もし幕末にあの港が条約港になっていたら
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もし幕末にあの港が条約港になっていたら 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
北海道[編集 | ソースを編集]
稚内港[編集 | ソースを編集]
- 稚内市は旭川市、函館市に次ぐ20万人の大都市になっていた。
- 天北線はダイレクトに稚内駅を通っていた。もちろん廃線にならず、現在も運行しているはず。
- 北海道新幹線は稚内駅まで基本計画路線に含まれていた。
青森[編集 | ソースを編集]
(陸奥)横浜港[編集 | ソースを編集]
- 青函トンネルが東ルートで開通していた。
- 「陸奥横浜駅」は「横浜駅」で横浜駅は「武蔵横浜駅」になる。
- 勿論大都会横浜。
- 青森の人々は東京へ出稼ぎ行かない。
- 「俺さ東京さ行くだ」は「俺さ横浜さ行くだ」に変わっていたかも。
- (武蔵)横浜港が条約港ではなかったらここを指していた。
- 県庁所在地になる。
- 代わりに箱館(函館)は開港しない。
青森港[編集 | ソースを編集]
- 2002年の東北新幹線延伸の時点で新青森駅まで全開通していた。
- それどころか1982年の段階で新青森まで開通していた。
- 1970年代前半に仙台まで開通している。2002年に北海道新幹線が札幌まで開通。同年のサッカーW杯は青森で開催。札幌ドームは野球用途で建設。仙台での試合開催もない。
- それどころか1982年の段階で新青森まで開通していた。
- 青森と北海道を結ぶベイブリッジが出来ていた?
- 青森県は東北地方で二番目に発展している県になっていた。
- 青森県は関東地方で言う神奈川県の立場だ。
- その代わりに箱館港(函館港)は開港してなかった。
- 函館、秋田、八戸の人たちが週末ごとに買い物やイベントに青森に集まっていた。
- それでも五稜郭などで函館は観光人気はあった。
- フェリーターミナルは史実以上に発展していた。
- 東北本線東京-石越間は直流電化。常磐線は全線複線化を達成。日暮里-取手・勿来-岩沼間は直流電化。奥羽本線の板谷峠区間は直流電化のまま。
- 磐越西線を忘れずに。郡山-会津若松-新津間直流電化。
- 阿武隈急行と仙台空港鉄道も直流電化。
- 「仙石東北ライン」は電車運転。石巻線石巻-女川間は「仙石東北ライン」誕生と共に電化。
- 阿武隈急行と仙台空港鉄道も直流電化。
- 磐越西線を忘れずに。郡山-会津若松-新津間直流電化。
- 1889年に市制施行され、青森県では弘前市とともに市となった。
- 青森ー弘前ー秋田に新幹線が作られていた。
- 中国に対して沖縄付近の漁業権などで妥協するかわりに、津軽海峡の領海化と通商通航権拒否を実行していた。
- 青い森鉄道線は日本有数の優良経営の3セクになっており、モーリーが史実以上に人気になっていた。
- 青森空港は史実の鹿児島空港なみかそれ以上に利用されていた。
- 青森は日本ハムか楽天の2軍を誘致するか、2軍拡張に応募していた。
- ラインメール青森はJ2、ブランデュー弘前はJ3に昇格していた。
茨城[編集 | ソースを編集]
大洗港[編集 | ソースを編集]
- 戦車アニメの内容が変わっていたかも。
- 東京湾は封鎖され、外洋船が入ってこないようになった。
- なんとしても東京湾内への進出は防ぎたい幕府と下田では遠いと感じた列強が、下田→横浜ではなく、下田+大洗で妥協。
- 鹿島臨海は常磐線の支線で開業。
- 鹿島臨海鉄道水戸-大洗間は明治の開業。
- 現実の水戸線が「大洗線」で開業していたかも。
- 尊皇攘夷思想の強い水戸9代藩主烈公が安政の大地震(史実でも烈公は被災、側近を失っている)もしくは安政の大獄(史実では条約締結後)で死去していた。
- 反動で10代藩主が開国容認に傾いていて、さらに水戸出身の慶喜がこの時点で将軍になっていた。
- 極端な天皇崇拝者であった慶喜が将軍になった時点で大政奉還となるので、史実では明治になってから起きた一連の文明開化がすべて数年早まり、横浜のみならず東京も含めた東京湾の開放がむしろ進んでいたのでは?
