ざんねんなサッカー事典

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分割済み[編集 | ソースを編集]

リーグ[編集 | ソースを編集]

北米サッカーリーグ
  1. 1960年代のサッカーブームに乗り創設されたリーグだったがアメリカ人選手の育成がうまくいかなかったことなどが原因で84年に消滅。
    • ペレ、ベッケンバウアー、ヨハン・クライフといったような南米や欧州の人気選手に頼りきりだったところが響いた。
    • 一時期は現在のMLBばりに全30チームまで膨れ上がっていたが…。
  2. アメリカ人に受けようとしてFIFAルールとはかなり異なる決まりも取り入れていた。
  3. 現在のプロリーグであるメジャーリーグサッカーは、スタジアムでお客はサッカーを見ない という意味が分かりにくい前提でサッカー場をサッカーパークにしたりだとかフードメニューを充実させたりとかの地道な営業努力でそれなりに栄えている模様。
日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)
  1. 日本を代表するリーグではあるが、人気の面では海外に伸び悩む部分も多い。
    • 国内のサッカーグッズのショップでも、Jリーグのクラブのグッズより海外のクラブのグッズの方が多い場合もある。
      • そのためか、最近は東南アジアのサッカー途上国での売り込みに必死。
  2. 今では信じられないかもしれないが、かつて民放各局ならびにNHKで、ゴールデンタイムで全国放送されていた時期がある。
    • それが現在、地上波・BSでの生中継が激減した (今では各節1試合をNHKで放送、それ以外を地方局が中継する程度、代わってスカパーやDAZNが主流に) 。
      • 民放が中継する試合はスーパーカップ (日テレ系) ・ルヴァンカップ決勝 (フジテレビ系) ぐらい。
        • 2015年・2016年に開催されたチャンピオンシップは決勝第1戦がTBS系で生中継された。
  3. かつては、東西対抗のオールスターゲームもあったが、いつの間にか消滅。
ロシアサッカー・プレミアリーグ
  1. 厳密には常に残念ではないのだが、極東地域のクラブがプレミアリーグに昇格した途端、とんでもない事になる。
    • 広大なロシアで、主要クラブが西側(ヨーロッパ側)に集中しているのに対し、極東地域に同じカテゴリのクラブがあると長距離大遠征となってしまう。
  2. 2017-18のシーズンで、SKAハバロフスクがプレミアに昇格した際、西側のクラブは約8,000kmの距離を遠征を強いられることになった。
    • 飛行機のフライト時間で約8時間、時差ボケも発生する。
      • コンディションを考え、なるべく試合開始ギリギリになるように到着して、試合が終わったら休みを取らずにすぐ帰るということが行われていたらしい。
      • 相手からは「人生最悪の移動だった」「Jリーグに移籍すべき」との声も。
    • 当然、SKAハバロフスク自身も、アウェー遠征では長時間の移動を強いられることになる。

試合・シーズン展開[編集 | ソースを編集]

世界[編集 | ソースを編集]

FIFAワールドカップ[編集 | ソースを編集]

1934FIFAワールドカップ
  1. 開催国イタリアの代表選手の大半がアルゼンチンからの帰化選手。
  2. 審判もムッソリーニに忖度してまともなジャッジができなかった。
  3. 前回優勝のウルグアイは自国開催だった前回大会に欧州勢があまり参加しなかったことに抗議するため不参加。
1966FIFAワールドカップ
  1. グループ4でイタリア北朝鮮に敗れる大波乱。
    • 帰国後、イタリアの選手はファンから腐った卵やトマトを投げつけられた。
  2. 開催国のイングランドが優勝したが、一方で決勝(イングランド対ドイツ)戦のハーストのゴールはノーゴールだったのでは?という疑惑がある。
1986FIFAワールドカップ アジア最終予選・ゾーンB第1戦 日本vs韓国
  1. サッカー日本代表の試合で初めて国立競技場を満員にした記念すべき試合。
    • しかし試合は前半にプレッシャーによるミスから韓国に2点を許し、木村和司のフリーキックで一矢報いたが1-2で惜敗。
    • ソウルでの第2戦も0-1で敗れ、日本代表はワールドカップ出場をあと一歩のところで逃してしまった。
1990FIFAワールドカップ
  1. ワールドカップの歴史において、最も退屈な大会と言われた。
    • BBCからは「守備的サッカーが横行したワールドカップ史上最悪の大会」と評された。
  2. 決勝の西ドイツ対アルゼンチン戦も、アルゼンチンが2人の退場者を出すなど荒れた試合となった。
    • 決勝点となったPKの判定も微妙だった。
      • ニューヨーク・タイムズは「酷い勝利、酷い敗戦、全く酷い試合」と酷評。
1994FIFAワールドカップ
  1. グループリーグ終了後、コロンビア代表のアンドレス・エスコバルが射殺された。
    • この事件の影響か大会終了後、日本サッカー協会はオウンゴールの名称をそれまで使われていた「自殺点」から「オウンゴール」に変更する事を発表した。
  2. マラドーナ(アルゼンチン代表)が大会中のドーピング検査で陽性と判定され大会から追放。
  3. 日本は「ドーハの悲劇」で、フランスは「パリの悲劇」で、それぞれ出場を逃した。
  4. グループCのドイツ対韓国戦で、ドイツサポーターからのブーイングに対して中指を突き立てたシュテファン・エッフェンベルクが強制帰国。
  5. 最後はロベルト・バッジョのPK失敗で幕を閉じた。
    • 優勝したブラジルもパレイラ監督のバランス重視の戦術が「芸術的ではない」とブラジル国内から批判され、24年ぶりの優勝は正当に評価されなかった。
  6. 欧州のゴールデンタイムに合わせるため、真夏の炎天下でのデーゲームが多くなった。
2002FIFAワールドカップ
  1. 開催までの経緯がすでにざんねん。
  2. 共同開催になった関係で使用スタジアムを間引きして悲喜こもごも。
  3. FIFA100年の歴史というDVD中の誤審のコーナーで半分を占めるほどの誤審が相次いだ。誤審が出たのが韓国の相手に集中した事から審判買収説まで出るほど…。
    • FIFAの調査では買収の事実は認められなかったそうだが、そもそも当時のFIFAの副会長が韓国人だったという時点でお察し下さいとしか…。
2010FIFAワールドカップ
  1. 音(ブブゼラ)がざんねん。
    • フランスの中継では「この音の周波数だけ音量を下げる」という対処までしたとか。
  2. ボールがざんねん…を通り越していた(ポストの上的な意味で)。
  3. 前回のワールドカップの優勝(イタリア)・準優勝(フランス)がグループリーグ敗退。特にフランスは内紛が起こっておりボロボロな状態になっていた。
2014FIFAワールドカップ準決勝 ブラジル対ドイツ
  1. 開催国として出場したブラジルが準決勝でドイツに1対7で大敗を喫した 「ミネイロンの惨劇」 。現地では自殺者が出るほどの大事件につながった。
  2. ブラジルのメディアは選手を痛烈に批判。
    • エストラ紙は「これまでブラジルサッカー界最大の恥辱として批判され続けてきた1950年の準優勝メンバーにおめでとうを言いたい。昨日我々は本当の恥辱とは何かを知った」と逆説的にブラジル代表を皮肉った。
      • Lance紙はほぼ白紙、metro紙は真っ暗な中に浮かび上がる1-7のスコアボードという、一見手抜きにも見える悲しみを1面にした。
        • Lance紙に関してはあなたの今の気持ちを教えてほしい、そしてあなた自身の一面を作ってほしいというコンセプトでこのほぼ白紙の一面を出したとのこと。
      • ジア紙に関しては当時のブラジル監督を「地獄へ行け」と一面で断じた。
  3. 次のロシア大会でブラジルは準々決勝まで進出したが、ドイツは…。

