もしあの駅名が改称されなかったら
表示
- 現在の駅名も併記していただくと助かります。
| もしあの駅名が改称されなかったら 目次 | ||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
| 秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
| 山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
| 山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
| 佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
| 長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
| 宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
| 鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
| 沖縄 | ||||||||||||||||||
- 開運とつくのでめでたい駅名になっていた。
- 小樽大火は起きなかった。
- 隣の高島駅(現・小樽駅)の改称が早かった。
- (函館本線の)銭函⇔開運町間の記念きっぷが発売されるとか。
- 要するに野付牛町がそのままの名前で市制施行していた場合。
- 北九州市やさいたま市、かつてのいわき市のように市名変更に駅名を合わせなかったという形もありえる。
- 池北線は「池野線」になっていた。
- 天北線は「北見線」のままだった。
- 後に読みが「のっけうし」から「のつけうし」に変更される。
- 駅名に引っ掛けて牛肉を使った駅弁が発売されていた。
- ネーミングは「のっけ牛丼」といった感じか。
- 駅舎の色が「紅葉を意識したもの」と説明されていた。
- 近くの道の駅の名称にも「紅葉山」が使われていた。
- 「石勝線は夕張市を通っていない」と勘違いする人がいたかもしれない。
- 夕張支線のみが通っていると勘違いされていた。
- 美しい駅名として人気を博す。
- 夕張支線が廃止されたら、当駅を西脇市みたいに「夕張市」に改名する運動も起きていたかも。
- むしろこの駅がそのまま「夕張駅」になっていた。
- 楓駅が廃止されるまでは「紅葉山-楓」の切符が人気になっていた。
- 夕張支線廃止後、「夕張駅」「新夕張駅」「夕張市駅」などへの改名提案が浮上する。
- 国鉄初のカタカナ駅名は湖西線マキノ駅。
- 所在自治体名が今も「狩太町」なら確実にこうなっている。
- 一部で「下ネタ駅名」とされることもあった。
- 同じ函館本線の国縫駅と合わせて取り上げられる場合もある。
- 西武グループから度々「こんな物騒な駅名だと大沼の観光開発に差し障るので改称してほしい」と依頼が入る。
- 史実の大沼公園駅が観光拠点になるだけだろう。実際特急はそちらに止まるし。
- 現実の大沼公園駅は「大沼駅」のまま。
- 北斗駅か新函館駅では決着がつかなかったから駅名が変わらなかったと言われていた。
- 「渡島」で地域全体を、「大野」で所在する地名を表していると説明されていた。
- 北海道新幹線が函館に通っていないことが知られていた。
- 八戸駅(現・本八戸駅)も改称されずにそのままだった。
- むしろ新幹線開業時に「八戸中央」に改称されていた(尻内は新八戸に改称)。
- 八戸の市街地が正しく認識されていた。
- 新幹線開業時に新八戸駅への改称が議論されていた。
- 個人的には、新型E5系はやぶさの行先表示器や東京駅の発車案内表示器に「尻内」と表示されるのを見てみたかったものだが。
- ここに車庫ができると、車体の隅っこに「尻」と書かれ、ファンから「ケツ」と呼ばれる。
- 海峡線の知内駅の駅名は「湯の里知内」になっていたのか。
- ちなみに松前線の渡島知内駅は尻内駅との同名回避のために国名がついていた。
- 空港連絡に適さない駅呼ばわりされることはなかった。
- 盛岡 - 花巻空港間の路線バスが当駅を経由することはなかった。
