もしオーストリア=ハンガリー二重帝国が解体されなかったら
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第1次世界大戦の敗北と民族自決によってまたたくまに解体してしまったオーストリア=ハンガリー二重帝国
しかし当初の計画では民族自決を認めるのは独・露も含めてポーランドのみで、その他の地域はオーストリア領内の自治区にとどまるべきであると言う主張があった。
仮に二重帝国が解体されなかったらその後のオーストリアはどうなったのか!?
- 第一次大戦敗北後、共和制化して諸民族の連合国家になる。
- 但しボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアに「返還」。クロアチア、ボイボジナも含まれるかもしれない。
- スロベニア、モンテネグロも史実でユーゴスラビアの領土になっているので、恐らく割譲される。
- トランシルヴァニアもルーマニアに、シレジアもポーランドに併合させられる。
- そして、領土はオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアのみとなる。
- 但しボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアに「返還」。クロアチア、ボイボジナも含まれるかもしれない。
- 第二次大戦ではやはり枢軸国に。
- 第二次大戦後、東西分断される。
- 但しスロベニアとチェコは「西側」入りし、ブルゲンラント州は「東側」になる。
- むしろ東西で民族が違うから(史実では第1次大戦終結までオーストリアはハンガリーと連合を組んでいた)ソビエト連邦がハンガリーの独立派を集め、住民投票を強行してハンガリーを独立させる可能性が高いのでは?
- この場合、残された残存オーストリアはハンガリー独立後もオーストリア=ハンガリーを名乗り続ける。
- こんな風になっていたかもしれない。
- 現在の領土はオーストリア(除ブルゲンラント)+チェコ+スロベニア+トリエステ(ひょっとしたらこちらはイタリア領?)になる。
- 或いはオーストリアはイストリア半島の西部の一部とリエカ市、ダルマチア諸島の内ツレス島とロシーニ島を支配とか(残りのダルマチア諸島はユーゴ領、イストリアの大部分はイタリア領)
- 「東オーストリア」は民主化後「ハンガリー」に国名変更し、現実のハンガリー+ブルゲンラント+スロバキアを領有する。
- ナチスのアンシュルスが成功した可能性は低い。あるいはチェコとオーストリアを編入、スロバキアやハンガリーは傀儡国になっていたか?
- 東西冷戦終結の後にオーストリアとハンガリーの両国和解後は以下の様に改称していた。
- オーストリア・ハンガリー帝国→オーストリア・チェコ帝国連邦
- ハンガリー人民共和国→ハンガリー・スロバキア連邦共和国
- ウィーンは現実よりも大きな都市になっていた。
- 少なくとも人口は東西に分裂していた場合でも200万人は突破していた。
- 東京からの直行便が廃止されることは無かった。
- 上記のようにハンガリーがソビエト傀儡政権として分離していた場合、ウィーンが国境に近すぎるためリンツ(国土のほぼ中心に近い場所になるため)への遷都案が度々上がる。
- ハプスブルク家は過去の栄光なんてことはない。
- でもハプスブルグ家は旧領を大幅に減らされたがしぶとく存続した。
- 史実と同じように共和制に移行して、「オーストリア連邦共和国」が成立していたかもしれない。
- あるいは君主制は存続するが、イギリスのような完全な立憲君主制国家となり、議会が力を持ち、皇帝の権力が制限され、「オーストリア国」となっていた。
- 国歌は未だに「神よ、皇帝フランツを守り給え」だった。
- 第1次世界大戦にユーゴスラビアが設立されてないとなるとユーゴは誕生しなかったかもよ。
- 仮にクロアチア沿岸部の一部とボスニア・ヘルツェゴビナ南部を併合してたとしても国名は「セルビア」のままだった可能性が高い
- チトーが居ないのでセルビアは完全にソビエトの傀儡国家となっていた
- ドナウ連合帝国初代宰相チトーとかになったりして。
- オーストリアが東部戦線で頑張っていたらドイツは分断されなかったかも?
- オーストリアも東部の領土を失うだけで済んだかも知れない。
- ただしハンガリーの一部がオーストリア領になっていたかも知れない
- 後にオーストリアの処遇を巡って連合国とソビエトが対立、ソビエトが占領していたハンガリー地区で住民投票を強行して「ハンガリー人民共和国」が成立
- しかしオーストリアはハンガリーの独立を認めず正式国名は「オーストリア・ハンガリー帝国」のまま
- オーストリアで発売された国内の地図にハンガリー全土が自国領として載っている。
- 冷戦終結後の90年代に両国が和解
- ハンガリーとオーストリアの国境が封鎖されたままだったら汎ヨーロッパピクニックの展開が違うものになっていた
- ドイツ統一が90年代中盤までずれ込んでいたかも?
- ハンガリー人民共和国の範囲は1918年の王冠諸邦(トランスライタニエン)に準ずるとされ、北ダルマチア州を領有するハンガリーはアドリア海に接することとなり、ハンガリーは内陸国ではなくなっていた
- ハンガリー海軍が復活し、巡洋艦を基幹とするハンガリー艦隊がNATOイタリア艦隊を地中海で脅かす
- この場合スロヴァキアはハンガリー領だからボヘミア(チェコ)は西側かな??
