もし信越本線が○○を通っていたら
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碓氷峠以外のルートを経由していたら[編集 | ソースを編集]
- 軽井沢は鉄道のルートから外れ、モータリゼーションの進展まで観光地化が抑えられていた。
- 町名が「沓掛(くつかけ)町」になっていた可能性もある。
- 「峠の釜めし」は存在しなかった。
- 場合によっては上越線の方が先に開通していた。
- その場合、大宮~宮内が「武越本線」になっていた。
- 大宮~新潟では?
- その場合、大宮~宮内が「武越本線」になっていた。
- 髪に見放された男性が横軽を通る度に憂鬱になることはなかった。
- 長野発着の特急「あずさ」が北陸新幹線開通まで存在した。
- 西武鉄道が西武秩父から軽井沢まで延長されていた。
- 東京~軽井沢間の観光輸送は西武が独占。
- 草軽電鉄が東急グループじゃなくて西武グループに。
- 軽井沢から草津温泉まで延長される。
- 新幹線開業後も、一部区間が廃止されるということはなかった。(現実では軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道として存続するも横川~軽井沢間は廃止)
- そもそも北陸新幹線は越後湯沢〜上越経由になっていた。
- Gマーク(「●」)はなかった。
- 急行「白山」に475系が投入された可能性がある。
- 碓氷峠以外の場所に鉄道文化むらができていた。
富岡~下仁田~中込だったら[編集 | ソースを編集]
- 安中から富岡・下仁田を経て、内山峠を越えて中込(佐久市)へ向かうルート。
- 安中ではなく高崎から直接富岡に向かった場合、上信電鉄は国有化されていた。
- むしろ上信電鉄そのものが建設されなかった(現実の信越線の開通はM18年で、M30年開業の上信電鉄より古い)。
- 逆に高崎~安中~松井田間に私鉄線が建設され、そちらが「上信電鉄」を名乗っていたかも。
- 北陸(長野)新幹線も富岡を通るが、勾配緩和の都合で妙義山麓の山ん中に「富岡妙義」駅を造るハメになり、現実の安中榛名駅と同様に殆ど秘境駅化。
- 但し、2014年6月に行われるユネスコの世界遺産委員会で富岡製糸場が正式登録された場合、最寄駅として活況を呈するかも。当然、駅から富岡製糸場までのアクセスも改善される。
- その場合、急カーブになる高崎ルートではなく、八高線との交点付近(本庄市あたり)から藤岡を回って富岡に出るルートになる。
- 本庄早稲田駅は分岐駅として史実よりも賑わっていた。
- 史実の本庄早稲田駅に当たる駅が八高線の交点あたりにあった(多分「本庄藤岡駅」)。
- 安中市は平成の大合併で高崎市に編入されていた。
渋川~大前~上田だったら[編集 | ソースを編集]
- 現実の吾妻線を上田まで延伸するルート。
- 草軽電鉄は、現実と逆に草津温泉側から軽井沢に向かって建設された。
- 「万座・鹿沢口」という駅名は存在しない(より鹿沢温泉に近い田代地区に駅ができるため)。
- 渋川市がもっと発展していた。
- 上越新幹線も渋川を通り、駅もできていた。
- 上田交通真田傍陽線は開業しないが、現在でも真田線とほぼ同じ区間を鉄道が走っている。
- 特急「草津」は菅平高原の最寄り駅まで運行されていた。
- 大前駅は秘境駅にならなかった。
- 安中は鉄道空白地帯になり市制施行できなかった。
- 史実の北軽井沢(嬬恋村)側が開発されていた。逆に浅間山を越えて長野側が「南嬬恋」とかになっていたかも。
- 小海線が小淵沢~上田になっていた。
上信越自動車道のルートだったら[編集 | ソースを編集]
- 飯山線の分岐は豊野駅ではなく豊田駅(現実の豊田飯山インターチェンジ)。
- 長野電鉄は屋代-篠ノ井-長野-豊野-小布施(信越線との乗換駅)-中野-湯田中
- 長野市が県庁所在地だったら長野を避けて建設するはずがないので、沿線の松代or中野が県庁所在地になっていて、県庁を経由するためにこのルートで建設された。
- 屋代駅が篠ノ井線との分岐点。
- 篠ノ井線は屋代線。
飯山経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 越後川口ー宮内間は信越線の路線になっていた。
- 宮内ー直江津間は北越線。
- 直江津ー豊野間は妙高線。
- 計画時の仮称と同じ「豊野線」かも。
- むしろ宮内以西が北陸本線になっていた。この場合北陸本線にJR東日本管轄区間が存在することになっていた。
- 糸魚川までJR東日本だった可能性も。
- 直江津ー豊野間は妙高線。
- 十日町に停まるはくたかは史実より多かった。
- 長野〜新潟の所要時間が短縮される。
- 名古屋〜新潟を結ぶ急行列車もここを通るが、愛称は「赤倉」にならない。
- その後特急に格上げされ「しなの」の一角を担った可能性も。
- 特急「みのり」が今も運行されており、「しらゆき」の登場は史実通りか?