- 空港ターミナルビル移設後に似内駅が花巻空港駅に改称したかもしれない。
- 遅くとも東北新幹線開業時には改名が検討されていた。
- クイズ番組や雑学本などでネタにされることも多かった。
- 例:「北福岡駅、福岡駅、南福岡駅のうち福岡市にあるのはどれ?」
- 岩手・福岡町が市制施行時に「北福岡市」となっていた。
- さらに、在盛テレビ局デジタル中継局名も、実史の「二戸」ではなく、「北福岡」と名乗っていた。(アナログ中継局名は、「北福岡」と名乗っていた。)
- 黒沢尻町は昭和の大合併時にそのまま「黒沢尻市」になっていた。
- 北上市になったけど駅名改称はされないケースも考えられる。
- 北上線は「横黒線」のまま。
- その横黒線にある黒沢駅は、この駅と勘違いした誤乗・誤下車が絶えないため「羽後黒沢」に改称させられた。
- 昭和の大合併で一日市町も五城目町に組み込まれていた。
- 秋田中央交通線は数年早く消えていた。
- 平成合併で「八郎潟市」の構想が出るも「僭称だ」と批判され没に。
- 「ぬくみ」「あたみ」などと誤読が絶えなかった。
- あつみ温泉の観光客の駅利用が現実よりかなり少なかった。
- そのため、特急「いなほ」の一部は当駅を通過していた。
- 「仙塩合併」構想を機に名取市が仙台市に合併されたら、改名は先送りになったと思われる。
- 「ますだ・おかだ」の増田英彦が、駅名ネタにしたと思われる。
- さいたま市のような駅名になっていただろう。
- さいたま市が誕生した年は2001年なのでどちらかと言うとさいたま市の駅は平駅扱いされていたかも。
- 市民からしたら大して変わらないな。今でもあのへんに行くときは「平に出かける」って言うし。
- 「平行」を、「交わらない事」ではなく「平駅行き」だと錯覚する者が、未だに絶えなかった。
- 南東北有数の難読駅名として話題になる。
- 「つづり」のほか、一部川崎市民からは「なわて」と読み間違えられていた。
- 綴に内郷市の中枢や国家機関が集まったので、綴市に何かの機会に変わったかもしれない。
- 内郷機関区も「錣機関区」を名乗っていた。
- 鉄道駅以外にも、「長塚」を称する施設が今でも多数存在していた。
- 俳優の長塚京三やその息子の長塚圭史がネタにしていたかもしれない。
- 高知県の中村駅(土佐くろしお鉄道中村線。1970年開業)は、「土佐中村駅」を称していた。
- 鉄オタにとっての「中村」は、浜通りのこの駅になっている。
- 白河市にしてみれば無理にでも白河駅に新幹線を持ってくるよう猛烈な陳情が起きるに違いない。
- 新幹線利用の遠距離客は十中八九「あれ?海沿いを通るのか?」と訳がわからなくなるだろう。
- 新幹線駅名に称されといて村なのは…ということで町制施行していたかもしれない。
- 「いわきさいごう」と読み間違えられることが多かった。
- いっそ開き直って西郷隆盛の銅像を駅前に作る。
- どう考えても会津人に引き倒される。(会津戦争では薩摩藩は敵)
- 白河口の戦いで総督を務めた西郷頼母だったら理解は得られそうだが(小峰城自体は白河市に所在)。
- 完成の際は西田敏行(郡山市出身)を招いて式典を開く。
- 余談だが同氏は西郷隆盛、西郷頼母、後白河法皇をいずれも大河ドラマで演じたことがある。
- 完成の際は西田敏行(郡山市出身)を招いて式典を開く。
- 白河口の戦いで総督を務めた西郷頼母だったら理解は得られそうだが(小峰城自体は白河市に所在)。
- よりによって衆議院小選挙区では西郷村が会津と同じ福島4区に移籍させられたので余計に…。
- どう考えても会津人に引き倒される。(会津戦争では薩摩藩は敵)
- いっそ開き直って西郷隆盛の銅像を駅前に作る。
- 成田線の笹川駅は当初の計画通り下総笹川駅となっていた。
- 改めて読んでみると読みにくいな、さ行が続くと。
- 市内の酒造会社、笹の川酒造とコラボレーションが行われていた。
- 黒岩や太平寺のあたりを「みなふく」と呼ぶ習慣は生まれなかった。
- 順当に大字名で呼ばれるか旧村名、地区名を用いた杉妻(すぎのめ)の愛称が用いられていた。
- 駅になっても「永井川駅」のままになっている。
- 阿武隈急行の瀬上駅は東瀬上駅、本瀬上駅みたいな名前になってる。
- 勿論JR貨物の駅も瀬ノ上貨物駅になっている。
