もしJR福知山線脱線事故が起きていなかったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
- 電車の色はそのままだった。
- 321系も当初の計画通り。
- JR西日本205系0番台はJR京都線への転用に合わせて濃淡ブルーの帯に変更されていた。
- 207・321系の座席モケットの色も青系のまま。
- 321系の座席は207系のフカフカしたものを踏襲していた。
- 103系のリニューアル改造が簡略化されることもなく、2005年以降のリニューアル改造車も蛍光灯カバー付きとなっていた。
- むしろ新車置き換えのペースが早まり、リニューアル工事は中止されていた。
- 京阪神緩行線やJR宝塚線・学研都市線・JR東西線以外にも321系が投入されていた。
- 207系はリニューアル後も前面が紺色に塗られることはなく、原型を保っていた。
- 車内のLED案内表示機はLCDに変更されている。
- JR西日本は今でもスピード第一でかっ飛ばす。
- その結果、電車の遅れやオーバーランが頻発。
- 新快速の140km/h化も撤回されることなく検討が進められる。
- 321系や207系が130Km/hで走るどころか、201系で、120km/h運転になっている。
- 117系でさえ120km/h対応に改造されていた。
- 新快速は京都-大阪25分、大阪-三ノ宮17分で運転される。阪和線にも新快速が復活し、天王寺-和歌山39分で運転。
- その結果南海「サザン」の指定席は廃止されていたかも。
- 指定席がなかったらサザンと呼べないから単なる特急になっている。
- 紀州路快速のあの体たらくはなかった。
- その結果南海「サザン」の指定席は廃止されていたかも。
- 新快速は姫路~草津間で10分毎の運転になっていた。
- 東方面はほぼ全列車が彦根/永原/近江塩津、また1時間1本ペースで敦賀発が走っていた。西方面も網干行きがほぼ全部で上郡・播州赤穂行きも史実以上だった。岡山方面の乗り入れはそれでも厳しそうだが。
- 停車時間が10秒から5秒以下に変更。
- 高齢者や身体障碍者への配慮に欠けるとして批判され後に再び伸ばされる。
- 北は福知山・舞鶴・敦賀までアーバンネットワークの範囲になっていた。播但線寺前以南・姫新線上月以東も範囲内だったかも。
- 東ならそのへんまで近郊区間にしかねんw
- Aシートの導入も積極的に行われ、最終的には全列車に導入されていた。
- 指定料金も500~600円とリーズナブルに設定されていた。新快速停車駅のホームには指定券の券売機も置かれている。
- 場合によっては京阪プレミアムカーよりも先に導入していた。
- 321系や207系が130Km/hで走るどころか、201系で、120km/h運転になっている。
- 「スーパーやくも」「スーパーくろしお」は廃止されなかった。
- というか、頭に「スーパー」が付く特急は衰退しなかった。
- 山陽新幹線のデジタルATCが導入される時期も史実よりかなり早くなり東海道新幹線のスピードを15km/h上げなくても500系時代ののぞみのタイムよりも更新してた。ついでに車体傾斜も山陽区間でフル稼働してる。
- 一部ネット上では「実写版電車でD」などと揶揄されていた。
- JR東日本も。成田エクスプレスはスカイライナーとの対抗上、160km/h運転を実施していた。
- 関西でも湖西線で160km/h運転が行われていた。その結果北陸新幹線の敦賀以南の計画は中止され、フリーゲージトレインで湖西線に乗り入れる形となっていた。
- FGTは絶対こけそう。湖西線はすでに全線高架、踏み切りなしなので、改軌して新在直通か三線軌条かして新在直通か、普通に新幹線規格新線にして(一部線形改良など行う)対面乗り換え可能に駅を工事し、ダイヤを新幹線の到着時間にあわせるとかもありかも。
- 関西でも湖西線で160km/h運転が行われていた。その結果北陸新幹線の敦賀以南の計画は中止され、フリーゲージトレインで湖西線に乗り入れる形となっていた。
- 日勤教育は今でも盛んに行われている。
- JR西日本では鬱病が蔓延。
- 社員は現実以上に客に対して親切になる。
- 他の鉄道会社に比べて社員の自殺件数が、多くなっている。
- 社員は現実以上に客に対して親切になる。