国際大会[編集 | ソースを編集]

UEFAチャンピオンズカップ 1984-85決勝 ユヴェントスvsリヴァプール
  1. 試合前に両チームのサポーター同士の衝突がきっかけとなり群集事故が発生。
    • 所謂「ヘイゼルの悲劇」。この事故により39人が死亡、400人以上が負傷。
2011FIFA U-17ワールドカップ日本代表
  1. グループリーグでフランスと引き分けジャマイカ・アルゼンチンを破り、ベスト16でニュージーランドに6-0で大勝し、中田英寿ら黄金世代が出場していた1995年以来16年ぶりのベスト8進出を決めた。
    • また当時は出場国が16ヶ国でグループリーグを突破するとベスト8だったため、決勝トーナメントで勝利したのは史上初。
  2. しかしその1ヶ月弱後、女子ワールドカップで日本(なでしこジャパン)が初優勝。これでこっちが完全に霞んでしまった。
  3. ニュージーランド戦のFIFAマッチレポートから「無慈悲スコア」や「無慈悲ジャパン」という用語を生み出すが、知名度はそのくらい。

日本[編集 | ソースを編集]

シーズン[編集 | ソースを編集]

1993年の浦和レッズ
  1. ブラジル勢の不振・エースストライカーの福田正博の不振(27試合4得点)もあり、第1ステージ・第2ステージ共に最下位。
    • しかも両ステージとも目の前で相手クラブ(第1ステージ・鹿島アントラーズ、第2ステージ・ヴェルディ川崎)の優勝を見届けてしまった。
    • 6月9日の鹿島戦では福田が先制ゴールを挙げ、選手たちがピッチ内で喜んでいる内にゲームが再開、黒崎比差支にあっさり同点ゴールを決められてしまうという事件(?)も…。
    • 唯一の明るい話題は社員選手としてプレーした水内猛が7得点を挙げたことぐらいか。
  2. 第1・第2ステージの合計得点は26点と、ディアス(横浜マリノス)一人の総得点(28点)にも及ばなかった。
  3. 更に水色のセカンドユニフォームを着用した試合では一つも勝てなかった。
  4. シーズン終了後、森孝慈監督は「3年分負けた」という言葉を残して監督を辞任。
1996年の京都パープルサンガ
  1. Jリーグ1年目のシーズンだったが開幕戦でヴェルディ川崎に敗れ、その後17連敗を喫してしまう。
    • 監督のジョゼ・オスカー・ベルナルディは6月に解任された。
  2. シーズン途中にV川崎かららラモス瑠偉・藤吉信次、ガンバ大阪から山口敏弘を獲得し、18節の浦和レッズ(西京極)戦でようやく連敗をストップ。
    • その後はある程度持ち直したが、17連敗が響き最終成績は最下位。
1999年のベルマーレ平塚
  1. メインスポンサーだったフジタの経営不振により、主力選手たち(呂比須ワグナー、名塚善寛、小島伸幸、田坂和昭、洪明甫)は他のクラブ(呂比須→名古屋、名塚→札幌、小島→福岡、田坂→清水、洪明甫→柏)へ移籍。
  2. J1は1stステージ・2ndステージ共に最下位に終わり、J2への降格が決まってしまった。
2000年の柏レイソル
  1. 年間総勝ち点でリーグ最多となったものの、最終節の鹿島戦でスコアレスドローに終わりチャンピオンシップを逃した。
    • 年間最多勝ち点クラブがチャンピオンシップを逃したのはこれが唯一である。
      • これにより、2015年・2016年のJリーグチャンピオンシップでは前期優勝・後期優勝に加えて年間勝ち点上位3チームを合わせた、最大5チームによるトーナメント戦で対戦されるようになった。
2000年のヴァンフォーレ甲府
  1. 第4節のベガルタ仙台戦の勝利を最後に、第33節のアルビレックス新潟戦に勝利するまで、6連敗と19連敗を含む26試合未勝利を記録してしまった。
  2. 入場者数も浦和レッズ戦を除き3000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1000人を割る試合が5試合もあった。
  3. 途中退団者が発生し選手が不足したことから、フィジカルトレーナーだった鶴田道弘と急遽プロ契約を結んだ。
2002年のサンフレッチェ広島
  1. 前年、2ndステージで3位という好成績を残したヴァレリー・ニポムニシが急遽辞任。後任はヴァレリーが推薦したガジ・ガジエフが就任したが…。
    • ガジエフは前年に活躍したスティーブ・コリカとオレグ・パシニンを「戦術に合わない」と放出。
      • 更にセンターバックの上村健一が開幕直前に大怪我を負い、計算できるCBが誰もいない状況で開幕を迎えた。
  2. 開幕後もクラブは連戦連敗を続け、更に急遽獲得した新外国人選手たちも軒並み期待外れに終わり、ガジエフは7月に家族の急病を理由に辞任。
  3. 後任はコーチの木村孝洋が昇格という形で監督に就任したが、消極的な采配に終始しクラブは混迷を極める。
    • 9月に小野剛をヘッドコーチに招聘してから漸くクラブの状態も安定したが勝ち点を伸ばせず。
      • 最終成績は15位に終わり、ステージ優勝経験のあるクラブとしては史上初のJ2降格となってしまった。
2003年の京都パープルサンガ
