もしあの鉄道車両が○○だったら/関西私鉄
京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]
500形 (初代)[編集 | ソースを編集]
車体更新時に大型化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1700系と同様の車体となっていたが、当初から片開き3ドア仕様だった。
- 主電動機の絶縁強化は図られた。
- 全電動車構成となっていた。
- 廃車については史実通りだった。
600系 (2代)[編集 | ソースを編集]
車体強度が冷房化に耐えうる状態だったら[編集 | ソースを編集]
- 車体強度により700系は1000系に改造された一方、600系は廃車と明暗を分ける格好になりました。
- 51両中37両が1000系10番台に改造された。
- 700系も44両全車が1000系となった。
- 残る14両は1800系に編入され、最終的に1900系と共用され2008年まで活躍した。
- 1800系の余剰車体は一時的に600系・700系の余剰機器を利用して1983年まで使用された。
- 5000系に次いで置き換え対象となった。
53両全車が昇圧後も残留することになったら[編集 | ソースを編集]
- 1800系化から外れた39両も昇圧後に残留する場合について考える。
- 上記と被るものの車体強度は史実通りと仮定します。
- 京阪1000系と同じ部品で高性能化されたが、非冷房のままだった。
- 形式上は1000系10・20番台となっていた。
- 690と691は例外として1000系の0番台を名乗った。
- 1983年まで残ったのは1800系改造用の14両だった。
- この14両は史実通りの道を辿った。
- 4連6本、3連5本にまとめられた。
- 1985年に8両運転が開始された際、旧690と691は冷房化され1000系に組み込まれていた。
- 以降、4連4本、3連7本の体制となったが、これを7連1本、6連3本、4連3本として運用した。
- 史実より6000系の投入数は少なくなったが、代わりに1987年から本系列が界磁添加励磁制御化されるとともに6000系と同一の車体に載せ替えられ、6000系の20番台あたりに形式変更されていた。
- 一部新造を含め、1988年までに全車の更新が完了し1800系組より先に全滅していた。
700系 (2代)・1000系 (3代)[編集 | ソースを編集]
一部4両固定編成で落成していたら[編集 | ソースを編集]
史実上では7連6本、中間車2両の44両体制でした。
- 更新後の1000系は7連6本の42両体制になっています。
- 5M2Tの7連、3M1Tの4連各4本の陣容となった。
- 4連は2600系0番台と同じく前面に幌が付いていた。
- 史実上では1000系への改造後に7連の前面幌は撤去されている。
- 4連は2600系0番台と同じく前面に幌が付いていた。
- 44両全車が1000系に改造され、600系への編入・昇圧時の廃車は皆無だった。
- ブレーキ方式がHRDのため4連は5000系とのみ併結が可能だった。
- 1980年に置石事故で5554Fが被災した時には本系列との併結運転も見られた。逆に5000系の宇治線運用は現在に至るまでなかった。
- 他に7連の不足時はサハ1両を抜いて4+3で運用することもできた。
- 昇圧後に8両運転が開始された際にようやく1000系のみの4連+4連の運用を見るようになった。
- ブレーキ方式がHRDのため4連は5000系とのみ併結が可能だった。
- 車体更新時にも4連は4連のまま更新された。
- この際に4連の貫通幌が撤去された。
- 10000系、13000系の製造数が少なかった。
- 代わりに本系列がワンマン化された。
- その場合、2600系30番台もワンマン化されていたかもしれない。
- 代わりに本系列がワンマン化された。
- 逆に新造時から7両編成の10000系が出ていた。
5000系に次いでそのまま代替対象となったら[編集 | ソースを編集]
- ざんねんな鉄道車両事典/私鉄#京阪1000系より、ホームドアの広幅化を強いられた一因であることがわかりますが、この時点で1000系まで代替対象となっていたら?
- 8000系も3000系または仮称18000系への代替対象となった。
- そもそも8000系のリニューアルが見送られていたらあり得た。
- 13000系はコストカットのためまさかの5両編成で製造された。
- 大阪側の普通・区間急行の4両ワンマン運転が早まってたかもしれない。
- あるいは1000系の走行機器を流用して13000系と同様の車体を新造した車両が登場し、「11000系」を名乗っていた。
- この場合、11000系には性能上ほぼ同一となる5000系からの機器流用版も存在した可能性がある。
- ホームドアは狭幅タイプとなった。
1800系 (初代)[編集 | ソースを編集]
台車を空気ばね化されていたら[編集 | ソースを編集]
金属バネ台車のまま残された結果全車が2代目へ機器流用ののち廃車に至りました。
- 史実上の1887は1900系に編入され、1885が代わりに1800系1882となった。
- 1800系で残った14両については1979年に昇圧改造の対象となり、6両が旧700系ベースの新製車体に載せ替えられた。
- 後の冷房化に伴い4両が630型、2両が690型690・691の車体に載せ替えられた。
- 当初は7連2本の予定だったが、1900系の再電装とそれに伴う編成替えにより1900系と合わせて7連1本(6M1T)、6連2本(4M2T)、5連8本(4M1T)の陣容となり、1881・82は1900系に編入された。
- 6000系の製造数が2本少なく、代わりに旧600系のうち14両がカルダン駆動化され1000系として残され、後に6000系に編入となった。
- 機器類の関係で2008年の中之島線開業までにさすがに引退した。
1800系 (2代)[編集 | ソースを編集]
別の車両が改造対象だったら[編集 | ソースを編集]
史実上では631 - 636, 656 - 661, 684, 685が改造されましたが、他の車両が改造されていたら?
- 690と691
- 旧2代目700系の、1000系化対象外になった2両。
- 684と685が対象外となり昇圧で廃車されていた。
- それ以外は史実通りで、1989年に車齢20年弱で2両とも廃車解体となっていた。
- あるいはこの2両のみ1800系全廃時に冷房化・付随車化・台車を空気ばね化され、1000系に編入されていた。
- 旧600型
- 631 - 636より強度が弱く、史実上では改造対象から外れた旧600型の601 - 622のいずれか。
- 前面形状がそのままだった。
- 史実より早く1800系自体が全廃されていた。
- 旧1881・1882
- この2両は元1810系のため18m車でした。
- この2両だけ旧1800系では廃車にならず、新1800系に組み込まれていた。
- 代わりに684・685が廃車になっていた。
- 車番もそのまま使われていた。
- 外観は1900系の旧1810系車両と同じだった。従って片開き扉で両開き扉を有する他車とは異なっていた。
- 但し車内は他車と同じグリーン系に変更されていた。
- 他の新1800系と同じく、1989年までに廃車されていた。
- 686 - 689のいずれか
- 旧637 - 640で運転台撤去車となっていたいずれか2両。
- 684と685が対象外となり廃車された。
- 2両とも運転台を復活し、4連、3連各2本の陣営となっていた。
- 史実通り1989年に廃車された。
2600系[編集 | ソースを編集]
30番台がワンマン化改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 交野線ワンマン運転化の際本系列をワンマン化する構想があったようです。
- 同時に車体改修工事も行われていた。
- ワンマン運転のため運転台部分は1000系と同様に新造されていた。
- 制御装置などの走行機器はそのまま。
- もしくはユニット方式化された。
- 7連×4編成が4連×7編成に組み換えられていた。
- 不足する先頭車は0番台の廃車発生品を流用して先頭車化改造が行われていた。
- あるいは、極端な車種変更を嫌って、4連、3連各4編成となっていた。
- もしくは2200系の2380形を巻き込んで4連8編成体制となった。
- 10000系は当初から7両固定編成で登場していた。
- 10000系増備までの間、0番台の中間に30番台の中間車を組み込んだ7両編成が見られた。
- 宇治線のワンマン化が行われた後はそちらでも運用されるようになっていた。
- 後に同様の改造を行った阪神5500系の武庫川線用車両と比較されるようになっていた。
3000系(初代)[編集 | ソースを編集]
全て7両編成で製造されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
- 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。
- 1989年の鴨東線開業時点では8000系は現実以上にレアな存在だった。
- 1編成しかない8000系を待つ人は現実よりも多く、その列車は大混雑となっていた。
3000系(2代)[編集 | ソースを編集]
プレミアムカー連結がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 2021年の緊急事態宣言に伴う休日減便ダイヤにおいて休まされることはなく特急として運用されていた。
- 同年9月のダイヤ改正では昼間に快速急行が設定されることはなく、15分サイクルに特急・準急・普通が各1本というシンプルなダイヤになっていた。
- 急行以下の格下げ運用が2021年以降も存在した。
- 13000系の6連が登場することはなかった。
- 30番台は最初から7連で登場していた。
- 2022年に3000系が2度目のローレル賞を受賞することもなかった。
5000系[編集 | ソースを編集]
4両編成に短縮されていたら[編集 | ソースを編集]
- 現実には京橋駅への可動式ホーム柵設置に伴い本線運用ができなくなり2021年に廃車されました。
- 5000系の引退は現実より遅れていた。
- ワンマン化が行われ、交野・宇治線で運用されていた。
- 3扉車として運用されていた。
- それでも余った中間車は廃車されていた。
- 5000系投入により余った13000系は中間車を増備して6連あるいは7連化が行われ、本線に転用されていた。
6000系[編集 | ソースを編集]
界磁チョッパ制御を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 関西大手私鉄は全社界磁チョッパ制御を採用したことになっていた。
- 後期タイプ(6012F以降)はチョッパ装置にGTOサイリスタが採用され、補助電源装置もMGからSIVになっていた。
- 前期タイプも含めリニューアルと同時にチョッパ装置がIGBTに更新され、補助電源装置も現実通りSIVに統一されていた。
- 8000系や大津線の600・700形も界磁チョッパ制御を採用していた。
- 但し定速運転装置装備だった。
- 旧3000系もリニューアル時に界磁チョッパ制御に改造されていた。
