 残念ながら登場以降、主戦場が太平洋になったのに対ソ連をみこして中国に集中配備されたので禄に出番が無かった。
  2. 機関砲と速度と防弾性能の総合力で敵戦闘機の攻撃を凌ぐ設計思想だったが肝心の速度は平凡、機関砲は過大評価気味。後継の四式重爆撃機の高評価もあっていまいち地味な機体。ただ防弾性能は一定の評価を与えられている。

富嶽[編集 | ソースを編集]

  1. 6発エンジン搭載の巨大爆撃機として計画されたが当然のようにポシャった。
    • エンジンだけは開発できた模様。
      • 埋められていたのが発見されて、現在成田空港の航空科学博物館に展示されている。
      • 出力を計画の半分に落として、なんとか開発した。
        • 大丈夫。エンジンを12発にすれば理論上は元通り。
        • 半分にする予定だったが、現物を作ったら2/3以上出てしまった。しかもそれで耐久試験をしても平気だった。
  2. エンジンの次に問題になったのが、巨大な機体を支えるための大型のゴムタイヤだったとか。
  3. 当時の技術水準から考えて、計画道りに完成していれば超兵器そのものである。そのためか架空戦記にもそこそこ登場する。
    • まず、コイツを運用できる飛行場が…。
      • なので紺碧の艦隊では水上機になりました。
  4. 運用できても、制空権がまったくとれていない空域に護衛無しで爆撃機飛ばすのは無茶すぎるwwwでも、相手はアメリカだから最初の一回だけは必ず成功しそう。
    • P-47Mの最高速度760km/hとか見ると、2回目以降はボロボロだろうな。
      • 陸軍機並みの防弾性能と仮定すれば、高度8000m以上を飛んでいればP-51、P-47で追いつくのは至難の技。しかも12.7mmで致命傷与えるのも至難の業。かといって流石の米軍機でもクソ重いイスパノ.050calコピー抱えちゃ襲撃に必要な高度を稼ぐのはきついだろうし……
        • なので、一番の難敵は最初から大口径銃を装備しているP-38とP-63になると思う。いや、P-80が出現すれば万事解決なんだけどね。
          • P-61もあなどれない。まあ空対空ロケット積むんだろうけど。
    • 護衛については、富嶽の爆弾槽に機銃を数十門積んで、高高度から下に向かって撃ち下ろす護衛機の構想があった。まあ考えるだけならタダだからね。
  5. ちなみに計画ではジェット気流で航続距離を稼ぎアメリカを空爆した後、ドイツに着陸、ユーラシア大陸を横断して日本に帰還。
    • もちろんドイツが燃料と飛行場を提供するかどうかは考えていない。
      • が、何が何でも連合国に報復したいヒトラーがノリノリで受け入れたであろうことは想像に難くない。
        • それで富嶽が実用化される頃のドイツに、日本に提供するだけの燃料の余裕はあるの?制空権は?飛行場は?
          • そんな細かい事気にしないヒトラーの鶴の一声で無理やり作戦立案するんだろうな…。
      • ただ正式な設計要求が海軍G10Nなので、ガソリンは92価で設計していただろうから、ドイツ軍の87価を入れられてソ連上空を突破して無事帰れるかは不明である。
        • 帰還時はジェットエンジンや水メタ噴射で緊急出力を稼いだ魔改造機に……
  6. 開発が戦時中にもかかわらず旅客機版も計画されていた。

飛龍[編集 | ソースを編集]

