もし京王電鉄が○○だったら

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標準軌に改軌していたら[編集 | ソースを編集]

京王は実際に改軌しようという考えはあったらしいですが、資金経営上の都合で結局お流れに。 もし京急・京成と同じように標準軌に改軌していたらどうなっていたでしょうか?

  • 工事中の輸送力低下を懸念した、という説もあり。

京王電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. 京王線→新宿線経由→京成線という系統が出来るため、成田空港行きの電車だけでなく、スカイライナー乗り入れもある。
    • 新宿駅にスカイライナー専用ホームができる。
    • スカイライナーがすでに地下鉄線内を走行しているため、今話題になっているロマンスカーの地下鉄線内乗り入れは今ほど騒がれない。
    • 京王側も特急形車両を導入。
    • スカイライナーが新宿駅に乗り入れるため、成田空港アクセスにおける京成電鉄のシェアが拡大していた。
  2. 京王の運賃が現実より上がっていた。
    • 初乗り140円(相模原線150円)だったかも。
      • ケチ王だけにそれはない。
    • 京王に関するifなのに、新宿線の話題ばかりですね。w
  3. 新宿線経由で京成線に直通させる為、6000系以後の車両も18m級で導入。京急と同様に18m級12両の特急が走る。
    • 20m10両よりも18m12両のほうが若干長い。200mと216m。
    • 逆に京成電鉄が20m車を投入していたことも考えられる。
    • 地上設備に資金を取られるので6000系はなし、18m級の7000系が初めての新宿線乗り入れ車両に。
      • 5000系の冷房化も現実より遅れる。
  4. 準特急→特急、特急→快速特急
  5. 調布空港方面に支線ができたかもしれない。
    • そして調布空港~成田空港のエアポート快速特急が設定され、さらに調布空港も発展してたかもしれない。
  6. 快速が現実ほど遅くないはず。
  7. 笹塚~調布の複々線化が実現していたかも。
  8. 「この電車は、都営新宿線、浅草線経由、準特急三崎口 羽田空港行きです」 それに同じ大原さやか!
    • じゃ、三崎口駅は、「1番線に、停車中の電車は、快特品川 成田空港 高尾山口行きです」
    • さすがに新宿線・浅草線経由ではなくエイトライナー経由だろう。「この電車は、エイトライナー・京急線直通、準特急 羽田空港行きです」
  9. 前4両、品川行きは黄色い吊り輪、成田空港行きは水色の吊り輪、高尾山口行きは従来の緑の吊り輪。
    • 多分京急→京王直通はない。通勤車の運転系統は「京王方面-本八幡(一部成田空港)」と「新線新宿(一部笹塚)-京成方面」に分かれて、京成車両は新線新宿or笹塚から西には入らない。
  10. 人身事故による遅延時間が拡大していただろう。中央線はバラバラに・・・ 
  11. 京急や京成とよく比較された。
  12. 路面電車以外で1372mmの路線はなかった。
  13. もしかしたら井の頭線も標準軌に改軌されていた。→#京王線と井の頭線の軌間が同じだったら。
  14. ほぼ無改造で投入できることもあり京王5000系はことでんが買い占めていた。
  15. 標準軌で20メートル車体は、近鉄と烏丸線だけではなかった。
    • 7000系は引退後、通勤車の置き換えをサボっていた近鉄に譲渡されていた。(特に名古屋線あたり[1])
  16. 東急世田谷線も、標準軌に改軌されていた。

都営地下鉄新宿線[編集 | ソースを編集]

