ざんねんな作家事典

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あ行[編集 | ソースを編集]

石川啄木[編集 | ソースを編集]

  1. 文豪三大外道と呼ばれるダメ作家の中でも、ざんねんエピソードの質量ともに1位をひた走る男。この人よりクズな作家はおそらく、今後も現れないと思われる。
  2. 「はたらけど はたらけどなお わが暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る」で有名だが、以下のエピソードを見れば「ならない方がおかしい」と感じていただけると思われる。
    • 残っている写真からわかる通り童顔で女性にモテたが、あまりにモテすぎており、芸者を何人も侍らせていた。
      • FURIN GA BARENAI YOU NI RO-MA JI DE NIKKI WO KAITE ITA。DAGA TAKUBOKU GA SHINDA ATO KAMISAN MO BENKYO SHITE ORI ZENBU BARETE SHIMATTA
    • その結果、お金が稼いだそばから昇天していき、知人という知人から借りまくった。
      • 友達に「おごるから」といって酒を飲みにつれていき、何件もはしごした挙句、勘定はツケと称してその友人に払わせ、しかも交通費まで揺すった。もはや強盗である。
        • さらにその金で女遊びして歩いて帰った。
      • 生涯の借金は今のお金で数千万に及ぶという。
        • 北海道新聞の特集記事「啄木の風景」では推計1400万円。いずれにしろ、個人で抱える借金としてはデカい。
      • 「一言も言い訳できません」と前書きした手紙で、言い訳を1m33㎝も書いたという。
  3. 母親に甘やかされていたため嫁姑問題はメチャクチャに脱線しまくり、嫁さんは家出するも、結局啄木の友人が呼び返すまで面倒だから放置していた。
  4. しかも中学時代には内申点(のようなもの)がズタボロで、最終的にカンニングがばれて先生から怒鳴られ退学になっている。
  5. 「俺に頭を下げさせたヤツらはみんな死んじまえ」という趣旨の短歌を残している。
    • 一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと(『一握の砂』より)
  6. 添削・批評を優先扱いにしてくれるだろうと企んで女のふりをしていた男性ファンに、ものの見事に騙された。
    • 「良太郎」という男が「良子」と名乗って自分の作品を送っていた。知り合いだった芸者の写真も添えて。
    • 後々バレたのだが、啄木は以後も彼宛て手紙の宛名書きを偽名のままで送る嫌味をかますなど、かなり怒っていたようである。

石原慎太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 『太陽の季節』で芥川賞を獲るなど腕は確かだが、すさまじく字が汚かった。その汚さは版元が「慎太郎係」という専任の校正係を配属させるほどだった。
  2. 戸塚ヨットスクールの創始者や相模原市障害者施設殺人事件の犯人を擁護する発言をしてしまう。
  3. 自民党以上のガッツリ保守寄りでも新宗教に強く出られない政治家が多いのは、この人に一因がある(既に広く知られているが、法華宗系の大規模新宗教・霊友会と昵懇の仲だったため)。

井上ひさし[編集 | ソースを編集]

  1. 作品へのこだわりから、とんでもなく筆が遅かった。その遅さは『笑点』で「また井上ひさしに原稿頼んだんだろう」とネタにされるほどだった。
  2. また筆が進まなくなると妻を殴るなどし、あまりにも激しいDVによって妻に逃げられることにもなった。
    • 編集者は原稿ほしさに「あと2、3発殴られてください」などと煽った。
  3. 「九条の会」の会員で、徹底した天皇制批判論者であったにもかかわらず、文化功労者を辞退せず、芸術院会員にもなったことは批判の種になっている。
  4. とにかく政治家に対する批判が多く、『私家版 日本語文法』でも文法の解説にかこつけて政治家批判を展開していた。

