もしあの大学があの場所にあったら

ナビゲーションに移動 検索に移動

独立項目[編集 | ソースを編集]

国立[編集 | ソースを編集]

旭川医科大学[編集 | ソースを編集]

釧路に設置されていたら
  • もし旭川市と釧路市の医科大学誘致合戦で釧路市が勝っていたら?
  1. 釧路公立大学はなかったかもしれない。
    • 逆に1970年代後半に旭川市立大学ができた可能性も。
      • その場合旭川大学の市立化はなかったが、北海学園あたりと経営統合したかも。
  2. 道東の医師不足は史実よりは大分マシになっていたか?
函館
  1. 「漁夫の利で設置された」と言われる。
  2. はこだて未来大は医学部ではなく機電系学部の新設を目指したかも。

茨城大学[編集 | ソースを編集]

  • 2021年現在水戸市・日立市・阿見町にキャンパスが存在する。もし他の場所にキャンパスが開設されていたら?
桜村(現在はつくば市)
  1. 1970年代に開設されていたら東京教育大(史実ではのちに筑波大に改称)は別の場所に移転していたかも。
  2. 阿見の機能を取り込んでいたかも。
岩手県
  1. 岩手大は盛岡高校、釜石高工が主な母体となった。
  2. 弘前高校を置かない代わり北海道帝大の予科を札幌高校へ独立させた。
    • 独立に至らなくとも「帝大附属高等部」のように改組されたかも。
  3. 県立青森病院を母体に県立医専が設立、第二次大戦期に官立化されたかも。
  4. 官立の高農校は仙台あたりへ設置された。

大分大学[編集 | ソースを編集]

福岡
  1. 福岡高校ではなく大分高校が置かれる代わり九州帝大は予科を持った。
    • 逆に修猷館7年制高校に昇格したかも。
    • 大分高校は大学昇格で文理学部や教養部の母体となり後者が解消された頃「社会科学部」のような経済分野が含まれる学部が置かれたかも。
  2. 史実の福岡高商は「九州高商」を名乗ったかも。
  3. 第二次大戦期に福岡経専へ改称された後に九大(上記の九州帝大から改称)と合併した可能性大。
    • 経済学部は経専母体となり法文学部の経済学分野を取り込んだ。

大阪大学[編集 | ソースを編集]

