ざんねんなオリンピック事典
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1900年パリオリンピック[編集 | ソースを編集]
- おそらく五輪史上最もグダグダだった大会。
- 万博付属のため会期が5か月にも及んだ。
- ボート競技の金メダリストの一人は飛び入り参加の少年で現在まで名前すら分かっていない。
- 結果として公式にオリンピック競技と認められたのは陸上だけ。
- しかもメダルが選手に届くまで2年かかったという。
- 生きた鳩を撃つ競技が行われたが当時の人にすら残虐だと批判された。
1904年セントルイスオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 初のアメリカ大陸での開催だったためヨーロッパの選手がさっぱり参加しなかった。
- 半数近い種目でアメリカ人しか参加しなかった。
- ゴルフに至っては前回の優勝者しか参加しなかったため競技から外された。
- マラソンで最初にゴールしたローツ(米)が途中で車に乗っていたことが発覚し金メダル取り消し。
- 繰り上げで優勝したヒックス(米)も興奮剤入りのブランデーを飲んだ状態で参加していた。
- 当時はドーピングが禁止されていなかったためこちらは取り消しを免れている。
- 繰り上げで優勝したヒックス(米)も興奮剤入りのブランデーを飲んだ状態で参加していた。
- アイヌやアメリカ・インディアンなどの先住民に競技をさせ見世物にするイベントが行われた。
1906年アテネオリンピック[編集 | ソースを編集]
- IOC主催の大会は数あれど公式記録から消されたのはおそらくこれだけ。
- 正規のオリンピックの中間年にアテネで開催する大会として始まったがこの年限りで行われなくなった。
- 今や知る人もほぼ皆無になってしまった。
1912年ストックホルムオリンピック[編集 | ソースを編集]
- マラソンでポルトガルのラザロ選手が競技中に倒れて死亡。
- 発汗対策として体にワックスを塗ったのがあだになった。
- この大会のマラソンは過酷だったため他にも日本の金栗など多くの選手がリタイアしている。
- 「いだてん」の内容を信じるならその死亡事故によりオリンピックそのものの存続も危うくなっていた。
1924年シャモニー・モンブランオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開催時点ではまだ「冬季オリンピック」ではなかった。
- 幸いにも成功したので翌年のIOC総会で追認してもらえた。
- 構想が出た当初は北欧諸国に反対されていた。
- 日本も選手団を送り込む予定があったが前年の関東大震災のせいで流れてしまった。
1936年ベルリンオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 独裁者によるオリンピックの政治利用。
- ヒトラーがオリンピックはプロパガンダに有効と吹き込まれたためこんな大会になってしまった。
- テレビ放送や巨大な競技場など様々な要素がナチス体制の正当化に使われた。
- 記録映画もプロパガンダに使われた。
- ナチスの政策が原因で英米などを中心として大規模なボイコットが発生する寸前だった。
- 聖火リレーが初めて行われたがその際の調査が後にドイツ軍の侵攻に役立てられてしまった。
- オリンピック中は反ユダヤ標語の撤去やユダヤ人の登用などが行われたがあくまで付け焼刃だった。
- 選手村の責任者(ユダヤ人)は大会終了直後に自殺に追い込まれたという。
1940年東京オリンピック[編集 | ソースを編集]
- 日中戦争のせいで返上となった。
- しかも代替開催地のヘルシンキも冬戦争の影響で開催できず、結果中止に。
- 余談ながら太平洋戦争が開戦したのはその1年後の1941年。
- それ以後「オリンピックは40年ごとに問題が起こる」というジンクスが生まれた(1980年モスクワ→日本選手団ボイコット、2020年東京→コロナによる1年延期の上に史上初の無観客開催)。
1956年メルボルンオリンピック[編集 | ソースを編集]
- この大会も意外とボイコットが多かった。
- だいたいスエズ動乱とハンガリー動乱のせい。
- 馬術だけ参加だったスイスの連続参加記録も途切れかけた。
- 水球の決勝(ハンガリー対ソ連)で殺し合いが発生しかけたのも動乱のせい。
- 中華民国の参加に抗議してボイコットした中華人民共和国は84年のロス五輪まで戻れなかった。
- だいたいスエズ動乱とハンガリー動乱のせい。
- 馬の検疫にとんでもなく時間がかかるせいで馬術はオーストラリアで行えなかった。
1968年メキシコシティーオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開催直前に大規模な学生デモが起き、多数の死傷者を出す事態になった。
