もしあのプロ野球選手があの球団からドラフト指名されていなかったら
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- 新規項目追加時はドラフトの開催順(同じ年なら指名順位→五十音順)でお願いします。
- ドラフトを拒否していない選手もOKです。
田淵幸一(1968年・阪神)[編集 | ソースを編集]
- この年の指名順位の関係から、南海・サンケイ・東京・近鉄のどこかが指名に乗り出していた可能性がある。
荒川尭(1969年・大洋)[編集 | ソースを編集]
- 荒川事件はなかった。
- 読売かヤクルトが確実に指名していた。
- 「荒川二世」として、史実よりも長くプレーしていた。
- 俳優に転身することはなかった。
元木大介(1989年・ダイエー)[編集 | ソースを編集]
- 彼のその後のイメージが変わっていた可能性も。
- 翌年の巨人入団後も、史実以上に活躍できたかも。
福留孝介(1995年・近鉄)[編集 | ソースを編集]
- 監督の佐々木恭介氏が「ヨッシャー」と叫ぶことはなかった。
- 近鉄は磯部公一氏を1位指名していた。
- 巨人か中日かヤクルトが指名いていれば、確実に入団していた。
新垣渚(1998年・オリックス)[編集 | ソースを編集]
オリックスは1998年ドラフトで新垣渚を指名して交渉権を獲得したものの、本人が拒否してスカウト自殺にまで発展しましたが、もしオリックスが松坂争奪戦に参加するなどして、新垣を指名してなかったら…
- 当然新垣はダイエー(当時)に入団。
- ただし、さらに他の球団が指名して交渉権を獲得した場合、その球団で同じような事態が発生(本人はダイエー以外は拒否の意向を示していたため)。
- 三輪田氏の自殺もなく、現在もオリックスでスカウト部長をしていた。
- 仮に松坂を指名して獲得した場合、オリックスの大幅な戦力低下はなく、今でも西武とともにAクラスの常連だったかも。
- 近鉄との球団合併もなかった。
内海哲也(2000年・オリックス)[編集 | ソースを編集]
- それでも巨人以外がどこかから指名すれば、入団拒否していたのは変わらず。
内川聖一(2000年・横浜)[編集 | ソースを編集]
- 広島・近鉄・オリックス以外が獲得していたら移籍しなかった。
- 2chで畜生キャラとして扱われることも無かった。
- 声をかけられていた広島に入団していた可能性が高い。
- 法政大学との関係が無くなるため横浜は2002年のドラフトの自由枠で久保を獲得していた。
藤川俊介(2009年・阪神)[編集 | ソースを編集]
- 金本知憲の連続試合出場記録はもっと長く続いていた。
- 東邦ガスに入社後、2012年のドラフトで阪神に指名される。
- 北條史也は3位指名に下がっていたか?
- 「俊介」への登録名変更は藤川球児が復帰した2016年に行われた。
- 阪神以外に入団していた場合、登録名は一貫して「藤川」だった。
- プロ入り当初の背番号が「7」になることはなかった。
菅野智之(2011年・日本ハム)[編集 | ソースを編集]
- 祖父の原貢さんが憤りを示すことはなかった。
大谷翔平(2012年・日本ハム)[編集 | ソースを編集]
- 他に指名がなければそのまま渡米した。
- もし、条件の合うメジャー球団がなかったら、アメリカの大学に留学していただろう。
- 二刀流挑戦もなかった。
- 大谷本人及び日本ハム球団、そして栗山監督が叩かれることもなかった。
- 翌年のドラフトで岸里亮佑を指名しなかった。
- この年のドラフトでは藤浪晋太郎の指名に加わっていた?
- 指名で外したら大累進(史実では巨人2位)を外れ1位で指名したかも。
- 史実で大累のトレード相手だった乾真大は?
- 指名で外したら大累進(史実では巨人2位)を外れ1位で指名したかも。
- 糸井嘉男のトレードはなく、そのままメジャー挑戦もあった。