もしあの国鉄路線が全通していたら/関東
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関東全域[編集 | ソースを編集]
首都圏高速鉄道網[編集 | ソースを編集]
- 通勤五方面作戦の一環で構想のみ浮上した通勤新線。東北・東海道、中央・総武、高崎・常磐の3路線を作る予定だったらしい。
- 「全線標準軌にして通勤新幹線を走らせる」「ニュータウン開発も兼ねて狭軌で建設する」など、時期によって色々な案が構想されていたようだ。
- 東北・東海道開発線
- 東北本線~新宿~目黒~東急線沿線~平塚
- 新宿以北は現在の埼玉高速鉄道と同ルートで白岡に抜ける予定だった。
- 国鉄時代に開業していた場合、湘南新宿ラインは計画すらされなかった。
- JRと相鉄の直通構想もなく、神奈川東部方面線は東急と相鉄の相互直通のみで落ち着いていた。
- 「東急線沿線」はおそらく港北ニュータウンの辺りを通っていた。
- 田園都市線の代わりにこの路線の混雑が酷い事になる。
- 田園都市線も史実通りあれば、混雑はマシになっていたかもしれない。
- 田園都市線の代わりにこの路線の混雑が酷い事になる。
- 中央・総武開発線
- 武蔵境~新宿~新橋~臨海部~京葉貨物線
- 京葉線の旅客化が決定した時点で、新宿以遠は京葉線東京駅への接続に変更されていたかもしれない。
- 現在ある構想とは異なり、途中駅も何個か設けられていた。
- 新橋経由のまま建設されていたら、有楽町線のルートに若干影響が出ていた。
- ゆりかもめとりんかい線への影響はほとんど出ないはず。
- 「混雑が緩和できないから立川か八王子まで延伸しろ」という無謀な意見が出る。
- というか、立川複々線化とセットで行われるのでは(それでも沿線のgdgdぶりから結局叶わない可能性もあるが)。
- 高崎・常磐開発線
- 高崎線-新宿-市ヶ谷-北千住-筑波
- 常磐開発線はもしつくばエクスプレスが○○だったら#JR線として開業していたらも参照。
- 計画では高崎線の西側を通る予定だったらしいので、ニューシャトルは史実通り開業しているはず。
- 宮原から伊勢崎方面を目指す計画だったらしい。
- 路線名はこうなっているが、全線を走破する列車はほとんどないはず。
- よく考えなくても、高崎と常磐じゃV字だし、同じ方向じゃね?
- おそらく新宿以南は東海道開発線への直通も視野に入っていた。
東京都市圏大環状線[編集 | ソースを編集]
- 東神奈川~八王子~高麗川~久喜~土浦~成田空港~成東~大網~木更津~新杉田~東神奈川
- 事実上横浜線・みなとみらい線・八高南線が一体化していた。
- 高麗川~土浦は土飯線と統合された。
- 土浦経由のせいで一部区間に交流電化になってしまう。
- このため我孫子経由に変更されたかも。
- 新杉田~東神奈川をどうやって通るか気になる。
栃木・群馬[編集 | ソースを編集]
常野線[編集 | ソースを編集]
- 常陸大子~烏山~茂木
- 真岡鉄道直通が存在していたか怪しい。
- 下の長倉線が開業していたら全線JR線として残っていた可能性大。宇都宮-水戸間の運用も十分あり得る。
- 運営は恐らくJR東であり、茂木線と名乗っていた。
- 烏山線と同じく、蓄電池駆動電車が走るかも。
- 黒磯駅まで延伸するかも。
- 鉄道敷設法にも載っているし、同一区間を国鉄バス(馬頭線)が走っていたようなのでこっちも同時に建設されていたかもしれない。
- 西那須野駅から東野鉄道が走って居たので、史実どおり東野鉄道が廃止した場合は国営化されて現在はJR東日本の路線に成って居るハズ。
長倉線[編集 | ソースを編集]
- 下館~茂木~長倉~御前山~赤塚
- 真岡鉄道の路線が伸びただけ。
- 開業したとしても河井村までになっていた。
- 終点は下野中川。よって真岡線は下館~下野中川の営業に。
- C11・12が太平洋側でも見られた。
- 国鉄時代の開業なら茨城交通茨城線は買収されていた。
- 観梅シーズンには偕楽園への便を図り水戸まで延長運転されるが、偕楽園からの短区間客がローカル車両の短編成に殺到して大混乱。程なく中止される。
- 早期に那珂川越えでなく宇都宮連絡に方針転換していた場合。
- 路線名称は「常下線」となる。
- 読みは「じょうげせん」?