  1. 陸軍所属の重爆撃機。本当の名は四式重爆撃機と言う。
  2. 運動性能抜群で、爆弾無搭載の時には曲芸飛行もできる。けど、爆弾をあまり搭載できない。
    • ただ爆弾倉は広いので雷装が可能。
  3. 雷撃機型の四式重爆撃機「飛龍」のことを、海軍では”靖国”と称した。
  4. 日本版トールボーイというべき桜弾(3tの対艦爆弾)なるビックリドッキリ爆弾を積まれたことがある。
    • B-29迎撃用に75mm砲を積んだ奴もいる。(キ109)
    • 変なものならなんでも積める、いわば和製ランカスター。
    • 戦争末期の日本機の例に漏れず特攻にも使用され、800kg爆弾2発を積んだ特攻専用仕様は「と号機」と呼ばれた。(特攻の「と」。)
      • 更に、桜弾と呼ばれる2.9tの大型爆弾を搭載した特攻機も開発され、「桜弾機(キ167)」と呼ばれた。
        • キャノピー後部がラクダのコブのように膨れた姿から、この機体の異常さが見てとれる。
        • 成形炸薬効果により当たれば半径数キロを吹き飛ばせるという代物だったが、ただでさえ重い重爆にこんなものを積んだので運動性は最悪だったという。戦果についてはお察し。

流星[編集 | ソースを編集]

  1. 水平雷撃の他、急降下爆撃もできる優れもの。
    • 防弾、折りたたみ翼など画期的で米のアベンジャーを超える性能。
      • 戦後登場した米のスカイレイダーとは搭載量を除けば、互角の性能。(むしろ、最高速度は当機の方が上。)
        • なので仮想戦記で日本が勝った後の描写があると、翼や爆弾倉にろくでもないものを積んで飛ぶ羽目になる。
  2. 最高速度は零戦二一型を超える543キロ。
  3. サドル

彗星[編集 | ソースを編集]

  1. 液冷エンジンを使用した艦爆。最高速度は戦闘機並み。
    • しかし、その発動機のアツタは故障多しの代モノだったため、後に金星へと変更された。
      • 生産は隘路だったが陸軍のハ-40の様に故障ばっかりってわけじゃなかったらしい。むしろ出来は良かったとか。
        • むしろ彗星は機体の方が量産性最悪。
          • 空冷の金星62型エンジンを搭載した彗星は、彗星33型&43型。43型のエンジンを誉エンジンに換装した彗星54型も計画されたが、誉エンジンの不調により、計画だけに終わった。
          • なお、よく上のように「金星に変更された」という誤解を招く記述がされているが、全面的な転換ではなく、水冷の彗星二一型もエンジンと共に終戦の月まで生産が続けられている。
      • ただ整備面では手に負えず稼働率は低いまま。有名な芙蓉部隊では整備士をメーカーに送り込んで教育させ稼働率を回復させた。
  2. 最大の戦果は空母プリスントン撃沈。有名な部隊は芙蓉部隊だろう。
  3. 空母セントローを特攻攻撃で撃沈させた関大尉の乗機。
    • 関大尉が敷島隊指揮官として特攻出撃した際に搭乗していたのは、爆装した零戦であったはず。
      • 特攻時はそうだが通常は艦爆搭乗員じゃなかったっけ・・・。
  4. 設計は空技廠(海軍航空技術廠)。日本の航空技術研究の最先端といってよい。
    • このため技術的には斬新なものが多かったが、反面で生産や運用の現場には負担となった。
    • 本項の彗星と銀河が代表格。
  5. 実質的に特攻機型として生産された彗星43型は、あまりにも醜くて好きになれない。
    • 爆弾倉後方の胴体後部下部の加速用ロケットモーター搭載用の穴といい、800㎏爆弾を搭載するために爆弾倉の扉が廃止されていることといい、偵察員席にあたる部分の風防が単座型ではジュラルミン製になっていることといい・・・・・。
      • 終戦の日(1945年8月15日)の玉音放送終了後の夕方、九州・大分基地から沖縄方面海域に特攻出撃した第五航空艦隊司令長官・宇垣纏海軍中将らが搭乗した機体も、彗星43型である(宇垣長官搭乗機を含めて11機が出撃し、宇垣長官搭乗機以下計8機が突入・未帰還。3機が不時着)。
        • 小沢冶三郎が烈火のごとく怒ったらしい。「自殺するなら勝手になすべく、部下を道連れにするなどもってのほか。」
  6. 水冷式のアツタエンジン搭載型の彗星のファンには申し訳ないかもしれないが、やはり、兵器としての彗星の決定版は、空冷式の金星62型搭載型の33型に軍配が上がると思う。
    • もちろん、水冷式のアツタエンジン搭載型の彗星12型を主力機として、沖縄戦(菊水作戦)において、米軍艦船や米軍に占領された沖縄の日本軍飛行場に対する夜間通常爆撃を繰り返した芙蓉部隊の奮戦に文句を付けるわけではありませんので、悪しからず。
  7. 斜め銃を搭載した夜戦型の彗星12型戊は、月光生産終了後の日本海軍主力夜戦。爆弾倉部分に排気タービン搭載した試作機もある。
    • 空冷彗星である33型を改造して斜め銃を搭載した夜戦型である33型戊も、12型戊よりも極めて少数ではあるが、実在した。彩雲の夜戦型を写した写真の背後に写っている機体が、33型の夜戦型である。

