ざんねんな政治家事典

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日本[編集 | ソースを編集]

ざんねんな日本の政治家事典

海外[編集 | ソースを編集]

コンスタンティン・チェルネンコ[編集 | ソースを編集]

  1. ソビエト連邦の第6代最高指導者。1984年に前任のユーリ・アンドロポフの急死に伴い書記長・会議長に就任した。
  2. しかし就任当初から健康状態が悪く、赤の広場で行われたアンドロポフの国葬では健康状態の悪さを露呈。
    • 葬儀に参列していたイギリス社民党党首で医師でもあったデイヴィッド・オーウェンは「チェルネンコ氏は肺気腫を患っていると思われる」との見解を示した。
      • こんなアネクドートがある。
        • 死後の世界でのブレジネフ「机の上にあった私の眼鏡を持ってきてくれたかな? 同志アンドロポフ?」
        • 死後の世界のアンドロポフ「すみません同志、忘れてしまいました。しかし大丈夫です。同志チェルネンコがすぐに持ってきてくれるでしょう」
  3. 在任中はアメリカとの対話路線再開・ロサンゼルス五輪への不参加などの政策を取ったが…。
  4. 1985年になると健康状態が更に悪化し、3月10日に肺気腫の悪化により息を引き取った。
  5. 片山まさゆきの漫画『ウォッカ・タイム』では「影の薄さ」や「人気の無さ」を強調して描写されていたが、上記の通り現実のチェルネンコの死後、主人公は後任のゴルバチョフに交代となった。

ハロルド・ホルト[編集 | ソースを編集]

  1. 第17代オーストラリア首相で1966年に就任し、冷戦下の体制で同盟国のアメリカとイギリスと綿密な関係を築き、ベトナム戦争では自国軍の派兵を行った。
  2. しかし、1967年12月17日に海水浴中に流されてそのまま行方不明になるという現役の国家元首としては類を見ない最期を遂げた。

クルト・ヴァルトハイム[編集 | ソースを編集]

  1. 第6代オーストリア大統領。外交官上がりであり、第4代国連事務総長でもある(2期務めた)。
    • 国連事務総長の初当選、2選目いずれの選挙でも中国に拒否権行使をされまくり、紆余曲折あっての当選であった。
    • 3選目を狙った際は中国が拒否権発動を16連発した。なんと言う嫌がらせだ……
  2. 国連を離れてから自国の大統領選に出るが、あろうことかナチスに所属していた過去が発覚する。
    • 第二次大戦でドイツと敵対した国の大多数が選挙結果にクレームをつけたが、オーストリア政府が内政干渉だとして撥ねつけ、ようやく就任できた。
    • クレームを無視された国々は、通常は外交官の受入不承諾に用いるペルソナ・ノン・グラータを大統領に対して発動し報復。あくまでも国家元首扱いを拒否した。
      • そのため、任期中に他国への公式訪問はほとんど何もしていない。
      • 日本はそれに加わっておらず、1990年に訪問を受けている。

ドナルド・トランプ[編集 | ソースを編集]

  1. 初めは一人の弱小候補であったが支持を集め、第45代大統領になった。が…
  2. 定説となっていた地球温暖化を否定してしまった。また、科学技術研究予算も削減するというわけのわからないことをした。
  3. メキシコからの移民を拒否するため国境に壁を建設し、その費用をメキシコ側に負担させると豪語したが、できずじまい。
  4. 2019年のゴールデン・ラズベリー賞では、自身の行いが映画化されたことで「最悪主演男優賞」を受賞することに。
  5. 弾劾訴追を2度も受けた初めての大統領である。
    • 1度目はウクライナに圧力をかけ対立候補のネガティブキャンペーンをしようとしたいわゆる「ウクライナ疑惑」。2度目は大統領選で落選後上記発言で民衆の暴力行為を扇動したというもの。特に後者は共和党からも弾劾訴追に賛成する議員が出た。
      • 両方とも無罪にはなった。しかし、2回目の弾劾裁判においても共和党から有罪票を投じる議員が7名出た(有罪評決には17名必要だったが)。このとき、無罪票を投じたはずの共和党側の院内総務には「もう大統領職ではないから無罪票を入れただけ」「責任を負う義務があることには疑いの余地はない」「暴徒らは地球上で最も権力がある男から狂気じみたウソを吹き込まれていた」と糾弾された。
  6. どうしても落選が認められなかったのか、次期大統領が着任する前日にホワイトハウスを離れ、その就任式には参加しない、という態度だった。
  7. メキシコの壁建設やLGBTの権利を認めないなどやらかし、パリ協定やWHO協定離脱などもしたが、次期大統領の就任初日にすべて取り消されることに。
  8. 環境活動家・グレタ・トゥーンベリさんに「幸せな少女のようだ」(現実を知らずに文句だけ言う奴という意味)と皮肉を言ったが、退任日彼女から「幸せなお年寄りのようだ」とそっくり返された。
  9. 大富豪ではあったが、どうやらかなりの負債を抱えており、自己破産の可能性もあるとか。
    • ちなみに、本人が保有するカジノ施設は一時は興隆したが今は閉鎖してしまい、建物は爆破解体する予定でそのスイッチを押す権利が競売に出されているんだとか。
  10. 発言が問題視され、Twitterなど多くのソーシャルメディアが彼のアカウントを凍結した。この後表現規制を行わないと謳うSNSが注目されたが、こちらはサーバー会社やアプリストア運営会社に追い出され使えない状態に。
  11. ジョージ・H・W・ブッシュ(父親の方)以来の再選を果たせなかったアメリカ大統領である。
    • ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)ですら再選できたのに…。