- 烏山線と合流するが線形上、スイッチバックにならざるを得ない。
- 運用が真岡と烏山で分断される。
- どちらにしろアキュムは現実通り烏山止まり。
- 路線名称は「常下線」となる。
- 水戸~下館~真岡~烏山~宇都宮の優等列車が設定される。
- 種別は準急のち急行。
- 愛称は「もおか」「なかがわ」
- 国鉄お得意の怠慢経営でテコ入れされないまま客足が伸びず唱和50年代には廃止される。
- JR化後に休日運転の快速などで残った場合は那須烏山市にちなんで「ひまわり」となるか。
- 茂木町が市制されていた。
- 水戸線はどんな立場になっているだろうか…。
- 笠間、下館、結城とそれなりの都市が並んでいるのでそれほど影響はないだろう。
足尾線[編集 | ソースを編集]
- 桐生~足尾~日光
- 国鉄時代に上野~日光~足尾~高崎というロングラン列車が運転されていた。
- 高崎~日光~宇都宮間にも準急が設定される。
- 枝線になる足尾~間藤(足尾本山)間が貨物廃止と同時に廃止される。
- 間藤駅周辺は宮脇俊三ゆかりの地の鉄道公園として整備され、足尾本山までの路盤も遊歩道として一部整備される。
- 日光線と一本化されるので三セクへの移行はない。
- 仮に現在のわ鉄形式で三セク移管された場合、東武・JR特急→わ鉄トロッコ→相老から東武で帰京という観光ルートが形成される。
- 日光~足尾間は草木トンネルより遥かに長い日足トンネルで抜けるのでトロッコ運転は不向きと判断、足尾駅が改良されて東武・JR特急の発着駅になる。
- この影響で実際は超閑散としている足尾駅前が多少は賑わいを見せるようになる。
- 拠点となるのは足尾駅よりも通洞駅のほうかもしれない。
- 日光~足尾間は草木トンネルより遥かに長い日足トンネルで抜けるのでトロッコ運転は不向きと判断、足尾駅が改良されて東武・JR特急の発着駅になる。
日塩線[編集 | ソースを編集]
- 西那須野~塩原温泉~上三依塩原温泉口
- 塩原駅が出来る可能性あり。
- 会津若松行きが来るのは確実。
- 栃木県の観光スポットが増えそう。
吾妻線(未成区間)[編集 | ソースを編集]
- 大前~豊野
- 鉄道敷設法別表第54号ノ3
- 少なくとも菅平高原までは無理なく建設できていたと思う。
- 早くから建設できていれば上田交通真田傍陽線の延伸計画にもかなりの影響を与えていた。
- 万座・鹿沢口止まりの列車の殆どが菅平まで乗り入れるだろうから、大前駅は史実ほど秘境駅扱いされなかった。
- しかし、大前駅に優等列車は停まらなかった。
- 須坂市を経由するのであれば須坂駅もJRの駅になっているのだろうか。
- ここを通る特急列車の名前が「草津」だったかどうか怪しい。
- でも「白根」だと下記にもある「白山」と紛らわしいしなぁ……。
- トンネルを多く掘削しなければならない+熱源をどうしても通過する必要がある事から、菅平以北は壮絶な難工事になっていた。
- 莫大なカネをかけて開業させたにも拘らず、需要の低さから菅平-豊野間には列車がほとんど運行されないと言うオチが付きそう。
- あさまや白山は碓氷峠を経由せずこっちを経由するようになる。
- 長野でスイッチバックしなければならない+軽井沢や小諸への配慮と言う点から、白山は信越本線経由のまま残ると思う。但し菅平以遠の工事に行き詰まり、上田経由になった場合はこの限りではない。
- 軽井沢や小諸への配慮の必要のない貨物列車が経由していたかも。
- むしろ信越本線周りが「そよかぜ」、吾妻線周りが「あさま」を名乗るようになる。
