もしあの路面電車が廃止されていなかったら/関東
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栃木・群馬[編集 | ソースを編集]
東武日光軌道線[編集 | ソースを編集]
- 「貨物列車が走る路面電車線」として鉄道ファンの注目を集める。
- 「日本一高い地点を走る路面電車」としても。
- 日光アイスバックス(アイスホッケー・アジアリーグ)のラッピング電車が走っている。
- いろは坂対応車両が新造されて中禅寺湖まで延伸し、日本最小半径・最急勾配を走る路面電車として有名になっている。
- 環境と景観保護対策として、アプト式と第3軌条が採用され、坂がレールで占拠されるため、歩行者と車両がいろは坂から締め出される。
- その為、『頭文字D』にいろは坂が登場せず物語も若干変わっていた。
- むしろ馬返-明智平間のケーブルカーも残っていたと考えた方が自然かもしれない。
- 中禅寺温泉ロープウェイも現存し、明智平展望台~茶ノ木平両駅の登山道が整備され、いろは坂の渋滞を嫌う人間のルートになる。
- 環境と景観保護対策として、アプト式と第3軌条が採用され、坂がレールで占拠されるため、歩行者と車両がいろは坂から締め出される。
- 観光用の車両(叡山電鉄「きらら」辺りに類似した車両かな)が製造され、東武日光駅でスペーシアと接続したダイヤで運転される。
- 同じ急勾配を走る路面電車同士ということで、京阪京津線と共同キャンペーンを行っている。京阪京津線には東武日光軌道線塗装の車両が、こちらには京阪特急色(旧塗装)の車両が運転されている。
- 軌間が1067mmだからJR日光線を介して宇都宮LRTと直通しろという案が出る。
- おそらく東武から拒否される。
- 日光方面は下今市でのきぬ連絡のみになってけごんが廃止されていた
- 宇都宮ライトレールは2000年頃に設立、社名は「栃木ライトレール」辺りに。
- 東武からこの路線と車両を譲り受けた。
- その後超低床車が投入される。
東武高崎・前橋・伊香保軌道線[編集 | ソースを編集]
- 元日は「ニューイヤー駅伝」のため一部運休。
- 「都道府県対抗男子駅伝」開催時のダイヤの組み方を広島電鉄に教わり、競技中も運行できるようになった。
- 上越新幹線に「渋川伊香保」駅ができていた。
- 野良犬電停が犬好きの聖地になる。
- さすがに新車が投入されてるよな?特に伊香保線は日光軌道線用と共通の仕様で急勾配線用の性能を持った観光電車が出てきそうだ。高崎・前橋線はインターアーバンとして大型連接車の投入がありそう。
- 伊香保線は線形も見直されて一部にラックレール区間ができそう?
- 上毛電気鉄道も東武鉄道に編入されて、前橋軌道線が専用軌道化され、浅草(中央林間)~渋川間が結ばれ、さらに吾妻線経由で夜行高原列車(冬は夜行スキー列車)が走っていたことだろう。
- つうか上電は戦時統合でそうなったと思うが。
- 上毛電気鉄道も東武鉄道に編入されて、前橋軌道線が専用軌道化され、浅草(中央林間)~渋川間が結ばれ、さらに吾妻線経由で夜行高原列車(冬は夜行スキー列車)が走っていたことだろう。
- 伊香保線は線形も見直されて一部にラックレール区間ができそう?
