暗越奈良街道
ナビゲーションに移動
検索に移動
暗越奈良街道の噂[編集 | ソースを編集]
- 江戸期以降は伊勢本街道の一部としてあつかわれたが元々は奈良時代の官道。難波津と平城京を結ぶ最速ルート。日の出と同時に出れば日暮れには着ける。
- 奈良時代には遠くイタリア・ローマから伸びるシルクロードの東端部をになったルート。シルクロードの終点は奈良平城京。
- 唐からおいでになったあの鑑真和上もこの道を通って奈良の都に向かわれた。途中尼ヶ辻の辺りをお気に召され、唐招提寺をこの地に造られる。
- 奈良時代にインドより日本に来られ、東大寺大仏開眼法要を執り行った菩提僊那も街道筋の中町のあたりを気に入り、霊山寺を終の住処にしたらしい。
- 関西で最も有名な酷道こと酷道308号の原型。新石切以東に至ってはルートどころか道幅も変わらず(奈良三条通の区間を除く)。
- 以西も旧308号と殆ど変わらぬルート。付かず離れずを繰り返す。
- ほぼ全線トレース可能なのが嬉しかったりする。だからといって自転車でってのはやめたほうがよろしいで。
道中の噂[編集 | ソースを編集]
- この項目では地域順に割り込んで投稿することを許容します。左記に基づく割込投稿を行う場合、要約欄に「地域順割込み」の旨をお書き下さい。
大阪~枚岡[編集 | ソースを編集]
- 一応、高麗橋が起点だが気分的には玉造から始まる感じ。
- 高麗橋が起点になったのは明治になって道路元標が置かれてから。それまでは、玉造から始まる道路だった。
- 高麗橋から玉造までは、熊野街道と一部ルートが重複している。おおむね八軒家浜~榎木大明神のあたりまで。
- この区間は日本基督教団大阪東教会や太閤下水、坂口王子跡等、そこそこ史跡が集まっている。
- 榎木大明神の手前で左に折れて東に進む。東雲稲荷神社やカトリック大阪大司教区の協会などを横目に玉造稲荷神社へ急ぐ。
- 旅人は玉造稲荷神社で手を合わせて、なにわの街を東へと旅立った。
- 玉造から玉津1丁目交差点までは、片側3車線の国道308号線現道(長堀通)を行く。
- 玉造のJRのガードを抜けてすぐのところに、黒門橋という橋があった。通称「石橋」と呼ばれる名所だったらしい。
- その橋のそばに、つるやとますやという2軒の茶屋があったとか。この茶屋で旅人は一服をしてから奈良や伊勢へ向けて旅立った。二軒茶屋という茶屋があった。ここからが暗越奈良街道として認知されている。
- 今は、地元では有名なカレーうどん屋がある。結構美味いけど、それなりに高い。でも美味しいから良ければ食べてみて。
- 実際には玉津1丁目交差点の手前100m程度だけは現道の1本南の玉造東商店街が街道筋。一応舗装で分かるようにはなっている。
- 玉造のJRのガードを抜けてすぐのところに、黒門橋という橋があった。通称「石橋」と呼ばれる名所だったらしい。
- 玉津1丁目交差点で長堀通の北側へ渡る。そしてまた東を目指す。
- 玉津1丁目交差点を出て、数十m行ったところで、長堀通から左ななめ前へ分かれる道があるので、そっちへ入る。これが街道筋。
- 旧街道筋へ入って少し行くと高麗橋から1里の距離にあることを示す道標がある。ここは東成区中道4丁目。
- 高麗橋からは1km。でも実質の起点である玉造からはまだ600mくらいしか来ていない。
- 高麗橋から1里の道標を過ぎて、もう少し行くと、平野川にかかる玉津橋という橋を渡る。
- 玉津橋の歩道部には石畳風の舗装が施されている。なんでも暗峠の石畳をイメージしたとか。
- 欄干には古地図を埋め込んでいる。(大阪市HP参照)
- 玉津橋を渡った先にある信号を直進せずに右折する。右折後、変則的な五叉路に出るまでひたすら道なりに行く。五叉路に出たら、右斜め前へ行く。この先、東成警察署の前に来れば、その道は正解。
- この辺、旧街道筋と住宅街の生活道路をドッキングさせたような地域なので、街道トレースに失敗しやすく注意が肝要。
- 東成消防署の裏にも「高麗橋から4.6キロ」と書かれた真新しい道標がある。