アドルフ・ヒトラー[編集 | ソースを編集]

  1. とある本では彼とナチスを「フィクションで悪役にしてもどこからも文句が出ない悪のフリー素材」とまで評していた。
    • TRPGリプレイ「ダブルクロス・リプレイ・トワイライト」シリーズでは、ナチスが世界制覇のために人体改造はするわエジプトの秘宝を探すわでなんともハチャメチャな組織になっていた。
      • これでは仮面ライダーのショッカーである。まぁナチスをこういう風に扱う作品はそこそこ多いのであるが。
  2. 現代のドイツには彼とナチスを賛美する「ネオナチ」という人々が存在する。無論違法。
  3. 「むやみに敗戦国を締め付ける、あるいは国民が政府に反抗ばかりしていると、こういう独裁者が出現する」という教訓を残したのが最大の功績か。(別にナチス賛美を行うつもりはないので念のため)
    • この反省で第二次世界大戦後苛烈な賠償請求は行われず、敗戦国への援助も盛んに行われたものの、その代償としてイギリスやフランスのように「戦勝国でありながら短期間で敗戦国に経済で追い抜かされる」(背景にはナショナリズム勃興による植民地の独立など色々あるが)というこれはこれでざんねんな事態を引き起こすことになった。
    • 当時のドイツは第一次大戦での敗戦による荒廃に加えてヴェルサイユ条約によりイギリス・フランスが巨額な賠償金を要求するなど破綻寸前になっており、「どうあがいても滅亡する」という状況(少なくとも多くのドイツ人がそう考えていた)に追いやられていた。
  4. 若い頃は画家を目指していた。もし画家として成功していたら、第二次世界大戦は起こらなかったのでは無いだろうか。
    • 巨匠の黒澤明とそこは同じ。
  5. 少年時代は父親から虐待されていた。これがアドルフが歪んでしまった原因と言われている。
    • 逆に母親とは大の仲良しだった。もしアドルフの母親が長生きしていたら、あそこまで性格が歪んでいなかったのではないだろうか。
    • 父親は一応税務関係の公務員だったものの、家はあまり裕福では無かったという。しかもアドルフの最終学歴は日本で言えば中卒相当である。
      • 何かと比較されがちな東条英機(東條英機)はエリート軍人の家庭に生まれたおぼっちゃまであり一流大学も卒業している。アドルフとは対照的である。
  6. 極右主義者のイメージが強いが、実は生粋のドイツ人ではなくオーストリア人であるため、ヒトラー自身が移民なのである。
    • 「オーストリアにいても仕方がない」と思い、国籍をドイツに変えた。
  7. しばしば日本の政治家でリーダーシップが高いとされている人物のことを「日本のヒトラー」と呼ぶこともある。
    • が、大半のそういう人物は(東条英機を含め)能力的にはヒトラーの足元にも及ばない小物ばかりである。(ヒトラーは能力値自体は高かったため)ある意味、「ヒトラーに失礼である」とも言える。
      • そもそも日本史でヒトラーと肩を並べるかもしれない指導者って冗談抜きで織田信長くらいでは無いだろうか。
      • 日本人では戸塚宏とうしじまいい肉は性格的・人間的にヒトラーに似ていると思う(戸塚は思想的・イデオロギー的にもヒトラー似)。2人とも政治家ではなく戸塚は教育者でうしじまはコスプレイヤーだが。
  8. スターリンと違って身内には優しかった。勿論、敵に対しては容赦なかったが
  9. 第二次世界大戦以後の時代では、人格攻撃の詭弁の一種で「批判対象の者を、誰も否定しようがないほどの悪人と同列に並べる」ことに名前を使われてしまった(「ヒトラー論証」と言う)。

ヨシフ・スターリン[編集 | ソースを編集]

