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もしあの鉄道事故が○○だったら/1980年代~1990年代

京阪置石脱線事故

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起きていなかったら
  1. 関西の大手私鉄において線路脇のフェンスが高くなることはなかったか、設置が遅れていた。
  2. 5000系が4連で営業することはなかった。
  3. 京阪は関西私鉄で唯一重大鉄道事故は一回も起こしていない。
    • 1966年に発生した蒲生信号所での衝突事故くらいだった。
      • 蒲生の事故は小さな事故では?
  4. 京阪の車両は6000系以降も先頭車はモーターなしの設計だった。
    • 京急も2000形以降の先頭車はモーターなしだった。
      • 京急は先頭モーターありが伝統だったので変わっていないだろう。
  5. 枚方市・寝屋川市両駅の高架化が遅れていたかもしれない。
脱線したのが5000系ではなかったら
  1. 京都方先頭車がMc車の2200系などの場合、脱線はしても線路沿いのの民家に突っ込むことはなかった。
    • 車両も修理されて復帰していた。
  2. 脱線したのが特急車の3000系だった場合、復旧まで一般車による代走が頻繁に発生していた。
死者が出ていたら
  • 史実では死者は出ませんでしたがもし死者が出ていたら?
  1. 現在までに続く京阪電鉄100年以上の自慢であった「創業以来旅客死亡事故・従業員死亡事故ゼロ」がこの時点で途切れていた。
    • 「京阪グループ全社では1回も死者を出した事件・事故は起こしていません」という自慢はできなかった。
      • それでも自社による責任事故に関しては死亡事故は0だった。
  2. 死者が出たため置石をした中学生の親にはもっと責任が重くなっていた。
    • 少年法の改正や少年犯罪の厳罰化も1980年代前半に実施されていた(当時は中学校での校内暴力も多発していたので)。
      • バイトテロやバカッターなどによるいたずらによって生じた被害に対しても多額の損害賠償が請求されるようになっていた。
      • 少なくとも少年法適用年齢の17歳以下への引き下げや凶悪犯罪における適用外への変更辺りは避けられない。
        • 少年法の厳罰化の程度によっては、女子高生コンクリート詰め殺人事件の全容疑者(全員18歳以下)をテレビや新聞でも実名で報道されていた可能性がある。
          • 1997年の神戸連続児童殺傷事件の容疑者も。
  3. 線路侵入対策は史実以上に徹底されている。
    • 新幹線特例法が一般の鉄道にも拡大適用されていたかも。
    • 勝手踏切も早期に廃止されていた。
  4. 枚方市や寝屋川市付近の高架化が早まっていた。
    • 平成のうちに枚方市以西が完全に立体交差化されていた。
  5. 被害規模が2005年の福知山線脱線事故並みだった場合、1980年代初頭に京阪の塗装が変更されていた。
    • 6000系以降は当初から新塗装で登場していた。
    • そうなった場合、その後もこの事故についてマスコミに取り上げられる機会が増えていた。特に事故の起こった日には毎年「事故から◯年」というふうに報道されていた。
      • 事故現場で毎年慰霊祭も開催されている。
    • 恐らく1980年では最大のニュースになっていた。同年は夏に静岡駅前地下街のガス爆発事故や新宿バス放火事件もあったため、事件の多い年と言われるようになっていた。
  6. 事故後事故現場に慰霊碑を設置。

富士川鉄橋流失事故

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大垣夜行を巻き添えにしていたら
  • 現実では富士駅で乗客待ちで遅れたため事故は防げました。
  1. 鉄橋流失で列車が巻き込まれる事故になっていた。
  2. 165系はJR化時点で定期運用を持たなかったかも。
    • 現実の20系客車より早く全廃された。
  3. 大垣夜行の廃止が現実よりも早まっていた。
    • 早くて国鉄時代のうちに廃止されていた。
    • 夜行列車の衰退も現実より早まっていた。
    • 青春18きっぷも1996年ごろに廃止されていた。
起きていなかったら
  1. 今も大幹線の鉄橋流失は起きていない。
    • 鉄橋流失は現実以上にローカル線のイメージになっていた。