- 豊野から直接直江津まで出られるようになれば「白山」は存在せず「はくたか」が吾妻線周りで北陸新幹線長野開業まで存続していた。
- 吾妻線周りが北陸へのメインルートになるためほくほく線は開業せず、「かがやき」は北陸新幹線金沢開業まで存続。
- 長野でスイッチバックしなければならない+軽井沢や小諸への配慮と言う点から、白山は信越本線経由のまま残ると思う。但し菅平以遠の工事に行き詰まり、上田経由になった場合はこの限りではない。
- 鹿沢温泉により近い位置に駅を設けられるので、万座・鹿沢口駅は「白根山万座口」と言った感じの駅名になっていた。
- 特急が通るため幹線になっているはず。
野岩線[編集 | ソースを編集]
- 今市~高徳~会津滝ノ原
- もしあの鉄道が国有化されていたら/関東#下野電気鉄道とは異なり、今市~(新)藤原間も国鉄が独自に線路を敷設したものとします。
- 東武特急対策で川治湯元までは電化されるも、そこから先は史実の計画通り非電化となる。
- 全盛期には特別準急「日光・鬼怒川」が運転されるも、東武特急のJR乗り入れによりローカル線に転落する。
- 今市-日光間を廃止する訳にもいかないので、現在は全区間気動車により運行されている。
- 史実同様3セクに転換されていたかもしれない。
- さらに上野-喜多方間にも野岩線経由の気動車急行「おじか」がキハ58系で2往復運行されていたが、1985年の東北新幹線上野開業時に廃止された。
- 日中線も全通していれば会津若松・喜多方経由で山形へと向かう急行あたりも存在していたかもしれない。
- 全盛期には特別準急「日光・鬼怒川」が運転されるも、東武特急のJR乗り入れによりローカル線に転落する。
- 未開業区間も高規格な設備で建設され、東武と比べても駅数は格段に少なかった。
- 東武鬼怒川線は開通しなかったか、別のルートで建設していた。
- 今市駅付近に連絡線が設けられて、そこから東武特急が乗り入れていた。
埼玉・千葉・茨城[編集 | ソースを編集]
木原線[編集 | ソースを編集]
おおたき | |||
大多喜 | |||
● | Ōtaki | ● | |
しろみがおか Shiromigaoka |
こやまつ Koyamatsu |
- 木更津~上総亀山~上総中野~大原
- 小湊鉄道は廃止になっていた。
- もしくは京成に助けを求めていた。
- 京成千原線は海士有木まで全通する。
- 海士有木~上総中野間は1435mm軌間に改軌の上電化され、京成千原線との直通運転が行われていた。
- そこは五井駅まで改軌+電化だと思う。
- 最終的には京成に合併され、京成養老線となる。
- 上野-養老渓谷間に日暮里・青砥・京成千葉・海士有木・上総牛久のみ停車の有料特急が運行される。
- こっちも安房小湊まで全通していたかもしれない。
- もしくは京成に助けを求めていた。
- 房総半島を鴨川を経由せずに横断できるようになるので、電化されていた。
- 113系の墓場になる。
- でも最近は209系に置き換わりつつある。
- わかしおももしかしたら走ってたりして。
- わかしおの木原線内の停車駅は久留里・大多喜のみ。
- 1998年のアクアライン開通後は利用者が高速バスに転移してさざなみ同様大幅に削減される。
- むしろアクアラインが鉄道併設になり、東京から房総半島へのメインルートになっていた。
- 113系の墓場になる。
- 「久留里線」という路線名は存在しなかった。
- 大原~上総中野がいすみ鉄道に移管されることはなかった。
- 鉄子の旅の「久留里線全駅乗下車」が「木原線全駅乗下車」になった。
- 駅が増えるので1日では無理?