- 特に「ゆとり教育世代」(高卒現業職だと2006年入社以降)で入社3年以内の離職率が急上昇していた。2010年代になると、高校新卒で入った社員の6割が入社3年以内に退職するという、他の鉄道会社では例を見ない異常な「早期離職」件数が問題になっていた。
- それが原因で乗務員不足が起こり減便に追い込まれたりするかも。駅の無人化も現実以上に行われていた。
- ローカル線での日中運休が常習化していた。
- それが原因で乗務員不足が起こり減便に追い込まれたりするかも。駅の無人化も現実以上に行われていた。
- 後にD社(大手広告代理店)ばりの大問題に発展していた可能性が高い。
- ブラック企業大賞にもノミネートされていた。
- ↑のように、ブラック企業が社会問題となった2010年代以降「働き方改革」の一環で廃止される。
- その結果24.や46.は史実通りになっている。
- 2020年代以降のコロナ禍でようやく減便に舵を切っていた。それでも学研都市線・大和路線の末端部などで毎時1本まで減便されることはなかった。
- ブラック企業が社会問題になったきっかけは4.25の事故で日勤教育が炙り出されたことだったから、もし4.25の事故がなかったら一般社会においてもブラック企業は問題になることはほとんどなく、放置されていた可能性もありえただろう。
- その場合、コロナ禍になっても多くの企業は「何が何でも出社しろ」という根性論に基づく方針を替えず、リモートワークは普及しなかった。
- その結果根性論世代が次々コロナでなくなり、アフターコロナに革命?が実現していた。
- 日本の人口減が現実以上に早く進んでいた。
- 各業界の人手不足が現実以上に進んでいた。その結果国が移民を受け入れていた。
- その結果根性論世代が次々コロナでなくなり、アフターコロナに革命?が実現していた。
- その場合、コロナ禍になっても多くの企業は「何が何でも出社しろ」という根性論に基づく方針を替えず、リモートワークは普及しなかった。
- その結果24.や46.は史実通りになっている。
- JR西日本では鬱病が蔓延。
- 鉄道模型では、207系がkatoから発売されてた。
- 電車でGO!FINALの廉価版も通常通り発売。
- もちろんTOMIXは発売自粛しない。
- 当然、旧塗装で。
- プラレールの207系の廃盤も遅くなっていたかも。
- 鉄道の安全が語られることはなくなる。
- 結局中国高速鉄道やJR北海道などの事故がきっかけになって問題視されているのでは。
- 中国高速鉄道の事故は史実通りと思うがそもそも福知山線の事故がなかったら(安全に余分な費用を出す必要がなかったので)JR北海道の事故は起きていないのでは?
- 鉄道に限った話ではないが、ヒューマンエラーが大きく注目されることはなかった。
- 結局中国高速鉄道やJR北海道などの事故がきっかけになって問題視されているのでは。
- 逆に他の所で大規模なことが起こっていた可能性が高い。
- 動労千葉は今よりは静か。
- 走れガリバー君の放送も続いた(もちろん出発はJR西日本の駅)。
- 北陸新幹線や九州新幹線も登場していた。
- AKBやももクロどころか子役もガリバーくんに参戦。
- 番組の収録時間からして労働基準法に引っ掛かりかねないので子役はまずい。
- 関西ローカルなのでNMB48のメンバーがよく出ていた。
- 乃木坂46のメンバーで関西出身の松村沙友理や西野七瀬も出演していそう。
- 2020年以降はゆうちゃみ(古川優奈)も出ていた。
- AKBやももクロどころか子役もガリバーくんに参戦。
- テレビ東京あたりが真似した番組を全国ネットで放送していた。
- 北陸新幹線や九州新幹線も登場していた。
- 交通科学博物館(弁天町)の221系シュミレーターは福知山線のまま。
- 京都鉄道博物館にも受け継がれる。
- ATS-SWで非常停止の場合、けが人が出た可能性があるが、ない場合でも非常停止があったと報道され、ATSの事よりも運転手の方が技能不足だとして叩かれる。
- 非常停止しても報道されないのでは?電車のオーバーランやATSによる非常停止は、事故があってから取り上げられるようになった。
- 日本一鉄道ファンに優しい鉄道会社にますますなっていき、その結果、鉄道むすめにも協力する。
- 現実に協力しちゃいましたが。
- 「西日本パス」に1人用ができていた。
