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もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東/大手私鉄

大手私鉄

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京浜急行電鉄

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京急空港線

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1960年代前半
  1. 書類上はかつての休止区間の復活。
    • 羽田空港駅と初代穴守駅が同一駅ということにされた。
  2. 開業時期は東京五輪が近づいてきた1963年11月1日。
    • 史実ではこの日路線名が「穴守線」から「空港線」に変更された。
  3. 国際空港への路線ということで京急のショーウインドーとされた。
    • 新車はまずこの路線へ真っ先に導入される。
      • 地下鉄1号線は東京五輪までに泉岳寺まで完成した。同時に京浜急行本線泉岳寺-品川間も完成。押上-(普通)-泉岳寺-(急行)-京浜蒲田(のち京急蒲田)-(急行)-羽田空港の運転系統ができる。当初1時間に3本設定された。
      • それでも600形(2代)やクロスシート時代の2000形が定期運用で来ることはなかった。
  4. 横浜方面からの列車も設定された。
    • 京急蒲田駅の構造が史実とはやや異なっていたかもしれない。
      • 最低でも2面4線になっている。間違っても2010年までのように2面3線で3番線1つで空港線発着列車をすべて捌くなんていう無理がある構造にはならない。
      • その代わり10両編成以上で停車するのは,高架化の後にずれた。高架化自体が1990年頃だったかもしれない。
  5. 400形・500形は大師線で引退していた。
  6. 「蒲田とばし」は特に問題にならなかったかもしれない。
  7. 東京モノレールが大打撃を受けていた。
    • 下手したら廃線になって90年代まで橋桁が残っていたかもしれない。
      • 生き残れたとしても,途中駅の設置が早かったかもしれない。
    • 路線自体が開業しなかった可能性もある。

京急久里浜線

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1930年代
  1. 湘南電鉄が浦賀から延長する形で建設していた。
    • 勿論本線の一部だった。

京王電鉄

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京王相模原線

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1910年代
  1. 史実の多摩川支線が最初から対岸に伸びた形で開業していた。
    • 周辺状況を考えるとおそらく稲城までが初期開業区間になる。
      • 路線名は「稲城線」だろうか。
        • 大東急時代に「東急多摩川線」を名乗った可能性が砂粒レベルで存在する...?
    • 稲田堤で南武鉄道と接続していた。
  2. 京王よみうりランド駅は矢野口駅(南武線の駅とは別)から改称される形で開業していた。
    • よみうりランド自体現実より早く開園したかもしれない。
      • 巨人軍と京王との結び付きがさらに強まる。
  3. 多摩ニュータウンの開発が始まるまでは全電車が調布駅で折り返し運転をしていたか、新宿からの乗り入れがあったとしても各駅停車のみだった。
    • その後1970年代に調布駅は全面改修され、地下化ではなく高架化されていた。
  4. 最初から橋本まで延びていた場合は多摩ニュータウンの構想自体が大幅に変わっていた。
    • 史実では未成に終わった城山延伸も実現していた。
    • 東京都立大学が南大沢に移転するのが早まっていた。
      • あるいは私立大学(中央か法政あたり?)がここにキャンパスを造っていた。
1960年代後半
  1. 京王が「多摩高速鉄道」といった子会社を設立し、そこが京王多摩川以西の建設主体になった。
    • 開業直前に京王に合併された。
    • 最初の延伸区間は京王多摩川~稲城間に。
      • この区間で、京王は独自に住宅開発を行った。
    • 多摩センターまで延びたのは結局現実と同じ時期に。

東武鉄道

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東武野田線

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1890年代
  1. 運営は東武鉄道ではなかった。
    • 当初は「北総鉄道」とも「総武鉄道」とも異なる社名を名乗っていた。
  2. 県庁所在地にならなかった岩槻市の圧力と見なされていた。

東武東上線(東上鉄道)