- 某アニメのファンの間で人気になった。
- 終点が大原というのもポイント。
- なぜかいすみ鉄道に変更される。
霞ヶ浦線[編集 | ソースを編集]
- 土浦~江戸崎
- 阿見までは旧私鉄の路線跡を流用。
- 美浦トレセンへの足として競馬好きに親しまれる。
- JR化後もしばらく非電化の状態が続く。
- かつての八高・相模線と同じタイプの首都圏型気動車が運用される。
- 基本的な運用は線内完結で本数も少なかった。
- JR初期までは観光シーズンには臨時快速「かすみがうら」が乗り入れていた。
- 「あじがうら」と同じスジもしくは併結運転され、最期も運命を共にする。
- 近年になって電化される。
- 交流電化されるが単線のまま。
- 本数も増えて沿線のベッドタウン化が急速に進む。
- 車両はE501かE531付属編成の五両編成が基本。
- 朝夕は上野方面から直通列車が運転され、付属編成が分割されて乗り入れる。
- 代走時を除きグリーン車付き基本編成は運用されない。
- よって線内にSuicaグリーン券発売機は設置されない。
- 運転上は別列車だが、運用の都合でいわき~土浦~江戸崎となる列車も存在する。
- 現実で土浦止まりの朝夕のフレッシュひたちが江戸崎まで乗り入れる。
- 佐原への延伸が計画される。
- 全通した場合、「常磐あやめ」という特急が上野~江戸崎~鹿島神宮間に運転されるが利用客が少なくすぐに消滅。
- 他の房総特急みたいに183系が運用できないから特急化はないと思われる。恐らく急行で設定されて廃止まで急行のまま。
- 愛称も別な単独性のある愛称になっているだろう。
- さらに電化した場合、デッドセクションが佐原か稲敷に作られるため、場合によっては千葉県内にも交流電化が誕生してた。
- 全通した場合、「常磐あやめ」という特急が上野~江戸崎~鹿島神宮間に運転されるが利用客が少なくすぐに消滅。
- 「常磐新幹線を江戸崎に!」という電波看板が駅構内に立てられる。
- 東北縦貫線構想が現実味を帯びてきた後は「霞ヶ浦線全列車の東京直通実現!」にトーンダウンする。
- 霞ヶ浦駅がこの路線にあると勘違いされる。
- 勝手にご当地メロディ導入で間違いなく「江戸崎駅:Won(*3*)Chu KissMe!」と書かれていた。
鹿島線[編集 | ソースを編集]
- 香取~鹿島神宮~北鹿島~大洗~水戸
- 実史では北鹿島(現カシマサッカースタジアム)を境に南は国鉄(JR)鹿島線・北は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に分かれていますが、当初のとおりに全線国鉄で開通したと仮定して下さい。
- 早い段階で電化されるものの、地磁気観測所の関係で交流になって、デッドセクションを北鹿島に設定される。
- この関係で支社の管轄も水戸と千葉に分かれる。
- 415系による水戸~佐原の直通運転が実施されている。
- 常磐線で余剰車が出るまでは気動車で運行されている。
- 実現しなかった水戸成田エクスプレスが651系かE653系によって設定されていた。
- 列車名「フレッシュあやめ」
- ガールズ&パンツァーには登場しなかった可能性が高い。せいぜい戦車の輸送でJR貨物仕様の車両が出てくる程度。
- 博報堂がJR東日本と懇意だった場合はその限りではないが……舞台がひたちなか海浜鉄道メインに変わるかもしれないな。
- Suicaが使用可能になっている。
- 東京ー千葉ー佐原ー鹿島神宮ー水戸を結ぶ特急が設定されるが、通し乗客がほとんど乗らなくてすぐ消滅する。
- 485系を用意しなければならないのがネック。実現するとすれば昭和60年、ひたちの増強で九州からお古の485系をいっぱい貰った時だろうか。
- それまではキハ28・58急行「おおあらい」(仮称)として運転されるが、直通客が見込めないので鹿島線内は普通列車に格落ちする。
- 「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」なんて長い駅名にはならなかった。(orそもそも存在しなかった)
- 特急「あやめ」のうち1往復程度が新鉾田まで延長されていた。
