もしあのスポーツ大会が○○だったら
独立項目[編集 | ソースを編集]
国民体育大会[編集 | ソースを編集]
廃止されたら[編集 | ソースを編集]
国民体育大会(国体)は勝利至上主義の横行やここ100年で最大の景気低迷から、廃止論が出ています。もし廃止されたら?
- 陸上、水泳などのプロ化が大きく進行する。
- 高校サッカーは冬の大会のみに縮小。
- インターハイと高円宮杯U-18選手権があるじゃないか。
- それもなくなる可能性も。冬の大会はさすがに廃止はしないだろうが。
- インターハイと高円宮杯U-18選手権があるじゃないか。
- 日本陸上界は大再編が起きる。
- 「都道府県対抗陸上競技選手権大会」として存続させる。
- センバツ高校野球が持ち回り制に変わる。
- 国体にあってオリンピックにない種目は一気に衰退。
- ゆるキャラファンは大事なゆるキャラ源を失うためこちらも衰退。
- 2009年時点で開催が決定している場所については予定通り開催
- 選手の「民泊」を受け入れたがらない家や地域が多くなり、主催者の負担が凄いのでその点では喜ばれる。町内会ごとに強制的に割り当てが来ることも。
- 戦後の混乱期に始まったため、当時は民泊はやむを得なかったし、昔は普通に受け入れていたのだが、住宅事情や核家族化で。
- ホテルや旅館も観光シーズンに単価の安い選手を受け入れなくてはならないため、無くても別に困らないかと。
- 普段作ったことのない「国体標準食」を用意したり、負けると選手はキャンセル料なし(または低額)で帰ってしまう。おまけに47年に1回のイベントであるため、実は上客ではないそうだ。
- 天皇・皇后両陛下の地方行幸が大きく減る。
- 生放送で声を聞く機会も数年から数十年に1回程度になる。
- 御召列車の運転頻度が下がる。
- 国体開催予定の自治体が強化策として選手を職員採用することがなくなるので、アスリートの就職先が減り、国として選手強化にも影響が出る。
マインドスポーツが導入されたら[編集 | ソースを編集]
- 2019年の茨城国体からeスポーツが導入されました。
- マインドスポーツの統括団体も日本体育協会に加盟する。
- 日本におけるマインドスポーツの知名度が上がる。
- 国体のネームバリューによってスポーツと認識してもらえるようになる。
- 中学・高校の文化部入部率が上がる。
特定の地域でのみ開催されたら[編集 | ソースを編集]
- 冬季国体の存続が危うくなる。
- 冬季の開催地もどこか一箇所に固定して存続か?
- 地方に於ける過度な競技施設への設備投資が無くなる。
- JリーグやBリーグなどプロスポーツチーム用の練習場・競技場整備に重点が置かれることになる。
- 東京
- 現実以上に東京ジャイアニズムが広がることに
- 東京でのみしか盛り上がらなくなる。
- やしきたかじんあたりから批判されていた。
- 某都知事の提案で「スポーツ祭東京」が正式名称になる。
- 大阪
- 高校野球と時期を合わせ、高野連に嫌がらせ。
- 国体の高校野球は廃止される。
- 当初の構想では近畿地区での固定開催とする予定だったらしい。
4年に1度の開催になったら[編集 | ソースを編集]
中国の国体に当たる「全国運動会」は4年に1度の開催となっていますが、日本の国体も同様になったら?
- オリンピック中間年が有力か?
