もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR

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少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?

  • 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
    • 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
  • 1年以上増備が行われていない形式でお願いします。
関連項目

新幹線[編集 | ソースを編集]

200系H編成[編集 | ソースを編集]

  • 所謂100系の顔をした200系であり、史実では6編成が製造されました。
  1. 100系と同時に開発・製造が行われていれば十分有り得た。
    • 民営化よりも前に投入される事になるので、こちらがG編成を名乗っていた。
  2. その代わりF編成の数が大幅に減っていた。
    • 連結器の構造を考えると、流石にK編成の登場には影響はないはず。
  3. どのみち勾配やら需要やらの影響で東北新幹線専用車になるのは変わりない。
    • E2系登場までは400系と連結する列車を除き、全ての「やまびこ」がこの車両で運用されていた。

E1系[編集 | ソースを編集]

  • 100系、200系H編成に続く2階建ての新幹線で、史実では6編成が製造されました。
  1. E4系と同時に開発・製造が行われていれば十分有り得た。
  2. その代わりG編成の数が大幅に減っていた。
  3. 全車引退ももちろん200系の後だった。

電車[編集 | ソースを編集]

特急形[編集 | ソースを編集]

251系[編集 | ソースを編集]

史実では4編成製造されました。もし185系全車を置き換えに至るまで製造されていたら?

  1. 185系の一部は波動用に転用していた。
  2. ハイデッカーがバリアフリー対応の壁となって史実より早く引退していたかもしれない。
    • 651系はこれの置き換え用として東海道線に転属していた。列車名も「スワロー踊り子」になっていた。
    • 逆にE257系2000番台が草津・あかぎ・水上に転用していた。
    • E261系も史実より早く登場していたかもしれない。

255系[編集 | ソースを編集]

史実では5編成の製造で終わりましたが、もし、房総地区の183系全車を置き換えに至るまで製造されていたら?

  1. E257系500番代は登場しなかった。
  2. グリーン車なしの6両編成も登場していた。
  3. 程度の良い183系は波動用に転用。
    • 波動用165・167系の全廃も早かった。
  4. 國鐵千葉の印象が薄れていた。

E257系[編集 | ソースを編集]

  1. 房総特急が衰退していなければ東海道線や横浜線用の特急として185系を置き換えていた。
    • 東海道線や横浜線の用途に合わせて基本編成8両と付属編成4両の車両が出ていた。
  2. 横浜線用などがあり房総特急が衰退した場合は、南武線用の特急に回されていた。

E259系[編集 | ソースを編集]

  1. 我孫子支線が複線化や成田空港直通が増えていたら東海道、横須賀線向けで増備されていた。
    • 上野駅の折り返しを活用して大宮駅以北から常磐線、我孫子支線を介した特急列車の運行もあり得た。
  2. 料金や速達面でスカイライナーや高速バスに優位に立てるので利用者増に応えて更に増えていた。

283系[編集 | ソースを編集]

史実では基本編成・付属編成各2本の製造で終わった。

  1. 「くろしお」の愛称が「オーシャンアロー」のままだったかもしれない。
    • 雷鳥→サンダーバードのように「くろしお」の愛称が無くなって「オーシャンアロー」で統一されていたかも。
  2. 今頃「やくも」用新型車両が導入されているはず。
    • 「マジカルクラウド」みたいなそれっぽい愛称が付けられる。
      • 塗色は赤紫色と白のツートンカラーで、後に近鉄の「伊勢志摩ライナー」の赤いやつと似てると言われていた。
      • 381系をリニューアルした「ゆったりやくも」はなかった。
    • 2024年に273系が投入されることはなかったか?
  3. 381系北近畿転用→485系廃車→287系の出る幕なし、というストーリーも考えられる。
    • むしろ273系はこちらに投入されていたかも。あるいは北陸新幹線敦賀延伸で余剰となる683系が289系として転用されていたかもしれない。

285系[編集 | ソースを編集]

現実には「サンライズ出雲・瀬戸」のみの導入となりました。

  1. 東京~大阪の急行「銀河」がこれに置き換えられ、「サンライズ銀河」が実現していた。
    • それと同時に特急格上げもあるだろう。
    • その場合「サンライズ出雲・瀬戸」の上りは大阪駅は通過となっていた。
    • 「WEST EXPRESS 銀河」は別の名前になっていた。
  2. 東京~下関に「サンライズあさかぜ」が新設されていた。
  3. これの交直流版も計画されていたかもしれない。
    • その場合交流50/60Hz対応になっていたし、青函トンネル及び耐寒耐雪対応になっていた。
    • 京阪神~九州間には「サンライズなは」、「サンライズあかつき」、「サンライズ彗星」と大阪~青森・函館間には「サンライズ日本海」が新設されていた。
    • 下手したら気動車版も計画され、「サンライズ北斗星」、「サンライズはまなす」も新設されている。
  4. 寝台特急の衰退は現実ほどではなかった。
  5. TwilightExpress瑞風もこの形式で運転されていた。
  6. JR東日本も共同で開発していた。
    • E285系・C285系・W285系が誕生していた。

287系[編集 | ソースを編集]

  1. 271系は登場せず「くろしお」と「はるか」は共通運用化された。

E351系[編集 | ソースを編集]

史実では基本編成・付属編成各5本の製造で終わった。

  1. E257系の導入は遅れている。
    • 房総特急用に一から開発する必要がある。
  2. JR東日本は振り子式車両の導入にも意欲的になっていた。
    • JR西日本も同様に振り子式車両の導入に消極的になることはなかった。
  3. 「かいじ」にも導入されていた。
  4. 本形式の増備完了後は「スーパーあずさ」は「あずさ」に統合されていた。
  5. 初期不良がなければ十分あり得た。
  6. 史実では実現しなかった中央本線の高速化が実現していた。
  7. E353系が投入された後も史実通り転用されず廃車になっていた気がする。
    • 踊り子向けとしてE259系の新区分番台が投入されていた。
  8. 上手くいけば1両程度保存されているかもしれない。
  9. JR東日本にとっての黒歴史が減っていた。

