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もしあの選手があのJクラブに移籍していたら

家長昭博

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大宮→○○

2014年に日本復帰した家長は大宮アルディージャの中心選手として活躍しますがチームはJ2降格し、シーズン終了後に古巣ガンバ大阪やヴィッセル神戸からオファーが来るも大宮との契約を延長しました。もしこの時点で大宮から移籍していたら?

  • 大宮のその後
  1. 2015年のJ2優勝はなかった。J1復帰はできたかもしれないが。
  2. 最悪の場合その後J2暮らしが続いた可能性も。
  • G大阪なら
  1. 赤嶺真吾、小椋祥平、長沢駿のうち少なくとも1人は獲得しなかった。
  2. 堂安律のプロデビューが遅れていた。
  3. 2015年のJ1リーグや2016年のルヴァン杯で優勝できたかも。
  • 神戸なら
  1. 2015年のJ1残留争いはもっと早く抜け出せていた。
    • カップ戦でもうまく行けば決勝まで進めたかも。
  2. 2017年に川崎Fへ移籍したかは微妙なところ。
    • 移籍した場合は史実とほぼ同じ。
    • 2018年以降も神戸に在籍していたらポドルスキ、イニエスタ、ビジャとの連携で上位に躍進していた。
川崎F→G大阪

2017年に大宮から川崎フロンターレに移籍した家長はチーム初タイトルとなるJ1リーグ優勝に貢献、同年オフにG大阪から再び獲得オファーを受けていましたが残留を決断しました。

  1. 2018年の川崎Fは連覇したとしても優勝決定は遅くなり、MVPには別の選手が選ばれていた。
  2. ガンバの前半戦低迷→監督交代で成績上昇の流れはあまり変わらない。
    • 間違っても柿谷曜一朗にオファーを出すことはなかった。
  3. 2020年のガンバは2位だとしても現実より勝ち点差を縮めることができていた。
    • 少なくとも等々力の直接対決で川崎Fにリーグ優勝を決められることはなかった。
    • 場合によっては天皇杯を制しており、中村憲剛が有終の美を飾れなかった。

柏木陽介(広島→○○)

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2007年シーズン終了後、サンフレッチェ広島のJ2降格が決定したことから複数クラブからオファーが来ましたが残留を選択しました。もしこの時点で移籍していたら?

広島のその後
  1. 高萩洋次郎が数年早く背番号10を着けていた。
浦和なら
  1. 梅崎司の獲得はなかったか?
  2. 少なくとも背番号は8になっていない。
  3. 広島から浦和に移籍する選手が早い段階で続出した。
柏なら
  1. 2009年のJ2降格はなかった。
    • その代わり浦和が2011年に降格していた。
  2. 「柏の太陽」の愛称が付き「名は体を表す」の典型例として扱われる。

久保竜彦(広島→○○)

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2002年末サンフレッチェ広島のJ2降格により移籍を決意した久保にはFC東京、東京ヴェルディ1969、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、名古屋グランパスエイト、大分トリニータからオファーがあり、結果横浜FMへの移籍が決まりました。もし移籍先が異なっていたら?

横浜FMのその後
  1. 2003年の完全優勝や翌年の連覇はなかった。
  2. 岡田監督の辞任が早まった。
FC東京なら
  1. 2003年の2ndステージで最終節まで優勝争いに絡んだ。
  2. 2004年も在籍していたらナビスコ杯決勝はもっと楽に勝てた。
    • MVPになった可能性もある。
東京Vなら
  1. エムボマを獲得しなかったかもしれない。
磐田なら

完全移籍前提で交渉していたのは横浜FMとここだけだった。

  1. 背番号は前年の高原直泰を引き継ぎ「32」になる。
    • 史実と違って背番号「9」を付ける事は無く、藤田俊哉の移籍後、2006年から磐田でも背番号「10」を付けていた
  2. 2年連続完全優勝を達成していた。
  3. 2004年も1stステージと天皇杯を制覇。
  4. チェ・ヨンスが京都から移籍してくることもなかった。
名古屋なら
  1. ウェズレイとの強力2トップが組まれる。
    • マルケスは入団しなかった。
  2. 中日ドラゴンズ主催試合で始球式に登場するのは確実。
大分なら
  1. ロドリゴを獲っておらず例の事件はもちろん起きない。
  2. 2003年はもう少し早く残留を決めていた。
    • 小林伸二は監督を辞任しなかったかも。

