もしあの空港が開港していたら

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石狩空港[編集 | ソースを編集]

  • 1966年に当時の福田北海道開発長官が札幌周辺への新国際空港建設を発言し、札幌の財界が石狩町生振への空港建設の要望を行うも千歳市の千歳空港拡張の要望が勝り史実では実現せず。
  1. 丘珠・千歳空港は自衛隊機能のみとなる。
  2. 1972年札幌五輪時に千歳空港を臨時国際化したのは史実通り。
    • それでも需要増加でさばききれなくなりいずれ新千歳、丘珠が解放されていく。史実の新千歳ー東京は世界でもトップレベルの需要で今後地球温暖化や南海トラフでさらに需要増える可能性もあるし。
  3. 苫小牧市ではなく石狩市がダブルポートの街を大きくアピールしていた。
    • 小樽は観光地の座を奪われそうになるが石狩空港との近さと古い建物をアピールして維持する。
  4. 石狩町の市制施行は史実より早くなっていたかも。
  5. 札沼線から分岐し石狩中心部を経由し空港へ向かう鉄道路線が建設されバス頼りの街とならなかった。
    • 1950年代から棚上げとなっていた石狩鉄道が空港アクセスを主目的に建設されていたかもしれない。
      • もしくは80年代に計画された石狩モノレールが実現していた。
        • 石狩モノレールが麻生起点になっていた場合、副都心に乏しい札幌において、麻生や新琴似が必ずモノレールへの乗り換えで降りて消費する需要で発展し、新さっぽろ以上の独立性を持つ副都心として発展していた。
          • 史実ほど札幌市域の経済発展が南部に片寄らなかった。
        • 石狩モノレールが栄町起点となっていた場合、東豊線の苦戦する営業系数が改善していた。
        • 学園都市線は石狩モノレールとの乗り換え需要や、新琴似副都心へのアクセスで発展し、新十津川ー北海道医療大学が廃線になることはなかった。
          • 北海道医療大学が移転するどころか、むしろエスコンフィールドの石狩市誘致に成功したかもしれない。
            • エスコンフィールドが史実通りの位置になっていた場合、史実よりも地下鉄が儲かっているのでJR新駅ではなく東西線がエスコンフィールドにアクセスできる延伸していた。
          • なんなら設備改良して滝川に接続し旭川・富良野に乗り入れられるように工事していた。そうなっていれば旭川・富良野の観光需要が史実より増えて栄えていた。
  6. 石狩市中心部や札幌北区に騒音対策が必要となる。
  7. 60年代後半からの計画開始となればおそらく1980年代前半に第一次計画が完成となっていた。
    • 1984年札幌五輪が決定していたら、五輪開催に間に合わせるように建設が行われていた。
  8. 石狩新港にフェリーが乗り入れていた。
  9. JR北海道は史実のドル箱の新千歳ー札幌を失うため史実以上に経営が苦しくなっていた。
    • 逆に地下鉄は経営が良好化し史実よりも広くいろんな場所に延伸していた。
      • 自治体がJR北海道救済の手を打たなければ、札幌から北海道各地へは飛行機とバスで移動し、札幌市内は高度に発展した地下鉄で移動するという文化になっていた。
  10. 史実通りのルートで北海道新幹線延伸していた場合、新小樽ー札幌間のルートで石狩空港を経由できないか検討されていた。

横田基地軍民共用化[編集 | ソースを編集]

  • 東京の多摩地区にある横田基地には、以前から軍民共用化構想があります。もし実現したら…?
  1. 空港としての名称は「多摩空港」あたり。
  2. 羽田・成田と合わせて「東京3空港」と呼ばれる。
    • 茨城空港を入れると「東京4空港」。
  3. 現在の横田基地への引き込み線が空港アクセス鉄道として整備される。
  4. 横田上空の空域が返還される。
    • 横田空域問題解消で羽田便が少し安くなる(燃料費の問題)
  5. 三沢、岩国のように旅客機エプロンと誘導路の間に何故か電動ゲートが設置される
  6. まだ周囲の住宅が少ないバブル以前に実現していた場合は、滑走路が北に伸びて青梅市にかかり、結果として、熊本阿蘇国際空港のように青梅国際空港という臭そうなあだ名で呼ばれてしまう。
  7. 空港のない山梨から(へ)の利用客も多くなっていた。富士山麓に向かう観光客にも多く利用されていた。