371系[編集 | ソースを編集]

史実ではあさぎり用に1編成のみの製造で終わった。

  1. あさぎりの本数が増えていただろう。
    • その代わり小田急側が20000形を2編成所有することはなかったかも。
  2. 「東海」「ムーンライトながら」「セントラルライナー」「ホームライナー浜松」などにも使用されていたかもしれない。
    • もしセントラルライナーに使用されていたら「銭取られるライナー」と揶揄されることはなかった。
    • その分373系の導入本数が減っていた。
  3. 御殿場線直通以外に身延線や飯田線特急などに回されていた。

651系[編集 | ソースを編集]

常磐線の485系全車置き換えに至るまで増備されていたら?

  1. E653系は常磐線ではなく、「はくたか」「北越」「いなほ」に投入されていた
    • 史実と違った形になっていた。
    • 導入時期は2005年辺り?
    • E653系は3電源方式を発揮できる車両となっていた。
  2. 651系置き換え完了後は「スーパーひたち」は「ひたち」に統合されていた。
    • むしろ行先別愛称が徹底され、茨城県内発着は「ときわ」、いわき(以北)発着は「ひたち」になっていた。
      • 漢字表記(常磐・常陸)を考えると磐城国に行く平行きがときわで茨城県内がひたちではなかろうか。
      • JR東日本の感覚では行先別愛称が徹底されるだろうと考えられるため。
    • 651系時代は「スーパーときわ」、E657系投入完了後スーパーが消される。
  3. クハ481-1100番台・サハ481-300番台は登場しなかった。
    • クハ481-1100番台は史実通りに登場しても白鳥・北越・雷鳥で運用されていたボンネット車の置き換えに転用されていた。
  4. E657系への置き換えは史実通り。
    • 今頃は「あかぎ」「草津」だけでなく、「踊り子」にも転用されていた。
    • 185系は定期運用を失っていた。
    • このためE257系2000番台は登場しなかった。
  5. 「あいづ」にも本形式が投入されていた。
    • 「あいづ」のために一部の編成は耐寒耐雪仕様で登場していた。
    • 場合によっては末期「つばさ」も651系になっていた。
      • さすがに「つばさ」山形新幹線開業絡みもあるのでありえないと思うが。
    • 「あいづ」が「ビバあいづ」にされた後は余剰分で「たざわ」の485系も一部置き換えられていた。
    • 秋田新幹線開業後は「はつかり」→「つがる」に用いられていた。
  6. 一部の編成は非電化線区乗り入れのために発電機を備えていた。
    • 史実では実現しなかった「ビーチイン大洗ひたち」での運用が考えられたため。
    • 非電化線区と直通運転する臨時・団体列車には本形式が重宝されていた。
  7. JR・東武の日光、会津方面に向かう特急のJR編成に回されていた。
    • その場合は、交流機器撤去編成も出ていた。

E751系[編集 | ソースを編集]

史実では3編成しか製造されませんでしたが、ここでは全てのはつかりを置き換えられるまで製造していたらと仮定します。

  1. 津軽海峡線にも乗り入れていた。
    • 東北新幹線八戸延伸後はつがるだけでなく、白鳥にも使用されていた。
  2. 東北新幹線新青森延伸後は一部の編成があいづに転用されていた。
    • 北海道新幹線開業後は常磐線北部区間にも転用?
    • それでも余った分は廃車になり「迷列車」扱いに。
    • 「あいづ」用は485系に合わせて「ビバあいづ」塗装になっていた。
      • 快速への格下げはもちろんなかった。
  3. 789系0番台も基本性能はこれをベースに製造されていた。
  4. 「つがる」の大幅減便はなく、青森~弘前間は1時間間隔で特急列車が走っていた。

789系1000番台[編集 | ソースを編集]

  1. 785系の付属編成(2両編成のやつ)が特急から撤退し室蘭本線の普通列車として使用されていたかもしれない。
    • もしこれが史実だったらなんだか宝の持ち腐れ感が・・・
  2. 学園都市線電化後、キハ143形は室蘭本線ではなく函館本線の岩見沢以北で使用されていた。ただし、キハ143-155の東日本送りは変わらず。

8600系[編集 | ソースを編集]

史実では2014年から2018年にかけて2連4本、3連3本が登場しましたが、8000系を全車置き換えるまで増備されていたら?

  1. 「しおかぜ」「いしづち」は2020年の松山運転所移転か、2021年の「南風」「しまんと」2700系化完了と同時に本系列への統一を果たした。
  2. 8000系が2回目のリニューアル工事を受けることはない。
    • 引退後に1両は四国鉄道文化館に保存される。
  3. アンパンマン列車や台鉄EMU800型のラッピングをされる編成が現れていた。

普通列車用[編集 | ソースを編集]

サロ124・125形[編集 | ソースを編集]

史実ではサロ124は29両、サロ125は5両製造されていた。

  • 113系に属しますが、登場はJR発足後であるため、ここに記載しております。
  1. 横須賀線に在籍していた113系も早々と2階建てサロを連結している編成に統一されていた。
    • スカ色のサロ125も現実化。
    • 幕張所属編成に於いても2階建てサロを連結。
  2. 余った平サロは115系や415系鋼製車に転用。
  3. サロ110を筆頭とする平サロの淘汰が早まり、グリーン車は早くも2階建てサロに統一されていた。
    • よってサロ124+サロ125の編成で最後を迎えていたかも。
  4. また東北高崎線の115系向けのサロ126、サロ127や常磐線中電415系向けのサロ424、サロ425といった2階建てサロも登場。
  5. 総武快速・横須賀線、東海道線両線からの113系撤退後の処遇が問題になっていたかも。
    • 宇都宮・高崎線に転属する車両が増えるため、211系の平屋グリーン車であるサロ210・サロ211の廃車が早まっていた。
  6. サロ110形は早期に廃車されたか、あるいはリゾートエクスプレスゆうやシルフィードの種車となっていた。

E127系電車[編集 | ソースを編集]

0番台が2両編成13本、100番台が2両編成12本製造されたが、新潟・長野地区の国鉄型車両全てを置き換えに至るまで製造されていたら?