制御車の先頭車が存在したら[編集 | ソースを編集]
- 例に漏れず制御車はすべて制御電動車ですが、1000系や2200系のように、一部または全部の先頭車が制御車だった場合を考えてみる。
- 全般
- 8000系や7000系以降も先頭車が制御車の構成は踏襲された。
- ただし、VVVFのユニット化はあり得ない。
- 阪急にもこの構成が踏襲されている。
- そもそも阪急6000系の先頭車が制御車だったらあり得た。
- 淀屋橋方のみ制御車だったら
- ここでは2200系や2600系と同じ構成を仮定します。
- M-M-T-T-M-M-T-Tの構成となった。
- 13000系には電装解除車が発生しなかった。
- その分、4両編成はM-T-M-TとM-T-T-Mの2種類の編成が用意された。
- 両端が制御車だったら
- ここでは1000系と同じ構成を仮定します。
- 10000系になってようやく制御電動車が製造された。
- 付番規則は5000系と同じになっていた。
リニューアルの際VVVF化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 3000・13000系とは異なり、種車と同じ4M4Tの編成構成となっていた。
- VVVF装置も4M1Cのものが採用されている。
- その分モーター出力は低く抑えられていた。
- 駆動装置は中空軸平行カルダン駆動からTDカルダンに変更されていたため、台車関係の改造が行われていた。
- それでも6014Fと7004Fのトレードは行われなかった。
リニューアルの際7連に短縮できるようになっていたら[編集 | ソースを編集]
- 元々は8→7連に短縮可能でしたが、リニューアルに伴い補機を移設したことから編成短縮は不可能になりました。
- 2020年代に入って利用客の減少に呼応して一部が7連に短縮されていた。
- 余った中間車は10000系の4→7連化に活用されていた。その際M車が不足することから一部は9000系に組み込まれ、9000系の元M車が再電装化されて10000系に組み込まれていた。
- 13000系の4連は電気連結器が取り付けられて重連に対応していた。
- 朝ラッシュ時は8連で優等列車に運用され、昼間は4連×2本に分割して普通に運用されていた。
8000系[編集 | ソースを編集]
3扉車で登場していたら[編集 | ソースを編集]
- ベース車は6000系となり、窓割りの設計変更をこの時点で強いられた。
- 2000年代以降枚方市や樟葉などに停まるようになっても遅れにくくなっていた。
- そのため、両駅での停車時間が短縮され、実質的に現実よりもスピードアップされている。
- むしろ途中停車が増えるのが早まっていた。
- 阪急9300系のベースになっていた。
- 2扉が検討されることもなかった。
- テレビカーは本系列で廃止されていたかも。
- ダブルデッカー組み込みも怪しい。
- プレミアムカーに関しては新造車を組み込む形となり、余った車両は新造の13000系に組み込まれていた。
- あるいはプレミアムカー導入に伴い新特急車を導入し、こちらはロングシート化などの格下げ改造が行われていた。
- 3扉のため扉増設の必要がなかったため。
- 13000系の導入数が少なくなっていたか、2200系などの旧型車両の置き換えが早まっていた。
- 格下げにともない勿論緑系の塗装に変更される。
- あるいはプレミアムカー導入に伴い新特急車を導入し、こちらはロングシート化などの格下げ改造が行われていた。
- 新3000系はこれの改良タイプだった。
- 9000系は登場しなかったかもしれない。
- その場合、現実の10000系が9000系を名乗っていた。
- 現実の13000系が10000系を名乗っていたかも。
- その場合、現実の10000系が9000系を名乗っていた。
VVVFインバータ制御を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らく7000系と同じ機器を使用し、これに定速運転が装備されていた。
- 2010年代のリニューアルでIGBT-VVVFに更新されていた。
- 加速力が上がることから、途中停車が増えても遅れにくくなっていただろう。
- 旧3000系の機器は流用されなかった。
プレミアムカーが2階建て車からの改造だったら[編集 | ソースを編集]
- 当然、追加料金不要のダブルデッカー車両は全滅。
- 3000系のプレミアムカーは2両化されない代わりに、こちらも2階建て車となっていた。
- 改造時に2ドアは維持され、窓割りの合わない座席は史実より少なかった。
13000系[編集 | ソースを編集]
20番台の一部が4連化されたら[編集 | ソースを編集]
- 増備途上で20番台の一部を4両ワンマン専用車に改造するシナリオも不可能ではありません。
- 4本のみが4連化され、余剰中間車は10000系の7連化に充てられる。
- 13772と9605は13670形に改造し、13870形は新製した13670形に差し替えることで7連で残る編成のワンマン装置は撤去。
30番台が7連化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 3000系プレミアムカー組み込みに伴う余剰中間車は30番台(13031F~13036F)に組み込まれていた。
- 30番台とはクロスシート車組み込みという意味だった。
- 2024年以降の4連増備は全て新造車で行われていた。
- 車番は0番台の続きで13008F~13019Fとなった後、20・30番台との重複を避けて13041F~13043Fが与えられていた。
30番台が重連運転可能だったら[編集 | ソースを編集]
- 先頭車の連結器が電気連結器付き密着連結器になっていた。
- 京阪の車両としては旧3000系以来の採用となる。
- 30番台の初期車は元々6連だったことから、4連化と同時に電気連結器の取り付けを行っていた。
- 朝ラッシュ時は4+4の8連で優等列車に運用し、ラッシュが終わると分割して4連で普通に運用する。
- 場合によっては夕ラッシュ時~夜間も8連で運用する。
- 朝ラッシュ時の4連運用がなくなっていたので、現実ほど評判が悪くならなかった。
- 先頭車の全長が中間車よりも20cm長いため、ホームドアもそれに対応していた。
- 6000系は一部が7連に短縮されていた。
- 余剰の中間車は10000系の7連化に活用されていたが、M車が不足するため、9000系の元M車である9700形と差し替え、これを再び電装化して対応していた。
阪急電鉄[編集 | ソースを編集]
1000・1300系[編集 | ソースを編集]
先頭車が電動車だったら[編集 | ソースを編集]
- 付番規則は6000・7000系と同じだった。
- 恐らくVVVFは2両ユニットの大阪側の車両に搭載され、神宝京側の車両には補助電源のSIVやCPが搭載されていた。
- 7000・7300系のVVVF化更新車と同じ機器構成になっている。
- 大阪側先頭車はダブルパンタとなっていた。
- それでも増結仕様にはなっていない。
2000系・2100系[編集 | ソースを編集]
複巻電動機を維持していたら[編集 | ソースを編集]
昇圧の際に回生制動が廃止され、更に電動機も直巻化されましたが、複巻電動機のままだったらどうなっていたか考えてみる。
- 主電動機出力は188kWと125kWに改められている。
- ユニット方式となり、回生制動は一旦廃止されたが、制御器交換で界磁チョッパ制御に改造され回生制動が復活した。
- それでも能勢電鉄には譲渡されたが、後の7200系の編成構成に影響を与えていた。
2021系[編集 | ソースを編集]
電装解除されなかったら[編集 | ソースを編集]
電動機に問題だらけで電装解除されましたが、これがなかったらどうなっていたか考えてみる。
- 2両ユニットとなり、3個永久直列×2ユニット(端子電圧500V)の構成とされた。
- 編成構成は実質1.5M1.5Tに変更された。
- 関西では珍しい6M1C制御となっていた(関東では小田急2600形や京成3200系がある)。
- 余ったT車は史実通り3000系や5000系に組み込まれていた。
- 具体的には6連、3連、2連で揃えられ、6連2本と4連・2連各5本が6連2本、3連3本、2連7本となった
- 本線が8両が基本になってからは8連×4本と3連×1本に再編成され、3連は甲陽線と今津南線専属となっていた。
- 2200系の実績を踏まえ、電機子チョッパ制御に改造されていた。
- あるいは京都線の2300系と同じく界磁チョッパ制御に改造され、方向幕取り付け改造なども行われていた。
- 2300系と同じく先頭車が2パンタとなっていた。
- 改造後は宝塚線所属となっていた。
- あるいは京都線の2300系と同じく界磁チョッパ制御に改造され、方向幕取り付け改造なども行われていた。
- 3000系や5000系の中間車が現実よりも多く製造されていた。
- 当初から冷房車の車両も存在した。
- 廃車は21世紀になってからだった。
- 2300系と同時期に行われていた。
- 能勢電譲渡はなかった可能性が高い。
2200系[編集 | ソースを編集]
量産化されていたら[編集 | ソースを編集]
電機子チョッパ制御の実用試験車として1975年に1編成だけ導入され,その後様々な経緯があって1995年に形式消滅した2200系ですが,もし量産化されていたら
- 神宝線では電機子チョッパ車が普及することとなる。
- 京都線用(2400系?)も導入されたかもしれない。
- むしろ京都線では2300系・5300系が電機子チョッパ制御に改造され、7300系が電機子チョッパ制御で導入された。
- 2300系の電機子チョッパ制御改造車は史実でも1両(2311号車)が存在していた。
- 神宝線に界磁チョッパ車の導入はなかった。
- 史実の8000系は7000系として登場していた。
- むしろ量産化に伴いこちらが6000系か7000系を名乗っていた。
- 南海8000系(初代)や近鉄3000系も量産化されていたかもしれない。
- 京阪6000系や阪神8000系も電機子チョッパ制御車になっていたかもしれない。
- 京阪2200系や阪神2000・3000系なども改造で電機子チョッパ制御車になっていたかも。その場合阪神3000系のモーターは交換されなかった。
- そのかわりジェットカーは界磁チョッパ制御か界磁添加励磁制御となっていた。
- その結果、複巻モーターは現実よりも早く衰退していた。
- 京阪6000系や阪神8000系も電機子チョッパ制御車になっていたかもしれない。
- 2000系、3000系、5000系や5100系も電機子チョッパ制御に改造され、2000系については回生ブレーキが復活していた。
- 6300系は電機子チョッパ制御に統一され、近鉄の特急用車両および京阪8000系・南海10000系・31000系・30000系は全て電機子チョッパ制御に統一されていた。しかし通勤用は事実通り界磁チョッパ制御のまま。
- 281系や283系も電機子チョッパ制御だったかもしれない。
- 2020年代に入っても特急車限定で電機子チョッパ制御車が導入されていた。
阪神・淡路大震災で被災廃車が出なかったら[編集 | ソースを編集]
形式消滅の最大の原因はこの被災による2721の廃車と思われますが、ここで被災廃車が出なかったら?