広島
  • 大阪帝国大学は、近隣に京都帝国大学があり同時期に広島も帝国大学誘致を行っていました。
  1. 学生間でお好み焼き戦争が激しくなる。
  2. レベルの上がった広島大学に進学できない広島県民は岡山大学に進学。
  3. 教員養成課程は帝国大学とはべつに広島教育大学に。
    • 高等師範や女子高等師範は広大に吸収された可能性も。
  4. 帝国大学を逃した大阪であったが、官立大阪工業大学に理学部を増設して対抗。
  5. 戦後になって、官立大阪工業大学が旧制大阪高等学校などを吸収して大阪大学。
    • 結局大阪は人口が多いので、帝国大学ではないにもかかわらず神戸大学以上のランクにはなっている。
    • 旧帝国大学の広島大学より上。
    • 吹田キャンパスは人間科学部・工学部の他に法学部・経済学部なども使用。
    • 大阪第一師範学校と大阪第二師範学校(現:大阪教育大学)も大阪大学に吸収されている。
      • 官立大阪工専も吸収され下記の基礎工学部になったかも。
    • 柏原キャンパスは教育学部のほか、理学部・基礎工学部・文学部も使用。
      • 新構想大学で兵庫教育大の代わり南泉州あたりに大阪教育大が設立され教育学部が発達科学部へ改組されたかも。
  6. 史実の大阪薬学専門学校・浪速高等学校(府立の旧制高等学校、現在の私立浪速高等学校:当時の旧制浪速中学校とは別)はそれぞれ私立薬学大学・大阪府立大学豊中キャンパスに。
    • 浪速高校の尋常科は府立新制浪速高校など改組を経て府立大附属高校となったかも。
      • 戦後にその募集を再開した場合であるが。
    • 府立大豊中キャンパスは他所に集約され阪大へ移管、その医学部が史実通り設置されたかも。
  7. 広島市立工専は広島市立工大に単独昇格、史実で広島市大開学の1990年代に国際・芸術両学部が設置され大学名から「工業」がとれた。
    • 情報科学部は工学部の学科で設置されたかも。
    • 本浦が手狭となり'90年代までに大塚へキャンパスの新設や機能集約が実施されたかも。
      • 機能集約なら市立広島工業高校は史実より数十年遅れて移転していた。
四国
  1. 九州・北海道にあるなら四国にも。
  2. やはり大阪からの進学者が多くなる。
  3. 帝大のある都市が四国の中心に。
神戸
  1. 官立商業大学→経済大学は'49年以降も存続した可能性大。
    • その場合「西の一橋」と呼ばれる。
    • 商大を母体に帝大へ昇格させた方があり得るが。
  2. 兵庫県師・県明石女師→兵庫師範と兵庫青師は兵庫教育大の母体に。
  3. 県立医専→医大は神戸医大への改組や神大との合併がなく県立大の母体となったかも。
    • その場合県立看護大は設置されなかった。
岡山
  • 「中国帝国大学」として岡山医科大学と第六高校を母体に帝国大学へ昇格させる案がありました。
  1. 府立大阪医大は浪速大(のち府立大を経て公立大)の母体となり堺高工→化工専・高等獣医校→獣医畜専・農専・青師に加え女子専(現実では浪速大成立時点で女子大に単独昇格)を吸収。
    • 女子専がそれなら大阪市立の方は同府立に代わり「大阪市立女子大」へ単独昇格、同市立西華高校が市立女子大附属女子高として西商業の校地へ移った(史実ではその際共学化を経て校名から「商業」一度とれる)可能性大。
      • 昇格までに西華高女の専攻科は史実通り市立女子専へ改組されたが西華同窓会は今もY校・Y専→横浜市大ごとく高大共通組織の可能性あり。
  2. 戦後に県師範・岡山女師→岡山師範・岡山青師は「武安大学?」へ昇格。
    • ちなみに「武安」は県師範のルーツ藩学の創設者・池田光政の神号「武安霊命」。
  3. 県立岡山農専は高松から動かず県立農大へ昇格、その際高松農業高校はその附属高校に。
    • 県立農大はその後学部増設で県立大へ発展、手狭となったので他所へ移転したかも。
  4. 六高は附属高等部(北海道帝大の予科相当)へ改組された可能性大。
    • その隣接地に法・工両学部のような実学的な学部が置かれ広島文理科大と重複を避けたが第二次大戦終結後に津島へ移転は変わらかったかも。
      • 工学部なら第二次大戦期に「工学部専科」のような名称で専門教育部門が併設された可能性大。

大阪外国語大学[編集 | ソースを編集]

史実より早く箕面市に移転していたら

史実では、1979年に箕面市にキャンパスができました。

  • 1960年代
  1. 余程のことがない限り、東大阪市にあるグラウンドの跡地に近鉄花園野球場ができていた。
    • そこを近鉄バファローズの本拠地にしていた。
  2. 北千里駅か千里中央駅の近くに移転していた。
コスモスクエア
  1. 史実よりその知名度が上がっていた。
  2. 大阪メトロコスモスクエア駅に(大阪外大前)という副駅名が付けられていた。
    • 阪大との合併後は「コスモスクエア阪大前」という駅名に改称されていたかも。
    • OTS線の利用客数は現実よりも多かった。
      • それでも大阪市交通局への移管は史実通り。
  3. 箕面船場地区への移転はなかった。
    • 北急の箕面船場阪大前駅は「箕面船場」駅になっていた。
北野町
  1. 1920年代に神戸外国語学校で設置される代わり神戸市外大はなかった。
    • 1949年に神戸大の外国語学部となったかも。
      • その場合県立兵庫農大は神戸大ではなく神戸商大・姫路工大・看護大と同時合併した可能性大。
  2. 関西外大は大阪外大を名乗れた。
京都市左京区
  1. 京都帝大隣接地に外国語学校で設置されたかも。
    • 史実のそれは創設者名にちなみ森田外国語学校を名乗ったかも。

大阪工業大学[編集 | ソースを編集]