- するとスロベニアはオーストリア領として西側
- ユーゴはクロアチアとスロベニアを喪失した形になるわけか
- ソ連の衛星国が一つ減る(チェコスロバキア)
- するとスロベニアはオーストリア領として西側
- しかしオーストリアはハンガリーの独立を認めず正式国名は「オーストリア・ハンガリー帝国」のまま
- オーストリアが解体されないのでドイツ語が国際語の地位が史実より下落しなかった
- よってドイツ語は遅くとも史実のアラビア語と同時期に国連の公用語に採用されていた
- 日本語を国連公用語に採用するよう求める声が強くなっていた。(日本の常任理事国入りを求める声と共に)
- 一部のオーストリア領内の主要都市(ブダペストとかプラハとか)ではドイツ語の方がなし崩し的に主流になっていた
- よってドイツ語は遅くとも史実のアラビア語と同時期に国連の公用語に採用されていた
- ドナウ川流域の開発が進まず、クロアチア沿岸部の開発が史実より進んでいた
- 上記にも書いている通りドイツ語の国際的な地位が高いのでクロアチア沿岸部の主要言語はドイツ語が主流になるかクロアチア語とのバイリンガルが主流
- 現在のクロアチアに当たる地域は史実より発展している
- オーストリア・ハンガリー帝国は第一次世界大戦の敗戦後に領土がオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアのみとなり、第二次世界大戦で枢軸国につき、敗戦後に東西(西側諸国のオーストリアとチェコの「オーストリア・ハンガリー帝国」、東側諸国のハンガリーとスロバキアの「ハンガリー・スロバキア連邦人民共和国」)に分断された。
- オーストリア・ハンガリー帝国は日本のように、戦後に議会が力を持ち、皇帝の権力が制限されるイギリス型立憲君主制に移行し、皇帝は国民の象徴となった。
- しかし冷戦末期にハンガリーが民主化し「ハンガリー・スロバキア連邦共和国」となり、冷戦終結後の1992年に両国は和解し、さらに「チェコ共和国」がオーストリア・ハンガリー帝国、「スロバキア共和国」がハンガリー・スロバキア連邦共和国から独立したことにより、それぞれ「オーストリア国」、「ハンガリー共和国」に国名を変更した。
- ドナウ連合帝国として連邦制になっていたかも。
- ここに1867年から3代125年続いたオーストリア・ハンガリー帝国は完全に解体された。
- ちなみに「3代」というのは、フランツ・ヨーゼフ1世(在位:1867年-1916年)、カール1世(在位:1916年-1922年)、オットー1世(オットー・フォン・ハプスブルク、在位:1922年-1992年)のことである。ただし、在位期間はあくまでもオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝としての在位期間であり、オーストリア・ハンガリー帝国の成立前と解体後の在位期間は含んでいない。
- そして、冷戦期に加盟していたNATOを脱退し、永世中立国になる。
- 現在では、未だにハプスブルク家による君主制が続いている以外は、現実のオーストリア共和国とあまり変わらない。
- ただし、国歌は未だに「神よ、皇帝フランツを守り給え」である。
- 上記のように現在でもオーストリアでハプスブルク家による君主制が続いている場合は、史実の最後の皇帝カール1世が1922年没なので、その皇太子オットー・フォン・ハプスブルクがオットー1世として即位し、史実に長男に家督を譲った2006年まで在位していた場合は、戦間期に若くして亡くなった父の後を継いで幼くして即位してから、その後第二次世界大戦、冷戦と激動の時代を生き抜き、世界恐慌、第二次世界大戦、敗戦によるオーストリアとハンガリーの分断、イギリス型立憲君主制への移行、冷戦、冷戦後のハンガリーとの和解と完全な解体、永世中立国化と変化していく自国を見届け、21世紀初頭に退位するまで84年間在位していたことになり、君主として公式記録に残る中で世界最長の在位期間となっていた。
- アメリカ占領区:オーストリア東部、モラビア
- イギリス占領区:ボヘミア、オーストリア中部
- フランス占領区:オーストリア西部、スロベニア
- ソビエト占領区:ハンガリー、トランシルバニア、スロバキア
- クロアチアは旧ドイツ領東部みたいにユーゴが管理(連合国内ならフランスが管轄する)
- 戦後オーストリアの領土は現在のオーストリア、チェコ、スロベニア(場合によってはクロアチアも)のみとなる。
- ソビエトが領土拡大に欲張った場合、トランシルバニアを自国領に編入しモルドバ=トランシルバニア共和国とする。
- UEFA欧州選手権2008はオーストリア単独で開催していた
- インスブルックとクラーゲンフルトは選考から漏れ代わりに、プラハ・クラクフ・ブラチスラバ・ブダペスト・ザグレブ・サラエボ・ブラチスラバ・クルージュナポカ・リュブリャナ・ブルノ辺りが選ばれていた
- 80年代後半または90年代初頭にオシムが監督に就任して黄金時代が築かれた
- 一方で実史では師弟関係となったストイコビッチとは面識が無いままだった
- ワールドカップアメリカ大会またはフランス大会ではオーストリアが優勝していた