井伏鱒二[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカの児童文学『ドリトル先生と秘密の湖』の日本語訳を担った際、ニジェール川にあたる河川の名を「ニガー川」と表記。さすがにこれはアカン。
    • 本人が没して8年後、この件で版元にクレームが入る。結局は翻訳ミスという落としどころで、以後の重版では修正された。
  2. 太宰治に『富嶽百景』で三つ峠の頂上で放屁したと書かれネタにされてしまう。
    • さすがに本人は屁などこいてないと太宰に抗議したがいいや確かにこきましたと強弁されて、自分でもあの時屁をこいたのかこかなかったのか分からなくなったらしい。

岩井志麻子[編集 | ソースを編集]

  1. 岡山の黒アワビ。
  2. 本業はホラー作家なのだが、あまりにもヒョウ柄と下ネタのイメージが強すぎて…。
  3. 胸いっぱいサミット(関西テレビ)で「韓国人は手首切るブスみたいなもん」と発言し、番組側が謝罪する事態となってしまった。

内田百閒[編集 | ソースを編集]

  1. 世の中に 人の来るこそ 嬉しけれ とは言うものの お前ではない
  2. 子どもレベルの悪戯をやらかしては、へこへこ謝ってくる場面がエッセイの中にもある。
    • 例:墓地から何本も卒塔婆を引き抜いて、知人宅に並べてくる。
  3. 乗り鉄趣味全開の『阿房列車』など、マニアックな嗜好丸出しの随筆も多い。
    • ただ、横で見ている分には面白いが、同行者にはなりたくないと思わせる記述も少なくない。
      • 「自分の乗っていた列車が遅延し接続を取りそこなった」状況で、駅員にクレーム付けたりブツブツ文句言ったりする描写が文庫本で7ページにわたって続く場面がある。
  4. 他人をdisるときの表現が(笑えてしまうけど)いちいち強烈過ぎる。
    • 「死んだ猫に持ち手を付けて下げた様な汚いボストンバッグ」ってどんなモノなのよ……

遠藤周作[編集 | ソースを編集]

  1. しょっちゅういたずら電話をかけて阿川弘之・北杜夫・佐藤愛子ら作家仲間をからかっていたが、あるとき自分が騙された
    • 「あるフランスの作家が亡くなったので追悼文を書いて欲しい」と頼まれ、言われるがままに書いて原稿を渡したが、原稿料は払われず完全なただ働きをさせられた。
      • それ以来遠藤はきっぱりといたずら電話をやめた。
  2. 対談の相手に教えた「自分の電話番号」が、実際には東京ガスの事務所だった。

大江健三郎[編集 | ソースを編集]

  1. 作家であるにもかかわらず、言葉狩りを積極的に是認する趣旨の主張をしてしまったことがある。
    • もっとも、家庭の事情(知的障害を持つ子がいる)により障害に関する描写に対し中立的立場にいることができないという事実は考慮が必要。
  2. 作家デビューしたころ、防大生を「恥辱だ」と新聞に書いたことがある。
  3. ノーベル文学賞の受賞が決まり、文化勲章の授与も打診されたが、「戦後民主主義者」という理由で辞退。しかし、スウェーデン国王からノーベル賞をもらうのはいいのかと二重基準に思われた。
  4. 右派の作家とされた阿川弘之だけでなく、左派(進歩は)のジャーナリストの本多勝一とも犬猿の仲と言われた。
    • 後者に対しては、大江は従軍慰安婦について肯定的だったのがその理由らしい。
  5. 北朝鮮を訪問し、帰国後に「自分には帰る朝鮮がない」と発言した。
  6. 秦郁彦によれば、中国の核実験に喜んでいたという。

か行[編集 | ソースを編集]

北杜夫[編集 | ソースを編集]

  1. 躁鬱病を世に知らしめた存在として名高いが、本人にとっては諸刃の剣だった。
    • 最終的にはこの病気のせいで株に手を出し、自己破産する羽目になってしまった。

さ行[編集 | ソースを編集]

斎藤茂吉[編集 | ソースを編集]

  1. すさまじい癇癪持ちで、「俺と戦う者は必ず死ぬ」とまで言い放った。
    • そのくせ外面はよく、家族や内弟子にのみ雷を落としまくったため、妻に浮気された挙げ句それが新聞にすっぱ抜かれてしまう事態に陥った。