- 東成消防署のあたりは、今里エリア。今里交差点のすぐ北で今里筋を渡り、今里の中心街に入っていく。
- 今里筋を渡って、真っ直ぐ行くと左手に「ようこそシルクロードへ」という看板がある五叉路がある。
- 知っている人は知っているがシルクロードの終点は奈良平城京。難波津から平城京までは暗越奈良街道をつかって物資も人も移動したことから、この街道はシルクロードの一部とされることによる。
- 五叉路の先、ほんの僅かな一角だけ道の両側に古い家が建っており、街道チックな箇所がある。
- あましんの今里支店のすぐ北のあたりでこの道が「奈良街道」であることを示す説明版が有る小さい交差点がある。この交差点から左へ少し入ったところにある熊野大神宮は、往来客が旅の安全を祈った神社の1つ。
- 玉津橋からずっとそうだと言われりゃおしまいだが、この辺りひたすら、大阪の住宅街の中の生活道路を行く。というか道幅的にも街道らしさがない。まあ枚岡までずっとこんな感じですが……
- 今里筋を渡って、真っ直ぐ行くと左手に「ようこそシルクロードへ」という看板がある五叉路がある。
- 熊野大神宮を出て少し行くと、片江口で国道308号線に出る。ここには、江戸期の大きな石灯籠がある。
- この石灯籠は、夜間通行を助けるために、中にろうそくを置いて火を灯せるようになっていたとか。
- ここからは国道沿いに東進する。
- 国道308号線を渡った先にも、街道チックな道は続くがこれは北八尾街道の跡。言い換えれば、ここで北八尾街道は分岐していたということである。
- ブランドーリふせの喧騒が聞こえてきそうな布施と深江のあたりは街道筋がよく分からん。多分長堂の辺りで区画整理をしたため消えたんやろなあ。
- 野崎病院の先で旧308号は東北東へ進路を取るが、こっちは東へ真っ直ぐ伸びる小道へそれる。小道に入ってすぐ光明寺の道案内地蔵が左手に見える。
- 一方、深江稲荷に参拝する人も居り、この人達は、この交差点で真北へ上がり、法明寺と深江稲荷に参拝し、どっかで再度合流していた模様。
- この辺り、古代に大和笠縫から笠編みのプロ集団がやってきて土着したとか。それ以来深江は深江笠という菅笠の名産地として知られ、旅人はここで笠を手に入れたとか。
- 21世紀になっても、深江の笠は皇室へ納められる程、格式の高いものとなっていて、笠編みの達人と言われる人が人間国宝になっているとか。
- 野崎病院の先で旧308号は東北東へ進路を取るが、こっちは東へ真っ直ぐ伸びる小道へそれる。小道に入ってすぐ光明寺の道案内地蔵が左手に見える。
- 布施柳通交差点で再び、旧街道の跡がはっきりと姿を現す。
- 北東角にパックリと口を開けているような生活道路がそれ。この先、小阪付近まで、お地蔵や道標がところどころ。
- 高井田1丁目7番のあたりだけ、区画整理の影響か街道が途切れ、道なりに行くと本来の筋の一本北へ行ってしまう。
- 長瀬川を渡ったところにあるのは高麗橋から2里、枚岡まで1里33町の道標。北へ行くと放出停車場まで30町の記録もあるので、おそらく明治期のものか。
- 小阪北口の大発ビル前でまた旧308号に出る。ここから東京靴流通センターのところまでは街道が途切れている。
- 東京靴流通センターのところで右に入って最初の道を左へ入ろう。これが旧街道筋。
- 東京靴流通センターから意岐部小学校前までは街道筋がキチンと残っている。路地っぽくて街道感は殆ど無いけど。
- 御厨西で旧308号を渡る。ほぼ十字路になってクロスする感じなので、自分が東へ行っているのか北へ行っているのか、わからなくなる。(実際は御厨4丁目1までほぼ北を向いて歩く。)
- 突き当り、法観寺というお寺の前で、再び東を向く。ここの角、昔は道なりになっていただろうと感じさせる作りなのだが、道標もなければ、普通に生活道路が突っ込んくるのでちとややこい。
- もし余裕があれば、ここで200m程、西へ戻って御厨神社に寄ると、東大阪市天然記念物にも指定された推定樹齢900年の大くすのきがある。
- そんな角を曲がってすぐ御厨会館前には御厨行者堂があり、道行く人を見守っている(?)