名古屋駅寝台特急「紀伊」 機関車衝突事故

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起きていなかったら
  1. 寝台特急紀伊は近鉄観光特急しまかぜ登場まで運行が続けられた。
    • むしろ出雲と同時期じゃない?
    • というか、紀伊の廃止はこの事故で利用客が離れたとみなされることもなかった。
  2. JR東海は2009年に客車と機関車の運用を廃止することもなかった。
    • というか、機関士の養成に消極的になることはなかった。
  3. JR東海は鉄道ゲームや前面展望ビデオ、鉄道イベントに観光列車に積極的になっていた。
    • JR東海では葛西さんの力は強くならず須田さんの力が強かった。
    • それはむしろもし新幹線至上主義に走らなかったらじゃない?
      • 葛西さんはJR東海の社長にならなかった。須田寛氏はJR東海のCEOに昇進。
    • JR西日本の新幹線の前面展望ビデオで新神戸駅で終了なんてこともなかった。
  4. 運転士の飲酒運転を晒すこともなかった。
    • 職員のモラルのなさと関係のこじれを晒すこともなかった。
    • 西明石事故も起きなかった。
    • 既に当時、この事故がなくても国鉄の民営化は不可避の情勢となっていたが、6分割ではなく全国一元維持か東西2分割で行われ、国労・動労の組織解体などは行われなかった。
      • その場合、労組の衰退がなかったので、新自由主義という考え方が生まれず、バブル崩壊後の失われた20年もなかったかもしれない。
      • 場合によっては民営化自体が撤回されていたか遅れていた。
        • 民営化は遅くても小泉政権の頃までずれ込んでいた。その場合民営化の枠組みも現実と異なっていたかもしれない。
  5. スハネフ14の24系からの改造車は全車JRに引き継がれていた。
死者が出ていたら
  • 現実には比較的空いていたため、けが人も最小限で止められました。
  1. 寝台列車の衰退が現実以上に早まっていた。
    • 「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「サンライズエクスプレス」は誕生しなかったかもしれない。
    • 寝台列車は早ければ20世紀中に全廃されていた。
      • その分新幹線網の整備が早く行われ、北陸新幹線・北海道新幹線・西九州新幹線は平成のうちに全通していた。
    • JR東海が寝台列車の経由を拒否したことから、「さくら」「はやぶさ」「富士」「出雲」「瀬戸」などの東京~中四国・九州を結ぶ列車は北陸回りになっていた可能性もある。
  2. 東京~紀伊勝浦を運行する夜行バスが現実より早く運行開始していた。
  3. この事故を教訓に職員の教育が徹底されたため、2年後の西明石駅における「富士」脱線事故は起こらなかった。
  4. 事故後、名古屋駅構内に慰霊碑が立てられていた。