- ルートはいくらかあるのですべて記載する。
- 能勢電鉄譲渡ルート
- 異端車のため4両とも1997年に廃車となり、そのまま能勢電鉄に譲渡、2200系となっていた。
- 代わりに3100系の譲渡はなかった。
- そして7200系導入前後に機器更新を伴う大幅なリニューアルを受けた。
- 7000系編入ルート
- 2007年頃に7000系7090F(7090-7040-7140-7190)に形式変更、2015年頃に機器更新された。
- 2024年には史実通り伊丹線ワンマン化改造を受けた。
当初の先頭車が電動車だったら[編集 | ソースを編集]
- 後の6000系の製造時のように2200系も先頭車が電動車だった場合を考えてみる。
- 編成構成は2200-2701-2750-2751-2752-2753-2700-2201とされた。
- 1985年のVVVF試作車としての増備分はアルミ車体の先頭車2両(2210と2211)で、2両固定編成が組まれた。
- 当初は7000系7030Fと4両固定編成を組んだが、後に増結用に転用された。
- あるいは7000系の1両がVVVF試作車だった。
- 1992年にはチョッパ編成がVVVF化され、電装解除は免れた。
- 1995年の阪神・淡路大震災で被災廃車となったのは6000系のうちの1両だった。
- 2008年には8連がリニューアルを受け、7000系7007Fと同様の前面になり、同時に7000系7040F(7040-7640-7790-7791-7792-7793-7540-7140)に編入された。
- 2024年に2210Fの2連は7000系鋼製車と編成を組み能勢電鉄に譲渡され、形式消滅していた。
一切電装解除されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 1992年にチョッパ車が、1995年にVVVF車がすべて電装解除されましたが、この際にそれぞれ電装解除がなかったらどうなっていたか考えてみる。
- 1992年のチョッパ制御の試験終了後、2700・2701・2710・2711の4両は5200系の廃車発生品を流用して抵抗制御に改造された。
- ユニットの組成方法が異なるため、2701-2700・2711-2710に組成変更された。
- 形式名も6200系に変更され形式消滅した。
- 1995年に被災したのは6000系だった。
- 2018年に入りVVVF車2両はリニューアルされ、この際にようやく電装解除された。
- あるいは被災廃車された3109と2087の名目で製造されたのが2200系先頭車で、8020Fが6連のままだった。
2800系[編集 | ソースを編集]
当初から3扉車だったら[編集 | ソースを編集]
2ドアから3ドアに改造した結果老朽化を早め2300系よりずっと早く全廃になりました。
- 晩年は2300系と共通化されていた。
- それでも高速走行により数年ほど早く2300系より全廃されていた。
- 6300系は3ドアとなっていた他、9300系で置き換えられたのが2800系だった。
- 117系も3ドアで、近鉄2600系は転換クロスシートだった。
- 場合によっては京阪旧3000系も3扉車になっていた。
- その場合8000系も3扉車になり、8000系登場に伴いこちらはロングシート化が行われていた。
- 近鉄5200系電車も4扉転換クロスシートになっていた。
- 場合によっては京阪旧3000系も3扉車になっていた。
- 地鉄への譲渡は検討されなかったかもしれない。(地鉄が2扉にこだわったため。)
3扉化改造されなかったら[編集 | ソースを編集]
6300系がそもそもなかったあるいは1,2編成しか導入されなかった場合[編集 | ソースを編集]
- 史実の9300系が登場するまで京都線特急の主役。
- 引退は史実の6300系と同じく2010年頃。ただし老朽化から京とれいんに改造されることはないと思われる。
- 1980年代に入って前面・側面方向幕取り付けや2300系同様の界磁チョッパ制御化などの更新が行われていた。
- 京とれいんには7300系7321Fあたりが改造されていた。
史実通り6300系が導入された場合[編集 | ソースを編集]
- 2扉クロスシートのまま急行を中心に運用につく。
- 結果急行の遅延を招く。
- 結局史実並に早く廃車になっていたかもしれない。
5000系[編集 | ソースを編集]
宝塚線での運用が継続していたら[編集 | ソースを編集]
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
- そもそも5000系の全編成が宝塚線に転属していたらあり得た。
- 5000系は史実より多く増備されていた。
- 5100系は史実より少なかったかもしれない。
- 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
- 6000系の転属は史実より遅れた。
T車がもっと製造されていたら[編集 | ソースを編集]
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
- 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
- ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
- 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
- そもそも2021系が電装解除ではなく1C6M仕様に改造されていたらあり得た。
- 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
- 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
6000系[編集 | ソースを編集]
6000Fの状態不良車が6600のみでなかったら[編集 | ソースを編集]
- 6000Fのうち6600のみは車体の変状がひどかったのか、6614に差し替えられ2011年に廃車されましたが、別の車両が状態不良を起こしていたらどうなっていたか考えてみる。
- 6550 - 6580のいずれかだったら
- 組成されていた付随車の場合。
- 1両のみ6760に差し替えられた。
- もちろん、6114は6614とともに正式に電装解除され6164となった。
- 6600に加え6500も状態不良だったら
- 中間電動車両方全滅の場合。
- 4連化されて早々と箕面線の主と化した。
- 6560と6570は7000系に組み込まれた。
- 6500のみだったら
- もう片方の中間電動車がやられていた場合。
- 当然6514が転用された。
- 6614は電装解除され暫定Tとなり、6760は6514の空いた部分に充てられた。
- 6000・6100のいずれかだったら
- 最悪のパターン。先頭車のいずれかの場合。
- 6124または6014の運転台が撤去され、6514は6000の場合電装解除、6594に改番された。
- 6014の運転台が撤去となる場合は電装解除も実施された。
- 6760は6124または6014のいずれかの空いた部分に組成された。
リニューアル時に標識灯を角型化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 阪急8000系と同一の標識灯が使用された。
- 外観が5000系とほぼ同一になり、後の7007Fのような窓の大型化はなされなかった。
- ただし、貫通扉もそのままだった。
- 施工は史実通り、6007Fと6015Fのみに留まった。
一部先頭車が制御車だったら[編集 | ソースを編集]
- 5100系準拠で先頭車はすべて制御電動車ですが、仮に2200系や6300系と同様の編成構成で先頭車が制御車だった場合を考えてみる。
- 2200系の電機子チョッパ制御は史実より早く試験終了となった。
- 先頭車は6090・6190に区分された。
- 先頭車が電動車の編成は6020 - 25Fと6016Fに限られた。
- むしろ当該編成が6010 - 16Fと連番になった。
- 甲陽線・今津南線への転用は検討されなかった可能性がある。
- この際は伊丹線への転用が進み、3000系が甲陽線・今津南線向けに転用された。
- 2018年以降は仮称新1200系が甲陽線・今津南線に投入された。
- 7000・7300系以降も先頭車は制御車が基本になっていた。
6000Fの状態不良車がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 6600号車が6614号車に差し替えられることはなかった。
- 代わりに元2200系の6760号車が廃車されていた。
- 6000FはいずれVVVF化されていた。
- 改造内容は7000系VVVF改造車と同じだが、7000系への改番は行われなかった。
6300系[編集 | ソースを編集]
3扉車として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 転換クロス車として、例に漏れず2扉です。
- 基本的な車体構造が後の7300系に準じていた。
- 窓割りが合わないため窓のみ設計変更を強いられた。
- 特急離脱後はロングシート化改造を受けた。
- 嵐山線転用は5300系で行われた。
10両編成での運行が実現したら[編集 | ソースを編集]
実際に、計画されていました。
- 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
- 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
- この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
- 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
- あるいは転換クロスシートながら6340番台となり、界磁チョッパ制御の1M1Tとされた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
- 6340番台の場合、離脱後に即座に9300系タイプの車体更新への対象となり、次いでVVVF化された。
- (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。
- 6340番台の場合も同様。
「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら[編集 | ソースを編集]
- 6356Fか6330Fが改造された。
- 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
- 2011年5月頃に運行され始めた。
- 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
- 十三駅に停車していた。
- 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。
6330Fが機器流用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 車齢25年程度で車体・機器ともに解体廃棄されましたが、機器流用・車体新製しないと勿体なかったようにも感じるので考えてみる。
- 新製車体は9300系と全く同じになっていた。
- ただし、車内はロングシートとなり、形式は7300系に区分された。
- 運用開始から数年後、1300系と同様の機器に更新された。
6330F以外も先頭車が電動車だったら[編集 | ソースを編集]
- 6330Fのみ先頭車が制御車ですが、これが6350Fから続いていた場合を考えてみる。
- 当然、6300F以降を名乗り、編成構成は6000系を踏襲した。
- 嵐山線編成に6330Fが含まれ、4本体制となっていた。
- 6330Fを含めて転用の際は付随車全車解体、河原町方2両の電装解除を伴う、6000系伊丹線向けレベルの大改造を強いられた。
- 1000系・1300系以降も先頭車は電動車だった。
7000系[編集 | ソースを編集]
7300系7310FのようなVVVF試作編成が出ていたら[編集 | ソースを編集]
- 神宝線系統のVVVF試作車は2200系の増備での対処となりましたが、これが7000系の落成だったら?