- 「鉄道の日西日本一日乗り放題きっぷ」が廃止されることもなかった。
- 車両工場はもちろんのこと電車区などの車両基地も積極的に一般公開されている。
- 旧型客車(オハフ33など)が梅小路で雨ざらしのまま放置されたうえ、その後廃車解体されるということはなかった。
- 京都鉄道博物館にある展示車両の車内も一部を除き原則として公開されていた。
- 開館自体も現実よりも早かったかも。
- 嵯峨野線の梅小路新駅は博物館開館と同時に開業していた。
- 京都鉄道博物館の展示車両には私鉄の車両もあった。その結果、大手私鉄と地下鉄で保存に消極的な会社は今は全くなくなっていた。
- 史実の鉄道博物館やリニア・鉄道館の展示内容を見る限りそれはなさそう。
- むしろ関西私鉄・地下鉄も対抗して「スルッとKANSAI博物館」を設立していた。場所はくずはモールといった京阪関連商業施設辺り。
- 関西私鉄・地下鉄の保存車両はそちらに集約される。スルッとKANSAIにも鉄道文化遺産・産業遺産部ができる。
- むしろ神戸方面だったかも。阪急阪神が中心になった場合は特に。
- むしろ関西私鉄・地下鉄も対抗して「スルッとKANSAI博物館」を設立していた。場所はくずはモールといった京阪関連商業施設辺り。
- 史実の鉄道博物館やリニア・鉄道館の展示内容を見る限りそれはなさそう。
- 京都鉄道博物館の展示車両には私鉄の車両もあった。その結果、大手私鉄と地下鉄で保存に消極的な会社は今は全くなくなっていた。
- 嵯峨野線の梅小路新駅は博物館開館と同時に開業していた。
- 京都鉄道博物館の展示車両にクモハ42系とマイテ49もあった。
- 現実でもマイテ49は2022年から京都鉄道博物館に収蔵された。
- 他にもWIN350も展示されていたほか、場合によっては2019年東日本台風で被災し廃車になったW7系の先頭車も展示されていた。
- 207系の量産先行試作車(F1編成)の先頭車も引退後展示されていた。
- 京都鉄道博物館の入館料が2023年3月に1200→1500円に大幅値上げされることはなかった。
- その代わり2019年の消費税率アップに便乗して100円程度の値上げは行われていたかもしれない。
- 開館自体も現実よりも早かったかも。
- 大阪環状線における103系や201系引退の際もさよならヘッドマークを取り付けPRしていた。引退時期は現実と異なっていたかもしれないが。
- 撮り鉄に対し冷たい態度を取ることはなかった。
- 2019年3月のおおさか東線新大阪開通に当たっても記念乗車券の発売を行っていた。
- 通勤ラッシュの新快速が、地獄のような混雑になる。
- 現実でもある意味そうなってますが・・・
- 新快速にロングシート車両が投入されていた。
- そして女性専用車が(ry
- おおさか東線や大和路線の201系置き換えも221系ではなくロングシートの323系あたりとなっていた。
- もちろん、歴史が変わっている為、JR羽越線脱線事故もおきていなかった。
- そうなってたらアナウンサー一人は逝ってなかった。
- というかそれとこれは違う
- それの記事は単独で作れない程小さいし、歴史が変わっているページだから書ける事ですので・・・。
- だが羽越線事故は自然現象が原因。福知山の人為ミスとは違う。だから福知山と羽越は違う。
- 次の記事書いちゃいました。
- だが羽越線事故は自然現象が原因。福知山の人為ミスとは違う。だから福知山と羽越は違う。
- それの記事は単独で作れない程小さいし、歴史が変わっているページだから書ける事ですので・・・。
- というかそれとこれは違う
- そうなってたらアナウンサー一人は逝ってなかった。
- 北陸線特急が「雷鳥」から「サンダーバード」への置き換えが史実より早く完了している。
- 紀勢線特急の「くろしお」の「オーシャンアロー」への置き換えも進んでいる。
- おおさか東線経由奈良発神戸行きの直通快速が終日運行されていた。
- 日本スピンドル(事故直後に全社員で救助活動を行った機械メーカー)は有名企業にならなかった。
- 阪和線に321系が投入されていた。
- 大阪環状線にも321系が投入されていた。4ドア車を3ドア車で置き換えるという計画も出なかった。
- ホームドア導入に伴い、大和路快速や関空・紀州路快速には4扉の近郊形電車(近鉄L/Cカーみたいな車両)が導入される。