佐藤大輔[編集 | ソースを編集]

  1. 死去した後に遺族の意向で彼が手掛けていた一部の作品が封印されてしまう。
  2. 大の遅筆としても知られ、亡くなった時点で完結まで至ったのは『征途』しかなかった。
    • 90年代のある歴史雑誌のインタビューでは「9月に出す本は9月に書くんです」と語っている。

椎名誠[編集 | ソースを編集]

  1. エッセイにおいてキセル乗車をしていたことを自慢げに書いていた。(むろん犯罪である)

島崎藤村[編集 | ソースを編集]

  1. 「破戒」の執筆にのめり込みすぎて家を生活困窮状態にし、子ども3人が次々と栄養失調で亡くなる事態に。
  2. 妻が亡くし家事に困っていたところ、見かねた兄が娘(藤村から見て姪)を派遣してくれたが、手を出して孕ませた。
    • 責任を取るどころか海外逃亡し、現地での生活を「仏蘭西だより」として新聞に掲載。3年余り日本に帰ってこなかった。
    • 帰国後に禁断の関係を再燃させてしまう。さすがに今度はまずいと思ったか清算を試みるが、その方法が経緯の一切合切を小説のネタに取り入れて発表することだった。その作品が『新生』である。
      • こうしたあまりのゲスぶりに芥川龍之介は強い不快感を示し『「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった』と非難した。
      • 姪自身の手記によると、「叔父に都合の悪い場所は可及的に抹殺されている」。

島田清次郎[編集 | ソースを編集]

  1. 弱冠20歳にして自著『地上』第一部が3万部の販売高と当時としては大ヒットを記録、続編も同じような売れ行きを見せ、著作は即日完売、重版に次ぐ重版と一躍文壇の寵児となった。
    • 同作は生田長江の激賞を勝ち取って大正時代最大ともいわれるベストセラー作家となり、若年層の圧倒的な支持を得た。
      • また、出席した国際ペンクラブの第一回大会で日本人初の会員に推され、『地上』の翻訳出版も決定する。
  2. しかし「精神界の帝王」や「人類の征服者」と自称するなどの不遜な発言や奔放な女遊び、ソビエト的な社会主義を標榜しながら豪勢な生活を送っていたなどの言動が文壇で顰蹙を買う。
  3. さらに、舟木錬太郎海軍少将の令嬢を誘拐、監禁、婦女暴行するという事件が起こり、結局無実として告訴取り下げとなったものの、このスキャンダルにより人気が失速する。
    • 出版社からは作品を受け取ってもらえなくなったうえ出入り禁止を喰らい、新作『釈迦』は紙型工程までできあがっていたものの、結局未刊に終わってしまった。
  4. その後も吉野作造や菊池寛の自宅に押し掛けて居座るなど問題行動が多く、結局精神病院に収容されてそこで生涯を閉じた。
    • 絶筆となった自伝的長編小説『母と子』も未発表に終わった。

鈴木三重吉[編集 | ソースを編集]

  1. 中原中也に匹敵するレベルの酒乱。
    • 酒癖が悪すぎて師匠である夏目漱石に「酒をのむならいくら飲んでも平生の心を失わぬ様に致したし」と叱責されたり、雑誌『赤い鳥』に寄稿していた北原白秋から絶交を言い渡されたりした。
    • 師匠たる漱石、高浜虚子や寺田寅彦といった先輩たちには手向かいしない代わり、芥川龍之介、内田百閒、小宮豊隆、森田草平といった自分と同じ漱石山房の門弟たちには散々からんだ。あるときなど芥川が「前にあった刺身の皿を投げつけてやりたいくらい腹が立った」と述懐するほど。

瀬戸内寂聴[編集 | ソースを編集]

  1. 大学在学中に結婚して子供を産んだのだが、ある時夫の教え子と不倫し夫や自分の子を捨てて不倫相手と京都に逃げてしまった。
  2. 一時期犯罪被害者の会の設立に協力するなど犯罪被害者への支援を行っていたが、死刑反対のシンポジウムに参加した際に死刑反対を表明したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と死刑を望む被害者遺族を批判するような発言をして彼らから抗議を受けた。