  1. じゃあヒトラーと対立していたスターリンがまともかと言えば、決してそんなことはなかった。
  2. レーニンの死後、政府や党の幹部、軍の上層部のみならず、作家のマクシム・ゴーリキーといった文化人・学者など多くの人物を虐殺した。(大粛清)
    • あまりに粛清をやり過ぎたせいで国家機能が麻痺、経済運営に支障を来たすほどになり、結局はNKVD(内務人民委員部、粛清の指揮を執っていた)の幹部たちを粛清した。
  3. ソビエト宮殿という建物を建設しようとして救世主ハリストス大聖堂を爆破した。結局スターリンの死でソビエト宮殿の建設がなくなり2000年に大聖堂が再建された。
  4. メンデル遺伝学を排斥したトロフィム・ルイセンコを重用した結果、ソ連の遺伝学は破壊され、農業は滅茶苦茶になった。(一応混合花粉受粉法、栄養接木雑種法などちゃんとしたものは存在するが)
    • ルイセンコの農法は北朝鮮や文化大革命期の中国で採用され、飢饉によって多くの餓死者を出すなど両国の農業に深刻な被害を与えた。
  5. ヒトラーと違ってこの人は身内に対しても容赦なかった。残忍さではヒトラーを上回る。
  6. 立憲民主党の有田芳生(よしふ)氏の名前の由来でもある。
  7. 独裁者の例に漏れず、この人も親から虐待されて育った。しかも父親だけでなく母親からも。
    • さらにヨシフは早くに妻を亡くしており、家族運が非常に悪かった…。
    • ヨシフは貧しい靴職人の家で育った。

ネヴィル・チェンバレン[編集 | ソースを編集]

  1. ウィンストン・チャーチルの前のイギリス首相。
  2. アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツやベニート・ムッソリーニ率いるイタリアに対してミュンヘン協定などで譲歩するなど宥和政策をとり続けたが、結果としてドイツやイタリアの軍備増強を招き、第二次世界大戦を引き起こす要因になった。
    • ただし当時のイギリスは反ファシズム以上に反ソ連が主流派であったことは考慮しなければならない。
      • さらに世界恐慌とブロック経済の維持でドイツほどではないにせよ経済的に疲弊しており、強硬政策をとりにくかったことも事実である。

ジョージ・W・ブッシュ[編集 | ソースを編集]

  1. しばしば「ダメな方のブッシュ大統領」と呼ばれ、父親と比較される。
    • ただし父親の方が1期4年しか大統領を務められなかった(ドナルド・トランプが大統領を辞める前までは現職なのに選挙で負けた最後の大統領だった)のに対し、息子の方は2期8年務めている。
  2. 就任1年目こそ90%以上の高い支持率を叩き出したが、末期の支持率は20%を下回り、逆に不支持率が70%を超えることに…。
  3. しばしば20の倍数の年に選出された大統領にはテカムセの呪い(テカムセは先住民の偉い人)がかけられ暗殺されるか病死すると言われていたが、ブッシュ(子)大統領は免れた。これは(不謹慎ながら)そもそもブッシュ氏自身がアメリカにとって呪いだったからという噂すらある。
    • ちなみにロナルド・レーガン氏も暗殺こそされなかったものの、暗殺未遂事件の被害に遭っている。
      • プレッツェルを喉に詰まらせて卒倒して搬送されているため厳密には呪いに掛かっているのでは?
  4. イエール大学卒、ハーバード大ビジネススクールでMBA取得と高学歴だが「成績がCでも大統領になれる」とジョークにするほど成績はひどかった。
  5. 6代大統領ジョン・クインシー・アダムズに次ぐ父子で大統領になった(父親は2代大統領ジョン・アダムズ)。そして父親も現職で落選したという共通点がある。
    • アダムズ親子との違いはアダムズ(子)は父親の死後に大統領に就任しているのに対しブッシュ(子)は父親が存命中に大統領に就任し、退任後も健在だった。
      • アダムズ(子)は父親と同じく落選したがブッシュ(子)は先述の通り再選を果たした。

ウラジーミル・プーチン[編集 | ソースを編集]

  1. 一応は民主国家の仲間入りを果たしたロシアを再びソビエト連邦時代のような独裁国家に逆戻りさせようとしている人物。
    • そもそもプーチン氏自身が若い頃はKGBのメンバーだった。
  2. 子供の頃はひどく貧乏だった。また、小学生時代は不良少年だったとプーチン氏自身も認めている。
    • しかし学業成績自体は良かったため、化学の中等専門学校への入学が許された。また、柔道も習うようになった。
  3. ロシア人であり貧しい家庭で育ち特定のスポーツで活躍した事はマリア・シャラポワと共通する。
  4. ①「同志よ、今のロシアを困らせる3つのBがある」②「それはなんだい?」
    • ①「まずはバレル (Barrel)、石油だ。2番目はブッシェル (bushel)、小麦だ。最後の一つはプーチンだ (ロシア語でВладимир Владимирович)」
  5. 豊臣秀吉と同じような末路を辿りそう…
  6. 高校生の頃,どうやったらKGBに入れるかを直接聞きに行った人物。

