もし日本航空123便墜落事故が○○だったら
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- 当時は羽田空港と米軍横田基地が着陸受け入れ態勢を取っていた。
- 史実同様コントロールがほぼ効かなくなっていた場合、どうにかして近場である横田基地に緊急着陸していた。
- もしくはどこかの田畑などに不時着という形か。その場合だと衝撃による負傷→搬送の遅れで亡くなる人もいただろう。
- 油圧が全滅していたことから、車輪は出せず、胴体着陸を余儀なくされていた。場合によっては止まりきれずにオーバーランし、520名どころの犠牲者数ではなくなる。
- 「奇跡の生還」として史実とは異なる形で大きく取り上げられていた。
- 現在に至るまでインタビューなどで語られるのは機長らの操縦エピソードが中心になっている。
- 有名人の「九死に一生」体験を扱う番組で坂本九自身がこの事故のエピソードを語ることもあった。
- 九さんは幼少期の1943年に、死者100名を超えた常磐線土浦駅での衝突事故の当該列車に、疎開目的で家族とともに乗車していたが、そのときは車両を移動したため難を逃れた。したがって、その当時のことも併せて述べたかもしれない。
- 着陸後即事故原因などの検証が行われていた。
- JA8119自体は検証後解体→事故資料として垂直尾翼のみ保存と言う流れになっていた。
- 同様に123便も史実同様欠番になっていた可能性が高い。
- 奇跡の生還として名高いエアカナダ143便が欠番になっていないことを考えるとおそらく欠番にはならないだろう。
- 同様に123便も史実同様欠番になっていた可能性が高い。
- この事故を切っ掛けに世界の墜落事故も減っていたかもしれない。
- 墜落しなかったためアメリカン航空DC-10の貨物ドア脱落事故(1972)のように対応がおざなりになっていた可能性も否定できない。
- JA8119自体は検証後解体→事故資料として垂直尾翼のみ保存と言う流れになっていた。
- 生還こそしたものの事故は起こった事になるので、航空機に関する安全対策は史実同様徹底されることになる。
- トリハダで一回ぐらいは紹介していただろう。
- それ以前にアンビリバボーが取り上げている。
- 「TOKYO コントロール」や「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」あたりで本件をモデルにした回があった。
- ユナイテッド航空232便も緊急着陸に成功していたらメーデー民の間で油圧喪失=生存フラグと言われている
- 米軍横田基地
- 八王子市付近で東に向かわなければあり得た。
- 墜落調査に米軍も加わっていた。
- 事故の責任がアメリカの企業にあることが隠ぺいされていたかもしれない。特に米軍とボーイング社の繋がりの強さを考えても現実味がある。
- ここから陰謀論が出たかも。
- 事故の責任がアメリカの企業にあることが隠ぺいされていたかもしれない。特に米軍とボーイング社の繋がりの強さを考えても現実味がある。
- 横田基地にはJAL123便の緊急着陸した写真があったかもしれない。
- 基地反対派の活動がまた活発化するきっかけになっていた。
- 負傷しなかった乗客はJALが手配したバスで羽田空港に戻っていた。
- 羽田空港
- 高層ビルがたくさんある渋谷と新宿はなるべく避けるルートになっていたかもしれない。
- たとえ、他の飛行機と衝突してしまったら意味が無い。
- 少なくとも事故当日いっぱいは国内線のダイヤが壊滅状態に。
- 名古屋空港
- 指令の提案を了承していれば、考えられた。
- 名古屋に着陸することになった時点で、当日の名古屋空港を発着する便は全便欠航になっていた。
- 無事に着陸できるまで、小牧市周辺では避難勧告が出されていた。
- 当時名古屋空港近くのバッティングセンターに通っていたイチローや稲葉篤紀も事故を間近に目撃していたと思われる。
- ここの移転扱いで中部空港の開港がはやまったかも。
- 負傷しなかった乗客はJALが手配したバスで大阪に向かっていた。
墜落場所は御巣鷹山と言われていますが、実際には高天原山の尾根(後に「御巣鷹の尾根」と呼称)だそうです。
- 場所によっては誤認になる事は無かったかもしれない。
- ただ、墜落場所によってはボイスレコーダーが見つからなかったり見つかるのが早まる可能性がある。
- 見つかったとしても史実よりも遅れて発見か。
- 史実より陰謀論が広まらなかった可能性もある。
- 市街地
- 風向が史実と異なっていた場合、山ではなく市街地に墜落していた可能性も否定できない。
- 御巣鷹に向かった時点での風向が史実と逆ならば、おそらく静岡県内のどこかに墜落していた可能性が高い。
- 史実同様のルートなら「横田への着陸に失敗し周辺の住宅地に突っ込む」という事態も考えられる。
- 墜落だけでなく家屋損壊などによる二次被害が発生していた。
- 犠牲者も確実に増えていた。
- 現在では犠牲者の数は「乗客+市街地側の合算」扱いになっている。
- 間違いなく史実では起こらなかったとされる火災が発生していた。
- 史実でも炎上する事故現場をとらえた激しく手ブレした写真が存在していますが…。
- 「二次被害における火災」(家屋や自動車への延焼)と言う意味ね。
- 史実でも炎上する事故現場をとらえた激しく手ブレした写真が存在していますが…。
- 史実で翌年の年末に発生した余部橋梁列車転落事故では鉄橋の真下にあったカニ工場が下敷きになり、そこの従業員が亡くなっている。
- 犠牲者も確実に増えていた。
- 逆に市街地だったため墜落地点の特定が早くなり、救助も迅速に進んでいた。
- 最初に救助に動いたのは地元の消防署であったと思われる。
- 当時は家庭用ビデオカメラが開発されていない事を考えると映像は厳しいが、写真は間違いなく史実よりも多く残されていた。
- 1985年は家庭用ビデオカメラどころか8mmビデオカメラも市販化されてるぞ。
- 機長らへのバッシングは史実よりも強かった。
- おそらく現在では「海に着水させようとしたが間に合わなかった」と解釈されている。
- 墜落地点に鉄道線路や幹線道路が通っていた場合、交通路が長期に渡り寸断されていた。
- 仮に新幹線の線路の上だった場合、高速で運行する列車と衝突という最悪の事態となっていた可能性も否定出来ない。
- 犠牲者の数はとてつもなく多くなっていただろう。
- 「新幹線の線路に墜落した飛行機が東海道新幹線と衝突」という事態になっていたかも。
- 当時の国鉄が日本航空に多額の賠償を求める。
- 未曽有の被害を前に国鉄の民営化が緊急で中止される。その後2001年くらいにようやく民営化。
- リニア中央新幹線計画が早く進んでいたかも。
- 早ければ20世紀中に開通していた。
- 東名高速道路に突っ込んでいたら間違いなくかなりの車が巻き込まれていた(単に飛行機に激突するだけでなく、急ブレーキをかけた車が次々と追突していく可能性がある為)。
- 現場検証と復旧の兼ね合いをどうするかで揉めていた。
- 復旧には長期間を要していた。早くても1985年の年末になっていた。
- 仮に新幹線の線路の上だった場合、高速で運行する列車と衝突という最悪の事態となっていた可能性も否定出来ない。