- 史実の7022Fが該当した。
- 7522は当初電装を考慮し7592として落成した。
- 2750と2751は2250Fから抜かれず、代わりに6672と6682が製造された。
- 2200系のチョッパ試験は1992年に終了したが、電装解除されず、5200系の廃車発生品で抵抗制御に改造された。
- この際に6200系に形式変更されている。
- ついでに7022Fは7031Fと、7310Fは7325Fと先頭電動車を振り替えられていた(7022と7031、および7310と7325で振り替え)。
- 更に、7592と7990はこの時点でいずれも電装され、7522と7910に改番されていた。
- 1995年の阪神・淡路大震災では6000系が被災し1両廃車された。
- 新7310Fはリニューアルで新7325Fに組み込まれ電装解除、代わりに7324Fが8311Fと組成された。
- 8311Fのリニューアルの際は、8311に1C4M×2が搭載、7324Fが中間に組成された。
- あるいは新7310Fが早期にリニューアルされ、8311Fと半固定編成になり後に機器更新の餌食となった。
- この場合7325Fはリニューアルで7851を組成し7連化された。
- 新7022Fは7616-7516を組み込みリニューアルを受け、この際に7022が電装解除され7072に改番された。
- もちろん、7616のユニットもVVVF化された。
7007Fや7008F以外のリニューアル時に標識灯を角型化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 角型されたのは7007Fと7008Fのみですが、他の編成にも普及していたらどうなっていたか考えてみる。
- 7001F・7003F・7006Fには史実通り一切波及しない。
- 7000F・7002F・7004Fについては阪急8000系と同じクリアレンズでないタイプが採用された。
- 窓の大型化や扉交換はおこなわれなかった。
- 7009Fから7007Fと同じクリアレンズタイプが採用された。
- もちろん、窓の大型化は行われなかったが、7010F以降では扉の交換もなされた。
- アルミ車のVVVF化のほか、能勢電鉄譲渡車にも波及した。
阪神・淡路大震災における6050Fへの車両供出が別の編成に対して行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では7005Fと7016Fが対象になりましたが、別の2編成だったらどうなるか考えてみる。
- 7001F・7020F
- 当初6両だった鋼製車編成で、7001Fは同様にアルミ車を組み込んだ7003F・7006Fでも良いが、ここでは7001Fで考える。
- 7021Fは早々と7551と7581を組み込まれた。
- 6671と6681は6050Fに組成された。
- 7090Fの中間車は7620・7520となった。
- 7561と7571は7003Fの7553・7583の捻出と玉突きで7017Fの早期の8連化に活用された。
- 7760と7770は7006Fの中間に組成され、7556と7586は7027Fの8連化に用いられた。
- 7024F・7014Fは当初の編成を維持。
- 能勢電鉄に7016F・7025F・7026Fが譲渡されるのは史実通りだが、7016Fの中間は7561と7571に差し替えられた。
- 7501と7601は最後7030Fに組成され、7601が電装解除され7691となった。
7300系[編集 | ソースを編集]
7850・7880・7851・7881がすべて鋼製車体だったら[編集 | ソースを編集]
- 増結用中間車ですがアルミ車です。
- 7320・7321は登場時点で7300・7301と連結器を交換し、当初の編成形態を維持していた。
- 7326Fは7連で落成したが、7881を組み込まず7856を抜き取られ6連化され、7323Fとペアを組んだ。
- 7856は当然長期休車へ。
- 7300Fと7301Fは早期にリニューアル工事の対象となった。
- 7320・7321・7302Fは7856とともに7連を組成した。
7310が増結用2連の先頭車と差し替えられていたら[編集 | ソースを編集]
- 界磁チョッパ制御・VVVFの混在の解消を早々と行った場合を考えてみる。
- おそらく7325と交換されていた。
- 7310-7455は8311Fとペアを組むが2008年頃リニューアルされ、前面も7320と同様になっていた。
- 8311Fのリニューアルの際に機器更新も同時に行った。
- 新7325Fは3M3Tだったが、10両増結廃止で7851を組成し4M3Tの7連にリニューアルされた。
- 代わりに7300 - 02・23Fから4連2本が嵐山線向けに仕立てられた。
- 当然、7401と7452の差し替えはなしだが、7321Fのペアが7324Fになっていた。
8000系[編集 | ソースを編集]
全車オールロングシートだったら[編集 | ソースを編集]
- 8002 - 07Fの神戸方2両が転換クロスシートとなりましたが、これがなくてオールロングシートだった場合を考えてみる。
- 8200系はただのオールロングシート車両として当初から登場した。
- この関係で8000系の8040番台は存在しなかった。
40番台性能の8連が存在したら[編集 | ソースを編集]
- 3M5Tとなり、10番台(8010F以降)に区分されていた。
- 編成構成は8010-8590-8560-8760-8580-8660-8510-8110とされた。
- 8300系8連にも3M5Tの40番台性能が存在し、20番台に区分された。
- こちらは東洋3レベルIGBTの1C2M×2を採用し、更に主電動機は京阪7200系で実績のあるTDK6151-Aを採用した。
- それでも流石に8200系の8連版は登場していない。
- 機器更新で4M4Tに変更された。
8020Fが8両化されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 震災廃車の代替新製名目で当初6両だった8020Fは8両化されましたが、これがなかったらどうなっていたか考えてみる。
- 8200系8202Fが代替新製車として登場した。
- 8020Fは8031Fあたりと8両固定編成を組んだ。
- 8031Fの10両増結運用の穴埋めを8202Fで行った。
- PMSM試験車は8001Fではなく8031Fにて実施された。一方で、試験車が8001Fだった場合はひどいと8001が試験終了後8031と差し替えられた。
- 8020Fは1998年の山陽乗り入れ廃止まで須磨浦公園に乗り入れていた。
8001Fの8001がPMSM試験終了後他編成と差し替えられていたら[編集 | ソースを編集]
- PMSM試験終了後は他の3両もまとめて機器更新に至りましたが、この時点で8001と別の先頭車が差し替えられていた場合を考えてみる。
- 8020Fの8両化は史実通りなされたものと仮定します。
- 8032と差し替えられ、7003Fとペアを組んだ。
- 新8032Fは別途機器更新を実施。
8200系[編集 | ソースを編集]
京都線でも運用されたら[編集 | ソースを編集]
- 車両番号は、8230、8280になっていた。
- 京都線用なので8340・8490かも。
- 早くても、1996年3月頃に登場していた。
- やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
- 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
- それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
- 下記の10両廃止後にようやく乗り入れるようになった。
- 京阪800系と同じ、東洋3レベルIGBTが採用される。
- 主電動機は京阪7200系で実績のあるTDK-6151A(200kW)を採用された。
- それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
- 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。
- 嵐山線用6300系は京とれいん編成と同時に淘汰された。
- 10両廃止後は8300系6両固定とペアを組んだ。
- その分7325・26Fが嵐山線に転用された。
宝塚線でも運用されたら[編集 | ソースを編集]
- 8000系40番台は登場しなかった。
- 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
- やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
- 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
L/C車両に改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 神戸線特急は今でも10両運用だが、神戸寄りに設置されて座席指定列車になっていた。
- 宝塚方面でも今津線経由で運行されていた。
8300系[編集 | ソースを編集]
増結用車両が製造されたら[編集 | ソースを編集]
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
- 10両運転による快速急行が増発していた。
- 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
- 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
- 車両番号は、8340、8460になっていた。
- 史実通り30番台で登場しそれが増結用も兼ねた可能性も。
- あるいは8340、8490を採用。
- 最悪、8320・8470とされた。20番台が飛ばされておりここで使用するのも不可能ではなかったため。
- 主電動機は京阪7200系で実績のあるTDK-6151-A、制御方式は東洋3レベルIGBTの1C1M×3とされた。
- 8315Fに次いで機器更新の対象となった。
- 10両廃止で真っ先に嵐山線転用となる。
- 7325・26Fのほうが増結に回され、代わりに2編成が8311F・8304Fとペアを組んだ。
9300系[編集 | ソースを編集]
ロングシート車が製造されたら[編集 | ソースを編集]
- 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
- 但し寸法は異なる。
- 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
- 車番は9311F~になっていた。
- 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
- そして、9320Fの登場時に中間車の車番の付け方のことで途方に暮れる。
- むしろ9320F以降は2連や3連で登場していた。
- そして、9320Fの登場時に中間車の車番の付け方のことで途方に暮れる。
- 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
- 2300系の引退が早まっていた。
- 1300系の製造はなかったか遅れていた可能性も。
- もしくは3300系の引退も前倒しになっていた。
- 6300系6330Fも同様の車体に更新され、7300系に編入された。
- 2024年に2代目2300系が登場したのに伴い本当にロングシート化改造されることが決定した。
近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]