ミハイル・ゴルバチョフ[編集 | ソースを編集]

  1. ソビエト連邦(現・ロシア)の最後の党書記長、そして唯一の大統領である。
    • 言論の自由を認めるグラスノチ(情報公開)とペレストロイカ(立て直し)を推進したため、西側諸国からの評価は高いが…。
  2. しかしグラスノチに関しては国内では猛烈な批判を浴びた。
    • 民族主義的な感情が高まり、ソ連の崩壊を招いてしまった。
  3. 旧ソ連構成国のウクライナではかなり嫌われているらしい。
    • 理由はプーチン政権によるクリミア併合を支持したため。
  4. バルト三国に対して武力行使したのにノーベル平和賞を貰ったので当該国からの評判はすこぶる悪い。

ニコラエ・チャウシェスク[編集 | ソースを編集]

  1. 冷戦時代のルーマニアの最高指導者。
    • 旧東側諸国の独裁者の中でも特に有名な人物の一人。
  2. 1918年に貧しい農家に生まれ、11歳の時に工場で働くために首都・ブカレストに移住する。
    • その後共産党に入って政治活動を行うが、何度も逮捕されている。
      • ちなみに収容所では後に妻となるエレナ・ペトレスクと出会っている。
  3. 第二次世界大戦で敗戦国となったルーマニアはソビエトの支配下に置かれて共産主義国家になるが、ここからチャウシェスクが歴史の表舞台に立つことになる。
    • 勿論、悪い意味でね。
  4. 1965年に前任の書記長が亡くなったため新たな書記長に就任。党名をルーマニア労働者党から再び共産党に戻した。
  5. 東側陣営でありながらソビエトと距離を置いて独自の外交路線を進めたことから最初は成功していた。
    • これは第二次世界大戦でソビエト軍がルーマニア国内で横暴な態度をとっていたため。国民の反ソ感情が高まっていた。
    • ユーゴスラビア西ドイツとも仲が良かった。
  6. ところが何故か文化大革命の真っ最中の中華人民共和国や個人崇拝への道に進んでいた北朝鮮といったアジア圏の共産国に憧れるようになり、それらを真似するようになる。
  7. 自身やエレナなどの家族や共産党の幹部だけが富を独占し、残りの99%の国民に対しては貧しい生活を強要していた。
    • 一応社会主義国家ではあったので最低限の食料の配給はあり餓死する国民は殆どいなかったようだが、それでもいくら頑張ってもそれ以上の利益が得られないシステムになっていた。
      • そして政府に対して反抗的な態度をとる者のことは容赦なく粛清した。
  8. やがて経済が停滞すると人々に離婚や中絶の禁止を命じるようになる。
    • これで人口は増えたが、逆に孤児が増加して社会問題になった。
      • さらに捨てられた子供を引き取った孤児院の医療設備は劣悪であったため、エイズなどの感染症が蔓延した。
        • チャウシェスク「10人の子供を産んだ者は英雄である!!」
  9. 1980年のロサンゼルスオリンピックに参加したが、これがソビエトや東ドイツなどの怒りを買ってしまうことに。
  10. 国内で民主化運動が高まった際にはソビエトに助けを求めるが、当時のゴルバチョフ書記長からも見捨てられてしまった。
  11. それでも政権を維持しようと悪足掻きを続けたが、国内各地で暴動が発生。
    • チャウシェスクは当時の国防大臣に対して鎮圧を命じるが、国防大臣はこれを拒否。
      • その後、国防大臣が亡くなってしまうが、これを「チャウシェスクの仕業ではないか」と疑ったルーマニア国軍がクーデターを起こし、逃亡先で銃殺されてしまった。
        • 妻エレナも銃殺された。
  12. チャウシェスクの死後は民主主義国家となるが、皮肉にもチャウシェスクが亡くなってからかえって生活が苦しくなったというルーマニア国民が多い。
    • 未だに先進国から程遠い経済状況であり、ヨーロッパの中では最貧国に近い水準である。

リチャード・ニクソン[編集 | ソースを編集]

  1. ライバルである民主党の拠点があるウォーターゲート・ビルに盗聴器を仕掛けたとして、弾劾をかけられそうになった共和党の大統領。
    • 弾劾裁判になる前に辞任したため回避できたものの、途中で亡くなった人を除けば在任中に大統領の座を降りた唯一のアメリカ大統領となってしまった。
  2. 1960年の大統領選挙で民主党のジョン・F・ケネディ候補と戦うが、実は討論の内容自体はニクソンの方が一枚上手だった。
    • しかしそれでもJFKが勝利した。その理由はニクソンのルックスがお世辞にもイケメンとは言えなかったからである。だからテレビ討論会を見た人たちはみんなJFKに投票した。
      • もしラジオしか無い時代のままだったらもしかしたらニクソンが勝っていた…、かも?
  3. 一応フォローを加えると政治家としては(特に外交面では)非常に有能らしく、前任のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)が解決できなかったベトナム戦争を終結させたり、中国にヘンリー・キッシンジャーを送って関係改善させたり、高い失業率やインフレに悩まされてきたアメリカ経済を改善したり、日本に沖縄を返還するなど、功績もかなり多い。
  4. 日本の総理大臣で例えるならば田中角栄ってイメージかな?悪人っぽいけど仕事はメチャクチャできる人。
  5. 皮肉にもウォーターゲート事件以降、政治的なスキャンダルに対して○○ゲートと名付けられてしまうことが多くなってしまった。