曽野綾子[編集 | ソースを編集]

  1. 産経文化人。それだけで残念。
  2. アパルトヘイト容認などの差別的な発言の数々で、かつてそれなりにあった功績を無にしている。

た行[編集 | ソースを編集]

太宰治[編集 | ソースを編集]

  1. 文豪三大外道「軟弱の太宰」。
    • 豆腐メンタルな文豪は数多くいるが太宰はその極地であり、生涯に5回も自殺を図り、最後の1回で本当に死んだ。
    • しかもそのたびに女をとっかえひっかえしており、2回目の自殺は心中だが相手の女だけ死んだ。
      • 内縁の妻が「初代」で翌年別の女と結婚するって何かのジョークかこの野郎。
  2. ちなみに「走れメロス」は借金取りから走っていた当時の太宰自身がモデルである。
    • メロスは帰ってきたが、太宰は人質解放の締め切り日まで逃げ惑い、井伏鱒二と将棋を打っていた所を借金取りに捕まった。
  3. 作風(あと顔も)が似ている芥川龍之介を尊敬し、芥川賞を欲しがっていたが生涯取れず、「なんでくれないんだよ」と抗議の手紙を送る。
    • しまいには審査委員の川端康成の「作品はともかく本人の生活態度が気に食わん(意訳)」という発言を受け、「てめえ、ぶっ殺してやる」という手紙を送った。小学生か。
    • さらには「佐藤春夫から受賞の確約をもらっている」というトンデモアピールを『新潮』に掲載。佐藤からは即刻否定された。
  4. 一部のゲーマーにはコロンビアで軍人をしているとネタにされる。
    • ハーツオブアイアンIIに登場するコロンビアの総合参謀総長候補に「カミロ・ダーサ・アルバレス」という人物がいて、スタッフがネットで検索してよく確認せずに彫りの深い男の顔を当てはめたらそれが太宰治の肖像。

谷崎潤一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 何と言っても「細君譲渡事件」が強烈。
    • 結婚→嫁の妹と浮気→ある同業者が嫁を不憫に思って接するうちに本気の関係になる。
    • 最終的に和解するが、嫁も含めた当事者3名の連名状として結果報告の声明文を公開。
    • しかも谷崎は翌年に、嫁の妹とは全く違う女性と再婚。
  2. 芥川龍之介が「『話の筋の面白さ』は作品の芸術性を高める材料にならない」と発言したことに強く反発。5カ月にわたってそれぞれの投稿論文で激論を繰り広げるも、芥川の自殺により決着が付かないまま終わった。
  3. フェティシズムやマゾ的嗜好丸出しの男を描いた作品が多い。
    • 『痴人の愛』や『春琴抄』は特に……
      • ちなみに『痴人の愛』のヒロインであるナオミの外見に関する描写を精査すると、実はぽちゃな体格で顔立ちも田舎くさい(本文でも「いまいちイモい」)らしい。

筒井康隆[編集 | ソースを編集]