  1. 国鉄新潟と揶揄されることはなかった。
  2. しなの鉄道に115系は導入されず、E127系ベースの車両が導入されていた。
  3. 211系が長野地区に転属しなかった。
  4. 甲府・高崎地区にも導入されていたかも?
  5. トレインビジョンは新潟地区に導入されることはなかった。
  6. E129の登場が史実より大幅に遅れることになる
  7. モハE127やサハE127が登場していた。
    • 一部は4連になっていた。
  8. 新潟車が2022年に一度運用離脱することはなかった。
    • 南武支線転用などもっての外である。
      • むしろ南武支線向けに4ドアトイレなしの500番台が登場している。

205系京浜東北線用[編集 | ソースを編集]

103系置き換え用に投入されたが、全車置き換えには至らなかった。

  1. 209系は製作されなかった。
    • 90年度後半まで205系が増備されつづけた。
      • 1998年からE231系が運用されていた。
    • 京浜東北線でもモーターからの爆音を轟かせていた。
      • 特に全般検査後に外扇モーターに変えられた時。
  2. サハ204形が導入されていた。
  3. E233系1000番台の導入は恐らく史実通り。
    • ただし房総地区送りになったかどうか怪しい。場合によってはE129系が房総地区に導入されていたかもしれない。
  4. 京浜東北線へのD-ATC導入は遅れていた。
  5. もしも209系が製造されていたら、京葉線では205系の投入はされず、東京開業から数年遅れて209系の大量投入があっただろう。
  6. 下のも含めてモハユニットが499まで到達(史実では406まで)した場合、相模線用の500番台を飛ばして499の次は601からとなる。(史実の600番台は日光線ですが90年代当時には存在せず)
    • その代わり史実の600番台は2000番台あたりに区分されている。

205系京葉線用[編集 | ソースを編集]

京葉線東京延伸開業用に投入されたが、もし、103系も置き換えていたら?

  1. 6両+4両編成も登場していた。
    • 東金線でも運用されていた。
  2. 史実より早く全列車110km/h運転を実施していた。
  3. 201系は転入しなかった。
    • 201系は武蔵野線に回されていた。
  4. 山手線の205系は京葉線に転用されず、房総地区に回されていた。
  5. 京浜東北線で運用していた209系500番台は武蔵野線に転用していた。
  6. E331系の登場とE233系の置き換えは史実通り。
    • E331系は残留するが結局は量産化せず、車両故障の多さから運用を離脱するのは史実通りである。
    • だからといって205系を1編成だけ残留させるわけにはいかないので車種統一の観点からE233系がもう1本追加投入されていた。
    • 205系600番台はメルヘン顔で揃っていた。
  7. 103系DDM試験車は登場しなかった。
    • 原型ライトの103系も現実より早く消滅していた。
  8. 「京葉中古車センター」と揶揄されることはなかった。

205系武蔵野線用[編集 | ソースを編集]

新車としての投入は8両編成5本に留まった。ここでは全て新車として投入していたらということで。

  1. 103系を確実に置き換えていた。
  2. 5000番代への改造数が減っていた。
    • 最も少ないければ253系200番台に機器提供のための2編成になっていた。
  3. 205系の転用計画は武蔵野線が挙がることはなく、代わりに房総地区が挙がっていた。
  4. E233系が武蔵野線にも投入された可能性あり。
    • その場合209系500番台やE231系0番台は武蔵野線に転属しなかった。
    • 置き換えられた205系がインドネシアに譲渡される事は変わらなかった。

205系南武線用[編集 | ソースを編集]

新車としての投入されたものの結果的には103系が残留した。ここでは全て新車として投入していたらということで。

  1. 205系1200番代は登場しなかった。
  2. 209系は投入されなかった。
  3. E233系への置き換えは史実通り。
    • 209系のように1編成だけ残留することもなく、E233系8500番代は登場しなかった。
  4. 1991年に快速が復活し、停車駅は当初の川崎〜登戸間の快速運転に始まり、稲城長沼迄の快速延長後は立川迄の完全運転は史実通り稲城長沼付近の高架化まで待った。

209系0番台南武線用[編集 | ソースを編集]

史実では2編成のみの投入でしたが、もし、南武線の全車両が置き換えられるまで投入していたら?

  1. 南武線の103系全廃は史実より早かった。
  2. 205系の房総地区転用が実現していた。
    • むしろ房総地区の車両統一を迅速化するため,205系は史実同様(インドネシアの)ジャカルタに譲渡。南武線209系が幕張211系の置き換え用に転属した。
  3. 今頃は全車機器更新されており、今なお現役。
    • 機器更新されなかった場合はE233系8000番台に置き換えられている。
      • 一部、南武支線や鶴見線の車両置き換えに使われていたかも。
    • その予算で武蔵野線にでも投入、VVVF205系は北関東に転用?
    • 史実の八高線の例を考えると結局淘汰されてそう。
    • 中央・総武線各停のE231系0番台の転用先になっていた。
  4. 上記どおり房総地区に転用された場合を除く

209系500番台[編集 | ソースを編集]

あくまでもE231系までのつなぎ役としての製造でしたが、もし計画が変更されて量産されていたら?

