もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/新幹線
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東海道新幹線[編集 | ソースを編集]
関連項目:もし弾丸列車が○○だったら
- 1940年代
- 空襲で新幹線が破壊されていた。
- それ以前に太平洋戦争が起こっている時点で工事が中止されている。1930年代なら別の話だか。
- 艦砲射撃対策で浜松駅は新浜松として内陸部に位置していた。
- というか二俣(天竜)・三ヶ日・豊川経由で引かれた可能性も。
- その後平成の大合併で天竜市が浜松市と合併した際に某小郡よろしく「新浜松」になる。
- というか二俣(天竜)・三ヶ日・豊川経由で引かれた可能性も。
- 直流電化だった。
- 物資輸送が優先されるので旅客列車は1時間に1本。
- 史実の弾丸列車の計画では旅客列車のほうが多く運転される予定だったが…。
- 天皇陛下専用やマッカーサー専用車両が存在していたかも。
- 史実同様に2番目にいい車両(普通の宮様などを対象としたもの)が進駐軍関係者用に使われていた。
- 史実ほど高速にならないため、リニア開業が早まっていたかも。
- もちろん動力集中方式。
- 1963年
- 1964年10月の東京オリンピック直前に東京~新大阪間は3時間10分になっていた。
- 1970年
- 大阪万博に合わせての開業だった。
- 100系はなく、東北新幹線の200系が100系になっていた。
- 1990年代に史実の300系のぞみが200系として登場。
- 最高速度は1999年から285km/hになっていた。
- 2015年3月から300km/hになっていたかも。
- 鈴鹿山脈経由かつ東京五輪の誘致に失敗していたら本当にこうなっていたかもしれない。
- 1980年代
- 国鉄の財政が悪化していた。
- 新幹線総局は運行管理業務のみ統括して保線管理や駅営業業務は各地方鉄道管理局で実施されていた。
- 予想・・・東京ー熱海間:東京南局、熱海駅 - 豊橋間:静岡局、豊橋駅 - 米原駅間:名古屋局、米原駅 - 新大阪駅:大阪局。
- 分割民営化に備え、1987年3月1日に東京ー熱海間は静岡局、米原駅 - 新大阪駅:名古屋局に移管された。
- むしろ「東京南新幹線局」「大阪新幹線局」といった組織になっていたかと。
- 分割民営化に備え、1987年3月1日に東京ー熱海間は静岡局、米原駅 - 新大阪駅:名古屋局に移管された。
- 「JR東海新幹線鉄道事業本部」の代わりに「JR東海東京支社」が誕生していた。
- 予想・・・東京ー熱海間:東京南局、熱海駅 - 豊橋間:静岡局、豊橋駅 - 米原駅間:名古屋局、米原駅 - 新大阪駅:大阪局。
- 0系は無かった。
- むしろ、100系が0系として開業する。
- この時代になったら長大トンネル建設技術が進歩していたので、米原経由ではなく四日市から鈴鹿山脈をトンネルで貫くルートになっていたかも。
- 米原ルートと鈴鹿ルートのどちらで建設するかを巡って、自治体(岐阜県vs三重県)や政治家を巻き込んだ論争になる。
- 線路規格は山陽新幹線と同じになっていた。
- 2014年現在最高300km/h運転を行い、東京~新大阪は最速で2時間を切っている。
- 「東海」「ごてんば」「踊り子」は新特急に変更された。
- この時代まで輸送力強化が遅れたため東京-大阪の鉄道がパンクしていた。
- 中央線・関西線経由や小田急に乗り入れて新宿始発の大阪行き特急も存在していた。
- 「白鳥」の上野行き編成も東西両都市の連絡目的でこの時代まで生き延びていた。
- 新東名高速道路や首都圏第3空港も昭和のうちに着工された。
- 中央線・関西線経由や小田急に乗り入れて新宿始発の大阪行き特急も存在していた。
- 1988年だったら青函トンネル・瀬戸大橋とともに民営化後初の大事業の一つに数えられていた。
- 1990年代
- この世界線の場合おそらくJR東海が存在しないのでJR西日本が運行。
- よって、山陽新幹線とより一体化していた。