阪急六甲駅衝突事故

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起きていなかったら
  1. 阪急と山陽の相互直通運転が廃止されることはなかった。
    • 直通特急は阪神梅田と阪急梅田双方に発着するようになっている。
      • その分阪神は近鉄との直通に力を入れていたかも。
    • 同時に山陽電鉄は8両対応に施設を改良し、阪急も山陽車両が乗り入れられるように車両限界を拡大していた。
      • それに伴って京都線用車両も神宝線に乗り入れが可能となり、9000系以降の車両は神宝京各線・山陽電鉄・地下鉄堺筋線への乗り入れが全て可能になったので、阪急の車両は規格が統一されて、ロングシート車については形式も統一されていた。
        • 規格統一後に登場した下3桁が300番台の形式は京都線特急用のクロスシート車向けの形式となっていた。
  2. 阪急2000系のトップナンバーは能勢電鉄に移籍して今も健在。
    • 能勢電鉄から引退後は正雀工場あたりで保存される。
  3. 山陽3000系鋼製車の塗色変更はなかった。
    • あったとしても後に復刻塗装が施されていた。
      • 現実には2019年7月から行われたが、それが早まっていた。
        • 恐らく3000系登場50年となる2014年か、神戸高速鉄道開業50周年となる2018年に行われていた。
死者が出ていたら
  • 史実では衝突した阪急特急が山陽の車両に気がついて減速していたため、幸いにも死者は出なかったそうです。
  1. GWで車内も混雑していたため、最悪福知山線脱線事故級の大事故となっていたかも。
    • 110km/hで衝突していたらあり得る(現実には阪急の運転士が山陽の車両に気がついて50km/hに減速していた)。
    • 六甲駅構内に慰霊碑が立てられていた。
  2. 阪急と山陽の相互直通は事故後直ちに中止されていた。
    • 阪神梅田~山陽姫路の直通特急が同時に実現してたかどうかは微妙。
      • 早くても1991年(明石駅高架化=山陽6連対応)
    • 山陽車の阪急神戸三宮乗り入れも廃止されていた。
    • 阪急の神戸市営地下鉄西神・山手線への乗り入れ計画及び神戸高速線阪急神戸三宮~高速神戸間の廃止計画が現実よりも早く進んでいたかも。
  3. 山陽電鉄は事故後暫く運転見合わせを命じられていた。
    • お陰で並行して走る国鉄が混雑し、史実よりも早く全ての新快速が姫路まで乗り入れるようになったかも。
      • その結果、史実より早く山陽電鉄から国鉄→JRへの旅客流出が起こり、その対策として阪神大震災までに阪神・山陽直通特急を運転開始していた。
        • 場合によっては阪神の子会社になっていたか吸収合併されていた。
          • 神鉄粟生線のように廃止論議が発生していた。
            • 輸送量的にそれはありえない。
事故車両がアルミ車だったら
  • 史実では阪急、山陽とも鋼製車でしたが、もし、これが山陽3000系や阪急7000系などのアルミ車だったら?
  1. 阪急側の車両は7000系が代替新製されていた。
  2. 山陽側の車両は史実通りに復旧に尽力させるが、困難を極めていた。
    • 最悪、代替新製された可能性も。
  3. 山陽側の車両はアルミ車も鋼製車と同様の塗装をされていた。
    • 現在の塗装ではなく、旧塗装に塗られていた。
事故車両のどちらかがアルミ車だったらの場合
  1. 上述と同じかな。

東北新幹線小学生死亡事故

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起きていなかったら
  1. 東北新幹線ではいまだに死亡事故は起きていない。

特急やくも列車脱線事故

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起きていなかったら
  1. 運転士が助かって乗客が死亡した事故は起きていない。

西明石駅寝台特急列車脱線事故

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起きていなかったら
  1. 寝台特急紀伊の事故がなかったら起きなかった。
  2. 国鉄の分割民営化はなかったかもしれない(実際には民営化に対して議論をしている最中で、この事故がきっかけで分割民営化へ一気に進むことになった)。
    • あるいは民営化のタイミングが遅れていた。
      • 恐らく小泉政権の頃に民営化されていた。その場合民営化の枠組みも現実と異なっていたかもしれない。
死者が出ていたら
  • 現実にはホームに衝突したのは通路側だったため死者は出ませんでした。
  1. 衝突したのが寝台側だったら十分あり得た。
  2. 寝台列車衰退が現実より早まっていた。
    • 青函トンネルが開通しても「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」は設定されず、当初から貨物主体となっていた。
      • 場合によっては「サンライズエクスプレス」も登場しなかった。
    • 東北・九州・北陸新幹線の全通が早まっていた。
      • 北海道新幹線も。
    • 事故後「富士」の愛称は廃止されていた。
    • 夜行高速バスの発展が現実よりも早くなっていた。
    • 公立学校の修学旅行における航空機利用解禁が早まっていた。
      • 早ければ昭和末期には行われていた。
    • 関西国際空港の開港が1~2年早まっていたかも。
  3. 2012年のツアーバス藤岡事故なみに凄惨な事故だったことは間違いない。
  4. 国鉄分割民営化への機運がさらに高まっていた。
    • 場合によっては1年ほど早まっていた。
  5. 事故後、西明石駅構内に慰霊碑が立てられていた。
別の時代に起きていたら
  • 1982年
  1. 同年に発生した「紀伊」の事故とともに、寝台特急の運転手による飲酒運転事故が相次いだ年と言われていた。
  2. 史実通りこの事故をきっかけに国鉄の分割民営化へ一気に進んだ場合、民営化は史実より2年早く1985年に行われていたかもしれない。
    • その場合、8月の日航123便墜落事故と合わせて日本の公共交通機関で歴史に残る出来事が2つ起こっていた。
  • 1983年
  1. 前年に発生した「紀伊」の事故と合わせ、2年連続で寝台特急の運転手による飲酒運転事故が続いたと言われていた。
  • 1985年
  1. 同年は日航123便墜落事故や犀川スキーバス転落事故、能登線急行能登路脱線事故などもあり、公共交通機関における事故の多い年と言われるようになっていた。
  • 1986年
  1. 史実通りこの事故をきっかけに国鉄の分割民営化へ一気に進んだ場合、民営化は史実より2年遅れて1989年に行われていたかもしれない。
    • その場合、昭和とともに国鉄も終わったと言われていた。

