もし九州新幹線が○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
鹿児島ルート[編集 | ソースを編集]
一次開業区間が違っていたら[編集 | ソースを編集]
九州新幹線は2004年に新八代~鹿児島中央が部分開業しましたが、もしこのとき開業したのが別の区間だったら?
博多~熊本[編集 | ソースを編集]
- のぞみは1時間に1本熊本まで乗り入れ。
- ひかりレールスターも1時間に1本熊本まで乗り入れ。博多~熊本間は各駅停車。こだまは基本的に博多打ち切り。
- 早朝・深夜に限り博多(小倉)~熊本の区間列車を設定。各駅停車で「こだま」(かつての東北新幹線仙台~盛岡間の「あおば」のような状態)。
- JR九州の新幹線はひかりレールスター専用だけになっていた。
- 形式名は800系もしくはひかりレールスターと同じく700系になっていた。
- 現実の800系は登場しなかった。
- 熊本駅のホームはのぞみに合わせて16両対応。その他の駅は8両対応。
- ひのくに号が大打撃。九州新幹線開業時点で運賃値上げや減便は必至だった。
- いや、バスの方が安く移動できるので新宿~甲府や広島~福山のように鉄道と共存できていた。
- 博多~熊本にある中間駅は久留米・新大牟田のみになっていた。
- 博多~熊本間の有明は廃止されていた。特急つばめは熊本~西鹿児島間の運転になっていた。
- つばめの熊本駅発車時間はのぞみの熊本到着時間に合わせて設定されていた。
- 特急が廃止され線路容量に余裕ができるので、博多~熊本間に新快速が設定される。
- 「かもめ」と「みどり」は2004年の時点で併結運転を取りやめていた。
- 八代~川内間の第3セクター化は無かった。
- この区間でも817系が走っている。
- この区間は鹿児島車両所(青いCT)の817系で運用。
- 青いCTの817系はたまに熊本に乗り入れている。
- 熊本所属の815系と817系は出水まで乗り入れ。
- どっちにせよ全線開業で移管された。
- この区間でも817系が走っている。
- ドリームつばめも残っていた。
- 寝台特急なはも残っていた。
- 寝台特急はやぶさとさくらが廃止された。
- 九州新幹線の運転系統が、はやぶさが(新大阪~熊本間)でひかりタイプ。新大阪~博多間のひかりの殆どがはやぶさになっていた。さくら(博多~熊本間)はこだまタイプの各駅停車となっていた。
- 現行の東北新幹線の最速タイプであるはやぶさが、はやてのままであった。よって、東北新幹線新青森開業時での新規愛称名の募集は無かった。
- 現行の九州新幹線各駅停車タイプであるつばめの愛称は、九州新幹線の熊本~鹿児島中央間の開業時に、新大阪~鹿児島中央間の最速タイプとして採用されていた。
- 九州新幹線の運転系統が、はやぶさが(新大阪~熊本間)でひかりタイプ。新大阪~博多間のひかりの殆どがはやぶさになっていた。さくら(博多~熊本間)はこだまタイプの各駅停車となっていた。
- 寝台特急はやぶさとさくらが廃止された。
- 余剰になった787系は783系の置き換えで長崎・佐世保系統(かもめ・みどり)に転用されていた。783系は485系置き換えでにちりん・きりしま系統に転用されていた。
- かもめは「白いかもめ」と「黒いかもめ」になっていた。