- それか昇降式を導入する。
- 323系は無かった。
- むしろ323系が4扉車で登場していた。パワーループやUSJラッピングも103・201系から引き継がれていた。
- ホームドア導入に伴い、大和路快速や関空・紀州路快速には4扉の近郊形電車(近鉄L/Cカーみたいな車両)が導入される。
- JR西日本における103系の引退は数年早まっていた。
- 大阪環状線からは2010年代前半に引退していた。引退にあたってはさよなら運転などのイベントも行われていた。
- 大阪環状線改造プロジェクトも並行して行われていた。
- 103系の戸袋窓リバイバルも行われている。
- 流石に無理があるような…
- 奈良線でも大改造プロジェクトが始まり複線化や新車導入も行われ、史実よりも早く103系は無くなっていた。
- 大和路快速並びにみやこ路快速も223系に置き換えられていた。
- 奈良にいた221系は広島に転出されていた。
- その代わり227系が誕生しなかった。
- 205系転入も無くなっていた。
- 大和路快速並びにみやこ路快速も223系に置き換えられていた。
- 103系の戸袋窓リバイバルも行われている。
- 大阪環状線改造プロジェクトも並行して行われていた。
- 103系の代替えは4ドア車だった。
- 221系が大和路線普通やおおさか東線に転用され、実態に合わない運用に就くことはなかった。
- 阪和線ともども323系が導入されていた。
- 嵯峨野線や奈良線に関しては221系の一部ロングシート化が行われていた。
- むしろこちらが岡山や下関に転出していた。
- 221系が大和路線普通やおおさか東線に転用され、実態に合わない運用に就くことはなかった。
- 201系もクハへの便所取り付け改造を施して岡山・下関に転出させられ、115系300番台車を置き換えていた。
- 201系はチョッパ部品が現在製造されていないので流石に史実通り引退かと。
- 大阪環状線からは2010年代前半に引退していた。引退にあたってはさよなら運転などのイベントも行われていた。
- 大阪環状線にも321系が投入されていた。4ドア車を3ドア車で置き換えるという計画も出なかった。
- 225系も史実より早く登場していた。
- 但し前面デザインは221系・223系を踏襲。
- 側窓も座席ごとに1枚という方式を踏襲し、貫通路のドアもステンレス剥き出しにはならなかった。
- 所属区所及び定員数の表記も車体側面の左下ではなく車体の妻面に表記され、全般検査表記の横に表記されていた。
- 車内照明が蛍光灯からLEDに変更された後も直接照明を採用せず、従来のカバー状のLED灯具を採用していた。
- あるいはLED照明が間接照明風に取り付けられていた。
- 0番台からフルカラーLEDを行先表示に採用していた。
- 225系以降からJR西日本の車両は全て水戸岡氏がデザイン。水戸岡さんはJR西日本のデザイン顧問になっている。他にも京阪のデザイン顧問も水戸岡さんになっている。その結果、JR本州3社と大手私鉄と地下鉄をはじめ大都市圏にもドーンデザインが普及している。
- 水戸岡氏は事故以前からJR九州と密接な関係にあったためそれは厳しい。
- むしろGKがJR西日本のデザインに関与していた。
- 水戸岡氏は事故以前からJR九州と密接な関係にあったためそれは厳しい。
- 225系以降からJR西日本の車両は全て水戸岡氏がデザイン。水戸岡さんはJR西日本のデザイン顧問になっている。他にも京阪のデザイン顧問も水戸岡さんになっている。その結果、JR本州3社と大手私鉄と地下鉄をはじめ大都市圏にもドーンデザインが普及している。
- クラッシャブルゾーンは採用しなかった。
- ななめ45°がもっと早く売れていた。
- この事故によって約2年半テレビで鉄道ネタが出来なくなってしまった。
- 500系・683系の後継車両が開発されている。
- 前者はJR東海のことを考慮して山陽・九州専用にされていた。
- 後者はモバイル充電用のコンセントが全席に完備されていた。
- JR東海はATS-PTを導入する構想を立てず、ATS-STの部品交換だけで済ませた。
- 関西私鉄各社は現実以上に経営が厳しくなっていた。
- 最悪の場合そこで脱線事故が…
- 同じ方向の路線の場合、阪急宝塚線?