  1. E231系の誕生はかなり遅れた。
    • 場合によってはE231系500番台がE231系0番台になっていた。
  2. それでも他線への新製投入はないはず。
  3. 常磐線快速にも投入されていた。
    • 史実通りE231系0番台だった場合、上野東京ラインの開業に合わせ史実でも検討されていた常磐快速線向けE233系が製造されていた。
  4. 製造数にもよるが武蔵野線がこの車両で統一されている可能性大。
  5. E217系やE501系の500番台も登場していた。
    • E217系500番台は前面がE231系近郊型と同一になっている。

209系1000番台[編集 | ソースを編集]

06系同様千代田線用の車両として作られたが、史実では2編成しか導入されなかった。

  1. 量産されていたとなると、間違いなく203系と207系900番台は全てこの車両で置き換えられていた。
    • よって双方の引退も史実より早かった。
    • いくらなんでも引退が早過ぎる(20年経っていない)ので転用されるだろう。
      • だからと言ってどこに回すのだろう…。それでも中間車が廃車にされるのは確実。
        • やはり武蔵野線だろうか?
          • 他に有力なのは南武線辺りか。
      • 207系900番台は1編成しかないのでどちらにしろ廃車されていたのでは?
    • 203系は301系と103系1200番台置き換えのために東西線に回されていた。
      • E231系ではなくE233系に置き換えられていた。
  2. 置き換えが速ければ東西線への導入もありえたかもしれない。
  3. 現在では小田急への乗り入れ対応のための改造がなされている。
    • どうかな?E233と小田急4000のベースが同じだから乗り入れ改造がされたわけで。
  4. E233導入と同時に武蔵野線へ流れており、武蔵野線における205系の在籍数が減っていた。
    • そもそもE233系2000番台が存在せず、E235系の地下鉄対応版(コンパチ東急2020系)によって置き換えられていた。
    • その後は相模線と仙石線に転用され、205系を置き換えていた。
      • 中央快速線には京浜東北線用1000番台が小改造された上で一時転入していた。

E217系[編集 | ソースを編集]

  • 東海道線への導入計画もあったが、史実上ではボツになった。
  1. 東海道線では途中の増備で前面変更車500番台が登場していた。
  2. 東海道線にもE235系が入っていた。

223系[編集 | ソースを編集]

  1. 岡山地区の旧型車は全てこの車両に置き換えられていた。
  2. 新快速15両化によって中間車増備もあり得た。
  3. 225系含めて奈良線や福知山線の全線複線化や伊丹空港線延伸関連が進んだ場合は、編成両数増備の為に8両編成が増えていた。
    • 221系4両は草津線や桜井線のローカル列車用にワンマン転用された。
      • それでも草津線の新快速用は亀山駅まで延伸したら付属5両が増備される。
  4. 北陸本線が全線直流化されたら521系の代わりに5両編成の車両が増備されていた。

E233系5000番台ケヨ521編成[編集 | ソースを編集]

E233系5000番台は250両(10両貫通21本、6+4編成4本)投入予定であったが、E331系の本格的な運用を見越して10両差し引きとなった。もし、当初の予定通り10両追加投入されていたら?

  1. =もし2008年の金融危機がなかったら、である。
  2. E331系は復帰することがなく廃車となるのは史実通りだった。
    • むしろ史実より早く廃車されている。
  3. 209系500番台が1本だけ京葉線に居座り続けることはなかった。
    • この編成の処遇が注目されてしまうこともなかった。
    • 運用見直しで編成数削減だの京浜東北線からの転用で置き換えだのと噂されることもなかった。
    • 武蔵野線へ転用し205系メルヘン車を置き換え。
      • 状況如何では205系600番台の原型顔は出なかったかもしれない。
  4. JR東日本のいい加減でやる気のない車両計画の1つに挙がってしまうこともなかった。
    • それでもJR九州よりはマシな方だと思うが。
  5. 中央快速線向けのトタT71編成は存在せず、209系500番台が中央快速線に転属している。

303系[編集 | ソースを編集]

現実ではたったの3編成しかありません。もし、305系並みに多かったら?

  1. 既に103系は全敗。
  2. 福岡市営地下鉄車両も多く廃止されてた。
  3. 305系はなかった。

305系[編集 | ソースを編集]

筑肥線電化区間の車両が103系を全廃に追い込むまで増備していたら?

  1. それでも303系は残留している。
  2. 筑前前原-西唐津間の区間運転に対応する3両編成が登場していた。
    • 3両編成は817系に似た前面になっていた。
  3. 筑肥線姪浜-西唐津間でのワンマン運転が実現していた。
  4. 筑肥線の高速化と複線化で利便性が高まったら更に増備していた。
    • 箱崎線が西鉄貝塚線と直通してたらよりあり得た。

321系[編集 | ソースを編集]

関西地区の103系をすべて淘汰できるまで増備されていたら?

  1. 大阪環状線や大和路線や阪和線には確実に導入される。
    • この3路線は、逆に近郊型3扉車も置き換えて、4扉車に統一される。
    • 環状線仕様はオレンジ帯、大和路線仕様は緑帯、阪和線仕様は水色帯だった。
    • 羽衣線には、205系が転用されていた。下手したら、JR東日本がやったような食パン化もとい先頭車化改造がされていた。
    • 混雑の激しい嵯峨野線目的で京都にも投入され、間合いで滋賀県内に顔を出していた。
  2. 史実で奈良に転用された221系は、岡山か和歌山あたりに行っていた。
  3. JR西日本は、ロングシート車による混雑緩和に対する理解を深めていた。
    • 広島の227系も、もう少しロングシートを取り入れた構造だった。
  4. 2008年以降に増備された編成から、シングルアームパンタグラフを採用していた。
  5. 2015年までには、大阪から103系が淘汰されていた。
  6. 東線を103系が通るなんてありえない。
  7. 8両固定編成や、321系による増解結運用もできていた。

E331系(量産車)[編集 | ソースを編集]

ついに量産されることがなかったE331系ですが、もし実用化していたら?