  1. 前年はJ1で5位・天皇杯も優勝し、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得したが…。
    • 天皇杯終了後に主力選手だった朴智星がPSVアイントホーフェン(オランダ)に移籍。
      • 代わりに獲得した韓国人選手(高宗秀)がほとんど機能せず、更に主力選手に怪我が続出しチームは一気に失速。
  2. ファーストステージは最下位に終わり、ゲルト・エンゲルス監督は6月に解任。
    • セカンドステージも14位と低迷し、エンゲルスの後任のピム・ファーベークも11月に解任。
    • 年間成績も最下位で、2度目のJ2降格となってしまった。
2003年のサガン鳥栖
  1. 攻撃重視のサッカーが全く機能せず、第17節から最終の第44節まで1勝も出来ず最下位に終わった。
    • 勝ち点も11位の横浜FCの半分にも満たず、最終成績はシーズン3勝・28試合連続勝ちなしで当時のJ2ワーストを記録してしまった。
2005年のヴィッセル神戸
  1. この年からユニフォームの色が白と黒の縦縞からクリムゾンレッドに変わったが、開幕戦の勝利以降公式戦12試合勝ちなしとなり、6節・広島戦終了後に監督の松永英機が辞任。
    • 後任にエメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、12節・名古屋戦終了後に解任。その後パベル・ジェハークが監督に就任。
  2. 更に2001年からクラブの顔として在籍したFWの三浦知良が構想から外れたこともあり、7月に退団。
  3. 第7節で最下位に転落して以降は年間通して低迷、31節・大宮戦に敗れ初のJ2降格が決定してしまった。
2007年の横浜FC
  1. 浦和レッズとの開幕戦(第1節)は久保竜彦のスーパーゴールがあったが1-2で惜敗。
    • 横浜F・マリノスとの第2節の横浜ダービーは1-0で勝利したが、その後は低迷し前半戦は最下位。
  2. 後半戦初戦の第19節の横浜ダービーは1-8で惨敗。8月27日には高木琢也が監督を解任されジュリオ・レアルが後任となったが、10月20日のヴィッセル神戸戦に敗れJ2降格が決定。
    • 最終節(第34節)で浦和に勝ち鹿島アントラーズの優勝をアシストしたが、最終成績は最下位となってしまった。
  3. 唯一の明るい話題はGKの菅野孝憲が新人王を獲得したことぐらい。
  4. シーズン中には前年の昇格に貢献したアレモンが交通事故により23歳の若さで亡くなるという悲しいニュースも…。
2008年の東京ヴェルディ
  1. 昇格にフッキが復帰するも1年で降格、ヴェルディはJ2でくすぶり、フッキは世界的プレイヤーに成長。
  2. 31節終了後に柱谷哲二監督が「このままだったら100パーセント落ちる」と口走った発言が現実のものとなってしまった。
2009年のジェフユナイテッド市原・千葉
  1. 古河電工時代から2部降格がなかったが、ついに初のJ2降格が決まってしまった。
2010年のギラヴァンツ北九州
  1. 得点力不足と守備陣の崩壊に苦しみ、J2で31試合連続勝ちなしという不名誉な記録を打ち立ててしまった。
2012年のコンサドーレ札幌
  1. 前半戦から7連敗・9連敗と負けが込み、シーズン途中に外国人選手を補強したが状況は全く変わらず。
  2. 負けると自力での降格回避が不可能という状態になった9月29日の27節・川崎戦でも惨敗。
    • これによってJ2降格が完全に決定してしまう。
  3. 年間順位は4勝2分28敗の勝点14で、成績は勿論最下位。
    • 連勝なし・アウェーゲーム13連敗・年間28敗・総失点88・得失点差-63はJ1ワースト記録。
      • 勝点14はJ1がリーグ戦18チーム・年間34試合制となって以降のワースト記録だった。
  4. 最終節、降格崖っぷちとも言われていた新潟にも敗れ、新潟の奇跡の残留とG大阪の初降格を演出する結果に。
2012年のガンバ大阪
  1. 10年間監督を務めた西野朗の後任としてブラジル人監督のセホーンが就任。
    • 本来は元日本代表の呂比須ワグナーを新監督になる予定だったが、呂比須がJリーグの指導者資格の要件を満たさないため、呂比須の推薦でセホーンが監督に就任した。
  2. ACL・J1で公式戦5連敗を喫しJ1第3節終了後にセホーンと呂比須を解任。後任はコーチの松波正信が就任。
  3. オリンピック中断前の12試合で2勝3分7敗と降格圏の16位に低迷。
  4. 家長昭博・レアンドロ・岩下敬輔を補強した後半戦はやや持ち直したが、最終成績は17位で初のJ2降格。
    • 総得点はリーグ1位の67得点であったが、総失点はリーグ17位の65失点だった。
      • このため、得失点差が+2だったが降格となる事態になった。この年は大量得点で勝った試合が多かったが、2得点以下の試合では1勝もできなかった。
2013年の横浜F・マリノス
  1. 33節(ホームの新潟戦)・34節(アウェーの川崎戦)のどちらかに勝てば優勝だったが痛恨の連敗。
    • 33節・34節を連勝したサンフレッチェ広島に優勝をさらわれてしまった。