  1. 現実の新宿線も当然標準軌になるため、浅草線と新宿線の軌間統一ができる。よって車両運用面でも多少融通が利くようになる。
  2. 新宿線の電車種別が今の浅草線並みになっている。
  3. 馬喰横山か浜町あたりに浅草線南側→新宿線東側の乗り入れ線を作っている。そうなると京急も押上経由から新宿線経由に変更している。向きを考えると本八幡方面が有力。
    • 浜町駅は新大橋西側に作られて分岐駅となり、分岐線が浅草線日本橋駅経由で東京駅八重洲口まで建設される。
  4. 新宿線内の待避線が増える。
  5. 馬喰横山もしくは浜町~本八幡間は京王・京急・京成・北総・芝山・都営の6社局の車両が走行する凄い区間に。
  6. 新宿線の東側は東西線に匹敵する混雑路線となる。
  7. 西馬込で行われる都営フェスタで新宿線・浅草線・大江戸線の車両が一度に見られる。
    • 三田線の立場がなくなる・・・
      • 三田線も標準軌になってた→東急目黒線との直通計画は無かった→当然目蒲線のまま→東横線は複線のまま→殺人ラッシュ→わたるくんが死んじゃう!
        • 南北線が単独で乗り入れるだけだって。
        • 三田線は当然三田で浅草線に乗り入れる。ついでに神保町駅にも三田線~新宿線の連絡線を作っちまおうということで・・・これ以上はカオス。
        • ところで、「わたる」って誰?
          • 知らんな。
            • 「いけない!ルナ先生」で検索だ!
  8. 10-000形の第1編成は、新宿線開業まで、浅草線で運用されていた。

その他の路線[編集 | ソースを編集]

  1. 京成は今の押上から浅草線乗り入れから、本八幡から新宿線に乗り入れをするようになるため、曲がりなりにも新宿に一本でいけるようになる。
  2. 京成は総武快速に対し多少競争力がついている。
    • 船橋での多数の乗客が乗り換える光景は見られない。
      • 最混雑区間は鬼越→京成八幡になっていた。
  3. 北総線は現在の路線ではなく、本八幡から直接接続になっている。よって地下鉄乗り入れ運賃も北総+都営ですむ様になる。
    • 千葉ニュータウンが今よりももっと栄えており、北総の経営も今よりはマシになっているはず。
    • 京成八幡は新宿線、京成線、北総線が接続する重要駅になる。
      • 京成八幡は本八幡に改称するか、新宿線の駅が京成八幡か八幡になっていた。
      • 現実ではポシャった本八幡~新鎌ヶ谷間の計画を、北総線延長か当初の計画通りの千葉県営鉄道にするのかはともかくとして、あくまでも続行するかどうかで本八幡駅の向きが変わる。下手すると京成八幡駅の移転、あるいは京成八幡駅に乗り入れず手前でカーブを切って、もっと千葉寄りの東中山あたりから地下を掘っての乗り入れになっていたかもネタ殺し
      • 成田スカイアクセス開業後はスカイライナーもこちらを経由するようになっていた。
  4. 比較的空いている浅草線は、さらに空いている状況に。
    • 常磐線救済のため、京成金町線が松戸まで延伸されて新京成線に接続し、新京成線が浅草線に乗り入れる。
    • 京成押上線に複々線区間が生まれず、青砥駅の立体化もない。
  5. 京成・京急も4ドア20m車で、銀1000に相当する車両がもっと早くから存在していた。
    • 京成・京急って20m車の導入は無理だったような・・・
    • 京王の20メートル車が通れれば問題ない。フェニックスラインや阪神なんば線と同じ理屈で。
  6. 京王線と同じ幅の都電は1372mm軌間の必要性がなくなる為、標準軌に改軌される。(これで京王と都電を最後に1372mm軌間が廃止された。)
    • 函館市電は1372mmだったような・・・
      • あと、東急世田谷線

大東急に合流していなかったら[編集 | ソースを編集]

戦時下では五島慶太の主導により、東京西南部の東京横浜電鉄・京浜電気鉄道・小田急電鉄・京王電気軌道などが統合されて東京急行電鉄、俗に言う大東急が発足しますが、このうち京王は最後まで統合に反対し、最終的に大東急へ合流したのは1944年となりました。

ではもし、この時に京王が大東急へ加わらなかったら?