能登線急行能登路脱線事故

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起きていなかったら
  1. 能登線・七尾線の和倉温泉-輪島間が電化していた。
  2. のと鉄道は誕生せず今もJRが運行。
    • もちろん廃止されていない。奥能登への観光路線として特急も乗り入れていた。
      • サンダーバードの輪島及び蛸島乗り入れもあったかも。
      • 「能登路」は特急に格上げされていた。そのため「能登かがり火」はない。
        • JR西日本の183系はなかったかも。そのため余剰になった485系が投入されていた。
          • 代わりに「北近畿」「きのさき」「はしだて」「まいづる」などは381系の投入か、JR東日本の183系を投入していたか。
  3. 能登線の鉢ヶ崎海岸延伸も実現していただろう。
別の時代に起きていたら
  • 2000年
  1. のと鉄道は現実以上に経営悪化。
    • よって全線廃止になっていた可能性も。
  2. 12月に起きた場合、京福の事故も起きていたら北陸地方の地方鉄道の安全性が問われていた。

西武新宿線田無駅列車追突事故

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起きていなかったら
  1. そもそも2000系の2両編成、4両編成がいずれも全電動車だった場合は発生しなかった。
  2. 降雪が原因の事故は東急東横線の事故のイメージが強かった。
  3. 耐雪ブレーキは2000系に設置されなかった。
別の車両で起きていたら
  • 401系・701系・801系
  1. 電制なしが仇となり史実より早く淘汰されていた。
    • 西武以外でも電制なしの車両に対して電制の設置が行われていた。
      • 阪神7000系は2000系への改造が早まり、京阪1900系は冷房改造後も電制が残されていた。
  2. 新501系のみは耐雪ブレーキ化の対象になった。

余部鉄橋列車転落事故

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起きていなかったら
  1. 余部鉄橋が架け替えられることはなかった。
  2. 「みやび」はJRに継承されていた。
    • 「あすか」は登場しなかった。
    • ブルーリボン賞orローレル賞を受賞していた。
    • 阪急に「京とれいん雅洛」が登場すると車内に庭園があるという意味でこれと比較されていた。
    • 2018年には運用を終了して廃車されていただろう。
  3. 風速規制の強化は遅れ、羽越線特急脱線事故後に実施された。
    • 東海道本線根府川〜真鶴間の白糸川橋梁に防風柵が設置されることもなかった。あるいは2000年代半ばに設置された。
      • 寝台特急「あさかぜ」「さくら」の廃止間際には多くの撮影者が訪れた。
営業列車だったら
  • 現実には回送列車でした
  1. 犠牲者の数がは現実よりもかなり多くなっていただろう。
    • 特に事故を起こした列車が現実と同じ「みやび」か特急列車だった場合、恐らく福知山線脱線事故と同等かそれ以上になっていた。
    • あの高さから落ちていたら生存者の方が少ないと思われる。
    • あの「カサンドラ・クロス」(1976年制作の欧州映画)での惨劇が現実のものとなっていた。欧米でも「カサンドラ・クロス」に酷似した列車事故として有名になっていた。
    • 国鉄最後の大惨事として史実以上に語り継がれていた。
  2. 事故後直ちに余部鉄橋は架け替えられていた。
    • 智頭急行も史実よりも早く開業していた。
    • 旧鉄橋の一部が保存されることもなかった。
      • 「事故を思い出す」ということで完全に解体されていた。
      • 京都鉄道博物館に保存されることもなかった。
  3. むしろ乗客の重みで転落しなかったのかもしれない。
  4. 計画運休という考え方が昭和の頃から存在し、台風が接近すると予め電車を止めることになっていた。
    • 台風ではないが、2005年の羽越本線「いなほ」脱線事故も事前に運休していたので起こらなかったかもしれない。