  • 旧制官立大学で大阪帝国大学へ吸収されましたが、便宜上取り上げます。
全般
  1. 大阪高工は1939年に再設置されなかった。
  2. 府立浪速高校は府立大の母体となったかも。
  3. 現実の大阪工業大学は摂南大学を名乗っていた。
神戸
  1. 神戸高工が高商の代わりに大学昇格する形を取った。
    • その場合県立高商→神戸商大はなく県立農大が2004年まで存続したかも。

小樽商科大学[編集 | ソースを編集]

函館
  1. 道外からの学生が史実以上に増えていた。
  2. 小樽へ高等教育機関設置は帝大附属水産専門部の独立なき移転で実現、農学部水産実科や新制北大発足による農学部水産学科を経て獣医と同じくして学部昇格したかも。
  3. 旭川医大の項と同じく未来大は医学部ではなく機電系学部の新設を目指したかも。
旭川
  1. 旭川大学は競争に敗れ史実より早く公立化していた。
    • その時に旭川大学を合併していた可能性もある。

香川大学[編集 | ソースを編集]

松山
  1. 高松高商が私立、松山高商が官立と入れ替わっていた。
  2. 坂出高工が'39年に設置されたかも。
    • 高工が史実通り新居浜へ設置された場合、愛媛大は工学部・香川大は理学部をそれぞれ母体に理工学部へ改組したかも。
  3. '20年代、県立松山中学を7年制高校に昇格させる運動が起こる。
    • それが実現した場合、高等科は戦後に県立農専ともども県立大へ昇格したかも。

鹿屋体育大学[編集 | ソースを編集]

浜田市
  1. 現実の国際短大(→県立大)あたりに設置された。
    • 国際短大は大田市(県立農大が所在)に設置されたかも。
  2. 大学改革で島根医大ともども島根大と合併する構想が出る。

九州大学[編集 | ソースを編集]

筑紫キャンパスへの移転が実現していたら
  • 1970年代に箱崎、六本松キャンパスの設備・組織を筑紫キャンパスへ移転する予定でしたが、住民の反対により、じつげんしませんでした。もし実現していたら…
  1. 春日市と大野城市は学生の街として、賑わっていた。
  2. 箱崎キャンパス跡地における再開発も史実よりも早まっていた。
史実より早く伊都キャンパスへ移転していたら
  1. 早くても、1980年代以降に実施されていた。
  2. 九大学研都市駅の開業が史実よりも早まっていた。
    • 筑肥線の下山門~筑前前原間の複線化が史実よりも早まっていた。
      • 糸島高校前駅の開業も史実よりも早まっていた。
  3. 無論、箱崎キャンパス跡地における再開発事業も史実よりも早まっていた。
    • 鹿児島本線の千早~箱崎間の新駅開業も史実よりも早く実現していた。

ひびきの地区に移転していたら

  1. 範囲はひびきの北とひびきの、小敷ひびきの、塩屋4丁目の全域。
    1. 江川を挟んだ払川地区には九大農場がおかれていた。
    2. 用地の広さは今とおなじくらいだが、周りは市街地なので伊都より生活環境・通学環境は良かった。
  2. 黒崎からひびきのを結ぶモノレールが建設されている。
  3. 北九州には若者があふれ、街が活性化する。
    1. 黒崎商店街は学生街に変貌する。
  4. 1万人以上の学生が福岡から去ることになり、のちに福岡市の失政として話題になる。
    1. 福岡市は市立大学を開設するか、県立大学を福岡都市圏内に開設させていた。
    2. 福岡市民にとって、福大が本当に国立大学のような存在になる。
  5. 文系と私大は福岡、理系と公立は北九州と住みわけがなされる。
熊本
  • 第五高校の医学部以外が置かれていた熊本に設置されていたら?
  1. 私立の「熊本大学」が存在した。
    • 熊本短期大学(史実ではのちに熊本商科大学を経て熊本学園大学に改称)あたりが熊大に改称していた。
  2. 「福岡大学」が国立大学で存在すると考えられるため史実の「福岡大学」は「福岡商科大学」のままだったかも。
    • その場合福大のレベルは広大並みかそれ以上の可能性も。
  3. 恐らく史実の伊都キャンパス相当のキャンパスは熊本市南区辺りに存在した。
    • その場合立地によっては「富合」駅が「九大学研都市」駅として史実より数年早く開業していた可能性も。
  4. 西南戦争がなかったらあり得た可能性がある。
    • 「学都熊本」の称号を得られたかも。
長崎
  • 当時九州最高難度の第五高等学校医学部があり、九州帝国大学の誘致運動を行っていました。
  1. 蘭学から発展した西洋医学・理学・工学が中心。
  2. 農学部内に水産学科がある。
  3. 福岡大学は国立。
    • 福岡第一師範学校、福岡第二師範学校(小倉)、福岡青年師範学校(久留米)は福岡教育大学ではなく福岡大学の教育学部になっている。
    • 現在の福岡大学は別の名前を名乗っている。
      • 商科大学のままだったかも。
  4. 九州大学教育学部とは別に長崎教育大学がある。
  5. 長崎の路面電車の重要性は史実以上に上がっていた。