- が、所在地は旧信夫郡瀬上町から遠く離れた北矢野目。違和感が凄かったであろう。
- 信号場の名前をとって貨物駅は矢野目貨物駅になっていたかもしれない。
- 地味に「せうえ」とか「せがみ」とか読み間違われていた。
- そのため「瀬ノ上駅」に改称されたかも。
- 関西人を中心にドラッグストアチェーンの名前と勘違いされていた。
- 伊達町(現在の伊達市)は別な名前になっていた。
- 伊達市も保原市など別な名前になっていた。
- 旧伊達町域は福島市との合併か桑折町との合併を選んでいたかもしれない。
- 新潟の方は越後長岡になっていたのだろうか。
- 特急あいづや急行ばんだいでの誤乗が絶えなかった。
- 大正時代に開業した静岡の熱海駅は伊豆熱海駅になっている。
- その後「熱海温泉駅」に改名していたかもしれない。
- 筑豊線の方は筑前若松駅になっていた。
- または、福岡の駅が「若松」のままなら、当駅発着の長距離乗車券の駅名は、「(磐)若松」と表記されていた。
- こちらも、もしかすると会津若松市への改名はなかったかもしれない。
- 只見線や会津線がここまで会津まみれになることはなかった。
- 福島駅のうち福島交通ホームのみが国鉄福島駅→JR福島駅を名乗っていた。
- 駅名標の裏と表で駅名が違うという珍しいものになっていた。
- 史実で福島駅のままだったので魚津改称前の電鉄魚津みたいになるかと。
- 福島県立美術館、図書館は福島市森合町にあることを強調していた。
- 岩代熱海の改名、川俣線の廃止を最後に岩代の国名を冠する駅名が存在しなくなる。
- さすがに今でもこのままとは行かず、清水村が合併するとともに清水支所前に改名される。
- 飯坂温泉駅との誤乗が問題になる。
- 当駅が飯坂支所の最寄りなので間違っているわけではないが…。
- 葡萄の産地としての知名度が若干低くなっていた。
- 富士山の知名度には関係なし。
- 代わりに富士吉田市の知名度はこれから下がっていくかもしれない。
- 軽井沢のイメージが今ほど広範囲に広がることはなかった。
- 御代田町ではなく、この辺りが「西軽井沢」を名乗っていた。
- 開発が進んでいなかった場合、在来線時代の季節特急「そよかぜ」は軽井沢駅止め。
- 宮脇俊三氏が著書でこの駅の改称を嘆くこともなかった。
- 代わりに、田口→妙高高原駅辺りを槍玉に挙げていたかも。
- かつて大阪発のシュプール号の終点だった際には少々ややこしいことになった。
- 近畿地方には同表記の駅が3つもあるため誤乗する事例があった恐れあり。
- 改称の話は何度も出るが未だに案がまとまっていない。
- 候補「信濃」「黒姫山麓」「野尻湖」「柏原黒姫」「信濃柏原」・・・
- 難読駅名として知られていた。
- 「あさせき」「ませき」などと誤読する人、読めずに固まってしまう人が続出。
- 現実でも高いとは言えない聖高原(及び聖湖)の知名度が更に低かった。
- なので観光客の利用が現実より少ないため、特急「ワイドビューしなの」が早い段階で全列車通過になっていた。
- 戸狩野沢温泉駅は戸狩温泉駅になっていた。
- それでも野沢温泉へは飯山駅からバスに向かうルートが推奨されていた。
- 民営化後に駅名の改称が検討されていた。
- 候補は「和島」「和島与板口」あたりか。
- 越後交通の与板駅は別の駅名になっていた。
- もし改称されていなかったら和島村と与板町が合併していたかも。
- 「北陸新幹線上越妙高駅」が交点付近に駅ができなかった場合だろう。
- 移設も行われなかった。
- 特急「しらゆき」は設定されなかった。
- 史実通り新井快速はできるが本数減少は避けられず。
- 一方糸魚川駅が在来線併設になるので新潟県は糸魚川快速存続に全力したかも。
- 史実通り新井快速はできるが本数減少は避けられず。
- 新幹線の新高岡駅は別の駅名を名乗っていた。
- 新幹線の駅に行こうとして間違える人もいたかもしれない。
- 北陸新幹線の駅は、『本高岡駅』か『南高岡駅』と名乗っていたか…。
- 三河安城駅のように「越中高岡駅」になっていたかも(こちらも名鉄に新安城駅が先にあった)。
- 万葉線を新幹線の駅まで乗り入れるべきという声が高まっていたかもしれない。
- 旧額(ぬか)村は金沢市ではなく野々市町(当時)と合併していたかもしれない。