- 陸上200mの表彰式で、金メダルと銅メダルの選手(いずれも黒人)が人種差別に抗議して黒手袋を掲げ、双方共永久追放になった。
1972年ミュンヘンオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開催中にパレスチナの武装組織が選手村に侵入し、イスラエルの選手やコーチが11人も殺害される事件が起こってしまった。
- 警備員も武装組織を目撃していたが、夜間に外出した選手たちがこっそり戻ってきただけだと思い込んでしまった。
- ベルリン大会のイメージ払拭のため警備をあえて緩くしていたのが裏目に出た。
1976年インスブルックオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 当初開催予定だったデンバー(米)が住民投票で開催権を返上したため急遽開催する羽目になった。
- 主要な施設どころか大会マークすら前回インスブルックで開催された64年大会の使いまわし。
- 札幌市長からの五輪旗引き継ぎも開会式で改めて行うことに。
1976年モントリオールオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 五輪史上最悪クラスの大赤字をモントリオール市にもたらした。
- 開催費用がオイルショックのせいで跳ね上がり最終的に当初予算の4倍に達した。
- 中国で国民党が共産党に勝っていたら開催地にならないため、大赤字に苦しむ事はなかっただろう。
- アフリカ諸国による集団ボイコットが発生。
- 当時アパルトヘイトを行っていた南アにラグビーチームを遠征させたニュージーランドがこの大会に参加していたため。
- 中には開会式の数時間前にボイコットを知らされた国もあったという。
- 女子体操でコマネチ(ルーマニア)が10点満点を出したが当時は想定されていない点数だったため表示が「1.00」になってしまった。
1980年モスクワオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開催国がアフガニスタンに侵攻したためボイコットの嵐に。
- 日本でもJOCが政府の紐付きだったせいでボイコットを強いられた。
- 日米のボイコットによりモスクワでは観光客需要を想定して用意していたキャビアが大量に余ってしまったらしい。
- この大会の放映権を独占していたテレビ朝日にも大損害を与えた。
- 結果として閉会式でマスコットが泣くという異常事態が発生。
- 結果としてパリかマドリード辺りで開催すべきだったと思う。こうなっていれば両都市が何回も招致をやる羽目にならなくて済んだだろう。
- そもそも中国で国民党が共産党に勝っていたら開催されなかっただろう。
1988年ソウルオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開会式で鳩が焼けた。
- 男子100m決勝でベン・ジョンソン(カナダ)が世界新記録を達成したが…。
- 後にドーピング検査で陽性反応が出て、世界記録と金メダルを剥奪された。
- ボクシング競技では、乱闘騒ぎが起きた。
- この大会の妨害を企んだ北朝鮮により大韓航空機が爆破された。
1996年アトランタオリンピック[編集 | ソースを編集]
- オリンピック100周年大会ということで大本命だったアテネを破っての選出に対し一部で買収疑惑も噂された。
- コカ・コーラ(本社:アトランタ)がオリンピックの公式スポンサーだったことが噂に拍車をかけた。
- 大会期間中にオリンピック公園で爆弾テロが起きた。
- マスコットの名前が長すぎて短縮する羽目に。
- 当初はワティジット(WHATIZIT)の予定だったがイジー(IZZY)に変更された。
2002年ソルトレークシティオリンピック[編集 | ソースを編集]
- フィギュアスケートやスピードスケートなどで不可解な判定が頻発。
- 他にもアメリカ寄りと見られた判定が多く目立ったことなどから、会期の後半には地元のメディアから「アメリカの、アメリカによる、アメリカのための五輪」と揶揄された。
- 日本勢は総じて不振で、メダルは銀(清水宏保)と銅(里谷多英)の2つだけだった。
- 開会式でブッシュ大統領が問題発言。
- 開催地決定の裏で大規模な買収が行われていたことが発覚している。
2008年北京オリンピック[編集 | ソースを編集]
- 開会式で少女の口パクが物議を醸した。
- 世界規模で行われた聖火リレーでは、チベット弾圧への抗議デモなどで妨害が発生。ルート変更も余儀なくされた。
- これは日本でも例外ではなく、スタート地点が長野市の善光寺から変更になった。
- 男子の4×100メートルリレーでは、大会から10年後にジャマイカのドーピング違反による失格が確定した。
- これにより日本が銀メダルに繰り上がったが、この銀メダルの授与式は翌2019年5月の陸上競技大会で行われている。