      • そのサンフレッチェ広島とは2013年の天皇杯決勝でも対戦したが、この際はF・マリノスが優勝を決めた。
2013年のジュビロ磐田
  1. 開幕直後から低迷し7節の時点で最下位となり、森下仁志監督が解任され関塚隆氏に交代したものの持ち直せず、クラブ史上初、静岡県勢としても初のJ2降格となってしまった。
    • 危うく静岡ダービーである清水戦で降格が決まりそうになり、清水サポーターからゲーフラで煽られる結果に(当該の清水サポーターは清水側から入場禁止の処分が下されたが)。
2013年の大分トリニータ・2014年の徳島ヴォルティス
  1. どちらも1年間、ホームでの勝利が全くなかった。
2014年の浦和レッズ
  1. 開幕直後から首位を独走していたが、9月以降失速。更にJ2からの復帰直後であるガンバ大阪の猛追もあり、ついには優勝を逃してしまった。
    • 勝てば優勝が決まる32節のG大阪戦に敗れて首位を明け渡し、最終節の名古屋戦でとうとう力尽きた。
    • 独走からの転落劇にJリーグ版「Vやねん!」の称号を得る結果に。
  2. サポーターの不祥事でJリーグ初の無観客試合という厳罰が下った。
2014年のセレッソ大阪
  1. 前年度3位、ACL出場と初タイトルを目指してW杯優勝経験者の元ウルグアイ代表・フォルランを獲得して大きく話題になるも、肝心の成績自体は開幕から低迷を続け優勝どころかJ2降格となってしまった。
    • 前年まで指揮を執っていたレヴィー・クルピに代わって元FC東京監督のランコ・ポポヴィッチを監督に招聘したが、それが裏目に出る結果に。
      • ポポヴィッチ→ペッツァイオリ→大熊裕司と、2度の監督交代が迷走を物語っている。大熊裕司もシーズン終了後に退任している。
    • 肝心のフォルランは33試合出場9得点と期待とは程遠い成績に。監督が大熊裕司に交代した時は出場機会そのものが減少していた。
    • 当時のスローガン「史上最攻」はその後もネタにされる始末。
2015年の大分トリニータ
  1. J2降格から2年目のシーズンだったがまさかのJ3降格。J1経験クラブ初のJ3となってしまった。
    • しかも、大分は2008年にJリーグカップを制したため、タイトル保有チームでも初の降格となってしまった。
2015年の清水エスパルス
  1. 1stステージを最下位で終わると、2ndステージ途中に大榎監督が解任され、田坂監督に交代するも持ち直せずにクラブ史上初のJ2降格が決定。
    • 2ndステージは2勝しかできない結果に(しかも2勝目は降格決定直後)。
    • 2013年に同じ静岡県勢のジュビロ磐田が降格した際にサポーターが煽った結果、2年後に自らに跳ね返る結果に。
2016年の名古屋グランパス
  1. シーズン後半で負けが続いた結果、年間成績が16位となり翌年はJ2リーグに降格してしまった。これによりJリーグ発足当初から参加している 「オリジナル10」 でJ2以下への降格経験がないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスのみになってしまった。
  2. 同じ名古屋を本拠地とする中日ドラゴンズも開幕から低迷し、監督も途中で解任される(グランパス:小倉→ジュロヴスキー、ドラゴンズ:谷繁→森)という同じ様な結末を迎えたため、この年の名古屋のスポーツ界は暗黒とも言われてしまった。
    • ただし、グランパスは16位と最下位こそ免れている(ドラゴンズは6位とセ・リーグ最下位)。
2017年のブラウブリッツ秋田
  1. J3優勝を果たしたものの、Jリーグのクラブライセンス制度を満たしておらずJ2に昇格できなかった。なお、同年2位の栃木SCはJ2どころかJ1ライセンスを保有していたため、こちらはJ2に昇格できた。
2017年のザスパクサツ群馬
  1. 開幕から苦戦が続き、12節で初勝利を挙げた後少し成績が上向いたが、その後は再び低迷。
    • 37節終了時点でJ3降格圏の21位以下が確定し、試合後にはフロントを批判する横断幕が…。
      • Jリーグに関わる全ての皆様へ!!SOS。」「今、このクラブで起きてることを見逃してよいのか!?」「無能な社長都丸・私物化するGM菅原→不信任!!!
  2. 39節終了時に年間最下位が確定。
    • それでもJ3降格を免れる可能性が僅かにあった(J2ライセンスのない秋田と沼津が1位・2位になれば降格回避)が、栃木SCが2位に入って降格が決定してしまった。
2019年のFC東京
  1. ラグビーワールドカップが本拠地の味の素スタジアムで開催され、その上味スタ以上の同じ規模で他チームに影響なく使えるスタジアムが都内にはないことなどにより、第23節 (8月24日) から第31節 (11月9日) までアウェイ8連戦を余儀なくされた。
    • その直前の期間で変則的にホーム3連戦が2度行われることとなった。
      • 2020年も東京五輪により同様の対応がとられる予定。
  2. 前半戦で主力として活躍していた久保建英が、シーズン中にレアル・マドリードに完全移籍した。
    • この移籍がなければJ1優勝を決められたかもしれない。