- のぞみは2000年代に入って誕生。
- 建設自体は国鉄時代から行っていたかも。
リニア中央新幹線[編集 | ソースを編集]
- 国鉄時代
ちなみにリニアの計画自体は大阪万博の頃から存在します。
- 在来型規格で開業した場合はもしあの新幹線が○○だったら#国鉄時代に在来型規格で開業していたらへ。
- ルートは南アルプスを通っていたかもしれない。
- 地元の圧力で史実より駅の数が倍増していた。
- 見返りとして単線(といっても土地は複線分確保)で諏訪周りルートも建設される。
- 富士山の南麓を通過すると聞いたことがあるような。新東名・新名神に近いルートを採るつもりだったんだろうか。
- この場合「中央新幹線」ではなく「第二東海道新幹線」だった。
- 地元の圧力で史実より駅の数が倍増していた。
- リニアの列車名はひかりとなり東海道新幹線はこだまだけになっていた。
- 関東側の起点は東京駅になっていたかも。どんなに深いところに作っても。
- 土地などの問題で史実通り品川駅か、新宿駅などになっていた可能性も。
- 関西側の終点は新大阪か大阪でもめる。
- 間違いなく国鉄の財政は破綻していた。
- 東海道新幹線にのぞみは誕生しなかった。
- スーパーひかりなら登場していたかもしれない。
- 「のぞみ」はリニア新幹線の列車愛称に。
- 国鉄民営化時にJR東海が所有するか、国鉄のままだったかもしれない。
- 「日本国有鉄道」改め「日本磁気浮上式高速鉄道公社」とか?
- 電磁波問題で建設がなかなか進まなかったかも
- 山梨リニア実験線は建設されず、着工まで宮崎リニア実験線が使われ続けていた。
- 車両のデザインはMLU001がベースとなっていた。
- リニア建設のせいで東北・上越など他の新幹線に予算が回らなくなった。
- 国鉄時代には太平洋ベルトにしか新幹線が存在しないことに。
- 三江線や気仙沼線など一部ローカル線も全線開業に至らなかった。
- 「日本沈没」(原作)の劇中で破壊シーンが描かれていた。
- 1990年代
- 上海リニアよりも早く世界初のリニアを実用化していた。
- 磁気浮上式でないリニアなら長堀鶴見緑地線のほうが先になっていたのでは。
- 諏訪地区経由のBルートで建設されていたかもしれない。
- 駅は東京(または新宿)-橋本-小井川(リニア甲府)-(リニア諏訪)-リニア飯田-名古屋-リニア亀山-リニア奈良-新大阪、になっていた。
- 伊丹空港は関西国際空港開港とともに廃港。
- 現在では新大阪から西、または東京から北への延伸が検討されていた。
- 2000年代
- 起点駅は史実と同じく品川になり、東海道新幹線の品川駅開業の数年後に開業。
- この段階で山手線の新駅が開業をしていた。
- 設置駅も史実の計画ルートとほぼ同じになるが、諏訪地区経由のBルートになっていたかもしれない。
- 大阪までの開業と同時に羽田~伊丹の空路は廃止となるが、伊丹空港は周辺企業の要望により存続するかもしれない。
- 品川に乗り入れる地下鉄の新線が計画された。
- 時期的に副都心線あたりかな。
- こちらも新大阪から西、品川から北への延伸構造ができたいた。
- ただし幻に終わった可能性が高い。
- 愛称は「のぞみ」が東海道新幹線からスライドして使用される。
- ちなみに速達タイプ。各停タイプは「あずさ」(中央本線からスライド)か「アルプス」(中央本線の急行が昔使用していた愛称)あたりか。
- まだ九州寝台特急が存続してる時代なので「富士」や「はやぶさ」は使用できない。
- 東海道新幹線ののぞみは廃止されるか、別の愛称の列車が登場する。
- 2010年代
- 東北新幹線新青森延伸、九州新幹線・北陸新幹線・北海道新幹線開業とは被らない年に開業した。
- 東日本大震災の影響も考えると開業していたのは早くても2013年以降となっていた。
- 震災後の社会情勢からして「電気を大量に消費するリニアはいらない」という大規模な反対運動が発生していた。
- 愛称は速達タイプが「はやぶさ」、各停タイプが「ふじ」(新幹線なので漢字ではなくひらがな)になっていた。
- そのため東北新幹線のはやぶさは別の愛称になる。こちらは今度こそ「はつかり」か?