- 事故当日夜のニュース速報のテロップは「羽田発大阪行き日航機がレーダーから消える」ではなく最初から「墜落した」という内容だった。
- 海上
- 発見に時間がかかり、また溺死者が多く出て、生存者0の大惨事となっていた可能性も否めい。
- 実際、全日本空輸60便墜落事故では墜落場所が羽田空港付近の東京湾でありながら、失踪から墜落確認までに約4時間半を要した。その為陸地から離れていると発見が翌日までかかっていたかもしれない。
- 垂直尾翼破損の事実が公表されるまでに、史実以上の時間がかかっていた。
- 機体残骸やボイスレコーダーが海中に沈み、引き上げに時間を要していた為。
- さらに現実のように垂直尾翼が欠けた状態で飛ぶ事故機の写真も撮られなかった。
- 流出した燃料による水質汚染も問題になっていただろう。場合によっては漁業補償もかなりの額になっていた。
- 墜落した海域の周辺で獲れる水産物への風評被害も深刻になっていた。
- 米軍基地
- 敷地内の施設に被害が出ていた。
- アメリカ軍側が事故直後すぐに現場を封鎖したため、事故機の搬出まで日本の警察・関係者が一切立ち入れなかった。
- これが原因で国際問題に発展し日本の反米感情が高まっていた。
- 基地側が着陸許可を出していれば左派メディアが噛みつく程度だと思うんだけど。
- 少なくとも事故の原因になったのがボーイングの不手際なので、反米感情が史実より高くなっていたことは間違いない。
- 場合によってはこうなっていたかも。
- 一部では事故原因の隠蔽が行われたという陰謀論がささやかれていた。
- これが原因で国際問題に発展し日本の反米感情が高まっていた。
- 報道陣が基地前のゲートに集まり混乱が起きていた。
- 上にもある通り横田基地が着陸許可をしていたそうなので、着陸失敗による墜落か分解の可能性大。
- それでも機体の損傷度によっては史実よりも生存者が多かった。
- つくば科学万博の会場
- 当時はつくばで科学万博が開催されていました。
- 航空機の旅客のみならず万博来場者にも多数の死傷者が出ていた。
- 当然万博は会期途中で中止に。
- 死者の数は間違いなく1000人を超えていた。
- 5年後の大阪花博にも影響があったかもしれない。
- 場合によっては開催を中止していた。
- 1980年代後半の地方博ブームもなかった。
- 高崎市
- 奥多摩上空で、山梨方面に向かわなければ有り得た。
- 墜落地点が上越新幹線や関越道だった場合、新潟方面の交通網が寸断されていた。
- 道路網は、復旧まで国道17号が大渋滞していた。
- 現場が中曽根首相(当時)のご当地ということもあり事故調査に国がもっと深く関わっていた。
- 何らかの陰謀論の根拠にもされていた。
- 前橋市
- もし群馬県庁に墜落したら、群馬県庁の移転 (史実では1999年) は早まっていただろう。
- 嬬恋村
- 風向きや墜落のタイミングによっては有り得た。
- 万座温泉や草津温泉、鬼出し岩、白根山など群馬県の主要観光地が集中していて風評被害は嬬恋村にとどまらず草津町、長野原町、中之条町、さらには長野県山ノ内町や中野市など広範囲に及ぶ。
- 埼玉県旧大滝村
- 山梨県北部辺りに風向が東に吹いていたら有り得たかもしれない。
- 秩父鉄道にも少し影響が出ていたかもしれない。
- まあ、これに対しては大滝村よりも荒川村に墜落していたらもっとアレかもしれないが。
- 少なくとも線路自体は通っていないから直接的な影響は出ないはず。
- 荒川の水に影響が出た可能性も否めない。
- 史実とほぼ同じ甲武信ヶ岳付近(埼玉県側)に墜落していた場合、甲武信ヶ岳周辺の3県の中では最も墜落場所が人里から遠かったため、陸路での救出・遭難活動は史実以上に難航していた。
- 大宮市
- 大宮駅に墜落してた場合鉄道に悪影響が
- 南北の交通が分断される。
- 市街地に墜落するので被害者も増えていた。
- 所沢市
- 所沢駅周辺に墜落していた場合、西武鉄道は壊滅的な打撃を被っていた。
- 西武球場に墜落した場合、本拠地球場が使用不能になった西武ライオンズは後楽園球場や神宮球場、横浜スタジアムなどを間借りして試合を行っていた。史実通り西武がパ・リーグ優勝していたならば日本シリーズも当然それらの球場で行われる。
- 初代西武球場は完成からわずか6年で失われた悲運の球場として語られていた。
- 西武グループが上記のような被害を受けていた場合、総帥の堤義明が激怒してグループ社員らに対しJALの利用禁止令を出していた。
- 成田空港
- 飛行ルートとしては羽田→伊豆→群馬→成田という感じか。
- 横田基地・羽田空港着陸受け入れ態勢の事を考えると羽田→伊豆→大月→群馬→秩父→横田→羽田→千葉→成田になりそうな気がする。
- むしろ東京都区部か埼玉県南部の上空を流されて来たのでは。
- あるいは伊豆半島上空で海側に旋回したら房総半島の上空を通って成田まで到達する可能性もある。
- 成田空港がしばらく封鎖されていた。
- 他の飛行機にも被害が出ていた。
- 成田の管制官がどの時点で日航機がやってくるのに気づくかが被害の大きさが左右されていた。
- 羽田空港の着陸が無理と判断していたら可能性があったかもしれない。
- この場合も着地失敗のよる墜落になると思う。
- 反対派の活動にも影響があった。
- 拠点となる小屋などに衝突していた場合は陰謀論の格好の標的にされた。
- 首都圏第三空港の必要性を主張する人がこの事故の事例を持ち出している。
- 空港敷地内への着陸が困難となった場合、墜落場所によっては成田山新勝寺の重要文化財や門前町に甚大な被害が生じていた。他の市街地へ墜落した場合と同様、乗員乗客以外の死者も発生していた。
- 羽田空港
- 恐らく着地失敗のよる墜落になると思われる。
- 1989年に発生したユナイテッド航空232便着陸失敗事故のような事態になっていた。あの事故のように鮮明な映像が残ってその後メディアで繰り返し放送される。
- 東京モノレールに影響が出ていた。
- 目撃者がさらに多くなっているため社会に与えた衝撃は史実以上になっていた。
- 事故以降に周辺住民の間で空港移転を求める運動が活発化していた。
- 万一ターミナルビルや他の旅客機などと衝突していた場合は実際の事故をはるかにしのぐ大惨事が発生した。
- 史実で2020年から運用されている23区西部上空を通る新着陸ルートの開設は無かった。
- 皇居
- 昭和天皇は(皇居におられた場合は)123便の皇居への墜落の可能性が高まった段階で避難されて無事難を免れる。
- 天叢雲剣と八尺瓊勾玉、御璽と国璽も一緒に避難。
- 間に合わなかった場合、平成は35年まで存在していたことになる。
- それどころか、天皇家絶滅→共和制化すらあり得た。
- 「都心への墜落を防ごうとした結果皇居に墜ちてしまった」という流れになっていた。
- 日航への右翼の風当たりが強くなる。
- 皇居自体が京都御所に移転、というか戻っていた可能性もある。
- その場合、首都も京都あるいは大阪に移転していたかもしれない。
- 避難できなかった場合、この時点で昭和が終わっていた。
- 国会議事堂
- もし本会議開催中だったら、議事を中断して全議員一斉避難という前代未聞の事態となっていた。
- なお現実では衆参とも会期外だった。
- 国会議事堂が使用不能になったらどこで国会を行うのだろうか?