  1. 京葉線にE233系は導入されなかった。
    • 埼京線はE233ではなくE331が導入されていた。
      • むしろ武蔵野線に投入されていた。
  2. JRで連接車が実用化されていた。
    • JRはJRでも東日本限定になりそう。
    • JR東日本でも首都圏エリアの一般型電車限定。
  3. JRで連接車は実用化しないというジンクスはできなかった。
  4. 4ドア・オールロングシート車も登場しているはず。
  5. 中央線にも投入された。

313系[編集 | ソースを編集]

  • ここではJR東海の全ての在来線車両(気動車除く)が313系に統一されていた場合を想定します。
  1. 飯田線の119系は213系の転属ではなく、313系の新造車で置き換えていた。
  2. 2010年代にはJR東海から国鉄形車両は消えていた。
    • 静岡地区のトイレ問題もとっくに解決済み。
  3. 315系の開発に影響が出ていた。
    • 史実より10年は遅れている。
  4. 311系も313系に改造されていた。
  5. 関西本線系統(関西本線、紀勢本線、伊勢鉄道、参宮線)や高山本線、太多線が電化されていたからキハ25系の代わりにこの系列の4両〜8両編成が増備されていた。
  6. そのうち313系で313系を置き換える可能性もあった。

313系2300番台[編集 | ソースを編集]

  • 本区分のみが多く増備された場合について考えてみる。
  1. 1300番台は存在せず、代わりに神領に3100番台のワンマン準備車が投入されている。
  2. 身延線用3000・3100番台が飯田線に転属していた。
  3. 213系の飯田線転属は史実通り。
  4. 武豊線電化の際は3100番台が増投入されている。

415系1900番台[編集 | ソースを編集]

  • 常磐線の着席向上を目的として1両だけ試作された415系の二階建て先頭車。
  1. 215系の登場が史実よりも早まっていた。
    • 2階席の座席が2×3列になっていた。(現実の215系の2階席の座席は2×2列)
  2. 「マリンライナー」用に211系・213系用の2階建て先頭車が導入されていたかもしれない。
  3. それでも常磐線へのグリーン車導入は史実通りになっている。
    • 量産されていたらこの車両のグリーン車化改造も検討されるだろうが、先頭車では何かと使い勝手が悪いだろうし。
  4. JR東日本は着席通勤に対する理解を深めていた。
    • ロングシート化を必要以上に推進することはなかった。
  5. この車両を10~15両につないだ交直流版215系が検討されていた。

E501系[編集 | ソースを編集]

史実では4編成しか製造されなかったが、もし、もっと多く製造されていたら?

  1. 常磐快速線の土浦延伸は間違いなく実現していた。
  2. 常磐快速線にE231系は導入されなかった。
    • E531系もなかった。
      • いや車体幅と水戸方面で運用の都合上結局製造された。
        • 少なくとも0番台編成は既存の10両編成4本と5両編成4本、拡幅車体の500番台が現行のE231系の後釜になるように、10両編成19本と5両編成17本が導入されていた。
  3. 403系は史実より早く全廃されていた。
  4. 2000年代半ば頃になってグリーン車連結。
    • グリーン車連結で置き換えられたサハに廃車が出ていた。
    • あくまでも常磐線(中電)ではなく常磐快速線の延長としてだからそのままと考えられる。
  5. 松戸車両センターが交直流対応に改修されていた。
  6. 水戸線と常磐線友部以北に転用されることはなかった。
    • JR東からしてみれば上野東京ラインは幅広車両で統一したいだろうし、それまでには転用されているのでは。その頃になるとベースの209系も廃車・転用進行中だし。
      • 転用は2010年代になってからで、房総の209系2000番台と同じく一部車両がセミクロスシートに改造されていた。
        • もしくは、500番台投入直後に0番台なる既存編成を仙石線に投入し、仙山線愛子以西に対応できる編成ができていた。
  7. 現在は機器更新され今日も爆走中。
    • そもそも製造途中でシーメンス製インバータの採用は取りやめとなっている。
      • むしろシーメンスの日本撤退がなかった。
      • どこかのタイミングで東芝GTOに移行している。
  8. 拡幅車体の500番台が登場していた。
    • 当然ながら常磐快速線向けに投入されて、尚且つ新製時からグリーン車が連結されていた。

701系セミクロスシート改造車[編集 | ソースを編集]

史実では秋田地区用の2連3本がセミクロスシートに改造されたが、更に改造されていたら?

  1. 機器更新と同時に改造されていた。
  2. 鉄道ファンの不満も和らいでいた。
    • 失敗した施策を見直したと絶賛されていた。
    • 川島令三からも絶賛していた。
  3. 秋田地区に留まらず、盛岡、仙台地区用の車両までにも改造が波及していた。
  4. 快速と普通で運用を分けることもなかった。

719系[編集 | ソースを編集]

仙台地区の455系全車置き換えに至るまで増備されていたら?