- さらに海水浴シーズンには大洗まで延長される。車両は水戸支社の485系→651系。
- あんこう祭り臨は直接大洗までの乗り入れとなり、E657系が東京駅地下ホームへの入線を果たしていた。
- 電化が1の状況で国鉄時代に企図された場合、183系に交流ELまたはDLが連結され「ビーチインあやめ」として運転される。
- この場合、水戸側からの乗り入れ計画は無かった。
- さらに海水浴シーズンには大洗まで延長される。車両は水戸支社の485系→651系。
土飯線[編集 | ソースを編集]
- 土浦-水海道-境-久喜-鴻巣-坂戸-飯能、境-古河、水海道-佐貫
- 鉄道敷設法別表第43号
- 国鉄ではなく西武が建設するという噂も一時期あったらしい。
- 全線を走破する列車は間違いなく存在しない。
- おそらく久喜か鴻巣で運転系統が分断されていた。
- 鴻巣以西は単線になっていたかもしれない。
- 下記の事情により久喜で分断だろう。
- おそらく久喜か鴻巣で運転系統が分断されていた。
- 法律上の終点は飯能ではなく高麗川になっている。
- 水海道-佐貫は関東鉄道が建設していたかもしれない。
- 竜ヶ崎線の一部になっていた。
- 圏央道開業後にこの路線が何かと比較対象に挙がっていた。
- 川越線は建設されなかった。
- そのため埼京線は高崎線に直通し、桶川か籠原に車庫が建設されていた。
- 史実の川越線同様、八高線が鴻巣か久喜まで直通している。
- つくばエクスプレスは土飯線筑波駅が終点になっていた。
- 80年代か90年代に飯能(高麗川)~久喜が電化されるが、久喜~土浦は現在でも非電化のまま。
- 電化されない原因はもちろん地磁気観測所のせい。
- そのため久喜で分断されている。
- 八高北線とともに東京近郊区間大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 一応岩井のあたりまでならギリギリ30km圏内を回避できるとか。
- または久喜~土浦は交流電化となるが、需要の少ないこの路線を交流電化されるだろうか?
- おそらくEV-E801系の試験投入はここで行われていた。
- 電化されない原因はもちろん地磁気観測所のせい。
- ヤマノススメにも登場していた。
- 土浦が開港場に指定されていたらありえた。
総野線[編集 | ソースを編集]
- 市川-松戸-流山-野田-関宿-境-三和-小山
- 流鉄が国有化。
- 当初の申請通り馬橋で常磐線、下総中山で総武本線に接続している。
- 武蔵野線は流山が終点になり、以南はこの路線に乗り入れていた。
- 三郷駅や武蔵野操車場→新三郷駅は現実より北に設置。
- 北小金〜小金城趾に短絡線ができている。
- ついでに野田線の運河〜七光台も国有化。
- 運河〜船橋が東武のものになるかはさておき、並走路線になるから国有化されるか?
- 下総中山までの開通時期によっては東西線が下総中山で接続し、総武線快速も停車するかもしれない。
鴨川線[編集 | ソースを編集]
- 上総湊~安房鴨川
- 現在に至るまで非電化で存続している。
- 木更津辺りから安房鴨川へは現在よりも近道になるので、恐らく廃線になることはない。ただし3セクになっていたかもしれない。
- もし東京湾アクアラインに鉄道が設置されていたらでは当路線を高規格化して「わかしお」もアクアライン線経由とする、といった内容が書かれていた。
鉄道敷設法別表第50号鉄道[編集 | ソースを編集]
- 船橋〜佐倉間を千葉駅を経由せずに結ぶ計画。
- 成田線の延長扱いだろうか。
- 成田エクスプレスはこちらを通っていた。
- 東葉高速鉄道や成田スカイアクセスはおそらく開業せず。
- 開通時期によってはこの路線が160km/h運転対応の高規格路線として開業していた(成田新幹線の代替という意図も込めて)。
東京・神奈川[編集 | ソースを編集]
越中島支線[編集 | ソースを編集]
- 亀戸~越中島(貨)~新木場・東雲
- 越中島貨物駅以南は東京都港湾局専用線として建設される予定だったらしい。
- 国道357号線がある関係上新木場近辺は単線で高架化されている。
- もしくは京葉線の東京延伸と同時に潮見駅南端で合流するように線路が付け替えられていた。