試合[編集 | ソースを編集]

Jリーグオールスターサッカー
  1. Jリーグの開幕当初の1993年から開催されていたサッカー版・オールスターゲーム。
    • 東軍をJ-EAST、西軍をJ-WESTと呼んでいた。
      • 1995年と1996年は前年度の年間成績を基に、奇数順位組の「J-ヴェガ」と、偶数順位組の「J-アルタイル」に分けていた。
  2. 関東にJ1のチームが偏っている関係上、関東地方のチームでもJ-WESTに組み込まれる事がしばしばあった(平塚、横浜F、横浜Mなど)。
  3. 2007年でオールスターとしては中止、2008年からは韓国Kリーグとの対抗戦としてリニューアルしたが、スポンサーが付かなくなり2010年に休止。
    • 休止発表の時点では2011年以後に再開する方針だったが…。
  4. 実はサッカーにおいてこのようなオールスターゲームを行うリーグはかなり少なく、他の例としてはアメリカ(MLS)や韓国(Kリーグ)などで行われているだけで、ヨーロッパや南米のリーグではこのような大会は存在しない。
1985年 JSL最終節(第22節) 全日空横浜対三菱重工業
  1. 試合前に全日空の先発選手5人・控え選手1人が試合開始直前に競技場から姿を消し、試合をボイコットした。
    • ボイコットの理由は全日空横浜の運営会社・全日空スポーツの運営方針に対し、前身のヨコハマ・トライスター時代からの古参の選手が不満を募らせたというのものだった。
  2. ボイコットにより試合開始時間が10分以上も遅れたため、観客席からは入場料の返金を要求する野次が飛ぶ騒ぎに。
    • 全日空の栗本監督は控えメンバーの2人を急遽、先発メンバーに起用して8人で試合開始。
      • 11分後に控えGKだった大澤浩司をフィールドプレーヤーとして起用するなど、2人の選手を追加し10人で試合を行った。
  3. 試合は三菱・原博実のハットトリックもあり、1-6と大敗。全日空の唯一の得点も大澤が挙げたものだった。
  4. ボイコットに関与した6選手はJFAから無期限登録停止の処分を受けた。そのうち5選手は後に処分が解除されている。
    • ちなみにこの時の選手が中心になって設立されたのがY.S.C.C横浜(横浜スポーツ&カルチャークラブ)である。
1993年Jリーグチャンピオンシップ第2戦 鹿島アントラーズ対ヴェルディ川崎
  1. Jリーグ初代チャンピオンが決まる一戦だったが、カズのPK蹴る前にジーコがボールに唾を吐き退場。そのPKが決まり試合は1-1で終わり、1戦目を獲ったヴェルディが初代チャンピオンに。
1997年JFL コンサドーレ札幌対川崎フロンターレ
  1. 札幌がJFLからJリーグに昇格を決めた年であり、ホームの厚別では無敗で「厚別不敗神話」が生まれたシーズンでもある。
  2. 川崎フロンターレとH&Aで2戦しており、2回とも後半終盤まで1-3で押されていたところを、バルデスのゴールラッシュでひっくり返し、2戦ともVゴール勝ちを拾うことができた。
    • ここで川崎との勝ち運を使い果たしてしまったのか、以降、対戦の舞台をJリーグに移すも、2019年現在までリーグ戦で一度も川崎に勝つことができていない(公式戦ではカップ戦で1度勝ったきり)。
      • 2019 JリーグYBCルヴァンカップでは決勝戦でこの対戦カードとなったが、延長戦まで終わり3対3でPK戦となり、PK戦で川崎に4対5で敗れて初優勝を逃した。
1999年J1最終戦 浦和レッズ対サンフレッチェ広島戦
  1. 他チームの試合が終了し、浦和の降格が既に決定した段階での延長戦後半、福田正博による 「世界で一番悲しいVゴール」 。
    • Vゴールを決めた直後の福田に池田学が抱きついてきたが、実は当時新人だった池田には試合に集中させるため、延長戦に突入した時点で降格が決定したことを伝えていなかった。
      • 後に福田は「試合の重要性が分からない選手(池田学)が11人の中にいたということが、そのときの浦和のレベルってことだよね。そういう選手を使わなければいけないレベルのチームだった。それが、悲しかったし、すごく寂しかった」と証言している。
2000年J1ファーストステージ最終節 セレッソ大阪vs川崎フロンターレ
  1. 勝てば1stステージ優勝のセレッソだったが、15位のフロンターレに延長後半のVゴール(浦田尚希)で敗れ、ステージ優勝をマリノスにさらわれてしまった。
2002年度全国高校選手権岡山県大会決勝 作陽対水島工業
  1. 延長前半に作陽の青山敏弘が放ったシュートが決まったかに見えてVゴールで作陽の勝ちと思われたが、ボールはポストに当たって跳ね返ったのを水島工のGKキャッチしたため主審が思い込みでノーゴールと判定。試合はPK戦までもつれ水島工が勝利し全国大会へ。
  2. しかし、このノーゴール判定に作陽が抗議し、誤審と認める結果になったが、試合結果までは覆らず再試合もなし。
  3. 一方の水島工は試合後に世間から大きな非難を浴び、退部者も出た。本大会も秋田商業に1-3で初戦敗退。
2008年 J1第34節(最終節) 東京ヴェルディ対川崎フロンターレ
  1. 前半26分に福西崇史が自陣ゴール前での守備で寺田周平の体を押さえただけで退場処分を受けた。
    • このプレーは決して悪質なものではないが、福西はシーズン中に肘打ちで相手を制していた行為があり、先入観を持って判断されていた事は否定出来ない。
      • 結果として福西のJリーグでの最後のプレーとなってしまった。
  2. 試合もレナチーニョと中村憲剛のゴールで0-2とヴェルディが敗れJ2降格。キレた一部のヴェルディサポーターが夜中0時近くまで味スタに居残る事態に…。
2009年 J2第8節 東京ヴェルディ対サガン鳥栖
  1. 試合が開始して、わずか9秒でヴェルディの菅原がレッドカードを貰って一発退場。
    • ヴェルディは約90分間を一人少ない10名で戦わなくてはならなくなってしまった。
  2. 開始初っ端から退場者が出て、数的に優位のはずのサガン鳥栖だが、いざ試合が終わってみたら2-0でヴェルディが勝ってしまった。
    • 結果的に、数的優位を活かしきれなかったサガン鳥栖がざんねんだったとしか言いようがない。
2012年度全国高校選手権決勝 京都橘対鵬翔
  1. 予定されていた2013年1月14日は大雪に見舞われた為延期。
  2. 19日に改めて行われたが、センター試験と重なり(両校とも進学校だが幸いにも出場選手は誰も受けなかった)、生中継もtvkとMRTの2局にとどまった。
2014年 J1第2節 浦和レッズ対サガン鳥栖
  1. 浦和サポーターが差別的横断幕を掲げたため、次のホームである第4節清水戦を無観客試合とする処分が下された。
  2. 清水戦で観客から得られるはずだった収入の約1億円が、無観客試合となったためにパァになってしまった。