- 国の防災マニュアルによると、名古屋の某体育館が国会議事堂代わりになるらしい。
- その後建物が修復されるか建て直されるかに関係なく国会議事堂の特撮への登場ははばかられるようになった。
- 後楽園球場
- 当然被害は後楽園遊園地にも及び、夏休み中ということも手伝って、戦後最悪レベルの大惨事となっていた。
- 当時ここを本拠地としていた巨人と日本ハムはほかの球場を間借りして主催ゲームを消化せざるを得なくなる。
- 巨人は神宮球場を、日本ハムは埼玉か千葉の県営球場を使用していたと思われる。(まだ千葉マリンスタジアムは存在していない)
- ”東京球場が残っていれば・・・・”という声が日本ハムファンから必ず出てくる。
- 第9回アメリカ横断ウルトラクイズの第一次予選も会場変更を余儀なくされたと思われる。(史実では8月18日に実施)
- 東京ドームの建設は復旧工事と合わせて行われ、オープンが1年程早まっていた。
- サンシャイン60ビル
- サンシャインビルには数千人の労働者がおり、このビルに激突していたら爆発と火災により倒壊していた可能性もあり最悪の場合数千人が犠牲になっていた(史実の10倍どころでは済まない!9.11アメリカ同時多発テロを遥かに凌ぐ!)。
- 夏休みということもあり展望台や周辺には親子連れなども多く多数の子供も巻き込まれ犠牲となっていた。
- 倒壊による破片と火災により池袋地区はほぼ壊滅状態。
- アメリカ同時多発テロの際のWTC周辺の被害状況から推測するに残骸がよほど飛散しなければ被害範囲はそこまで広くならないと思われる。
- 逆に事故機が衝突後に壊れながら飛び続けた場合は想像を絶する大惨事が発生していた。
- アメリカ同時多発テロの際のWTC周辺の被害状況から推測するに残骸がよほど飛散しなければ被害範囲はそこまで広くならないと思われる。
- 池袋駅(1日約300万人、新宿駅に次ぎ2位の乗降客を誇る)も閉鎖される。
- 当然、JR(当時は国鉄)や東武東上線、西武池袋線や地下鉄各線も軒並み不通となる。
- 破片により線路が破断した場合、山手線や埼京線などの大動脈が長期に亘り不通となり政治や経済にも甚大な被害が及ぶ。
- ラッシュ時間帯だったら電車の乗客も多くが犠牲となり福知山線脱線事故が可愛く見えるほどの大惨事に。
- 渋谷公会堂
- 123便が行方不明になった当時、日テレ系「歌のトップテン」が生放送中だった。
- 司会の堺正章、榊原郁恵両名の誘導で観客が一斉避難していた。
- 全員撤収後カメラだけが残っていたら飛行機が飛び込んでくる瞬間が映ったかもしれない。
- 靖国神社
- 神社内の施設はほとんど破壊される。
- 陰謀論がささやかれる。
- 3日後の中曽根康弘の公式参拝はなかった。
- 東京駅
- お盆の帰省客で混む駅は大混乱。
- 丸の内のビルにも被害が出る。
- 駅全体が封鎖されれば首都圏の交通網は一時的に麻痺。
- 東海道新幹線は当面新横浜止まりに。在来線は隣の駅か上野や品川などの大きな駅で折り返しになる。
- 85年時点では東北・上越新幹線は上野止まりなので特に影響はない。
- 高速道路の混雑が増す。
- 85年時点では東北・上越新幹線は上野止まりなので特に影響はない。
- 東海道新幹線は当面新横浜止まりに。在来線は隣の駅か上野や品川などの大きな駅で折り返しになる。
- 丸の内赤レンガ駅舎もこの際に戦前期のデザイン(現在のもの)に再現される。
- 日航がライバルの国鉄(当時)の大ターミナル駅を狙ったと言う人が出てくる。
- 当時民営化作業が始まっていた国鉄に大きな影響が出た。
- 全般
- 羽田に引き返す途中で墜落したというパターン。
- 横浜市
- 横浜駅周辺に墜落していた場合、東西の大動脈が寸断されて大混乱が発生していた。
- 当時再開発中だったみなとみらい周辺に墜落していた場合、その開発にも遅れが出ていたことは否めない。
- 臨港地帯に墜落していた場合、横浜港は大打撃を受けていた。
- 横浜スタジアムに墜落した場合、本拠地球場が使用不能になった横浜大洋ホエールズは後楽園球場や神宮球場、かつての本拠地だった川崎球場などを間借りして試合を行っていた。
- 初代横浜スタジアムは完成からわずか7年で失われた悲運の球場として語られていた。
- 川崎市
- 坂本九は自身の生まれ育った地で最期を迎えたことになる。
- 臨海工業地帯(市内はもちろん隣接する東京都や横浜市鶴見区も含む)に墜落した場合、墜落被害に遭った工場を持つ企業は大損害を受けていた。
- 横須賀市
- 米軍基地に墜落していた場合は「#全般」で述べた通りの事態になっていた。
- 日産の追浜工場が被害を受けていた場合、史実より早く栃木への生産移転が進んでいた可能性もある。
- 鎌倉市
- 古都の貴重な文化財が壊滅的な被害を被っていた。
- 湘南海岸
- 事故が原因でこの年の夏は墜落現場周辺の海岸が立ち入り禁止になり、海水浴客やサーファーが県外(千葉の九十九里浜など)に流れていた。油などによる汚染が酷く、一帯は数年間遊泳禁止になっていた可能性もある。
- 日中だった場合、多くの海水浴客やサーファーも巻き込まれ犠牲となっていた。
- 富士山(富士五湖付近)
- 富士山が悲惨な事になりそう。
- 直接富士山に突っ込んでいたらもう悲惨どころではない。
- 標高が高いことから空気が薄いため、生存者は0だった可能性が高い。
- 恐らく救助隊員が入るのも困難だったと思われる。