小笠原空港[編集 | ソースを編集]

  • 昔から開港が熱望されているが、諸般の事情で未だに構想止まりとなっている。現在は父島の洲崎地区に建設する案が有力らしい。
  1. 島内の物流・救急事情が超大幅に改善されていた。
    • それでも輸送量の都合から竹芝-父島間の航路は存続する。
    • 少なくとも新聞・雑誌・郵便に関しては毎日or隔日で届くようになっていた。
    • 緊急輸送・ビジネス輸送→飛行機、観光輸送→フェリーと棲み分けられていた。
  2. 用地の都合上、史実案と同様にプロペラ機での運航がメインとなる。
    • 但し兄島案が採用されていれば、長崎空港並みの魔改造によってジェット機対応の空港を作っていたかもしれない。
      • もしジェット空港として開港していた場合は沖縄並みに観光開発が進んでいた。首都圏だけでなく中京・関西でも小笠原諸島の知名度は高くなっていた。
  3. 「北大東・南大東島のように母島にも空港を作れないのか」と言う運動が興っていた。
  4. 早くから建設されていた場合、世界遺産登録に関してかなりの悪影響があったと思われる。
  5. 水上機もしくは飛行艇専用の空港として開港し、新明和US-1の民間機仕様が就航。
  6. ミルMi-26のような大型輸送ヘリコプターが旅客輸送に広く使われていたらヘリポートとして開港していた。
  7. ヒンデンブルク号の事故が起きず、硬式飛行船の運用が続いていたら戦前に実現していたかも。
  8. 多分運航航空会社はJACになる
    • 羽田空港の小型機発着規制の問題で調布発着になる

金沢空港[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸地方で最大かつ唯一の第二種空港に。
  2. 小松空港はとっくに閉鎖。
  3. 本数は小松空港のときよりもアップ。
  4. 騒音問題で悩まされている。
  5. まず、建設段階で地元住民や反対派が猛反発。
    • 結局建設計画は白紙に。
    • 上記のように小松基地が軍民共用化されなかったら高度成長期に開港している。
  6. 福井県民が小松より空港が遠ざかることに対して異を唱える。
    • 福井空港がジェット化される。
  7. 富山空港は未だに国際便がないどころかジェット化すらされていなかった。
    • ジェット化された場合は黒部市など県東部に移転していた。一方、高岡など呉西地域の住民は金沢空港を利用していた。
  8. 能登空港は作られなかったであろう。
  9. 北陸新幹線が金沢まで来なかった、もしくは金沢への延伸が遅れた可能性がある。
    • もし新幹線が開通したら、利用者減少が深刻になるだろう。最悪東京便廃止もありうる。
      • さらに新大阪延伸が実現したら、新千歳と沖縄以外の国内便は大打撃を受ける。
        • それでも北陸新幹線開通以前は、史実の小松空港、富山空港、能登空港の需要を統一して仙台空港並みに栄えていたかも。
        • 史実の小松空港がまだ運航していない国際線の大連やスワンナプーム、金海(釜山)に開通して活路を開くしかないだろう。
    • または、東京羽田線で、機体小型化の上、大幅減便。(史実上の東北新幹線八戸開業時における「東京羽田~三沢」線みたいに。)
      • あるいは成田発着に変更しLCCに移管した。
  10. 建設地は内灘町の河北潟干拓地か。
    • この場合北鉄浅野川線が空港まで延伸されていた。
      • 金沢中心に観光客を集めやすくするため上記の北鉄浅野川線と石川線に相互直通する形で金沢市営地下鉄が実現したかも。

びわこ空港[編集 | ソースを編集]