- 「みどり」用のの787系は愛称に合わせてダークグリーンに塗装変更される。
- 熊本以南で「つばめ」が残るので787系はビュッフェ車の全室普通車化以外目立った変化がなく、むしろ「有明」用の783系が多数転属していた。
- 工事が打ち切られ鹿児島中央まで開通することはなかった。
- かわりに鹿児島中央へは四国・幸崎・宮崎経由で四国新幹線と東九州新幹線が出来ていた。
- 東名阪から鹿児島へは四国周りのほうがルート上有利なため。
- 建設費や建設にかかる期間などを考慮するとまずありえない。
- 熊本で工事が打ち切られるのを見越して、現在の新大牟田経由ではなく大牟田駅経由にルートが変更されていた。
- 大牟田以南は荒尾・玉名の海岸線近くを通り、金峰山の下を潜って熊本市の中心部へ。
- 新玉名駅ではなく在来線の玉名駅に新幹線が併設されていた。
- かえってその方が利便性は高くなっていたかも。
- 大牟田以南は荒尾・玉名の海岸線近くを通り、金峰山の下を潜って熊本市の中心部へ。
- かわりに鹿児島中央へは四国・幸崎・宮崎経由で四国新幹線と東九州新幹線が出来ていた。
- 鹿児島は間違いなく衰退していた。
- 2011年に全線開業しても、直前に発生した東日本大震災の影響で鹿児島に新幹線が到達したことが忘れられてしまう。
- 西鹿児島から鹿児島中央への駅名改称もさほど認知されず、「え、いつ名前変わったの?」とさえ言われていた。
- 2011年に全線開業しても、直前に発生した東日本大震災の影響で鹿児島に新幹線が到達したことが忘れられてしまう。
熊本~鹿児島中央[編集 | ソースを編集]
- 新八代通過の新幹線が誕生していた。
- 最速達新幹線は熊本~鹿児島中央間でノンストップ。
- 新八代駅にアプローチ線が設けられることはなかった。その代わり熊本駅にアプローチ線が設けられていた。
- 新八代はただの相対式2面2線のホームになっていた。
- 熊本駅で現実と同じく「つばめ」と「リレーつばめ」の対面乗換えが実現していた。当然、豊肥本線側からもアプローチ線が設けられ、「九州横断特急」とも乗り継ぎが可能になっていた。
- これを機に豊肥本線全線・肥薩線八代-吉松間・吉都線全線の高速化(同時に立野駅の豊肥本線スイッチバック解消)を行い,新型ディーゼル特急気動車を導入したかも。そうなると,特急「おおよど」が熊本-宮崎間で復活か(急行「くまがわ」の格上げ・運行区間延長の形)。
- 「有明」は「リレーつばめ」に統合されていた。
- 豊肥本線内を始発・終着とする「有明」も,「リレーつばめ」に。
- 新幹線開業と同時に高架化が部分的ながら完成していた。
- きりしま号のリバイバルはなかった。
- 一次開業時に一旦廃止されていた。
- 川内新幹線車両センターは建設されず,熊本総合車両所が開業前から存在。800系初期車の搬入は熊本で行う。
- 熊本市電9700形に続く市電の新型車両で,0400形(岡山電気軌道9200形を参考に製造)が登場したかも。熊本市電80周年事業も兼ねて。新幹線開業以降も,引き続き導入。
博多~新八代[編集 | ソースを編集]
- 「博多~熊本」の場合とほとんど同じ。
- 熊本~新八代間のみ利用する客もそれなりにいた。
- 某阿久根市長が建設打ち切りを訴えていた可能性大。
全線開業[編集 | ソースを編集]
一度に博多から鹿児島中央まで開業していたら?