東北大学[編集 | ソースを編集]

盛岡
  1. 古河家が史実より大きく関与していた。
  2. 宮城県の国立大学は仙台大学を名乗っていた。
    • 現実の仙台大学は別の名前になっている。
      • 「朴沢学園大学」か「宮城大学」を名乗ったかも。
  3. 岩手師範は東北大ではなく青年師範と合併で学芸大のち教育大となった。
  4. 官公庁の関与する医大や医学部は全都道府県へ設置できた。
  5. 旧帝大では難易度が最易クラスであろうが、上記の仙台大学は難易度が金沢岡山熊本クラスになったかも。
  6. 宮城県女専は「宮城女子大」へ単独昇格、短大部を設けた可能性大。
    • 昇格間もない頃その母体となった第二女子高を共学化せず附属化していたかも。
山形
  1. 水野忠弘あたりが帝大設置に尽力していた。
  2. 山形師範と山形青年師範は東北大に合流せず両校の合併で「山形学芸大(を経て教育大)」となった。
  3. 県立山形農大は上記の2師範ともども東北大に合流せず史実で保健医療大が設置された頃に県立大へ改称された。
秋田
  1. 北東北は仙台依存を脱却していた。
  2. 秋田駅前は史実以上に栄えていた。
  3. 学生の通学のためにバス路線が整備されていた。
  4. 国際教養大学は存在しなかった。
    • 宮城県か仙台市がその地位にあたる大学を作っていた。

長岡技術科学大学[編集 | ソースを編集]

秋田県天王町(現:潟上市)
  1. 秋田大の理工学部はなかった。

名古屋大学[編集 | ソースを編集]

金沢
  • 帝国大学最後の1校として開学した名古屋大学ですが、金沢市も帝国大学を誘致していました。
  1. 結局半分くらいは中京圏からの入学者。
  2. 金沢カレーが名古屋方面に広まっていった。
  3. 金沢市民は新潟市を見下している。
    • 新潟市ではなく金沢市が政令指定都市になっていたかも。
  4. いまでも金沢城内にキャンパスがある。
    • 四高が帝大予備部、医大が同医学部として包括され前者は第二次大戦後に教養部や文・理両学部へ姿を変えたのち多くの機能が他所へ移転しても大学院の史学関係する研究科が残ったかも。
      • そのため番組登場の度に城内が注目されたり遠方から同研究科へ来る院生が少なからずいたりして。
  5. 金沢は旧帝の難易度最易クラスになる可能性は高いし、いずれ名古屋にも筑横千クラスの公立大学ができるだろうが、それでも旧帝がないことで名古屋の格は史実より落ちていただろう。
    • 愛知県立工専は単独で大学昇格、1960年代より学部増設で県立大へ発展した。
  6. 名古屋医大は学制改革で第八高校・名古屋経専(高商)・岡崎高等師範に加え名古屋工専(高工)・愛知県内の3師範を包括して名古屋大となった。
    • 金沢高等師範は史実の名古屋大ごとく旧帝大へ包括されるが、石川師範と石川青年師範は「石川学芸大」を経て教育大となった。
      • 旧高等師範の附属中学は新制移行後も存続、中高一貫教育及びその研究が行われ旧師範系の新制中学及びその出身者を見下ろしたかも。
        • 自大附属中が石川県内では錦丘や星陵と並ぶ御三家とされた可能性大。
    • 「愛知教育大」が存在しても新構想大として兵庫教育大の代わりに開学していた。
    • 名古屋医大は医学部、第八高校は教養部と文理学部、名古屋経専は経済学部、岡崎高等師範は教育学部、名古屋工専は工学部、愛知第一・第二師範は学校教育学部、愛知青年師範は農学部のそれぞれ母体に。
      • 旧医大及び工専からの校地は昭和キャンパスとして一体化された可能性大。
      • 名古屋大発足の時点で文・理両学部に分かれなかったのは八高(滝子)の教養体系を維持しようと企てられたはず。