南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]
1000系[編集 | ソースを編集]
9000系との併結運転が行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 1000系は9000系との連結も考慮して設計されましたが、クーラーが異なるためか実際に連結は行われませんでした。
- リニューアル後も9000系との併結は行われていません。
- 9000系と連結されたのは2両編成と4両の1051Fだけだっただろう。
- 9000系4両及び6両+1000系2両という編成が見られた。
- 9000系の4連を持て余すこともなかった。
- 間違いなく編成美を乱していただろう。
- 9000系がリニューアル前でも8000系、8300系とも併結が行われていた。
1051Fが本線系統に再転属したら[編集 | ソースを編集]
- 2018年以降1051Fは高野線で活躍しています。
- 8300系4連1本と車両ごと交換される。
- 特急サザンプレミアムへの充当が常態化することになる。
- 車端部のボックスシートが賛否両論になる。
- あるいは8000系との共通運用が組まれることになる。
- 2024年春、本当に転属。
2000系[編集 | ソースを編集]
一部車両の制御装置が異なっていたら[編集 | ソースを編集]
- 制御装置に1C8M方式の日立GTOインバータを採用しているため、2連単独運用ができないなどの制約が残っており、2300系の製造に繋がりました。
- 1995年製の5次車以降が東洋3レベルIGBT、1C2M×4になっていた。
- 2031 - 34Fのいずれかは東洋3レベルIGBTの試験に供され、最終的に2045・46Fの製造時に日立GTOをすべて転用し、東洋IGBT化された。
- 2300系は存在せず、代わりに本系列が早々とワンマン化された。
- もとい2連全部がワンマン化され、2200系列は早期に全滅している。
- 天空は当初より本系列4連からの改造になっている。
本線系統への転属が遅れたら[編集 | ソースを編集]
- 2007年より4連5本、2連2本が転属して運用されていますが、2024年のワンマン対応車の転用まで本線転属車が出なかった場合を考えてみる。
- 運用減で転属したのは6200系4連4本、6000系4連1本、2連2本だった。
- 6200系4連のリニューアルは早々と実施されたが機器更新されず、常に特急サザンの相方となった。
- この関係で10000系の一部が電気連結器付きの密着連結器に交換された。
ドア間クロスシートを採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 当初計画ではその案もあったようです。
- 恐らく21000系第1・2編成のようなドア間転換クロス、車端部ロングシートになっていた。
- そのシート配置から行楽シーズンの臨時特急には優先的に運用されていた。
- 30000系が小原田車庫で脱線した際も史実通り特急の代走に運用された。
- 特急に運用される際は指定席も設定されていたかもしれない。
- それでもラッシュ時の混雑緩和のため増備車ではロングシート車も登場していた。
- 後に余剰となり本線に転用されることはなかった。
- 本線には6200系などが転属していた。
- 2300系については史実通り。
2200系[編集 | ソースを編集]
高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら[編集 | ソースを編集]
- 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
- 2000系の製造両数が減っていた。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
- 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
- その代わり1521系が21世紀に入ってもしぶとく残っていた。
- 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
- 貴志川線には21000系が転用されていた。
- 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。
6000系[編集 | ソースを編集]
車体更新時に6両固定編成が登場したら[編集 | ソースを編集]
- 車体更新の際、クハ6901がサハ6610に改造されて4両半固定編成が完全固定編成化されましたが、この改造が電動車になされて6100系や6300系のように6両固定編成が誕生していたら?
- クハ6901は運転台を撤去されず、6010Fは2両固定編成となった。
- モハ6001形の運転台撤去車であるモハ6041形、モハ6091形や6両固定編成向けのサハ6651形が登場し、これらが6両固定編成の中間に組み込まれた。
- すべての編成が6両固定編成に改造されたわけでなく、6両固定編成の登場は3本のみにとどまった。
- 上記モハ6041は6009→6047と6013→6043の2両、モハ6091は6014→6097の1両、サハ6651は6805→6657と、6807→6673、6808→6668の3両のみの存在で、6041-6657は6007F、6043-6673は6023F、6668-6097は6017Fに組み込まれた。
- 南海1000系0番台に4両固定編成が存在した。
- 後の置き換えの際、8300系にも6両固定編成が登場していた。
廃車ではなくリニューアルしていたら[編集 | ソースを編集]
- 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
- 一体何年使い続けるのか…。
- なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
- 下手をしたら100年は持つ。
- 8300系は存在せず。
- その分本線への投入数が増え、7100系の置き換えが中断されることなく続いていた。
- 上手くいけば2024年現在7100系は加太・和歌山港線ワンマンとサザンの分を除いて置き換えられている。
- あるいは6200系未更新車を置き換えていた。この場合は6連の8300系が登場していた可能性も。
- その分本線への投入数が増え、7100系の置き換えが中断されることなく続いていた。
- リニューアル工事は9000系に準じる。
- 1編成がオレンジ系のマイトレイン塗装になっていた。
- さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。
- まさかの車齢60年でVVVF化されるという珍事も起きていた可能性がある。
- ブレーキ方式は電磁直通ブレーキのまま残されていたと思われる。
南海本線にも投入していたら[編集 | ソースを編集]
- 7000系はない。
- 8000系(2代)投入が遅れていた。
- 下手したら史実の8000系が登場せず、8300系が8000系としてデビューしていた。
- 6100系も本線に投入されていた。
- そうなれば7100系もなかった。
- 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。
- 南海における緑色の電車のイメージは現実よりも薄くなっていた。
- 銀色の電車のイメージが強くなっていた。
- 下手をすると本系列や6100系辺りにも早々と緑帯が巻かれていた可能性もある。
- 22000系もステンレス車体になっていたかもしれない。
- 6100系と共にサザンの自由席車としても使われていた。
- 10000系は銀地に緑帯の塗装で登場していた。
台車交換後に形式変更されたら[編集 | ソースを編集]
- 台車交換後に6000系のままとした際に運用上かなり不便だったという報告があります。
- おそらく本系列が6300系を名乗っていた。
- 6100系は新6000系を名乗り、中間付随車はサハ6651形とサハ6751形に区分された。
- そして8200系のVVVF改造車が新6100系を名乗っていた。
6100系・6300系[編集 | ソースを編集]
台車交換後も6100系のままで形式変更されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 史実上の6521Fや6200系50番台あたりが6300系を名乗っていた。
- 逆に運用上かなり不便だった。
- JR貨物で更新工事を受けた国鉄型機関車みたいに、車体かナンバープレートの色を変えて区別した。
6200系[編集 | ソースを編集]
6521Fの編入で編成組み換えがなされたら[編集 | ソースを編集]
- 6521Fの1編成のみ7100系由来のバーニア抵抗制御を搭載し、各車に制御器があるという噂もありますが、仮にこれが真実であり、これを活かして組成変更がなされていた場合を考えてみる。
- 6505Fが6507Fの中間車を組み込み6連化され、6507Fに6235-6236が組み込まれた。
- 製造時期を勘案した結果これが適切と判断できるため。
- 新6507Fと新6521Fは6100系と共通運用がなされ、6505Fは未更新のままとなった。
- 6509・11Fについては史実通り更新工事がなされた他、泉北高速鉄道の3519・21・23Fにも更新工事がなされた。
VVVF改造車の形式が変更されていたら[編集 | ソースを編集]
- 6000番台の番号に空きがなかったので、4000系になっていた。
- 関西私鉄の営業用車両としては初めて4000台の車番を名乗っていた。
- M車が4000形でTc車が4500形になっていた。
- 8200系の更新車も4050系か4100系となっていた。
6両編成もVVVF改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 編成の構成は8200系改造の6250番台と同一になっていた。
- M車の1両がT車化されることからこれは6950形あたりに改番されていた。
- 9000系より後に改造された場合車内はマイトレイン仕様となり、VVVFやモーターも9000系と同一品となっていた。
- 前面・側面の行先表示もフルカラーLEDとなっている。
7100系[編集 | ソースを編集]
1次車の更新が行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 7100系の更新は当初非冷房で登場した1次車には行われませんでした。
- 1000系の製造両数が少なくなっていた。
- あるいは7000系が史実より早く廃車になっていた。
- そもそも7000系の更新工事が見送られていたらあり得た。
- あるいは7000系が史実より早く廃車になっていた。
- 31000系の主電動機は新造で、初代8000系の6200系編入はGTO-VVVF化された上で行われた。
- 8000系の6200系編入は2001年頃だろうから、流石にIGBT-VVVFだと思われるが、南海では唯一の三菱IGBT-VVVFになっていた可能性も。
- 末期は6両固定編成で運用されていたことから、6300系と同じく一部車両の運転台が撤去されていた。
- それでも8300系の導入に伴い2010年代に入ると廃車が始まっていた。
- 少なくとも7103F以前と7105-7855のユニットは下記の車番重複回避目的で2025年の泉北線買収までに廃車された。
- 6300系の台車交換は新品で行われていた車両が多かった(泉北100系発生分は流用されるが)。
- 高野線特急車31000系のモーターは泉北100系から流用されていた。