- となれば、馬替、額住宅前、四十万の3駅も野々市市の駅になっていた。
- 特急は今も大聖寺・動橋の双方に停車している。
- 特急を連続停車させる発想は史実より早く定着していた。
- 北陸鉄道河南線の寿命がやや伸びていた。
- 河南線じゃなくて加南線ね。
- 北陸新幹線の停車駅を巡ってもかつてと同じような代表駅争いが行われた。
- 喧嘩両成敗で駅の位置は結局作見に落ち着くものの、次は駅名をめぐって温泉街間の争いがまた起きていた。
- やはり「加賀温泉駅」になっている。
- 喧嘩両成敗で駅の位置は結局作見に落ち着くものの、次は駅名をめぐって温泉街間の争いがまた起きていた。
- 上記の通り特急が停車しない場合、無人駅になっている。
- 大聖寺は「加賀市」に、動橋は「片山津温泉口」にそれぞれ改称されていた。
- サンドーム福井に関しては副駅名止まりだった。
- なお、実際には西と言うより北西の位置にある為そのままでも特に問題はない。
- 可児市の知名度が現実よりも低かった。
- 名鉄も新広見駅のままだった。
- 名鉄広見線の路線名の由来がわかる人が多くなっていた。
- 東急東横線の学芸大学・都立大学駅と同様、大学が移転したのに駅名がそのまま、ということになっていた。
- 岐阜大学への最寄駅と勘違いして下車する人が跡を絶たなかったと思われる。
- 実際、かつて某お見合い番組が桂きん枝というお笑いタレントを使ってこの駅をネタにしていた。
- 岐阜大学への最寄駅と勘違いして下車する人が跡を絶たなかったと思われる。
- 名鉄の加納駅は当然別の駅名を名乗っていた。
- 日豊線の駅のほうは日向加納駅を名乗っていた。
- それでも名鉄の方は岐阜駅をになっている。
- ちょうど博多駅と西鉄福岡駅みたいな関係になる。
- 岐阜県の県庁所在地を「加納市」だと勘違いする人がいた。
- 遠鉄には「新浜松」があるが、JRに乗り換えようとする客の誤降車が絶えない。
- そのため「新浜松」駅は「浜松駅前」に改称されていたかも。
- 遠州病院に行こうとする利用客が「新浜松」で降りてしまうトラブルもありそう。
- 住宅地の無人駅なので、改称されなくても特に問題はないが、全国で唯一「中学校」と冠した駅のままだと何か媒体で取り上げられて、多少話題になったかもしれない。
- 戦前のうちに大阪の十三駅が「北野中学校前駅」に改称されていたら全国で唯一でなくなる。
- 愛称が北野と同じ「北中」であることが話題になった(但し読み方が北野は「ほくちゅう」で、こちらは「きたちゅう」だが)。
- 戦前のうちに大阪の十三駅が「北野中学校前駅」に改称されていたら全国で唯一でなくなる。
- 北浜中学校前駅のもう一つ前の駅名「北浜駅」だと、隣が「浜北駅」なので誤降車が絶えないかもしれないが。、
- 現実の三島駅(東海道本線・新幹線)は「本三島」か「三嶋大社」に。
- やはり1969年の新幹線駅開業時にどちらも現実と同じ駅名になっていた。
- 長泉町は三島市に合併されている。
- 新白河駅の事例もあるので微妙。
- 史実の十勝清水駅は今も「清水駅」を名乗っている。
- 漢字圏の観光客が誤乗しそうな気がする。
- 静鉄の新清水駅も違う名前になっていた。
- 江尻新道のままだった。
- 清水港線は単に「清水線」という名前だったかもしれない。
- 清水次郎長の知名度が地元限定程度にとどまっていた。
- 難読駅名として有名になっていた。
- 「いなかっぺ天竜」と馬鹿にされる。
- 地名が「なかっぺ」から「なかべ」に改められており、何れは駅名も改められただろう。
- 「中部(地方の)天竜」と誤解されることはなかった。
- 「ちゅうぶてんりゅう」は完全に誤読扱い。
- 開業から3ヶ月だけ「馬郡駅」だった。
- 所在地名と駅名が一致しており、かえって混乱が少ない。
- 三河三谷駅開設に乗じて、旧舞阪町が旧役場北西に舞阪新駅の設置運動をした可能性がある。
- 金山総合駅が建設されていないことが前提。
- 東海道線金山駅は存在しない。
- アスナル金山は建設されていない可能性が。
- 金山バスターミナルの規模は現実よりも小さく、一部栄や神宮東門発着の系統もあった。
- 沢上町バス停が「金山橋駅」、金山バス停が史実通り「金山」と名乗っている。
- 金山バスターミナルの規模は現実よりも小さく、一部栄や神宮東門発着の系統もあった。
