もしあの鉄道路線が開業していたら/関東
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栃木[編集 | ソースを編集]
関東鉄道[編集 | ソースを編集]
佐野と古河を結ぶ鉄道計画で現在の関東鉄道とは別会社
- 沿線住民の使用が少なく、通し客が多かった。
- その後は高度成長期からバブル時代に沿線開発が行われ2000年代から空き家が目立ったかも。
- おそらく後に国鉄か東武鉄道が買収していた。
- よって現在の関東鉄道は普通に関東鉄道を名乗っていた。
- バイパス路線としての色彩が強い路線となっていた。
- 東武鉄道の場合は貨物列車通過が主な目的。
- よって佐野線と大差ない。
- 国鉄は東北本線と両毛線として使用していた。
- 上述の時代に都心直通の快速を運行させるため沿線で電化させ11両対応にする動きが出る。
- 東武鉄道の場合は貨物列車通過が主な目的。
- (実際に)宇都宮市やその周辺地域にバスを運行している関東自動車(関東バス)を合併したか、傘下に収めた可能も…。
那須電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 黒田原-那須湯本間を結ぶ予定だった。
- JRが運行するなら大宮支社による営業になる。
- 那須街道沿いのルートか。
- これでも電化していると思う…。
わたらせ渓谷鐵道(間藤-足尾本山間)[編集 | ソースを編集]
- JRからの経営転換時に当該区間もわ鐵に継承されたが、一度も営業が再開されることなく1998年に免許が失効した。継承時に旅客化する案自体はあったらしい。
- 元々貨物駅だったのが放置された原因だと思われるので、細倉マインパーク前駅のように観光目的の旅客駅に衣替えしていた。
- すぐ隣に本山精錬所跡があるので、そこを含めて保存施設か博物館が作られる。
- 後々「バブル期の負の遺産」として槍玉に挙げられていたかもしれない。
- トロッコ列車を乗り入れさせるために配線が変更されていたかもしれない。
- どのみち旅客用ホームは間藤駅と同様に1面1線だった。
日東電鉄[編集 | ソースを編集]
- 上野-関宿-日光
- 東武伊勢崎線とバッティングしないように、東側の八潮・吉川を経由。
- 日東電鉄が上野へ進出したために、京成は上野に路線を建設できず。
- 関宿は発展し、野田市に吸収されていない。
- 戦時統合で東武と合併し、重複している日光-栃木間は廃止して資材を他にまわされていた。
- 戦後の日光への特急は群馬周りの東武日光線ではなく、より直線的なこの路線を活用。
- この路線が東武日光線となり、東武動物公園-栃木間は東武栃木線。
群馬[編集 | ソースを編集]
両毛電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 大正5年に沼田~片品を計画し免許を取得していた会社。
- 終点は尾瀬観光の拠点である戸倉地区。
- 国鉄との直通も考慮して軌間は1067mm。
- 河岸段丘の下にある沼田駅と上にある沼田市街地を結ぶ路線という側面もある。
- かつての上越線の急行は全列車沼田に停車していた。
- 尾瀬の環境保護のため電化されていた可能性あり。
- 環境に優しい鉄道になっていただろう。
- 日光駅まで延長する構想が存在していた。
沼田電気鉄道[編集 | ソースを編集]
沼田市内の軌道線計画(参照)
- どうあがいても東武グループに飲み込まれている。
- 利根軌道に乗り入れていたかも知れない。
- その場合利根軌道と共に「東武沼田軌道線(仮)」となっていたかも知れない。
東武鉄道伊勢崎線(伊勢崎-前橋間)[編集 | ソースを編集]
- 特急「りょうもう」が前橋まで運行されていた。
- 浅草地区で大規模イベント開催時には、前橋~浅草間に臨時の「りょうもう」が運行される。
- 東武鉄道伊勢崎線は複線化され、快速・区間快速も運行されていた。
- 渋川まで延長されて、特急「りょうもう」も渋川まで運行されていた。
東武鉄道東上線(寄居-高崎間)[編集 | ソースを編集]
- 有料特急「はるな」が運行されていた。
- 車両は200系電車が運用されていた。
- JR高崎線・湘南新宿ラインと激しく競合していた。
上毛電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 本庄線
- 大胡-伊勢崎-本庄を結ぶ計画。旧坂東大橋に構想の名残が見られたらしい。
- おそらく伊勢崎か新伊勢崎で東武伊勢崎線に接続していた。
- 伊勢崎線と桐生線に接続している故に、東武に併合されている可能性が史実以上に高くなっていた。
- 特急「りょうもう」が伊勢崎経由で前橋まで乗り入れていたかもしれない。
- 新伊勢崎駅は通っていそうな気が…。
- その場合、運営は東武鉄道になる。
- 伊勢崎線と桐生線に接続している故に、東武に併合されている可能性が史実以上に高くなっていた。
- 本庄早稲田駅開業後に延伸構想が出るも実現しないまま現在に至る。
- ただ、史実でもここから寄居や吉井に延ばす構想があったらしいので、児玉町までの延伸は真剣に考えられるようになっていただろう。
- 実現していれば本庄早稲田駅は叩かれる事は無かった。
- 西桐生~桐生~深谷~川越
- 深谷ではなく熊谷経由になっていたかもしれない。
- 東武伊勢崎線とは太田で交差する。
- 川越で東武東上線に直通し、東上線~伊勢崎線の連絡路線が実現していた。
- 川越~太田間は東武が買収していたかもしれない。
- 戦時統合で東武に合併された可能性大。
- 川越~太田間は東武が買収していたかもしれない。
- 東武桐生線は建設されなかったか、桐生線とは別ルートになっていた。
西武資本の草津-軽井沢間の高原鉄道[編集 | ソースを編集]
- 草津温泉・万座温泉・鬼押し出し・北軽井沢-千ヶ滝-沓掛駅(後の中軽井沢駅)
- 草軽電気鉄道と競合するも、20年近く新しい技術で作られ、軌間も西武他路線とおなじ狭軌なので優位に立つ。
- 戦時統合で草軽線は廃止。
- 吾妻線開業で打撃を受けるも、史実の草軽線よりは持ちこたえる。
高崎軽便鉄道[編集 | ソースを編集]
- 新伊勢崎~玉村~岩鼻~高崎
- 高崎駅西口にターミナルを建設。
- このため上越新幹線建設時に移転するはめに。
- 一度は東武系列にはいるがいつの間にか第三セクター化。
- 高崎軽便鉄道の踏切が箱根駅伝におけるかつての蒲田の踏切のようにニューイヤー駅伝の名物になっている。