- 上記の廃車を鑑みると泉北高速鉄道7000系との車番重複は南海買収時点で回避できた。
- 2次車の7123も残り、7199に改番されていた。
- 7161と7889が事故廃車となった際は残る2両が7157Fあたりと変則6両固定編成を組んだ。
初代8000系[編集 | ソースを編集]
更新が史実より遅れていたら[編集 | ソースを編集]
- 2001年に更新されましたが、これより遅かった場合を考えてみる。
- 遅くとも2008年までに更新工事がなされた。
- それでも抵抗制御となったが、泉北高速鉄道3000系の廃車発生品が転用された。
- このため、仕様上は他の6200系と何ら相違点がなかった。
- 転用に当たっては橋本まで乗り入れのため抑速制動が追加されていた。
- あるいはこの編成がVVVF更新の試作車となり、以後ノーマルな6200系の更新に活かされた。
- 新8000系は9300系として製造され、史実の8300系が8000系を名乗った。
チョッパ試験の終了が史実より早まっていたら[編集 | ソースを編集]
- 逆にチョッパ装置を早期に取り外された場合を考える。
- 抵抗制御ルートと全車電装解除ルートの2択が考えられる。
- いずれの場合も車体更新の同時施工は実施されなかった。
- 抵抗制御ルート
- 橋本乗り入れ開始直前の1992年頃に抵抗制御に改造されたが、泉北3000系のそれに準じた新品を用意された。
- 以降は他の6200系と同じ扱いとなる。
- 全車電装解除ルート
- 6200系のうち2編成が4M4Tの8両化を、1編成が2M2Tの4両化をなされ、残る先頭車も6両から抜いた中間車から4両編成を仕立てられた。
- この関係で8連は途中で南海本線送りとなり、一方で車体更新工事を受けた編成が2本多かった。
2代目8000系[編集 | ソースを編集]
増備途中で設計がE233系準拠に変更されたら[編集 | ソースを編集]
- E231系準拠のため2014年度で増備打ち切りとなりました。
- 2011年度増備の8006Fあたりからであれば考えられた。
- 乗降扉窓が角型となった。
- 車内の案内表示器もLCDとなった。
- 2017年頃まで増備が続き、2連も用意された。
- あるいは8012・13Fの製造が遅れた。
8200系(現・6200系50番台)[編集 | ソースを編集]
史実より早く更新工事がなされていたら[編集 | ソースを編集]
- 2015年頃の更新となりましたが、これより更新時期が早まった場合を考えてみる。
- 6200系4連の改造発生品、または7000系や泉北高速鉄道3000系の廃車発生品が転用されて抵抗制御となった。
- 9000系の更新時期も早まったが、こちらがVVVF化されたのは史実通り。
- 理由は電気指令式ブレーキのため。
- ただし、主制御装置等の仕様が史実と異なった。
8300系[編集 | ソースを編集]
6両編成が登場していたら[編集 | ソースを編集]
- サザンと併結した10両固定編成が現れていた。
- 6両編成は本線系統に配属されていた。
- 高野線にも配属された場合、6200系を淘汰している。
- 泉北高速鉄道9300系にも6両編成が存在した。
2両編成の一部が当初からワンマン対応だったら[編集 | ソースを編集]
- 2000系2連の支線区ワンマン化はなく、めでたいでんしゃ「かなた」も本系列から改造された。
- むしろ2000系2連は高野線向けのワンマン化改造を受け、同時にリニューアル・機器更新された。
- ワンマン対応車は制御器が1C2M×2となっている。
9000系[編集 | ソースを編集]
6両固定編成が車体更新後に併結対応となっていたら[編集 | ソースを編集]
- 8300系2連との併結8両運用が見られた。
- 1000系2連との併結が見られたかは微妙。
- クハ9501の偶数車にのみ電気連結器が設置された。
10000系[編集 | ソースを編集]
最初から4両固定編成で製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
- 急行も8両編成で運行されていた。
- 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- トイレも最初から完備していた。
全ての2両編成に中間車が製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
- どこかのタイミングにおいて、一部の併結相手が3000系(あるいは6000系や6200系)に変更された。
- ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
- その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
- 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
- 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
- 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
- リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
- もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
- 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
- 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。
- 11000系は存在せず、りんかんの一部も10000系が運用を担った。
- 当然、31000系との併結はできない。
中間車が史実よりも製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
- 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。
20000系[編集 | ソースを編集]
昇圧で全電動車化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 昇圧は単車型で行われ、3M1Tも堅持となりました。
- 台車ごと交換され、主電動機はTDK-820系ではなくMB-3072系が採用された。
- 台車と2両分の主電動機は21201系の新性能化に充てられた。
- 元々サハが存在した関係で、主制御器は日立製MMCとされ、ユニット方式化された。
- この関係でモハ20001のパンタグラフが撤去された。
- 史実通り1985年に廃車されたが、台車と走行機器類一式が30000系第3編成の増備に充てられた。
- 11000系・31000系は存在せず、りんかん向けには10000系が投入された。
21201系[編集 | ソースを編集]
新性能化されたら[編集 | ソースを編集]
- 最後まで旧性能車のままだったため、昇圧時に一旦休車となり、1986年までにすべて廃車されています。
- 22000系の製造数が史実より4両少なかった。
- 21000系に形式変更された。
- 先頭車は地方私鉄行になっていた可能性がある。
- すべてが新造品ではなく20000系の更新発生品の一部が転用されていた場合、形式名と22000系の製造数はそのままとなり、2000系第1編成の投入で即座に廃車された。
モハ21202も貴志川線に転用されたら[編集 | ソースを編集]
- 史実上では一度も本線に戻らず散々放置された挙げ句クレーン試験に供され、1983年に廃車となっています。
- クハ21201と2両固定編成を組んでいた。
- むしろ電装解除されなかった。
- 貴志川線の3両運用は早期になくなっていた。
- 1986年時点では廃車されず、1995年の2270系転入で引退していた。
阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]
青胴車全般[編集 | ソースを編集]
直通特急対応改造されたら[編集 | ソースを編集]
- 5001形以降の全ての車両が直通特急対応車両となっていた。
- 5311形を含む5143Fだけが運転台構造の違いを理由に直通特急対応改造対象から外されていた。
- 早朝・深夜の利用客が少ない時間帯および赤胴車の予備がなくなったときの代走に使われていた。
- 5143Fも5311形含めて方向幕設置改造・5001形・5131形・5331形と同様リニューアルされると同時に直通特急対応に改造されていたかもしれない。
- 青胴車に限り赤胴車に先駆けて全て直通特急対応車両となっていた。(史実では5550系の投入により2010年末に達成、急行用も2011年に達成)
- 5700系の投入で赤胴車に先駆けて直通特急対応車両の本格廃車が始まっていた。
- 7801形や7861形が5500系によって置き換えられる車両が史実より多くなっていた。
- もっというなら武庫川線の車両も史実より早くジェットカーになっていたかもしれない。おそらく5001形の武庫川線転用が計画通り実現していた。
1000系[編集 | ソースを編集]
4両編成が登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 阪神電車に8両編成と10両編成の運用が増えいた。
- 少なくても山陽区間を含めて輸送力では阪急神戸線と同水準になる。
- なんば線内は10両編成の車両が増えていた他、4+4両の8両運用や4+2の6両運用など運用の柔軟さが増えていた。
- 近鉄側にも4両編成の阪神乗り入れ対応車両が存在していた。
- 9820系に4両編成が登場し、1020系4連も阪神乗り入れ対応になっていた。
- 8810系や1026系VL35編成も改造対象となった。
- それなら9208Fも。
- 8810系や9200系は非VVVF車なので阪神乗り入れからは外されていただろう。むしろ大阪線に転属して1620系とトレードされていた。
- 当然、8A系も当初から阪神対応だった。
近鉄車両規格に合わせて20m化されたら[編集 | ソースを編集]
- 4扉車化は避けられない。
- 場合によっては山陽電車と直通できなくなる恐れも。
- 山陽電車が20m化6両しなければ阪急に直通先変えていたかも。
- 場合によっては山陽電車と直通できなくなる恐れも。
- 9000系が近鉄乗り入れ仕様に改造されることはなかった。
- その分1000系が多く製造され、2000系の廃車が早まっていた。
- 本線の大阪梅田~尼崎間も20m4扉車に対応していた。
- 大阪梅田駅の改良に際しては昇降ロープ式の可動式ホーム柵が設置されていた。
- ダイヤが乱れた時には近鉄車の乗り入れも行われていた。
2両編成がワンマン対応になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 武庫川線の赤胴車はこれで置き換えられていた。
- 5500系の2両ワンマン仕様車は存在せず、リニューアル後も全て本線の普通で運用されていた。
- その分5700系の製造両数が減っていた。
- 武庫川線の他なんば線の増結用とも共通運用になっていた。
- 既存の2両編成にもワンマン対応の改造が行われていた。
- 現実の5500系2連と同様タイガースラッピングが行われていた場合、近鉄線でもその姿を見ることができるようになっていた。
- 1000系は阪神全線で走行できる車両となっていた。
- 1000系2連はあと3~4編成増備されていた。
3801・3901形[編集 | ソースを編集]
第1編成の脱線事故がなかったら[編集 | ソースを編集]
3801系の第1編成である3901Fが原因不明の脱線事故を起こし、早期に廃車されてしまいました。もしこの脱線事故がなかったら?