  1. 出たがり。
    • とにかく自分の作品が舞台・映画・ドラマになるたびに(チョイ役・メインキャスト問わず)出演している。出演しなかったのはほぼ『時をかける少女』のみ。
      • 小説家以前は役者志望であり、日活のニューフェイスに応募するも落選している。
      • 外国映画が大好きなあまり、少年期では木戸銭を工面するため親の私物をたびたび盗んで売っていたことをエッセイで公表している。
      • 自身のエッセイで「自分の作品には、自分が演じたいと思う登場人物しか出さない」という意味のことを言っている。
    • かつて有限会社形式の劇団を所有しており、そこで演じることを前提にした戯曲作品も多く執筆した。しかし、5000万円もの負債で倒産している。
    • 映画好きが高じて『美藝公』という作品を執筆したが、映画への思い入れが強すぎて映画好き以外を拒絶するような作品になってしまった。
  2. 実の両親(特に父親)との関係が極めて険悪だった。
    • 父親に対して「役人崩れの糞爺い」とさえ言い放ったことがある。
  3. すぎやまこういちと並び立つ、煙草大好きを公言している著名人の一人。
    • 世間の嫌煙ムードを皮肉って書いた小説が「最後の喫煙者」。「世にも奇妙な物語」で映像化もされていて、例によって本人も(主人公ではないが)愛煙家の役で出演している。
  4. 直木賞には3回(1967年下期・1968年上期・1972年上期)ノミネートされたが、いずれも受賞できなかった。
    • 但し1968年上期の「アフリカの爆弾」は選考委員の松本清張が「これが受賞作でも不満は無かった」と評価されていたが、反対意見も多く結局受賞作なしということに。
      • 反対意見の中には、そもそもこれは文学ではないという身も蓋も無い論評まであった。
    • 後にこの経験から、作家志願者が文学賞(直廾賞)の選考委員を次々と殺していく小説「大いなる助走」を執筆した。
  5. 同業者である作家を貶すことは少ないが、文芸評論家は糞味噌に罵倒するというダブルスタンダード。
    • あまりにも猛烈に貶す(批判に関しては一応筋が通っているのだが)ため、現在では周囲にイエスマンしか残らず、まともに批評されなくなってしまっている。
    • はっきり言って「身内には甘すぎるほど甘い」。
  6. 韓国の従軍慰安婦問題について、慰安婦像の少女に対して性的な表現を含む発言をし、韓国から猛烈な批判を浴びたことがある。
  7. 漫画を連載していたこともあったが、どうしても1ページ分が埋まらず、やむを得ず自分の顔写真を指名手配風にして掲載した。
    • これを見た手塚治虫は「これはずるい。この1ページ分だけ原稿料をやるな」と言ったという。
  8. 躁鬱病の気があり奇行が多い。ネタに詰まった挙げ句、自分が出した●ン●をナイフで2つに切って断面を観察し、短編を1本仕上げた話は有名。
    • この様子を見た夫人は「とうとうこのひとも気が違ったか」と思ったそうである。

な行[編集 | ソースを編集]

中村うさぎ[編集 | ソースを編集]

  1. 可愛いペンネームに騙されてはいけない。90年代のライトノベル黎明期を駆け抜けた作家の一人であるが、行き過ぎた浪費癖により何度も破産寸前に陥っている。
    • 当人もそのことをノンフィクションで何度もネタにしている始末。
  2. 後輩の倉田真由美から「500m歩くだけで死にかける」とまで言われるほどのモヤシ体質。
    • さらに2013年にはスティッフパーソン症候群という100万人に1人しか罹患しないほどの難病に襲われている(一命は取り止めた)。
  3. 現在ではもはや全くライトノベルには携わっておらず、エッセイの方がライトノベルより多い。
    • まともに完結させたのが『宇宙海賊ギル&ルーナ』くらいしかない。代表作の『ゴクドーくん漫遊記』はアニメ化もされ無事完結したかに思えたが、外伝は「地獄に落ちた亡者ども 前編」で打ち切り。

中原中也[編集 | ソースを編集]

  1. 文豪三大外道「酒の中原」。
    • とにかく柳生十兵衛もかくやというくらい酒癖が悪く、太宰に対してはのび太をいじめるジャイアンも震え上がるレベルで絡み酒にひた走っていた。
    • 青山二郎の義弟のバーで、あまりに暴れまくるせいで1年で閉店まで追いやった。
    • しかも酒乱の癖に、大柄な坂口安吾にはどんなに酔っぱらってもガチ絡みはしなかった(中原は151㎝の小男だった)ため指さして嗤われたらしい。
    • 酒席で檀一雄と乱闘になった際、草野心平に助太刀してもらったが、中原は草野のことを陰では「くだらぬ詩人」と罵倒していた。

は行[編集 | ソースを編集]

橋田壽賀子[編集 | ソースを編集]