- ひのくに号・桜島号は大幅減便に追い込まれた。
- きりしま号のリバイバルもなし。
- 長崎ルートの計画も変わっていた。
- 福岡・熊本・鹿児島を結んでいる特急や快速はおそらく廃止されていた。
- 開業当初から新大阪~鹿児島中央間の直通列車が運行されていた。
- 場合によっては東京~鹿児島中央も運行されているかも。
- 東海民主主義人民共和国が絡むのでどうなるか分からない。
- 場合によっては東京~鹿児島中央も運行されているかも。
- 博多から宮崎市へも鹿児島中央経由が最短ルートになっていた。
- ゆくゆくは新八代~宮崎間の「宮崎ルート」が具体化する。
- 2010年までに実現していた場合、東国原英夫氏が祝福に訪れるかも。
- ゆくゆくは新八代~宮崎間の「宮崎ルート」が具体化する。
- 福岡-鹿児島の航空便も廃止に追い込まれていた。
- 山陽新幹線の小倉~博多間も編入(=JR九州への割譲)されていた可能性も。
- この場合新幹線特急料金はどうなっていたのだろう?(もし小倉で分割すると新下関以東~博多間の特急料金が値上げとなる)
- バーターとして東海道新幹線の京都~新大阪間も編入(=JR西日本への割譲)されていた。但し、実際の運行は新大阪と博多が運行上の境界駅となっていた。
- 開業が2011年にずれ込んだ場合、八代~川内間が肥薩おれんじ鉄道へ移管するのが史実よりも遅れていた。
- その場合、新大阪~西鹿児島間を結ぶ寝台特急「なは」が熊本止まりに変更されることはなく、廃止が史実よりも遅れていた。ただし、「あかつき」との併結運転は史実通り。
- 独自の列車愛称は制定されず、「のぞみ」や「ひかり」や「こだま」が鹿児島中央まで乗り入れていた。
並行在来線が全線JRから経営分離されていたら[編集 | ソースを編集]
2004年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業に伴い八代~川内間がJRから経営分離された鹿児島本線ですが、もし九州新幹線との並行部分がすべてJRから経営分離されていたら・・・
- 全般
- 鹿児島本線は門司港~博多間と鹿児島中央~鹿児島間に分断されていた。
- 鹿児島中央~鹿児島間は日豊本線に編入されていた可能性もある。
- 門司港~大牟田間と鹿児島中央~鹿児島間に分断されていた可能性もある。
- 精神障碍者割引が実現していた。
- 博多~八代間
- 博多~熊本間は新規の第3セクター鉄道を設立して運営するか西鉄が経営を引き受けていた。
- 博多~熊本間がJRとは別会社となるため、新幹線に対抗して運賃だけで乗れる快速電車を運行していた。
- 新幹線より時間はかかるものの、運賃・料金が安いのでこちらを利用する客もある程度いる。
- 福岡~熊本間高速バス「ひのくに」が打撃を受けていた。
- 大牟田や荒尾・玉名の各市から博多へは新幹線より在来線の方が利便性は高くなっている。
- その結果、九州新幹線の熊本以北は現実より利用が低迷していた。
- 停車駅が少なく最高速度130km/hの特別快速も運転され、博多-熊本を90分で結んでいた。
- 811系は新設の第三セクター鉄道に譲渡されて快速・特別快速として使用されていた。
- 後にリニューアルは実施されるものの転換クロスシートのままでリニューアルされていた。
- 熊本~八代間は八代以南と同じく肥薩おれんじ鉄道が運営。
- 三角線も同時に転換されていた。
- 「A列車で行こう」の種車はキハ47だった。
- 三角線も同時に転換されていた。
- 長崎本線・佐世保線直通の特急は鳥栖駅から別会社に乗入れて博多駅に向かう形をとっていた。
- 久大本線直通の特急は久留米駅から(ry
- 新鳥栖や久留米で新幹線と乗り継ぎする乗客が増えている。
- 新八代〜八代間で別料金を徴収されるので肥薩線利用者から大ブーイング。
- 上のことを考えると少なくとも熊本までは経営分離したらJR九州にとっても乗客にとっても大きな痛手になっていた。
- 久大本線・豊肥本線が小倉総合車両センターへの入出場ルートとして重宝される。
- さすがに博多~大牟田間はJRのままで、大牟田~八代間は第3セクターに移管されていた。
- 川内~鹿児島中央間
- 肥薩おれんじ鉄道は電車を使用していた。
- 川内以北から鹿児島中央に直通する列車も現実よりは多かった。