上海列車事故

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起きていなかったら
  1. 海外への修学旅行が減少することはなかった。
    • 1990年代に入ると公立学校でも海外に修学旅行に行く学校が出ていた。
  2. 尾形大作の曲「無錫旅情」はこの事故の後に放送自粛をすることはなかった。
  3. 高知学芸高校の知名度は現実ほどではない。
  4. 中国国鉄は日本の旧国鉄並みの体質を晒すことはなかった。
  5. 鉄道企画の「オリエント・エクスプレス '88」も上海から香港旧九龍駅経由にならなかった。

サロンエクスプレスアルカディア火災事故

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火災がトンネル内で発生していたら
  • 現実では新清水トンネルを通過した後に火災が発生しました。
  1. 犠牲者が出ていたかもしれない。
  2. Kenjiへの改造は無く、全車両がこの時に廃車になっていた。
  3. この事故以降清水トンネルなどでの気動車運行がタブーになっていた。
    • どうしても運行したい場合はトンネル部分のみ電気機関車による牽引となっていた。
    • 長大トンネルを含む区間は原則として電化されることになっていた。
      • その結果、石勝線の特急「おおぞら」の火災事故はなかったかもしれない。
      • 智頭急行も電化路線になっていた。
  4. 全長5キロ以上のトンネルを持つ路線は気動車は出禁になっていた。
  5. 1972年に発生した北陸トンネル火災事故と比較されていた。
起きていなかったら
  1. JR東日本は団体用ジョイフルトレインの電車化を推進させことはなかった。
    • E655系やTRAIN SUITE 四季島は汎用性を高めるため、気動車として製造されたかも。
      • JR東日本は特急形気動車を保有しないと言われ続けることもなかった。
  2. DMH17エンジンの取り換えもなかった。
  3. Kenjiも登場していない。
    • サロンエクスプレスアルカディアは2000年代半ば頃に廃車となっていた。
    • キハ58系は2000年代までにJRから運用を撤退している。
    • 上越線を走る夜行を含む優等列車は1990年以降、臨時を含めて全く走っていなくて団体列車しか走っていない。
  4. アルカディアがJR西または東海の車両だったら起きなかった(JR東のいい加減な気動車の管理体制と上沼垂区の検査手抜きが火災要因)。

中央線東中野駅列車追突事故

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起きていなかったら
  1. ATS-Pの導入が遅れていた。
  2. 中央・総武緩行線に205系が投入されることはなかった。
    • 103系1200番台や301系の塗色変更も209系500番台投入時に行われていた。
  3. モハ103-334は2005年まで稼働した。
  4. 故・山之内秀一郎氏はJR東日本の社長になっていた。
  5. カナリアイエローが忌み嫌われることはなかった。
    • 103系のカナリア色が関西では2021年現在でも現役。
別の路線で起きていたら
阪和線
  1. 「天王寺の事故」は忘れたのかといわれた。

阪和線天王寺駅車止め追突事故

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起きていなかったら
  1. 阪和線は遅れと運転見合わせが多いというジンクスはなかった。
  2. 101系を改造編入した103系がもう少し長く運用された。
車止めを突破していたら
  1. 宿毛の事故どころでは済まなかった。
    • ターミナル駅のため利用者を巻き添えにして死者が出ていた。
  2. JR西日本のクラッシャブルゾーンの導入が早まっていた。
    • ATS-Pの導入も早まっていた。
  3. JR西の体質がこの時点で白日の元に晒されるため、その後経営改善が行われる。福知山線脱線事故もなかったかもしれない。
事故車両が〇〇だったら
  • 現実では103系でした。
113系
  1. 阪和線の113系は関空開港の時点で全廃されていた。
    • 現実より早く奈良の221系を借り受けて113系を全廃していた。
    • 廃車にならなくても湘南色に塗装変更されていた。
165系
  1. 165系は少なくとも日根野からは1994年に全廃になっている。
別の駅で起きていたら
上野駅
  1. 「東中野の事故」はなかったかも。