東北新幹線[編集 | ソースを編集]
- 1960年代
- 一気に開通は無理なので東京~仙台から開通。
- 東海道新幹線と東北新幹線直通運転は実現している。
- 北海道新幹線は1970年代か1980年代に開業している。
- 停車駅は東京-大宮-小山-宇都宮-黒磯-新白河-郡山-福島-新白石-仙台-古川-一ノ関-新水沢- 北上-新花巻-盛岡-沼宮内-二戸-八戸-十和田-新青森か。
- 上野~大宮は川口経由になっていた。上野地区はトンネルか品川駅扱い。
- 2010年代
- 史実通りまずは盛岡まで開業、5年置いて新青森まで開業していた。
- ただし建設自体はかなり長期にわたっていた。
- 楽天イーグルスは仙台以外の都市を本拠地にしていたかもしれない。
- ただし2011年だった場合は開業直後は震災でそれどころじゃなかった。
- 北海道新幹線開業は10年程遅れていた。
八戸~新青森[編集 | ソースを編集]
- 2011年
- 3月12日に開業させようとするも、震災の影響で4月頃までずれ込む。
- 祝賀モードも一切なく開業することになった。
- そのため開業自体が知られず、当初の利用が伸び悩んだ。
- しかしその後、震災復興や風評被害払拭を促進するために積極的にPRされるようになる。
- そのため開業自体が知られず、当初の利用が伸び悩んだ。
- その分、新函館北斗延伸時には史実以上に盛り上がっていた。
- 全線復旧と同時に、ということであればそれなりに大きく行われたかもしれない。
- 「はやぶさ」の運行開始もずれ込んでいた。
- 祝賀モードも一切なく開業することになった。
- 後に「感動の開業秘話」として取り上げられていた。
- E2系はJ69が最終編成のままだった。
仙台~盛岡[編集 | ソースを編集]
- 1985年
- 上野~大宮間と同時に開通。
- 代わりに九州新幹線博多~熊本間が1980年頃に開通している。
- 久留米駅や鳥栖~肥前麓間ではなく鳥栖駅に新幹線駅が併設。
- 博多~熊本間の駅の数が(開通時)現実より少なかった。
- 羽田~花巻の航空便の廃止が3年遅れた。
北陸新幹線[編集 | ソースを編集]
- 1960年代
- 大宮~高崎間は当初から北陸新幹線の路線。
- 新幹線環状線が完成?
- 史実のさいたま市地区は史実よりも早く彩の国YOU And Iプランが実行し、そして早速合併して、昭和のうちに政令指定都市になっていた。
- 金沢も名古屋というほどではないが、史実よりも発展している。
- ビックカメラと丸井が来ていたか?