浜松医科大学[編集 | ソースを編集]

静岡市
  • 竹山祐太郎が県知事を務めた頃独断で浜松市に設置されました
  1. 「静岡医大」を名乗れた。
  2. 史実の県立総合病院敷地へ設置された可能性大。
  3. '03年に静岡大と合併できたかも。

広島大学[編集 | ソースを編集]

西風新都に移転していたら

  • 1973年に移転を決定し、1982年に西条盆地に移転した広島大学ですが、五日市近郊に移す案もあったようです。五日市にほど近い西風新都に移転していたならば...?
  1. 最初は超不便な立地だが、アストラムラインが完成したことで大幅に便利になった。
    1. アストラムラインの部分開通を10年早め、80年代の移転までに間に合わせていた。
      • アストラムラインの環状化まですでの実現していたかも。
      • 学生を中心にパスピーの普及率が上がっており、終了することもなかった。むしろ片乗入れではなく全国相互利用に参加していた。
    2. 広域公園~西広島間の開通の方が先だった。そのまま平和大通り、紙屋町を通って広島駅へ伸びていた。
  2. 西条より通学の利便が良いため、広島大学の志願者数は上がっていた。
  3. 平成の合併まで、東広島市は成立しなかった可能性がある。
    1. 当初は賀茂学園都市建設を大義に合併したため。
    2. 東広島市の規模は現状より小さかった。
    3. 市名は東広島市とはならず、「安芸西条市」もしくは「賀茂市」となっていた。
府中町に移転していたら
  1. マツダと並ぶ町の代表に。
  2. 附属東雲小中学校や広大病院も移転してきたかも。
  3. 志願者数は史実より多かった。
  4. 安芸府中高校以外に私立高校が移転などで設置され「東広島市」か「安芸府中市」に昇格した可能性も。
    • 「若人の街」を宣伝できたかも。

福島大学[編集 | ソースを編集]

宇都宮
  1. 代わりに高農校が福島県内へ設置された。
    • 福島大への昇格後も獣医学科が存在したかも。
    • 高商が塩竃あたりに設置されたかも。
  2. 戦後に宇都宮大の母体、経済学部となる。
    • 経済学部に国際学科が設置されてから国際学部へ独立したかも。
    • 現実の高崎経済大和歌山大並みの評価を得られたかも。
    • 福島大もそれを農学部から経済関係の学科を独立させる形で設置したかも。
  3. 宇大農学部は旧栃木青年師範の石井農場を流用して設置された可能性も。

公立[編集 | ソースを編集]

群馬県立女子大学[編集 | ソースを編集]

板倉町
  1. 代わりに東洋大のキャンパスはなかったかも。

高知工科大学[編集 | ソースを編集]

南国市
  1. 高知空港近くに設置されたかも。

札幌医科大学[編集 | ソースを編集]

函館市
  1. 帝大と重複を避け函館へ設置」とされた。
旭川市
  1. この場合も「帝大と重複……」だった。
  2. 旭川医大は別の場所にできた。

私立[編集 | ソースを編集]

関西大学[編集 | ソースを編集]

舞洲
  1. 阪急千里線の利用客が減る。
  2. JR桜島線や大阪メトロ中央線が舞洲まで延伸されていただろう。
    • 舞洲自体も発展していた。
  3. ここの学生がUSJでバイトすることが多くなっていた。
  4. 曲がりなりにも大阪市内にメインキャンパスを有する大学になっていた。

京都産業大学[編集 | ソースを編集]

  • 当初は福知山市に作る予定でしたが、用地の関係で京都市内となりました。
福知山市
  1. 京阪神からあまりにも遠すぎるので、偏差値は現実よりも低かった。
    • 「産近甲龍」という言葉も生まれなかった。
  2. 一応京都府内だが、京都市からあまりにも遠いので、「詐欺だ」などと言われていた。
大山崎町
  1. 立地次第では島本駅の開業が早まっていたかも。
木津川市
  1. 近鉄けいはんな線が木津へ延びていたかも。