- 中国同様オリンピック翌年になりそう。
- 冬の国体は夏の五輪の年に開催。
- 少年の部を「ユース国体」として分離し、国体中間年に開催。
- 名実ともに「日本のオリンピック」に。
- 地方ごとの開催になっている。
地方ごとの開催になったら[編集 | ソースを編集]
数県がまとまってブロックを作り、ブロックごとに持ち回りで開催する。
- 例えば「北海道・東北」「関東A」「関東B」「東海」「北陸・信州」「近畿A」「近畿B」「中国・四国」「九州・沖縄」と9年毎の持ち回り。
- ブロック内で競技の開催地を調整する。
- 地方では幾つかの市町村で一つの競技を担当するため、地域の負担も減る。
- 民泊は廃止され、選手はホテルや旅館に分散して宿泊する。そのため民泊よりも良いコンディションで競技にのぞめる。
- 競技会場に割り当てられた小さな村が慌てて競技会場を建設する必要もなくなる。
- 9年毎の持ち回りなら「前回の経験」を生かした大会運営が可能となり、スムーズな運営も期待できる。
- インターハイの全国大会もこれに合わせた形になるだろう。国体開催の2年後くらいにインターハイ開催するという形での持ち回りで。
- 実際にそうなった。項目1の例なら北東北→北信越→(北)九州→南関東(関東B)
- マインドスポーツも開催可能になるだろう。
- 小さな町の体育館や公民館で「麻雀」「囲碁」などが開催される。
- フルマラソン競技も誕生するかもしれない。
- 市民ランナーも国体選手の後ろから走れるようにして、国体を盛り上げるとともに参加費収入も得られる。
- 4年に1度の開催になるかも。
都道府県対抗が廃止されたら[編集 | ソースを編集]
近年の国体は開催都道府県が有利な条件で天皇杯を授与するのが約束されたような大会と化していますが、もし都道府県対抗が廃止されたら。
- 天皇杯は全体の最優秀選手、皇后杯は女子最優秀選手にそれぞれ授与される。
- 過度な強化が抑えられ、開催都道府県の負担は幾分か緩和された。
- 当然J指向クラブが強化指定になって結果出ないと「税金泥棒」とか野次られることもなかった。
- ジプシー選手の問題もなかった。
開催を返上できるとしたら[編集 | ソースを編集]
甚大な災害などにより国体開催が困難と判断して開催を返上することができるとしたら。 (2016岩手国体も震災後一時開催を取りやめる声がありました)
- スポーツ関連予算をすべて災害復旧に充てることができ、早期復旧を成し遂げられるだろう。
- もし上記の岩手国体が開催返上になった場合どうなったか?
- 2016年は史実2017年開催県の愛媛が行い、以降福井、茨城と続いた。
- もしかしてグルージャ盛岡の2014年のJ3参入はなかったかも知れない。最悪の場合盛岡ゼブラとの球団合併もありえた。
- 盛岡市アイスリンクは作られず、盛岡市アイスアリーナが一時閉鎖されることもなかった。
韓国の全国体育大会や中国の全国運動会と統合されたら[編集 | ソースを編集]
- スケールがでかくなる。
- 真剣勝負になる。勝利至上主義の問題も。
- 人気競技は普通に大きなお金が動くコンテンツになるかも。
- インバウンドが見込める。
- 開催地やチームは地方ブロック単位になる。韓国だと圏域別。
- 中国は33の一級行政区、韓国は京畿圏、忠清圏、湖南圏嶺南圏の4チーム、日本は11地域区分。合計48チームが出場
- アジア大会とキャラかぶりになるので、アジア大会がある年は開催されない。4年に3度開催で、三カ国で持ち回り開催。それぞれの国が4年に1度開催する。
- いずれ東南アジアにも拡張?アジア大会とキャラかぶりするかな・・・
ラグビー[編集 | ソースを編集]
ラグビーワールドカップ[編集 | ソースを編集]
1987年[編集 | ソースを編集]
- ソ連が出場していたら
第1回ワールドカップにはソビエト連邦も招待されていましたが、南アフリカ共和国のIRB除名を求めて抗議する形で辞退しました。もし、辞退せず出場していたら?
- ルーマニアあたりが漏れていたか?
- 実際にはソ連の代替出場国はアメリカだったらしい。
- ロシア代表のW杯出場回数も史実より多かった。
1995年[編集 | ソースを編集]
- 日本の記録的惨敗がなかったら
日本はオールブラックスに17-145という記録的惨敗を喫しましたが、これがもしもう少し接戦だったら?