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1890年代
  1. 予定通り長岡駅…いや新潟駅まで伸びていた可能性もある。
    • そうなると国有化されてこの路線が名実ともに上越線になる。
      • この場合山手線にそって田端経由で上野まで延伸していただろう。京浜東北線の快速は実施されるけど停車駅は増えてそう
        • 快速線の停車駅は上野ー田端ー池袋ー和光市ー志木ー川越ー川越市ー以降各駅で新前橋駅までの運転になっていた。
        • 緩行線は川越市〜田端で、田端からは常磐緩行線に直通して取手まで行っていた。
      • 緩行線は川越までかな。
      • そもそも日本鉄道による建設だったかも。
    • 現実の川越市駅が川越駅になっていた。
  2. 川越線の電化も少し早まっていたか?
  3. 川越鉄道(国分寺〜本川越)はなかった。
    • 西武新宿線の高田馬場〜小平を開通させたのは多摩湖鉄道だった。
    • 入間地域を南北に結ぶ需要はあるので武蔵野鉄道が所沢〜(本)川越に支線を建設しただろう。ただし東京都心〜川越の直通列車は設定されない。
  4. 名称は関越本線になっていた。
  5. ルートは池袋〜寄居までは史実通り、寄居〜高崎は八高線に似たルート、高崎〜長岡は史実の上越線とほぼ同じルートをとっていた。
  6. 中央総武線みたいに一部緩行線電車は有楽町線(副都心線)に直通していた。

東武熊谷線

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1900年代
  1. 「熊谷と妻沼の連絡」が建設動機か。
    • 社名は「妻沼鉄道」。
  2. 北武鉄道ともども秩父鉄道に合併され同社の「妻沼線」になっていた。
    • そして電化。
    • 利根川を越えられたら妻沼鉄道は勿論北武鉄道と秩父鉄道も東武鉄道に合併されたかも。
1920年代
  1. 東武鉄道の本線系と東上線を接続するための路線として着工される。
    • 東松山から西小泉まであまり間隔を置かずに全通していた。
  2. 開業当初から電化されている。
  3. 北武と秩鉄は戦時統合までに東武に合併されたかも。
1950年代
  1. 東武か秩鉄が建設。
    • 後者の場合100か300系登場タイミングがこの路線開業と同時期だった可能性あり。
1960年代
  1. 秩鉄が建設。
  2. 500系登場タイミングがこの路線開業と同時期だった可能性あり。

東急電鉄

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東急田園都市線

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1930年代
  1. もし玉川電気鉄道が普通鉄道として開通していたらそのまま西に延伸していた。
    • 南町田は「玉電鶴間」駅として開業。
    • 「新玉川線」という路線名はない。
  2. 史実通り玉電が軌道線だった場合は目黒蒲田電鉄が建設したかもしれない。
    • 溝の口以西も「大井町線」となる。
  3. 中央林間都市の構想に影響を与えていた。
  4. 大東急時代に小田原線のいずれかの駅まで延長される。
  5. 渋谷~二子玉川間は地下ではなく地上線になっていた。
    • 半蔵門線とは三軒茶屋あたりで合流。もしくは渋谷を通らないルートになっていた。

渋谷-二子玉川園(旧新玉川線区間)

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1964年
  1. 同年の東京五輪に合わせて建設された。
    • 開通当初の東急側の車両は、営団2000形ベースの、オールステンレス車だった(もちろん東急車輌製)。
  2. 要するにこういう事か。