- 運用効率を上げるため、後に4連×3本から6連×2本に編成替えされていた。
- うち1本は史実通り8801系となるが、もう1本は4+2の6連となり、電動車が不足することから2連側は電装化されていた。
- 第3編成のみ先頭車が若干長いから、第1編成と第2編成のほうが4+2の6連だったかも。8903Fが誕生していた。
- 新たに電装化された車両はVVVFの試験車両になっていたかもしれない。試験の結果によっては阪神におけるVVVF制御の採用が早まっていた(史実では1995年の5500系が最初)。
- その場合、8000系の8233F以降がVVVF車となり、9000系(史実とは異なる)を名乗っていた。
- 4000系では?
- その場合、8000系の8233F以降がVVVF車となり、9000系(史実とは異なる)を名乗っていた。
- 4連は西大阪線の予備も兼ねていただろう。あるいは中間の運転台を撤去し、こちらも6両固定編成になっていた。
- 場合によっては5001形や2000系みたくステンレスの飾り枠が取り付けられたかもしれない。2000系と同様スカートも取り付けられていた。
- うち1本は史実通り8801系となるが、もう1本は4+2の6連となり、電動車が不足することから2連側は電装化されていた。
- 史実通り阪神なんば線開業を前に1000系に代替されて廃車されていた。
- 武庫川線は7861形のみが運用されていた。
- もちろん7890形は存在せず、武庫川団地の保存車両も史実と異なっていたかもしれない。
- 7861F〜7863Fのいずれか1編成がワンマン改造されるか、改造されずに3編成のままだったとしても5500系による武庫川線転用は事実通り4編成となったであろう。
2000系[編集 | ソースを編集]
直通特急の運用に対応していたら[編集 | ソースを編集]
- 8000系8523Fも直通特急に対応するのが早まっていた。
- 赤胴車の運用上の制約が少なくなっていた。
- 引退が数年遅れていたかもしれない。
- 2000系の置き換え・8000系後期車のリニューアルより、故障が頻発していた5131形・5331形の置き換えが優先されていたかもしれない。
- その場合ジェットカーのチョッパ車置き換え後に実施されていたであろう。
VVVFインバータ制御を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 改造車ではあるものの、阪神初のVVVF制御車となっていた。
- 8000系8233F以降もVVVF車になっていたかもしれない。
- 廃車後、主要機器のみが8000系の機器更新に用いられた。
5001形[編集 | ソースを編集]
製造当初から4両固定編成として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 方向幕は3901形3905Fと同様、製造当初から取り付けられていた。
- 少なくとも5261形2次車や5311形は方向幕取付・4両固定編成化改造を受けたかもしれない。
- 前面の貫通幌は当初から存在せず、8201Fのような顔面となっていた。
- あるいはこの時点で8000系量産車と同じ顔が採用されていた。
- 運転台撤去改造も当然ながら行われず、簡易運転台も製造当初からついていた。
- 車番構成が現実と異なっていたかもしれない。
- 形式名はこちらが8000系を名乗り、史実の8000系は9000系として、8901形は9901形として、5500系は1000系として、9000系は4000系として、9300系は4050系として、1000系は4300系として、5550系は1050系として、5700系は2000系としてそれぞれ登場していた。
- 3000系は初代・2代目ともに史実通りで5131・5331形は8210系・8230系として登場していた。
- あるいは2代目3000系のみ5000系を名乗っていた。
- 3000系は初代・2代目ともに史実通りで5131・5331形は8210系・8230系として登場していた。
- 現実の5500系のように5001-5101-5102-5002となり、5201形ジェットシルバーより5101形の5101・5102の2両が優先的に廃車され、車番が先述の4両から全て転用されていた。
- あるいはそのまま5000系となっていた。
- 8編成導入されると仮定すると5015Fまでの導入となり、最後の青胴車が5013F(現実では5025F)となっていたかもしれない。
- 5101形から優先的に廃車され、5201形は台車更新・未更新関係なく5101形より廃車が後となっていた。
- 形式名はこちらが8000系を名乗り、史実の8000系は9000系として、8901形は9901形として、5500系は1000系として、9000系は4000系として、9300系は4050系として、1000系は4300系として、5550系は1050系として、5700系は2000系としてそれぞれ登場していた。
- 5131・5331形も同様のスタイルで登場していた。
- 史実より普通系車両の終日4連化が早まっていた。
- 1996〜2002年頃に5131・5331形共々5500系に準じたリニューアルが行われ、アレグロブルーの塗装に塗り替えられ、バケットシート・車内LEDを装備していたかも。
- 抵抗制御では消費電力が大きいため、2000系のように界磁添加励磁制御に改造されていた可能性もある。
- それでも引退は史実と同時期だっただろう。
- バリアフリー問題が発生することはなかった。
- 中間車の全長が10cm短かった。
- 8000系に先駆けて電気指令式ブレーキを初めて採用していた。
- ブレーキ緩解音も現実と異なり8000系に類似したものになっていたかもしれない。
5131形・5331形[編集 | ソースを編集]
台車やモーターが完全新製だったら[編集 | ソースを編集]
- 史実より故障が少なく長持ちした。
- モーターや台車はおそらく5001形もしくは8000系仕様となっていた。
- 5131F以外も前照灯がLEDに換装されていた。
- 5139Fの故障による長期離脱もなかった。
- 両形式と5001形の廃車順が逆だったかもしれない。
- 5550系の導入もなく、全て5700系に置き換えられていた。
- 制御装置そのものがリニューアルでVVVFに換装されていた。
- 史実より製造費が莫大にかかっていた。
5231形[編集 | ソースを編集]
冷房改造と電機子チョッパ制御化改造が行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らく5151形や5311形と同じ改造が行われていた。
- 車番はやはり制御装置のメーカーにより東芝製が5131形、三菱製が5331形になっていた。
- 台車やモーターは流用されていた。
- やはり車体を流用して冷房化と機器新造が行われた京阪2600系と比較されていた。
- 2000年代初頭に5500系に置き換えられて引退していた。
- 登場時期からして1990年代後半だったかもしれない。5151形・5311形・5261形との順序にもよる。
5311形[編集 | ソースを編集]
方向幕取り付け改造が行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 同時に5312と5313の運転台が撤去され、4両固定編成になっていた。
- 5261形引退と同時に現実と同じく5311-5312が廃車され、残った5313-5314が5131形の5143-5144と組まれていた。
- この場合、5143-5144の方向幕は無駄にならなかった。
- 引退が少し遅れていたかもしれない。
- 2015年、5700系導入と同時に引退していた。その場合5550系は登場していない。
5550系[編集 | ソースを編集]
ステンレス車体を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らく近畿車輛製で、1000系の帯を青くしたような外観になっていた。
- 形式はこちらが5700系を名乗り、現実の5700系は6000系になっていた。
- やはり1編成しか作られない。
- 5500系の旧塗装はリニューアル完了に伴い見納めになっていた。
8000系[編集 | ソースを編集]
なんば線対応改造をされていたら[編集 | ソースを編集]
- 2000系が引退を免れ、1000系の製造数が少なくなった。
- 9300系も直通対応改造をなされていた。
- 近鉄側でも8400系や8810系が阪神直通対応となっている。
- なんば線の西九条~九条や近鉄奈良線に急勾配区間があることから出力アップのため、VVVF化が行われていた。
8201Fが被災していなかったら[編集 | ソースを編集]
- おそらくリニューアル対象外となっていた。
- リニューアルされても一部クロスシート化は行われず、オールロングシートとなっていた。
- 直通特急への運用からも外されていた。
- 2000系に編入されていた。
- 主電動機や制御装置が異なるのでそれはない。
- 前後で顔が違うゲテモノ編成、阪神顔でジャビットカラーの編成どちらも誕生しなかった。
- 早期廃車もしくは現実の5001形のように40年間も廃車されるまで原型で運行されていたかもしれない。
1次車が史実より多く製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1986年までに,8201F, 8203F, 8205F, 8207Fの4編成が1次車として製造された(史実は8201Fの1編成のみ)。
- 震災後も前後共に旧阪神顔の編成があった。
- 8523Fの組成も事実と異なってたかもしれない。
- 直通特急対応(須磨浦公園以西乗入れ)も他の8000系と同時期に行われた。
- 額縁顔で分散式冷房の編成(史実の2次車)は存在しなかった。史実の8217Fは8211Fとして初の「額縁」スタイル,集約分散式冷房の8000系になっていた。
1次車から2次車以降と同じ前面デザインを採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 現実の2次車が1次車、3次車が2次車、4次車が3次車となっていた。
- マイナーチェンジ次第では現実に存在しない5500系以降と同じ冷房を装備した車両が4次車として製造されていた。
- 8203F、8205F、8207F、8209Fは欠番にならず存在し、ラストナンバーは8241Fとなっていた。
- 全編成が当初から直通特急対応となっていたほか、2000系の引退で本線の阪神顔の赤胴車、7861形や7890形の引退で阪神線全体での阪神顔の赤胴車がそれぞれ消滅していた。
- 当然ながら阪神顔・2段窓でジャビットカラーの車両は存在しなかった。
- 5025Fが最後の旧阪神スタイルの車両となっていた。
- 震災の組み替えが現実と異なっていたかもしれない。
リニューアルの際8502号車の前面が量産車と同じ顔に改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 同じように冷房改造の際他車と同じ顔に整形された京阪1900系の1810系編入車である1914号車と何かと比較されていた。
- 運転台機器配置も量産車と同じに改められ、運転室自体も奥行きが拡張されていた。
- その分運転室後部の座席が3→2人に減らされていた。
- 直通特急への運用もリニューアル後直ちに行われていた。
- ただ側窓はこれまで通りなので違和感がある外観となった。
8233F以降がVVVFインバータ制御だったら[編集 | ソースを編集]
1990年代前半にVVVF車として導入されることも検討されましたが結局界磁チョッパ制御のままマイナーチェンジされて増備されました。もしVVVFインバータがこの段階で採用されていたら?