- 大洗・水戸は幕府直轄地となった。
- 天狗党の乱のような水戸藩尊皇攘夷派の暴発が条約締結前に発生/鎮圧済みであり、条約締結時には諸生党(佐幕派)が主導権をにぎっていた。
- それだと大政奉還が起こらないため、幕藩体制が存続したまま清朝や李朝のように数十年かけて衰退し、最終的に内戦または外国による植民地化(あるいはその両方)で一掃されていたかも。
- この世界線では日本に「近代」が存在しないため、下のほうの20世紀の自治体合併や学校の話はすべて(現実の根拠法ではなく)江戸幕府の法体系に従っていた。(サーク島のように代官や奉行という言葉が死語になっていない)
- 江戸時代は近代の市町村よりも一回り広い郡代官(韓国の郡守に相当)が地域社会を統治していたから、合併や政令指定都市という言葉はなくても実質的にそれに近い水戸・大洗一体化が進んでいただろう。
- この世界線では日本に「近代」が存在しないため、下のほうの20世紀の自治体合併や学校の話はすべて(現実の根拠法ではなく)江戸幕府の法体系に従っていた。(サーク島のように代官や奉行という言葉が死語になっていない)
- それだと大政奉還が起こらないため、幕藩体制が存続したまま清朝や李朝のように数十年かけて衰退し、最終的に内戦または外国による植民地化(あるいはその両方)で一掃されていたかも。
- 反動で10代藩主が開国容認に傾いていて、さらに水戸出身の慶喜がこの時点で将軍になっていた。
- 水戸と大洗はひたちなか市も含めて合併して一大都市になっていた。
- 逆にひたちなか市は成立せず勝田以外が昭和初期に大洗と合併したかも。
- 平成の大合併で「茨城市」となっていたかも。
- 栃木における宇都宮のように、茨城県内は水戸大洗に一極集中。
- 政令指定都市になっていた。
- 1920年代に大洗高商・大洗高工が設置され戦後茨城大学の母体となった。
- 1897年に尋常中学の大洗分校が設置され戦後大洗一高となったかも。
- 栃木や群馬あたりの輸出品が集まったかも。
土浦港[編集 | ソースを編集]
- 銚子の場合と同様利根川の改修は明治維新頃には終わっていた。
- 筑波鉄道は国有化され現在も存続。
- 土飯線が全通。
- 科学万博は横浜開催だったが「YES'89」は「SET'89」だった。
- TXは「つちうらエクスプレス」の略。
- 史実通りつくばで開業していたが2020年頃までには、土浦延伸が成功していた。
- モーダルシフトを見据えて貨物輸送も行っていた。
- 史実通りつくばで開業していたが2020年頃までには、土浦延伸が成功していた。
千葉[編集 | ソースを編集]
銚子港[編集 | ソースを編集]
- 漁港であるが、外洋に直接面しており、港湾機能を整備して水郷地区の水産物や利根川沿いの特産物の輸出で栄えた。
- 国内舟運は内海で夏季の潮が穏やかな日本海側の港湾利用が主だったが、西洋向けでは外洋に面している方がメリットが大きいのは間違いない。
- 茨城県と東北地方の太平洋側は現実より栄えたであろう。
- 利根川舟運が隆盛を極め、鉄道や道路交通の発展に敗れるまで続いた。
- 当然、河口の改修も明治維新頃には終わっていた。
- その時代の名残で、現在でも神栖程度の発展は遂げていただろう。工場が来ていたかどうかは別として。
- 史実以上に鹿嶋/神栖や旭の都市圏と一体化していただろう。場合によっては波崎町との越境合併や現旭市域、小見川町あたりは合併していたかもしれない。
- 空港は成田市ではなく銚子市に出来ていた。
- 総武本線は戦前,あるいは戦後早い時期に電化された。成田線佐倉-松岸も含む。銚子-松岸の間は複線区間。
片貝港[編集 | ソースを編集]
千葉港[編集 | ソースを編集]
- 南関東は神奈川県より千葉県の方が発展していた。
- 神奈川県と言えば、湘南のイメージと東京のベッドタウン。
- 船橋市・習志野市・市原市が千葉市で1940年代頃に合併していた。
- 千葉市の政令指定都市は30年代頃。
- 総武本線は千葉港寄りだった。
- 京葉線の旅客化も史実より早くしていた。
- 千葉は何でもかんでも東京と名付ける事は無かっただろう。
- ただ、さすがに東京ディズニーランドは史実通りか…。
- 千葉県は埼玉県どころか神奈川県も相手にしていただろう。
- もしかしたら市街地も東方面に発展していた?