東急新横浜線

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1930年代
  1. 建設目的は「神中鉄道の合併」辺りだった。
  2. 大倉山で分岐。
  3. 開業当初は横浜線を跨ぐ部分を除いて地上区間を走行していた。
    • 環状二号線建設時か新幹線工事に伴って地下化されていたと思われる。
      • もしくは阪急京都線同様、新幹線に横付けする形で高架化されていた。
  4. 横浜線新横浜駅が現在とは異なる駅名で史実より早く開通し、東急線との乗換駅となっていた。
    • 1964年に現在と同じ「新横浜駅」に改称される。
  5. 新横浜駅周辺の開発が現実とは異なるものとなっていたのは間違いないかもしれない。
    • オフィス街ではなく住宅地が形成されていたと思われる。
    • 篠原町地域に戦前の時点で小学校や中学校が開校していた。
      • 岸根高校も史実より早く開校していたかもしれない。
      • 大学のキャンパスが誘致されていた可能性もある。
  6. 戦後に相鉄が東急から独立することもなく、相鉄の鉄道路線は東急が運営する路線になっていたかもしれない。
    • 渋谷から厚木方面(のちに現在の海老名方面に変更)への直通列車が運行されていた。
1940年代
  1. 現在の岸根公園にある軍事施設絡みの理由で戦時中に建設されていた。
    • 資材節約で当初は上記と同じ地上区間を走行していたが、新幹線建設か環状二号線建設時に地下化される。
    • 終戦後には占領軍や米軍関係の利用者が多かった。
    • 戦後しばらく新横浜駅の篠原口周辺に米軍絡みの住宅地や歓楽街が広がっていた可能性もある。
      • 篠原口の治安が現実よりやや悪いものになっていたかもしれない。
  2. 横浜線新横浜駅が別の名前で開通し、当時から乗り換えが可能になっていた。
    • 新幹線開業に合わせて現在の駅名に改称。
  3. 上記と同じく相鉄の鉄道路線は東急が運営する路線になっていたものと思われる。
  4. 新横浜の発展が現実と異なるものとなっていたのは間違いない。
    • 篠原口から現在の岸根公園などに向かう路線バスが運行されていた可能性がある。
    • 篠原町地区に何らかの私立学校や私立大学が誘致されていたかもしれない。
    • 新横浜地区も住宅などが立ち並ぶ地域として開発されていただろう。
    • 横浜市内で一二位を争う高級住宅地として発展していた可能性もある。
1964年
  1. 開業時「夢の超特急」との連絡を唄い何かしらの宣伝がされた。
  2. 新横浜への「ひかり」「のぞみ」(全)停車が早まったかも。
  3. 日比谷線直通電車が新横浜発着になっていた。
    • 旧7000系が現実より多く造られた。
      • その置き換えで1000系も。
    • 営団→メトロ3000・03系も乗り入れていた。
    • 目黒線日吉延伸が2000年くらいに実現したかも。
      • この時点で実質的に「目黒線」の一部に。
    • 新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
      • 同じく都営6500形登場が遅れたかも。
    • 早期に全8両化されたかも。
      • 下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
    • 基本的に日吉・菊名発着の日比谷線直通電車はなかったか少数だった。
  4. 上記のように大倉山で分岐。
    • 目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~菊名間高架化が早まったかも。
      • 「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。
1970年代
  1. 上記のように「ひかり」「のぞみ」新横浜(全)停車が早まったかも。
  2. 8000系列が現実より多く造られる。
    • その置き換えで新5000系列も。
    • 新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形も現実より多く造られる。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在せず都営6500形登場が遅れたか。
    • 上記のように早期に全8両化されたかも。
      • 下記のように(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されなかったためか。
  3. 目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化が早まる。
    • もしかしたら大倉山分岐になり菊名まで史実より早く高架化されたかも。
    • 「目黒線」復活後(副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず実質その一部になったか。
1980年代
  1. おそらく菊名駅を起点として、新横浜を経由して西谷(または二俣川)までの路線になっている。
  2. 菊名駅は東横線が緩急接続するため東横線とは別のホームになり、同一ホームでは乗り換えできない。
    • 二層式になってる。
    • ただ東横線沿線から東急の運賃のみで新横浜に行ける便利な路線になっていた。
  3. 複々線が菊名まで延伸され目黒線と直通するようになっていた。
  4. 相鉄との直通は当初は行われなかった。
    • 00年代くらいにスタートしている。
  5. 横浜線快速は現在でも菊名は通過。
  6. 2001年3月の東横特急新設まで存在した菊名駅の「横浜線、新幹線ご利用の方はお乗り換えです」という自動放送はなかった。
    • その代わり「新横浜線、横浜線はお乗り換え」という似た路線名2つの案内になって少しややこしくなる。
      • 路線名が変わっていたか?
  7. 新横浜駅にのぞみが停まるのが遅くなっていた?
1990年代前半
  1. 上記の目蒲線の分離や東横線多摩川(園~)小杉~日吉間高架化も早まる。
    • 途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
  2. 9000系列に南北・三田線直通対応車が登場。
    • メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
    • 新3000系が増発用で登場。
      • その代わり現実の5080・3020系は存在しない。
    • 早期に全8両化。
  3. 新横浜への「のぞみ」全停車が早まった。
  4. 横浜線快速の菊名停車はなかった。
1998年
  1. 同年の神奈川国体に合わせる形だった。
    • 開業が前年に早まったかも。
  2. 上記の目蒲線の分離や東横線小杉~日吉間高架化も早まる。
    • 同じく途中駅ホームは8両分しかなく(営団→メトロ副都心線~)東横線との乗り入れは想定されず「目黒線」と案内される。
    • 同じく新3000・メトロ9000・SR2000系・都営6300形が現実より多く造られる。
      • その代わり都営6500形登場が遅れたかも。
    • 新3000系が2年程早く登場。
      • 現実より多く造られる代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
    • 2000年代に全8両化。
  3. 上記のように「のぞみ」新横浜全停車が早まったかも。
  4. 上記の横浜線快速は現在も菊名に止まらない。
2001年
  1. 翌年の日韓W杯に合わせる形だった。
    • SR開業とも重なっていた。
  2. 新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
  3. 新3000系・営団→メトロ9000系・都営6300形が現実より多く造られる。
    • その代わり5080系はあまり造られず3020系は登場しない。
    • 都営6500形登場が遅れたかも。
    • 2000年代に全8両化される。
    • SR2000系忘れてないか?
  4. 新横浜への「のぞみ」全停車が愛・地球博までに実現したかも。
  5. 横浜線菊名快速停車はなかった。
2008年
  1. 横浜オリンピックが実現していたらあり得た。
  2. 史実の目黒線小杉~日吉延伸と同時だった。
  3. 上記同様新綱島駅ホームは8両分しかなく(メトロ副都心線~)東横線からの乗り入れはなく「目黒線」と案内される。
  4. 目黒線8連化が早まる。
    • 5080系が現実より多く造られ3020系は登場しない。
    • メトロ9000系6次車が2007年登場。
  5. 相鉄20000系と都営6500形登場が早まったかも。
2019年
  • 当初は4月開業予定
  1. 同年のラグビーW杯と重なる。
  2. 上記同様目黒線8連化が早まる。
    • 東急3020系・相鉄20000系が2017年登場。
      • 相鉄側は創立100周年の意味合いもある為。
    • 上記の都営6500形登場も早まったかも。