- そもそも形式は8000系ではなく4000系となっていた。
- 編成はおそらく4201F〜4217Fとなっていた。
- クーラーは5500系以降と同様になっていた。
- 9000系が4300系、9300系が4350系(もしくは4050系)として登場していた。
- 制御装置三菱GTOか東芝GTOとなっていた。
- 4203F(史実では8235F)の神戸側2両が震災により廃車され、4054・4254(あるいは4304・4504)が代替製造されていた。
- 関西私鉄で4000番台の営業車両が存在していた。
- やはりGTO-VVVF制御装置のストックを大量に発注していたかもしれない。5500系と同様、リニューアルによる機器更新もなかったかも。
- 5500系はこれの高加減速バージョンとして登場していた。
- 車体色はオレンジ塗装だったかもしれない。
9000系[編集 | ソースを編集]
普通鋼で投入されたら[編集 | ソースを編集]
- おそらく221系で実績のある川重か近畿車輛製造となっていた。
- 形式はおそらく4000系となっていた。
- 難波送りはあったかどうかは微妙。
- 9300系は4300系として、1000系は9000系としてそれぞれ登場していた。
- 赤胴塗装だったかオレンジ塗装だったかは微妙。
- 車内や走行機器は事実通りだった。
- 車体は8000系タイプIVとほぼ同じだったかもしれない。
9300系[編集 | ソースを編集]
ステンレス鋼で投入されたら[編集 | ソースを編集]
- 忠実より多くなる一方、この形式も難波線送りされそう。
- その場合、近鉄乗り入れ改造と同時にロングシート化されていた。
- 巨人色電車に対する批判はなかった。
- 製造は武庫川車両ではなかった。
- 恐らく川重か近車が担当していた。
- 武庫川車両の廃業が早まっていた。
- 車体はE231系ベースだった。(9000系が209系ベースなので)
オールロングシートだったら[編集 | ソースを編集]
- 阪神にクロスシート車は登場しなかった。
- 8000系のリニューアルもオールロングシートで行われていた。
- 2009年になんば線が開業すると、これも近鉄乗り入れ対応に改造されていた。
- なんば線・近鉄対応では唯一の武庫川車両製の鋼製車となっていた。
- 山陽5000系の一部ロングシート化が現実よりも早まり、該当車両も増えていた。
- 場合によっては5030系もロングシート化される車両が出ていた。
5001形(初代)・5201形[編集 | ソースを編集]
冷房化改造が施行されていたら[編集 | ソースを編集]
- 5001形(二代)は存在しなかったか5281形として少数のみの製造となった。
- そもそもその場合5131形・5331形も存在しなかった。8000系(8233F以降がVVVF車だった場合4000系も含む)の次に製造される新型ジェットカー9000系によって下記のように大量増備されていた。もちろん直通特急運用次第では3000系の一部編成も。そして7801形の残党も。
- 5231形・5101形も冷房化改造が施工されていた。
- あるいは5001形(2代)が1990年代に9000系として登場して5001形・5101形・5201形・5231形・5261形1次車・5151形・5311形をまとめて置き換え、18編成72両の大所帝となっていた。
- その場合史実の9000系は4000系として登場していたかも。
- 5500系や5131形・5231形はなかったかもしれない。
- 訂正。5331形。
大阪市高速電気軌道[編集 | ソースを編集]
10系[編集 | ソースを編集]
10連化にあたり新造車を組み込んでいたら[編集 | ソースを編集]
- 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
- 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
- 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
- 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
- 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
- あるいは、試作車の組み込まれた1101Fのみリニューアルの対象から外れた。
- 21系の新造両数が減っていた。
- ついでに御堂筋線に狭義の20系(50番台あたり?)が入線していた。
30系[編集 | ソースを編集]
近鉄東大阪線(現けいはんな線)開業に伴い谷町線所属車を中央線の50系とトレードしていたら[編集 | ソースを編集]
- 1986年10月に近鉄東大阪線がの長田~生駒が開業し、50系も生駒まで乗り入れましたが、パワー不足が問題になりました。
- 中央線の50系初期車は6両化の上全て谷町線に転用されていた。
- 中央線で50系6両編成は見られなかった。
- 代わりに谷町線の30系が抑速ブレーキ取付などの改造を行い、中央線に転属していた。
- それでも20系や24系の増備に伴い谷町線に出戻りしていた。
- 中央線に30系冷房改造車が登場することはなかった。
- 後の谷町線20系⇔中央線24系のトレードと比較されていた。
史実よりも多くの車両が冷房改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では1973年以降に製造された新30系のみ冷房改造されました。
- 1969年以降に製造された車両が対象になっていた。
- それでも1967年製造の旧7000・8000形や1968年製造の先頭車は改造対象から外れていたが、元北急車は改造の対象になっていた。
- 車内は史実の冷房改造車と同様のリニューアルが行われ、評判の悪かった小窓の側扉も新品に交換されていた。
- 谷町・四つ橋線は史実より多くの車両が改造されたほか、中央・千日前線にも冷房改造車が入っていた。
- 但し御堂筋線はさすがに新車投入になっていた。
- 新20系の投入両数が現実よりも少なかった。
- 逆に30000系の登場は数年早まり、投入数も多かった。
- 御堂筋・谷町・中央線の他四つ橋・千日前線への投入もあった。中央線は30000A系以前の市営時代に投入されている。
- 逆に30000系の登場は数年早まり、投入数も多かった。
100形(2代)[編集 | ソースを編集]
50系のT車に改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
- 車番は50系に編入され、5100形か5600形になっていた。
- 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
- 本系列は奈良県への乗り入れを果たしていた。
1000形(初代)[編集 | ソースを編集]
50系への組み込みが実現していたら[編集 | ソースを編集]
- 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
- 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
- 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
紀州鉄道[編集 | ソースを編集]
キテツ1形[編集 | ソースを編集]
形式名に「キハ」を踏襲していたら[編集 | ソースを編集]
- 「キハ」以外の称号は本形式が初めてとなりました。
- キハ700となっていた。
- 史実上のKR200とKR300もキハ710やキハ720あたりとなっていた。
大阪府都市開発・泉北高速鉄道[編集 | ソースを編集]
3000系[編集 | ソースを編集]
増備当初からオールステンレス車体を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 後期車3本のみオールステンレス車体で、それ以外はセミステンレスとなっています。
- 2両編成と4両編成はVVVF化の餌食となった。
- 機器類は南海6200系VVVF改造車と同じになっていた。
- 南海への譲渡車も増えたどころか、史実より早く登場していた。
- 廃車された車両は現実ほど多くなく、9300系は登場しなかったかもしれない。
7000・7020系[編集 | ソースを編集]
南海合併に伴い改番を実施していたら[編集 | ソースを編集]
- 本線の7100系との重複回避のため、4000・4020系となっていた。
- 関西私鉄で初めて4000台の車番がお目見えしていた(但し営業車に限る。事業用車だったら過去に阪急に存在した)。
- 7100系の7121・7122→7119・7120への改番はなかった。
阪堺電気軌道[編集 | ソースを編集]
モ501形[編集 | ソースを編集]
電気指令式ブレーキに改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 分社化後にSM-3直通ブレーキに改造されましたが、これが電気指令式ブレーキだった場合を考えてみる。
- 発電制動が復活していた。
- 当然、ブレーキ能力が向上したが、ブレーキランプが設置された。
- マスコン・ブレーキハンドルはそのままとなった。
モ701形[編集 | ソースを編集]
VVVFインバータ制御を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 予算が嵩んだ関係でモ601形は主電動機まで流用した吊り掛け駆動となった。
- 2個モーターの1C2M構成とされ、素子は三菱製のGTOサイリスタとされた。
山陽電気鉄道[編集 | ソースを編集]
5000系[編集 | ソースを編集]
あの制御方式を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 界磁添加励磁制御を採用しましたが、界磁チョッパ制御やVVVFインバータ制御も検討されていたようです。
- いずれも3200系の登場はあり得ない。
- 界磁チョッパ制御
- おそらく三菱製の制御機器を採用していた。
- 主電動機は近鉄8810系の同等品が採用された。
- もしくは阪神8000系か阪急7000系のどちらかと共通設計となっていた。
- VVVFインバータ制御
- 富士電機製のPTr素子のものを採用し、走行音が901系A編成に類似した。
- この場合は1C2M×2群または4群の構成とされた。
- 5030系登場でIGBT素子のものに交換された。
- 時期的にGTO素子の可能性もある。それも初期GTO。
- 富士電機がGTOを扱えたかどうか……。無理なら三菱を採択していた。
京都市交通局[編集 | ソースを編集]
20系[編集 | ソースを編集]
総合車両製作所で製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- デザインは総合車両製作所が担当しましたが、製造は近畿車輛が行いました。
- 間違いなくステンレス車体となっていた。
- 総合車両製作所のsustina車体を持つ関西では唯一の車両となっていた。
- 外観はさらに東急2020系に似たものとなっていた。
- 同じく東急車輛→総合車両製作所が製造を担当した南海8000系と比較されていた。
- 南海が8300系以降近畿車輛に鞍替えしたので、現在では関西で唯一総合車両製作所が製造する車両となっている。