- むしろ関西私鉄各社は史実より早く経営が回復していた。近鉄は今頃小田急並みの輸送量になっている。
- 同じ方向の路線の場合、阪急宝塚線?
- 最悪の場合そこで脱線事故が…
- 「末期色」も無かったかも。
- 三大迷列車はサンパチ、食パンと何になってたんだろう?
- 邪推だが、2011年3月のダイヤ改正で昼間時間帯の宝塚からのJR東西線直通列車が廃止されることはなかったかもしれない。
- 事故の当該列車が宝塚発同志社前行きだったため。
- 紀州路快速の日根野以南が各駅停車になることもなかった。
- 場合によっては箕島行きや御坊行きもあった。
- 学研都市線の快速が昼間時間帯に区間快速に格下げされることもなかった。
- 福知山線の「丹波路快速」も。
- 大阪市内の駅では最低10分間隔が保証されていた。
- アーバンネットワークは基本的に10分サイクルでダイヤが組まれていた。上記の如く新快速が京阪神間で10分間隔になっていたほか、おおさか東線も放出以南の部分開業時は毎時4本だったものの、新大阪までの全線開通時に10分間隔になり、放出駅で学研都市線と半数ずつ直通するようになっていた。
- 要するに放出駅が尼崎駅や阪急淡路駅のような扱いになり、松井山手~新大阪や久宝寺~西明石と言った運用も行われていた。おおさか東線の直通快速の運転本数も現実よりも多くなっている。
- 土休日には終日運転されていたかも。
- 2019年3月の新大阪開通後も尼崎発着が廃止されることはなく、新大阪発着と両立していた。
- その場合尼崎発着が207・321系、新大阪発着が221・223・225系となっていただろう。
- 尼崎発着と接続する形で学研都市線方面から新大阪に直通する列車も運行されていた。
- 2019年3月の新大阪開通後も尼崎発着が廃止されることはなく、新大阪発着と両立していた。
- 土休日には終日運転されていたかも。
- 要するに放出駅が尼崎駅や阪急淡路駅のような扱いになり、松井山手~新大阪や久宝寺~西明石と言った運用も行われていた。おおさか東線の直通快速の運転本数も現実よりも多くなっている。
- アーバンネットワークは基本的に10分サイクルでダイヤが組まれていた。上記の如く新快速が京阪神間で10分間隔になっていたほか、おおさか東線も放出以南の部分開業時は毎時4本だったものの、新大阪までの全線開通時に10分間隔になり、放出駅で学研都市線と半数ずつ直通するようになっていた。
- 287系は振り子式で登場していた。
- しかも非貫通だった。
- はまかぜはキハ187系での運行だった。
- キハ189系は今だ生まれていない。
- キハ189系はキハ187系を改良した振り子式車両となっていた。
- キハ189系は今だ生まれていない。
- 683系4000番台は無かった。
- 代わりに287系交直流版が登場していたか。
- 阪神・淡路大震災により製造が中止された大和路線用223系が実際に投入されていた。
- 大阪環状線には321系、広島地区には225系が実際に投入されていた。
- 岡山・広島地区での快速の大幅縮小もなかった。
- 大阪環状線には321系、広島地区には225系が実際に投入されていた。
- 川島は今でも著書でスピードアップ・余裕時分の極度な切り詰めなどを声高に主張している。
- 事故後でも一部路線のスピードアップは主張しているが(北海道新幹線の360km/h化とか)、もっと主張が大胆になっていた。
- 事故が起こる前にも、「新快速は遅れがちだから余裕時間を増やすべきである」と著書に書いたりしてたけど・・・。
- あの方のことだから「宝塚から内陸を経由して姫路に至るバイパス路線を作るべき」とかなんとか言ってそう。
- JR西日本所有の北陸新幹線用車両はJR東日本との共同開発ではなく、500系をベースに勾配対応・耐寒耐雪構造とした独自開発の車両となっていた。
- 山陽-九州直通用の車両もN700系ではなく、500系・800系のコンセプトを受け継いだ新規開発・独自設計の車両となっていた。JR西日本のN700系は東海道直通用の16両編成しか製造しなかった。
- JR西日本がJR東日本から103系を購入するということはなかった。
- 瀬戸内色の高運転台車は無かった。
- 223系を313系並みに大量生産していた。
- むしろ225系の導入が早まっていた。
- もしくは2006年度以降製造の223系は東京メトロ東西線05系13次車のように「次世代型近郊車両を目指した標準車両」とJR西日本は呼んでいた。
- これに伴い大阪市営地下鉄御堂筋線30000系の大阪メトロ発足後に製造された車両も次世代型車両を目指して作られていた。