ビル・クリントン[編集 | ソースを編集]

  1. 民主党所属の第42代アメリカ合衆国大統領であり、ヒラリー・クリントンの夫。
    • ちなみに妻のヒラリーも政治家である。
  2. モニカ・ルインスキー氏との不倫スキャンダルが報じられ大バッシングを受け、弾劾裁判にかけられた2人目の大統領となってしまった。(ちなみに1人目はアンドリュー・ジョンソン)
    • 辛うじて無罪となり、罷免は免れたが…。
    • この顛末を本人は「不適切な関係」と表現している。
    • TBSのNEWS23にゲスト出演した際、一般観客の女性からその件についてド直球に質問され、司会進行だった筑紫哲也も巻き添えにしながら慌てふためく様子を大写しにされた。
  3. 当時アメリカで深刻な問題になっていた財政赤字を黒字に持っていったり、IT産業の発展によってアメリカ経済を復活させるなど、経済面では優秀な大統領である。
    • だが外交面ではお世辞には有能とは言い難い。特に日本に対しては(アメリカが貿易で有利になるように)円高になるように要求したり、年次改革要望書を突きつけるなどして当たりが強かった。
      • 中国との関係は最初は親密だった(クリントン大統領が台湾不支持を表明したほど)ものの、コソボの中国大使館を誤って空爆したことから当時の中国副主席だった胡錦濤から猛抗議を受けている。

フランクリン・ルーズベルト[編集 | ソースを編集]

  1. 本名はフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)。ワシントン、リンカーンと並びアメリカで最も偉大な大統領の一人と言われることが多いが…。
  2. 第二次世界大戦当時の大統領であったため、日本人からはメチャクチャ嫌われている。
    • まあ先に攻撃したのは日本なんだけど…。
  3. そもそもこの人自身が反日主義者だったと言われており、ハルノートを出すなど日本を煽ることも結構していた。
    • 日本が真珠湾攻撃を仕掛けてくることも察知しており、わざと攻撃を受けたという説が濃厚。元々戦争をしたがっていたFDRの思う壺になってしまった。
      • 唯一読みが外れたのは真珠湾攻撃の被害の大きさであると言われている。
    • 日本人だけでなく日系アメリカ人に対しても厳しかった。
      • この他黒人に対する人種差別の解消や公民権の適用にも消極的だった。
    • 遠縁の従兄だったセオドア・ルーズベルトが比較的親日だったのとは対照的。
    • 一方、中国に対しては好意的だった模様。日中戦争の差には蒋介石を支援していた。
  4. 自由主義国家の代表格でありながら、共産主義国家のソビエトと仲良しだったことから批判されることも多い。
  5. 唯一3期まで務めた大統領であるため、嫌っている人も多い。
    • とはいえ当時はまだ憲法で3選禁止が決まっていたわけでも無いし、戦時中という非常事態ではあったのである程度理解できる部分もあるが…。
      • 厳密には4期。ただ、4期目就任から3か月で病死したため実質3期のようなものだが…。
        • 彼の死去から6年後の1951年に憲法が改正され大統領の任期は2期8年までと定められ3選が禁止された。それまではワシントンが3選を辞退したためそれに倣っていた。
  6. ニューディール政策によって世界恐慌から脱出したと言われるが、「農業調整法(AAA)によって食料品の価格を高騰させた」「雇用の多くは一時的なものだった」「一度は成功していたのに急に緊縮財政に変えてからまた失業者が急増した(≒ルーズベルト不況)」などの理由から批判の声も多い。
  7. 歴代の米国大統領で唯一、重度の身体障碍を持っていた人物。
    • 急性灰白髄炎(ポリオ)というウイルス性感染症によって両足が不自由だった。
    • ただし現職中はそのことをメディアには一切報道させなかった。
  8. 日本が敗戦間近になりアメリカの勝利が目前という状況の中で脳卒中を発症し、亡くなってしまった。
    • アメリカの勝利を見ることができなかった。
    • FDRが亡くなった際には敵国の首相だった鈴木貫太郎からも弔電が送られてきた。

ハリー・トルーマン[編集 | ソースを編集]

  1. FDRの死によって副大統領から大統領に昇格した人物。
  2. 第二次世界大戦終結時の大統領だが、日本に2回も原子爆弾を落としたため、アメリカでも嫌われている。
    • FDRが英雄視されることが多いのに対して、トルーマンが英雄視されることは少ない。