  • 滋賀県に空港を作る計画があったようです
  1. たぶん羽田便はない。
    • せいぜいチャーター便が限度。
  2. 湖西地方に建設されていたら京都旅行が便利になっていた。
    • 京都旅行に新幹線を使う割合が減っていたかも。
      • 東海道・山陽新幹線からのシフトはほとんどないと思われる。
  3. 湖東に建設ならLCCもこなさそうだ。
    • 現実の計画では近江鉄道が乗り入れることも検討されていたので湖東だったような記憶がある。
    • 空港が事実上ない福井県民の受け皿になっていたと思う。特に小松空港が遠い嶺南の住民には重宝される。
  4. 何らかの形で西武グループが絡んでいた。
  5. 国際空港として計画されていたらしい。
    • 2000年代後半以降は京都観光におけるインバウンド需要の増大で中国・韓国・台湾からのチャーター便が発着するようになった。場合によっては定期便も開設され、関空や中部空港の補完的機能も果たしていた。
  6. 空港の無い、福井県・三重県・奈良県・京都府からの(への)利用もあった。
  7. 琵琶湖京阪奈線や近江伊賀線が開通していた可能性もある。
  8. 首都機能の畿央移転に一歩近づいていた。
  9. 「びわこ空港」だとなんか琵琶湖を埋め立てて空港作るみたい…
  10. 滋賀県での万博開催が実現していたかもしれない。

京都飛行場[編集 | ソースを編集]

  • 久御山町から宇治市にかけて十字型に1600m滑走路が終戦直後まで残っており飛行学校などが併設されていました。では、空港として現存していたら?
  1. 観光都市京都の玄関口として重要な存在となっていた。
    • 但し伊丹空港や関西空港との関係で国際線の発着はなかっただろう。
      • 現実の神戸空港と同じような感じとなっていた。
      • 伊丹空港は廃止になっていたかもしれない。
      • 完全に地方空港としての扱いで、ジェット化も1970年代後半か下手すれば1980年代前半にずれ込んでいた。
      • ただ、2000年代後半以降はインバウンド需要の増大で中国や韓国、台湾からの国際チャーター便も発着するようになった。
      • 2010年代後半以降は伊丹・関空・神戸との運営一体化・マルチエアポート制の導入が実施され、関西空港会社の運営となっていた。
    • 東海道新幹線開業前は羽田便が京都空港のドル箱路線であったが、東海道新幹線開業後は急速に衰退して1982年に羽田-名古屋線の廃止と同時に廃止された。ただ、晩年はジェット化されてボーイング737かDC9で運航されていた。
    • 山陽新幹線の高速化や増便が進んで利便性が向上した2000年以降は福岡便も利用者が減少し、減便や機材の小形化が実施された。
      • 21世紀に入るとLCCの離発着が盛んになっていた。
    • 修学旅行での飛行機利用が一般化した1990年代後半以降は、北海道・東北・南九州方面の高校の修学旅行団体のチャーター便が発着するようになった。
  2. 名称は「京都空港」となっていた。
  3. 空港アクセスとしては京都市営地下鉄烏丸線が空港ターミナルまで延伸されていた。
    • 新油小路は史実より沿道の発展が早く、近鉄(か前身の奈良電)の大久保駅前もバスとタクシーで溢れかえっていた。
      • 駅の高架化も現実よりも早く行われていた。
      • 奈良県中南部へのアクセスを目的として大久保にも特急が停車していた(当初は橿原神宮前発着列車のみ停車だったが、インバウンド需要が増大した2000年代後半以降はしまかぜを除く全列車が停車)。
    • R1とR24バイパスと第二京阪は付近で地下や別ルートになっている。
      • 京奈和道や第二京阪の開通も史実より早く、京奈和道と京都空港を結ぶ連絡路も建設されていた。
    • 京阪本線と地下鉄烏丸線の交点に連絡駅が設置されていた。位置的には淀~中書島間。
      • 駅名は「三栖」か「京都空港口」となっていた。
      • 大阪府下でも枚方市や交野市は京都空港の利用圏内であった。
    • 烏丸線は竹田駅以南が高架になっている。
  4. 淀にある京都競馬場から離発着する航空機を見ることができた。

関連項目[編集 | ソースを編集]