- 平成の大合併で政令指定都市に昇格している。
- EF63と協調運転可能な電車が開発されなかった。
- それでも碓氷峠の区間は廃止されず、並行在来線の3セク化もなかった。
- 北陸本線の富山・新潟県境付近の線路の付け替えはなかった。
- 筒石駅がトンネル内の駅になることはなかった。
- ヘタ(下手)をすれば富山以東は非電化のままだったかも。
- 日本海縦貫線の一角を成しているので、富山以東も必ず電化されていた。
- 1960年代のうちに湖西経由で大阪まで達していた場合、湖西線は建設されなかった。
- 江若鉄道は廃止されていない。
- いずれは電化、標準軌化が行われ、京阪と直通していた。
- 北陸トンネルも新幹線のトンネルとして開通していた。
- 江若鉄道は廃止されていない。
- 681系と683系のはくたかは存在しなかった。
- それどころか北越北線自体開業できなかった。
- 新潟への連絡を考慮して長岡経由になっていてもおかしくない。
- この場合長岡-新潟は将来羽越新幹線の一部になることを考慮して建設されていた。
- 2015年
- 高崎~金沢間の開業になっていた。
- そのため長野新幹線を名乗ることはなかった。
- 特急「あさま」が廃止されず、信越本線の軽井沢~横川間が21世紀にも健在していた。
- EF63形電気機関車も2015年まで健在。
- 北陸新幹線開業時には必ず廃止されるだろう。
- 急行「能登」は再び上越線経由になることはなかった。
- 快速「妙高」は誕生しなかった。
- 国鉄187系が実用化された。
- EF63形電気機関車も2015年まで健在。
- 信越本線の妙高高原~軽井沢間が全線しなの鉄道線になっていた。
- 長野~篠ノ井間もしなの鉄道線である。
- 横川~高崎間は「うすい鉄道線」になっていた。
- 特急「かがやき」が北越急行ほくほく線に乗り移り、越後湯沢まで運転されていた。
- かがやき号は681系や683系にも使われていた。
- 485系は結局2005年頃に運用から離脱することになっていた。
- 特急「はくたか」は復活せず。
- はくたかは新幹線の愛称になるまで復活しなかったと思う。
- かがやき号は681系や683系にも使われていた。
- 98年の冬季五輪開催地が長野でなければこうなっていてもおかしくなかった。
長野~金沢[編集 | ソースを編集]
- 1997年
- 高崎~金沢が1度に開業していた。
- 「長野行新幹線」「長野新幹線」という言葉は存在しなかった。
- 北越急行が北陸へのバイパス路線として注目されることもなく、ローカル線として細々と開業していた。
- 電化もされていなかったかもしれない。
- 在来線における160km/h運転は成田スカイアクセス線が現在に至るまで唯一の例である。
- 敦賀延伸も2000年代後半に早まっていた。
- 「サンダーバード」「しらさぎ」の敦賀分断も同時に行われ、その結果北陸3県の東京志向が現実以上に高まっていた。
- 関西の地盤沈下が現実以上に強まっていたかも。
- それ以前に1997年の時点で金沢で分断され、「白鳥」「日本海」「きたぐに」「トワイライトエクスプレス」はその時点で廃止されていた。
- 寝台列車の衰退が現実以上に早まっていた。
- 関西・名古屋~北陸3県は高速バスがメインとなっていたかも。
- 逆に新大阪までの全通が2020年前後に実現していた可能性もある。
- 「サンダーバード」「しらさぎ」の敦賀分断も同時に行われ、その結果北陸3県の東京志向が現実以上に高まっていた。
- 2016年
- 北海道新幹線と同時に開業し、注目を浴びた。
- 2016年3月までに、サンダーバードやしらさぎは、富山まで乗り入れていた。
- はくたかや北越も存続していた。
- 日本海やきたぐには2014年まで運行されていたかもしれない。
- トワイライトエクスプレスは、終始、2016年までに大阪~札幌間で運行されていた。
- 無論、ツアー客専用団体臨時列車に転用されることはなかった。
- それでも引退後に鉄博送りになるのは史実通り。
- 2020年
- 東京オリンピックの開催と同時に開業していた。
- 福井まで開業していた可能性もある。
- 2020年までに、サンダーバードやしらさぎは、富山まで乗り入れていた。
- はくたかや北越も存続していた。
金沢~新大阪[編集 | ソースを編集]
- 1974年
- 湖西線は新幹線として建設されていた。
