もしあの県の県庁が○○に置かれたままだったら
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- ページ名は「県」としていますが、東京都・北海道・大阪府・京都府についての記述も構いません。
北海道庁が函館市[編集 | ソースを編集]
福島県庁が二本松市[編集 | ソースを編集]
栃木県庁が栃木市[編集 | ソースを編集]
群馬県庁が高崎市[編集 | ソースを編集]
- 群馬県庁は高崎市に置かれていた時期もあったが、1881年より前橋市に定着しました。もし、高崎に置かれたままだったら・・・。
- 中核市移行が早まっていた。
- 前橋はただの地方都市に過ぎなかった。
- 前橋自体が高崎に統合され消えてる。
- その場合2000年以降には政令指定都市へ。
- 前橋自体が高崎に統合され消えてる。
- 高崎経済大学が存在せず、かわりに群馬大学の経済学部になっている。
- 史実とは逆に歩兵第15連隊の駐屯地が前橋に置かれた。
- 上毛電気鉄道が高崎に進出していた。
- 上信電鉄とつながって西桐生発下仁田行きの電車が走っていた。
- 史実よりも高崎市の人口が多くなっていた。
- 高崎操車場跡地の再開発が史実よりも進んでいた。
- 前橋の人口は10万人後半~20万人前半(=伊勢崎、太田)くらい。高崎市は40万人後半~50万人前半の規模だった。
埼玉県庁が東京都中央区[編集 | ソースを編集]
- 大宮県が設置された時、県庁を大宮に置く予定でしたが、暫定的に東京府馬喰町(現東京都中央区)に置かれていた。
- 県庁所在地でない浦和は地味な都市になる。
- 浦和駅に湘南新宿ラインは停まらなかった。
- それどころか京浜東北線しか停まらなかった。
- 浦和駅に湘南新宿ラインは停まらなかった。
- 「埼玉県情報センター新宿」(埼玉県領事館)は無かった。
- 埼玉県は知事も埼玉都民とバカにされる。
- 旧制浦和高校が埼玉大学にならず、東京大学に吸収されていた。(実際に案があった)
- さいたま市の誕生の理由が「さいたま新都心に県庁を移す」という事になっていたかもしれない。
- なんか下手すると埼玉県全体が東京都に合併されてそう…
東京都庁が丸の内[編集 | ソースを編集]
- 東京国際フォーラムが建設されることはなかった。もしくは新宿に建設されていた。
- 都有3号地が最有力。
- 都内各地に庁舎が作られ、都庁職員は不便を強いられる。
- 都営日比谷駅が都庁前駅に改称していた。
- 大江戸線は光が丘-・・・-中野坂上-西新宿-新宿-・・・-大門-・・・-東新宿-新宿の路線になっていた。
- JR東日本は代々木に本社を移転することはない。
- 旧国鉄本社をそのまま改築していた。
- 湘南新宿ラインや副都心線も無い。
- 上野駅前がもっと開発され、ビジネスマンが出没する街に変貌する。
- 京成上野はいらない扱いされない。代わりに西武新宿は東西線直通案で廃止さえも検討。
- 秋葉原は新橋のようなビジネス街になり、ヲタクは秋葉原よりも池袋や中野あたりに出没させられる。
- 「AKB48」ではなく中野が拠点の「NKN48」が誕生していたか?(「NKN」は中野のこと)
- 「ゴジラvsキングギドラ」(1991年)の最終決戦はどこになったのだろうか?
- 東京駅がパンクした。
- 社会の授業やテストで、都庁所在地が東京か新宿かで揉めることはなかった。
- その代わり東京か千代田かで揉める。
富山県(新川県)の県庁が魚津市[編集 | ソースを編集]
- 廃藩置県の頃、魚津には数年間新川県(富山県の前身)の県庁が置かれていました。もし今でも魚津が県庁所在地だったら?