京王側[編集 | ソースを編集]

ぶばいがわら
分倍河原
ふちゅう Bubaigawara なかがわら
府中
Fuchu
中河原
Nakagawara
  1. 戦時中に主力の電力事業を失ったため、戦後の復旧は遅れた。
    • 新車の投入などもその経営基盤の弱さゆえ、他私鉄より遅れた可能性はある。
      • いや確実に遅れた。京王の現在の超強固な経営基盤は大東急があったから。戦後直後は、かなり貧弱だった実際の京王より、ずっと貧弱なスタートを切っていただろう。
  2. 井の頭線を得ることはなかった。
  3. 戦後、西武と合併させられていた。
    • そして「西武八王子線」に改名。
    • 西武多摩川線北多磨駅(現・白糸台駅)が移動して武蔵野台駅と統合される。
      • その場合、1067mm軌間に改軌される。
      • そればかりでなく相模原線計画・多摩ニュータウン進出自体が、西武多摩川線の延伸という形で実現していた可能性も。その場合、京王線と相模原線の接続・分岐は調布ではなく武蔵野台に。
    • インフラ改良にめちゃめちゃ腰が重い西武だから、新宿付近も調布付近も京王八王子も未だに地上のままで残ってたんじゃないだろうか。
  4. 新宿線との直通計画に伴って、ようやく併用軌道が無くなって新宿付近が地下線となった。
    • 新線新宿駅が現実より大きい。
      • 2面4線ぐらいにはなっている。
    • 京王線の新宿駅は無くて、新線新宿駅が普通に新宿駅と呼ばれていた。
    • 上記西武との合併の場合、西武新宿線と一緒に大きなターミナル駅が東口側に建設されていたかも。
  5. 多摩ニュータウンは小田急の独占、あるいは西武多摩川線の延伸が実現していた。
  6. 「京王帝都電鉄」の社名や「KTR」の略称もなかった。
  7. 代田連絡線は敷設されない。

小田急側[編集 | ソースを編集]

  1. 帝都線が小田急に帰属していた。
    • よって下北沢辺りに連絡線が設けられた。
    • 路線名はそれでも「井の頭線」にはなっていた。東急時代に改称したので。

笹塚~調布を複々線化していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 朝のラッシュ時にも特急を運転していた。
    • 京王ライナーは登場時から朝の上り列車が存在した。
  2. 地下急行線なんかより大部分を高架化&複々線化の方が理想的。
  3. まずは現行ダイヤ(2025 ver)を刷新へ。
    • 特急、準特、急行、各停に固定化する一方で、京王ライナー、区間急行、快速を廃止。
      • 既存の京王ライナーは特急へ、特急は準特急に降格。
      • 急行は区間急行の代替で仙川に停車。
      • さらには快速廃止に伴う下高井戸、八幡山利用者への救済措置として、現行の都営新宿線笹塚行きを各停つつじヶ丘行きへと延長させる。
        • つつじヶ丘は、現行の引き揚げ線を複々線化後も都営新宿線からの直通電車の折り返しなどに活用する。ただし、笹塚に関しては高架化など余地取得のため廃止。
        • また、人身事故や最近発生したような倒木などのダイヤ乱れに対応すべく、調布にも引き揚げ線を新設。
  4. 各駅の配線状況も大きく変更が加わる。
    • 笹塚=引き揚げ線廃止
    • 代田橋=1面4線(通過線有)
    • 明大前=2面4線
    • 下高井戸=1面4線(通過線有)
    • 桜上水=2面6線(通過線有・元住吉駅のような配線)
    • 上北沢=1面4線(通過線有)
    • 八幡山=史実通り
    • 芦花公園=1面4線(通過線有)
    • 千歳烏山=2面6線(通過線有・東武伊勢崎線の越谷駅のような配線)
    • 仙川=2面4線(完全地下化・成城学園前駅みたいな)
    • つつじヶ丘=2面4線
    • 柴崎=1面4線(通過線有)
    • 国領=史実通り(急行線を緩行線の下に通過)
    • 布田=史実通り
    • 調布=引き揚げ線新設
  5. 相模原線特急は複々線化完成後に登場。
    • 現行のような特急続行運転を行ってもノロノロ運転や通過駅からの不満はなかった。
  6. この案のように明大前~調布は地下急行線(特急線)方式だったかもしれない。
    • 高架化されていたら八幡山周辺、あるいは小田急線を彷彿とさせる沿線風景だった。
    • 国領〜調布は史実通り地下化されるが、小田急の東北沢〜梅ヶ丘のように緩行線と急行線が交わるような造りになる。
  7. 各駅停車は都営新宿線直通が中心になる。
    • 都営新宿線・京王新線は橋本行きがほとんどに。
    • ただし一部は笹塚or桜上水止まりが残る。
      • ただキャパシティのこと考えたら、笹塚行きより全てがつつじヶ丘行きにいずれなりそう。
  8. また各駅停車ないし急行電車の多くは都営新宿線直通になっていたかも。
  9. 八幡山とつつじヶ丘の引上げ線が流用されていた。
  10. 競合他社線を時間面で圧倒していた。
  11. 笹塚〜国領手前は方向別複々線化になっていた。
  12. いち早くに立体高架&複々線化を実現できていた場合、8連固定運用は廃止されて全て京王線・相模原線・高尾線・都営新宿線系統は10連化されていたかもしれない。
    • 8000系8連に関しては9000系ベースの車体を2両新造して組み込んでいたかも。
笹塚~明大前のみ複々線化
  1. 京王新線を明大前まで延伸する形になっていた。
    • 笹塚行きは全列車明大前まで延長。
  2. 新宿行きの急行は笹塚通過になっていた。
    • 準特急も通過。
  3. どこかのタイミングで桜上水か八幡山まで複々線延伸工事が行われる。
笹塚~千歳烏山のみ複々線化
  1. 笹塚行きは全列車千歳烏山まで延長。
  2. 笹塚~千歳烏山の各駅停車の本数が増え、快速と区間急行が統合される。
    • 快速は下高井戸・八幡山通過になり、区間急行は仙川に停車。
  3. 少なくとも千歳烏山のホームがあそこまで狭くなることは無かった。
笹塚~つつじヶ丘のみ複々線化