- 可能性があるとしたら、2011年の時のように辛うじて100点ゲームを免れるくらいか。
- 日本のラグビー人気がどん底まで落ち込むこともなかった。
- 小藪修は退任後も指導を続けていた。
- 釜石シーウェイブスの監督としてトップリーグに導いていた。
2003年[編集 | ソースを編集]
- ニュージーランドとの共催だったら
オーストラリア単独で開催されましたが、本来はニュージーランドとの共催予定でした。
- 1987年がオークランドだったことから決勝はシドニーで史実と変わらず。その代わり開幕戦はニュージーランドだった。
- 2011年は南アフリカか日本で開催された。
- 2019年にニュージーランドが立候補した。
- オーストラリアが優勝していたら
- 北半球にエリス杯が渡るのはお預け。
- ジョニー・ウィルキンソンの知名度が史実より下がっていた。
2011年[編集 | ソースを編集]
- 日本で開催されていたら
2011年ラグビーワールドカップに日本が立候補しましたが、ニュージーランドに敗れました。もし、日本開催が実現していたら・・・
- スタジアムの大半は2002FIFAワールドカップのを利用
- 秩父宮・花園も使用するが、予選リーグのみ。
- 味スタが会場になっても国立や西が丘でホームゲームが行えるため、史実の2019年J1みたいなFC東京のアウェー8連戦はなかった。
- 秩父宮でのJリーグカップ開催もない。
- 2007W杯の報道も現実以上に積極的だった
- 強豪国がやる気をなくしていた。
- にわかラグビーファンも増えている。
- ジャパンの強化へ向けてプロ化を進める。
- 当然の事ながら2019年大会の開催地は別の国になっていた。
- 日本がカナダに勝っていたら
日本vsカナダは引き分けに終わりましたが、日本がこの試合に勝っていたら?
- 2015年大会は「次は決勝トーナメント」と史実よりは期待されていた。
- サッカー日本代表が2014年ワールドカップで史実通り敗退していたら尚更。
2015年[編集 | ソースを編集]
- 日本が決勝トーナメントに進出していたら
- 可能性があったとすればスコットランドが南アフリカにも勝った、あるいは日本が敗れたスコットランド戦含め3試合で4トライ挙げるかだろう。
- 南アフリカが敗退ってなったら、その国では目も当てられない状況が想像できる。
- この場合、ウェールズ vs 日本の組み合わせになるため、少なくともベスト4の一角が北半球になる。
- 日本のラグビー熱は史実よりもっと高まっていた。
- 流行語大賞の候補に「ブレイブブロッサム」が入っていた。もちろん大賞受賞もありえた。
- 「予選プール3勝で敗退」は2019年以降に持ち越し。
- (可能性は低いが)スコットランドにも勝っていたら
- もはや「奇跡」や「衝撃」なんて言葉では片づけられない。
- イングランドが決勝トーナメントに進出していたら
- 2019年の日本は「開催国初の予選プール敗退」というプレッシャーを背負っていた。
- ウェールズ戦の後半38分にPGを決めて引き分けにしていたら、こうなった可能性が高い。
- 決勝トーナメントは勝ち進めただろうか?
