もしあの歌がコケていたら/あ行

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あー夏休み(TUBE)[編集 | ソースを編集]

  1. TUBEの自主制作への転向は失敗したと見なされていた。
  2. 夏休みの定番ソングにならなかった。
  3. SKE48『片想いFinally』はこの曲に似ているといわれることもなかった。
  4. Snappeasによるカバーもない。
    • 夏帆がリハウスガールに選ばれたかどうか怪しい。

Eyes On Me(フェイ・ウォン)[編集 | ソースを編集]

  1. 日本でフェイ・ウォンは無名の存在のまま。
    • アジア音楽ファンの間だけで認知されていて、一般には知られていない。
  2. FFに主題歌がつくのは8だけとなり、あのエロ歌姫がブレイクすることはなかった。

愛と死をみつめて(青山和子)[編集 | ソースを編集]

  1. 映画版の主題歌である吉永小百合の「愛と死のテーマ」が、名実共に『愛と死をみつめて』のテーマ曲という認識になっていた(ちなみに1964年版のテレビドラマには主題歌はなかった)。
    • 2006年版のテレビドラマでカバーされたのも「愛と死をみつめて」ではなく「愛と死のテーマ」になっていたかもしれない。
  2. もちろん、パロディも存在しない。
    • 『志村けんのだいじょうぶだぁ』のコントで替え歌にされることはなかった。
  3. あまりにも悲劇過ぎて売れなかったとみなされていた。
    • よって、悲劇的な曲は売れないというジンクスが出来ていた。

アゲ♂アゲEVERY騎士(DJOZMA)[編集 | ソースを編集]

  1. 「アゲアゲ」が流行語にならなかった。
  2. 紅白での一連の騒動はなかった。
  3. そこからの矢島美容室もなかった。

アジアの純真(PUFFY)[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカでPUFFYの人気は出てなかったかもしれない。
    • 「True Asia」という名前で歌われることはなかっただろう。
    • それ以前に香港や台湾でもPUFFYの人気は出てなかったかもしれない。
  2. 奥田民生は自作曲に専念していた。
  3. 「アジア」と言っておきながらベルリンなどのアジアに属さない地域を入れたことに史実以上に突っ込まれていた。
  4. 当然次のシングルだった「これが私の生きる道」もヒットせず、翌年(1997年)の選抜高校野球の入場行進曲に選ばれることはなかった。
  5. 亜美とGLAYのTERU、由美と西川貴教が結婚することもなかった。
    • 亜美はTERUが不倫までして結婚したのだから手を出すことがなかったのでは?
  6. 「井上陽水奥田民生」は結成されなかった。

A Perfect Sky(BONNIE PINK)[編集 | ソースを編集]

  1. BONNIE PINKの最大のヒット曲は『犬と月』だった。
  2. トーレ・ヨハンソンが関わらなかったことが失敗とみなされた。
  3. エビちゃんの男性知名度は低いままだった。(あのCMの前から女性の間では有名だった)

アポロ(ポルノグラフィティ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「アポロ」と言えばやはりアポロ計画。
    • あるいはあのチョコレート菓子のこと。
  2. バンド名をアポログラフィティと勘違いされることはなかった。
  3. この後のシングルである「サウダージ」や「アゲハ蝶」などもヒットしなかった。
    • 史実通りヒットした場合、幻のデビュー曲といった扱いになっていた。
  4. 2014年の紅白歌合戦では別の曲を歌っていた。
  5. 心霊ソングと言われることはなかった。
  6. この曲の広島弁バージョンも存在しない。

雨の西麻布(とんねるず)[編集 | ソースを編集]

  1. とんねるず人気もそこまで出たかどうか怪しい。
    • 「とんねるずのみなさんのおかげです」もなく、裏番組の「ザ・ベストテン」は史実より長く続いていた。
  2. 「ガラガラヘビがやってくる」もヒットしてなかった。
    • 野猿も結成されなかった。

A・RA・SHI(嵐)[編集 | ソースを編集]