- 御厨の辺り、東大阪にしてはそこそこ良い地域ということもあり、結構大きく古い家がポツポツ。段蔵もある。
- 旧中環の手前で右手に出てくる植田家住宅は東大阪市指定文化財の旧家にして本陣でもあった邸宅。風格が漂います。
- 第二寝屋川を渡るとまた旧308号に出るまで、特に見どころもない。
- 意岐部から中環を過ぎて色んな自動車屋の販売店の前を旧308号を歩きながら抜けていく。街道散歩というより排ガスを吸うための散歩という感じ。
- スズキ自動車の販売店を過ぎてすぐ左へ5m程入って、また右へ行く。この生活道路も街道筋。
- この辺りから菱江の集落に入る。
- 途中、河内街道との交差点が有り、道標も残る。曰く「すぐ 石切 瓢箪山 奈良」「左 住道 四條畷」。
- 交差点のそばの八劔神社は、1396年(応永3年)の創建。河内と摂津の境では強い八剱信仰の神社の1つで城東区や鶴見区の八劔神社とも関係ありとか。
- 菱江でもちの木地蔵というお地蔵様の前を通る。おかげ灯籠がある。
- 1867年(慶応3年)には、菱江でもええじゃないかが流行しお札が降ったとか。もちの木地蔵尊横の案内板に書いてあった。
- もう少し行くとまた旧308号に出る。
- 花園ラグビー場前交差点で、ラグビー場とは逆に東北東へ逸れる脇道へ入る。
- 突き当りを左に進んでいくと英田北小学校の裏門に出る。ここの一角にこの場所が松原宿という宿場町だったことを示す石碑と案内板がある。
- 松原宿では、何度も道が折れ曲がる。今は何の変哲もない住宅街の中で、これなのでトレース旅行者泣かせの地。
- 松原宿は本街道唯一の宿場町。
- 基本的に宿場を感じさせるものはなにもない。いや、1軒だけ古い旅籠の跡の邸宅があったかな……
- 一応、「右 なら いせ 左 大坂」の道標が残っていてそれを頼りに行くことになる。
- 松原宿を過ぎると水走の町を抜け恩智川を越える。
- 外環も越えると、町工場の中を抜ける。ところどころ大きなお屋敷があったり、ふとん太鼓の保存小屋が見えたりする。
- 箱殿交差点で旧170号と旧308号に合流する。因みにここから山側は国道指定が残っている。
- ここからは308号は街道筋を完全踏襲。因みに、ここから上り坂が始まる。
- 東へ100m程行くと箱殿東交差点。ここでは東高野街道と暗越奈良街道が五叉路を形成する。
- 北西隅に道標と地蔵尊がある。街道オーラを感じさせる。
- ここから上りもきつくなる。上りの途中のレトロな建物は大阪シティ信金の支店。元々は枚岡村役場としてつかわれていたとか。
枚岡~小瀬[編集 | ソースを編集]
- 近鉄のガードを越えると、あの有名な酷道トレースを妨げる一方通行区間が現れる。ここからが暗越区間。
- 暗峠に至るまでは、ひたすら急な坂道を行く。
- 最初は枚岡公園の景観を横目に楽しみつつ、ゼエゼエハアハア言いながら上がる。時々、道標とか水場なんかもあり、街道旅という感じがする。
- 比較的傾斜がゆるい奈良側からだったとは言え、よくまあこれをトゥクトゥクで越えようとしたよね、リーダー(城島茂)は。
- 「菊の香に くらがり登る 節句かな」という松尾芭蕉が詠んだ俳句の句碑がある。因みに峠を越えた奈良側にもある。
- ときどき、隠田のような田んぼと寺がある。でも街道沿いで隠せないから隠田ではなさそう……
- 右手に禊行場がある。雰囲気は良い。
- 更に進むと、あの有名な最大斜度33%とかいう鬼畜のヘアピンカーブに行き着く。タイヤが焼けた跡が生々しい。
- 暗峠の手前で、北に入ると慈光寺というお寺がある。ホトトギスで知られている役行者ゆかりの由緒正しい修行の寺らしい。
- もう少し進んで石碑群がある。