- ダイエー金山店は2005年頃に閉店済。
- 中部国際空港開業時に名鉄金山駅と改称されていた。
- 中央線金山駅は今でも普通停車駅。
- バリアフリー化と同時に中日色を全面に押し出した駅舎に。
- 地域住民が「ドラゴンズ博物館を建設しよう」と呼びかけていた。
- なぜかナゴヤドームの最寄駅と勘違いして下車する人がいるかもしれない。
- 隣駅のせいで、鉄道ファンからは上小田井との別名が付けられる。
- 勝手に駅名改称でネタにされる。
- 城北線小田井駅は別の名前だった可能性も。
- 史実の小田井駅付近に鶴舞線の駅ができて、そこから平田橋というルートもあり。
- 鶴舞線は起終点ともに市外にあるということに。
- 名古屋市営地下鉄東山線・名城線の駅のこと。
- 栄一帯は、観光客からは「栄町」、地元民からは「栄」と呼ばれていたか。
- サンシャイン栄町、SKM48…いや、なんでもない。
- 名鉄瀬戸線栄町駅が栄駅を名乗っていたかもしれない。
- 別の駅名(北栄町)→2005年に名鉄栄町駅の可能性も。
- 伏見駅も伏見町駅のまま。
- 名城線の駅名が瑞穂運動場東駅でないのが前提。
- その場合の駅名は「山下通駅」。
- 交通局が混雑分散の宣伝に追われる。
- その場合の駅名は「山下通駅」。
- 航空祭のシーズンになると自衛隊基地の最寄りと勘違いする乗客が続出する。
- 中部国際空港開業時に逆に名電各務原駅の改称をしていたらこうなっていた。
- さすがに桜通線と間違える乗客はいないはず。
- 切符の表記が(犬)徳重になっていたかもしれないが。
- 桜通線の徳重駅の方が別の駅名になっていた可能性もある。
- 北名古屋市が改名運動に出る。
- 北名古屋駅…?
- 改名問題を巡って名古屋市と対立する。
- 北名古屋駅…?
- 愛知環状鉄道(旧岡多線)の駅名は「新挙母」か。
- 駅周辺の学校名などで一部「挙母」が使われ続けていた。
- 豊田市が昔「挙母市」だったことはもっと広く知られている。
- 名鉄豊田線は「名鉄挙母線」になっていたかも。
- 「名鉄挙母線」はかつて実在したので「名鉄挙母新線」あたりになっていた(実際かつては「豊田新線」だった)。
- 間違いなく駅名を正しく読めない人が多かった。
- それでも、トヨタがコロモ自動車に社名変更するようなことは、検討すらされなかっただろう。
- この駅を縄張りとするタクシー会社が、現状の名鉄東部交通ではなくコロモタクシーになっていた、という程度のことならあったかもしれない。
- 市名と駅名が揃わない理由として名鉄とトヨタの対立が噂される。
- かわりに三河豊田駅がトヨタの本社最寄り駅として注目されていたか。
- 「春日井駅」といえば100%名鉄小牧線の春日井駅ということになっていた。
- こちらを春日井市の中心部に近いと誤解する人も多かった。
- 中央東線の別田駅は「春日居町」ではなく「春日居」駅に改称していた。
- 現在でも明治村に向かうバスがここに発着している。
- 特急も一部がここまで乗り入れていた。
- パノラマカー時代は多そう。現在は廃止されていそうだけど。
- 名古屋側から見ると結局不便だから、結局犬山発着バスも存在することになりそう。
- 特急も一部がここまで乗り入れていた。
- 旧古知野町(こちのちょう)と旧布袋町(ほていちょう)の市内対立が収まらず、江南市はせっかく合併したのに分裂の危機に見舞われていた。
- ミュープラット江南はミュープラット古知野になっていた。
- コナンとタイアップしてコナン(江南)駅になることはなかった。
- 三河安城駅は新安城駅として開業していた。
- 三河安城駅が国鉄時代に開業していたら、名鉄の新安城駅を「今村駅」に戻させた上で「新安城駅」になっていたかもしれない。
- 区役所が移転していなければこうなりそう。
- ポジション的には現在の小幡駅みたいな感じ。急行が停車したり…。
- 駅前広場が出来ていた。
- 2005年辺りに、廿軒家駅に改名するかもしれない。
- 関西人からは「滋賀県にあるのか?」と突っ込まれそう。
- 稲荷口駅で間違えて降りる豊川稲荷への参拝者が続出。
- 特急が停車するようになってから悪化しそう。
- JR豊川駅と一体化していたかもしれない。一宮みたいな風に。