マラソン[編集 | ソースを編集]
札幌国際ハーフマラソン[編集 | ソースを編集]
- 市民参加レースになったら
- 札幌マラソンと統合。
- 札幌マラソンもまとめて北海道マラソンに統合されるかもしれない。
- もし、札幌マラソンとなる場合、スタート地点とフィニッシュ地点を札幌ドームにする等、北海道マラソンと差別化を図っていた。
びわ湖毎日マラソン[編集 | ソースを編集]
- 市民参加レースになったら
- 大会名を「びわ湖マラソン」に改称。
- コースに琵琶湖大橋が組み込まれる。
- あるいは近江大橋。
福岡国際マラソン[編集 | ソースを編集]
- 市民参加レースになったら
- 参加者激減するのはこことここ。
- シティマラソン福岡と統合。
- むしろこちらが福岡マラソンを名乗っていた。
- スタート・フィニッシュ地点はヤフードームのような、より多くのキャパシティを収容できる場所に変更されるかも。
東京マラソン[編集 | ソースを編集]
- 東京国際女子マラソンも統合していたら
東京マラソンは当初、東京国際マラソン・東京シティロードレースに加えて東京国際女子マラソンも統合する構想であったが、主催の朝日新聞社が反対したため合流には至りませんでした。その後東京国際女子マラソンは大会を終了したものの横浜国際女子マラソン→さいたま国際マラソンと別の道を歩みましたが、もし東京マラソンに統合されていたら…。
- 東京マラソンの共催に朝日新聞社とテレビ朝日も加わっていた。
- 放送もテレビ朝日がローテーションに加わる。ラジオは文化放送。
- 女子の部も国際大会選考レースとして行われていた。
- 女子マラソンの選考レースはすべて年明けになるので、駅伝優先のためエントリーが少ないという事態は起こらなかった。
- 初代女王も新谷仁美じゃなかったかもしれない。
- 横浜国際女子駅伝は2010年以降も続いていたか、もしくは横浜マラソンのフル化が早まっていた。
- さいたま国際マラソンはさいたまマラソンという名の市民マラソンになっていた。
駅伝[編集 | ソースを編集]
全日本実業団対抗駅伝競走大会[編集 | ソースを編集]
- 現在でも開催が三重県だったら
- 中継は中部日本放送と三重テレビが担当。
- そもそも中継自体がなかったもしくは開始が遅れていたというべきでは(中継は群馬開催になってからなので)。
- 元日開催ではなかったかもしれない。
- 全日本大学駅伝とルートは別になる。
野球[編集 | ソースを編集]
明治神宮野球大会[編集 | ソースを編集]
- 優勝校に選抜高校野球出場が与えられたら
選抜高校野球では明治神宮大会に優勝した地区の一般選考枠が1つ増えますが、大会で優勝した高校が自動的に出場できていたら
- 記念大会では優勝校・準優勝校が出場していた。
- 下手したら同一都道府県から4校選出もあり得たかも。
アジアシリーズ[編集 | ソースを編集]
- 1980年代から行われていたら
2005年から始まったアジアシリーズ。これがKBO黎明期から存在したら?
- 最初は勿論日韓で3戦2勝制か5戦3勝制で実施。
- 日韓の球場で交互に開催。
- 韓国のドーム球場建設が早まった。
- 新球場建設ラッシュが10年以上早まっていた。
- 韓国のドーム球場建設が早まった。
- 日韓の球場で交互に開催。
- 1993年あたりで台湾が参入。
- その場合、まずは前年優勝国をシードにし、シード以外の2カ国のチームが1試合勝負で対戦。その勝者とシードチームがアジア王座をかけ3戦2勝制で対戦。
- あるいは開催球場代表を設置して2011年までと同じ形式で実施。
- 東京ドーム開催の場合、開催球場代表は巨人と日本ハムによるプレーオフになっていたかも。
- ただし巨人か日本ハムがリーグ優勝した場合はプレーオフは非開催。日本シリーズ敗退チームが開催球場枠で出場する。
- プレーオフは日本シリーズの開催期間中に実施。
- 東京ドーム開催の場合、開催球場代表は巨人と日本ハムによるプレーオフになっていたかも。
- あるいは開催球場代表を設置して2011年までと同じ形式で実施。
- その場合、まずは前年優勝国をシードにし、シード以外の2カ国のチームが1試合勝負で対戦。その勝者とシードチームがアジア王座をかけ3戦2勝制で対戦。
- 現行制度への移行は早くて2000年代前半か。
- シドニーオリンピックを見据えて1997年からオーストラリアが参入していたかも。
- 球団版WBCが行われた。
- 日米野球は行われていなかったかも。
- 韓国や台湾の球団でプレーするNPB出身選手が増えていた。
- 1995年に福岡ドームで「アジア・パシフィックスーパーベースボール」が開催されることもなかった。
- 史実ではうまくいかなかった台湾リーグへの沖縄チームの参加も実現していた。
- 九州アジアリーグには韓国や台湾の球団も参加していた。
サッカー[編集 | ソースを編集]
FIFAコンフェデレーションズカップ[編集 | ソースを編集]
- 2003年に廃止されていたら
2003年のFIFAコンフェデレーションズカップは、カメルーン代表のマルク=ヴィヴィアン・フォエが試合途中で死去する事態が発生したことで、大会の存続意義が取り沙汰されました。最終的に間隔見直しで継続されましたが、もしこの時大会廃止に至っていたら?
