もしあの空港が開港しなかったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
中標津空港[編集 | ソースを編集]
- 現在の中標津町の人口はもっと少なくなっていた。
- 商業施設も少なくなっていた。
- 道外での町の知名度にも悪影響があった。
- 知床の空の玄関といえば女満別一択。
- 西春別空港が現存していたら確実にこうなっていた。
- 便数から推測して自衛隊との共用でもそこまで問題なかったと思われる。
新千歳空港[編集 | ソースを編集]
- 現在も空自と民間が滑走路を共用するというあわただしすぎる状況が継続していた。
- 滑走路1本の増設くらいは行われていなければ大変なことになっていた。
- 南千歳駅が現在も「千歳空港駅」を名乗っている。
- LCCは旭川や帯広など周辺の空港への乗り入れを余儀なくされていた。
- アジア各国から北回りでアメリカに向かう貨物機の給油もそれらの空港に振り分けられていた。
- 旭川空港の需要が増すため、旭川空港アクセス線が新たに建設され、ライラック、カムイが旭川空港まで直通していたかも。高速バスも対抗しただろう。
- 旭川市の地位は史実よりも上がっていた。東神楽町が市制施行したかも。
- 右寄りの航空ファンが「国防を考慮してロシア、中国、韓国の航空会社を千歳から追い出せ」などと主張していた。
- 丘珠空港のジェット化も早くから現実味を帯びていた。
三沢空港[編集 | ソースを編集]
庄内空港[編集 | ソースを編集]
- 庄内地域は東京志向・首都圏シフトに転じることもなく、京都・大阪など近畿地方とのつながりを保ち続けていた。
- 寝台特急「日本海」は廃止されず、285系の交直流版が製造されてそれに置き換えられて存続していた。
- それでも「あけぼの」廃止は史実通りだった。
- 寝台特急「日本海」は廃止されず、285系の交直流版が製造されてそれに置き換えられて存続していた。
- 新潟・酒田発着の「サンダーバード」が存在した代わり「北越」の本数が少なかった。
- JR西日本は新潟・酒田発着の「サンダーバード」には食堂車を連結し、サシ681形・サシ683形が登場していた。
- 白新線や羽越線の新発田~酒田間の高速化は2000年頃までに行われていた。
- 前者は同時期に全線複線化されていた。
山形空港[編集 | ソースを編集]
- 山形新幹線運行開始まで「東京から遠い東北」のイメージが定着していた。
福島空港[編集 | ソースを編集]
- 計画断念の原因は確実に「羽田便が飛ばせないから」。
- 須賀川のイメージといえば今も満場一致で「円谷英二のふるさと」。
- 福島県のゴルフ場を訪問する韓国人観光客の数は震災前もパッとしなかった。
- 3.11の後に山形空港あたりがもっとてんてこ舞いになっていた。
- 現実では福島から飛ばせた臨時便も全て山形から飛ばすことになったため。
茨城空港[編集 | ソースを編集]
- その分静岡空港へのバッシングが強かった。
羽田空港[編集 | ソースを編集]
- 東京モノレールは存在しない。
- 京急空港線は穴守線のまま。
- たぶん大師線のような雰囲気。
- 空港線が羽田直結前まで中古車の墓場だったことを考えると、700形はほぼ確実にここで生涯を終えていた。
- たぶん大師線のような雰囲気。
- 対大阪輸送では鉄道の独占状態になっていた。
- 新幹線「のぞみ」は品川・新横浜駅に停車しなかった。
- ムーンライトながら、寝台急行銀河がそれぞれ3往復走ってる。
- あのあたり一帯は工場や倉庫が立ち並んでいた。
- 羽田運動場の流れを組んで京急主導で何らかのレジャー施設が建設されているかもしれない。ただし00年代までに潰れている可能性が高い。
- 上手くいけばディズニーランドかロッテワールド、史実でお台場や葛西に建設されたいくつかの建造物がこちらに立っている可能性も十分あり得る。
- ニュータウン開発が行われていた可能性も十分考えられる。
- どちらにしろ穴守稲荷神社は立ち退かないので、周囲を工場(or団地orレジャー施設)に囲まれた世にも珍しい神社になっていた。
- 羽田運動場の流れを組んで京急主導で何らかのレジャー施設が建設されているかもしれない。ただし00年代までに潰れている可能性が高い。
- 戦前の「東京飛行場」は史実での候補地だった赤羽か荻窪にできていた。
- しかし将来の拡張を考慮して戦後に夢の島へ移転していた。
- この場合東京湾岸の現状がかなり変わっている。
- 夢の島への移転がなかった場合、東京都心における高層ビルの建設がかなり制限されていた。
- 東京都心は現実の福岡市のような感じになっている。
- しかし将来の拡張を考慮して戦後に夢の島へ移転していた。
静岡空港[編集 | ソースを編集]
開港するまでにも数多くの反対運動があり、今なお無駄な公共事業の例として取りあいに出される静岡空港。この空港の開設がなかったら?
