後三国

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  1. 前半は舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦が統治。
  2. 中盤は郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎が治めた。
  3. 後半は松田聖子、中森明菜、小泉今日子が治めた。
  4. 御三家、これが正解。
  5. 本当は、弱体化した新羅から「後高句麗」「後百済」が独立していがみあっていた44年間。
    • もっとも、本来の高句麗の土地には渤海国が頑張っていたので、もともとの三国時代に較べるとずっと狭小な範囲でもめていたことになる。
    • 渤海はモンゴル(契丹)に併合されてしまったが、モンゴルが高句麗の大部分を引き継いだ形になった。残された狭い部分を三国が争った。
    • 長安国の独立(すぐに滅亡)に端を発した群雄割拠、新羅王族の弓裔が建国した「後高句麗→摩震→泰封」、後百済、新羅で争ったが、いずれの国による統一はなく、摩震を引き継いだ王建の「高麗」が統一している。これは中国三国時代(魏呉蜀→晋)、南北朝末期・四国時代(斎周陳梁→隋)と共通している。
    • 三国のうち、唯一統一国家をなさなかったのが百済。もっとも、前百済は別名・扶余を名乗っていたから、扶余を数えれば統一国家といえなくもない。新羅は国の衰退だが、摩震と後百済はお家騒動が原因(弓裔は息子を殺害、キョンフォンはクーデターを起こした長男に末息を殺され、王位を追われている)。
  6. 三国志は生まれず。
朝鮮半島史
古朝鮮 - 楽浪郡・三韓 - 三国 - 統一新羅 - 後三国 - 高麗 - 李氏朝鮮 - 大韓帝国 - 日帝 - 現代 年表