2020年現在、笹塚~つつじヶ丘間で複々線化を進める計画がありますが、この計画が平成期(2019年4月末)までに実現していたら…

  1. 笹塚行きの列車は全てつつじヶ丘行きに変更されていた。
    • また、快速が設定されることはなかった。
  2. 区間急行が仙川駅に停車することはなかったかもしれない。
  3. 時期によっては7000・8000・9000・2代目5000系の製造数が史実より多かった。
    • 2代目5000系には西武40000系のようにオールロングシート車が存在した。
    • 都営車の完全10連化・京王線内優等運転開始も史実より早かったかも。
  4. 笹塚~西調布間・相模原線調布~京王多摩川間の連続立体交差化は史実より早かったかも。

東京急行電鉄から独立できなかったら[編集 | ソースを編集]

京王電気軌道は戦時統合で東急に合流しますが、戦後、京王の規模が弱小すぎると判断されたため、小田急が井の頭線を譲った上で東急から独立しました。もしこの時東急から独立できなかったら?

  1. いずれにしろ井の頭線は小田急電鉄のまま。
  2. 新宿の京王百貨店は東急百貨店になっていた。
    • 東急百貨店は八王子と多摩センターにも出店していた。
  3. 都営新宿線の乗り入れは実現していない。
    • 東京10号線が多摩ニュータウンと千葉ニュータウンを結節する計画だった事を考えると、史実通り乗り入れはしていたと思う。但し乗り入れ用の車両は都営・東急共に全く異なるはず。
  4. とっくの昔に調布まで複々線化されていた。
  5. 高尾登山電鉄は東急グループ入りしていた。
  6. 相模原線が橋本から先へ延伸していた。
  7. 車両は台車を改造しただけのお古を押し付ける。
    • 史実より早くステンレス車が入っていた。
    • むしろ東京五輪までに無理矢理でも狭軌に改軌している気がする。
  8. 競馬場線、動物園線はかつての東急こどもの国線みたいな雰囲気になっていた。
  9. 急行の停まる駅が現実の急行に下高井戸、八幡山、仙川、飛田給が加わる。
  10. 京王線が飛び地路線になってしまうので、東横線の新宿延伸がより具体的に検討されていた。
    • 井の頭線が東急の物になっていればこの懸念は無くなるが、京王新宿駅は元々東急の用地だったので、可能性としてはこっちの方が高いと思われる。
    • 戦時中井の頭線が東横線と同じ渋谷営業局管轄だったことを考えると、この場合井の頭線も東急に残留していた可能性も高かっただろう。

