もし東牟婁郡が三重県になっていたら

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<もしあの地域が別の県に属していたら/複数地方

いなべから潮岬まで一体何キロあるんだ?
  1. 京都から新宮や串本へ行く特急は、近道の津市経由になっている。
    • 山形新幹線みたいに、京都発着の特急と名古屋発着の特急が津駅まで一緒になって、津駅で京都発着と名古屋発着の分離と接続が行われているかも。
      • 或いは五新線が実現し、京都・大阪発着の特急はこちらを経由している可能性が高い。
  2. 天気予報での区割りは、紀伊長島(志摩半島の南の付け根)を境にして「伊勢伊賀」と「熊野」に分かれている。気象台所在地は、伊勢伊賀地域が津市で、熊野地域が新宮
    • 台風銀座の伊勢志摩と熊野三山が同じ行政区域に入るため、行政では台風対策が一体的・効率的に行われている。
  3. 百五銀行は、熊野本宮や那智勝浦にも支店を出している。
    • 東牟婁郡内に紀陽銀行は存在しない。
      • 紀陽銀行は進出しても新宮支店のみ。
    • 中京銀行も新宮に支店を出している。
  4. 伊勢神宮と熊野三山の合同事業が盛んに行われている。
    • 東牟婁郡は、紀伊半島の付け根(名古屋大阪)だけじゃなくて、観光でも行政でも奈良県との交流がもっと深くなっている。
      • 「名古屋・伊勢志摩・熊野」の観光ガイドは勿論、「奈良・伊勢志摩・熊野」の観光ガイドも販売されている。
        • 那智の滝や勝浦温泉、熊野三山の観光は伊勢志摩などと同じエリアに組み込まれ、白浜などとの関係は希薄になっていた。
      • 橿原から新宮までの国道168号沿線(吉野山地ルート)では、神武王伝説に基づいた観光事業や交流イベントが展開され、災害時協力協定も結ばれる。
        • 道路自体も改良されていた。
    • 名古屋駅や大阪駅の土産屋でも熊野土産(那智黒、八咫烏グッズなど)が販売されている。
      • 勿論、天王寺駅の土産屋でも販売されている。
  5. 全国大会に出る三重県内のアマサッカーチーム(四中工など)や町クラブチームは、八咫烏で有名な熊野本宮大社で必勝祈願を行っている。
    • 熊野本宮に町クラブのサッカーチーム「熊野ヤタガラスFC」が誕生し、三重県リーグでは早慶戦みたいに伊勢ペルソナFCvs熊野ヤタガラスFCの対戦カードが現実になっているかも。
    • 観光シーズンには鳥羽~紀伊勝浦間に直通列車が運行されていた。
  6. 東牟婁郡は、(1)県庁所在地まで200km、(2)奈良や京都へも大阪経由で300km以上、なんていう酷い仕打ちを強いられなかった。(新宮⇔津市は165km)
    • そもそも、台風銀座で太平洋岸の新宮と、台風が少ない瀬戸内海岸の和歌山を一緒の県にする事がメチャクチャだ。
  7. 本宮町は、西牟婁郡で大阪寄りの田辺市なんかに編入されずに済んだ。もし沿岸の自治体に編入されるとしても、同じ東牟婁郡の新宮市に編入されていた。
  8. 紀勢本線JR東海JR西日本の境界駅は串本駅周参見駅のどちらかになっていた。
    • 特急「南紀」は白浜発着となっていた。
    • 境界が串本になっていた場合、「くろしお」「オーシャンアロー」は串本止まりとなっていた。
  9. 四日市や津ではなく、松阪が県庁所在地になっていた。
    • 県名も「松阪県」か「飯南県」に。
  10. 熊野交通は南海グループではなく近鉄グループとなっていた。
  11. 北山村は飛び地ではなくなり、熊野市と合併していた。
    • そもそも飛び地になった原因が新宮とのつながりだから、結局は新宮市と飛び地合併をしていたのでは?
      • 少なくとも旧大和国でありながら三重に属すようになるのは確実。
  12. 2009年現在、和歌山県の人口が100万人を切っていた。
  13. 新宮市とその周辺では関西広域圏のテレビが映らず、東海広域圏となっていた。
    • 大阪で新宮や熊野三山のニュースを耳にすることはなくなっていた。
  14. オークワの本社が和歌山市ではなく津市になっていた。
    • 近畿地方ではなく東海地方に多く出店していた。
  15. 現実の南牟婁郡が中牟婁郡、東牟婁郡が南牟婁郡となるか、両郡の範囲で「南牟婁郡」になっている。
    • その場合和歌山県に属する現実の西牟婁郡は単に「牟婁郡」となっている。