もしあのプロレス団体が旗揚げをしていなかったら

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分割済み[編集 | ソースを編集]

国際プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. TBSはNETに代わって日本プロレス→新日本プロレスの中継をしていた。
    • 東京12チャンネルは日本女子プロレス崩壊後、全日本女子プロレスを中継していた。
  2. リキ・スポーツパレスは日プロが買い取り、崩壊まで存続した。
  3. 新日本はAWAに加盟していた。
  4. ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアントなど欧州の選手は来日せず。
  5. 金網デスマッチのような試合は日本で組まれなかった。
    • これを始めるとしたら、新日本か?
  6. ラッシャー木村は新日本の旗揚げに加わっていた。
    • グレート草津は全日本の旗揚げに加わっていた。
    • アニマル浜口、ストロング小林はボディビルダーとしての活躍を続けていた。
    • 鶴見五郎、冬木弘道らは全日本でデビューした。

全日本プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. NETは史実より早く日プロ中継から撤退していた。
  2. 以降の日プロは馬場がトップに収まり、史実の全日本とほぼ同じ道を辿った。
    • 全日本と比べて歴史も長く選手層も厚いため、新日本プロレスは史実以上に苦戦を強いられ、20世紀中に崩壊したかもしれない。

ジャパン女子プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. ジャッキー佐藤、ナンシー久美らの復帰はなかった。
  2. 風間ルミはシュートボクサーとして活動を継続。
  3. 神取忍も柔道界に残ったかも。
  4. キューティー鈴木、尾崎魔弓らは全女に入団しただろう。
  5. グラン浜田、大仁田厚の現役復帰もなかった。
  6. 当然ながらJWP、LLPWもない。
  7. 全女1団体時代が史実より長く続いた。
    • GAEA JAPAN旗揚げで終焉するが、団体対抗戦ブームは起こらず。
      • デビル雅美はGAEA旗揚げに加わった。
      • もしかすると21世紀に入っても女子プロレス団体は全女、GAEA、Jd'の3団体のみだったかもしれない。
  8. 女子プロレスラーのコスチュームは今も一部ヒールを除いてワンピース水着のままかそれがセパレート化していた。
  9. A元康の黒歴史が一つ減る。

FMW[編集 | ソースを編集]

  1. 電流爆破などの過激なデスマッチは組まれないので、デスマッチといえば金網やランバージャック、五寸釘といったもののみだった。
  2. 大仁田厚は邪道ではなかった。
    • 90年代にはフェードアウトしていた。
  3. 全女とFMWの対抗戦もないので、対抗戦ブームは起こらず女子プロレスの歴史も変わっていた。
    • 男女プロレスの交流も史実と比べて消極的だった。
  4. インディーブームも起こらなかったので、団体の細分化も史実ほど進まなかった。

SWS[編集 | ソースを編集]

1990年、大手メガネチェーンのメガネスーパーが豊富な資金を元にプロレス団体・SWSを旗揚げしました。 当時、「マット界に黒船来襲」と恐れられ、その強引とも思える選手引き抜き策が一部マスコミから批判されましたが、もしSWSが旗揚げをしていなかったら・・・

  1. 天龍源一郎をはじめとした全日本プロレス所属選手の離脱はなかった。
  2. 同じくジョージ高野をはじめとした新日本プロレス所属選手の離脱はなかった。
  3. 三沢光晴たちの成長は史実より遅れた。
  4. 阿修羅・原の復帰もなかった。
  5. 「週刊プロレス」がSWSの批判記事を載せることもなく、ターザン山本の全日本プロレスの猛プッシュもなかった。
    • あれは馬場がターザンに握らせたからであって…。
  6. 第2次UWFの解散もなかったか、史実より後になっていたかもしれない。
  7. WWE(当時はWWF)の日本での知名度も史実よりは低かった。
  8. 大日本プロレスも存在しなかった。
    • DRAGON GATEも存在しなかったかもしれない。
    • DDTもたぶんない。

GAEA JAPAN[編集 | ソースを編集]