井の頭線が○○だったら[編集 | ソースを編集]

京王線と井の頭線の軌間が同じだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 渋谷から京王八王子まで直通列車が運転されていた。
    • 明大前が十字交差であることを考えると、東松原-下高井戸に連絡線だけ作って回送とイベント列車のみ走らせる程度だと思う。
      • どうせなら明大前まで複々線化して、明大前を地下化、都営新宿線を全列車明大前まで直通させて、井の頭線渋谷ー京王八王子も毎時3本くらいほしい。
  2. 富士見ヶ丘は検車区のみで工場はなく、井の頭線の車両も若葉台工場で検査されていた。
  3. 井の頭線の車両がカラフルになることはなく、京王線から転属してきた車両で固められていた。
    • 現在は7000系と9000系が配備されていると思われる。

井の頭線が別会社のままだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 戦前同様小田急に帰属していた。
    • 別の鉄道会社になっていたかもしれない。
    • そしたらかなちゅうは京王バスになっていたんじゃなかろうか。神奈川の湘南地域での知名度にも影響あり
  2. 明大前は特急通過で、代わりに笹塚が特急停車駅になっていたかもしれない。
  3. 明大前の京王線と井の頭線は別改札になっていた。

帝都電鉄が存続していた場合[編集 | ソースを編集]

  • ここでは現在の路線形態で帝都電鉄として残った場合を扱います。
  1. 小田急買収と大東急への合流は避けられないだろうから、大東急から独立で分離する為の施策が採られていた。
    • 少なくともその後一度は西武辺りに買収関連で狙われていたと思われる。
    • 大東急時代に井の頭線になっていたことを考えると、そのまま「帝都電鉄井の頭線」として存続。
      • 「帝都線」に戻していたかは微妙なところ。
  2. 単独路線とはいえそれなりの収益は望めるだろうから、準大手私鉄クラスにはなっていた。
  3. 案外どこかのタイミングで地下鉄への乗り入れを狙っていたかもしれない。
  4. 吉祥寺のビルは帝鉄百貨店吉祥寺本店になっていた。
    • 建て替え計画は史実通りあっただろうが、京王が関わっていない以上全く異なるものになっていた。

あの会社の路線だったら[編集 | ソースを編集]

小田急電鉄[編集 | ソースを編集]

渋谷
しぶや
Shibuya

駒場東大前
Komaba-todaimae

帝都電鉄が敷設し、いったん小田急に買収されて同社の帝都線となるも、東京急行電鉄(大東急)への統合を経た後、戦後は京王に帰属することになった井の頭線。
もし同線が、現在小田急に帰属していたら?