長崎ルート[編集 | ソースを編集]
現在建設中。とりあえず武雄温泉~長崎間がフル規格で2022年開業予定。
一次開業が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 新鳥栖~佐賀
- 佐賀が発展するか、ストロー現象で吸われる。
- とりあえず、(新幹線はあるのに県庁所在地に駅がない)は回避できる。
- 区間が短いので時間短縮はあまり期待できない。
- 「フリーゲージトレイン用の連絡線をわざわざ作るのが面倒だから最初から佐賀まで作った」と言われる。
- 建設打ち切りはまずない。
- 佐賀~諫早
- 現状と今ひとつ変わらない。
- 武雄温泉~諫早
- 当初の計画では一時開業区間はこの区間になる予定だった。
- 「なぜ長崎まで開業させない」と疑問が出てくる。
- 長崎本線を更に高速化すれば十分だからと言う理由が少なからずあると思う。
- 開業区間が中途半端すぎるのでレールの幅を1067㎜にするかもしれない。(開業区間拡大で1435mmに切り替え)
規格が異なっていたら[編集 | ソースを編集]
- ミニ新幹線
- FGTは四国の政財界が要望している程度の物になっていた。
- そもそもJR西日本はFGTに否定的なので、四国でも瀬戸大橋線のミニ新幹線化が検討されるようになっただろう。
- 山形・秋田新幹線用で使われた改軌用の機械は既に国内に無いので、JR九州が新たに機械を購入して改軌する事になる。
- 佐世保行きの特急を残すために、武雄温泉までの全区間が3線軌化されていた。
- 佐世保(場合によっては肥前鹿島・ハウステンボスも)までミニ新幹線延伸が検討されるかも。
- 流石に鹿児島ルートの車両と連結する事はない…はず。
- それでも山陽新幹線への乗り入れは早々から決定していた。
- 武雄温泉-諫早間だけはフル規格かもしれない。
- 長崎駅の再開発の兼ね合いで、諫早-長崎間もフル規格になっていた。
- 817系の標準軌バージョンが開発される。
- 喜々津-浦上間の新線は新幹線専用のルートとなり、市布、肥前古賀、現川の各駅は廃止されたかも。
- 新幹線規格新線
- 当初の計画では全線狭軌になる予定だったが、着工後にフル規格に変更された。
- 博多-新鳥栖間も在来線に乗り入れていた可能性大。
- 鹿児島ルートとの混同を避けるために、「新幹線」の名称は法律上の要項以外では使われなくなる。
- おそらく「長崎新線」などと呼ばれていた。
- 当然ながら佐世保行き特急と長崎行き特急は連結して運行されていた。
- 鹿児島ルートとの混同を避けるために、「新幹線」の名称は法律上の要項以外では使われなくなる。
- おそらく武雄温泉-諫早しか建設されなかった。
- 長崎駅の再整備を考えたら、武雄温泉-長崎で建設されていた。
- 全線狭軌でも専用の新車が導入される可能性が高いので、885系が使用されるかどうかは微妙な所。
- 新線区間では狭軌でも180km/hで運転するだろうし、車両の性能上も専用の新車が必要になるのは避けられないから。
- 専用の新車は「みどり」、「ソニック」にも導入。
- 最高速度が160km/hの場合「はくたか」用の681系・683系を譲受する案が出てくる。
- 正直これでもいいような…
- 全線フル規格
- 武雄温泉~新鳥栖間もフル規格で建設されていたら
- 佐賀県が並行在来線絡みで揉めなかったらあり得たかもしれない。
- 佐世保市側が文句言いそう。
- 上記同様ミニ新幹線延伸が検討されるかも。
- そもそも早岐(新佐世保)経由になっていた。
- 博多~新鳥栖が16両対応で建設され、8両×2編成による運転になる。
鹿児島ルートよりも先に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- それでも長崎ルートが「九州新幹線」とは呼ばれる事はなかっただろう。
- 「長崎新幹線」だろう。もし佐賀県が反対するようなら「西九州新幹線」で。
- 新鳥栖駅の構造が物凄く不自然になっていた。
- というより博多から真っ直ぐ佐賀へ向かいここで分岐していた。
- 鹿児島ルートの開業の遅れを口実に、阿久根市が「うちを通るようにルート変更しろ」と圧力をかけていた。
- キハ66・67の引退が早まった。