- 標高が高いことから空気が薄いため、生存者は0だった可能性が高い。
- 直接富士山に突っ込んでいたらもう悲惨どころではない。
- 1966年のBOAC機事故を大規模化したような事故になっていた。
- 現実でも大月上空で高度が4000メートルくらい落ちているので十分ありえた気がする。
- 笠取山(多摩川の源流付近)
- 現場特定後すぐに首都圏の大部分で断水になった。
- 荒川、利根川、相模川などから取水している地域も多いので影響を受ける範囲は意外と広くない気がする。
- 水道水を多摩川から取水してる地域にミネラルウォーターが支給された。
- むしろ災害時のように給水車がフル稼働していたのでは。
- 自衛隊は史実以上にてんてこ舞いだった。
- むしろ災害時のように給水車がフル稼働していたのでは。
- その後多摩川源流の復旧には最低でも1年はかかっただろう。
- 甲府市街
- 間違いなく石和温泉花火大会は中止になっていた。
- 中央自動車道に墜落していたら、山梨県内の道路網が数ヶ月は壊滅状態になっていた。
- そのため、国道20号は復旧まで大渋滞が起こっていた。
- 御座山付近
当初の特別報道では御座山付近に墜落したと誤認していましたが…。
- こちらは墜落が早まっていたらあり得たかもしれないが…。
- 墜落場所の特定は早くなっていただろう。
- その場合生存者も増えていたと思われる。
- 史実では実現しなかった男性の生存者も実現してたかもしれない。
- 川上村
- こちらも、墜落が早まっていたら有り得ていた。
- 川上村の村民が、救助活動に協力していたので、生存者は確実に増えていた。
- 場合によっては、集落の住人が巻き込まれていた。
- 甲武信ヶ岳付近の場合は、千曲川の水に影響が出ていた。
- 場合によっては、信濃川として流れている新潟県まで影響が出ていた。
- 軽井沢町
- 史実の墜落地点を乗り越えることが出来ても、その後失速した場合は有り得たかも知れない。
- 別荘地に墜落していたら、別荘地の宿泊客も犠牲になっていた可能性がある。
- 信越本線(今のしなの鉄道)の線路付近に墜落していたら、特急あさまに影響が出ていた。
- 翌日から始まるお盆の帰省客で、長野方面に向かう帰省客は、松本経由で帰省せざる得ない状況になっていた。
- 特急あさまは運休(直江津行きは長岡経由での運転。)、白山は長岡経由での迂回運転となっていた。
- 翌日から始まるお盆の帰省客で、長野方面に向かう帰省客は、松本経由で帰省せざる得ない状況になっていた。
- 地元ではあさま山荘事件をもしのぐ戦後最大の事件として語られている。
- 軽井沢が出会いの地だった当時の皇太子ご夫妻が何らかの談話を発表されていた。
- その後墜落現場へのご訪問が実現していてもおかしくない。
- 諏訪湖
- 焼津上空で北に向かった後、そのまま進み続けていれば考えられた。
- この場合、溺死する人も出ていただろう。
- その年の諏訪湖花火大会は中止になっていた。
- 事故の影響により諏訪湖の生態系回復がより困難になっていた。
- 場合によっては、天竜川の流域である長野県伊那地方や静岡県遠州地方にまで影響を及ぼしていた。
- 名古屋空港
- 羽田空港や成田空港のケースと同様に、恐らく着地失敗による墜落になる可能性が高い。
- 事故発生後、名古屋空港がしばらく封鎖されていた。
- 目撃者がさらに多くなっていた。
- 当時名古屋空港近くのバッティングセンターに通っていたイチローや稲葉篤紀も墜落事故を間近に目撃していたかもしれない。
- 目撃どころか、ヘタしたら彼らの居住地近辺に墜落してしまい…という可能性もあった。そうなれば日本の野球氏は史実と大きく違うものになっていたことは否定できないだろう……。
- ↑野球史ね。
- 目撃どころか、ヘタしたら彼らの居住地近辺に墜落してしまい…という可能性もあった。そうなれば日本の野球氏は史実と大きく違うものになっていたことは否定できないだろう……。
- 当時名古屋空港近くのバッティングセンターに通っていたイチローや稲葉篤紀も墜落事故を間近に目撃していたかもしれない。
- 名古屋空港の移転扱いとして、中部国際空港の建設が早まっていた。
- ナゴヤ球場
- 球場自体が全壊していたので、その後建て替え工事に入っていた。
- 工事完了までの間、当時ここを本拠地としていた中日ドラゴンズは球場の全焼火災があった1951年のように近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- 「ノリタケドームが実現していれば…」という声が中日ファンから必ず出てくる。
- 工事完了までの間、当時ここを本拠地としていた中日ドラゴンズは球場の全焼火災があった1951年のように近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- ナゴヤドームの建設は復旧工事と合わせて行われ、史実より早く開業していた。
- ナゴヤ球場の付近を走っている東海道新幹線や東海道線・中央線、名鉄の線路も大きな被害(ヘタしたら完全再建まで年単位?)を被っていた。豊橋方面から名古屋駅にアクセスできなくなるため、その代替駅という意味合いもあって金山総合駅の整備が史実より早くなっていた可能性もある。
- 新幹線は東京方面から見て名古屋駅の手前で線路が寸断されるため、笠寺辺りに暫定駅を設けていたか?