楢崎正剛(横浜F→磐田)

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楢崎はフリューゲルスとマリノス合併時にジュビロ磐田への移籍が濃厚とされていましたが、名古屋グランパスエイトの熱意に負けて名古屋への移籍を決めました。仮に楢崎がジュビロに移籍していたら

  1. 川口はジュビロに加入しなかった
    • 代わりに浦和が獲得、またはマリノスに復帰していた
    • レッズに加入なら初優勝はもっと早くなっていたが、都築か山岸のどっちかが移籍していた。
  2. 楢崎がいたのでジュビロは現実以上の黄金時代を築く
    • その後の成績低下も抑えられた。少なくとも入れ替え戦に回されるところまでは落ち込んでいない。
    • リーグMVP受賞が早まったかも。
  3. 名古屋は中位どころか毎年、降格の危機に瀕している。
    • 名古屋の資金力を考えたら、さすがにそこまでひどい状況にはならないと思う。
    • 川島永嗣は史実よりも早く移籍し、レギュラーを張っていた。

三浦淳宏(神戸→大分)

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2005年の降格時に移籍が噂されたが残留を表明した。

  1. 地元出身の代表選手として大いに歓迎される。
  2. ドイツW杯メンバーにも選ばれていた。
  3. 宮沢正史か鈴木慎吾のいずれかは獲得していない。
  4. 神戸が1年でJ1復帰できたか怪しい。
  5. 引退後に神戸のスポーツディレクターや監督に就任することもなかった。

アリョーシャ・アサノビッチ(→磐田)

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1999年途中、セリエAのACヴェネツィアに移籍した名波浩の穴埋めとして獲得に乗り出すも、桑原隆監督の意向で実現せず。

  1. 同年第2ステージで12位に沈むことはなかった。
    • 清水とのCSもPK戦にもつれることなく勝っていた。
    • 桑原は翌2000年も監督を務めた。
  2. 名波の海外在籍期間が長くなる。
  3. 浅野哲也やストイコビッチと絡めてネタにされる。
    • ひょっとしたら2001年頃名古屋に移籍したかもしれない。

アラウージョ(→○○)

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アラウージョは05年に33得点、アシスト数もトップでガンバ大阪を初のリーグ優勝へと導き、Jリーグの歴史に最も名を残した外国人選手といわれています。

実は彼は07年にも鹿島アントラーズ・清水エスパルス・ジュビロ磐田がオファーを出していました。実史では8月にカタールのアル・ガラファへ移籍したのですが、Jリーグのチームに移籍していた場合どうなっていたでしょうか?

鹿島なら
  1. アラウージョがいたらJ史上最多となる10連勝(実史では9連勝)を突破していた可能性も
  2. 当然ながら天皇杯も圧倒的強さで獲得していた
  3. 来期以降も契約を結んでいたら08年のゼロックスは鹿島が獲得していただろう
清水なら
  1. 07年の天皇杯は清水が獲得していた
磐田なら
  1. 少なくとも07年のジュビロの成績がマシになりアジウソンは1年足らずで辞任する事は無かっただろう

カフー(→横浜FM)

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ブラジル代表のカフーは03年夏にマリノスに移籍と報道され話題になりましたが、実史ではACミランに移籍しました。ではもしカフーがACミランでは無くマリノスに移籍していたら

  1. おそらく03年のセカンドステージは団子レースにならずマリノスが圧倒的強さで優勝していた
  2. カフーが翌年も契約を結んでいたら04年のセカンドステージでも優勝してたかも
  3. 更には05年まで契約を結んでいたらACLで優勝していた
  4. ユ・サンチョルはマリノスに復帰していない
    • 中西永輔もマリノスに移籍しなかったか別の背番号でプレーした。

キ・ソンヨン(→横浜FM)

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2011年のアジアカップ準決勝での猿真似騒動が有名なキ・ソンヨンですが、実は2009年の夏に横浜F・マリノスがキ・ソンヨンの獲得に動いていました。当時所属していたFCソウル側の激しい引き止めによりマリノスへの移籍は実現しませんでしたが、もし実現していたら…?