西武鉄道

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西武秩父線

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昭和初期
  1. 池袋線との境界は吾野ではなく飯能だったかも。
    • 通称「吾野線(飯能~吾野間)」を秩父に延長した後「秩父線」に改名。
  2. 現実よりトンネルが少ない。
  3. 武州鉄道汚職事件はなかった。
  4. ED60の西武バージョンが登場する。
  5. 武蔵野鉄道デハ5500形(開通時)の新製数が多い。
    • デハ5550形・サハ5650形・サハニ5753形の事か。
  6. 開通時から秩父鉄道と直通している。
  7. 戦後小鹿野町経由で軽井沢に延伸。
  8. 西武5000系は601系ベース(電磁直通ブレーキと空気バネ台車を全車装備)で1963~64年に登場。
    • 801系は1970年代まで大量生産された。
1989年
  1. ライオンズの選手が開業記念イベントに登場した。
  2. 貨物列車は運行されなかったか、史実より本数が少なかった。

西武山口線

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1930年代
  1. 多摩湖線の延伸扱いだった

京成電鉄

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京成成田空港線

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1990年代
  1. =当初から成田新幹線代替のルートが北総線延伸案を採択した場合。
    • JRや京成本線は成田空港に乗り入れていない。
      • 一部ではJRの労組の組合員が三里塚闘争のシンパだったので建設させたくなかったという陰謀論がささやかれる。
      • 京成本線との連絡線は史実通り開業していたんじゃないだろうか(船橋とか津田沼からのアクセスもあるし)。どのみち旧来の成田空港駅は東成田に改称されてそのまま放置。
  2. 北総鉄道の運営になっていた。
    • 当時はまだ小室以西を都市基盤整備公団が保有していたので、その辺りの調整に若干手間取っていたかもしれない。
  3. 当初の最高速度は100km程度か。
2000年
  1. JRと京成本線の乗り入れは暫定的に開業していた。
  2. 2002年10月のダイヤ改正でエアポート快特が快速に格下げされて、京成成田で打ち切られることもなかった。
  3. 京成3700形電車と住宅・都市整備公団9100形電車が史実よりも多く増備されていた。
  4. AE100形電車は2000年までにリニューアル化され、増備されて、スカイライナーとして、運行されていた。
    • AE形電車 (2代)の登場が史実よりも遅れて登場していた。
  5. 北総鉄道の印西牧の原~印旛日本医大間の開業と同時に開業していた。
  6. 成田ニュータウンの整備が史実よりも進んでいた。