- 艦これの扶桑でネタにされることはなかった。
- 鶴舞線の方向幕には「下野」と書かれていた。
- 関西の鉄道ファンなどから「アホ駅」と揶揄されていた。
- 平成の大合併で名賀郡青山町が伊賀市に合併された後「青山町」の地名は地図上から姿を消した。
- そのため「伊賀青山」などへの改称が検討されたかもしれない。
- 榊原温泉への表玄関は久居駅か津駅になっていた。
- 温泉に向かうバス路線もなかった。
- 特急の停車もなかった。
- 伊勢鉄道の鈴鹿駅は別の駅名を名乗っていた。
- もし伊勢鉄道が最初から国鉄・JRと別会社だったらそうなっていた可能性が高い。
- 鈴鹿サーキットの最寄駅と間違える人もいるかも。
- 鈴鹿サーキット稲生駅がある時点でそれはない。
- 稲生駅の改称が現実より早まり、国鉄時代に改称されていた可能性も。
- 鈴鹿サーキット稲生駅がある時点でそれはない。
- 伊賀神戸駅と紛らわしくなっていた。
- いつか「かんべ駅」に改名すかもしれない。
- 木本町が熊野市になっていないことが前提。
- 熊野市になった上で改称しないという選択も十分にあり得る。
- 「熊野」といえば熊野三山のある和歌山県側のイメージが強くなっていた。
- 近鉄山田線の路線名の由来がわかる人が多くなっていた。
- 阪急や大阪モノレールが反応する。
- 2015年頃には「伊勢山田駅」に改名していた。
- 「四日市駅」といえばJR四日市駅を指していた。
- ここを四日市市の表玄関だと勘違いする人が多くなっていた。
- 「諏訪」という地名が四日市市の繁華街を表す地名として広く定着していた。
- 何れは駅名改称の話が出てくるだろう。
- 長野県にあると勘違いされる。
- 「(河内)長野」と関連付けられる。
- 現在でもJR線だったらありえたかもしれない。
- 鈴鹿駅を鈴鹿サーキットの最寄駅と勘違いする人が続出。
- 倉吉線(1985年廃止)の倉吉駅が打吹駅に改称されることもなかった。
- 倉吉線は倉吉市街地へのアクセス路線として機能し、廃止されることもなかったかもしれない。
- 場合によってはスーパーはくとが乗り入れていた。
- 倉吉線は倉吉市街地へのアクセス路線として機能し、廃止されることもなかったかもしれない。
- JR化後になって「倉吉市」駅に改称されていた。
- 相変わらず出雲大社の参拝客が最寄り駅と勘違いして下車していた。
- 対策としてシャトルバスを運行することになった。
- その結果出雲大社の最寄駅として実際に機能するようになり、電化の上で特急が乗り入れていたかもしれない。
- 今市町が出雲市に昇格していないことが前提。
- 当時は栃木に今市市があったため今市の名のまま市に昇格することは厳しい。
- 2006年3月20日以降なら今市市になれるかもしれないが、その場合広域名称として出雲市を選択するだろう。あるいは出雲今市市になる?
- 当時は栃木に今市市があったため今市の名のまま市に昇格することは厳しい。
- 史実通り出雲市に昇格していた場合は「いずもいまし」と誤読する人が後を絶たない。
- 誤読等のことを考えると出雲駅への改名論争は幾度かあったと思われる。
- 出雲地方への観光客が減ると「代表駅が「出雲いまいち」だから観光客が来ないんだ」などとジョークの種にされる。
- 1964年東京オリンピック前後に仙塩合併が実現し、仙台市域が拡大されれば、「増田駅」が東北本線に存続したから、島根の方は放置された可能性大。
- しかし、益田市長が、横浜線「町田駅」改名を勝ち取った町田市長から入れ知恵をもらって、「益田駅」改名運動をし、国鉄分民化と同タイミングで改名できたと思われる。
- JR化により向こうはJR東日本、こちらはJR西日本に分かれるので可能性は高まる。
- 現在でも日本一長い駅名のままであり、日本一が南阿蘇水の生まれる里白水高原駅に戻ることはなかった。
- どっちみち等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅に明け渡している。
- 東急東横線の都立大学駅や学芸大学駅のように、駅名の元になった施設がなくなっても駅名は残ってる例の1つになっていた。
- 他の地方から「日本一を死守するために駅名を変えなかったのか」と文句言われても、上記の東横線の例を出して反論する。
