京阪特急の車両
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- 京阪3000系電車 (初代) - 4代目
- 京阪8000系電車 - 5代目
- 元祖京阪特急。
- マンダリンオレンジとカーマインレッドのツートンカラーはこの電車が初めて。
- 600・700系と言った車体更新車を別にすれば京阪線では最後の釣り掛け駆動車両。
- それと同時に京阪線最後の半鋼製車で、車内は木製であった。
- 製造当初は白熱灯照明で、網棚下にもスポット照明が付いていた。次の1800系から蛍光灯照明になった。
- 運転室も当初は半室式だった。後に全室式に改造。
- それと同時に京阪線最後の半鋼製車で、車内は木製であった。
- 格下げ後はカルダン駆動の1800系と連結されていた。
- そのため、1編成でカルダンと釣り掛けの両方の走行音を楽しめた。
- 1800系(初代)廃車後は600系の中間車を1両だけ組み込んで7両編成になっていたものもあった。
- それどころか、600系5両+1700系2両という編成も見られた。600系との混成の場合600系の側面方向幕は使用停止となっていた(1700系には最後までなかったため)。
- 日本初の高速電車用空気ばね台車が取り付けられた。
- 汽車会社製KS-50。現在は京都鉄道博物館で保存されている。
- 当初は1800系にする予定だったが、既に計画されていた初の高性能車に1800系を充てることになり、本系列は1700系となった。

- 日本初のカルダン駆動車にして、2代目京阪特急専用車(初代は吊り掛け駆動の1700系)。
- そして京阪特急初のテレビカー連結車でもある。
- そのマイナーチェンジ版が旧1810系であるが、金属バネ台車の2両だけこの1800系に編入された。
- 1900系投入に伴って一般車に格下げ。
- この2両だけ車体長が1m長く、格下げ後に増設した中央扉も片開きドアだった(他の1800系は増設したドアのみ両開き)。
- 境遇は上記の旧700系781・799と似ている。
- その781・799→690・691は車体が比較的新しいにも関わらず新1800系には改造されなかった。
- 昇圧に伴って車体を旧600系と組み合わせて新1800系なる珍車が登場。
- 旧車体は保存も検討されたが、結局取り下げになって全車解体に。
- 新1800系の方は廃車後は1両だけカットボディが寝屋川車庫の電話ボックスに。
- 所詮は昇圧時の員数合わせ的な車両だった為に短期間で引退・廃車された。
- 京阪というよりは、山陽か神鉄にいそう。
- こうなったのは旧1800系が17m車体だったため。名目上は600系の昇圧改造で、旧1800系は廃車になった。
- 機器類は叡山電鉄デオ730形に一部流用されている。
- 旧1800系は車内の壁面がピンク色に塗られていた。
- 営団丸ノ内線の旧型車両みたいな感じだった。
- 晩年は1700系と併結されていたが、カルダン駆動と吊り掛け駆動が1編成の中で混在していた。
- なんかヘッドライトが小田急っぽいなぁ…。
- それどころか新1800系の前身となった旧600系のヘッドライトは小田急のものと全く同じだった。
- 大津線の260形(一部)・300・350形も。
- 尾灯の方は、6000系と同一のものを使用しているため、他の卵形電車とは印象が異なる。
- 同時期に製造された2600系30番台とも似ている。
- 小田急と言えば立場的に同社の旧4000形とも似ている(こちらも元は吊り掛け式車両で、廃車となった2400形の機器を流用してカルダン化された)。
- それどころか新1800系の前身となった旧600系のヘッドライトは小田急のものと全く同じだった。
- 新1800系って何処かあの東武2080系に通じる所あると思うけど、こっちは最初から6000系増備までの繋ぎだった為、あっちほど迷車扱いはされていない。
- 新1800系は非冷房だったが、扇風機の代わりに2600系2621・2622Fと同じローリーファンが取り付けられていた。