  1. 2010年代前半のマリノスの成績は良くなっていた?
    • 2013年に優勝していたかも。
  2. 但しアジアカップ準決勝での猿真似騒動が史実通りだった場合、マリノスを解雇されていた。
    • その後ヨーロッパに移籍して史実通り、という可能性も。

ジーコ(→○○)

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トヨタ自動車

ブラジルのCRフラメンゴに在籍していた1988・1989年ごろ、当時JSL2部だったトヨタ自動車工業(後の名古屋グランパス)から声をかけられていました。しかしチームが1部昇格を逃し選手としての投資を躊躇したこともあり、移籍の話はなくなってしまいました。もしここでトヨタが獲得していたら…。

  1. 住友金属→鹿島のその後は下記古河電工のケースと同じ。
    • 少なくとも1993年の開幕戦で名古屋が0-5の大敗を喫することはなかった。
  2. グランパスはブラジル路線をを掲げていた。
    • ゲーリー・リネカーやドラガン・ストイコビッチは入団しなかった。
    • アーセン・ベンゲルが監督就任しなかったため、1995年の成績は史実より悪かった。
      • 同じブラジル人と言えど、ベンゲルの希望でフラミンゴのライバルであるCRヴァスコ・ダ・ガマから獲得したアレクシャンドレ・トーレスも加入したか怪しい。
      • ただしジョアン・カルロス(史実では96〜98年に鹿島、99〜2001年に名古屋を指揮)の就任が早まった場合、96・97年シーズンに3大タイトルのいずれかを獲得していた。
古河電工

ジーコは1991年に住友金属(鹿島アントラーズ)に加入しましたが、ジーコを日本に紹介したのは古河電工であり、当初古河に加入する予定でしたが、折り合いが合わず住金に加入しました。もし、古河に入っていたら・・・

  1. オリジナル10に鹿島アントラーズはなかった。
    • 代わりは柏か磐田かな?
      • レイソルは水戸か日立を本拠地にした可能性がある。
  2. トニーニョ・セレーゾはジェフの監督に就任していた。
  3. ホンダの宮本監督以下本田泰人らも別のクラブに移籍していた。
    • 秋田豊もたぶん大学卒業後に地元の名古屋に加入していた。
    • 宮本征勝は現役時代に古河の選手だったので、ジェフで監督か何らかのポストを得ていた。
  4. 鹿島はおそらく2部制移行とともにJ2に参加していた。
    • この場合、チーム名は「鹿嶋アントラーズ」に。
  5. 鹿嶋市にジーコの銅像はなかった。
  6. カシマサッカースタジアムがワールドカップ仕様にならず、代わりに千葉で開催されていた。
    • 豊田の可能性も。
  7. ジェフはブラジル路線を掲げていた。
    • リトバルスキーもオシムも来日しなかった。
      • リトバルスキーは浦和の選手として、オシムは名古屋の監督として来日していたかもしれない。
    • 宮澤ミシェルは平塚で現役を終える。
  8. アルシンドやレオナルドもジェフに移籍していた。
  9. ジェフは20世紀のうちにタイトルを獲得していた。

ドラガン・ストイコビッチ(名古屋→G大阪)

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96年シーズン途中に恩師のベンゲル監督が英・アーセナル監督就任に伴い退団したことも手伝い、同年のオフにストイコビッチはG大阪からのオファーに一時は心を動かしたようです。仮にストイコビッチがこの時点で移籍していたらどうなっていたでしょうか。

  1. 名古屋は迷走に足を突っ込み、再び「お荷物チーム」に逆戻り。実史よりも早い段階でJ2降格していたのは確実。
  2. G大阪ではエムボマとの名コンビを見せ、当時の本拠地・万博競技場の観客を大いに魅了。
  3. それまでG大阪に足りなかったピッチ内外の支柱となり、実史より早く上位進出→優勝争いするクラブに。
  4. 吹田スタジアムにピクシーゲートができていた。
  5. 西野朗の後任として2012年からG大阪の監督に就任した。

フランサ(柏→○○)

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柏レイソル所属の選手であるフランサは05年に降格回避のための救世主として移籍してきたのですが。結局チームも降格その後フランサは国内外十数件のオファーを受けましたが「チームのために力になれず悔しい」として残留します。仮にフランサがこの時点で移籍していたらどうなっていたのでしょうか