- ルイス・C・ティファニー庭園美術館が閉館していないのが前提だろう。
- 町あかりの「ここは東京駅」に、「ここはルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅 島根県」というフレーズがあったかもしれない。
- 玉島の知名度が今より格段に高かった。
- 倉敷市内でありながら玉島の住民としての意識が今よりも高かった。
- 新幹線開業後に一回は分市運動が起きている。
- 倉敷市当局は現在この駅の名前に「倉敷」を入れたがっている。
- 「倉敷玉島」などになっていた可能性がある。
- この駅を利用して倉敷を訪れる人はもっと少なかった。
- 改名されなかった原因はカープ球団が「市民球場前」を主張したため。
- 市民球場閉鎖後のバス停名も「相生橋」に。
- 副名称で「原爆ドーム前」が使われていた。
- 接近音は今も他の電停と特に変わらない。
- 三江線尾関山駅が「三次駅」を名乗っていた。
- 場合によっては広島から直通列車が乗り入れていた。
- 三江線廃止問題でも備後十日市〜三次間のみの存続主張が出ていた。しかし鍛冶屋線同様に考慮はされないと思われる。
- 急行「ちどり」の三次~出雲市間が三江線経由に変更されたかも(1980年頃に特急化されない限り存続は難しいか)。
- 場合によっては広島から直通列車が乗り入れていた。
- 三次市役所は現在も旧三次町にある。
- 三次町の古い町並みが開発のせいで破壊された恐れあり。
- 「こい」繫がりで鯉のぼりを一年中掲げていた。
- 広島カープともと関連付けられていた。
- それでも国鉄⇒JR新井口駅やアルパークは史実通り。
- 千田や江波のように「荒手」という地名があると勘違いされていた。
- 小郡町と山口市の合併が決裂していたらそのままだった可能性が高い。
- 「のぞみ」の停車は無かったことになっているかもしれない。
- この場合山口のイメージは史実よりも下落していた。
- その代わりにのぞみの停車する徳山が山口の代表駅になっていた。
- 山口県内にのぞみが停車しないままの可能性のほうが高そう。
- 最後まで強固に反対した小郡町側にも何らかの批判が寄せられていた。
- 一方で圧力に屈さず、古くからの駅名を守り抜いたことへの賞賛の声もあった。
- その代わりにのぞみの停車する徳山が山口の代表駅になっていた。
- この場合山口のイメージは史実よりも下落していた。
- 西鉄が反応する。
- 一方甘木鉄道の駅名が「筑後小郡」のままだったかはわからない。
- 今も西鉄の「小郡」行きを見て山口県に行く列車だと勘違いする人がいただろう。
- 西岩国駅が現在も「岩国駅」を名乗っている。
- 岩徳線は麻里布~岩国間だけ電化されていたかもしれない。
- 「麻里布」という地名は広島都市圏で広く知られている。
- 岩徳線が山陽本線の一部のままだったらこうなっていただろう。
- 国鉄が海軍の圧力に屈しなかった美談、とされる。
- このため、自治体の方も終戦直後の軍国主義全否定の流れに乗って、光市から旧名の「周南市」に再改名した。
- 徳山市は「平成の大合併」で「周南市」を名乗れないため、「周防市」を名乗ったか合併そのものが破談になった。
- このため、自治体の方も終戦直後の軍国主義全否定の流れに乗って、光市から旧名の「周南市」に再改名した。
- 駅のアナウンスが「馬鹿ーん、馬鹿ーん」と聞こえる。
- 落語家の林家木久扇が駅構内か駅前で持ち歌の「いやんばか~ん」を歌っていたかもしれない。
- 「関門トンネル」「関釜連絡船」などの名称は変わらない。
- ネット上で「マンセー駅」と弄られていた。
- この駅で大勢でバンザイをする動画投稿もUPされている。
- 他地域からの観光客などがこの駅で降りてJRに乗り換えようとしてしまう事例が少なからずあった。
- 駅ビル内に琴電本社が入っていた。
- 最近「高松瓦町」あたりへの改称が検討されている。
- 「高松市駅」もありかも。
- 何かにつけ松山市駅と対比されることが多い。
- もしかすると駅名標などでは「ことでん高松駅」という表記だったかも。
- 「市駅」などという言い回しが松山市で使われることはまずない。
- 『伊予鉄松山駅』か『新松山駅』という線は…?