- 先頭車は全車600系の630型(旧1650型)の車体が流用されたが、最大の特徴だった戸袋窓が全て埋められ、前面も2600系30番台と同じような感じに整形されるなどかなり印象が変わった。
- 今は阪急や近鉄で同じものが見られる。
- 嵐電にもある。
- 新1800系は車体の経年的には1900系とそれほど変わらなかったものの、少数派系列だったのとコイルばね台車だったことが災いして冷房改造されず6000系に置き換えられた。
- 630形以外の旧600系車体の強度が弱く、冷房改造ができなかったということもある。
- 新1800系だが書類上は旧1800系は廃車で600系を改造したことになっていた。
- 京阪の車両は基本的に東洋電機製の機器を使っているが、本系列は試作ということもあったのか、比較のため三菱製のモーターも使用された。
- 1900系も同様。
- 京阪電車に本格採用されることはなかったが、奈良電鉄で本格採用された。その名残で、近鉄京都線向けの車両のモーターは三菱製。
- 奈良電には京阪以外にも近鉄資本も入っていたということもあるだろう(近鉄は三菱をメインに採用している)。
- 近鉄680系と足回りがほぼ一緒なのを活かして、近鉄乗り入れに用いられたこともある。
- 先々代の特急車両。
- 特急時代の乗り心地は旧3000系よりも良かったらしい。
- 京阪特急としては3代目の車両。
- 旧3000系投入で早々と特急運用から撤退した事が皮肉にも後年明暗を分ける事に。
- その点では、新快速運用を早々に追い出された、221系や311系と似た運命である。
- 対岸の阪急2800系も同じ運命をたどった。廃車は向こうの方が早かったが。
- 京阪特急としては3代目の車両。
- 特急時代のシートモケットはリニューアル前の旧3000系と同じく茶色に白と黒の縞模様だった。
- 特急時代の乗り心地は旧3000系よりも良かったらしい。
- 大きく分けて1810系の編入車と最初から1900系として製造された車両に分かれる。
- 両者は外観が異なっていたので見分けがついた。
- 旧1810系の車両は冷房改造時に大半が中間車化されたが、1両だけ先頭車で残った(1914号車)。
- この車両は冷房改造時に前面が他の1900系に合わせられたものの、ライトが角型であるなど他車と微妙に異なっていてすぐにわかった。
- 加えて元々増結用のTc車だったため、連結面側も丸味を帯びた形状だった。
- 前面窓も1810系の面影を残してやや大きかった。
- 改造前にはなかったバンパーも新たに取り付けられた。
- この車両は冷房改造時に前面が他の1900系に合わせられたものの、ライトが角型であるなど他車と微妙に異なっていてすぐにわかった。
- 旧1810系も最終的に1900系として新造されたグループと同じ車内になったが、荷物棚が古めかしかった。
- 一般車への格下げ、昇圧改造、冷房改造と3度の大改造を経験し、最終的には2008年まで50年以上走り続けた。
- その割に保存車両は1両もない…。
- 登場当初の面影からかなりかけ離れてしまった事や、車両保存に消極的な京阪ですから・・・。
- ほぼ同時期にデビューした対岸の会社の先々代特急電車の不遇さを考えたらまだマシかも。
- 足回りの一部は叡山電鉄デオ720形のカルダン駆動化の際に流用されている。
- コンプレッサーやパンタグラフは10000系に流用された。
- 訂正。本系列のパンタグラフは菱形だったため10000系には流用されず。流用されたのは2600系の下枠交差式パンタグラフ。
- 登場当初の面影からかなりかけ離れてしまった事や、車両保存に消極的な京阪ですから・・・。
- 色々工事した結果やたら金かかったので、後輩の旧3000系は格下げなどされず殆どそのまま廃車されてしまった。何たる運命の皮肉。
- 旧3000系廃車時には1900系は冷房改造して間もない状態だったので、旧3000系を格下げするより1900系をそのまま使い続ける方が得だと判断されたのかも。