  1. 非常に長い台詞を書くことで有名。
    • 台本1ページ越えも珍しくなかった。
    • その長台詞のため、頭に白髪が生えたという女優もいた。
  2. 現場と衝突することが度々あったという。
    • ある出演者から「時間が押して次の仕事に間に合わない」という声も出た。
    • NHKのドラマ「春よ、来い」では主演女優が降板した。
  3. 「早稲田大学卒業」でなく、実際は「中退」だったことが分かったため、学歴詐称が発覚した。
  4. 「させていただきます」という珍妙な謙譲語もどきの表現が平成後期以降に定着してしまったのは、彼女が渡鬼の脚本でこの表現を多用したことが原因のひとつとされている。

百田尚樹[編集 | ソースを編集]

  1. 出たがりバラエティ構成作家から小説家(笑)への出世作「永遠の0」はコピペ作品だった。
  2. コピペ愛国ポルノに感銘を受けた安倍晋三と意気投合してお友達となってしまい、以後分不相応な地位に上がっては暴走の日々を送っている。
  3. 同類であるやしきたかじんをダシにした「殉愛」で失望されたが、激甘な業界や総理のお友達なので普通に失職もせずにいられている。
  4. しかし「海賊と呼ばれた男」のイベントでは素行の悪さを忌避されて呼ばれなかった。
  5. ついにはコピペで作られた「日本国紀」でネトウヨ以外からは笑い物となった。
  6. トランプ大統領が再選しなければ作家をやめる、と言いながら実際敗戦しても言い訳をして辞めなかった。しかもこういうことは初めてではなく何度もあった。まさに「辞める辞める詐欺」。
  7. 自身が関与したある政治運動に重大な違法行為があったと発覚するも、「知らんがな」と逃げた。
    • 一部では「もうけが無いから逃げた」とおちょくられる事態に。
  8. 社民党の土井たか子氏が亡くなった際にTwitterで「酷い売国奴だった」と発信し、非難された。
    • 左翼は勿論、右翼の方々からすら「(立場の違いはあれど)亡くなった直後くらいはそっとしておいてやれよ」と酷評される始末…。
  9. 2014年の東京都知事選挙では田母神俊雄氏以外の候補のことを「人間の屑」と発言して激しいバッシングを受ける。
  10. 「わざと下品な言動を繰り返すことで右翼のイメージダウンを狙っているのではないか?」という説もあるのだとか。
  11. アンチ岸田文雄が行きすぎて右からも害悪扱いを受ける
  12. LGBT理解促進法成立に激怒して有本香と真の保守政党を作るがやってることは極右のそれ。誰が呼んだが右のれいわ新選組。

福島正実[編集 | ソースを編集]

  1. 日本にSFという文学ジャンルを普及させた「SFの鬼」とも呼ばれた作家であり「SFマガジン」編集長でもあるが、覆面座談会事件(詳しい内容はこちら)において当時の人気SF作家たち(星新一、小松左京、筒井康隆、眉村卓ら)を遠慮なく批判したため、その作家達と絶縁、勤めていた早川書房を退社する羽目になっている。
    • 早川退社の際「SFマガジン」に載せた挨拶文では「批評を嫌うようなら小説なんぞ書くな」「批評されただけで書けなくなるような小説家は消えろ」とまで言い捨てている。
    • この事件は当時のSF系作家から相当根深い恨みを買ってしまい……
      • 福島の早川書房退社に伴う壮行会への出席を大多数が拒絶した。
      • 福島が設立していた児童文学作家のサークル(「創作集団プロミネンス」の前身団体)からSF系作家が多数離反した。
      • 座談会参加者の一人は、7年越しで身元を暴かれた。
      • 事件から約10年経った頃に創刊された雑誌でも、編集長が福島と親交を持っていたことを理由に寄稿を拒否される事例があった。
      • 豊田有恒は高斎正や矢野徹から「恩人にここまで書くのはやめろ」「これを発表するとあんたにも良くない」などと忠告されるほどの抗議文を雑誌に載せようとした。
      • 筒井康隆が自分への批判に過剰なまでに敏感な理由としてこの事件が原因とされることもある。
      • 星新一は「飼い主が飼い犬の尻に噛みついたようなもの」と評した。
      • 小松左京は『SFマガジン』編集部に抗議文を寄せ、「匿名に隠れて他人を批判するのは闇討ちのようなものだ」と非難した。
  2. SFというジャンルを日本に根づかせるため、様々な人物と交流したりしていたが、なぜか漫画だけは関わり合うことをしなかった。