ジョン・F・ケネディ[編集 | ソースを編集]

  1. 第35代アメリカ合衆国大統領を務めた人物。
    • 当時の日本の首相は池田勇人。日本が高度経済成長に入る直前に米国大統領を務めた人物ってこと。
  2. 1960年の選挙では共和党のニクソンを破って翌年から大統領に就任したが、ニクソンに勝っていたのはルックスだけ。それ以外の要素は圧倒的に不利だった。
    • ニクソンがドイツ系だったのに対しJFKはアイルランド系。宗教はニクソンがプロテスタントだったのに対しJFKはカトリック。また、演説の内容はニクソンの方が一枚上手だった。
      • 後にジョー・バイデン氏が就任する前まではJFKが米国で唯一のカトリック大統領だった。
  3. 人気の高い大統領だが、その割に功績はあまり多く無く、評価がいまいち芳しくない。
    • スキャンダルもあり、マリリン・モンローなど複数の相手と不倫していた。
    • ピッグス湾事件やベトナム戦争における優柔不断な態度はかなり批判されている。
    • 最大の功績であるキューバ危機の回避についても、ソビエトのニキータ・フルシチョフが譲歩してくれたおかげであり、これが無かったら本当に第三次世界大戦になっていた可能性があったと言われている。
  4. 1963年にテキサス州で遊説のためパレードを行っていた際に暗殺された。
    • 米国史上最も若くして亡くなった大統領である。
    • 日米の衛星テレビ中継の記念すべき第一報がケネディ暗殺のニュースだった。
  5. 日本では人気にあやかり「○○のケネディ」と自称する政治家や候補者が多く現れた。
    • 「平成の黄門様」こと渡部恒三はかつては「ワタス(私)は会津のケネデイだす!!」と自称していた。

ハーバート・フーヴァー[編集 | ソースを編集]

  1. 共和党所属のアメリカの政治家。第31代大統領。
  2. 世界恐慌の際に有効な手を打てなかったため、歴代でも評価の低い大統領である。
    • そのせいでFDRの株を上げてしまうことに…。
    • ただ何もしなかったってのは間違いで、鉄道公社の救済や失業者に対する給付金などの政策をとってはいた。
  3. こんな彼だが、エンジニア、経営者としては有能だったらしい。
    • 日本で言えば菅直人氏や鳩山由紀夫氏みたいな感じか。
  4. 不況への無策に対し「フーバー・ビル(フーバー村)」や「フーバー・ブランケット(フーバー毛布)」なる言葉が生まれた。
    • ルーズベルトのTVAで作ったダムの名前が「フーバー・ダム」。ある意味嫌がらせかもしれない。
  5. ただし、政府による経済介入を悪とするリバタリアンの間では合衆国でもっとも偉大だった大統領と評価するファンも多く、現在でもフーヴァー自身が設立したフーヴァー研究所が存在している。

リンドン・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

  1. 暗殺されたJFKの後を継いでアメリカ大統領に就任した人物。
    • 人権擁護や福祉政策に力を入れ、黒人の公民権を認めた人物。そのため内政面での評価は高いが…。
  2. 外交面での評価がきわめて低い。
    • ベトナム戦争を泥沼化させた戦犯と言われている。
    • アメリカ国内でも激しい反戦運動が起こった。
    • その結果、支持率が低下し1968年の大統領選挙に当選はおろか党からの候補者指名も厳しい状況になり出馬を断念した。
      • 副大統領から昇格した大統領の最初の任期は前任者の任期の残りだがその任期が2年を切っていた場合、例外的に3期目に立候補できる規定があり、1963年に昇格したジョンソンにはその資格があった。もし1968年の大統領選挙に立候補して当選すればフランクリン・ルーズベルト以来の3期務める大統領になっていた。
  3. ぺんてるサインペンを世に広めた人物。

ジミー・カーター[編集 | ソースを編集]