  1. 嵐はそこまで有名になれなかった。
    • 下手するととっくに解散していたかもしれない。
    • 史実以上にNEWSが有名になっていた。
      • むしろタッキー&翼では?
    • それでもSMAPのように後から大ブレイクした可能性は十分あるはず。
  2. SMAPの天下はもう少し続いていた。
  3. 『VS嵐』や『嵐にしやがれ』などは存在しなかった。
    • 結果、『嵐にしやがれ』の前番組である『エンタの神様』は2010年4月以降も続いていた。
      • もしくはEXILEかAKB48の冠番組に代わっていた。
  4. 2004年と2008年の『24時間テレビ』のチャリティーパーソナリティーは別の人になっていた。
  5. 紅白歌合戦の白組司会は今も中居正広が継続。
  6. 史実以上にw-inds.が売れてジャニーズを脅かす存在になっていたかもしれない。
  7. ジャニーズがバレーボールと関わり合いを持つことがなくなり、NEWSやHey!sey!JUMP、Sexy Zoneの結成はなかったか別の形でデビューしていたかも知れない。
    • 他グループでデビューしたのは山下智久、山田涼介、佐藤勝利といったエースだけで他のメンバーはデビューできなかった。
  8. 2020年のキャンペーン『HELLO NEW DREAM. PROJECT』の対象商品のパッケージに歌詞が書かれることはなかった。

亜麻色の髪の乙女[編集 | ソースを編集]

ヴィレッジ・シンガーズ[編集 | ソースを編集]

  1. 「亜麻色の髪の乙女」といえばクロード・ドビュッシーのピアノ曲。
    • この曲が↑に歌詞を付けたものと勘違いする人がいた。

島谷ひとみ[編集 | ソースを編集]

  1. 島谷ひとみのポップス転向はなかった。
    • 地味な演歌歌手として活動を続ける。
    • 紳助ファミリーとして、スザンヌ等と同じ人生を歩んでいた。
    • その前に「パピヨン」があるんですが。
  2. 亜麻色の髪の乙女は、ハワイアン調でハワイアン歌手がカバーした地味な曲になっていた。
  3. Cool Jewelries001で新田美波がカバーすることもなかった。

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いい日旅立ち (山口百恵)[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄のキャンペーン誘致のキャッチコピーで使われることはなかった。
  2. 鬼束ちひろが「いい日旅立ち・西へ」を歌うことはなかった。
    • ということは、山陽・北陸新幹線で「いい日旅立ち・西へ」が車内チャイムで流れることもなかった。
  3. 谷村新司は山口百恵に対する今後の作詞・作曲活動を挫折していた。
  4. 息子・三浦祐太朗が歌手活動をすることはなかった。
    • この場合三浦がカバーすることも考えようがなかった。
      • 本当にそうだったら第59回日本レコード大賞での三浦の企画賞も考えようがなかった。

いいわけ(シャ乱Q)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ズルい女」の一発屋で終わったため、ASAYANでプロデュースをする話が回ってくるはずがなかった。
    • つまり、もしかすると「モーニング娘。」は誕生しなかったかも。
    • 「シングルベッド」を忘れないでください。それに「my babe 君が眠るまで」もそこそこ売れました。
  2. 「NHKのど自慢」で歌われて、某一般人とともに再注目されることも無かった。

YELLOW YELLOW HAPPY(ポケットビスケッツ)[編集 | ソースを編集]

  1. ポケットビスケッツはブレイクしなかった。
    • 3枚目以降が出たとしてもなんとなく消えていた。
  2. もちろんブラックビスケッツもない。
  3. 千秋が歌手として地位を築く事はなかった。
    • もちろん千秋やウド鈴木、内村光良の紅白出場もない。
  4. 非音楽バラエティー番組から生まれたユニットの曲のヒットは途切れていた。
    • それでも「クイズ!ヘキサゴンⅡ」から生まれたPaboや羞恥心のヒットは史実通りか。
  5. 「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」でカバー曲に採用されなかった。

いちごGO!GO!(UNDER17)[編集 | ソースを編集]