京都精華大学[編集 | ソースを編集]

精華町
  1. 府立大のキャンパスは田辺あたりに存在したかも。

慶應義塾大学[編集 | ソースを編集]

志木
  1. 池袋に近いため慶早戦が史実以上に盛り上がっていた。
  2. 北朝霞利用者の増加による武蔵野線の混雑緩和のため、10両編成化や設備改善が行われ、北関東からの通学者の改善のためむさしの号しもうさ号の日中運行も実現していた。
  3. TJライナーはふじみ野ではなく志木に停車していた。川越特急も。
  4. 成増止まりの普通や和光市止まりの地下鉄が志木折り返しまでになっていた。
  5. 慶応志木高校は共学化するか、別学であっても女子部もできていた。

産業医科大学[編集 | ソースを編集]

全般
  1. 九州歯科大に医学部が設置され、「九州医科歯科大」に改称された可能性大。
    • こうなると福岡県立大は田川に設置されないが、福岡女子大と合併で県立大とする構想が出る。
  2. 史実より「西の自治医大」と呼ばれていたかも。
佐賀市
  1. 佐賀医大→佐賀大医学部は設置されなかった。
香川県三木町
  1. 史実の香川医大→香川大医学部の場所に設置された。

創価大学[編集 | ソースを編集]

富士宮
  1. 現実の市民体育館あたりへ立地したかも。

中央大学[編集 | ソースを編集]

海老名に移転していたら
  • 郊外移転の候補として海老名市も挙げられていたようです。
  1. 神奈川近辺の志望者が史実よりも多くなっていた。
    • 位置的に東京にも横浜にも行けるため、学生を集める点では史実より少しやりやすかったかもしれない。
    • 史実通り本部も移転していた場合、東京の大学として扱うか神奈川の大学として扱うかで議論になっていた。
      • 東都大学リーグから異動することになるため、東海大のように本部は都内(恐らく後楽園キャンパス内)に残していただろう。
  2. 史実の多摩キャンパスに相当する土地は別の大学が購入していた。
    • 少なくともあそこに明星大以外の大学が無いという事にはならなかったと思う。
    • 明治か法政が入居していたか。
  3. JR相鉄直通線は日中も新宿折り返しではなく、いつでも大宮から海老名までの直通運転が実現していたかも。
    • 東急新横浜線も直通が史実より増えていた。

東京理科大学[編集 | ソースを編集]

北府中
  • 物理学校時代に大学昇格およびその予科設置を見越し校地確保、グラウンドで活用されましたがその昇格が予科設置を伴わず実り東芝への校地売却益で野田キャンパスが設置されました
  1. 地名が「東芝町」ではなく「理大町」となっていた。
  2. 物理学校時代の目論み通り全学部1・2年生が学んでいた。
    • 教養教育組織は全学型と思われるため。
  3. 東芝府中のラグビー部は存在しなかった。野球部やサッカー部も別の場所で活動していた。
  4. 同じくらいの入試難易度で研究分野が似ている調布の電通大と積極的に単位互換や共同研究、図書館の連携を行っていた。
  5. 京王線沿線の偏差値が上がっており、準特急廃止や千歳烏山に特急が停車することもなかった。
  6. かわりに分倍河原への特急停車は史実よりも早まっていた。
  7. むしろ調布や府中への所要時間短縮のため調布までの複々線化が実現していた。そこまではいかなくても仙川かつつじヶ丘あたりまでは複々線になっていた。
  8. 武蔵野線は10両編成化が実現していた。
  9. 西武多摩川線も理科大まで延伸していた。
    • むしろ国分寺までのばして他の西武線と接続していた。
  10. 学生の親のクレームで府中競馬が移転し、かわりにボールパークができていた。
    • 競馬跡に府中刑務所も移転し他所の集約を念頭に大型化、ボールパークが刑務所跡にできたかも。
  11. 野田キャンパスが設置されないのはもちろん、史実で廃止になった久喜キャンパスや九段下キャンパスも最初から作られなかった。
  12. 神楽坂、府中、葛飾、長万部の4キャンパス制になっていたか。(経営や数学、情報系の3、4年が神楽坂、工学や薬学系の3、4年が葛飾)
    • 長万部以外全て東京都内になっていた。
    • 長万部は大学院の特定目的(主に寒冷地)実験向けと位置付けられた可能性も。
  13. 武蔵野南線の旅客化が実現していた。