  1. 下北沢より明大前のほうが栄えていた。
    • 野獣先輩の聖地も明大前。
      • そこは史実通り下北になりそう。考察がイキスギィ!
  2. 京王は笹塚~調布を複々線化した。
  3. おそらく4000形とか旧型車の吹き溜まりと化していたと思う
    • 路線事情と車両性能的にはNHE(2600形)が主力になっていた可能性が高い。M車1ユニット中間3両という構造がネックだが(井の頭線5両化は1971年から)、その分20m車5両編成化が史実より大幅に早まったかも。若しくはN6ベースの専用系統ができていたか。
  4. 社名が小田急帝都電鉄になる。
    • いや、戦前の段階で小田原急行鉄道→小田急電鉄の路線だったのだから、帝都を冠することはないかと。
  5. 渋谷~下北沢間は複々線化されて、小田原線が渋谷まで乗り入れる。
  6. 吉祥寺~新宿の直通運転が行われる。
    • 吉祥寺~小田原のが需要ありそう。新宿、渋谷、吉祥寺の3駅で新宿集中を緩和。
    • 結果、吉祥寺行きは下北沢で大半の客が入れ替わる。(都心への通勤・通学客からは嫌われる存在)
  7. 井の頭線全線複々線化。下北沢に渋谷、吉祥寺発の小田原方面行きがそれぞれ停車できる様に複雑な構造が出来上がる。
    • 下北沢には小田急によって駅ビルが建設されていた。
  8. 渋谷発のロマンスカーが運転されていた。
    • それ故に下北沢を境に列車種別に増減が生じる。
  9. 京王は沿線の開発が進む昭和30年代まで、経営が不安定な状態に陥った。
    • 下手をすると京王がまるごと小田急に吸収合併されていた。
      • この場合小田急多摩線は建設されなかった。
      • または、京王は西武に合併されていた可能性も考えられる。
    • 京王沿線住民にとって渋谷は縁遠い存在。
  10. 沿線イメージは良いが、「七色の顔」こと京王3000・1000系が登場しないので全体的に影の薄い路線になっている。
    • 「七色の顔」を小田急が作っていたりして。
      • その場合の冷房機種と車内構造は小田急仕様。3000系世代車のCPはC-2000が標準に。
  11. ホームの延長にあたり、神泉駅は渋谷駅に統合され廃止。
    • 史実でも行われた駒場駅と東大前駅の統合と同時期に行われる。
  12. 地下鉄千代田線は井の頭線渋谷駅から延長する形で行われていた。
    • 千代田線は小田原線乗り入れ・吉祥寺行き・常磐線乗り入れの3タイプの列車が走っていた。
    • 代々木上原には未だに新宿発着の各駅停車しか停まらない。
  13. 小田急百貨店吉祥寺進出?
  14. 東急玉川線・世田谷線も小田急に帰属し、田園都市線も小田急の手により建設されていたかもしれない。
  15. 代田連絡線も存続。下北沢の帝都線ホームも地下化されていた。

東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]

  • 大東急時代、井の頭線は東横線・玉電と同じ渋谷管理部が路線管理を行っていました。
  1. 大東急時代同様「東急井の頭線」として存続。
  2. 少なくとも玉川線→新玉川線とは改札内乗り換えができるようになっていた。
    • 編成数がネックになるが、新玉川線開業の時点で神泉駅を含めて地下化されていたかもしれない。
  3. 6000系は大井町線だけでなく井の頭線にも導入されていた。
  4. 池上・多摩川線同様18m車のたまり場。

西武鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 一応、西武自体は保谷から吉祥寺まで路線を作る計画を持っていたので可能性はゼロとは言い切れない。
    • どのみち帝都電鉄を買収した時点で吉祥寺の駅は集約される。
  2. 大東急から分離した際に西武に帰属した場合、西武と東急の仲がより悪化していた。
    • 少なくとも渋谷駅近辺の開発で相当な対立が発生していた。
  3. 東急の横槍や西武グループそのものの経緯にもよるが、今の渋谷マークシティの位置が西武百貨店渋谷店になっていた可能性もある。
  4. 井の頭線が田無駅か東久留米駅まで伸びて清瀬駅まで走ってる。
    • 井の頭線の20メートル車化も早く済ませてたはず。
    • 渋谷から本川越や拝島までの直通列車が走る。

JR東日本[編集 | ソースを編集]

  1. 全線が休日おでかけパスの範囲になるが、京王より高いJRの運賃体系でもたいした運賃ではないので京王沿線目的だと元がとれないかも。
  2. 都区内パスの範囲が広がる。井の頭線久我山~渋谷(吉祥寺付近の3駅を除いたほぼすべて)と京王線千歳烏山~新宿が範囲内になる。
    • こちらは京王線より高いJRの運賃体系なら元が取りやすい。特に23区東部まで乗り換えていく場合は1往復しただけでも元が取れて、史実より安くなる可能性もある。
    • 史実でも、松戸駅で都区内パスを見せて金町ー松戸の代金を支払い清算する人が多い(それでも安くなるパターンが多い)ように、調布や吉祥寺で都区内パス+140円清算で降りる人が増えるかも。
  3. 1067mmに改軌していたかも。
    • その場合、新宿駅や渋谷駅からさまざまな路線に乗り入れていた。井の頭線ー埼京線ーりんかい線なんて直通運転もあったかも。湘南新宿ラインならぬ埼玉調布ラインもできていた可能性がある。