- 大陸選手権覇者への注目対象が減っていた。
- 特に2007年のアジアカップで優勝したイラク代表は、1990年以降出場を果たせていない分、他の大陸連盟所属代表と戦う機会がなかったかもしれない。
- 「ワールドカップのプレ大会」という意味合いもなく、開催国への注目も若干減っていた。
- ワールドカップ予選・本大会やAマッチデーの間隔も、当大会の反省から史実より間隔を置いての開催とされた可能性もある。
- 2014年までは2年で約24試合だったが、最初から2015年以降と同じく2年で約18試合とされた可能性もある。
- 国際Aマッチから次の国際Aマッチまでの試合間隔(現在は最低2日以上)も、ワールドカップや大陸選手権の本大会以外は7~10日以上の間隔をあけるスタイルになっていた。
- ワールドカップや大陸別選手権本大会も、3~5日間の間隔を置くようになっていた。
- 最初からワールドカップのプレ大会に扱われていたら
- もっと早くから開催されていたら
第1回の「キング・ファハド・カップ」開催は1992年。
- 1961年のチリや1985年のメキシコで無事行えたかは微妙な所。
- 1993年にアメリカで開催された場合、日本代表が参加するため6月のJリーグは中断期間が設けられた。
- そもそも史実(5月)より早く開幕した可能性もある。
- 2017年に廃止されなかったら
- クラブワールドカップ改革は起きなかった。
- それでもコロナ関係の事情やカタールの気候問題で、2021年には開催されなかったかもしれない。
- もしくは、別の場所で開催していた。
- 2025年大会(2026ワールドカップの前年)以降は、ワールドカップ本大会が48ヵ国になったことによるレベル低下と過度なラックベースドを問題視して、実力派の大会=コンフェデ杯、お祭り大会=ワールドカップとしていたかもしれない。
- その場合ワールドカップは経済力が高い国やFIFAが市場を開拓したい国で行われ、コンフェデ杯は欧州や南米の小国で行われていた。
- その場合コンフェデ杯は16ヶ国に拡大していたかもしれない。
- その場合も大陸別選手権を予選代わりにするのは変わらず。ただし、欧州は4枠、南米は3枠、北中米・アジア・アフリカが各2枠に拡大していた。
- その場合コンフェデ杯は16ヶ国に拡大していたかもしれない。
- その場合ワールドカップは経済力が高い国やFIFAが市場を開拓したい国で行われ、コンフェデ杯は欧州や南米の小国で行われていた。
柔道[編集 | ソースを編集]
国際柔道協会[編集 | ソースを編集]
- 存続していたら
戦後間もない頃に、「国際柔道協会」と呼ばれるプロの柔道が存在しており、木村政彦はその看板選手でした。ところが、木村の妻が病気を患い治療費を捻出する必要があったため脱退。その後も離脱が相次ぎ解散してしまいました。もし、妻が病気に罹らなかった、あるいは脱退せずに治療費を得ることができたらどうなってたか?