- 名古屋〜新潟を結ぶ急行列車もここを通るが、愛称は「赤倉」にならない。
- 北しなの線は長野〜飯山の路線になっていた。
- 全区間の電化は勿論、最低でも飯山までは複線になっている。
柏崎以東が出雲崎経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 現実の越後線に近いルート。
- もちろん複線電化。
- 直吊り架線を採用する区間はなく、最高85km/hの速度制限も受けない。
- ひょっとしたら越後線より海沿いを走っているかもしれない。
- 宮内〜長岡〜新潟間は上越線になっていた。
- 宮内〜柏崎間は「柏崎線」あたりになったが、単線のローカル線になっていた。
- しかし信越本線の迂回ルートとなるため電化される。
- 巻町は「巻市」になるが、やはり平成の大合併で新潟市に呑まれる。
- 「吉田市」もしくは「弥彦市」ができていた。
- むしろ弥彦村は町制施行していたかも。
- 現実より鉄道の開通が遅くなる長岡の発展が遅れていた。
- 羽越本線は新潟から今の白新線のルートで建設された。
- 特急「白鳥」は最初から新潟経由で、同駅でのスイッチバックもなかった。
- 寝台特急「日本海」も同様の経路となるが、停車時刻が深夜帯なので「つるぎ」の登場は史実通り。
- 「日本海」「トワイライトエクスプレス」も新潟駅に停車していた。
- 寝台特急「日本海」も同様の経路となるが、停車時刻が深夜帯なので「つるぎ」の登場は史実通り。
- 特急「白鳥」は最初から新潟経由で、同駅でのスイッチバックもなかった。
- 新津は磐越西線の途中駅に過ぎず、「鉄道のまち」にはならなかった。
- 宮内〜長岡〜新潟間が上越線だったら乗り換え駅としての機能はある。
- 上越新幹線は吉田と燕との間を通り、「燕吉田」駅が造られる。その後北陸自動車道に「吉田燕IC」が設置される。
- 平成の大合併で史実の越後線の沿線の町が合併せずに存続できていたかもしれない。
長岡以東が燕経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 現実の上越新幹線に近いルート。
- ただし燕市では中心部寄りを通り、そこから北は新潟交通電車線と同じく月潟、白根、味方を経由していた。
- 見附駅は現実より西側にできる。
- 長岡〜新潟の所要時間は短縮されていた。
- 長岡or見附〜新津には国鉄線がない。
- 東三条は弥彦線の途中駅に過ぎず三条市も発展しなかった。
- 場合によっては燕〜東三条も「弥彦東線」とされ非電化のまま廃止れていた。
- 蒲原鉄道が加茂から西に線路を伸ばしていた。
- 東三条は弥彦線の途中駅に過ぎず三条市も発展しなかった。
- 新津〜新潟は磐越西線の一部で、やはり新津は「鉄道のまち」にならない。
- 越後石山〜新潟貨物ターミナルのデルタ線は建設されなかった。
- 新潟駅の高架化後「SLばんえつ物語」はどこから発着したんだろうか?
- 越後線は白山が正式な終点だった。
- 羽越本線は上記同様新潟が起点。
- 「鳥海」や「いなほ」(上野発着)も新潟を経由できていたが所要時間は伸びる。
東三条以東が燕経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 現実の弥彦線と越後線の吉田以北のルートになっていた。
- 越後線は弥彦が終点になる。
- 史実の三条駅が東三条駅のようなポジションになっていた。
- 東三条駅は存在せず、三条~新津間は蒲原鉄道の路線になっていた。
- この区間は下田村を経由して路線名は「蒲原鉄道加茂線」になり、史実の蒲原鉄道線は「蒲原鉄道村松線」になっていた。
- 場合によっては駅の数も多く、廃止されなかった可能性が高い。
- この区間は下田村を経由して路線名は「蒲原鉄道加茂線」になり、史実の蒲原鉄道線は「蒲原鉄道村松線」になっていた。
- 東三条駅は存在せず、三条~新津間は蒲原鉄道の路線になっていた。
- 吉田町は燕市と合併しなかった。
- 巻町と岩室村も新潟市と合併しなかった可能性も。岩室村は町制施行していた。
- 燕駅は燕三条駅が開業するまで特急停車駅だった。
- これと同様に特急「白鳥」は最初から新潟経由で、「日本海」「トワイライトエクスプレス」も新潟駅に停車していた。
- 「あけぼの」も新潟駅に停車する。
- これと同様に特急「白鳥」は最初から新潟経由で、「日本海」「トワイライトエクスプレス」も新潟駅に停車していた。
- 磐越西線は新潟駅が起点になる。よって新津~馬下間も直流電化されていた。