コンテンツにスキップ

もし相模鉄道を京浜急行電鉄が経営していたら

  1. 相鉄は遅くても1968年の都営直通以前に標準軌・1号線規格に改軌されていた。
    • 1950年代には標準軌に改軌されていた可能性が大きい
  2. 旧相鉄横浜駅は改軌と同時に移転されていて、西船橋〜平沼橋間で分岐し、国鉄線をオーバーパスし、京急線に合流し、分岐点〜横浜駅まで複々線化
    • 横浜駅は2面2線ではなく、少なくとも2面4線はあった。
    • 「西船橋」ではなく西横浜ですよね?
    • 星川の立体交差化が行われても西横浜に電留線は設置されなかった。
      • 神中線の車両も新町検車区に留置するようになっていた。
    • 旧平沼駅の遺構が跡形もなく消えたかもしれない。
  3. 相鉄線の駅は20m車10両対応ではなく、18m8両ないし18m12両対応になっていた。
  4. 相鉄新横浜線はそもそもとっくに京急経由で都心直通をしているので存在しない。
    • そもそもJR・東急等と軌間が違う
  5. 相鉄本線は神中鉄道時代の名残で京急神中線と呼ばれる。
  6. 戦後の相鉄車両は1000系・2000系・3000系以外は全て京急の車両である。
    • 改軌時期が1950年代前半の場合:
      • 相鉄2000系は車種が雑多なため、多くは改軌前に廃車。状態の良い一部車両が改軌後に残留し、京急41号形以前の木造車を置き換え。
      • 相鉄1000系(元小田急モハ1)は鋼製の小型車で、9両全て改軌後、70年代前半まで京急に在籍した。後年は支線線区のみで使用された。
      • 相鉄初代3000系(元国鉄モハ63)は、改軌後も神中線専用として1960年代まで運用されていた。横浜駅折り返しの神中線内区間運用が行われていた。
      • 改軌後から京急車が神中線に使用されていて、神中線と京急本線の間で直通運転が開始された。
      • 改軌後は京急の新性能車の発注数が神中線もカバーするため増えているえいる。
    • 改軌時期が1960年代の場合:
      • この場合、改軌が浅草線直通前まで遅れていた。
      • 相鉄1000系、3000系は改軌時に廃車されている。
      • 相鉄2000系は史実で行われた形態統一工事を受けていて、1970年代まで京急線内で運用されていた。
      • 需要の増加に対応するため、京急600系(2代)の狭軌・3ドア版が1960年に神中線に投入されていて、改軌後1980年代後半まで運用されていた。
    • 改軌がいつになるにせよ、改軌後は全車基本的に京急車と共通運用である。改軌後に投入された新車は京急線・神中線両方に対応している。
  7. 都営浅草線(1号線)に直通列車が多数運転されていた。
  8. 種別は快特・特急・エアポート急行・普通が存在する。
    • 普通は基本神中線内運用で、横浜や神奈川新町で折り返す。
    • エアポート急行は京急本線系統からのと同様に空港線に乗り入れ、羽田空港に向かう。
    • 快特・特急は全て京急本線に直通し、都営線・京成線に直通するものも多い。
  9. 京急本線(横浜以東)の線路容量が今以上に逼迫していた。
  10. 逝っとけダイヤが更に悪化する。
  11. 相鉄厚木線は改軌時やそれ以前に廃止される。
    • 米軍厚木基地への貨物列車は早期に廃止されていた。
  12. 海老名・大和で新宿方面の小田急と品川・東京方面の京急で棲み分けが行われていた。
  13. いずみ野線はいずみ野までの開業は史実通りだったかもしれないが、そこから先延伸はされなかったかも。
  14. 現実の相鉄ローゼンは京急ストアの店舗になっていた。
  15. 久里浜工場で検修を行うため、かしわ台車両センターは存在しないか留置線としての機能を持つだけだった。
    • そもそも大塚本町駅が廃止されなかったかも。
      • 史実通りさがみ野駅とかしわ台駅が開業した場合、北馬場・南馬場両駅を統合した新馬場駅と対比されていた。