  1. 第39代のアメリカ大統領に就任した民主党所属の政治家。
    • 1976年の選挙で共和党のジェラルド・フォードを破った。
  2. しかし外交政策、国内政策共に失敗したため支持率が急落し、1980年の選挙では共和党のロナルド・レーガンに敗れた。
    • 在任中に実施した経済政策が失敗した上にイラン革命による石油危機によって国内では酷いインフレーションと不景気に見舞われた。
      • また航空会社の規制を緩和した結果、航空会社の倒産が急増し、(コスト抑制のため機材の老朽化や未熟なパイロットが増えたことから)事故も増えた。
    • 将来的にパレスチナ人国家を作ることを約束したが、これがユダヤ系アメリカ人やイスラエル人の怒りを買った。
    • イランアメリカ大使館人質事件を防げず、人質救出作戦にも失敗したことから保守派の方々からは「弱腰外交」だと批判されている。
    • 「人権外交」を掲げていたが大きな成果を出せず、イラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻も防げなかった。
      • 日本で言えば鳩山由紀夫氏みたいな感じか。あ、流石に鳩山氏よりはカーターの方がマシかもしれんが。
  3. 何故か核に縁がある人物。
    • 若い頃はアメリカ海軍の原子力潜水艦で働いていた。
      • カナダのチョーク・リバー研究所で事故が発生した際にも技術者として事故処理に当たった。
    • 自身が大統領だった頃にスリーマイル島原子力発電所事故も発生している。
  4. 一応、大統領以外でなら有能らしい。
    • ジョージア州知事時代は人種差別の撤廃や、貧富の差による教育格差の解消に取り組んだ。
    • 大統領を辞めた後は積極的な外交活動を行い、2002年にはノーベル平和賞を受賞し史上最強の元大統領と言われた。
  5. ある落語家から副大統領だったウォルター・モンデールと合わせて「大統領のを副大統領が揉んでいるという事でカーター・モンデール」とネタにされたことがある。

ロナルド・レーガン[編集 | ソースを編集]

  1. 共和党所属の第40代大統領。
    • 外交面ではソ連のゴルバチョフに勝利した大統領として人気が高い。
  2. しかし双子の赤字を拡大させたため、経済面での評価は微妙。
  3. 日本の中曽根康弘首相とは親友とも言える関係だったが、同時に日本の対米従属を強化させてしまった。
  4. 1981年には一命は取り留めたものの、銃撃されてしまい重傷を負っている。

アンゲラ・メルケル[編集 | ソースを編集]

  1. ドイツ連邦共和国の第8代首相。初の東ドイツ出身の首相であり、ドイツ初の女性首相でもある。
    • 戦後のドイツ首相の中では在任期間はヘルムート・コールに次いで2番目に長く、ドイツ経済を立て直した名宰相と言われるが…。
  2. 移民を大量に受け入れまくったことは保守派の方々から厳しく批判されている。
    • 保守派曰く「移民のせいで犯罪発生率が上昇した」らしい…。
  3. ユーロ圏の他国(フランスギリシャなど)に対して緊縮財政政策を押し付けたことについても批判の声が多い。

マーガレット・サッチャー[編集 | ソースを編集]

  1. 第71代イギリス首相。
    • 鉄の女と呼ばれたイギリス発の女性首相であり、約11年間務めた名宰相と名高いが…。
  2. 過度の新自由主義的政策から地方経済を疲弊させたことや失業率を上げてしまったことについては厳しく批判されている。
    • 富裕層を優遇したため、労働者からは嫌われている。
  3. また、元々福祉国家だった英国をアメリカ並みの弱肉強食の国にしてしまったのもサッチャーであると言われている。
    • これはマーガレットが(名士とはいえ)貧しい家庭で育ったことから「自己責任・自助努力」の精神が養われた結果とも言われている。
    • イギリスの小泉純一郎、女版小泉純一郎とも言われている。
  4. 2013年に亡くなった際には国葬並みの葬儀が行われたが、大量の税金が投入されたためサッチャーを嫌っていた労働者らからは厳しく批判されている。
  5. モンティ・パイソンでは「サッチャーの脳みそは足にある」と皮肉られた(首相就任のはるか前の時点で)

イ・ジュンソク(李俊錫)[編集 | ソースを編集]