- 関西地区の鉄道も関東のように通勤・近郊型電車の標準仕様ガイドラインを制定していた。前面は各社オリジナルの前面となるが側面はJR西日本の一般型電車の技術を適用した側面となっていた。
- さらに関西地区の鉄道車両の技術が海外に輸出される。207系・223系以降のJR西日本の車両のドアチャイム・モーター音が海外でも聞けるようになる。
- 関西地区の鉄道も関東のように通勤・近郊型電車の標準仕様ガイドラインを制定していた。前面は各社オリジナルの前面となるが側面はJR西日本の一般型電車の技術を適用した側面となっていた。
- これに伴い大阪市営地下鉄御堂筋線30000系の大阪メトロ発足後に製造された車両も次世代型車両を目指して作られていた。
- もしくは2006年度以降製造の223系は東京メトロ東西線05系13次車のように「次世代型近郊車両を目指した標準車両」とJR西日本は呼んでいた。
- むしろ225系の導入が早まっていた。
- なにわ筋線の計画が現実よりも早く動き出していた。
- 橋下府政/市政の間に着工していた。
- おおさか東線の全通も5年ほど早くなっていた。
- 翌日に起きた常磐線羽鳥駅列車衝突脱線事故が史実以上に取り上げられていた。
- 日本ナショナルトラストが大井川鉄道で動態保存していたC12 164は休車にされずに現在でもトラストトレインを牽引していた。
- 在来線特急の車内販売が廃止されることもなかった。さらに九州新幹線直通用車両にはビュフェラウンジも導入されていた。
- JR西日本もJR九州のようなアテンダントサービスに熱心になっていた。
- 2017年はJR西日本発足30周年ということで記念イベントが多数開催されていた。
- 記念入場券や記念ICOCAも発売されていた。
- JR西日本30周年乗り放題切符も2017年4月に発売され、平日も利用可能になっていた。
- 2020年に発売された「どこでもドアきっぷ」も史実よりずっと前から通年で発売されていた。
- 利用エリアにJR東海も加わっていたかも。
- 発売方法もe5489限定ではなく駅の窓口でも発売され、発売枚数も多かった。
- 受付当日にネット上で争奪戦が起こることもなかった。
- 発売方法もe5489限定ではなく駅の窓口でも発売され、発売枚数も多かった。
- それ以前に07年の発足20周年イベントももっと大規模になっていたはず。
- JR西日本も独自でハイブリッド気動車の開発を行っていた。
- 駅の案内表示(サインシステム)は2011年以降も青地にゴナ(和文)、ヘルベチカ(英数字)のまま続けていた。リニューアル後の大阪駅のサインシステムも1990年以来の青地のものを踏襲していた。
- JR東日本みたいなデザインになることもなかった。
- 2018年に「昼間特割きっぷ」が廃止されることもなかった。
- 2022年の回数券廃止もなかった。そのため区間によっては回数券を2枚使って運賃を浮かす人が今も結構いる。
- 323系はもっと先進的なデザイン・技術を採り入れた車両となり、鉄道友の会ブルーリボン・ローレル賞のいずれかを受賞していた。
- JR西日本の特例子会社の本社が尼崎ではなかった可能性あり。
- 尼崎が本社になった理由には本件事故も絡んでいるらしい。
- ホテルホップインアミングもJR西日本ホテル系列にならなかった。
- 尼崎が本社になった理由には本件事故も絡んでいるらしい。
- 06年以降もCMの雰囲気は事故前と変わっていない。
- 現実では事故以降のJR西日本のCMは落ち着いた雰囲気のものが多くなった。
- 西以外のJRもCMが地味になることもなかった。派手な鉄道のCMは私鉄一辺倒になることもなかった。
- 現実では事故以降のJR西日本のCMは落ち着いた雰囲気のものが多くなった。
- 事故現場のマンションがつぶされることもなく、列車の色は全列車青だ。
- 桜井・和歌山線の105系置き換え用に導入される予定の227系1000番台はオールロングシートではなく扉間転換クロスシートになっていた。
- 大雨や台風の時に列車を計画運休することはなかった。
- 「JRは止まってるのに並行私鉄は通常通り動いている」ということは起こらなかった。
- むしろ「JRは災害に強い」「台風の時でもギリギリまで動いてくれる」というイメージが浸透していた。
- 計画運休が私鉄に広がることも勿論なかった。
- 鉄道だけでなく、百貨店などの商業施設も台風が来るギリギリまで営業するようになっていた。
- 河田恵昭(関西大学教授)あたりに「何か不測の事態が起きれば想像を絶する数の犠牲者が出る」と非難されていた。
- 西日本豪雨や台風21号(2018年)での犠牲者数がさらに増えていた恐れも否定できない。
- それはむしろ羽越本線脱線事故による影響が大きいからじゃないのか?
