もしあの大学があの場所に残っていたら
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青山学院大学[編集 | ソースを編集]
- 厚木キャンパスが存続していたら
- 相模原キャンパスは計画自体存在しない。
- あまりにアクセスが不便なので、文系学部の青山への集約が史実より早まっていた。
- アクセスの劣悪さがマイナスイメージとなるため、志望倍率も集約までは史実よりも低くなる。
- 森の里までのモノレール建設構想が今でも細々と望まれている。
大阪大学[編集 | ソースを編集]
- 中之島にキャンパスが残っていたら
- 医学部・歯学部・理学部が今もここにキャンパスを置いている。
- 阪大病院も吹田市ではなくここにある。
- 建て替えと合わせ東京医科歯科大のようなタワーキャンパスへ高層化していた。
- 吹田に開設されても「先進生命科学センター」のような学部によらない研究重視(機能分離)で分院扱いだったかも。
- 近年の都心回帰の動きから他の学部もここに移転してきたかも。
- 外国語学部(旧大阪外国語大学)も箕面船場ではなくここに移転してきた。
- 阪大病院も吹田市ではなくここにある。
- 京阪中之島線は阪大へのアクセスのために建設されたことになっていた。
- 中之島駅の駅名も「中之島阪大前」あたりになっていた。
- 逆に大阪モノレールの阪大病院前駅は別の駅名を名乗っていた。
- 駅所在地の地名に合わせて「美穂ヶ丘」か「阪大吹田キャンパス前」あたりを名乗っていた。
- 開業も史実より遅れ、彩都線は2007年に万博記念公園~彩都西が1度に開業していた。
- 阪大の名目上の本部はこの中之島キャンパスになっていた。
- ABCは大淀で社屋建て替えたかフェスティバルタワーあたりへ移転していた。
中央大学[編集 | ソースを編集]
- 法学部だけ都心に残っていたら
- 史実では2022年までに多摩キャンパスから後楽園キャンパスに再移転するようですが…。
- 2000年代に市ヶ谷にキャンパスを移していた。
- 法学部とそれ以外の偏差値の差が史実以上に開いていた。
- それでも炎の塔は史実通りの形で使われていた。
- かわりに理工学部が多摩キャンパスに移転していた。
静岡大学[編集 | ソースを編集]
- 大岩校地が存続していたら
- 附属幼稚園及び養護(→特別支援)学校も移転しなかった可能性あり。
- 人文(社会)及び理学部の大谷移転は史実通りであるが教養部は廃止されず「全学教育基盤」へ改称されたかも。
一橋大学[編集 | ソースを編集]
- 神田から学部撤退しなかったら
- 関東大震災勃発により国立と小平へ大半機能を移転しました
- 共立女子大は神田になかった。
- 予科や附属教育部門は国立へ移転していた。
- その後身である教養部→全学共通教育センター及び商・法除く学部が置かれていた。
- 商・法両学部はかなり少数精鋭で学部-修士6年一貫教育が前提となったかも。
- その分経済・社会両学部の定員が増えていたと思われる。
- 商・法両学部はかなり少数精鋭で学部-修士6年一貫教育が前提となったかも。
- その後身である教養部→全学共通教育センター及び商・法除く学部が置かれていた。
- 学術センタービルが神保町駅直結、「マーキュリータワー」と呼ばれ史実のそれは別名だった。
- 明治大リバティータワーみたいに女子人気の効果をもたらせたかも。
法政大学[編集 | ソースを編集]
- 麻布キャンパスが存続していたら
- かつて中央労働学園大学を統合した関係上、昔は麻布にもキャンパスがありました。
- =社会学部と工学部の移転が史実よりも遅かったらである。
- 現在では人間環境学部とキャリアデザイン学部がここを拠点にしている。
- 距離的にも市ヶ谷から遠くないので、麻布独自のサークルや学祭があったかどうかかなり怪しい。
- 嘉悦女子は有明に移転しなかったかもしれない。
北海道医療大学[編集 | ソースを編集]
- 音別校舎が存続していたら
- 東日本学園大学時代には釧路市音別町にもキャンパスがありました。
- おそらくリハビリテーション科学部あたりが音別に移っていた。
- 釧路地区に医学部が無いので、史実では構想どまりだった医学部新設が音別で実現していたかもしれない。
琉球大学[編集 | ソースを編集]
- 首里城跡から移転しなかったら
- 首里城が再建されない可能性が高いので、沖縄のグスクが世界遺産に登録される事自体あり得なかったかもしれないい。
- 但し建物の老朽化と共に一部校舎の縮小と史跡の再現が行われていれば話は別。
- モノレールの首里駅に「琉球大学前」の副名称が付いていた。
- 元々城だった場所に建てた事から、現在はバリアフリー化が最大の課題になっている。