飯田線正面衝突事故

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起きていなかったら
  1. 飯田線の乗務員のモラルが問われることはなかった。

日高線踏切事故

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起きていなかったら
  1. JR北海道の車両が高運転台化されることはなかった。
    • その結果深川のスーパーカムイ踏切事故で死者が多数出た可能性が。
  2. キハ160形は登場しなかった。
    • 少数派車両ゆえにハイブリッド試験車に改造されることもなかった。
  3. それでも復旧を果たせないまま日高本線は鵡川以東が廃止されていた。

信楽高原鐵道列車衝突事故

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起きていなかったら
  1. 「世界陶芸祭」は予定通り最終日まで開催されていた。
  2. 途中の行き違い設備やJRとの連絡線は現在でも残っている。
    • 運転本数が増便され、JRとの直通も残っていたかも。
      • 場合によっては電化されていた。
  3. 信楽高原鐵道が経営難に陥ることはなかった。
  4. 2013年に豪雨で被災した際も早くに復旧できていた。
  5. 地方私鉄・第3セクターとJRの臨時直通列車の廃止・削減はされなかった。
    • 常磐線の海水浴列車である「あじがうら」「おおあらい」は廃止されなかった。
      • 「ビーチイン大洗ひたち」の運行も実現していた。
    • 「サンダーバード」の宇奈月温泉・立山直通も2015年3月の北陸新幹線開業まで廃止されなかった。
    • JR各社間またがりの列車の削減も史実ほど進んではいなかった。
      • 九州からの下関以東への直通やJR西日本車両の大垣乗り入れが廃止されることもなかったかも。
      • 大糸線も南小谷駅から現在でも気動車が電化路線に直通していたかも。
        • リゾートビューふるさとが糸魚川まで乗り入れていたかもしれない。
    • 東武東上線は秩父鉄道への直通特急「みつみね」「ながとろ」も廃止されなかった(こちらは秩父鉄道のATS導入絡みもあるが)。
      • 東武は多くの線区で系統を分断することもなかった。
    • それでも地下鉄箱崎線と西鉄宮地岳線の相互直通は実現しなかった。
    • JR西日本からあいの風とやま鉄道に入る臨時列車が運行されていた。
    • 阪急と山陽電鉄の相互乗り入れも中止されなかったかもしれない。
      • その場合阪急7000系「京とれいん雅洛」は山陽電鉄線発着も設定されていた。
    • アルピコ交通のJR列車直通も復活し、特急「あずさ」が新島々駅まで乗り入れていたかもしれない。
    • 信楽高原鐵道自体貴生川から近江鉄道への乗り入れが実現していたかもしれない。
  6. 富士重工LE-carシリーズが生産中止になることもLE-DCが標準化されることもなかった。
  7. 史実では、当時の本場所で負けが込んで「体力の限界、気力も無くなった」と言って事故当日の夜に引退した大横綱・千代の富士がどうなっていたか?
    • むしろマスコミの取り上げ方が大きくなっていたと思われる。
  8. 信楽高原鐡道所属車両の塗色変更はなかった。
  9. ICカードが使えるようになっていたかもしれない。
  10. 信楽町が水口町や甲賀町などと合併することもなかったかもしれない。
  11. 信楽から石山方面に向かう帝産バスは史実よりも早く廃止されていた。
直後に火災が発生していたら
  1. 死者が西成線事故に匹敵していた可能性がある。
  2. それでも信楽線が電化されることはあるまい。

寝台特急「さくら」トレーラー衝突事故

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寝台特急の乗客に死者が出ていたら
  1. 寝台特急の衰退が現実よりも早く進んでいた。
    • 少なくとも事故の当該である「さくら」は事故後直ちに廃止されていた。
      • 山陽~九州新幹線直通列車の愛称に「さくら」は使われなかったかもしれない。

関東鉄道常総線列車衝突事故

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なかったら
  1. 2000年代以降の茨城県内のローカル私鉄の廃止はなかった。
    • おそらく湊線のように3セク化された可能性も。
  2. 現実のキハ2100以降の自社発注車は登場しなかったか遅れた。