- 江若鉄道は廃止されず、滋賀県内の並行在来線の役割を果たしていた。
- 寝台特急「日本海」などの夜行列車や貨物列車は現在に至るまで米原経由だった。
- 車両は0系をベースに耐寒耐雪構造を強化した仕様になっていた。
- 東北・上越新幹線の200系はこれをベースに生まれた。
- 金沢以東の開通が現実通りだったら、現実と逆に金沢駅で大阪側から見て新幹線→在来線の乗り換えが生じていた。
- 並行在来線の3セク転換も金沢~軽井沢のみ行われている。
- 金沢~長野が2015年につながるまでは東側の高崎~長野は現実通り「長野新幹線」と呼ばれていた。ただこの場合は西側の新大阪~金沢が「北陸新幹線」と呼ばれているのでこれと区別する意味が大きい。
- 2024年
- 敦賀乗り換え問題は生じなかった。
- 翌2025年に開催される大阪・関西万博を睨んでの開業だった。
山陽新幹線[編集 | ソースを編集]
- 1964年
もしあの新幹線が同時に開通していたら#1964年10月に開業していた場合も参照。
- トンネルは現実よりも少なくなっていただろう。
- ルートも現実と大きく異なっていた。
- 弾丸列車の予定ルートをかなりの部分で踏襲している。
- ルートも現実と大きく異なっていた。
- 線形の関係で現在に至るまで最高300km/h運転は実現していない。
- 500系は登場せず、N700系も300km/h運転には対応していなかった。
- 大阪~福岡では現実以上に航空機が優勢になっていた。
- 2000年代
- 開業する順番は史実通り(大阪~岡山→岡山~福岡)。
- この時代まで開業しないとなると、西日本は史実以上に衰退が進んでいたかもしれない。
- やはり現実以上に大阪~福岡は飛行機が優勢になっていた(64年のパターンとは理由が異なるが)。
- 九州新幹線は史実より10年程遅れて開業。
北海道新幹線[編集 | ソースを編集]
- 新青森~新函館北斗が2002年
- 東北新幹線盛岡~新青森も同時開業。
- 特急白鳥はなかった。
- この時点で青函トンネルを通る夜行列車は全廃。せいぜいカシオペアが残るくらい。
- 新函館北斗の駅名は変わっていたかも。
- 2010年か2016年に新函館北斗~札幌間が開業していた。
上越新幹線[編集 | ソースを編集]
- 2000年代前半
- 東北新幹線新八戸延伸や九州新幹線部分開業と被らない年に開業していた。
- 上越線の水上~宮内間は経営分離されていた。
- 水上~越後中里間は貨物専用線になっていたかも。
- この頃になると沼田ダムの計画がないため沼田か水上を経由していたかもしれない。
- 開業当初から車両はE2系になっていた。
- 中越地震で脱線したのもE2系だった。
- 新潟県の東京志向が強くなる時期が遅れていた。
- 「あさま」と紛らわしい事で「あさひ」は愛称に採用されなかった。
- ほくほく線は開業しなかった。
- よって史実通り北陸新幹線の長野開業があった場合、「はくたか」の直江津以東は長野へ向かっていた。
九州新幹線[編集 | ソースを編集]
鹿児島ルート[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 史実の全線開業前日に発生した東日本大震災の影響で開業記念式典が中止になることはなかった。
- そのため認知度が上がり利用者が増えていた?
- 1980年代前半
- 少なくとも史実のように南から開業することはないはず。
- 駅の数が現実より少ない。
- 鹿児島本線で経営分離される区間はなかった。
- 博多南線は開業しなかったかもしれない。
- 国鉄時代の列車愛称は「ひかり」「こだま」だけ。
- 民営化後に独自愛称の列車が登場。
- 100系登場がこの路線の開業と同タイミングになった可能性あり。
- 夜行新幹線導入が検討されるも幻に終わる。
- 開業時に特急「有明」は全廃。
- 筑後船小屋駅は作られなかった。
- もしくは羽犬塚か瀬高のどちらかに併設。
- 西鹿児島駅が改称されたかどうか微妙。
- むしろ西鹿児島→鹿児島、鹿児島→鹿児島港 とかになっていたかも。
- 久留米駅・鳥栖-肥前麓間ではなく鳥栖駅に新幹線の駅が造られる。久留米市内は(市街地を避けて)新幹線が東側を通る。特急「おおよど」が熊本以南復活したかも(熊本駅で新幹線に連絡するダイヤ・肥薩線八代-吉松間・吉都線を高速化改良実施)。