神奈川[編集 | ソースを編集]
神奈川港[編集 | ソースを編集]
厳密にいうと、最初日米修好通商条約に記載されていたのは神奈川でした
- 横浜市はなく神奈川市になっていた。
- 横浜は区名に採用されるのが関の山。
- 一漁村だった横浜は区名になることもなく、下手したら住居表示で地名が消滅していた可能性も。
- 神奈川駅が一大ターミナルになる。
- 横浜駅は単なる京急駅?
- 資料通りに庶民と外国人が接することが多くなっていたか?
- 東神奈川駅は東海道線も停車していたかも。
- 東神奈川駅は廃止され、後年京浜東北線の駅として新仲木戸駅ができていたかも。
- 新幹線駅は菊名駅~大口駅間に出来ていた。
- 政令指定都市と大規模合併はほぼ史実通り。
湘南港[編集 | ソースを編集]
- 東海道新幹線の新横浜駅~小田原駅間の新駅は当初から出来ていた可能性が高い。場所的には藤沢市になるかもしれないが。
- むしろ新横浜と小田原に新幹線駅はなかった。
- ヨットハーバー施設は代わりに大磯港か葉山港に出来ていた。
- 湘南港のイメージは茅ヶ崎市よりも藤沢市のイメージが強かった。
- 相模線は複線化されていた。
- 西は相模川、北は旭区あたりまで湘南市になっていた。
新潟[編集 | ソースを編集]
直江津港[編集 | ソースを編集]
- 高田藩が天領のままだった。
- 新潟は開港せず。
- 高田との合併後も市役所は直江津に置かれ、市名も直江津市。
- 柏崎県の県庁所在地となっていた。
- 直江津から遠いので下越側とは合併せず。
- 本州日本海側一の都市に発展していた。
静岡[編集 | ソースを編集]
下田港[編集 | ソースを編集]
- 日米和親条約では下田が開港しましたが、続く日米修好通商条約では条約港からはずれました。もし日米修好通商条約でも下田が条約港だったら
- 人口50万の、静岡・浜松に次ぐ大都市になっていた。
- むしろ静岡県が東西に分裂し、富士川より東が「伊豆県」となっていた。
- この場合、伊豆県は中部地方ではなく関東地方に含まれていた。
- むしろ相模県に編入され韮山県(若しくは足柄県)になっていた。
- ↑になれば下記の小田急が下田まで延びる。JR東日本とJR東海の境界も下記のように。
- ↑↑になれば県東部は(茨城県のように)東京に近づくにつれ人口が多くなるだろう。
- ↑になれば下記の小田急が下田まで延びる。JR東日本とJR東海の境界も下記のように。
- むしろ相模県に編入され韮山県(若しくは足柄県)になっていた。
- この場合、伊豆県は中部地方ではなく関東地方に含まれていた。
- むしろ静岡県が東西に分裂し、富士川より東が「伊豆県」となっていた。
- 海は埋め立てだらけ、山は削られ、伊豆半島の環境破壊は深刻に。
- もちろん熱海~下田間の鉄道は国鉄が建設。
- 当初現・御殿場線が東海道本線だったことを考えると、国府津~下田と考えるべきか。
- 東北本線の下田駅は、「陸奥下田」駅に改称されている。
- 和歌山線の下田駅も「大和下田」駅に改称後、史実通り「香芝」駅に再改称される。
- 下田~松崎(~沼津?)に東急の息のかかった路線が、三島~修善寺~天城越えして下田に西武の息のかかった路線ができていた。
- むしろ東急が三浦半島を積極的に開発していた可能性も。
- もしかしたら高速鉄道路線の建設も有り得た?新幹線は微妙だが。
- 東海道線は熱海まで複々線に。JR東日本とJR東海の境界は三島-沼津間。熱海-下田間は全線複線。御殿場線の会社境界は御殿場駅(JR東海が管理)。
- 小田急が下田まで伸ばしたかも。東海自動車が同社系であることに違和感がない。その代わり箱根の開発はコクド(西武)系が独占。
- 東海道線は熱海まで複々線に。JR東日本とJR東海の境界は三島-沼津間。熱海-下田間は全線複線。御殿場線の会社境界は御殿場駅(JR東海が管理)。
- さまざまな西洋文化流入の地も下田。
- 和洋渾然一体、しかも上手く調和してる街になる。
- 沼津-熱海以南が合併して、下田市を継続するか伊豆市が誕生する。
- 伊豆東岸の温泉地は政府要人の別荘だらけになっていた。