- そのすぐ先、弘法大師空海が掘り当てた弘法の井戸という水場がある。けれども水質が良くないため、飲用してはならないそうな。
- 以前は、枚岡あたりの地元民が毎朝一升瓶や水筒を持って、汲みに来ては、飲用していたとか……
- 暗峠は河内と大和の国境。峠の前後の計100mくらいだけ石畳になっている。家も古いものがあったりして風情がある。
- 今はそうでもないが、昔は昼でも暗かったから暗峠という名前らしい。大阪側の峠道はたしかに今でも暗い。
- 河内名所図会によれば旅籠も何件かあったらしい。
- 県境の標識のところの路地を生駒山頂方向に行くと、生駒の鉄塔下を抜けて生駒山頂に行き着く。
- 峠の上には未だに茶店がある。でも営業しているのを見たことがない。
- 最近は水曜定休で冬季は平日定休になっているらしい。
- 石畳が終わり貴生駒スカイラインのガードをくぐり抜けると急な下り坂が始まる。
- ガードを抜けても7軒ほど民家がある。生駒市のコミュニティバスは、この辺りまでやってくる。
- そんな民家の中に友遊由というカフェがある。
- 下り坂に入って少し行くと、谷筋に棚田が広がる西畑集落がある。西畑の棚田という風に名所扱いされているらしい。
- 奈良盆地を遠くに見つつ、手前に棚田を眺める、その雰囲気は日本の原風景、うましうるわし奈良という感じ。
- 松尾芭蕉が詠んだ句の句碑がある。「菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という句で、重陽の節句に因んでいる。
- その近くのうどん屋は、1日10食限定のうどん定食が美味いらしく、よく売り切れている。こんなところで売り切れが、起こるとは……
- 手打ちうどん屋の入口を過ぎて、更に少し下ると阿弥陀三尊磨崖仏がある。
- 磨崖仏としてはそれほど大きくはないけど……
- 更に下ると、鬼取町、宝山寺方面への抜け道の分岐に出る。昔は、ここからも宝山寺へ行く人が居たんだろうか。
- この辺から、藤尾地区に入る。道中の藤尾阿弥陀堂は国道から少しそれた旧道沿いにある。
- もう少し下って、家々が立ち並ぶようになってくると藤尾集落。古くて大きい家が多く、石垣や塀も含め、街道筋全体が絵になる。
- 融通念仏宗の石佛寺は、本尊の阿弥陀如来座像が1294年(永仁2年)の物らしい。鎌倉時代のものとされる五輪塔もある。興味があれば是非拝観を。
- 左に西池をみながらなおも下っていく。この辺りになると、傾斜もだいぶゆるくなり、荻原町、小瀬町と南生駒駅付近の街へ続いていく。
- 萩原町の辺り、道路の見通しの悪さは、いかにも集落の中を抜ける街道筋の様相を呈する。
- 新しい感じの家々とそれなりに年季の入った家々が混在して立ち並ぶ感じが、現代の街道旅という感じ。
- 萩原町内には大和棟の大きな家がある。バエる。
- 小瀬町西の交差点で国道168号を渡り、竜田川を渡る。
- 萩原町の辺り、道路の見通しの悪さは、いかにも集落の中を抜ける街道筋の様相を呈する。
小瀬~砂茶屋[編集 | ソースを編集]
- 竜田川を渡ったら右に折れ、近鉄線を越える。
- 竜田川を渡る橋の部分だけは清滝街道との重複区間だったはず。
- 近鉄線過ぎてすぐの頃は集落の中を抜ける細い路地みたいな所を行く。やがて、道幅が少し広くなると、今度は上り坂で傾斜が徐々にきつくなる。
- 気がついたらニュータウンの縁を行く感じ。接続するニュータウン内の生活道路のほうが道幅の広いこと…… (一応、こっちは国道ですけどね。)
- 大瀬中学校の前でニュータウン同士をつなぐための道路にぶち当たりどんつきになる。そこを、右に曲がる。
- 南山手台の辺り、宅地造成のおかげで街道筋は消えてなくなっている。一応、歩行者に限っては地元の人間のための歩道みたいなのを歩くことで、可能な限り往時のルートに近いルートで旅ができる。