- 国鉄の駅が史実通りの位置の場合「松山駅」という名称の召し上げを阻止した伊予鉄関係者の逸話が語り継がれている。
- もしくは国鉄の駅も伊予鉄の駅に無理やり併設。
- 国鉄・JRの駅は「西松山」もしくは「新松山」という駅名になっていたかもしれない。
- というのも他都市(特に新幹線駅所在都市)における「新○○駅」と同じような位置関係だから。
- あるいはこちらが「松山市」を名乗っていたか旧国名を冠して「伊予松山」という駅名だった。
- いわゆる「門司港レトロ」は「門司レトロ」と呼ばれていた。
- 多くの鉄道ファンが「大里」という字を見ると反射的に「だいり」と読んでいた。
- それでも関門トンネルの名称は史実通り。
- 戦後「西門司」への駅名改称が検討されていた。
- 名鉄の大里駅は「大佐土駅」のままだったかも。
- 西鉄の駅は現在も「西鉄雑餉隈」。
- 南福岡電車区も一部ファンに「雑餉隈電車区」と呼ばれていた。
- 「駅名が読みづらい」として改名を求める動きは一応今もある。
- 一方「難読だからといって改名とは何事だ」と改名に反対する動きが強ければこうなっていただろう。
- 新宮中央駅は「上府」駅として開業した。
- 人名のような駅名だと言われていた。
- 全国の「芳雄」さんの聖地になっていたか?
- 同じ筑豊本線にある「原田」駅と合わせて「原田芳雄」になるというネタが成立していた。
- ひょっとしたら本人が両駅共に訪れていたかも(本人は鉄道ファンだったらしいので)。
- 「あかじ」を上手に宣伝したら黒字になれたかも。
- 旧田平町は合併までこちらを「田平駅」にすることを強硬に主張していた。
- 強硬姿勢のせいで改称が実現しなかったとみなされることが多い。
- 田平町が平戸市と合併した後に堂々と「平戸」駅を名乗っていたかもしれない。
- 本州最西端の駅がひらがな駅名にならずに済んだ。
- 本「土」ですよ・・・
- 北海道の池田駅は「十勝池田」駅になっていた。
- 熊本電鉄の駅は「本池田」駅か。
- 福知山線の池田駅(現・川西池田駅)は現実よりも早く駅名が改称されていたかも。この場合駅名は「川西池田」にならなかったかもしれない。
- それでも阪急池田駅には影響はない(会社が違う上に遠く離れているため)。
- 住居表示の際に「上熊本」という地名はできなかった。
- その代わりに駅周辺に「池田」が入った地名ができ混乱を招く。
- 同じ鹿児島本線の瀬高駅と紛らわしかった。
- 「玉名」という駅名は九州新幹線の駅(現実の新玉名駅)が名乗った。
- 万田坑の存在が現実以上によく知られていた。
- 女優の萬田久子が1日駅長を努めていた。
- 「荒尾駅」と言えば岐阜県にある東海道本線美濃赤坂支線の中間駅のことを指していた。
- 切符に「(東)荒尾」と表示されることはなかった。
- 「日向国の北寄りにあるのに南日向?」と疑問や嫌味を言われることもなかった。
- こちらもかなりの珍駅名として知られていた。
- 「じろうがぺっぷ」と普通に誤読する人が多かった(正しくは「じろがびふ」)。
- 別府温泉に次ぐ位の温泉地がある、と勘違いして来るおっちょこちょいもいたかも。
- 近畿地方の人たちに大阪or奈良の駅と勘違いされていた。
- 宮崎工業高校ではなく宮崎南高校が宮崎大淀高校を踏襲し、校名が消えずにそのまま続いていた。
- 岩脇駅(現・南日向駅)の改称もなかった。
- 遅くても新幹線開業の時点で一度改称案が出るのは確実。
- 鹿児島駅が中心駅でないことを疑問に思う人が今でも多い。
- 新幹線が鹿児島駅発着だったら確実にこうなっていた。
- 地元では「「跡」なんてみっともない」と改名を求める声が多かったはず。
- 一方駅名ファンは改名反対。
- JR線有数の珍駅名として有名になっていた。
- ご当地グルメとして、石のように硬い饅頭が作られ、駅前商店などで売られるようになる。
- ここでは武→西鹿児島の駅名改称がなかったものとします。
- おそらく新幹線開通時に現実通り鹿児島中央駅に改称されていた。
- 競馬ファンの聖地となっていたかも。
- そういう意味で愛知県にある武豊駅と比較されていた。