- フジドリームエアラインの開設はない。
- 結果として松本空港や県営名古屋空港から定期空路が消滅していた。
- その代わりセントレアの第2ターミナル開設が早まった。
- 結果として松本空港や県営名古屋空港から定期空路が消滅していた。
- JR東海と静岡県の揉め事は現実より少なかった。
- 新幹線「のぞみ」に静岡県内の1~2駅に停車する列車が生まれていた。
- どっちにしろそんなことないと思う。
- その分茨城空港に対するパッシングが強かった。
- 浜松駅-中部空港を結ぶ遠鉄の「e-wing」や静岡-中部空港の高速バスが若干増発されていたかもしれない。逆に言えばその程度の影響で済んだかも。
- 航空自衛隊浜松基地の軍民共用化を求める声が未だにある。
小松空港[編集 | ソースを編集]
- 防衛の関係上空自の基地はあるだろうが、軍民共用化がなされていなかったらこうなっていたと思う。
- 能登空港は史実通り作られているだろうが、金沢市からのアクセス手段がより強化されていたかもしれない。
- 開港時期や予算のかけ方も史実とは違っていたかもしれない。
- 代わりに福井空港のジェット化が推進されていたかもしれない。
- 福井空港がジェット化されていない場合、福井県民が東京に行く場合はほとんどの人が鉄道を使っていた。
- 能登空港開港まで富山空港が北陸の空の要所として扱われていた。
- 福井空港がジェット化されていない場合、福井県民が東京に行く場合はほとんどの人が鉄道を使っていた。
- バブル期に「金沢空港」や「北陸国際空港」といった仮称を持つ加賀地方での空港建設計画が持ち上がっていた。
- 下記の通り「金沢空港」が高度成長期に実現していたら展開が変わる。
- 「金沢空港」が高度成長期に実現していたらこうなったかも。
伊丹空港[編集 | ソースを編集]
- 関空や神戸に対する批判は全くなかった。
- 関空は史実よりも早く開港していた。場所も現実の泉州沖ではなく神戸沖になっていたかもしれない。
- 大阪モノレールは伊丹駅まで延伸していた。
- 副首都構想では京都あたりが候補地になっていた。
- 「伊丹」という地名を正確に読める非関西人はあまり多くない。
- 史実では没になった堺市大和川付近への大阪飛行場移転が実現していた。
- とにかく使い勝手が悪かった木津川飛行場の使用継続という選択肢はあり得なかったと思う。
- 騒音問題もなかった。
関西国際空港[編集 | ソースを編集]
1994年9月に開港した関西国際空港ですが、その後は多額の債務や発着旅客機数の減少(特に国際線)・アクセスが不便などあまりよい話を聞きません。もし関西空港が建設されていなかったら…
- 国際線は現実以上に成田シフトが強くなっていた。
- 伊丹空港には現在も国際線が発着。
- 空港へのアクセス改善のため、大阪都心と伊丹空港を結ぶ鉄道が建設される。
- しかし増便に次ぐ増便で伊丹はパンク状態となり、関西圏第2の空港として神戸空港が建設されることに。
- もちろん市民の反対は現実より少なかった。
- 場合によってはこちらが関西国際空港になっていたかも。
- 当然、そうなれば規模は現実以上となり、また不便な空港と揶揄されることもなかった。
- 阪神なんば線は神戸空港の開港までには開業していた。阪神空港線も建設されていたかもしれない。
- 航空法による大阪市中心部の高層建築に関する高さ規制が緩和されなかった可能性が高いことから、あべのハルカスは現実よりも低かった。
- その場合「日本一」の肩書がないのでハルカスも現実より地味な存在になっていた。
- 伊丹空港の騒音問題が現実以上になっていた。
- 2005年に中部国際空港が開港すると、伊丹空港の国際線の一部がこちらに振り分けられる。
- 関西地区から中部国際空港へのアクセスも考えられるため、四日市市あたりから空港までの伊勢湾の下に海底トンネルが建設される。
- 関西地区から中部国際空港へのアクセスとしては、リムジンバスのほか海底トンネルに近鉄空港線が建設され、近鉄難波・京都・賢島~中部国際空港間にアクセス列車が運行される。
- 空港連絡特急の停車駅は難波・名古屋発着が名古屋または鶴橋-空港ノンストップと主要駅停車タイプの2種類、京都発着は丹波橋・西大寺・八木・名張・津・白子停車となっていた。
- 関西地区から中部国際空港へのアクセスとしては、リムジンバスのほか海底トンネルに近鉄空港線が建設され、近鉄難波・京都・賢島~中部国際空港間にアクセス列車が運行される。