成田線大菅踏切事故

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起きていなかったら
  1. 113系などが前面強化されず、「鉄仮面」と呼ばれることはなかった。
  2. 「踏切事故撲滅キャンペーンCM」は製作されず、怖いCMとして話題になることも無かった。
  3. E217系以降のJR東日本の近郊型電車に衝撃吸収構造が採用されることはなかった。若しくは遅れていた。
別の地域で起きていたら
近畿圏
  1. JR西日本の労組が動労千葉並みの力に。
別の時代に起きていたら
  • 全般
  1. 木製車の場合その淘汰が早まった。
  • 2005年
  1. 4月25日前後の場合「福知山線脱線事故」「踏切事故」と思われた。

島原鉄道列車正面衝突事故

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起きていなかったら
  1. キハ2500形の導入はなかったか遅れていた。
    • 取手事故の二の舞になることはなかった。
  2. 島原鉄道の経営が悪化することはなかった。
    • 島原外港-加津佐間の廃止もなかった。
  3. 種村直樹は島原鉄道への救援カンパ呼び掛けを打ち切ることなく、関係が悪化することもなかった。
  4. 信楽の場合と同様、ICカードが使えるようになっていた。

日豊本線竜ヶ水駅土石流事故

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起きていなかったら
  1. 竜ヶ水駅は悪い意味で有名になっていない。

ニュートラム暴走衝突事故

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起きていなかったら
  1. 100系(初代の車両)の置き換えが数年遅れていた。
    • それでも鋼製車体なので塩害の影響もあることから遅くとも20世紀中には置き換えられていただろう。
  2. 大阪市バスに「ニュートラム代行バス」の方向幕が用意されることはなかった。
  3. 200系の13番編成が欠番になることはなかった。
車止めを突破して地上に落ちていたら
  1. 現実には出なかった死者が確実に出ていた。
    • 最悪、車止めの真下の道路を走る車を直撃していた。
  2. 新交通システムにおける無人運転は現実よりも普及しなかった。
  3. 100系車両は1両も保存されることなく全車解体されていた。
  4. OTS線の利用客は現実ほど低迷しなかった。
    • 大阪市交通局への運営移管はなかったか現実よりも遅れた。
      • 大阪市交通局の赤字はひどくなり史実より早く民営化されている。
    • それはむしろ起きていなかった場合じゃね?
  5. ニュートラムは廃止になり、バス転換された。
    • その後同じルートでリニア地下鉄が計画され、住之江公園以東も長居公園通の地下を喜連瓜破まで延伸されていた。
    • つまりシーサイドライン暴走事故の後シーサイドラインは廃止されてたか?
    • むしろそれ以後有人運転になっていた。
回送列車だったら
  1. 無人運転なので、恐らくけが人はいなかった。
  2. 「もし営業列車だったら大変な惨事になっていただろう」とマスコミがコメントしていただろう。
  3. 人的被害はなかったものの、一応事故は起こったことになるので、安全対策の強化が求められるようになっていた。
    • 史実と同様、事故後しばらくは運転席に係員を添乗させていた。
    • 但し運行再開は現実よりも早かっただろう。

銚子電鉄列車正面衝突事故

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起きていなかったら
  1. 銚子電鉄の経営が悪化することはなかった。
    • 映画「電車を止めるな!」は制作されなかった。
  2. 「澪つくし号」は現在でも運行していた。
  3. その後の減便もなかった。
  4. ICカードが使えるようになっていた。ぬれせんべいとたい焼きの購入にもICカードでの購入が可能になっていた。