    • 浦和に対する罰則なので、浦和に損失が出るのは良いにしても、一番の被害者は清水のサポーターである。
      • 入場チケット代をはじめとし、交通費や宿泊費の購入費用を浦和のクラブ側が負担したとはいえ、楽しみにしていた遠征がフイにされた形になってしまった。
2014年 J1第34節 アルビレックス新潟対柏レイソル
  1. 試合会場のデンカビッグスワンが大雪により試合中止。翌々日に鹿島の本拠地であるカシマスタジアムで代替開催となり、新潟はシーズン最終戦を本拠地で開催できなかった。
    • 翌日以降も雪で状況の改善が見込めない、アウォーズが3日後で早期の成績確定が必要など色々な要因があった。
2017年3月12日 J2リーグ第3節 FC岐阜対松本山雅FC
  1. 試合開始時点でユニフォームが、岐阜は1stの深緑に対し松本は2ndのチャコールグレー。しかもデーゲームのため日射しも災いし色の判別が難しい状況に。
    • この状況のもとで、味方選手に対してパスするつもりが相手選手にパスしてしまう事例も起こった。
  2. 審判にとっても色の判別が難しくなり、その後協議の上ハーフタイムに岐阜の選手はシャツを白色の2nd用のものに着替えた。
2018年 J1第33節 清水エスパルス対ヴィッセル神戸
  1. 審判のジャッジミスで、後半アディショナルタイム(AT)が20分近くも取られたという、世にも珍しい誤審が話題になった試合。
    • 後半ATは当初4分の表示であったが、ATに入ってから接触プレーが続く荒れた展開となり、それでプレーが止まるたびにプレイ時間を上乗せしていった結果、延びに延びて18分50秒という長い時間となった。
    • ATに入って13分経過したところで、セットプレーから清水GKの六反がゴールを決め3-3のドローに持ち込む。
    • いつまで経っても終わらない試合に両チームの選手のイライラが募り、神戸のウェリントンが清水の選手を倒して警告を受けたことで両チーム一触即発の乱闘騒ぎになる。
      • 結果的に2枚のイエローカードを受け、退場になったウェリントンは、ピッチから去る際に、ATでゴールを決めた六反を投げ飛ばすという暴挙に出る。
  2. 神戸にしてみれば、ATに入るまでは勝っていたのに、常識はずれの延長時間のせいでGKに同点ゴールを決められるわ、退場者を出すわで踏んだり蹴ったりである。
  3. 清水にしてみれば、何とか同点にできたものの、ケガ人が続出するわ、引退により最終試合となる兵働のセレモニーにケチが付くような結果になるわで踏んだり蹴ったりである。
2019年8月17日 J1リーグ第23節 清水エスパルス対北海道コンサドーレ札幌
  1. 前半終了時点で0-2だったのが、後半の札幌の猛攻により最終的に札幌の8得点で完封勝ち。
    • しかも清水はゴールキーパーを交代しなかった。
  2. 第3節でも5-2と札幌が圧勝をしていたので、清水はシーズン通して都合13-2と完敗となった。
    • 新加入のアンデルソン・ロペスが都合4点を取り、3節目にして移籍後初得点&ハットトリックを達成。
      • 2点目を取った時点で嬉しさのあまり、札幌ドームのゴール裏サポーターに駆け寄ってフェンスを飛び越え、その先3メートルの高さをダイブした。
        • 札幌ドームの仕組み上、サッカーグラウンドがホバリング式で高床になっており、構造を意識して気を付けないとコンクリ床まで3メーターダイブをすることになる。
2019年8月23日 J1リーグ第24節 サガン鳥栖対ヴィッセル神戸
  1. フェルナンド・トーレスの引退試合だったが鳥栖が1対6で敗戦。
  2. この試合は神戸も、アンドレス・イニエスタが前半45分に左大腿付近を負傷したため途中交代となってしまった。
2019年 J2リーグ第42節 柏レイソル対京都サンガ
  1. J2リーグ最終節、J2優勝を決めて昇格確定済みの柏と、片や勝利することで昇格プレーオフに臨める京都との対戦だったが、13-1というサッカーでは珍しい二桁得点を付けて柏が圧勝した。
    • 2019年を最後に引退を考えていた闘莉王だったが、前半、味方との接触プレーで負傷し、そのまま病院に直行。奇しくもこの試合が現役引退最後の試合となってしまった。
      • 念の為試合内容を書いておくと、京都は勝たないといけないので防御を捨ててとにかく攻める試合を仕掛け、柏はチームのスタイル通りに守ってカウンター。これが噛み合い過ぎた結果がこの13-1。
    • CSで他の試合の中継にて他会場の最終結果を伝える際に、戸惑ったり驚いたりした実況・解説者が多数いた。
      • この実況・解説者のリアクションをまとめた動画もYouTubeに公開された。
      • この試合の裏で横浜FC対愛媛戦がBS1で放送されていたが、このBS1の実況・解説者ですら他会場の情報が流れた際に驚いていた。
      • 同じく最終節、東京V vs 岐阜の結果も5-1であり、普段であれば一方的なワンサイドゲームとして認識されていたが、13-1の点差の前では全然かすんでしまった。
  2. 柏のオルンガがこの試合だけで8得点とダブルハットトリックを決めて、一躍、得点ランキングの2位に浮上。
    • もし新潟対長崎で新潟のレオナルドが無得点だったら、同点でJ2の得点王になっていた。実際は1得点を挙げて何とか逃げ切った。
  3. 試合終了後には京都・中田一三監督がサポーターに向かって怒りをぶつけた。
    • 中田監督はこの試合を最後に京都の監督を退任。
  4. この試合で8ゴールを決めたオルンガは、その後翌年はJ1で32試合に出場し、28得点を挙げ得点王に。またベストイレブンに選出され、更には優勝した川崎フロンターレの選手を抑えてMVPに輝いた。
    • そのオルンガは、活躍の模様が京都新聞によく取り上げられた。
2020年 ゼロックススーパーカップ 横浜Fマリノス対ヴィッセル神戸
  1. 3-3の試合展開で延長のPK戦に突入。両チーム合わせて9人が連続してPKを外すというのが話題になった試合。
    • 両チーム2人目までゴールを決めるが、3人目から続かずPKを外し続け、神戸の7人目の山口蛍がゴールを決めて最終決着となった。
  2. 枠内どころかバーを軽く超える「宇宙開発」が何度も見られ、「某水曜日の説なんじゃね?」と揶揄される。
2021年 J1リーグ第35節 横浜F・マリノス対FC東京
  1. FC東京が前半4失点、後半4失点(うち1点はオウンゴール)、合計8対0で敗れ、しかもF・マリノスの前田大然にハットトリック献上、そのうえFC東京の森重真人が前半のうちにイエローカード2枚で退場になるという悲惨な結果になった。
  2. この試合の翌日、FC東京は長谷川健太監督が辞任した。