  1. 桃井はるこの黒歴史となり、エロゲーとの関わりは最初から無かったことになっていた。
    • アニメで史実通りの活躍しても歌ってたことを公表することはなかっただろう。
  2. 「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」とか製作されたか怪しい。
  3. 小池雅也とはPoly-Phonicとしての活動のみでUNDER17は消滅していた。
    • 小池雅也がソロでブレイクすることもなかった。
  4. エロゲー主題歌を中心に電波ソングというジャンルが確立したか怪しい。
    • それでも同年に「Change my Style 〜あなた好みの私に〜」「恋愛CHU!」を出したI've Soundが牽引したと思う。
      • 2004年までライブを行わなかったため史実ほどメジャーなジャンルになった可能性が低かった。
    • エロゲーの衰退は史実より遥かに早かった。
      • 2002年に起きた事件によるダメージが致命傷になっていた。
    • キャラフェスのようなライブ有りの大規模エロゲーイベントは行われない。
  5. いちごで萌え系と言えば当時「ガチンコ!」に出てたいちご姫のイメージだった。

いとしのエリー(サザンオールスターズ)[編集 | ソースを編集]

  1. サザンはコミックバンドという認識で終わっていた。
  2. レイ・チャールズがカバーすることもなかった。
  3. 『ふぞろいの林檎たち』の主題歌に使われることはなかった。

いとしのレイラ(デレク&ドミノス)[編集 | ソースを編集]

  1. 不倫を暴露して大コケとみなされていた。
  2. 三菱自動車のCMソングに使われることはなかった。
  3. サザンオールスターズの『いとしのエリー』はなかった。

innocent world(Mr.Children)[編集 | ソースを編集]

  1. レコード大賞受賞者が番組出演を辞退することは今もって無い。
  2. 桑田佳祐は翌年、別の歌手とコラボして「奇跡の地球」を歌っていた。
  3. それでもミスチルは、史実で前作の「CROSS ROAD」からヒットを続けたので、1,2年以内にブレイクできた。
    • 次作の大ヒットにより本格的にブレイクしていた。

インフルエンサー (乃木坂46)[編集 | ソースを編集]

  1. 2017年11月現在、「いつかできるから今日できる」 までの3連続シングル表題曲がWセンターになることがなかった。
    • すなわち、「Wセンターは失敗した」 と見なされる。
  2. シングルCDでのミリオンセラーは 「逃げ水」 (2017年8月9日発売) まで待つことになる。
    • ちなみにこの前のミリオンセラー作は 「サヨナラの意味」 。
  3. 第59回日本レコード大賞での優秀作品賞は果たして何になっていただろう?
    • 「願いごとの持ち腐れ」あたりでは?
  4. 日本有線大賞だと、テレビ放送最後の年 (2017年) に有線音楽優秀賞の受賞とはならなかった。

うえ[編集 | ソースを編集]

ウィーアー!(きただにひろし)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ONE PIECE」のアニメが現在まで続いていたかどうか怪しい。
    • 続いていたとしても、少なくとも「ウィーゴー!」はなかった。

WE ARE THE CHAMP~THE NAME OF THE GAME~(THE WAVES)[編集 | ソースを編集]

  1. Jリーグ開幕当初のブームが史実より地味なものになっていた。

We Belong Together(マライア・キャリー)[編集 | ソースを編集]

  1. マライア・キャリーは過去の人扱いされていた。
    • 「恋人たちのクリスマス」が全米のダウンロードチャートでヒットすることはなかったかもしれない。
  2. 2005年のBillboard Hot 100年間1位は「Hollaback Girl」(グウェン・ステファニー)あたりになっていた。

上を向いて歩こう(坂本九)[編集 | ソースを編集]

日本
  1. 坂本九の代表曲が一曲減っていた。
  2. 作詞:永六輔、作曲:中村八大の代表曲は「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)あたりになっていた。
    • 「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)もあり。
アメリカ
  1. Billboard Hot 100で東洋人が1位を獲得するのは、2010年のファーイースト・ムーヴメントまでなかった。
  2. すき焼きといえば普通に食べ物。

ultra soul(B'z)[編集 | ソースを編集]