  1. ≒長与千種が現役復帰しなかったら、であろう。
  2. 史実のGAEA生え抜き組は一部全女、JWPなどでデビューしていた。
  3. 広田さくらはプロレスラーでなく女優として活動を続けていた。

大日本プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. デスマッチの知名度が電流爆破だけになっていた。
  2. 日本人デスマッチファイターが生まれていなかった。
  3. デスマッチのタイトルが生まれなかった。
  4. グレート小鹿は既に引退して居酒屋を経営していた。
  5. 橋本大地は新日に移籍していたかも。

ユニバーサル・プロレスリング[編集 | ソースを編集]

  1. ルチャリブレのスタイルは日本で定着しなかった。
  2. みちのくプロレス、KAIENTAI-DOJO、DRAGON GATEなども存在しなかった。
  3. 史実のユニバ所属選手の多くは新日本でデビューしただろう。

DDTプロレスリング[編集 | ソースを編集]

  1. 日本におけるエンタメ系プロレスはハッスルとともに衰退していた。
  2. 飯伏幸太は新日でデビューしていた。おそらく(プロレス研究会の先輩が新日にいる)HARASHIMAも。
  3. ケニー・オメガも来日しなかった可能性があった。
  4. 高木三四郎が選挙で当選していたらこうなっていた可能性もあった。旗揚げされたとしても団体名は変わっていた。
  5. 男色ディーノは史実よりもっとマイナーだった。

ネオ・レディース[編集 | ソースを編集]

  1. ≒もし井上京子のアルシオン入団が認められたら、である。
  2. ハイスピードタイトルはなかった。
  3. 後身のNEO女子プロレス含め、そこでデビューした選手はアルシオンかJDでデビューしていた。
  4. アイスリボンも旗揚げされなかった可能性があった。

闘龍門JAPAN[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、DRAGON GATEもなかった。
  2. 日本では「ルチャリブレ=みちのく」が長く続いていた。

プロレスリングZERO-ONE[編集 | ソースを編集]

  1. 橋本が引退を撤回しなかった場合はこうなった
  2. 新日本に残留した場合、史実のZERO-ONE勢(橋本、大谷ら)は武藤らと全日本に移籍していた。
  3. いわゆる「コラコラ問答」もなかった。
  4. 奉納プロレス復活もなかった。
    • ハッスルもない。

プロレスリング・ノア[編集 | ソースを編集]

  1. 日テレの全日本プロレス中継打ち切り、武藤敬司の全日本社長就任などもなかった。
    • 武藤たちは佐々木健介と新団体を旗揚げしただろう。
    • カズ・ハヤシはもっと長くWWEに在籍した。
  2. 宝島社にネタにされることはなかった。
  3. 結局全日が今のノアと同じ状態に陥っていた。
  4. 齋藤彰俊は新日退団後ずっとフリーだったかもしれない。
  5. 秋山準は全日所属として三冠ヘビーを初獲得していた。
  6. 三沢光晴は史実よりも有名にはならなかった。

IGFプロレスリング[編集 | ソースを編集]

  1. 新日は猪木の影響力を少なからず残していた。
    • ユークスへの売却もなかったか、あっても全株ではなかった。
    • 場合によっては崩壊したかもしれない。
  2. 猪木祭復活もなかった。
    • 2010年を最後に大晦日興行が途絶えたかもしれない。

WRESTLE-1[編集 | ソースを編集]

  1. =もし白石伸生が全日本を乗っ取らなかったら、である。
  2. 元WNC勢は半数以上がASUKA PROJECTに移籍していたかも。
  3. 旧スポーツ会館は買い手が付かず取り壊されていたかも。
  4. 木村花はどこかの女子プロ団体からデビューしていた。
    • 最初からスターダムでデビューしていたかもしれない。

スターダム[編集 | ソースを編集]

  1. 林下詩美はMarvelousでデビューしていた。
  2. 愛川ゆず季がプロレスラーになることはなかった。
  3. 世志琥の顔面殴打事件は起きなかった。