  1. 政治経験なしに史上最年少で野党代表に就任したと、日本メディアでも好意的に報道されていた。また、ハーバード卒のエリートともいわれている。
    • しかし実際には、選挙で敗けまくったうえ、党の分裂と復帰を繰り返しているし、韓国の政治家は学歴や資格だけならもっと上がたくさんいる。
      • 元喜龍は貧しい田舎に生まれたにもかかわらず全国的な学力テストで12回全国一位になりマスコミの注目を浴び、ソウル大に入学し弁護士になった。彼は国民の力に現在所属しているがアンチョルスやユン大統領に近い立場で、イ・ジュンソクとは対立している。
      • 左翼系の李正姫も人文系女子全国一位でソウル大学に合格し弁護士になった。
      • 千正培も全国首席になり、ソウル大学から弁護士。彼はアンチョルスと共に国民の党で活動していたがイ・ジュンソクらが所属する正しい政党と合併するのが嫌で民主平和党を結成した。
    • また、中道寄りの保守ぶっているが、激しいアンチフェミニスト傾向である。
  2. 日本メディアであれだけとりあげられたにもかかわらず、イ・ジュンソクと検索するとグーグルはイケメン俳優の「イ・ジョンソク」に訂正する。
  3. マーク・ザッカーバーグと同時期にハーバードに在学しており、ビットコインに極めて早い段階で言及しているなど、プログラマーとしての詳しさをアピールしている。また、その経験からフェミニズムに反対しているという。
    • しかし、彼の因縁のライバルで政敵のアンチョルス(安哲秀)は韓国初のアンチウイルスソフトを作ったインターネット・個人用パソコン初期の生き字引だ。
      • しかもアンチョルスはそのアンラボで大成功しきわめて高額の納税をしているだけではなく、韓国最難関の受験を突破しソウル大学の医学部にも入り、コンピュータウイルスだけではなく人間相手のウイルスも医者として治療した。また、ペンシルベニア大学の工学修士と経営学修士をとっている。イ・ジュンソクは自動取引ソフトについて触れているが、アンチョルスほど巨大な資産を築いた様子はなく、ハーバードでコンピュータサイエンスを学んだといっても学士卒である。
        • イ・ジュンソクはビットコインにはじめて言及した時期から最高額までホールドしていればそれだけで資産が100倍になっているはずなのに、大もうけした様子がない。自動取引ソフトは失敗したのだろうか。また、彼が総裁を務めた韓国の野球独立リーグであるKIBAドリームリーグは3年で崩壊した。
        • 入学難易度だけなら、たぶん人格面などが審査される欧米型の大学入試より、試験の結果が重要なアジア型の入試のほうが難しいわけで、ハーバードよりソウル大学のほうが難しいのではないか…。そして欧米型大学は卒業が難しいとはいえ、STEM分野は修士はないと、学士卒では天才というには物足りないのではないか。
  4. 国政選挙で同じ選挙区から3連敗しており、まだ議員に当選したことがない。しかも最初の選挙で敗北した相手のアンチョルスと同じ党に二度なっているのに二回とも対立して、二回ともイ・ジュンソクが離党している。
  5. 性的接待を受けたうえ証拠隠滅を示唆し、見返りに投資を約束させたとして国民の力から党員資格を停止された。結局そのまま離党して新党結成する形に。女性家族部を廃止しようとするアンチフェミニストの彼の本音がわかってしまった。
    • ちなみにユン政権がアンチフェミニスト層の支持を狙って公約に掲げた誣告罪厳罰化や女性家族部廃止、徴兵の給料アップなどの公約はほとんど翻されている。そしてイ・ジュンソクも党員資格を停止された。
  6. 20代男性からは熱い支持を受けているようだが、女性票はむしろ逃げる結果に。
    • イ・ジュンソクが国民の力代表に当選後、世論調査で20代女性の国民の力支持率がたった1%まで落ちた。しかし、ユンソンニョルとイ・ジュンソクが大統領選挙期間中でさえ対立する様子を見せたことで、逆に女性支持層が国民の力に戻ってきた。
      • それでもユン・ソンニョルが誣告罪厳罰化や女性家族部廃止などの主張を掲げていたことから大統領選挙当選時は護身具を買わなきゃなどの声もあった。しかし、イ・ジュンソクの党員資格が停止され、それらの公約がまともに進められなかったことで逆に女性支持層が増えた。
      • この時党代表の座を争っていたナ・ギョンウォンが当選していたならむしろ女性支持率が上がっていたのではないか。
      • イ・ジュンソクがまともに勝った選挙はこれだけで、国政選挙ではアン・チョルスに負けたり、その選挙区でアン・チョルスの政党に合同したから地盤を引き継ぐ形なのに負けてアン・チョルスに支援を得られなかったと言い出したり、民主党候補にダブルスコアで負けたり、同じ選挙区で3連敗している。
        • ちなみにアン・チョルスも大統領選挙やソウル市長選挙での失態から選挙に弱いイメージを持たれているが、国会議員選挙では小選挙区で3回当選している。3回とも大差で圧勝している。
  7. 朴槿恵キッズとしてセヌリ党から政界に入ったのに朴槿恵が弾劾されると手のひらを返して反朴槿恵、中道寄りの保守ぶって離党し正しい政党に行った。
    • しかしアン・チョルスブームで二大政党制を崩壊目前まで追い込んだ第三極の国民の党と合併したら、民主平和党が合併に反対して出ていき、かえって支持率が落ちた挙句、自分たちもアン・チョルスと対立した。そして新しい保守という新党を結成して出て行って、また未来統合党(現・国民の力、要するにセヌリ党の後身)に入っていった。そしてまた国民の力でアン・チョルスと対立して政治的に敗北し、抜けて第三極を作ろうとしているわけだが…
      • 共に民主党で李在明との勢力争いに負けたイ・ナギョンの新党と第三極連携しようとしている。民主党でムン・ジェインと対立して新党を作ったアン・チョルスと連携しようとして失敗したのに、また同じことをしようとしている。
        • ちなみに世論調査では、イ・ナギョンと組んだ場合支持率が逆に落ちることがすでに示唆されている。
        • それでも他のリベラル系第三極政党に連携するかわりにフェミニズム公約を撤回させるなどしているようだ…。

関連項目[編集 | ソースを編集]