  1. 第三次B'zブームはなかった。
  2. B'zの代表曲といえば、未だに「愛のままに わがままに 僕は君だけを傷つけない」。
    • 21世紀に入ってからは「衝動」か「イチブトゼンブ」が人気だった。
    • むしろ「いつかのメリークリスマス」では?(シングル化はされていないが)
  3. 稲葉浩志と松本孝弘が完全に過去の人のような扱いだった。
  4. 世界水泳のテーマ曲に再起用されることはなかった。
  5. 「ウルトラソウッ!ハイッ!」は存在しない。
    • ニコニコの「歌の後に〜」シリーズはそれほど盛り上がらなかった。
  6. 片岡治大(西武→巨人)が打席に入る際のテーマ曲にはならなかった。
  7. 18作目のオリジナルアルバム『C'mon』にこの曲のリメイク版は収録されない。
    • 代わりに「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」か「もう一度キスしたかった」のリメイク版が収録されていたかも。

エアーマンが倒せない(せらみかるちたん)[編集 | ソースを編集]

  1. ロックマンは新作が出ずほとんど忘れ去られた存在になっていた。
    • 「ロックマン9 野望の復活!!」は史実通り出たかもしれないが、「ロックマン10 宇宙からの脅威!!」は出なかっただろう。
  2. 日本のゲーム会社がMAD動画に寛容になることはなかったのではないだろうか。
    • ニコニコ動画は史実ほど隆盛しない。
      • ニコニコ動画やyoutubeで「○○が倒せない」というタイトルのパロディ動画が乱発されることもなかった。

エイリアンエイリアン(ナユタン星人)[編集 | ソースを編集]

  1. 初音ミクの時代が完全に終了していた。
  2. 「サチコサンサチコサン」は無かった。
    • 小林幸子のボカロ進出は一過性の話題に終わっていた。
  3. 2016年ボカロ四天王は四天王ではなくて御三家になっていた。
    • 「すきなことだけでいいです」が四天王入りを果たしていたかも。

英雄(doa)[編集 | ソースを編集]

  1. 弾幕ソングとして普及しなかった。
  2. ウルトラマンを主張しない主題歌は邪道とされた。
  3. 権利関係でのアルバム未収録を嘆く声はさほどなかった。

エージェント夜を往く(THE IDOLM@STER)[編集 | ソースを編集]

  • 双海亜美・真美ver.が話題にならなかったら。
  1. 十勝地方がブームになることはなかった。
    • ばんえい競馬の冠競走になることはなかった。
  2. 「エアーマンが倒せない」などと同様ニコニコ動画は史実ほど隆盛しなかった。
  3. 下田麻美はブレイクしなかった。
    • 「鏡音リン・レン」は出なかった。

ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~(森口博子)[編集 | ソースを編集]

  1. 森口博子は一般にはバラドルのイメージのまま。「歌手」と認識しているのはほぼアニオタ。
  2. 森口の代表曲は今でも「水の星へ愛をこめて」のままだった。
  3. 「夢がMORIMORI」もなかったかも。
  4. 映画も歌もヒットしなかったため、ガンダムの人気は低下。その後のTVシリーズが作られたかどうか疑問。

Everything (It's you)(Mr.Children)[編集 | ソースを編集]

  1. ミスチルは解散に追い込まれていた。
  2. 同じく不倫を題材にした曲であるデレク&ドミノスの『いとしのレイラ』と比べられていた。

Everyday、カチューシャ(AKB48)[編集 | ソースを編集]

  1. ボーダーの服が流行することはなかった。
  2. 木下ベッカムがおはスタでこれのパロディネタをやることもなかった。
  3. 2012年のセンバツの入場曲は変わっていた。
    • 『花は咲く』になっていたかも。

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大きな古時計[編集 | ソースを編集]

みんなのうた(立川澄人)[編集 | ソースを編集]

  1. 原曲である「My Grandfather's Clock」の日本での知名度は史実より低くなっていた。
  2. 平井堅によるカバーもなかった。
  3. In the Soupの「あの頃は~大きなノッポの古時計」もなかった。
  4. 制服向上委員会が安倍晋三を揶揄する替え歌を歌うことはなかった。
  5. 「大きな古時計」ではなく、「おじいさんの時計」または「おじいさんの古時計」という邦題が今でも一般的だったかもしれない。

平井堅[編集 | ソースを編集]

  1. 「瞳を閉じて」がリリースすることはなかった。
    • あるいは「瞳を閉じて」の大ヒットで平井堅の知名度は大きく上がっていた。
  2. 『みんなのうた』の同時期のタイアップ曲だった諌山実生の『恋花火』の方がヒットしていたかもしれない。