深山[編集 | ソースを編集]

  1. 失敗作な4発陸攻。
    • エンジンの信頼性の低さをはじめとする機体トラブルの多さ、重量超過による劣悪な操作性のせいで雷撃任務をこなせないことが判ったりと、散々な仕上がりに。
      • そうして付いたあだ名が「バカ烏」。
        • そもそも4発機に雷撃をやらせようという発想が、日本的すぎ。
  2. 戦前に日本海軍が「大日本航空」の名義で、アメリカの試作4発旅客機DC-4Eを輸入し、中島にそれを参考にして作らせた。
    • そもそもこのDC-4E自体が、重量過剰なうえにエンジン出力が不足、機構が複雑で整備性が最悪という失敗作であった。
      • アメリカは、日本海軍の民間輸入の偽装を看破しており、失敗作であったDC-4Eをわざと輸出したと言われている。
  3. 量産されなかったものの、試作機は研究目的の試験飛行が続けられていた。
    • この研究成果が連山の開発へと活かされることになる。
  4. 後に輸送機に改造され「深山改輸送機」として運用された。
    • 日本本土から南方の基地へ、行きは航空機の整備機材や医薬品などを運び、帰りは本土へ向かう兵員や戦士した兵士の遺骨を運ぶなどした。
  5. 陸軍は、深山の陸軍仕様である「キ68」を中島に開発させようと計画し、その後川崎航空機へ開発を移管して「キ85」として開発が進められていた。
    • しかし、基となった深山の欠陥が判明したため、キ85の開発も中止になった。

試作陸上攻撃機連山[編集 | ソースを編集]

  1. 富嶽の影に隠れがちな四発重爆撃機。でもこっちのほうが現実的、というか試作機が完成している。
    • しかし大戦末期に資材不足と戦局悪化により開発中止。
      • 連山1機造るのに、零戦10機分の資材が必要だった。
        • 機体にアルミ合金を使わず、鋼材に改めた「連山改」の設計もされていたが、通常の連山と同じく戦局悪化で開発中止になった。
  2. もし実戦投入されても真っ先に撃墜されちゃうんだろうなぁ。
  3. 初任務はたぶん本土上陸したばかりの米海兵隊に爆弾落とすか硫黄島またはサイパンへの単独爆撃。
  4. ごめん、流石にちょっと訂正。これ本業は雷撃機なんだよ。
    • 四発機に雷撃させようという日本的発想。
  5. 最大速度592km/h、爆弾最大4000㎏、上昇時間高度8000mまで17分34秒。各上のB-29は最大速度580km/h、爆弾最大9072㎏、上昇時間高度6100mまで38分と、最大速度、(多分)上昇力では連山のほうが上。
  6. 中島が深山のリベンジを兼ねて作った機体。
    • 深山製造の経験と、南方戦線で鹵獲された米軍のB-17の研究成果を基に開発された。
      • 戦後、進駐してきた米軍に接収されて米国本土で試験運用された機体があり、その時に米軍塗装となっていたが、パッと見B-17にそっくり。