- 中部国際空港の開港そのものが早まっていた可能性もある。
- 関西方面からの利便性を考えて、常滑沖ではなく三重県側の四日市沖に空港が建設されていた可能性がある。
- 関西地区から中部国際空港へのアクセスも考えられるため、四日市市あたりから空港までの伊勢湾の下に海底トンネルが建設される。
- 南海の空港特急「ラピート」は誕生しなかった。
- 当然、JRの「はるか」も運行されず。
- 阪和線は今でも全列車天王寺発着。
- 快速が大阪駅まで行くことはなかった。
- その代わり、阪和間45分運転の「新快速」が復活していたかもしれない。
- 阪和線に223系が投入されなかった。
- JR京都・神戸線の新快速用が223系0番台となっていた。
- 阪和線は1994年になっても新型車両が投入されず、1990年代末期にようやく新快速の223系投入で余剰となった221系が投入される。
- もちろん関空快速も運行されないし、「関空・紀州路快速」も存在しない。
- 関空特快ウイングも存在しなければ大コケすることもない。
- 阪和線は今でも全列車天王寺発着。
- 泉佐野市の財政が悪化することはなかった。
- 「平成の大合併」で田尻町・熊取町・阪南市・泉南市・岬町と合併し「南泉州市」が誕生していた。
- ちぬの海の漁獲量が人工島で変化することはない。
- 大阪府は、多分今も日本で一番狭い都道府県。
- 関空開港で面積が広がっての逆転と思われがちだが、実は関空開港前の昭和63年に香川県側の面積計算の変更により逆転している。よってこれは関係なし。
- 南紀白浜空港は現実ほど寂れず、今も首都圏から南紀への観光客で賑わっている。紀南だけでなく紀中も白浜空港の利用エリアとなる。一方、和歌山市は未だに東京から最も遠い県庁所在地のまま。
- もしかしたら「東京から最も遠い県庁所在地」のイメージを払拭するため和歌山沖へ移転し「和歌山空港」へ改称したかも。
- 「りんくうタウン」は開発されなかった。
- 現実では関空に発着していたLCCは神戸空港に発着していた。
- 泉佐野と他の自治体の財政状況に格差が生じなかったため「南泉州市」が実現していたかもしれない。
神戸空港[編集 | ソースを編集]
建設に当たって大きな問題を残した神戸空港。未だに不満や批判は絶えません。では、この空港が反対派の抵抗によって建設されていなければ、どうなったでしょうか?
- 無駄遣いを指摘される事はなかった。
- 近畿地方に空港が乱立する事もなかった。
- なくても誰も困らなかった。
- 関空の全体構想とトンネル建設に費用が回されていた。
- 関空の2期工事も現実よりも早く完成していた。
- 当然ポートライナーの延伸は行なわれないため、2000系車両も登場しなかった。
- 塩害で車両の老朽化も早そうだし、現実より数年遅れくらいで入れ替えが進行していると思う。
- ポートライナーの新神戸駅延伸が行われていたかもしれない。
- ポートライナーは今も三宮→ポートアイランド→三宮の6の字運行のみだった。
- この人たちが訪れることは無かった。
- 伊丹空港の発着便が縮小されることもなかった。
- 伊丹空港の廃止論が再浮上することはなかった。
- 神戸市の財政が現実より良くなっていた。
- スカイマークは伊丹空港に発着していた。
- その場合、東海道新幹線の利用客がやや航空にシフトしていた。
- むしろ、神戸空港が無かったら大阪はあまり見向きもしないのでは。
- 関西国際空港を拠点にしていた可能性もある。この場合、ピーチの設立もジェットスターの大阪拠点化も無かったかも。
- 神戸から伊丹空港へのアクセスを向上するため、大阪モノレールが西宮あたりまで延伸されていた。
- 頻発している関空離着陸機と神戸離着陸機のニアミスはおこらなかった。
- 21世紀になって播磨か淡路島に空港を建設する構想が持ち上がるがほとんど誰も見向きもせず。
- ポートアイランドに理化学研究所の研究施設ができることもなかった。
- スパコン「京」「富岳」は別の場所に作られていた。
- 大学や企業の進出は現実ほど多くなかっただろう。
- 大半ののぞみは今でも新神戸を通過しており、新神戸は姫路、福山、新山口などと同格の1時間に1本程度のぞみが停車する駅となる。
南紀白浜空港[編集 | ソースを編集]
鳥取空港[編集 | ソースを編集]
- 鳥取道や智頭急行の建設がより急務とされていた。
- 米子市民が鳥取市を見下す時に「空港から遠い」という点も持ち出していた。