  1. 常磐線や磐越西線にも史実より早くから運用され、常磐線では山下以南でも運用されていた。
    • 一部の編成は水戸にも乗り入れていた。
    • 一部の車両は快速「ばんだい」用のクロハが登場していた。
      • しかし利用率の伸び悩みから早いうちに一般車と同様の設備に改造されていた。
        • クロハ455形とは違い、そのままの形で運用されることはなかった。
    • 常磐線仙台地区の混雑も史実より早く緩和されていた。
    • 常磐線仙台地区の車両置き換えに対する意見が出ることもなかった。
  2. 今頃はE721系に置き換えられている。
    • 仙台空港線用から先行して登場し、719系置き換え用は2010年代に入ってから登場していた。
      • 史実とは異なり、フルカラーLED、トレインビジョンにも対応していた。
  3. 455系の大規模な更新工事はなかった。
    • クロハ455形も登場しなかった。
  4. 当時ロングシート化を推進していた束の車両の中では一目置かれた存在あるため、鉄ヲタから高い評価を得ていた。
    • 川島令三も絶賛していた。
  5. 715系の置き換えは史実通りに701系で置き換えていた。
  6. 山形新幹線新庄延伸で持て余した秋田地区の701系は常磐線ではなく715系の置き換えに回っていた。
  7. 一部の編成はワンマン運転に対応していた。
715系も置き換え対象となった場合
  1. 仙台地区に701系が導入されることはなかった。
  2. 山形新幹線新庄延伸で持て余した秋田地区の701系の処遇が問題になっていた。
    • 標準軌仕様に改造されていたかも。
    • 常磐線に転用され、415系はいわき以南のみで運用されていた。現在のE531系もいわきが北限になっていた。

735系[編集 | ソースを編集]

3両編成2本のみ製造された。

  1. はこだてライナー用に函館地区にも導入された。
  2. JR北海道はアルミニウム合金製の車体の導入に積極的になっていた。
  3. 史実の733系はなかった。
    • 「なぜ735系はあるのに733系はないのか」と言われる。

815系[編集 | ソースを編集]

史実では熊本・大分地区用に1999年の製造に留まりました。もし、更に増備されていたら?

  1. =701系がやり玉に挙がっていなかったら、といえる。
  2. 817系は存在しなかった。
  3. 福岡、鹿児島地区にも本形式が投入されていた。
    • 福岡地区用は3両編成も登場していた。
  4. BEC819系は本形式をベースに作られていた。
  5. 415系ロングシート改造車はなかった。
    • 811系はリニューアル後もクロスシートのままだった。
      • それどころかJR九州がクロスシート車をロングシートに改造しまくる事もなかった。
    • よって415系100番台の大分への集約が現実より早まっていた。場合によっては415系0番台全車も大分に集約されていた。
      • この場合、415系507・520編成はJR九州に譲渡された時から鹿児島に配置されていた。
  6. 鹿児島本線列車追突事故の廃車補充は本形式によって行われていた。

885系[編集 | ソースを編集]

史実では11編成が製造されたが、「かもめ」の全便を885系化できる位に増備されていたら?

  1. かもめは885系に統一されていた。
    • このため、783系は日豊本線系統に回されていた。
    • 九州新幹線全線開業後、787系6両も日豊本線系統に回され、「きりしま」での運用もあった。
  2. 九州新幹線長崎ルート部分開業後はソニックに回され、883系を置き換えていた。

6000系(第3~第5編成)[編集 | ソースを編集]

6000系は当初の計画では5編成投入する予定であったが、2編成で製造が打ち切られ、その後の増備は行われなかった。

  1. JR東日本から113系を購入することはなかった。
    • もちろんあの魔改造もない。
  2. 現在でも瀬戸大橋を渡って本州に乗り入れている。
    • 現在では瀬戸大橋を渡る運用がありますが、何か?
      • 史実では瀬戸大橋を渡る運用が一時期なくなったが、増備されていたら瀬戸大橋を渡る運用がなくならなかったということだと思う。
    • 2019年に瀬戸大橋を渡る普通列車が廃止されることもなかった。

気動車[編集 | ソースを編集]

キハ25系1次車[編集 | ソースを編集]

史実では5編成の製造で終わりましたが、もし、もっと多く製造されていたら?

  1. 武豊線のキハ75系の400・500番台を置き換えていた。
    • もちろん、余剰となったキハ75系400・500番台は快速みえや紀勢本線・参宮線のワンマン運用に回されていた。

キハ33形[編集 | ソースを編集]

史実では50系客車から2両の改造で終わりましたが、もし、もっと多く改造されていたら?

  1. キハ120形は製造されなかった。製造されても史実より少なかった。
  2. オハフ50形からの改造で便所付の0番台が登場していた。
    • こちらの方が改造が容易だと思うので多数改造されていたかもしれない。
  3. 同じ種車のキハ141系・143系と比較される事が多くなった。
  4. キハ40系同様、体質改善工事が行われていた。
    • エンジンもコマツ製330psのものに交換されていた。
  5. 2015年現在でも活躍している。
    • しかし車齢を考えると老朽化は否めないのでキハ122・127系に置き換えられてもおかしくはない。
    • なので、キハ122・127系が姫新線以外にも投入されていた。

キハ75系[編集 | ソースを編集]

史実では、快速みえ向けに1次車を2両編成×6本、2次車を2両編成×14本(うち6本はワンマン運転対応)の合計40両落成されたが、更に製造されたら。

  1. 400番台の製造数が増えた。
    • 99年製造車から仕様が変わった。
      • ドアチャイムの音色が313系と同じものに変わった。
      • ドアスイッチが乗降促進メロディ付きのものが付いた。
  2. 史実よりも早く高山本線に新造で導入された。
    • 紀勢本線、参宮線のワンマン普通列車の運用にも参入しみえと共用になった。
    • 富山県にも顔を出していた。
      • 場合によっては、富山駅まで乗り入れていたかもしれない。
  3. 途中からセミクロスシートになっていた可能性もある。

HC85系[編集 | ソースを編集]

  • 史実では、68両のみの製造に終わりましたが、キハ85と同数の80両が製造されていたら?
  1. 南紀は相変わらず所定2両だが、富山ひだは所定がグリーン車付き4両、大阪ひだも所定がモノクラス4両となっていた。
  2. ホームライナー太多や急行かすがが復活した他、臨時急行いせが定期列車化された。

キハE120形[編集 | ソースを編集]

史実では新潟地区用にキハ52・キハ58系置き換え用として8両の製造に留まりましたが、もし、キハ40系やキハ110系を置き換えるまでに増備されていたら?