- 冷房改造と同時に制御装置の1C8M化や前面方向幕取り付けなど2200系の改修工事と同じ内容の改造が行われたが、発電ブレーキは撤去された。普通用と割り切ったのか。
- 格下げ後は発電ブレーキはあまり使われていなかったらしい。
- 方向幕取り付けで改修後の2200系と同じような顔になったが、特徴だったバンパーは残された。標識灯と尾灯はバンパーを切り欠いて設置された。
- 1C8M化の過程で1両だけ電動車が不足したが、1800系の発生品を流用して改造された。
- なおこれは元は1900系の電装品で、1800系のM車が不足した時に1900系をT化した上で1800系に転用したものである。従って元に戻ったことになる。ついでに言うと電装化された車両は元を正せばM車だった。
- 8M1C化に当たっては1900系新造車の制御装置に統一された。
- その割に保存車両は1両もない…。
- 車体や台車のバリエーションは2600系に負けず豊富。
- 1925・1926・1991・1992は元両運転台車だったため、窓配置の関係で中央扉が両開きになっていた(他は全て片開き扉)。
- 冷房改造後は最終的には5両編成に統一されたものの、改造の過程で4両や7両編成も登場した。
- 特に7両編成は昼間の準急運用に入ることもあった。しかもその編成の大阪方先頭車は旧1810系の1914号車だった。
- 4両編成が存在したのは短期間。4両編成の先頭車だった1930号車はパンタグラフがなく異彩を放っていたが5両編成化されてからもそのままだった。
- 他車と異なり、冷房改造後もパンタグラフは交換されず菱形のままだった。京阪ではほかに2400系1次車も同様だったが後年下枠交差式に交換されている。
- 冷房改造後の運用期間が短いことを想定し、改造工事をできるだけ簡素にした結果。その割に長く活躍した。
- 改造後10年持ったらいいだろう、という考えだったが、実際には20年以上活躍した。
- 冷房吹出口は京阪名物の回転グリルで、天井見つけは1000系のそれと似ていた。ただそれ以外にダクトがあったらしく、ラインデリアからも冷風が吹き出すように工夫されていたらしい。
- パンタグラフを母線で繋ぐなどしたため、集電には問題がなかったらしい。とは言え他の編成のパンタグラフを減らすことは面倒くさいのかしなかった。
- 7両と4両の京都方先頭車(1913及び1929号車)は冷房改造でも制御装置は交換されなかったが、5両化と同時に他と同じものに交換された。
- 他車と異なり、冷房改造後もパンタグラフは交換されず菱形のままだった。京阪ではほかに2400系1次車も同様だったが後年下枠交差式に交換されている。
- 中之島線が開業する前日に定期運用を終了したが、実は試運転で中之島線に入線したことがあるらしい。
- さよなら運転は中之島線開通後だったが、淀屋橋始発だった。
- 線内にある40‰の急勾配を登れなかったらしい。
- 一時期2600系のTc車を中間に組み込んでいたことがある。
- 特急格下げ車と一般車を混結させるのは京阪のオハコのようで、令和の時代に似たようなことを繰り返した。
- 京阪って異形式混結好きだな。客レじゃないんだからさ。
- T車は1950形だったが、1951号車からではなく1950号車から始まっていた。
- トップナンバーの1950号車は元はTc車で、後に中間車化された。そのため通常の中間車とは窓配置が異なり両側の車端部が丸味を帯びていた。
- 本系列の全廃でWN車が京阪から全滅した。
- 実は、座席指定運用に入っていたことがある。
- 実は側窓のカーテンは京阪伝統のフリーストップのものではなかった。
- 1995年の阪神大震災で阪神の車両に大きな被害が出たことからこれを阪神に貸し出す計画があったらしい。もちろん実現しなかったが。
- 他に京急1000形(旧)を譲渡する計画もあった。
- 2015年時点では1923のカットボディが現存していることが確認されている。個人保存なので今日まで詳細な場所は判明されていない
- 実は京阪の車両としては珍しく波打車輪ではなく平板車輪を採用していた。
- そのため、ジョイント音が阪神の車両と同じだった。