- このオリンピックのせいで阪神は前半ぶっちぎりの首位だったにも関わらず、後半失速しリーグ優勝を逃した。
- 主力がオリンピックに派遣され戦力が低下したため。
- 加えてオリンピックの野球もメダルを逃してしまった…。
- 2021年も同じようなことになってしまった…。
- この大会では大阪も立候補していたが、最下位で落選してしまった。後の東京五輪の顛末を考えると悔やまれる…。
2012年・2016年・2020年マドリードオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 2012年、2016年、2020年開催に立候補したがいずれも落選している。
- そもそも開催決定に至っていない段階で残念以前の問題では。
- 2012年の招致においてはロンドンとの間でベッカム争奪戦が行われたとか。
- 招致活動3連敗は普通に残念な問題だろう。
- そもそも開催決定に至っていない段階で残念以前の問題では。
2014年ソチオリンピック[編集 | ソースを編集]
- 閉会後に開催国のロシアがクリミアに侵攻した。
- フィギュア女子シングルでソトニコワの金に平昌大会を控えていた韓国が抗議した。
2020年東京オリンピック[編集 | ソースを編集]
- 当初は7,000億円での開催で、「コンパクトな五輪」をコンセプトにしていた。しかし、あれよあれよと予算が膨らみ、3兆円を超えてしまった。
- トップのはずの五輪担当相ですら経費の詳細を見せてもらえないという。
- 閉会後の2021年12月、西村博之(ひろゆき)氏は、2024年パリオリンピックについてこのことを引き合いに「某国が3兆円近い損失を出したりとか各国の失敗を糧に無駄に税金掛けて色々作らない方針のようで」と皮肉った。
- 建築家のザハ・ハディド氏が競技場のデザインを考案したのだが、これも予算がかさむうえ、自然災害の多い日本には適さないものであった。
- 総工費が高いため元総理大臣が白紙撤回を命じた。その後、上記案を隈研吾建築都市設計事務所が新しい案を出したが、木材を多く使うデザインだった。どうなるかは火を見るよりも明らかなのだが、日本スポーツ振興センター「競技場に聖火台を置くと聞いていない」と。
- 上から見ると巨大な洋式便器に見える…。
- 総工費が高いため元総理大臣が白紙撤回を命じた。その後、上記案を隈研吾建築都市設計事務所が新しい案を出したが、木材を多く使うデザインだった。どうなるかは火を見るよりも明らかなのだが、日本スポーツ振興センター「競技場に聖火台を置くと聞いていない」と。
- エンブレム関連でも盗作疑惑やら予算の問題が発生。
- 釈明会見で露骨に国民を見下す発言が見られたたため「上級国民」という単語が生まれた。また、上記のようにオリンピックに回す予算はあるのに子育て関連には全く予算が回されないことから「保育園落ちた日本死ね!!!」という記事が投稿され話題になった。
- 当日の運営関連をパソナグループに委託していた。竹中平蔵氏との癒着が推察される。
- その竹中平蔵はバブル崩壊後の日本の不況をさらに悪化させた張本人でもある。
- 2016年リオデジャネイロオリンピック閉会式で、元総理大臣がマリオのコスプレをして登場するも、国民にはあきれられるというざんねんなエピソードもある。
- ちなみにこの「アベ・マリオ」は結局伏線として全く拾われないまま終わり、「ゲームオーバーだった」「土管の中でパックンフラワーに食われた」「ルイージ・スガはどこへ行った」など元ネタと絡めた皮肉を各方面からかまされることになった。
- 五輪開催から約1年後、彼は奈良市の近鉄大和西大寺駅前で選挙演説中に何者かによって射殺されてしまった。
- 虚構新聞にも何度もネタにされる始末。閲覧者からは「誤報(社主がおやつ抜き)になりそう」「東京都なら実際にやりそう」「現実が虚構新聞を超えている」という感想も。
- 例:放射線防護服を着たまま開催、猛暑対策に巨大風鈴、それでだめならお祈り、世界全体を暑くすれば問題ないんじゃね?、悪臭はトイレの消臭剤で
- 2024年に延期ということになっていたら恐らくパリ以降も4年ずつずらすことになりそう。
- チケット収入は本来900億円を見込んでいた(注:上記予算を見よ)が、無観客や観客数を制限しての開催によりその1割程度に落ち込んでしまった。
- 大赤字という意味で1976年のモントリオール大会と比較されそう。
- ボランティア自体も削減することになったため、その制服がメルカリに出品され、メルカリ運営側は急遽それを禁じる対応をすることに。
- 新体操競技ではイスラエルのリノイ・アシュラム選手がリボンを落下させながらも金を獲ってロシア勢の6連覇を阻んだが、そのロシアがリボン落下で金に抗議して、新体操関係者は勿論、フィギュアやバレエ、更には関係が無いような存在である外務省報道官までが激怒する事態に。
- また、新体操団体でもブルガリアが金を獲り、こちらもロシア勢の6連覇を阻んでいる。