  1. 片運転台車も登場していた。
    • 形式はキハE121・キハE122だった。
  2. キハ40系も置き換えていた。
  3. キハ110系までも置き換え対象となった場合、転出に追い込んでいた。
    • 只見線、八戸線あたりに転用されていた。
      • キハE130系500番台は登場しなかった。
      • この形式が只見線に転属することもなかった。
  4. キハE200形の存在が薄れていた。
  5. GV-E400系は秋田地区のみの導入に留まっていた。

キハ121・126系[編集 | ソースを編集]

米子支社のキハ40系を全て置き換えていたら?

  1. 広島に227系が投入されるまで、國鐵廣島を語るときに「中国地方の南北問題」と揶揄されていた。

キハ130形[編集 | ソースを編集]

史実では日高本線のみ11両の製造でしたが、さらに製造されていたら?

  1. キハ40の老朽化問題の影響は最小限にとどまっていた。
  2. 2016年にキハ40が完全引退していたかもしれない。
  3. なぜかほぼ仕様が同じ北海道ちほく高原鉄道の気動車を譲受していたかも。

キハ150形[編集 | ソースを編集]

史実では、0番台が富良野線向けに10両・函館本線山線向けに7両、100番台が10両製造されましたが、さらに製造されていたら?

  1. キハ40の老朽化問題の影響は最小限にとどまっていて、2016年3月のダイヤ改正による普通列車の減便も最小限にとどまっていた。
    • 函館~札幌間の普通列車乗り継ぎが不便になることもなかった。
  2. その代わり、711系の置き換えが遅れていたかも。
  3. キハ150のみの6両編成を札沼線で多く見ることができた。朝夕の「ニセコライナー」札幌-小樽間も6両編成に。キハ201系は開発されなかったかも。キハ151・152(導入コスト低減のため片運転台車,片側の運転・車掌設備は準備工事)も投入される。「ニセコライナー」が繁忙期に,全区間4両編成で運行されたかも。
  4. 2023年の富良野線のH100形統一は史実通り。

キハ160形[編集 | ソースを編集]

キハ130形の事故廃車補充で1両のみの製造でしたが、キハ130形を完全に置き換えるまで製造されていたら?

  1. 日高本線にキハ40系が再配置されることはなかった。
  2. 1両しかないことを理由に休車になったりハイブリッド試験車に改造されることもなかった。
    • 代わりにハイブリッド試験車はキハ40の700番台から改造していた。
  3. 2015年現在でも活躍している。
    • 日高本線の災害廃線+JR北海道の経営危機後はあちこちの路線でキハ40置換に回される。

キハ181系[編集 | ソースを編集]

  • キハ80系の約4割(158両)のみ導入されました。
  1. 1973年頃の増備車からいくらか仕様変更された。
    • エンジン冷却はキハ65同様床下ラジエータのエンジン直結ファンに変更され問題は減少した。
      • そのキハ181は便所や洗面所のほか方向幕が設置された。
    • 普通席は簡易リクライニング型に変更された。
    • 同時期「つばさ」の減車やEF71板谷峠牽引はなかったかも。
  2. キロ180は100番台が多かったかも。
  3. 1980年代になると急行の特急化推進で上記のキハ181連結車は2両(単位)運用が設定された。
  4. ところでこの記事はJR化後の形式・番台が対象ですよね?

キハ183系1000番台[編集 | ソースを編集]

1編成しか製造されませんでしたが、もう少し多く製造されていたら?

  1. キハ185を四国から譲渡する事はなかった。
  2. キハ40系列改造のD&S列車はそれほど多くなかった。
    • やっぱり水戸岡デザインにされてしまう。
  3. 783系のような貫通型の先頭車も登場していた。

キハ200系[編集 | ソースを編集]

投入されたものの線区ごとに車種統一には至らず、在来車と混用された。もし、線区ごとに車種統一されるまで投入していたら?

筑豊本線・篠栗線
  1. キハ66系は日田彦山線に転用されていた。
  2. 原田線にはキハ220形が投入されていた。
  3. 電化後は大村線はもとより、指宿枕崎線、香椎線にも転用されていた。
    • 日田彦山線か原田線だったかも。
香椎線
  1. 指宿枕崎線に転用されることはなかった。
  2. 在来車を転出に追い込んでいた。
  3. 蓄電池車投入後は別の線区に転属した。
指宿枕崎線
  1. 山川以南でも運用されていた。
  2. 香椎線からの転用はなく、残留していた。
  3. 指宿のたまて箱はキハ40系ではなくキハ200系からの改造車だった。
    • その場合キハ220-1102(中間に展望スペースがある)が使用されていた。
  4. キハ58が史実よりも早々と全廃になってしまった。
大村線
  1. キハ66系は日田彦山線か大分地区に転用していた。
  2. YC1系が長崎地区に投入されることはなかった。

キハE200形[編集 | ソースを編集]

量産先行車が3両製造されているが、未だに増備には至っていない。ここでは小海線の全車両がキハE200形に置き換えられるまで製造されていたらと仮定。

  1. 片運転台のキハE201とキハE202が登場していた。
  2. 増備途上でHB-E200系としての増備になっていた。
  3. キハ110系は新潟地区に転出していた。
    • キハE120型は登場しなかった。
    • あるいはキハ40置き換えに只見線に転出していたかもしれない。
      • 非冷房車が多い八戸線に回された可能性もある。その場合、キハE130系500番代は登場しなかった。
  4. JR東日本では電気式気動車は導入されず、ハイブリッド気動車が製造されていた。
    • キハE130系100番台・500番台は無く、この車両の3ドア版が製造された。
      • HB-E210系が仙石東北ライン以外の線区にも導入されていたのでは?
        • 両運転台版も製造されていた。
        • その場合陸羽東・西線用のキハ110系を新潟のキハ40系置き換えや下記の観光用に捻出していたかも。
      • GV-E400系はHB-E400系としてハイブリッド気動車として製造されていた。
        • この車両をベースとしたH100形もハイブリッド車になっていた。
  5. JR東日本のやる気のない車両計画の1つに挙がることはなかった。
  6. リゾートしらかみ・リゾートあすなろ・リゾートビューふるさとは捻出したキハ110系から改造していた。よって、HB-E300系は登場しなかった。
    • リゾートビューふるさとは電化区間を走行するため、E127系から改造していたかも。
      • ステンレス車体なので難工事になりそう。
    • 種車は改造を容易にするため0番台から改造していた。
      • 「南三陸」「はまゆり」の指定席は廃止されていた。
      • 転出した車両の玉突きで改造種車とするため、0番台をねん出していた。
      • 上記のように陸羽東・西線にHB-E210系が導入で捻出された200番台から改造された可能性も。