- 全般
- 恐らく伊丹空港への着陸直前に機体がトラブルを起こし、墜落していた。
- この事故の教訓から、関西国際空港開設後、伊丹空港は札幌の丘珠空港のような小型機の近距離路線専用の空港になる。
- その場合、関空は遠いというイメージを払拭するため、なにわ筋線の建設が早まっていた。
- 神戸空港の開港も早まっていた。
- 名目は伊丹空港の代替だったため、反対も現実ほどではなかった。
- 阪神甲子園球場
- 同時期に高校野球をやっていたので、同年の大会は途中で中断されていた。
- KK伝説もなかったかも。
- 球場自体が全壊していたので、その後建て替え工事に入っていた。
- 工事完了までの間阪神タイガースは近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- 同年の阪神タイガースのリーグ優勝・日本一はなかったかもしれない。
- その後の成績が史実通りだったら、2003年のリーグ優勝は39年ぶりで2023年日本一は球団史上初ということになっていた。
- 史実より遅れて1992年か1999年あたりにリーグ優勝していたかも。
- 高校野球も。場合によってはこれを機に全国持ち回り制に変わっていた。
- 同年の阪神タイガースのリーグ優勝・日本一はなかったかもしれない。
- 21世紀に入っての改修工事はなかった。
- 工事完了までの間阪神タイガースは近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- 場合によっては隣の国道43号や阪神高速神戸線、阪神パークにも被害が及んでいた。
- 阪神パークも被害を受けた場合、閉園が早まっていたかもしれない。
- 生駒山
- 山上にテレビの電波塔が立っているので、復旧まで大阪周辺ではテレビが視聴できなかった。
- あるいは周辺の電波を受けて視聴することになるが、画質は悪くなっていた。
- 大阪市内からも墜落した飛行機の黒煙が確認できていた。
- 生駒山上遊園地が閉園に追い込まれていたかもしれない。
- 近鉄生駒ケーブルの山上線も廃止されていたかも。
- 琵琶湖
- 関西の水がめだけに、京阪神エリアの水質に大きな悪影響を及ぼしていた。
- 当然ながら深刻な水不足に見舞われ、人口の多さから給水車がいくら来ても間に合わない事態に陥っていた。
- ミネラルウォーターも売り切れが相次いでいた。
- 琵琶湖取水圏以外に親戚や友人がいる住民に対して、水需要を減らすための一時避難の呼びかけさえ行われた。
- これがきっかけで東京一極集中が現実よりも早く進んでいた。
- 当然ながら深刻な水不足に見舞われ、人口の多さから給水車がいくら来ても間に合わない事態に陥っていた。
- 漏れた燃料などによる水質汚染で琵琶湖の生態系にも確実に大ダメージを与えていた。
- 溺死する人も多数出ていただろう。
- 大阪空港
- こちらも恐らく着地失敗が事故の要因だった。
- 事故後しばらく大阪空港は封鎖されていた。
- 名古屋空港がその代替として機能していたが、それでも足りなかった。
- 関西~北海道へは寝台特急「日本海」~青函連絡船を使う人も多かった。
- 直後の帰省ラッシュでは実際以上に新幹線利用者が増えていた。
- 関西空港の建設が早まっていた。
- 大阪スタヂアム
- 球場自体が全壊していたので、その後建て替え工事に入っていた。
- 工事完了までの間、当時ここを本拠地としていた南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)は近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- おそらく日本生命球場を使用していたと思われる(まだ大阪ドームは存在していないので)。
- 場合によっては福岡への本拠地移転およびダイエーへの身売りが早まっていた。
- その場合大阪球場は再建されず、跡地は史実よりも早く再開発されていた。その場合なんばパークスとは違う形になっていたかもしれない。
- 施設内に慰霊碑をはじめ追悼施設が作られていた。
- その場合大阪球場は再建されず、跡地は史実よりも早く再開発されていた。その場合なんばパークスとは違う形になっていたかもしれない。
- 末期に住宅展示場として利用されることはなかった。
- 工事完了までの間、当時ここを本拠地としていた南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)は近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- この年の南海ホークスは久保寺雄二選手の急死などもあって踏んだり蹴ったりだった。
- 市街地のど真ん中にあるため、球場どころかその周囲の建物も壊滅的な被害を被っていたことは間違いない。
- 藤井寺球場
- 球場自体が全壊していたので、その後建て替え工事に入っていた。
- 工事完了までの間、当時ここを本拠地としていた近鉄バファローズは大阪球場など、近隣の球場を間借りして試合をやっていた。
- 藤井寺球場のナイター設備は完成からわずか1年あまりで失われることになっていた。
- 何者かによる撃墜
- 一部ではよく言われますが
- 自衛隊か米軍の場合、確実にイメージダウンになっていた。
- 特に米軍だった場合、日本の対米感情が悪化して米軍基地撤退などの世論が盛り上がっていた。
- プラウダやモスクワ放送は「アメリカ帝国主義が同盟国の民間機を無慈悲に撃墜」と鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てた。
- 場合によっては日本は反米に転じていた。
- 自衛隊の場合阪神大震災まで自衛隊員というだけで白い目で見られる風潮が出ていた。
- ただし「東京都心に突っ込み大惨事を起こすのを防ぐためやむをえず撃墜した」という場合はある程度風当たりが和らいでいた。
- 特に米軍だった場合、日本の対米感情が悪化して米軍基地撤退などの世論が盛り上がっていた。
- 時の政権が親米の場合、下手したら首相の命が狙われていた。
- 誰にせよ、最終的には首相と防衛庁長官は辞任に追い込まれただろう。
- 韓国とは被害者同士なので敵対感情が和らいだ。
- JALと大韓航空が慰霊祭で互いに社員を派遣する。
- 史実とは別のベクトルで陰謀論が出そうではある。
- 機体の空中分解
- 確実に生存者0の大惨事となっていた。
- 下手すれば、行方不明の遺体が多数出ていたかもしれない。
- 2002年5月25日に台湾海峡上空で発生した「チャイナエアライン611便空中分解事故」は防げた可能性がある。(この事故も、該当機が「しりもち事故」を起こし、その後の修理が不十分だったとされる。)
- 人為ミス
- 機長の家族への風当たりは史実以上のものとなっていた。
- 引越しなどを余儀なくされていたかもしれない。
- また日本航空への批判も史実以上のものだった。
- ボイスレコーダーの「これはだめかもわからんね」などの発言はなく、youtubeなどにアップされることもなかった。
- 長距離の移動で飛行機を敬遠する人が現実よりも多かった。
- 墜落場所は海上か空港になっていた。
- 機体同士の衝突
- 全員死亡どころか犠牲者が倍近くになっていた。
- 犠牲者数は相手機の大きさにも左右されるが誰も助からないという最悪の結末だけは回避不能か。
- どの航空機と激突しても日航が史実以上のバッシングに合っていた。
- これでもし衝突された側が他の航空会社の機体だったら、それこそ企業間訴訟になっていた可能性も。
- 相手が自衛隊機だったら「100%自衛隊機に非がある」と声高に主張された。
- 「雫石の悲劇再び」と報道される。
- 防衛庁長官の辞任は避けられない。(当時の防衛庁長官は加藤紘一。)
- おそらく最大の原因は管制官の通達ミスだろう。
- この場合事故が起きたのは超過密状態の羽田近辺の恐れが高い。
- 市街地に墜落していたら墜落地点の住民なども犠牲になり、現実と比較にならないほど死者が増えていた。
- この場合事故が起きたのは超過密状態の羽田近辺の恐れが高い。
- 一方で「単独機による死者最多の事故」にはならなかった。
- しかし、世界最大の航空機事故となっていただろう。
- 2001年の駿河湾上空ニアミス事故はなかった。
- ハイジャック
- おそらく「墜落事故」と言う扱いにはなっていない。