風船爆弾[編集 | ソースを編集]

  1. 物凄くどこに項目を作るべきか迷ったが、「爆弾を運搬」し時限装置で「投下する」という全体的機能から見れば爆撃機の一種としても文句はないはずである。 文句のある奴はかかってこい ただし風下から!
  2. たまによく勘違いされているが世界初の大陸間「弾道」兵器ではなく大陸間兵器である。
    • (大陸間は飛ばなかったが)弾道兵器の始祖はV2であり、こっちはあえて近いものをあげるなら弾道兵器よりは巡航ミサイルに比較的近い。
      • 念のため、あくまで「どっちかというと」というだけの話で、巡航ミサイルの実際の始祖はV1である。
  3. こいつを作ったせいでしばらくの間コンニャクが食べられなくなった話は有名。
  4. 一見珍兵器の類であり一歩間違うと失敗兵器として書籍化されてしまいかねないが侮るなかれ、ジェット気流という当時最先端の気象学を応用した気象兵器であり、費用対効果も恐ろしく高く量産性もあり使われる方としては対策が面倒でたまったものではないという超兵器である。
    • 細菌兵器を搭載する計画が実現していたら少なくとも心理的ダメージは小さくなかった。
      • 実際アメリカは終戦するまで風船爆弾によりBC兵器による攻撃が行われる可能性を払拭することが出来ず本土に対風船爆弾用の防空網を敷くことを強いられ、さらに風船爆弾が本土まで届いていたこと(効果があったこと)を日本に絶対に知られないための情報統制に多大な金と労力を費やすはめになった。 この情報統制で結局日本は効果が出ているのか判断できなかったため風船爆弾による作戦は中断されたが、逆に言うと届いてると知られたら本気でマズイとアメリカがガチ対応していたということである。
    • 細菌兵器の搭載は天皇が許さなかったらしい。実際に細菌兵器を使用してアメリカに被害を与えていたら、真珠湾以上のプロパガンダとして利用されたかもしれず、その場合本土空襲がさらに悲惨なものになった可能性は否定できない。まあ結果としてはよかったのではないか。
  5. 主な製造場所:日劇、両国国技館など。
  6. オレゴン州ブライにて、ピクニックにきていた子供5人と妊婦1人の殺害に成功した。
  7. 陸軍内での呼び名は、風船の「ふ」を取って「ふ号兵器」。

八七式軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 日本陸軍航空隊初の国産機
  2. とはいっても海軍でもう採用されてた一三式艦上攻撃機の流用
  3. 性能は「?」だったがもう採用されてて実績もあるし生産設備もあるし、まあこれでいいかーって感じで採用
    • 陸軍にしちゃ合理的

八七式重爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 陸軍の重爆
  2. ドイツ・ドルニエ社の技術で作られてDo.Nって名前もあるが一応国産
  3. あまりにも遅かったので「Do.N亀(ドン亀)」というニックネームで呼ばれたらしい。案外陸軍お茶目。

八八式軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 当時の傑作機と呼ばれていた八八式偵察機の爆撃機バージョン
  2. BMW製水冷エンジンを国産化したものを搭載。安定性操縦性整備性ともに抜群で川崎航空機の名を上げた。
    • だが後に川崎は終戦まで、その水冷エンジンでいろいろと苦戦することに・・・。
  3. 偵察機型含めて1100機以上量産された。1機種あたり数十機の生産量くらいがデフォだった当時の陸軍にしては奮発した機数。
    • それだけ評価が高かったという事だろうがそれでも異例。
      • 当時の陸軍を代表する飛行機であり、軍事絵葉書とか新聞写真とかにたくさん登場する。昭和初期の一般人が陸軍の飛行機といわれてイメージしたのは、これ。