- 大日本帝国憲法の草案も三浦じゃなく伊豆で作られていたり。
- 西伊豆方面も開発されていた。
- 下田街道や国道135号など下田へ至る主要道路は物流を支えるためどんどん高規格になる。
- 伊豆縦貫道はちゃんとした高速道路としてもっと早く建設されてた。
- 足柄県は下田を県庁所在地として存続。
- 小田原でなく下田が中心なので名前は下田県だった。
- 三浦郡と鎌倉郡が神奈川県にならずこちらに含まれている。つまり史実の足柄県とは異なり伊豆国+相模国と一致する。
- 浦賀奉行が横浜裁判所(神奈川)に統合されないので浦賀県となっていたかもしれない。
- 韮山は政治の中心からは外れるが、反射炉を中心に工業が発展。
- 伊豆は温泉リゾートではなく、函館のような観光地になる。
- 下田奉行が存続し、次第に管轄や組織の規模を拡大。新政府により下田裁判所に移行し、下田府を経て下田県になる。
- 奉行所の管轄は下田港周辺の幕府領だったが、裁判所移行時に韮山代官所と統合され、伊豆国の全域とその他の旧韮山代官領に拡大する。
- そのため韮山県は誕生せず、代わりにあちこちに下田県管轄地が存在した。
- 国郡界を基にした県域設定(府県統合)時に県域が伊豆国のみになる。
- 外国人遊歩区域(他と同様に港から十里四方)もそれに収まるため、神奈川県のようには拡大しない。
- ただし府県のバランスや開港場を支える都合で隣接する小田原県(相模国)や静岡県(駿河国)を編入する可能性もある。
- 奉行所の管轄は下田港周辺の幕府領だったが、裁判所移行時に韮山代官所と統合され、伊豆国の全域とその他の旧韮山代官領に拡大する。
- 東京の外港としては遠いため東京港が早い時期に開港する。
- 神戸港が大都市に近い開港場として最も重視されて貿易が集中し、史実よりさらに大きく発展した。
- 関連して大阪が日本最大の都市になっている。]
清水港[編集 | ソースを編集]
- 清水次郎長は様々な制約のため清水の発展で活躍できず、実際より小さな港になっていた。
- 駿河国の茶畑開墾がなされなかったため、輸出向け茶事情は実際以上に逼迫していた。
- 江戸時代以降(現在でもだが)、茶輸出はかなりの割合を静岡県産に支えられていたため。
- 鉄道敷設では静岡より重視されるようになった可能性もあるが、最終的には静岡市に追い付かれていただろう。
- 史実より貨物取扱量を名古屋港および京浜港に食われていた。
- 下田港は条約港にそもそもなっていない。
- 江戸無血開城後の徳川家の移封先は領内に開港地を含む駿府藩以外の場所。
三重[編集 | ソースを編集]
四日市港[編集 | ソースを編集]
- 愛知最初の鉄道は東海道線と武豊線(の熱田~武豊間)ではなく関西線(の愛知~四日市間)だった。
- 県庁が置かれるが県名は現実と同じ。
- 南北牟婁郡は和歌山所属だった。
- 神奈川と兵庫の例もあるため。
- セントレアは三重沖に建設されていたかも。
- 名古屋高商(現:名古屋大学経済学部)と名古屋高工(現:名古屋工業大学)は四日市に設置され戦後三重大学の経済学部と工学部へ昇格。
- 愛知県立工専は戦後県立工大に単独昇格、史実で同県立大が設立された'60年代半ばに「工業」の文字がとれた。
- 情報科学部の学科は工学部のそれで開設されたかも。
- 名工大に代わり愛知県下の国公立大ナンバー2と思われたかも。
- '39年に豊橋あたりへ高工が設置され戦後名大へ取り込まれたかも。
- その場合技科大は関西より西の他県にできた。
- 愛知県立工専は戦後県立工大に単独昇格、史実で同県立大が設立された'60年代半ばに「工業」の文字がとれた。
津港[編集 | ソースを編集]
- 三津七湊の一つ
- 列強が五港で飽き足らず六港目の開港をせまっていたら、東海地方から選ばれていた。
- 伊勢神宮近くなので尊皇攘夷派は激しく怒り、事件・焼き討ちが多発。
福井[編集 | ソースを編集]
小浜港[編集 | ソースを編集]
大阪[編集 | ソースを編集]
大坂港[編集 | ソースを編集]
- 神戸は開港しない。
- 現実ほど大都市にはならず、大阪府の1都市だった。この場合垂水区と西区は姫路県明石市に属していた。