- 2000年頃に、第3セクター「群馬ライトレール」が設立され、東武からこの路線を譲り受けた。
吾妻軌道[編集 | ソースを編集]
- 戦時統合により、東武鉄道の路線となっていた。
- 路線名は東武中之条線となっていた。
- 伊香保軌道線と一体的な運用になっていた。
利根軌道[編集 | ソースを編集]
- 戦時統合により、東武沼田線となっていた。
- 上毛高原駅まで延伸していた。
千葉・茨城[編集 | ソースを編集]
成宗電気軌道[編集 | ソースを編集]
- 年末年始は終夜運転されている。
- 京成グループに入っていると思われる。
- 史実、電車のあった昭和初期から京成の傘下だったけどね。
- 函館市からササラ電車を買い取り、原型復元して看板電車に仕立て上げる。
- 市街地の渋滞が今より酷くなり、廃止論議が何度も出ては消えを繰り返していたかもしれない。
- 地形の関係上、道を拡幅するのが不可能なため。
茨城交通水浜線[編集 | ソースを編集]
- 鹿島臨海鉄道のせいで水戸駅前以東は廃止されてた可能性が高い。
- それ行っちゃぁ(ry
- 戦後復興の時に路面区間の複線化を強行。
- 80年代までの上水戸駅周辺は大賑わい。その代わりにフードオフストッカー(カスミの安売り店)は無いけどね。
- 南町・泉町・大工町には及ばないが、下市の商店街くらいと張り合えるくらいの勢いがあったかも。
- ガルパンブームでガルパン電車が走る。
- むしろ劇中に登場し、併用軌道を戦車が爆走する。
- 優勝祝いの花電車が走ってたかも。
- むしろ劇中に登場し、併用軌道を戦車が爆走する。
- 1970年代の大洗水族館リニューアル時に水族館前まで延長。アクアワールド大洗への改装で入り口までの乗り入れor那珂湊までの再延長が検討される。
- 茨城交通が経営難になった際には湊線と一緒に分社化され、ひたちなか大洗鉄道のような社名になっていた。
- 茨城線も大学前までは水浜線の一部として残したかもしれない。
- いばっピが使えるようになっていた。
- 大洗が開港場に指定されていたらあり得た。
東京[編集 | ソースを編集]
武蔵中央電気鉄道(初代京王高尾線)[編集 | ソースを編集]
- 馬車軌道に戦後改軌され、京王線が大型化するまで乗り入れが行われていた。
- 道路拡張で複線化。
- 1960年代後半に都電の中古で近代化、80年代に新車で冷房化されていた
- 現高尾線開業で八王子線などに改名。
東急玉川線[編集 | ソースを編集]
- ちなみに当初の計画では新玉川線開業後も玉川線は存続させる予定だったらしい。
- 渋谷~二子玉川の地下線は営団(東京メトロ)の路線になっていたか、最初から「田園都市線」としての建設に。
- 玉川線との差別化のため、急行は三軒茶屋も通過。
- そもそも急行線扱いとなり、三軒茶屋以外の中間駅は建設されない。一方、二子玉川駅では玉川線が高架ホームに乗り入れ、田園都市線と同一ホームで乗り継ぎ可能に。
- 上にある通り当初の計画(銀座線と新玉川線の乗り入れ)が実現していたらどちらも残るし新玉川線の駅もほぼ史実通りになる。要は新玉川線のルートが北にズレるだけ。
- 玉川線との差別化のため、急行は三軒茶屋も通過。
- 砧線は小田急線の駅(成城学園前か狛江)まで延伸していた。
- 東急多摩川線は「多蒲線」になっていた。
- イントネーションが悪いし普通に「蒲田線」では?
- 田園都市線の混雑は少し緩和されていた。
- 残すとすれば首都高3号線がどうしても邪魔になる…。
- 少なくとも大橋JCT建設の為に車庫の移転は避けられなかったと思う。
- 渋谷マークシティの構造が若干変わっていた。
- 渋谷駅の大改良工事の際に渋谷駅構内の高架化が検討される。
- 玉川線が廃止されなければそもそも渋谷の大規模な動線悪化は起きなかったから、大規模な改良工事は行われない可能性も…?
- 渋谷~二子玉川間は玉川線・田園都市線共通定期券が発売される。
- 渋谷~三軒茶屋だけ存続していたら
- 世田谷線は全列車渋谷発着。
- 田園都市線の渋谷~三軒茶屋の混雑は緩和されていた。
- 田園都市線の急行は三軒茶屋通過だった。
京浜電気鉄道大森支線[編集 | ソースを編集]
- 道路の拡幅時、高架化+普通鉄道に直されていた。
- 車両は空港線と、後に大師線と共通。
- 普通鉄道に直されていない場合、LRT化され、羽田空港まで伸ばされていた。
- 馬込まで伸ばされていた。
神奈川[編集 | ソースを編集]
川崎市電[編集 | ソースを編集]
- トロリーバス路線の市電への移行や京急大師線との直通といった思い切った手を取らない限り生き残れなかったと思われる。
- 千鳥町や浮島町方向へも延びている(一部は神奈川臨海鉄道との三線軌条)。
- 大師線の川崎市による買収、環状線化が実現していた可能性はある。
- 経営主体が川崎市ではなくなっていた可能性がある。
- 京急に譲渡され、京急大師線は環状運転を行っていた。
- 近年までマスコミへの露出が少なかった。
- 最近は「工場萌え」や「鉄子」などの風潮によりそこそこ注目されている。
- 旅行番組などで「工場街を走る路面電車」として取り上げられた。
- 沿線からは大きく外れるが藤子・F・不二雄ミュージアムのラッピング電車がこっちにも走っている。
海岸電気軌道[編集 | ソースを編集]
- 京浜電気鉄道の湘南電気鉄道との直通運転開始時に1435mmに改軌されていた。
- 鶴見臨港鉄道は国有化されなかったかもしれない。
箱根登山鉄道小田原市内線[編集 | ソースを編集]
- 小田原城へのアクセスにしばしば用いられた。