三島駅乗客転落事故

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起きていなかったら
  1. 現在も運行者責任での新幹線死亡事故は起きていない。
  2. 0系の廃車は史実より早かった。
  3. 全国各地で駆け込み乗車に起因するトラブルが社会問題になっていた。
    • 須田寛氏はJR東海のCEOになっていた。
      • その結果、JR東海はゲームや全面展望映像の商品化を断ったりイベントをほとんどしなくなることもなかった。
        • JR東海ファンはもっと多くなっていた。東海地方の鉄道イベントはすべて自由参加になっていた。
          • JR東海はイベントが一番多いといわれていた。あと観光列車もしている。JR東海の葛西さんの勢力は強くならなかった。
      • セキュリティに対し過敏になることもなかった。テレビの取材を受けてもぼかしだらけになることはなかった。
      • JR東海の在来線特急用グリーン車は383系以降の車両も3列のままであった。
  4. 発車メロディが熱海以北(醒ヶ井)まで導入されていた。テイチク、五感、サウンドフォーラム、サウンドファクトリー、ユニペックスなどの種類豊富な発車メロディが導入されていた また、愛知や岐阜や静岡県熱海以西でも、JR東日本と同様の発車メロデイが聞けるようになっていた。ひだや311系やキハ75やjr西日本の223系や221系や225系などと従来の発車メロデイとの組み合わせが見れたかもしれない
  5. 櫻井音楽工房の未採用発車メロデイが次々と導入されたが、2024年からJR東日本で採用されているJRE-IKSTシリーズによる置き換えも始まっていたのだろう

京浜急行電鉄脱線事故(1997年)

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起きていなかったら
  1. 土砂崩れでの事故は2012年が最初だった。
下り快特が突っ込んでいたら
  • 事故当時は脱線した車両が下り線路を塞ぎ、そこに下りの快特電車が差し掛かっていましたが、脱線した車両の運転士が非常事態を発令したため、快特は現場の400m手前で緊急停車して難を逃れました。
  1. 快特電車の乗員乗客に重軽傷者が出ていた。
  2. 京急版三河島事故と言われていた。

中央本線大月駅列車衝突事故

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起きていなかったら
  1. あずさが旧あさま用の189系による代走はなかった。
    • 「あさまずさ」と呼ばれることもなかった。
  2. E351系がもっと量産されていたかも。
    • 引退も現実よりも遅かったかもしれない。
      • もしくはスーパーあずさ引退後、宇都宮線に転属してスワローあかぎの宇都宮線版「スワローとちぎ」になっていた。
201系の列車配置が逆だったら
  • 事故当時、東京発の快速電車だった201系は前6両(大月止まり)・後ろ4両(富士急行線に直通)の列車配置であり、前者を入換中に事故が発生しました。E233系が導入されてからは前4両(富士急直通)・後ろ6両(大月止まり)と逆になりましたが、仮に列車配置が逆だったら?
  1. 史実でも快速電車の運転士は生存していたものの、代わりに快速の乗客に重軽傷者が出ていた。
E351系が衝突していたら
  • 史実では、入換中の201系が大月を通過中のE351系の側面に突っ込んだ事故でしたが、仮に201系にE351系が衝突していたら?
  1. E351系は高運転台構造だったため、史実より被害は少なかった。

ICE脱線事故

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起きていなかったら
  1. 台湾高速鉄道はフランスのTGVとドイツのICEの技術が採用され、日本の新幹線の輸出はなかった。
    • 「台湾新幹線」と呼ばれることはない。
  2. 日本の新幹線はヨーロッパに遅れをとっていると言われていた。
  3. 橋梁災害による鉄道事故といえばグランヴィル鉄道事故だった。

東青森駅除雪作業員死亡事故

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発生後に作業中の線路封鎖などの対策が行われていたら
  1. 翌年2月の山手貨物線作業員触車死亡事故は起こらなかった。

相模鉄道相模大塚駅脱線事故

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起きていなかったら
  1. 3000系は10000系誕生まで使い続けられていた。
    • さよなら運転も行われていた。
    • もちろん湘南台入線も実現していた。
  2. 8000系の製造両数が1編成減っていた。

山手貨物線作業員触車死亡事故

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起きていなかったら
  1. 当該のEF64 36号機は数カ月後のお召し列車の予備機に抜擢されていた。
    • 廃車も現実より遅れていた(史実では2011年廃車)。
    • 同機が牽引していた12系客車「江戸」の引退も遅れていた(史実では事故の約1年後に廃車)。
  2. JR東日本に関しては作業時の線路封鎖は行われないままだった。
    • 他社も含めて昼間作業も盛んに行われていたので、同種事故が現実よりも多く起こっていたかもしれない。