大会[編集 | ソースを編集]

Jリーグのオールスター戦
  1. かつては、所属クラブの東西対抗方式で夏の風物詩のひとつだったが、スポンサーの折り合いがつかず消滅。
Jリーグチャンピオンシップ
  1. 1993年から2004年までは単純にステージ優勝チームだけで戦う方式だった。
    • このため、1999年のジュビロ磐田は1stステージ優勝だったが、年間勝点は49で、これは1ステージ制の7位に相当する (得失点差でヴェルディ川崎を上回る) 。
    • 2000年に至っては年間勝点1位の柏レイソルがチャンピオンシップ出場そのものを逃した。ついでに言うと鹿島アントラーズも同じ勝点55のジュビロ磐田を得失点差で下回るため、年間勝点1位は柏、2位は磐田、3位に鹿島、そして4位に横浜FMの順である。
  2. 1995年から2004年まで、年間勝点1位のチームはこの大会に出場しても年間優勝になれないジンクスがあった。
J1昇格プレーオフ
  1. 2012年から2015年まで、この大会で優勝 (J1昇格) を決めても1年でJ2に降格するチームが相次いだ。
    • 特に2012年優勝の大分と2013年優勝の徳島は、翌年はどちらもホームゲームで1試合も勝利できず。また2014年優勝のモンテディオ山形と2015年優勝のアビスパ福岡も最下位でJ2に降格した。

スタジアム[編集 | ソースを編集]