- 開業時には松田聖子がPRする。
- 「祝九州」のCMに、古典的なヤンキーが出て来る。
- なぜかこの区間だけ、当時の東北・上越新幹線と同様、車内放送が「ふるさとチャイム」だった。だから「おてもやん」「おはら節」が当時も車内放送で使われた。
- 1990年代
- 「のぞみ」は九州新幹線開通と同時にデビューしていた。
- もちろん300系車両も。
- 西鹿児島→鹿児島中央の駅名改称もその時に行われている。
- 九州新幹線は16両対応で建設されていた。
- 「のぞみ」のうち1時間に1本が東京~鹿児島中央の直通になっていた。
- 博多~鹿児島中央の停車駅は久留米(一部)・熊本となっていた。
- 300系に食堂車が連結されていた。
- 「のぞみ」のうち1時間に1本が東京~鹿児島中央の直通になっていた。
- 寝台特急「はやぶさ」「なは」は九州新幹線開業と同時に廃止されていた。
- なんだかんだ2000年代まで生き残るのでは?あさかぜ(博多行き、晩年は下関行き)も結構最近まで生き残ってたし。
- 愛称は東京直通が「のぞみ」、新大阪・博多~鹿児島中央間運転の速達型が「はやぶさ」、博多~鹿児島中央間各駅停車のタイプが「つばめ」となっていた。
- 「みずほ」は東北新幹線で使われていた可能性もある。
- 東海道・山陽・九州新幹線の愛称名は平仮名三文字という決まりがあるので、「はやぶさ」の採用はない。
- 1990年3月までに開通していた場合、同年に大阪で開催されていた「国際花と緑の博覧会」に合わせて新大阪~鹿児島中央間に「エキスポはやぶさ」が運転されていた。
- 開業時はちょうどバブル景気の真っ最中だったので、特に関西や名古屋あたりから九州への旅行が大ブームとなっていた。
- 鹿児島本線八代~川内間の第三セクター移管はなく、新幹線開通後もJR九州が運営していた。
- 熊本市が現実よりも早く政令指定都市に昇格していた。
- 鹿児島市も政令指定都市になっていた可能性がある。
- あるいは両市共にストロー現象で衰退していた。
- 500系車両はJR西日本とJR九州の共同開発となっていた。
- 長崎ルートも2010年前後に開通している。
- 黒川温泉はもっと早く注目されていた。
- 東海道・山陽新幹線と九州新幹線に跨る場合も特急料金は通しで計算されていたため、運賃+料金が現実よりも安くなっている。
- そのため関西~熊本・鹿児島間では現実よりも新幹線のシェアが高くなり、名古屋や東京からでも新幹線を利用する人がある程度はいるようになっていた。
- 787系は製造されなかった。
- 2000年代に全線開業していたら
- 遅くても2004年までに全線開業した。
- 1999年のくまもと未来国体に間に合うように博多~熊本間が開業していたら、あり得た。
- 1998年の冬季オリンピックが日本以外で開催されていたら、あり得た。
- 川内新幹線車両センターは存在せず、熊本総合車両所が開業前から存在する。
長崎ルート[編集 | ソースを編集]
特別に設定がない限り全線開業・フル規格を前提とします。
- 1980年代
- 武雄温泉~諫早でフル規格、その他はFGT
- 奥羽本線や田沢湖線の直通にFGTが応用された。
- 鹿児島ルートと同時開業(2011年3月12日)
- 全線開業
- 長崎行きに「さくら」「あかつき」が当てられた。
- 武雄温泉~諫早で開業
- 完全に忘れ去られる。
- 「え、いたの?」
- 当初の計画通り博多-新鳥栖間も在来線に乗り入れたと思われる。というかそれくらいしか使い道がない。
- 1990年代
- 大体長野新幹線が開業した年です。
- 肥前鹿島〜諫早間が分離され、ありあけ鉄道になる。
- 東京直通はないが、新大阪までの直通ならある。
- 自民党との約束が守られているため、佐世保経由の可能性が高い
- 1975年
- 山陽新幹線開業と同時期です
- 山陽新幹線と同じく16両編成になっていて、東京発長崎行きが存在している。
- 山陽本線と同じく長崎本線の並行在来線の分離はなかった。
- 長崎新幹線直通にかもめという名称が用意されていたかも
- おそらく東海道新幹線内ではひかり、山陽新幹線内ではのぞみに近い運用がされていた。
- かもめの停車駅は博多ー佐賀ー早岐ー諫早ー長崎となっていた
- 博多南駅が長崎新幹線の駅になっていたかも
- 山陽新幹線からのこだまの直通はなく、ひかりが各駅停車タイプとなっていた。