九二式重爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 陸軍の四発重爆撃機
    • でかい
      • とにかくでかい
        • なんとあのB-29スーパーフォートレスよりでかい
  2. ドイツ製の民間旅客機を元にした機体だが、色々と無理があったようで数機作って終わり、実戦未参加。
  3. でかすぎて皆びびったので主として宣伝に使われた。ある意味幸せな生涯だったかも。

九三式重爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. ドイツ製ユンカースK37型軽爆をベースに開発された、双発重爆
  2. 九七式~百式~四式に至るまでの陸軍双発重爆シリーズの祖ともいえる
  3. エンジン出力不足で遅く、安定性もいまいち、しかも整備性も良くないと散々な評価だった
  4. 問題点は改修してもあまり改善せず、200機あまり作られた所で〆

イ式重爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 上記九三式重爆から、九七式重爆までの「つなぎ」としてイタリアから輸入されたもの。
  2. フィアット BR.20爆撃機
  3. 実戦部隊からの評判はよろしくなく、主としてエンジントラブルに泣かされたようだ。
  4. この爆撃機についてた12.7mm機関砲を参考にしたものが、のちの日本陸軍戦闘機の標準装備となる。
    • ある意味恩人。これがなければ太平洋戦争開戦後もしばらく7.7ミリしかなかったかもと思うと・・・。
  5. 本当はBR.20ではなくドイツのHe111を輸入する予定だったが、ドイツ軍部に拒否されて頓挫した。

九三式双発軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 九九式双軽の御先祖様。
  2. 「双発の軽爆撃機」という機種は「軽爆撃機は単発がいい派」と「いや双発だろ派」が喧嘩しており、後者の意見を採用して作られたもの
    • 仲良くさせるために実戦では単発軽爆と双発軽爆を混ぜて運用したらしい
      • めんどくせぇ・・・

九三式単発軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 九三式の、単発爆撃機の方
  2. 大人の事情で九三式双軽と混ぜて運用された
  3. 川崎お得意の水冷エンジン搭載だが、このあたりから既に整備性に泣かされたようだ。

九七式軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 全金属製の近代的な単発爆撃機、メーカーは三菱
  2. 川崎と競争試作をしたが結局どっちも採用された(川崎のは九八式軽爆)
  3. 整備性や強度を考えて固定脚。堅実な設計と抜群の整備性で前線での評価は高かった。
  4. おそらく現在では攻撃機として分類されるであろう機体。

九八式軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 上記九七式軽爆撃機に競争試作で負けたが、ポテンシャルを買われて採用
  2. 川崎製で水冷エンジンを搭載していたが、これまた整備性と信頼性の低さに泣かされる
    • そして三式戦闘機「飛燕」でもっと泣かされることに・・・。
  3. それでも九七式軽爆を上回る数が生産された。おそらく川崎の工場の生産性の高さが要因。

九九式双発軽爆撃機[編集 | ソースを編集]

  1. 川崎製、だけど空冷エンジン搭載
  2. 双発機ながら急降下爆撃可能で頑丈、信頼性も高く、九七&九八の単発軽爆より部隊での評判はよかった
    • 川崎お前最初から空冷にしとけや、と言われる理由の1つ(ほかは五式戦とか二式複戦とか)
  3. 下部銃座部分がぽっこり膨れているので「金魚」というニックネームがついていた、まあ、確かに
  4. 「爆弾搭載量は少なくていいので速度をできるだけ早くし反復攻撃でカバーする」という陸軍爆撃機における基本フォーマットそのままの運用&設計思想
    • 実際、当時の新鋭戦闘機である一式戦闘機1型よりも高速だったが太平洋戦争開始以後の連合軍戦闘機相手には分が悪かった
  5. 米軍からは「防御力弱いし爆弾積めないし・・・」とボロカスな評価だったが、日本軍の運用思想と状況には極めてマッチし、2000機弱が生産されて全戦線で活躍した

関連項目[編集 | ソースを編集]