- ちなみにロシアは過去のチョンボから国家としての出場が出来ず、表彰式でもロシア国歌ではなくチャイコ・ピアコン1の1で代用していたのだが、これに引っかけてロシア外務省は「チャイコフスキーでも聞かせておけ」と国を挙げた煽りをブチかましている。
- 今から思えば開催都市選考が複数の都市で争われ盛り上がった最後の大会になってしまった。
- その証拠に2024年はパリ、2028年はロサンゼルス、2032年はブリスベンと競争もなくすんなり決まってしまった。
- 五輪終了後も大会に出場したケニアの女性陸上選手が殺害されてしまった…。
- 今にして思えばあの時引き返すべきだった。あの時もそうだ。あの時も、あの時も。逆にここまでサインがあってなぜ引き返さなかったのか。僕は無視してしまった。あの時気付くべきだったのだ。これから起こる大きな災難に。
- この時ばかりはもし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったらと思ったものだ…。
- その次の2024年大会がパリに決まっただけにこの大会にパリが立候補していたら…とも思った。
- 何はともあれ、57年ぶりの自国開催の夏季五輪なのに後味が悪い大会になってしまった。
- 状況が状況ゆえに盛り上がりにも欠けた…。
- オリンピックによるシーズン中断があった上、コロナの影響で9回打ち切り、延長戦なしという条件があったので2021年のペナントレースで阪神タイガースは優勝を逃してしまった…。
- おまけCSも1stステージで巨人に負けて敗退…。同年の阪神はコロナとオリンピックに泣かされたシーズンだった。
- さらに翌年の開幕は最悪の9連敗でスタート。その後1勝するもさらに連敗。阪神はまさにオリンピックに振り回されたと言える。
- 開催のタイミングは最悪だったと言える。前述のように期間中にコロナ感染者は最多を更新したし。数々の炎上も考えると。
- まさに貧乏くじを引いてしまった、と言える。
- 本来なら五輪開催で国が盛り上がるはずが、その直後からコロナに加え物価の相次ぐ値上げなど悪いことが続いてしまった。
- この時ばかりはもし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったらと思ったものだ…。
- ロシアは国としての出場が認められず、ロシアオリンピック委員会 (ROC) として個人資格での出場となった。
- 組織ぐるみでのドーピング問題による制裁のため。
- 競泳で日本勢の金メダルは大橋悠依が2種目で獲得したのみにとどまり、男子は本多灯が銀メダルを獲得しただけだった。
- バドミントンも今1つだった。
- マラソンは男女ともメダル獲得ならず。自国開催なのに…。
- ともあれ、後味の悪さ、様々な争点を巡る国民間の思想的隔絶のひどさ、対立の先鋭さ、いずれにおいてもこれまでの歴史上例を見ないほどの異常さが感じられる。
- それにコロナが追い撃ちをかけたとも言える。
- 開催翌年の2022年には組織委員会の理事が賄賂で逮捕されてしまった。
- 紳士服のAOKIや出版社であるKADOKAWAの上層部も逮捕された。
- 滝川クリステル氏は、招致プレゼンで「お・も・て・な・し」と言った。確かに「おもて」はないが、「うら」がある。
- それがその後のゴタゴタを暗示していたと思うと興味深い…。
2022年北京オリンピック[編集 | ソースを編集]
- チベット問題で揺れた2008年の夏季と同様に中止・ボイコット論があった。
- 女子フィギュアのワリエワのドーピングが発覚してしまう。
- そのためにワリエワを要するROC・ロシアオリンピック委員会は団体で金メダルを獲得したがそれが理由で大会期間中にメダル授与式がされる事はなかった。
- そのロシアは閉会直後にウクライナに侵攻し、世界から非難を浴びた。
- しかも招致段階でリビフが立候補していたが、内戦のため撤退してしまった。開催していたら閉会直後に侵攻という事になり、オリンピック開催国への侵攻だけあって上記のドーピングの件と合わせてロシアが現実以上に非難を浴びていただろう。
- リビフとなっていたらロシアはボイコットしていただろう。
- しかも招致段階でリビフが立候補していたが、内戦のため撤退してしまった。開催していたら閉会直後に侵攻という事になり、オリンピック開催国への侵攻だけあって上記のドーピングの件と合わせてロシアが現実以上に非難を浴びていただろう。
- そのロシアは閉会直後にウクライナに侵攻し、世界から非難を浴びた。
- そのためにワリエワを要するROC・ロシアオリンピック委員会は団体で金メダルを獲得したがそれが理由で大会期間中にメダル授与式がされる事はなかった。
- ジャンプの混合団体でウェアの違反が日本の高梨沙羅を含む4ヶ国5人に発覚し混乱を招いた。
- この大会を成功させるために中国政府はゼロコロナを打ち出すも失敗。
- 大会後、大都市では再びロックダウンとなり、以降の中国ではアジア大会など国際大会の中止や延期が相次いだ。