法政大学[編集 | ソースを編集]

多摩キャンパスへの本部移転に成功していたら
  • 学生運動等の反対が無ければ、文学部と経営学部も多摩キャンパスに移転する予定だったらしい。
  1. 青学と違って学部でキャンパスが異なるので、史実以上に偏差値が下がっていた。
    • 多摩モノレール開業を境に中央大にかなりの面で差を付けられていた。
      • 中央大が法学部を都心回帰させるのに追従して、一部学部の市ヶ谷への回帰が検討される。
  2. ボアソナードタワーが建設されたかどうか怪しい。
  3. 多摩に所属する学生の数が史実よりも多くなるので、バスだけでは学生を捌けなくなっていた恐れがある。
    • 高尾駅と橋本駅を結ぶ鉄道延伸が実現していたかも。
      • かわりに相原、めじろ台ゆきのバスは激減していた。
  4. 現代福祉学部は誕生しなかった可能性が高い。
    • 史実通り新規学部を増やしていた場合、工学部の小金井への集約が早まっていた。
  5. 京王の特急改悪は史実ほどではなかったかもしれない。むしろキャンパスの近くまで延伸を実現していたかも。
    • 準特急もなくならず、特急は千歳烏山に停車せず、つつじヶ丘までの複々線化も実現していた。
  6. 24時間飲酒可能という法政のすごさは、史実より早く失われていた。
  7. 靖国神社と朝鮮総連と法政大学中核派が三つ巴のバトルを繰り広げる姿は見られなくなっていた。
  8. 文連はもちろんつみつくりや野宿などの反体制サークルも史実より早くなくなってしまっていただろう。
  9. 京王線相模原線は城山、館が丘を経由して高尾に合流する形の延伸が実現していた。

明治大学[編集 | ソースを編集]

スポーツパークの設置が撤回されなかったら
  • 多摩テックの跡地に新キャンパスを作る計画があったが、色々と問題が発生し中止になってしまった。
  1. 中野キャンパスと同時に開設できるように、建設ペースが速められていた。
  2. 計画通りスポーツ学部が新設されていた。
    • 場所とコンセプトの関係上、他の学部が移転してくることはおそらく無い。
    • 開設後に「スペースにまだ余裕があるので、アクセスが不便な明大中野八王子もここに移転するのではないか」と言う根も葉もない噂が飛ぶ。
      • 中野学園が2010年代、附属校強化で大学本体に合併されたかも。
  3. 豊田と平山城址公園まで連絡バスが運行されていた。
    • 一応生田以外の全キャンパスに乗り換え無しで行けるので、体育会からはそこそこ重宝される。
    • 京王の特急改悪は史実ほどではなかったかもしれない。
文系学部も学部別にキャンパスが分かれていたら
  • 史実では文系学部は1・2年が和泉→3・4年が駿河台を拠点としています。
  1. リバティータワーが史実通り建設されたかどうか怪しい。
  2. 和泉キャンパスも新宿にほど近く利便性が高い事から、キャンパスで偏差値が大きく異なるという事態にはまずならない。
  3. 駿河台でも学祭が開催されていた可能性がある。
  4. 国際日本学部は和泉から中野に移転しなかった。
  5. 総合数理学部は生田キャンパスに出来ていた。
おゆみ野
  • 学園前駅はキャンパス開設を見越し命名されました。
  1. 農学部が生田から移転してきた可能性大。

立教大学[編集 | ソースを編集]

新座キャンパスにすべての機能を移転していたら
  1. 池袋の好立地は再開発されていた。
    • もしくは、東上線の北池袋の車両基地を立教大学跡地に移転し、埼京線北池袋駅ができてJR・東武共同で車両基地跡地を再開発していたかも。
  2. 志木駅にすべての優等列車が停車していた。
  3. 4市合併構想は住民投票で和光市住民が反対しなかった。
  4. 立教の野球部が史実より人気が出て強くなっていた。(野球部は新座であり、新座に人が集まるため)
    • 多田野が史実以上にいろいろな意味で有名人になっていた。
      • 多田野の×××××が史実以上に有名になっていた。