相模鉄道

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相鉄いずみ野線(いずみ野~湘南台)

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1970年代
  1. その場合、1976年と同時に開業していたか、1978年~1980年あたりに開業していた。
  2. 1990年に香川駅まで開業し、1999年に平塚駅まで開業していた。
  3. 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの開設も史実より早まっていたかもしれない。
  4. 相模鉄道は1970年代もしくは、1980年代に大手私鉄としての認定を受けていた。
  5. 横浜市泉区の人口が史実より多くなっていた。
  6. 1990年代には、相鉄本線とともに特急が運行されていた。(史実では、2014年に運行され始めた。)
1990年
  1. 1999年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス周辺までに延伸開業していた。
    • その際、「藤沢遠藤」駅になっていた。
  2. 無論、横浜市泉区の人口が史実よりも多くなっていた。
  3. 相鉄の湘南台駅は高架駅になっていたかもしれない。

相鉄・JR直通線

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  • 史実では、2019年11月30日に開業しました。
国鉄時代
  1. 国鉄205系電車が乗り入れていた。
  2. 新横浜駅~羽沢横浜国大間の開業も史実よりも早まり、東急新横浜線の開業も早まっていた。
  3. 1985年以降にブルーラインの岸根公園駅付近の東海道貨物線部分に相鉄・JR直通線用ホームが新設され、乗り換え可能駅となっていた可能性もある。
    • 恐らくJR化以降に開業していたものと思われる。
    • 岸根公園駅付近にタワーマンションが建設されていたかもしれない。
1990年代
  1. 池袋駅まで運行していた。
  2. 相鉄8000系電車が乗り入れ対応になっていた。
  3. 湘南新宿ラインの横須賀線直通か東海道線直通のどちらかが代わりに相鉄線直通になっていたかもしれない。
2000年代
  1. 湘南新宿ラインの開業が史実よりも早まっていたら、あり得た。
  2. 東急新横浜線も2019年頃に開業していた。
    • 後で、計画が加わってできたものなので、史実通りに、2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
  3. 2009年3月頃に開業していた場合、相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れていた。
    • 12000系電車の登場は史実通りだが、20000系電車の登場は史実よりも遅れて、登場していたかもしれない。
    • 国鉄205系電車が相鉄線を走行する光景を見ることができた。
    • 埼京線のE233系の導入は中央線と同じく2006年頃になっていたかもしれない。
2010年
  1. 相鉄11000系電車が埼京線に乗り入れ、史実よりも多く増備されていた。
  2. 2010年12月のダイヤ改正で開業していた。
  3. 翌年の東日本大震災の影響で一時的に直通運転を取りやめていた。
  4. 2014年3月のダイヤ改正or2015年3月のダイヤ改正で増発され、いずみ野線にも乗り入れていた。
    • その際に相鉄12000系電車が登場していた。
  5. 後は2000年代に開業した場合と同じ。
2015年
  1. 12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  2. 2017年3月or10月のダイヤ改正で増発していた。
    • いずみ野線にも乗り入れていた。
    • 埼京線新宿以北・川越線への乗り入れが日中でも実施していたどうかは怪しい。
  3. 東急新横浜線が2019年頃に開業していた。
    • 2019年のラグビーワールドカップの開催に合わせて、開業していた可能性が高い。
    • もしくは、予定通りに2022年頃に開業していた可能性もあり得る。
  4. 首都圏にとって、上野東京ラインの開通とともに、重大な出来事として注目されていた。
  5. 相鉄沿線の地価が高騰化していた可能性が高い。
2017年
  1. 相模鉄道が創立100周年という記念すべき年と重なって開業していた。
  2. 相鉄12000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  3. 2017年3月か10月のダイヤ改正で開業していた。
2019年3月の場合
  1. 横浜国立大学へ通う学生にとって、便利になっていた。

相鉄本線

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1960年代
  1. 東急田園都市線のように住宅開発を兼ね建設。

小田急電鉄

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小田急多摩線

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1940年頃
  1. 終点が陸軍造兵廠だった。