- 「日本航空123便ハイジャック事件」と呼ばれていた。
- ボイスレコーダーの内容が解明されるまで「何故山に突っ込んだのか」で議論が起こっていた。
- 墜落前に機長や副操縦士が死亡or重傷を負って操縦不能の可能性も十分あり得る。
- 犯人が都市部に飛行機を落とそうとしていたならば、機長らは最悪の事態を防いだとして一応評価されていた。
- 全日空61便ハイジャック事件は事前に防げていたかもしれない。
- こちらもあと少し対応が遅れていたら八王子市に墜落していた可能性が高いらしい。
- アメリカ同時多発テロやエチオピア航空961便ハイジャック事件も展開が変わっていたかもしれない。
- こちらもあと少し対応が遅れていたら八王子市に墜落していた可能性が高いらしい。
- この時点で乗客によるコックピット見学は厳禁にされた。
- バードストライク
- 「バードストライク」という言葉が1985年ごろから流行していた。
- 2009年のハドソン川への不時着事故は「この事故を教訓にしたおかげで死者が出なかった」と言われていた。
- この場合事故現場は羽田の近所か。
- ジェット機の巡航高度は空気が薄いため鳥の生息には適していたい。
- 機内での電気系統のショート
- これを機に電気系統の大幅な見直しが行われていた。
- 96年のTWA機爆発事故か98年のスイス航空機墜落事故の少なくともどちらかは防げていたと思いたい。
- TWAはワンワールド、スイス航空はスターアライアンスのの創立メンバーとして2020年現在も盛業中。日本路線にも進出・拡大し、羽田の常連に。
- 史実通りアメリカ同時多発テロで打撃を受け、チャプター11行きとなった。
- TWAはワンワールド、スイス航空はスターアライアンスのの創立メンバーとして2020年現在も盛業中。日本路線にも進出・拡大し、羽田の常連に。
- 96年のTWA機爆発事故か98年のスイス航空機墜落事故の少なくともどちらかは防げていたと思いたい。
- 爆弾テロ
- なお事故直後の報道では北朝鮮によるテロの可能性を指摘する内容のものもあった。
- 犯人が連合赤軍・日本赤軍(当時の過激派)だった場合、破防法が適用され史実の罪状では済まないだろう。
- 特に犯人が成田闘争の実行犯だった場合、羽田空港(どころか日本中の空港)も現実以上に警備が厳しくなっていた。
- 当時の新左翼はすでに細分化が相当に進んでいたので一つの団体だけに破防法を適用しても意味がない気がする。
- 事故後に日本の航空会社はイスラエルあたりのやり方を参考にして爆弾テロ対策を強化していた。
- 123便事故から2年後の北朝鮮工作員による「大韓航空機爆破事件」が起きたときに、日本は最大級の捜査協力をしていたかも。
- 仮に北朝鮮工作員が関与していた場合、史実より早く日本国内の世論が硬化していて、左派の衰退が早まっていた。
- それはそれで、陰謀論が出そうではある。
- 全般
- 笑点メンバーがこん平の一言により予定通りの飛行機で行ったのは史実通り。
- JAL366便
- 事故を起こした機体の1つ前のフライトがこの便(福岡→羽田)だった。
- 当時この便には福岡から東京に向けて移動していた阪神タイガースの選手が搭乗していたので、阪神の主要選手が事故に巻き込まれ全滅、ということになっていた。
- その後阪神は残った2軍の選手などで戦うようになっていた。
- そのため1985年の阪神のリーグ優勝、日本一はなかった。
- 最悪、優勝どころかBクラスに転落も有り得た。
- 1985年は阪神ではなく広島が優勝し、リーグ2連覇を果たしていただろう。
- 史実通り1986年に優勝していたらリーグ3連覇に。
- そのため1985年の阪神のリーグ優勝、日本一はなかった。
- こういう緊急事態になったことから、翌年以降の阪神は他球団から選手を融通してもらうなどしていた。
- ドラフトも特例措置で3巡目辺りまでは優先指名となっていただろう。
- これがバネになり、数年後にリーグ優勝や日本一を達成していた可能性も考えられる。ひょっとしたら暗黒時代も到来しなかったかも。
- 流石に身売りまではないだろうが、逆にここから暗黒時代が始まっていた可能性がある。上にあるような融通が行われなかったら尚更。
- 95年の阪神大震災を受けて一念発起したことでついに優勝とか。
- この世界線だと、生き残って、または他球団から移籍して立て直しに貢献した選手の1人が「ミスタータイガース」と言われていた。
- 95年の阪神大震災を受けて一念発起したことでついに優勝とか。
- 流石に身売りまではないだろうが、逆にここから暗黒時代が始まっていた可能性がある。上にあるような融通が行われなかったら尚更。
- 阪神の選手だけでなく当時の運輸大臣も犠牲になっていた。
- (実史で事故が起きた1985年8月12日は)三光汽船が倒産したが、これで運輸省は大変な事に…。(三光汽船倒産を受けてJAL366便に搭乗したのが、当時の運輸大臣だった。)
- 史実より早く運輸大臣交代が行われ、山下大臣と同じ河本派総帥で三光汽船オーナーの河本敏夫がけじめをつけるために運輸大臣に登板し、三塚博の運輸大臣登板が無かったかずれこんだ場合もある。
- この場合、JRは本州は東西二社分割でいっていた可能性もある。
- この場合JR西日本が東海道新幹線を継承できていたのでもしJR福知山線脱線事故は起きていなかった可能性が高い。
- 加えてうまく処理出来ていれば河本総裁・首相が誕生した可能性もある。
- この場合、JRは本州は東西二社分割でいっていた可能性もある。
- 「スペルガの悲劇」「ミュンヘンの悲劇」と比較される。
- マンチェスター・ユナイテッドやトリノFCから阪神タイガースに向けて激励のメッセージが届いていた。
- この場合も、他のプロ野球球団も日本航空との契約を史実通りに絶っていた。
- その後阪神は残った2軍の選手などで戦うようになっていた。
- 逆に阪神の中埜球団社長や坂本九などは犠牲にならなかった。
- 中埜社長は事故で選手が犠牲になったショックで辞任していた。
- 事故イメージから回復させるため、球団ユニフォームの他阪神電車のカラーリングも変わっていたかも。
- この場合今の阪神に「ジャビットカラー」は存在していない。
- しかも上のように山下大臣の急死、三塚大臣の登用回避となりJR西日本が東海道新幹線を継承出来ていたら、JRの攻勢も今よりは緩く、阪神の経営もより良くなっていたか。
- この場合1985年のタイガースは優勝できなかったものの、球団に金をかけられるようになっていたことから2003年までの間に数回優勝できていたかも。特に1992年は優勝できていた可能性が高い。
- 坂本は「もし1つ後のフライトだったら…」というようなことを語っていた。
- 何れにせよ阪神球団の歴史は大きく変わっていた。
- 墜落地点は恐らく九州のどこかか山口県、あるいは瀬戸内海だっただろう。
- 御巣鷹山は無名のままで、群馬県上野村も一介の寒村のまま。
- 123便に搭乗していた人の一部は大阪への移動をあきらめていた。
- 坂本九は「その日は羽田空港のホテルに泊まった」というようなことを語っていた。
- プロ野球が一時中断されたかもしれない。
- 「アップダウンクイズ」の代替番組はプロ野球にはならず、紀行番組を放送していた。
- 最悪の場合、日本航空は羽田~福岡線から撤退していた可能性も(この3年前に事故を起こした350便と同じルートのため)。
- いくら複数回事故を起こしたとはいえ国内線のドル箱路線からの撤退は非現実的かと。
- 1966年と71年に羽田-千歳線で同じボーイング727による事故を起こした全日空も撤退はしていない。
- いくら複数回事故を起こしたとはいえ国内線のドル箱路線からの撤退は非現実的かと。
- JAL363便
- 事故を起こした機体の2つ前のフライトがこの便(羽田→福岡)だった。
- 墜落したのがまだ日中だったので、墜落場所の特定が早くなり、救助もスムーズに進み、生存者の数が増えていた。
- 123便に搭乗していた人の一部は大阪への移動をあきらめていた(JAL366便の場合と同じ)。
- またこの折り返しのJAL366便に乗る予定だった阪神タイガースの選手の移動にも影響が出て、翌日の巨人-阪神戦が延期になっていたかもしれない。
- ただし中埜球団社長が事故の犠牲にならなかったため史実より早く優勝を決めていた。
- この便に搭乗していた、または搭乗する予定だった著名人はいたのだろうか?