東京メトロ[編集 | ソースを編集]

  1. 井の頭線渋谷駅の位置がまったく違っていた。半蔵門線と直通運転していたかも。

ホテル事業が○○だったら[編集 | ソースを編集]

ホテル名が全て「京王プラザ○○」だったら
  1. 「京王プレッソイン○○」は「京王プラザイン○○」・「京王プレリアホテル○○」は「京王プラザプレリア○○」になっていた。
  2. ドミナント展開を行っている可能性も。

藤沢自動車が復活していたら[編集 | ソースを編集]

  • 藤沢自動車は戦時統合まで京王傘下にあったバス会社
  1. 神奈川県内で京王の存在感が高まる。
    • 実際は橋本駅くらいしか京王グループの存在感はないが、平塚-藤沢の湘南まで京王の勢力圏に入る。
  2. 神奈川中央交通は境川以東の神奈川中央交通東と愛甲石田以西の神奈川中央交通西とに分かれている。

1067mmに改軌していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 都営新宿線の本八幡付近の線形を曲げて、JRと直通運転して津田沼までいっていたかも。
  2. もしくは、最初から本八幡を迂回して南本八幡(仮)ー原木中山ー二俣新町ー京葉線という直通運転をしていたかも。
  3. 西船橋から東葉高額鉄道東葉高速鉄道に直通運転するのは、東西線ではなく京王線ー都営新宿線だったかも。
  4. 井の頭線直通の渋谷ー京王八王子特急も毎時3本走っていた。
  5. 橋本駅から相模線に直通し、原当麻、海老名、茅ヶ崎へと向かっていた。
    • そのため相鉄新横浜線は、建設されなかった。
    • 相模線は複線化していた。更にリニア開業に備え、相模線内急行運転も行っていた。
  6. 多摩センター~横浜の京王、JR、相鉄直通電車が運行され、サンリオピューロランドのアクセスに使われていた。
  7. 都営新宿線岩本町駅とつくばエクスプレスに渡り線が建設され、TX~都営新宿線~京王の3社直通が実現していた。
    • 高尾山と筑波山を両方見学するプランが案内されていた。
    • TXは10両編成化され、TX沿線から新宿への通勤者が増えていた。
      • 京王沿線から筑波大学やJAXAへの通学通勤者も増えていた。

京王ライナーが〇〇だったら[編集 | ソースを編集]

運行されなかったら。
  1. 令和に入って以降の一般列車のダイヤ改悪がなかった。
    • とりわけ、千歳烏山駅の特急停車はあり得なかった。
一部座席指定だったら
  1. 特急や準特急、快特などに利用して一部座席指定にして運用していた。
    • 1号車や2号車を導入していた。

京王八王子駅の位置がJR八王子駅の近くだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 八王子市の衰退は現実程、酷くなかった。
    • 京王の八王子駅は乗降人員が10万人超えて新宿駅や渋谷駅に次ぐ数字になっていた。
    • JR八王子駅も乗車人員が12万人を超え、国分寺駅や町田駅より多かった。
  2. 高尾線は北野駅から分岐せず、八王子駅から高尾山口方面へ向かっていた。
  3. 京王片倉駅などは廃止されていた可能性はある。
  4. 京王線系以東の列車が新宿駅~高尾山口駅を特急や各停ですべての列車が八王子駅で通過できるようになるので、京王ライナーも高尾山口方面と橋本方面だけの分岐で済んでいた。

関連項目[編集 | ソースを編集]

  1. 名古屋線では、抑制ブレーキの設置改造が不要なため。