オジー自慢のオリオンビール(BEGIN)[編集 | ソースを編集]

  1. オリオンビールの売上が落ちていた。
    • 沖縄県外の沖縄料理店でオリオンビールが提供されることも少なくなっていた。
      • アニメ『たくのみ。』10話のサブタイトルが変わっていた(史実では「オリオンビール」)。
  2. 「アンマー我慢のオリオンビール」が作られることもなかった。

おしりかじり虫(おしりかじり虫)[編集 | ソースを編集]

  1. 今でもNHK関連の曲といえば未だに「だんご3兄弟」。
  2. うるまでるびの代表作が一つ減っていた。
  3. 「おしりの山はエベレスト」が作られることもなかった。
  4. もちろん、パロディも存在しない。
    • 「SMAP×SMAP」のパロディコント「ツヨシかじり虫」はなかった。
  5. 2012年にBSプレミアムで連続アニメ化されることもなかった。
  6. おしりかじり虫前に注目されていた同年のみんなのうた曲、ルー大柴&仁井山「MOTTAINAI」が割りを食うこともなく史実よりヒットしていたかも。
  7. 金田朋子がゴールデンタイムのバラエティ番組に出ても声優として紹介されなかったかもしれない。
    • というよりバラエティに呼ばれることは最初からないだろう。
      • もし史実通り出演しているとして出演してた深夜アニメが格好のいじりネタとして散々晒されていた。
        • アニメファンや業界関係者によるテレビ局批判が激烈なレベルになっていた。
          • 「スポーツ男子」に出る前のダンナの知名度を考えるとそれは当たらないような気がする。

男の子になりたい(酒井法子)[編集 | ソースを編集]

  1. 先にデビューした水谷麻里がアイドル歌手として延命させられたかも。
    • それでも江口寿史との結婚により芸能界引退、は史実通り。
  2. のりピー語は流行らなかった。
  3. 覚せい剤で逮捕されても注目度は小さく、あっても小向美奈子並み。

おどるポンポコリン(B.B.クイーンズ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ちびまる子ちゃん」のアニメは現実ほど長続きしなかった。
    • 長続きしている場合はオープニングテーマに採用されなかった。
  2. B.B.クイーンズ自体の注目度も現実ほどではなかった。
    • クレヨンしんちゃんのOPを歌うこともなかった。
    • 活動期間も短かったので、名前を知っている人さえ少なかった。
      • というよりシングル1枚限りの単発ユニットとして解散していた。今頃(2018年現在)はコアなビーイングファンと『ちびまる子ちゃん』ファンが知っている程度になっていた。
    • Mi-Keが独立して活動することもなく、ビーイングブームも起きなかった可能性がある。
      • その時点で「負けないで」まで消してしまうのはどうかと。
        • 「白鳥麗子でございます!」の主題歌に起用されなかった可能性もあり。
    • 坪倉唯子は渋声の地味なポップス歌手で終わっただろう。
    • B.B.クイーンズとしてのテレビ出演もなかった。
  3. アニソンがオリコン1位を取るのはけいおん!まで無かった。
    • アニメソング初のオリコン1位はCAT'S EYE。LPチャートを含めると宇宙戦艦ヤマト。
  4. 電波ソングは史実ほど多くなかったかも?
  5. ゆめいっぱい(関ゆみ子)が史実以上に注目されていた。
  6. 1991年の選抜高校野球の入場行進曲は「浪漫飛行」(米米CLUB)あたりになっていた。
    • あるいは「愛は勝つ」(KAN)だったかも。

お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!(PROJECT"D")[編集 | ソースを編集]

  1. 「ラグナロクオンライン」の日本での人気は下火になっていた。
    • 不正ツールやテレビアニメ版の失敗などで日本でのサービスは縮小されたかもしれない。
      • ガンホーは大手企業になれなかった。
        • パズドラなどは出なかった。

オバQ音頭(曽我町子・石川進)[編集 | ソースを編集]