- 川口居留地に現存する建物が多かったのかも。
- 日本経済の中心が大阪になってしまう。
- 大阪府庁が西区から移転しなかったかも。
- 大阪オリンピック構想では港が重要になっていたかもしれない。
- 神戸で成金が生まれることはない。関西圏の高級住宅地といえば阪神間の芦屋・西宮ではなく、帝塚山や北摂など。
- 阪神電車は神戸ではなく城下町/淡路への港町である明石までの路線として建設。神戸は通過点。
- 阪明電車。
- 最終的には姫路まで延伸され、現実の阪神+山陽で阪姫電鉄となっていた。
- 京都が関西の中心だったらこうなったかも。
- 旧摂津国は全て大阪府に属していた。
- 播磨・但馬・淡路島は姫路県となり、姫路市が県庁所在都市として現実より発展していた。
- 淡路島は徳島県だった可能性もある。
- 丹波は全域が京都府だった。
- 播磨・但馬・淡路島は姫路県となり、姫路市が県庁所在都市として現実より発展していた。
堺港[編集 | ソースを編集]
- 南海電車開業前に東海道線堺大阪間が開業。
- 大阪府は経済の中心が堺、行政の中心が大阪市。
- 堺から伊丹が遠いこともあり、関空建設に異議を唱える者は少なかった。
- 大阪堺間が阪神間のように高級住宅地として発展していた。
- 南海は庶民的、阪和はエレガント。
- 戦前の五大都市にあげられ、最初から政令指定都市になっていた。
大津(泉大津)港[編集 | ソースを編集]
- 大津市は「近江大津」もしくは「滋賀大津」と名乗っていた。
- 一時期、和泉、河内、大和で「大津県」を形成していた。(史実の堺県と同様の理由で)
- 高石市、和泉市、岸和田市辺りを吸収して、政令指定都市に移行していたかも。
- 「はんしん電車」と言えば、「阪(大阪)津(泉大津)電車」のことを指していた。
兵庫[編集 | ソースを編集]
淡路港[編集 | ソースを編集]
和歌山[編集 | ソースを編集]
和歌山港[編集 | ソースを編集]
- 淡路島は和歌山県所属に。
- 現実南海和歌山港線は本線の一部だった。
- 国有化されたかも。
- その場合阪和電鉄は標準軌で建設され戦時統合で和泉地域と県下の全鉄道・バス会社を統合する。
- 国有化されたかも。
- 松下電器は和歌山市に本社を置く。
- 神戸は開港しない。
- 紀淡海峡大橋が実現し大鳴門橋も1970年代に完成していた。
- ハルヒの舞台は堺市だった。
- 当然大都会で戦前の五大都市に入り最初から政令市だった。
- 「近畿のおまけ」と言われなかった。
- WBSはテレビにも進出していた。
- 宝塚と美原の立場が入れ替わっていたかも。
- 1939年に大阪ではなく和歌山に高工が設置され10年後和歌山大工学部の母体となった。
山口[編集 | ソースを編集]
下関港[編集 | ソースを編集]
- 山口県の県庁所在地は下関市となり県名が「下関県」となっていた。
- 現実の福岡県豊前地域が所属している一方、岩国市一帯は広島県に所属している。
- 下関市の人口は倉敷市や福山市と同じくらいまでに増えていた。
- 新下関駅に停車するのぞみが存在した。
- 山口市が現実より寂れていた。遅くとも終戦までに市制を敷いているが。
- そのため国道9号は山口市を通らず、益田~萩~長門~下関のルートとなっていた。
福岡[編集 | ソースを編集]
博多港[編集 | ソースを編集]
- 戦前から九州の中心は福岡だった。
- 東京都制以前の六大都市、それ以降の五大都市に入り、七大都市・六大都市になっていた。
- 三大都市は東京・大阪・福岡になっていた。
- 福岡県ではなく博多県になっていたかも。
- この場合、博多という地名は神奈川や兵庫のような扱いとなっていた。
- 筑豊石炭の輸出港として栄えていた。
- そのため篠栗線が明治に開通していた。
- 江戸時代に商館が博多に置かれていればこうなっていた。
佐賀[編集 | ソースを編集]
佐賀港[編集 | ソースを編集]
- 上記の博多同様筑豊石炭の輸出港として栄えていた。
長崎[編集 | ソースを編集]
平戸港[編集 | ソースを編集]
- どっちみち長崎は開港しているので県庁所在地は長崎だったはず。