  1. 少なくともJ2時代の柏は苦しい戦いを強いられただろう
    • 仮に1年で復帰出来なかったとしたら・・・
  2. 国内移籍の場合、玉田や明神のようにバッシングを受けていた。
    • 事実、当時の玉田はジーコが「J2から代表を選出しない」と言う方針があったため、止む無く移籍を決断せざるを得なかったと言う。お陰でドイツW杯には選出されたわけだが。
    • 「ゴミクズ7」ならぬ「ゴミクズ8」の一員となっていた。
  3. 更にもしレイソル側のフランサ解雇という形で移籍していた場合、翌年にJ1復帰を逃していたらレイソルのフロントは大バッシングを受けていた。

ローター・マテウス(→G大阪)

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ドイツ代表のローター・マテウスは、1992年にガンバ大阪への入団の噂が報じられたことがあります。これはマテウスが松下電器の関連会社のCMに出演していた縁によるもので、マテウスのマネージャーも「1994年にはガンバ大阪のキャプテンになっているだろう」と発言しましたが、実現することはありませんでした。もし、マテウスがガンバに移籍していたら…?

  1. 史実より、Jリーグ初期のガンバの成績は良くなっている。
    • 関西勢のJリーグ初タイトルはパープルサンガでは無くてガンバが獲得していた。
  2. その後のガンバの外国人選手はヨーロッパ系の選手が中心になっていた。
    • エムボマやマグロンやアラウージョはガンバに移籍しなかったかも?

ディエゴ・マラドーナ(→○○)

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最早説明不要のスーパープレイヤー、ディエゴ・マラドーナ。実は日本でプレイしていた可能性が2回ありました。

PJMフューチャーズの場合

1990年9月、当時静岡県2部リーグに所属していたPJMフューチャーズが協会にプロリーグ入りを要請しに行ったところ、「ディエゴ・マラドーナを連れてきたら考えなくもない」と言われ、PJMの桑原監督はイタリアまで行き本人と直談判まで持ち込みました。 イタリア生活に疲れていたマラドーナ本人から「日本でプレーする」という言質まで取りましたが、土壇場でマラドーナの麻薬スキャンダルが発覚し、マラドーナのJリーグ入りは水泡に帰しました。ではもし、マラドーナがPJMに移籍していたら…?

  1. マラドーナが、鹿島アントラーズにおけるジーコのポジションになっていたかも。
  2. PJMフューチャーズが鳥栖に移転していたかは微妙なところ。
    • 鳥栖に移転しなかった場合サガン鳥栖の誕生は無かったか、佐賀市を本拠地にしていた。
  3. 弟のウーゴ・マラドーナとの共演も勿論見れるだろう。
名古屋の場合

1991年に、Jリーグの発足に向けて補強を進めていた名古屋グランパスエイトへ、年俸や契約金を合わせて総額15億円という契約で加入がほぼ内定していました。交渉は順調に運び、最後に名古屋の親会社であるトヨタ自動車の決定を待って入団…の筈でしたが、コカインの使用疑惑によって名古屋への入団は立ち消えとなってしまいました。もし、コカインの使用疑惑が無く、名古屋に入団していたら…。

  1. ゲーリー・リネカーは入団していない。
    • これはグランパスが、悪いイメージのあるマラドーナではなく、スキャンダルのないクリーンなイメージのリネカーを獲得した…という経緯があるため。
  2. 逆にベンゲルやピクシーは日本でプレイしていなかったかも?

リバウド(→V川崎)

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ブラジル代表のリバウドはパルメイラスに在籍していた1996年にヴェルディ川崎からオファーを受けていましたが、結局スペイン1部のクラブに移籍しました。もしヴェルディが獲得していたら…

  1. 1997年は少なくとも一方のステージで一桁順位になれた。
    • 同年のゼロックス杯で勝った可能性もあり。
    • レオン監督の退任が遅れていた。
  2. 石塚啓次は背番号10を付けなかった。
  3. ジアスやエドウィンはヴェルディに加入しない。
  4. アトランタ五輪で対戦した前園真聖とチームメイトになり「マイアミの奇跡」以来の再会と話題を呼ぶ。
    • 前園がヴェルディ移籍後も現実以上に活躍できていた。