星新一[編集 | ソースを編集]

  1. 「ショートショートの神様」とも呼ばれたSF作家だが、何故か星雲賞(SFファンが選ぶ年間ベスト賞)を一度も受賞できなかった。
    • 1984年には有志のSFファンから「星雲賞特別賞」を受賞される予定だったが、星側が寸前になって受賞を拒否してしまった。
      • 手塚治虫(1989年没)や小松左京(2011年没)らは没後に星雲賞特別賞を受賞したが、何故か星の死去時は授賞されず…。
    • 本人も自らの作品を「寓話」と位置づけていたので、もはやSF作家とはみなされていなかったのではないだろうか。
  2. 生前は自らの作品の映像化を殆ど許さず、アニメ化の話を持ちかけたガイナックスに対しては「自分の作品がいじられるのは真っ平御免だ。やるなら俺が死んでからにしてくれ」と断った。

ま行[編集 | ソースを編集]

三島由紀夫[編集 | ソースを編集]

  1. 太宰治のことを嫌っていたが、最終的には太宰と同じ最期に行き着いた。
  2. 典型的なナポレオンコンプレックスで、ボディビルを始めたのも貧弱な体躯を克服するためだった。
    • 子供のころは虚弱体質で、綽名は「蝋燭」「アオジロ」だった。
  3. の形状が苦手で、「蟹」という漢字を見るのも怖くて駄目だったが、むき身の蟹の肉や缶詰の蟹は食べることができた。
    • 但し蟹の絵のパッケージは即座に剥がして取っていたという。

三谷幸喜[編集 | ソースを編集]

  1. 高名な喜劇作家だが、凄まじいまでの遅筆。これによって関係の悪化など色々と不都合をかこっている。
  2. 元々小劇場系の劇団から名を挙げてきたので、橋田寿賀子と並んで「壮大なスケール」の作品とは無縁。
  3. 大河ドラマの脚本を3作執筆したが、執筆したすべての作品の出演者が事件を起こし、逮捕され、お蔵入りとなってしまった。
  4. アニメ『サザエさん』の脚本を何本か書いたが、タラちゃんがドーピングで筋肉ムキムキになる話を書いたため、プロデューサーの怒りを買い、二度と書けなくなった。
    • 観月ありさの実写版では伊佐坂先生を演じた。

向田邦子[編集 | ソースを編集]

  1. 高名な脚本家、エッセイスト、小説家だが、凄まじく悪筆な上に遅筆。
    • 向田のシナリオを清書し印刷する懇意の印刷所が存在したが、それでも誤植することも珍しくなかった。
      • 一例では「狼狽」を「猿股」と誤植され、演じていた女優がどういう表情すればいいんですかと聞くレベルだった。
  2. 遅筆が原因でドラマの出演者と喧嘩になったこともある。

森鴎外[編集 | ソースを編集]

  1. 世界に通用する名前にしようとして子供・孫の名前に現代で言うキラキラネームを付けてしまう。
  2. 本業は医者で陸軍軍医として活動したこともあったが、脚気対策に良いとされる麦飯を提供しなかったため陸軍から大量の脚気患者・死者を出してしまった。
    • 明治時代の医療界では脚気を細菌性疾患とみなす説が一定の支持を得ており、なおかつオリザニンを発見した鈴木梅太郎が農学者であったという事情もあり、栄養欠乏症であることを頑なに否定していた。
  3. 変に論争好きなところがあり、本職の医学はおろか文学関連でも論争を吹っ掛ける悪癖があったが、大抵論破されてしまうレベルだった。
  4. 『舞姫』におけるエリスの悲劇は、ほぼ実話(つまり本人が海外留学中にやらかした)らしい。

や行[編集 | ソースを編集]

山崎豊子[編集 | ソースを編集]