- 木村はプロレスに転向せず、引退後もプロ柔道を支えた。
- プロレス人気も史実ほど上昇しなかった。
- 力道山が一線を退いた後は再びマイナースポーツに逆戻りしていた。
- ウィレム・ルスカもこっちに参戦していただろう。
- 小川直也、吉田秀彦らは間違いなく参戦しているはず。
- 坂口征二も。
- 橋本真也も入門していたかも。
- 佐々木健介も。
- 後に女子部も創設されて、神取しのぶがエースになってた。
- プロアマ間はボクシング以上にギスギスしたものになってるだろう。
- 日本武道館でのプロ柔道の興行は今も認められていない。
- 東京五輪のあと、アントン・ヘーシンクが来日してプロ入り。悪役的な存在に。
- その後も悪役として存在感を高める外国人柔道家が続出する。
- ショー的な要素をより高めるか、あくまで純粋なスポーツとして行うかで選手、関係者間の意見が対立し、団体が分裂する。
- その後も悪役として存在感を高める外国人柔道家が続出する。
- 本拠地だった池袋に格闘技用のホールが誕生していた。
- 「柔道一直線」や「YAWARA!」の内容が大きく変わっていた。
- 2作とも途中からプロ編に突入していた。
- プロの方が先にカラー柔道着を導入していたかもしれない。
- 後世になってどこかの会社から実名版のゲームも出ていた。
総合格闘技[編集 | ソースを編集]
PRIDE[編集 | ソースを編集]
- 1回限りだったら
総合格闘技「PRIDE」は元々1回限りとなる予定だったが、反響が大きかったためその後10年に渡り継続開催されました。
もし予定通り1回で終了していたら・・・。
- 日本での総合格闘技はマイナーなままだっただろう。
- リングスは今も続いていた。
- ヒョードルもリングスで戦い続けていた。
- HERO'SやDEEPは存在しなかったかも。
- ハッスルもたぶんなかった。
- UFCが日本に進出し、年1,2回興行を開催していた。
- パンクラスはいまもプロレスから抜け出せないでいる。
- 高田さんは、尻タッパー、高速タッパーと言われることはなかった。
- 格闘家としての評価も、もう少し高かった。
- ミルコは今もK-1で戦っている。
- あるいは絶頂のうちにUFCに参戦し、2008年現在も継続して参戦中。
自転車競技[編集 | ソースを編集]
ツール・ド・フランス[編集 | ソースを編集]
- 開催されていなかったら
- ロードレースは現在より地味。
- ロードレースと言えば自転車ではなくバイクだった。
- 欧州でもロードレースの人気は低い。
- 欧州でも競輪が行われていたかも。(ギャンブルスポーツになっていたかどうかは不明)
- 僕の歩く道も無かったかもしれない。
- ツール・ド・北海道も行われていない。
- 新城幸也や別府史之の知名度も上がることはなかった。
- 1992年7月18日の「FNSの日・平成教育テレビ」内の「プロ野球ニュースSP」でビートたけしが「ただのオッサンが自転車乗っているだけだ」とゆう発言も無かった。
- ランスはトライアスリートのなかで伝説になっていた。
- パリのオリンピックへの立候補回数が史実より増えていた。
- 早ければ1960年に、76・80年にも立候補していた。
- 1980年に開催されていた場合、ボイコットがないので、この時に引退する選手は史実より少なかった。
- 各国持ち回り開催だったら
- オリンピックやFIFAワールドカップと並んで世界三大スポーツ大会に名を連ねている。
- 恐らく4年に1度の開催になっている。
- 史実通り1903年に第1回大会が実施されていた場合、4で割って3で余る年に開催されていた。
- この場合、ラグビーワールドカップは4で割って1で余る年に開催されていた。
- 世界中に自転車のロードレースが普及していた。
- この場合もパリのオリンピックへの立候補回数が史実より増えていた。
- 早ければ1960年に、76・80年にも立候補していた。
- 名前はツール・ド・ワールドか。
- 4年に1度の開催だったら
- 史実通り1903年に第1回大会開催の場合、4で割って3で余る年に開催されている。
- このためフランスでは4で割って3で余る年が特別扱いされる。
- どっかの時代で各国持ち回り開催になっていたかも。
- この場合もパリのオリンピックへの立候補回数が史実より増えていた。
- 早ければ1960年に、他に76年、80年にも立候補していた。