- 潮見-新木場間はデルタ線が建設できるような構造になっていた。
- もしくは京葉線の東京延伸と同時に潮見駅南端で合流するように線路が付け替えられていた。
- 現在では事実上無用の長物になっている。
- しかし新木場駅に直結できることから、旅客化構想も史実より盛り上がっていた。
中央線延伸構想[編集 | ソースを編集]
- 国鉄中央線の短絡・接続などを兼ねて複数の案が計画されていたが、最終的に営団東西線との直通に落ち着いた。
- 中央総武縦貫線
- 信濃町から赤坂見附、桜田門、有楽町を経て錦糸町に至る路線計画。沿線自治体や建設省の反対で頓挫。
- 営団東西線への乗り入れはなかった。
- 有楽町がターミナル駅化していた。
- 後年京葉線がこの路線に接続する形で建設される。
- 特にこの路線が八丁堀を経由する形で建設されていれば尚更あり得る。
- 中央線九段短縮線
- 四谷から九段、錦橋を経て東京に至る路線計画。
- 毎年8月15日前後になると混乱が起きていた。
- ストでは真っ先に狙い撃ちされていた。
- 中央線ループ化延伸線
- 東京から有楽町、霞ヶ関、赤坂見附を経て信濃町に至る路線計画。
- 新設区間のみユーカリー丘線のように片道のみのスルーになっていたかも知れない。
- たくさんの人をさばくには便利そう。
- 大江戸線のように新宿まで6の字運転もあり得る。
- 霞ヶ関の辺りは地下線にしないと作れなかったと思う。
- 中央線神田橋短縮線
- 市ヶ谷-神田橋-東京-西銀座及び神田橋-錦糸町の計画。
- 神田橋と西銀座がターミナルとなっていた。
- 西銀座は有楽町と同一駅扱いになっていると思う。
- 西銀座からさらなる延伸計画が出ていた。
- むしろ東京-西銀座間は横須賀線の地下区間に編入されている気がする。実現していれば中央線の特急も品川や横浜に乗り入れていそう。
- 神田橋-錦糸町間のルートは史実の総武快速線とほとんど変わらない。
鉄道敷設法別表第52号鉄道[編集 | ソースを編集]
- 東京府大崎ヨリ神奈川県長津田ヲ経テ松田ニ至ル鉄道
- 東急田園都市線・小田急小田原線に影響が出ていた。
- 田園都市線と大井町線は建設されず、特急あさぎりも設定されない。
- JR東海の路線になっていたかもしれない。
- むしろ御殿場線がJR東日本の路線になっていた可能性が高い。結果的に東日本・東海両社の境界は沼津になる。
- 湘南新宿ライン・埼京線と乗り入れが検討されるが実現性なし。
- 大崎が起点では中途半端なので、湘南新宿ラインの誕生まではほぼ全ての列車が東京か品川までは乗り入れていたと思う。当然ながら現在は湘南新宿ライン・上野東京ラインの双方に乗り入れ。
- 急行ごてんばはこちらを通っていたが、線形の関係で新宿発着になったためロマンスカーにボロ負け。
- 史実の東海道新幹線と概ね並行するルートを辿っていた。
鶴見線(未成区間)[編集 | ソースを編集]
- 鶴見臨港鉄道時代に幾つかの延伸構想が存在した。
- 鶴見~矢向
鉄道線(現:鶴見線)を矢向まで延長し、南武鉄道に乗り入れて鶴見-矢向-浜川崎-鶴見間で環状運転を行う計画があったらしい。
- 立川発着の「リゾート踊り子」はこの路線を経由して東海道本線に転線していた。
- 恐らく開業から現在まで一度も環状運転が行われる事はなかった。
- 後年になって東海道貨物線との連絡線が新設される。
- 浜川崎~大森
浜川崎~穴守(穴守稲荷ではなく、現在の羽田空港敷地内)~平和島~大森。国有化に伴い頓挫。
- 東海道貨物線の建設に若干の影響が出ていた。
- 川崎貨物駅の位置が若干変わっていたかもしれない。
- 蒲蒲連絡線は存在せず、羽田空港への貨物輸送用として当路線が活用されていた。
- 京急と異なり1964年までには空港敷地内への乗り入れが行われていた。
- とはいえ乗り入れるのは殆どが京浜東北線からとなっていたと見られる。
- 現在運行されている蒲田行きの代わりに羽田空港行きが運行されていた。
- その結果東京モノレールはかなりの窮地に陥る事となった。
- 当然JRの傘下にも入る事もない。
- 京急が史実通り乗り入れ、こちらも新ターミナルに乗り入れていたらおそらく廃止されていた。