  1. 『白い巨塔』『華麗なる一族』『沈まぬ太陽』など映画化・ドラマ化された作品を数多く執筆した人気作家であるが・・・。
  2. 参考資料に対する脚色をほとんど行わなかったため、頻繁に盗作疑惑をかけられた。
    • 1968年(昭和43年)、『婦人公論』に連載中だった長篇小説『花宴』の一部分がレマルクの『凱旋門』に酷似していることを指摘された。山崎は秘書が資料を集めた際に起った手違いであると弁明したが、その後さらに芹沢光治良『巴里夫人』や中河与一『天の夕顔』からの盗用も判明。その結果日本文芸家協会からの脱退を余儀なくされている(1969年に再入会したが)。さらに、その責任を取って婦人公論の編集長が辞任することに。
    • 1973年には『サンデー毎日』連載中の『不毛地帯』において、今井源治『シベリアの歌』からの盗用があるとして問題になった。
    • 1987年から文藝春秋で連載された『大地の子』をめぐっては、当時筑波大学教授だった遠藤誉から自著『卡子(チャーズ)―出口なき大地―』に酷似しているとして訴訟にまで発展した(裁判では遠藤の主張は認められなかったが)。

山田悠介[編集 | ソースを編集]

  1. 作家なのにもかかわらず文章・構成がめちゃくちゃ。
    • 特に彼の代表作でもある「リアル鬼ごっこ」の文芸社版の初版は文章が破綻しているところがいくつも見受けられた。
      • なおその後出された文庫版では幾分かましになっている模様。
      • ちなみに本人は学生時代まともに読書したことすらなかったらしい。
  2. 彼が書いた小説は作中で大量に死人が出るものばかり。大概国家権力に殺害されるパターンなのだが、殺す側も支離滅裂な思考をしている。
    • 例えば上述のリアル鬼ごっこは「同じ苗字の人がたくさんいるせいで自分がオンリーワンじゃなくなるから全員殺せ」(意訳)というもの。

山本弘[編集 | ソースを編集]

  1. 人の粗探しで食ってる人。
    • いわばこのざんねんなものシリーズを商業でやって、それを飯の種にするという手法で儲けてきた。
    • 特に柳田理科雄(後述)への執着は異常で、「いくら叩いても言い返してこない」のをいいことに半ばパブリックエネミー状態で扱っていた。
      • 自身の小説でも「これなら柳田理科雄から突っ込まれやせん」というセリフをキャラクターに吐かせている。
        • ただここにもあるように、自分も相手のミスを指摘する際にミスを犯しており、説得力がガタ落ちになっている。
  2. ただ、明らかに間違った意図で行われているトンデモ言説を声高に否定するという思考は間違っちゃいない。「アポロは月に行ってる」「9.11や3.11は自演ではない」といったアタリマエの事実に対しいや、それは○○の陰謀だと言い出すヤツを断じる書籍を何冊も作っており、そこは(個人の意見としては)評価に値する。
  3. TRPGのリプレイも執筆しているが、作品中での女性PCに対するセクハラが目立った。

吉行エイスケ[編集 | ソースを編集]

  1. 妻のあぐりが107歳まで長生きしたのに対し、自身はわずか34歳で心臓疾患で死去した。
    • 晩年は小説を書くのをやめ株式売買をしていたが、なかなか稼げず美容師をやっていたあぐりに頼りっきりだった。
  2. 新興芸術派の代表的な一人として活躍していたが、死去後に作品を自身の息子の淳之介や妻のあぐりにまで批判された。
    • 淳之介は「自身の父の作品は1つも最後まで読んだことがない」といい、エイスケの全集が発売されるときも「売れるとは思わない」と語っている。
      • 実際その全集は売れずに絶版となり、彼の作品が再び世に出るのは1997年に連続テレビ小説で妻のあぐりを主人公にしたドラマ「あぐり」が放送されるまで待つことになる。
    • あぐりは「作品が難解でわからなかった」と語っている。
    • これについて同時代の小説家伊藤整は「読むに堪える本が新興芸術派にはなかった」と分析している。