- JAL503便or504便
- 事故を起こした機体のこの日最初のフライト(羽田→新千歳)と、その折り返し(新千歳→羽田)。
- こちらも墜落したのがまだ日中だったので、墜落場所の特定が早くなり、救助もスムーズに進み、生存者の数が増えていた。
- ただし墜落場所が津軽海峡などの海面だったというより絶望的な事態の恐れもあった。
- この便にも著名人が搭乗していたかもしれない。
- この日の夜のザ・トップテンによると、小泉今日子がこの日新千歳→羽田の飛行機を利用したらしいが…。
- 夕方までには別の機体が用意されてそうなので、123便は別の機体で通常通り運行していた。
- しかし羽田~福岡の363便・366便は運休。阪神タイガースの選手が東京に行くのが遅れていた。
- 飛行機だから運休じゃなくて欠航の方が正しいのでは?
- 坂本九や中埜球団社長などが123便に搭乗するのは史実通り。
- しかし羽田~福岡の363便・366便は運休。阪神タイガースの選手が東京に行くのが遅れていた。
- JAL130便
- その日の最終便(伊丹→羽田)
- 墜落が夜遅い時間だったので、史実以上に墜落場所の特定が遅くなっていた。
- 場合によっては、生存者0の可能性もあった。
- 救出までのタイムラグが短いのと燃料の残りが少ないので火災が小さく(123便は130便の分の燃料も補給していた)、むしろ生存者が増えていた可能性も。
- 坂本九は、其の事故を知った後「もうJALには乗らない」と語っていた。
- この場合、確実に東京〜大阪間の移動は新幹線に移行していた可能性もある。
- 他に犠牲になった北原遥子や中埜球団社長等は「ギリギリ事故を回避した」ことになった。
- 因みに最終便は20:40発、21:40着。
- この時間だとNHKは「ニュースセンター9時」の時間帯なので、第一報はそのニュース内で行われる。
- 日本テレビの「ザ・ベストテン」は通常通り放送されていた。
- この時間だとNHKは「ニュースセンター9時」の時間帯なので、第一報はそのニュース内で行われる。
- この便にも著名人が搭乗していた可能性があった。
- 太平洋のみならず、琵琶湖や伊勢湾に墜落していた可能性があった。
- 山中の場合は恐らく紀伊山地の山中。
- ANA37便
- 現在でもJAL123便とほぼ同時刻に同区間(羽田→伊丹)を飛んでいる。
- 日本航空と全日空の立場が実質的に逆になっていた。
- 但し日航に関しては史実どおりに経営を多角化し続けるだろうから、事故が起ころうが起こるまいがどこかで経営に行き詰まる。
- イケイケ仕様な日航が早くにJASと合併、東急電鉄も穏当にJAS株を売り抜き、東急8500系は2010年頃までに全廃されていた。
- 日航に不信感を持っていた(123便はやむなく搭乗した)坂本九は、全日空にも不信感を持ち飛行機に乗らなくなっていた。
- 雫石衝突事故の過去もあいまってか、自衛隊陰謀説が史実より強まっていたかもしれない。
- そんなことを言っていたら2017年の8月12日に似たようなことが発生、何とか着陸はできたが。
- 全日空の国際線への参入が史実より数年遅れていた。
- 「FLYING HONU」の総座席数520席が墜落事故の死者数と同じで不謹慎と言われる。
- ANA35便
- 1982年当時JAL123便とほぼ同時刻に同区間(羽田→伊丹)を飛んでいた。
- ANA37便の項目同様全日空の経営に影響が出たのは確実。
- この便に搭乗していた著名人が犠牲になっていた。
- 明石家さんまも犠牲者の1人に(史実では彼の仕事が早く終わったためANA35便に搭乗した)
- この場合、(ANAをいつも利用していたにも関わらずこの日に限ってJALを利用した)坂本九が生きているだけでまるもうけしていたことになる。
- IMALUが存在しないのは確実。
- なお、「さんまがANA35便に搭乗していた」ことは後に誤りであったことが判明(実際はABCで放送していた「さんまの駐在さん」の収録が事故1か月前から火曜日から月曜日に変わったことで、移動日が日曜日となり、123便に搭乗する必要がなくなったから)。
- 明石家さんまも犠牲者の1人に(史実では彼の仕事が早く終わったためANA35便に搭乗した)
- 1982年当時の時刻表によると使用機種はボーイング747だったのでボーイング社が叩かれていた。
- B747SR-81が早い時期に全機売却された。
- 羽田~那覇
- 発生時期によっては修学旅行生が犠牲になっていた。
- マスコミがその学校を取り上げて同情していた。
- 宅間守事件の大阪教育大学附属池田小学校のように、当時の在校生が卒業するまで取り上げられていたかも。
- 沖縄の戦跡を訪問する予定だった沖縄戦戦没者の遺族が巻き込まれていた恐れもある。
- 航空に大きく依存している沖縄観光に深刻な悪影響を与えていた。
- 海上に墜落した場合は史実のマレーシア航空370便の事故のようになっていた。
- 当然遺体はおろか機体の残骸すら見つけられず、事故原因の究明が大幅に遅れていた。
- 羽田~千歳
- 羽田~那覇の場合と同様、航空に大きく依存している北海道観光に深刻な悪影響を与えていた。
- 青函トンネルの開業が現実より1年ほど早まっていたかも。
- 北海道新幹線の開業も早まり、平成のうちに札幌駅まで全通していたかもしれない。
- 羽田~地方空港
- 犠牲者の数は300人以下だったと思われる。
- 国内最悪の事故にはなるが、単独機での世界最悪の事故はトルコ航空DC-10墜落事故になっていた。
- 小型機の場合、犠牲者の数はもっと少なかった可能性もある。
- おそらく著名人の犠牲者はいなかった。
- 2005年の羽越本線脱線事故のように地方テレビ局のアナウンサーが犠牲になっていた可能性はあった。
- 79年のTDA機(羽田-南紀白浜)胴体着陸事故では由美かおるが当該機に乗っていたので地方ロケへ向かう途中だった芸能人がいることも十分考えられる。
- 他には取材へ向かう作家やお国入りの国会議員の犠牲も想定できる。
- この日の徳島行きの便には当時の笑点メンバーが乗っていたので、この便が事故を起こした場合、事故を境に今の笑点とは全く異なる番組になっていただろう。