キハ201系[編集 | ソースを編集]

3両編成4本が導入されましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. 札沼線に投入されている。
    • よって、キハ141系はキハ201系によって追われていた。
    • 片運転台では使い勝手が悪いので両運転台化改造されていた。
    • 札沼線が電化されることはなかった。
  2. JR北海道以外でも同種の車両が投入され、気動車と電車の協調運転が行われていた。
    • JR九州のキハ183系1000番台も再びその機能を活かしていたかも。
  3. むしろコストダウンのため、協調運転装置と車体傾斜装置なしで製造され、別の番台に区分されていた。
  4. 733系や735系も本系列との併結に対応していた。

HB-E210系[編集 | ソースを編集]

  • 2015年に2両8編成のみ導入された。
  1. 両運転台車のHB-E210形も導入されていた。

キハ285系[編集 | ソースを編集]

JR北海道が導入予定だった振り子式ハイブリッド特急形気動車。試作車3両が製造されたが、就役には至らなかった。もし、仮に量産車が増備され、就役していたら?

  1. 「北斗」「オホーツク」あたりに導入されていた。
    • 北海道新幹線開業絡みもあるので「北斗」には本形式が投入され、持て余したキハ281・283系を「オホーツク」に回していた。
    • 気動車の老朽化による車両不足もなかったので「サロベツ」は「宗谷」に統合され、「大雪」は設定されなかった。
  2. キハ261系の製造数が減っていた。
  3. 振り子式ハイブリッド車ゆえに製造コストが大きくなっていた。
    • 増備車では振り子機能が準備工事に留めていた。
  4. 試験車への改造が検討されることもなかった。
    • 仮に改造が実現した場合、マヤ35形は登場しなかった。
    • JR東日本からEast-Dの借用も解消していた。

2600系[編集 | ソースを編集]

土讃線の線形に対応できなかったため、4両で製造が打ち切られた。

  1. グリーン車との合造車が登場していた。
  2. 土讃線での運用に無理があるため、「うずしお」「むろと」「剣山」「宇和海」に投入されていた。
    • キハ185系や2000系を確実に置き換え、もしくは普通列車への格下げが行われていた。
  3. 2700形は登場しなかった。

2700系[編集 | ソースを編集]

41両が製造されたが、2000系は一部残った。

  1. 高知地区の2000系も完全に置き換えていた。
  2. 松山地区にも投入され、宇和海も全2700系化されていた。
  3. 剣山やむろとの置き換えは2600系改で賄われていた。

客車[編集 | ソースを編集]

24系(夢空間仕様)[編集 | ソースを編集]

3両のみ製造でしたが、もし、北斗星の全車両が置き換えられるまで投入していたら?

  1. 現実では登場しなかったA寝台1人用個室車、開放式B寝台車、B寝台2人用個室車、B寝台1人用個室車も製造されていた。
  2. 「カシオペア」は誕生にも影響が出ていた。
  3. 「トワイライトエクスプレス」の客車も新製されていた。
  4. 1・2号の受け持ちを考えるとJR北海道も夢空間車両を保有していた。
  5. A寝台ロイヤルやグランシャリオは博多あさかぜに転用され、ブルートレインの起死回生策に利用された。

E26系[編集 | ソースを編集]

12両のみ製造でしたが、もし、北斗星の全車両が置き換えられるまで投入していたら?

  1. 「カシオペア」は定期運用されていた。
  2. 「トワイライトエクスプレス」の客車も新製されていた。
  3. 史実通りA寝台(と食堂車やラウンジカー)のみの編成だった場合は「エルム」が定期化され、2015年まで運行が続いた。

機関車[編集 | ソースを編集]

ED76形550番台[編集 | ソースを編集]

当初は複数機改造する計画であったが、青函トンネルを通る客車列車の機関車不足時はJR貨物からED79形50番台を借り受ける方針としたため、1機のみの改造に終わった。

  1. JR貨物からED79形50番台を借り受けることはなかった。
  2. 「トワイライトエクスプレス」等特定の列車に運用が集中されることはなかった。
    • とはいえ車体長の都合からED79形とは別運用となっていた。
  3. 2001年以降も活躍していた可能性もある。
    • ひょっとしたら北海道新幹線開業まで活躍していたかもしれない。

EF500形・ED500形電気機関車[編集 | ソースを編集]

試作車各1両のみの製作でした。もし、量産車が登場していたら?

  1. 東北本線に投入されるも、やはり過剰性能が問題となり、EF200同様に出力を抑えられていた。
    • 日本海縦貫線や九州にも投入されるが、同じく(ry
    • 少なくともED75の単機牽引だった列車は、EH500ではなくED500が仕業を引き継いでいた。
      • ED75の廃車が早まり、更新機も史実より少なかった。
      • 災害時には磐越西線の電化区間で臨時貨物列車も牽引した。
  2. EH500とEF510の登場が少し遅れていた。
  3. 日立は電気機関車の製造から撤退しなかった。
    • EF200の早期廃車はなかった。