もしあの戦国時代の戦いが○○だったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
天文の乱で伊達稙宗が勝っていたら[編集 | ソースを編集]
- 伊達の衰弱はまだまだ先。
- 塵芥集は稙宗治世のときに施行していた。
- 家督は誰が継ぐのか?
- 有力候補としては次男・義宣か三男・実元。
- 伊達実元は上杉定実の養子となる。よって長尾景虎は越後守護にならなかった。
- 稙宗死後に反乱が起きそう。
- 17世紀中期まで奥羽に半独立国として残るが、豊臣家に征伐される。
- 仮に稙宗が勝っていたとしても奥羽は混乱に陥るので、戦乱が続き、80〜90年頃に最上義光によって奥羽が平定される。
- 晴宗が勘当されたとすれば、孫の政宗は存在しないか、しても小規模大名の当主程度。
長良川の戦いで斎藤道三が勝っていたら[編集 | ソースを編集]
- 道三は信長に家督を譲って隠居。
- ・・・と思いきや今川に劣勢だと知るや否や反旗を翻す。
- 織田家と斎藤家の両方の家督を引き継いだ同君連合の形になっていた。
- いや、斎藤孫四郎が後を継ぐ形となるだろう。
- 斎藤道三は「以下は信長についていくように」という言葉を遺して永眠。
- ただその後孫四郎は(ry
- 孫四郎が元服していた場合、名前が付けられていた。
- 道三が利政であることを考えると信利か長利になっていたか。
- そもそも孫四郎・喜平次兄弟は長良川以前に亡くなっている。
- 四男の利尭が抜擢されそう。但し織田の支配下。
- 斎藤道三は「以下は信長についていくように」という言葉を遺して永眠。
- いや、斎藤孫四郎が後を継ぐ形となるだろう。
- 美濃をあっさりと征服することが出来た。
- よって天下統一も十年ほど早まる。
- あっさりとはいかないと思う。多分義龍派の残党に追い回され、その間に今川に尾張を攻められるのがオチだと思う。
- よって天下統一も十年ほど早まる。
- 道三側についていた明智家は織田(斎藤道三)の家臣になっているため、明智光秀は初期から信長の家臣になっていた。
- その後重用され、そして本能寺の変を起こすかどうかは微妙。
- 有能ではあっただろうが、足利義昭の家臣としてではなく、斎藤家臣という立場なので、精々柴田かなんかの家臣で活躍していたかと。
- 信長のことだから有能であれば地位に関係なく重用するだろう。
- 斎藤利尭の器量がどれくらいかが斎藤家存続の鍵。寿命は多分大丈夫だろう。
- その弟の斎藤利治が優秀なので彼が生きている限り斎藤家はまず大丈夫。(史実では信忠付きの重臣やっていたり、越中で上杉軍を撃破し信長包囲網を瓦解させる活躍をしているため。)
- 逆に、西美濃三人衆の知名度は低かった。
- 東美濃三人衆をするとしたら、明智・遠山・妻木か?
戸次川の戦いが○○だったら[編集 | ソースを編集]
勝利していたら[編集 | ソースを編集]
- 仙石秀久の評価が変わっていた。
- 長宗我部信親が戦死しなかったため、元親が暗愚になることもなかった。
- 信親に後を継ぎ、江戸時代も大名として生き延びていた。
- 西軍についていればおそらく僻地に転封されていた。東軍なら土佐一国安堵。
- 十河存保が戦死しなかったため、三好一族は大名として生き残っていた。
- せいぜい東国に1万石といったあたりだろうか。
豊臣秀吉が参戦していたら[編集 | ソースを編集]
- 烏合の衆になることもなかった。
- 島津に勝てていた。
長宗我部元親が戦死、または自殺していたら[編集 | ソースを編集]
- 長宗我部家は嫡子信親の上に当主もなくしていたため、存続が危ぶまれる。
- おそらく会議の末、次男の香川親和があとを継いだかと。
- ただし大幅減封・転封は避けられない。
仙石秀久も戦死していたら[編集 | ソースを編集]
- 仙石秀久はただの愚将で終わっていた。
- 各人を戦死させた罪は大友義統に押し付けられた。
- 大友家の改易が早まったかも。もしくは東国に転封。