- 歩道を抜けると歓喜の湯という足湯の前に出る。この辺りで生駒山の方を見ると生駒の街と山が一望できる。
- 歓喜の湯からは、再び国道308号と合流し榁木峠を目指す。ひたすら山の中を上っていく。
- 榁木峠の手前で矢田丘陵縦走路と合流する。あじさいで有名な矢田寺、バラで有名な松尾寺へは、ここから行ける。
- そして、すぐ両脇に数軒の民家が出てきて道がなだらかになると榁木峠。
- 峠のピークを過ぎて10m程行くと、右手に榁木山弘法大師堂がある。手を合わせていきましょう。
- 榁木峠を過ぎると下りに転じるが、まだ民家がポツポツと続く。結構大きい家が多い。
- 郡山警察犬訓練所に居る警察犬候補の吠える声を聞きつつ下る。
- 矢田自然公園への分岐もこの辺り。昔は矢田寺へ抜ける間道はここから分岐していたらしく、今でもここからハイキングコースを通り、矢田寺へ抜けることをが出来る。
- もう少し下る追分地区に入る。
- 追分地区も大きな家が多く、いかにも街道筋という感じがする。
- 大きな家の間に石段と鳥居がある。追分神社は古来より旅人を見守ってきた。
- 追分には奈良市指定文化財村井家住宅がある。
- 追分本陣だっただけあり、立派な邸宅。
- 追分の集落の端に交差点がある。交差点の北東側は追分梅林として昔から梅で有名。
- 現代の暗越奈良街道とも言える第二阪奈道路をオーバーパスする。
- 中町に入る。沿道に白壁の蔵造の家などが立ち並ぶ中に伸びる路地のような道を行く。見ごたえがある。
- 中町の西外れには石灯籠がある。往時の風景がしのばれる。
- 中町を過ぎると田畑の中をずー―っと行く。そして富雄川を渡ると砂茶屋。
- 砂茶屋には、富雄村道路元標が残る。地蔵堂と石灯籠も残る。
- かつて(2005年頃)は、奈良方面から来た旅人向けの「左 大坂 右 中かいと道」という石標があったはずだが、この間歩いたときには消えていた。
- 中かいと道というのは漢字で書くと中垣内道となり、古堤街道がこれに当たる。
- 街道チックな集落を抜けると枚方大和郡山線との交差点に出る。
- かつて(2005年頃)は、奈良方面から来た旅人向けの「左 大坂 右 中かいと道」という石標があったはずだが、この間歩いたときには消えていた。
砂茶屋~ならまち[編集 | ソースを編集]
- 砂茶屋からは、街道の雰囲気を残しつつも、全体的に奈良市郊外のニュータウンと古い集落の合間を抜けていく、生活道路という感じになる。
- 地味に車同士のすれ違いも比較的容易な区間になる。
- 砂茶屋を過ぎてすぐ、オークワ富雄中町店が右手に出てくる。飲み物の調達ができてありがたい。
- なおも進むと赤膚山。付近には赤膚焼の窯元も何軒かある。
- 赤膚山の辺りは古い家が多く大和棟の家もちらほら。
- 赤膚山を過ぎると第二阪奈道路の高架をくぐり、五条畑、平松、宝来と抜けて尼ケ辻。
- 尼ヶ辻はかの有名な唐招提寺がある。鑑真和尚がこの地で土を舐めると甘みがあったから「甘みが土」と呼び、それがなまって尼ケ辻になったらしい。
- 尼ケ辻まで来ると、もう奈良市街。後はアップダウンもなく、ならまちまでひたすら三条大路をまっすぐ。
- 尼ヶ辻の駅の辺は、ちょっとだけ道幅が狭まる。街道筋に商店街が出来た感じ。
- 阪奈道路から分岐してきた道路に合流し、本街道も片側2車線の広々とした道路に。
- この広々とした道路は、平城遷都1300年祭で拡幅されてできた。それまでは片側1車線でよく渋滞していた。あの細さはあの細さで街道チックだったんだけど、ドライバーにはストレスだった。
- 国道24号線もくぐり、JR奈良駅も過ぎるといよいよ終点、ならまちへ。