- 但馬空港の建設時に鳥取県東部の需要も計算に含まれていた。
- 開港直後は鳥取からの直通バスも運行されるがすぐ姿を消した。
- 市営鳥取飛行場を使っていたが滑走路が伸ばせず廃止という流れかな。
出雲空港[編集 | ソースを編集]
- 米子空港が小松空港のようになっていた。
- ジャンボなどの大型機発着が増えていた。
- 滑走路が1980年代までに2500mへ延伸された。
- 松江と空港を結ぶホバークラフトが就航していた。
岡山空港[編集 | ソースを編集]
- 岡山市内の浦安南町から日応寺に移転しなかった想定で考えてください。
- 笹ヶ瀬川の流れを変えた後滑走路が2500mに延伸された。
- ジェット化もそれと同時に行われた。
広島空港[編集 | ソースを編集]
- 94年のアジア大会がなければこうなっていたかもしれない。
- 空の玄関口が貧弱なことが広島観光有数のネックになっていた。
- 広島県・広島市も岩国基地の軍民共用化を強く要望していた。
- 民間空港としての愛称が「広島岩国空港」か「岩国宮島空港」になっていたかもしれない。
- 史実より早く軍民共用化が実現していたと思われる。
- 上記のように重工の跡地を利用して拡張された場合は別。
- 備後地域の住民が空港を利用する時は岡山空港を利用していた。東京-備後地域における新幹線のシェアももっと高かった。
- 史実では広島に乗り入れていたコンチネンタル→ユナイテッドやバンコクエアーは岡山か松山に乗り入れていた。
- 要するに「広島空港の移転が計画されなかった」。
北九州空港[編集 | ソースを編集]
- 築城基地が軍民共用化された。
- 「北九州京築空港」になっていたかも。
- 北九州市は東京志向にシフトせず未だに関西志向のままであった。
- 九州発着の貨物便は佐賀空港が福岡空港の移転扱いだったらそこなどに分散していた。
福岡空港[編集 | ソースを編集]
- JR職員が「こんな市街地に近い所に空港があるなんて...」と嘆くこともない。
- 今ごろ博多は高層ビルだらけ。
- 福岡市を新幹線で訪れる人が増えていた。
- 九州国際空港の建設が現実味を帯びていたかもしれない。
- 佐賀空港が九州国際空港として開港していたかも。その場合現実よりも大規模になっていた。
- 東京方面から新幹線で来る人が多かった。もしかしたら2010年以降も東海道・山陽本線をブルートレインが走り続けていたかもしれない。
- 285系の交直流版が実現していたかも。
- 北九州空港が現実以上に重要になっていた。
- ↓の熊本空港もそれなりの役目を持つ。
- 雁ノ巣の福岡第一飛行場を無理やり拡張して使うか大刀洗の陸軍飛行場を民間に転用するかのどちらかが実行されていた。
- 前者の場合は香椎線に「福岡空港駅」ができていた。
- 後に福岡市中心部から和白のあたりを迂回せずに済むようなアクセス道路もできていた。
- 大刀洗の場合は西鉄が乗り入れるが福岡市からのアクセスがかなり悪くなっていた。
- 前者の場合は香椎線に「福岡空港駅」ができていた。
- 熊本空港が九州地方の中心的空港と扱われ,デビュー当時の最新鋭機が飛来する。熊本発着の航空便は現実よりも多い。熊本市電の空港延伸は1999年のくまもと未来国体までに実現。熊本市が10年早く政令指定都市に(九州の政治都市の役目)。
- 熊本発着の寝台特急は現実よりも多かった。高速バスの熊本市内発着便数も多い。
- 官庁の出先機関の多くは未だに熊本に置かれていた。
- そこまで行かなくとも,熊本に事務所をおく企業はいくらかある。熊本市の政令指定都市移行は史実どおり。
- 空路が主体になる前までは北九州市が九州の支店経済機能を持っていた。空路の発達で福岡のウェイトが強くなっていったことから、もし福岡空港があの位置のままだったならば北九州と福岡が同規模の都市だった可能性が大きい。
- 九州の東京志向は弱いままで、名古屋志向や関西志向が未だに強いままであった。
佐賀空港[編集 | ソースを編集]
- 佐賀県民にとってオスプレイ配備に関する議論はほとんど他人事になっていた。
- はなわの歌に九州で唯一空港がないことを自虐するネタが加わっていた。
- 北九州空港へのLCCやチャーター便の乗り入れがさらに増えていた。
- 深夜貨物便も北九州発着だった。
- 福岡空港が佐賀に移転してきたかも。
- 西九州新幹線は佐賀県も建設に反対せず最初から全線が開業していた。
天草空港[編集 | ソースを編集]
- 天草エアラインは存在しない。