  1. 音頭物のアニソンは一般化しなかった。
    • 盆踊りでの子供向けの曲が現実よりも限られたものになっていた。
  2. 「ドラえもん音頭」や「アラレちゃん音頭」なども作られたか怪しくなる。
  3. 子供向けの音頭は「おかあさんといっしょ」などの子供番組発のものが多くなっていたかもしれない。
    • 「ドリフ音頭」が子供の間でもブームになっていたかも。

およげ!たいやきくん(子門真人)[編集 | ソースを編集]

  1. 屋台といえばたこ焼きのイメージが確立され、たい焼きは焼き菓子の中の一つという位置付けでしかなかった。
  2. 月宮あゆは今川焼きを食い逃げしていた…んか?
  3. ポニーキャニオンはとっくの昔に潰れていた。
    • そこまで行かなくても、子供向け音楽の分野で存在感を示すことはなかった。
  4. PUFFYが、毎日毎日僕らは一般の~♪という歌詞を歌うこともなかった。
    • 爆風スランプが、毎日毎日僕らは鉄板で~♪、夢みるアドレセンスが、毎日毎日僕達は満パンの~♪という歌詞を歌うこともなかった。
  5. 所ジョージが、「めざせタイヤキIII」や「泳げたいやき屋のおじさん」を歌うこともなかった。
  6. 「子供番組から生まれたヒット曲」の代表曲は長い間「ピンポンパン体操」になっていた。
  7. 山本リンダが「私の恋人、たいやきくん!」を、横山ノックが「ガンバレ!たこやきちゃん」を歌うこともなかった。
  8. 歌とともに購買意欲を促進させることができる、ということに気づかず、「だんご3兄弟」や「おさかな天国」も誕生しなかった可能性がある。
    • 全国のスーパーはいくらか静かになる。
    • 仮に誕生したとしても、ポニーキャニオンからの発売ではなかっただろう。
  9. 1976年以後も、日本の(アニソンを含む)子供向けレコード市場は日本コロムビアの独壇場だった。
  10. ポンキッキの人気は低迷し、下手すれば早期に打ち切られていた。
    • 現実と反対にピンポンパンが長続きしていたかも。
  11. 音楽ディレクター・プロデューサーの小島豊美の知名度も史実ほどではなかった。
    • 落語のレコードのプロデュースの業績で有名になっていたかも。
  12. 2015年7月26日放送の『FNS27時間テレビ2015』内で放送された「FNSドリームカバー歌謡祭」で、クリス・ハートが「およげ!たいやきくん」を歌うことはなかった。
  13. たい焼きブームが起こらなかったので、木村拓哉(SMAP)が幼い頃、「屋台でたい焼きを買う少年」として新聞の写真に写ることもなかった。
  14. 銚子電鉄の観音駅に鯛焼き屋は開業しなかった。
    • その後、鯛焼き屋が犬吠駅へ移転することもなかった。
    • ぬれ煎餅も発売されなかったかも。
  15. ドラえもんの「念録マイク」でジャイアンが歌った曲が別のものになっていた。

女ひとり(デューク・エイセス)[編集 | ソースを編集]

  1. 京都の大原三千院や大覚寺の知名度は現実よりも低かった。
    • 京都市中心部から大原方面に行くバスの本数も少なくなっている。
  2. 嘉門達夫が替え歌のネタに使うこともなかった。
  3. デューク・エイセスの「にほんのうた」シリーズの代表作といえば、群馬の「いい湯だな」だった。
    • 茨城の「筑波山麓合唱団」、宮崎の「フェニックス・ハネムーン」も。

オンブラ・マイ・フ(‎キャスリーン・バトル)[編集 | ソースを編集]

  • 日本でヒットしていなかったとする。
  1. ニッカウヰスキーの業績が落ちていた。
  2. 「CMへの起用がクラシック音楽のヒットに繋がる」という認識もなく、CM音楽の歴史が多少変わっていた可能性もある。
  3. 1987年のNHK紅白歌合戦で、佐藤しのぶが「オンブラ・マイ・フ」を歌うことはなかった。
  4. ヘンデルのアリアで日本で知名度の高いものは、これより後に流行った『Lascia ch'io pianga』(リナルド)まで出る事がなかった。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあの歌がコケていたら
あ~お/か~こ/さ~の/は~わ