- 国際線 日本~北米便
- 墜落場所は太平洋のど真ん中。
- そのため遺体はおろか残骸の一片すら発見できなかった(おそらく30年経った現在でも消息不明)。
- 2014年のマレーシア航空370便のような事故が29年早く日本で起きていたことになる。
- マレーシア航空370便の事故は日本では史実以上に取り上げられた。
- それ以前に79年のヴァリグ・ブラジル航空貨物機(成田-サンパウロ)遭難事故もまた大きく扱われている。
- ニューヨークに行く便だった場合アメリカの内陸部になるかも。
- ロッキー山脈に墜落してた。
- 事故発生から1ヶ月は連日のようにニュースで取り上げられるが、埒が明かないため未解決のまま次第にニュースからも消える。
- 国内最大の未解決事件として歴史に残っていた。
- そのため世田谷一家殺害事件の影が薄くなっていた。
- 殺人事件と航空事故では性質がかなり異なるのでそれはなさそう。
- そのため世田谷一家殺害事件の影が薄くなっていた。
- 事故原因も全く特定できないため、以後日本国内での飛行機事故が増えていた。
- 事故原因が史実と同じ圧力隔壁の破損だった場合、全く同じ事故が国内外で発生するまで対策はされなかった。
- CLANNADのことみシナリオ執筆時に参考にされただろう(「ことみの両親がこのケースの墜落で他界」が公式設定のため)。
- 残骸捜索のため深海調査船や潜水艇が片っ端から動員されていた。
- 上に書いてる事と同じ様にロッキー山脈に墜落してた場合そうはならない。
- 国際線 日本~西アジア・ヨーロッパ便
- 墜落場所はヒマラヤ山脈あたり。
- 現実の中近東と東アジアを結ぶ便はパキスタンから中国西域に入るルートなのでもっと北西にずれていたと思う。
- 身元確認は日本人と思われる遺体のみ成田空港で行われた。
- 79年のニュージーランド航空の事故のように現場に近い大都市で行った方が自然。
- 現場から日本に持ち帰った遺体が実は別の国の人のものだったという事態が発生したらかなり面倒なことになる。
- 日本人のバックパッカーが確実に1人は巻き込まれていた。
- 墜落場所によっては地形や現地の政情不安が原因でまともに事故調査ができなかった可能性もある。
- パリのエッフェル塔やロンドンのビックベンに墜落してたら悲惨な事になってた。
- ロンドン橋に墜落してたら童謡の「ロンドン橋」の様にロンドン橋が落ちる。
- 国際線 日本~韓国・中国便
- 墜落場所は日本海か東シナ海か江原道の内陸部。
- 風向きによっては北朝鮮領空に入ってしまいそこに墜落していたかも。
- その場合、遺体の身元確認や事故調査がまともにできなかったのは確実。
- 風向きによっては北朝鮮領空に入ってしまいそこに墜落していたかも。
- 日中関係や日韓関係が更に悪化してた可能性もある。
墜落場所が海上だったりした場合は、発見できなかった可能性もある。
- 「これはだめかもわからんね」などの名言が流行することはなかった。
- 日本航空123便の事故を象徴する言葉は別の言葉になっていた。
- 管制とのやり取りで機長が発した「アンコントローラブル」(操縦不能)か。
- 日本航空123便の事故を象徴する言葉は別の言葉になっていた。
- 事故直後の機長への批判は少なくなっていた。
- 事故原因の特定が難しくなり、その後の航空事故が増えていたかもしれない。
- 生存者の証言が得られないため、事故原因の解明に少し影響が出ていた。
- 機内の様子など、一部の事実が明らかにならなかった。
- 爆発音がしたことはボイスレコーダーから、酸素マスクが降りてきたことは客室の音声や乗客の遺書でしか判明しない。
- 墜落直後は多数の生存者がいたという事実も判明しなかった。
- 「今世紀最大級の奇跡」と全世界に大きく報道される。
- ハドソン川の奇跡並みに有名になる。
- ハドソン川の奇跡と比較される様になる。
- 後に2024年1月2日の羽田での日航機事故とも比較されるようになっていた。
- ハドソン川の奇跡と比較される様になる。
- ハドソン川の奇跡並みに有名になる。
- 乗客乗員全員の証言が得られた結果、史実以上に事故原因の究明が進んでいた。
- 機体が墜落しながらも乗客乗員全員を生還に導いた機長と副操縦士の操縦技術が絶賛されていた。
- 政府専用機の専属搭乗員として引き抜かれたかも。
- 乗客乗員が所持していたお守りを発給した神社の参拝数が増えていた。
- 特に坂本九がペンダントを身に着けていた笠間稲荷神社の知名度が上昇していた。
- 地元民やオカルトマニアからは「御巣鷹の山神様が助けてくれた」と噂されていた。
- 御巣鷹山に対する負のイメージが下がっていた。
- 御巣鷹の山神様を祭神とする神社ができて、空の安全の守り神として航空関係者の信仰を集めていた。
- 社殿、鳥居などは日航が奉納していた。全日空も加わり狛犬を奉納。
- 日本の飛行機には必ずここの神社のお守りかお札が祀られるようになる。
- 平成に入ってから、この事故が奇跡の生還劇として映画化される。
- 「奇跡体験!アンビリバボー」でも取り上げられていた。
- 山の日は8月12日になっていた(史実では11日)。
史実では生存者4人は全員女性だが、生存者の証言から墜落直後は男性の生存者もまだ居た。
- 男性の生存者も奇跡的に実現したとして、搭乗者の生存状況が史実より高く評価されていた。
- 墜落場所の特定が史実より早ければ可能性はあった。
123便墜落直後に米軍横田基地から飛び立った航空機が墜落地点を特定し、日本側に協力を申し出るが、日本側はその協力要請を拒否しました。その上、日本の自衛隊が出動するも、墜落地点が特定できず、更に夜間という事もあり、救出作業が遅れ、結果520名が死亡する大惨事になりました。もし、この時、日本側が米軍の協力要請を受け入れていたら?
- 生存者数は実史の4人ではなく、もう少し増えていた。
- 生存者の証言から、墜落直後は生存していた乗客が、(救出された4名以外に)何名かいた。
- それでも陰謀論自体は誕生していた。