- 県名は「魚津県」になっていた。
- 1883年に石川から分離独立した際に命名。
- むしろ「新川県」なのでは。
- 人口は史実の3倍の14万人くらいになっているが、富山市や高岡市には遠く及ばない。
- 下関市などより人口の少ない県庁所在地のある県と同じ状態になる。
- 富山県東部は険しい山林が多く可住面積は限られているからどうしてもねぇ…。
- あいの風とやま鉄道はあいの風うおづ鉄道になる。
- 滑川や黒部も市域になっていた。もち、宇奈月温泉も。
- なので、県全体の市町村の数が史実よりもっと少なくなっていた。
- 放送局は「NHK魚津放送局」「北日本放送」「魚津テレビ放送」「テレビユー魚津」「魚津エフエム放送」となる。
- うち、NHK以外はみんな富山に本社・演奏所・親局を置く。
- いやテレビユー魚津は高岡に置かれる。
- 開局時から石川県のテレビ局と相互乗り入れする。
- うち、NHK以外はみんな富山に本社・演奏所・親局を置く。
- JRの特急「サンダーバード」「しらさぎ」は現実よりも魚津発着が多かった。
- 北陸新幹線の停車駅は魚津駅に。
- それでも黒部市は県庁所在地魚津市の隣ということで忠実以上に栄え、黒部駅前もさらに賑やかになる。
- 北陸新幹線の停車駅は魚津駅に。
- ホテルの建設はあまり変わらない。
- 富山県が西部(忠実の呉西全域)、中部(富山市)、東部(忠実の富山市除く呉東全域)と3地域区分化されるのが一般的になる。天気予報も高岡市、富山市、魚津市の3か所になる。
石川県庁が美川町[編集 | ソースを編集]
- 金沢県は県庁が金沢から美川に移り、石川県と改称しますが、一年後、県庁は金沢へ帰っていきました。もし今でも美川が県庁所在地だったら?
- もちろん「美川市」誕生。ただし、金沢市よりはあと。
- 名実ともに県一の町になる…かどうかは微妙なところ。
- 能登民からは「遠い」と不評。
- 三河民からは「紛らわしい」と不評。
- 七尾線列車の大半が美川駅まで直通する。
- 「能美」と「石川」の合成地名というのは県内における常識だった。
- 松任は美川に編入される。
- 北陸新幹線は2014年に美川まで開業するも車両基地の場所は現実と変わらず。名称は「美川車両基地」。
- 北陸最大都市の座は富山へ。
- 美川に北陸鉄道の路線が開通していた。
三重県庁が津市[編集 | ソースを編集]
- 安濃津県は県庁が津から四日市に移り、三重県と改称しますが、1年後、県庁は津へ戻り、3年後度会県と合併しました。もし県庁移転が一度もなかったら?
- 「三重〜」と付くものが全て「安濃津〜」になる。
- 史実ほど四日市に差を付けられることはなかった。
- 三十三銀行も四日市ではなく津市が本店。
大阪府庁が大阪市西区[編集 | ソースを編集]
- 現在大阪市中央区大手前にある大阪府庁は、1926年に現在の庁舎が完成するまで西区江之子島にありました。もし大阪府庁が現在に至るまで移転しなかったら・・・。
- 大阪市西区の川口~九条にかけての一帯は官庁街として発展していた。
- 大阪府警察本部やNHK大阪放送局もこの辺りに建設されていた。
- 阪神なんば線は1970年代までに開業していた。
- 大阪環状線の野田~大正間は西九条・弁天町経由ではなく九条経由となっていた。
- 桜島線は野田で分岐。
- 大阪駅から官庁街へのアクセスとなるため、大阪環状線の西半分の利用客が現実より多かった。
- 京阪電鉄は天満橋から大阪市電への乗り入れを実現していた。
- 戦後になって天満橋~北浜~淀屋橋~土佐堀~川口~九条間に地下線を建設。
- 九条が西大阪有数のターミナルとなっていた。
- 九条商店街は現在では心斎橋筋と並ぶ集客力を誇る繁華街となっている。
- 九条周辺が「ニシ」と呼ばれていた。
- 何度か台風などが原因での洪水のあおりで水をかぶっていた。
- 実際それを避けるために移転したわけだし。
- と言うことで、江之子島周辺の堀が埋め立てられるのは現実より早かった。
- 実際それを避けるために移転したわけだし。
- 地下鉄千日前線の利用客は現実よりも多かった。
- 阿波座駅が府庁最寄駅となっていた。