- 空港敷地内への乗り入れが開始された時点で路線は分断されていた。
- とはいえ乗り入れるのは殆どが京浜東北線からとなっていたと見られる。
- 分割民営化後は横須賀線・総武快速線と直通し羽田~成田直通列車がJRの手によって6年早く設定されていた。
- この場合運行上鶴見線は品川〜鶴見(横浜?)になっていたと思われる。
- 京急空港線が空港敷地内への乗り入れを果たした後もかなりの優位に立っていたと見られる。
- 旧ターミナルを使っていた1993年までならともかく、国内線ターミナルの沖合移転後は京急に並行する形で新線を作らなければ厳しかったのではなかろうか。後は成田スカイアクセスの開業もこれに追い打ちをかけそう。
- その後も湘南新宿ラインや上野東京ラインの開業に合わせ宇都宮線・高崎線・常磐線が羽田空港に乗り入れていた。
- この為「成田エクスプレス」と言う名前の特急は存在しない。一方で「エアポート成田」は上り下りで「エアポート成田/羽田」と名前を替える形で登場する。
- 「踊り子」や「(ワイドビュー)東海」辺りが羽田空港発着で運行されていた。
- 上野東京ライン開業後には「ひたち」「ときわ」が原則羽田空港発着となっていた。
- 羽田空港新線は計画自体がなかった。
- 大森の東海道線ホームが現在でも残っている可能性大。
- 横浜側の事も考えれば鶴見にもホームが出来ていたかもしれない。
- というより国道駅から分岐して東海道線に直通する列車があったかも。
- 横浜側の事も考えれば鶴見にもホームが出来ていたかもしれない。
- 史実の鶴見線は各駅停車、直通列車は快速扱いになっていた。
- 快速の停車駅は横浜方面は横浜〜国道〜浜川崎〜穴守〜羽田空港国際線ターミナル〜羽田空国内線ターミナル、品川·大崎方面は品川·大崎〜大森(通過)〜穴守〜羽田空港国際線ターミナル〜羽田空港国内線ターミナルとなっていた。
浦賀線[編集 | ソースを編集]
横須賀~浦賀
- 京急本線の状況を考えれば横須賀線からの直通列車は数える程度。
- 浦賀線用としてシーサイドライナーヨコスカが実用化されていた。
- 金谷への延長が勝手に鉄道建設辺りで主張されていた。
- 該当区間に道路を建設する構想が実在するので、もしかすると鉄道道路併用トンネルとする案が出ているかも(実現可能性は限りなく低いが)。
- 「湘南電気鉄道が設立されない」・「久里浜へ延伸されない」この二点がなければ敷設され大船~浦賀間が横須賀線となっていた。
月島線[編集 | ソースを編集]
- 汐留~越中島~小名木川~亀戸
- 通勤・通学路線として、活用された。
- 豊洲市場の開業が決定した際には、注目された。
- JR東が「きらりん☆レボリューション」のタイアップイベントを開催した可能性も。
- ゆりかもめと都営大江戸線のルートに影響が出た。
- ゆりかもめは有明までの路線で大江戸線大門~門前仲町間は史実より南側を通った。
桜木町-井土ヶ谷-東戸塚の新線[編集 | ソースを編集]
- 桜木町駅から、大岡川沿いを走り、井土ヶ谷から現在の東戸塚方面に抜ける路線が関東大震災前後に計画されていた。
- 品鶴線と同時期に開業。こちらは新線を旅客用に、旧線を貨物用にする。
- 横須賀線・東海道線の電車はこちらの新線を通り、保土ヶ谷の旧線は熱海以遠の長距離列車・貨物列車が走る。
- 史実では湘南電気鉄道が当未成線の予定地を譲り受けて日の出駅〜井土ヶ谷の路線を建設している事から考えると、湘南電気鉄道の起点は井土ヶ谷となり京浜電気鉄道との接続はできず、戦後も京浜急行電鉄は成立せずそれぞれ別会社として独立していた。
- この結果湘南電車が戦後も湘南電気鉄道を指す言葉となり、国鉄の湘南列車は電車化の際「湘南伊豆電車」と名乗っていた。
- 京浜電気鉄道(品川線)の終点はかつての計画通り伊勢佐木長者町となっていた。
- 史実では未成線となった横浜市営地下鉄2号線(屏風ヶ浦〜神奈川新町)が建設され、これに乗り入れる事で湘南電気鉄道は横浜市内に進出していた。
もしあの国鉄路線が全通していたら |
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北海道/東日本/東海/西日本/四国/九州 |