- 旧国鉄松浦線は佐世保ー平戸の佐世保線と博多ー伊万里ー平戸の筑肥線と伊万里ー有田の伊万里線になっていた。
横瀬浦[編集 | ソースを編集]
- 長崎が開港せず、江戸時代も貿易港のままだったら在りえた。
- 長崎県ではなく横瀬浦県が成立。
- 松浦郡全域が横瀬浦県な一方で、高来郡は佐賀県。
- 佐世保市は横瀬浦市と合併していた。
- 横瀬浦が貿易港、佐世保が軍港として栄える一方で、長崎港は漁港として栄える。
- 新長崎漁港は建設されない。
- 長崎本線は水産物と石炭搬出のため建設はされるが。現在は大村線ともども第三セクター。
- 長崎街道もとい横瀬浦街道は彼杵宿までで、横瀬浦までは海路で連絡。
大分[編集 | ソースを編集]
別府港[編集 | ソースを編集]
- 江戸時代には天領だったことを考えると、十分有り得たはず。
- 大分県の県庁は別府に置かれ、別府県になっていた。
- 小倉県が存続していたら豊前全域も県域だと思われるが県名は栃木県同様史実通りなのでは。
- というか小倉県を合併していた可能性大。
- 別大合併が唱えられるも結局実現せず。
- 小倉県が存続していたら豊前全域も県域だと思われるが県名は栃木県同様史実通りなのでは。
- 函館や長崎並みに夜景が美しくなっている。
- 温泉地だけあって現実以上に神戸と比較されている。
- 現実以上に国際観光都市になっていた。
熊本[編集 | ソースを編集]
天草港[編集 | ソースを編集]
- 上記の別府同様天領だったためあり得た。
- 牛深への鉄道路線がある。
- 現実の三角線は「天草線」になり急行「天草」は牛深発着だった。
鹿児島[編集 | ソースを編集]
鹿児島港[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島に商館が置かれていたらあり得た。
- 鹿児島に中華街が出来、中華料理と薩摩料理を合体した鹿児島料理が出来ていた。
- 鹿児島市の街並みが神戸市にそっくりになっていた。
山川港[編集 | ソースを編集]
- 指宿市が現実より大発展。
- それどころか山川と立場が入れ替わり、山川市になっていた。
- 九州新幹線や九州自動車道は山川が終点だった。
- もしかしたら鹿児島県の県庁所在地が山川に置かれ、県名は山川県か指宿県になっている。
- この場合、鹿児島本線は山川本線になり、川内回りのルートが建設された際に八代~市来~加世田~知覧~山川で建設され、日豊本線は鹿児島~山川も含まれていた。
- 九州新幹線の八代以南は八代~川内~加世田~山川で建設された。
- 南九州西回り自動車道は八代~市来~加世田~山川で建設される予定。
- 国道3号のルートは北九州~市来~加世田~山川で、国道10号には鹿児島~山川も含まれていた。
- 外国船から藩を守るため薩摩藩が国分に移転していた。
- それもあって、上記の鹿児島県の県庁所在地が山川に置かれた場合でも鹿児島市が大藩の本拠地だけあって発展し、鹿児島(山川)県は山川・鹿児島・国分の三大都市に分散する県になっていた。
- 薩摩の三大都市に分散する事から大隅は現実以上に冷遇される。
- それもあって、上記の鹿児島県の県庁所在地が山川に置かれた場合でも鹿児島市が大藩の本拠地だけあって発展し、鹿児島(山川)県は山川・鹿児島・国分の三大都市に分散する県になっていた。
志布志港[編集 | ソースを編集]
- 明治時代の一時期に志布志県が存在していた。
- 大隅半島の中心は志布志市になっていた。
- 最低でも志布志線や大隅線は廃止されなかった。
川内港[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島県の県庁は川内に置かれていた。
- 仙台が改名を強いられていた。
- 九州自動車道や建設当初の鹿児島本線は西回りで建設されていた。
- 原発は笠沙あたりに建設されていた。
坊津港[編集 | ソースを編集]
- 枕崎市ではなく坊津市になっていた。
沖縄[編集 | ソースを編集]
北谷港[編集 | ソースを編集]
- 北谷は確実に市制していた。
那覇港[編集 | ソースを編集]
- 那覇は大都市で戦前の六大都市に入り最初から政令市だった。