- 重大事故仮装再現VTRは存在せず、登場する運転士に「股尾前科」というあだ名がつけられることはなかった。
- 駅ホームの時刻表が廃止されることはなかっただろう。
- JRグループ各社においてみどりの窓口の券売機への置き換えと縮小・廃止が進められることはなかった。
- =「もしJR西日本の井手イズムこと井手正敬氏の路線が南谷昌二郎氏以降の社長に引き継がれなかったら」。
- その場合南谷昌二郎氏が井手イズムを完全にやめた社長と高く評価された。JR東海でいう須田寛氏のようなポジションになっていた。
- やるとしても2020年のコロナ禍以降だろう。
- 同志社大学長による申入れがなかった為、片町線同志社前~木津間の7両対応化が数年遅れていたかも。
- ATS-P導入が遅れていたかされなかった為、521系0番台は一部を除き、殆どの編成が北陸本線敦賀以南と湖西線に入る運用が存在していた。
- 朝夕など、新快速が運行されていない時間を中心に、近江今津~敦賀~福井を直通する列車が史実より多く設定されていた。
- 減量ダイヤの知名度はものすごく知名度が低かった。
- コロナ禍でもどの鉄道会社は減便ダイヤ改正は一切していない。それどころか増発一辺倒だった。
- 逆にJRに利用客が奪われた私鉄各社が減便ダイヤ改正を積極的に行っていた。
- 阪急や南海の10連運転の廃止、京阪の10→15分サイクル化は現実よりも早く行われていた。
- 特急「くろしお」「こうのとり」などの全席指定席化はなかった。
- モバイルICOCAは現実よりも早く平成のうちに導入されていた。
- ポイントへの自動融雪機導入も現実より早く進んだため、2023年1月の大雪における大混乱もなかった。
- 北陸新幹線開業に伴う並行在来線の経営分離は現実より少なかったかもしれない。
- 富山~直江津は史実通りだろうが、富山以西は大阪・名古屋方面からの特急直通維持のためJRに残されたかもしれない。
- 2024年の金沢~敦賀延伸でも「サンダーバード」「しらさぎ」は少なくとも金沢までは残された。新大阪全通でようやく在来線特急は廃止され、敦賀以北の在来線が3セク転換される。
- 特急の全席指定席化もなかったかもしれない。
- 運転室後部の窓にある乗務員の名札は2010年代に入っても簡略化されず、乗務員の所属部署とフルネームが書かれていた。。
- 但し2010年代後半になると個人情報保護の観点から現実通り苗字だけになっていた。
- JRではないが、2005年の阪神タイガースのリーグ優勝が現実よりも盛り上がっていただろう。
- 事故後に阪神ナインが甲子園球場で黙祷することもなかった。
- うまく行けば33-4もなく、阪神が20年ぶりの日本一に輝いていたかも。
- 2023年現在、車両基地の一般公開も事前申込なしの自由入場になっていた。
- それでもコロナ禍で一旦中断しているだろう。
- 近鉄名阪特急は今も名阪間ノンストップの設定があったかもしれない。
- 2012年以降も中川短絡線での走りながらの乗務員交代が認められていた可能性があるので。
- 名阪ノンストップの「ひのとり」が見られたかもしれない。
- 三田市は2005年以降も着実に人口が増加し、令和に入ると15万人を超えていた。
- 丹波路快速は現在でも昼間の運転があり、東西線直通快速が塚口止まりになることもなく、むしろ半数が新三田まで延長されていた。
- 三田阪急の撤退もなかったかもしれない。
- 博多総合車両所で保存されている100系グランドひかりやWIN350が解体されることもなかっただろう。