宮城スタジアム(ひとめぼれスタジアム→キューアンドエースタジアムみやぎ)
  1. 2002 FIFAワールドカップの会場の一つだが、最寄駅から遠すぎるなどの理由でその後はほとんど使われず。
    • ユアスタが2万人収容ながら駅からすぐ、サッカー専用で見易いだけにまさに対照的。
  2. オマケにそのワールドカップで日本トルコに敗れてしまった。
    • さらにベガルタ仙台も当地での成績が悪い。加えて観客動員のこともあり、ユアスタを使うのがほとんど。
  3. 構造の関係上少し強い雨が降ると、吹き込んでくる雨風で観客席はずぶ濡れになってしまう。
  4. その影響か、2010年代に入ってからはコンサート会場として使用される事が多くなった(サザン・嵐・乃木坂…)。
仙台スタジアム (ユアテックスタジアム仙台)
  1. 上述の宮城スタジアムに比べると、こちらの方が仙台駅からのアクセスはよい。
  2. しかし定員が宮城スタジアムのおよそ6割 (19,694人) ということもあり、国際Aマッチの開催経験がない。
    • 国際試合全体でも、なでしこジャパンの試合やACLのベガルタ仙台ホームゲームが開催された程度である。
市原緑地運動公園臨海競技場(ゼットエー・オリプリスタジアム)
  1. 1993年から2005年までジェフユナイテッド市原がホームスタジアムとして使用。
    • しかしアクセスは散々、収容人数も少ないなど観戦環境は最悪だった。
  2. 1997年5月7日のサンフレッチェ広島戦では2245人しか入らなかった(当時のJリーグ最低記録)。
  3. フクアリにホーム移転後ジェフがJ2暮らしが長くなっている中でそれでも平均1万人前後入っているだけに色々と考えさせるものが…
柏の葉公園総合競技場
  1. 陸上競技場だったために柏レイソルのサポーターからの評判が悪く、Jリーグの試合は開催されなくなった。
さいたま市駒場スタジアム (浦和駒場スタジアム)
  1. スタジアム定員が2万人なのに対し、アウェイ席が400人程度と異様に少ない。
  2. J2降格、J1復帰、初のステージ優勝がいずれも当地での試合であることから、浦和サポーターからは「聖地」と称されているが、埼玉スタジアムが完成してからは浦和レッズの男子トップチームの試合は滅多に開催されなくなった。
国立霞ヶ丘競技場
  1. FIFAが定める座席数に届かなかったため、2002 FIFAワールドカップを開催できなかった。
  2. 一般的には単に「国立競技場」と呼ばれている。
    • 「霞ヶ丘」という地名があまり知られていないような気がする。
東京スタジアム(味の素スタジアム)
  1. 当初は陸上競技場として開業予定だったが、サブグラウンドの竣工が遅れたため、トラックに人工芝を敷いて球技場として開業。
  2. その後サブグラウンドが完成して陸上競技場になったが、利用料が高額なことや人工芝を外す手間などから陸上競技場としては使われなくなった。
  3. そのため実質陸上競技場ではないのにピッチとスタンドの距離が遠く観戦しづらい。
  4. 2002年のFIFAワールドカップに使用されなかった。
    • 日本単独開催だったら使用されていたかも…?
町田市立陸上競技場(町田GIONスタジアム)
  1. 鉄道の手薄な地域に所在しアクセスが悪い。
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)
  1. フットボール観戦ではあまりにもピッチが遠かったり、1階スタンド傾斜が緩いなど劣悪な状態にある。
    • 芝生等の選手用設備はW杯用に建てられただけあってかレベルが高く、選手からはプレーし易いスタジアムと好評。ただし設備が良い分使用料も高いとか…。
  2. 野球の横浜スタジアムとよく混同される
    • そのためスポンサーをつけて「日産スタジアム」と呼ばれるようになった。
  3. 2008年オリンピック招致を睨んで建設されたが、国内選考で大阪に敗れた。
山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場
  1. J1に対応したスタジアム、及び日本陸連の第1種公認競技場が山梨ではここだけ。
    • そのためスケジュールが非常にカツカツ。
      • 特に10月から11月にかけては陸上競技やJリーグ公式戦に加え高校サッカー山梨大会の決勝や県のスポーツ行事等が行われるため、スケジュールが早期に埋まる。
    • スタジアムの改修工事を行うにしてもさまざまな問題が生じるため容易ではない。
  2. アクセスもあまり良くなく、最寄駅の甲斐住吉駅(JR身延線)からは徒歩で約30分もかかる。
  3. 2005年のJ1・J2入れ替え戦の第1戦では後半ATに停電が発生し、試合が35分中断する事態に…。
静岡スタジアム エコパ
  1. ワールドカップスタジアムだがクラブのない袋井市に所在、ジュビロの人気クラブとの対戦に使われる程度。
豊田スタジアム
  1. 2002 FIFAワールドカップ会場から落選。
  2. 開閉式屋根が付いているものの、コストの問題から開けっ放しに…。
  3. 名古屋グランパスが準本拠地として使用しているが、勝率が悪く鬼門と化している。
御崎公園球技場(ノエビアスタジアム神戸)
  1. 開閉式屋根を付けたため芝の生育状況が悪くなり、ヴィッセルが移転を検討するほどに。
広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム)
  1. 2002 FIFAワールドカップの開催条件となっていた改修が費用対効果に合わないと断念され、落選。
  2. 陸上競技場のため見づらい、アクセスもいまひとつなため広島サポは新スタジアム建設を待ち望んでいる、
大分スポーツ公園総合競技場
  1. 開閉式ドームのせいか、当初は芝の育ちが悪かった。
  2. すでにネーミングライツが2回も変わっている。
    • 九州石油ドーム→大分銀行ドーム→昭和電工ドーム大分

関連項目[編集 | ソースを編集]