もしあの鉄道車両が○○だったら/私鉄
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独立項目[編集 | ソースを編集]
地域別独立項目[編集 | ソースを編集]
伊豆箱根鉄道[編集 | ソースを編集]
7000系[編集 | ソースを編集]
JRに乗り入れていたら[編集 | ソースを編集]
史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された
- 三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
- 東海道本線静岡地区では貴重なクロスシート車として重宝される。
- 指定席車両連結も継続していた。
- 列車愛称も付与されていただろう。
- 修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。
すべて3扉車として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 中間車のみ2扉車ですが、これによりラッシュ時に不便という声もあります。
- JR乗り入れが実現していた。
- 下手をしたら途中でロングシート化されている。
- 3000系の3506Fは登場せず、代わりに7503Fが登場している。
- 1100系代替の際に1300系購入ではなく313系ベースの転換クロスの新車が投入されていた。
すべて2扉車として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 逆にすべて2扉だった場合についても考えてみる。
- 線内完結急行が設定されていた。
- それ以外は史実通り。
- あるいは3507Fと3508Fに早々と代替され、秩父鉄道送りになっていた可能性がある。
富山地方鉄道[編集 | ソースを編集]
7000系[編集 | ソースを編集]
上滝線に乗り入れていたら[編集 | ソースを編集]
史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?
- 路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
- 沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
- 不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。
- 笹津線は廃止されなかった。
- 8000形も含めて富山ライトレール乗り入れ対象にもなっていた可能性がある。
8000形[編集 | ソースを編集]
富山港線に乗り入れていたら[編集 | ソースを編集]
史実上では7000形と共に富山港線乗り入れの対象外とされましたが、もし対象とされたら?
- 運用時に「高床車」として限定運用が組まれた。
- 7000形は上滝線の勾配に対応できなかったことから史実通り乗り入れの対象外とされた。
デ9000形[編集 | ソースを編集]
自社所有車が存在したら[編集 | ソースを編集]
- T100形は登場しなかったかも。
- TLR0600形が続き番号で編入されていた可能性がある。
10020形[編集 | ソースを編集]
ワンマン化されたら[編集 | ソースを編集]
- 日中も運用に就くことが多かった。
- 引退・廃車に関しては史実通りだった。
名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]
キハ8500系[編集 | ソースを編集]
あの会社に譲渡されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?
- 更にその後サバ州立鉄道に渡った車両もありましたが、こちらの海外譲渡についても触れてみる。
- 全般
- 会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
- 「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
- サバ州立鉄道に譲渡される車両は史実通り存在した可能性がある。
- 三陸鉄道
- イベント列車仕様に改造されていた。
- 「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
- だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
- JR東日本
- =地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
- JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
- 形式はキハE151系だった。
- 「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
- 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
- その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
- 「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
- 通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
- 701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
- 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
- JR東海
- 走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
- そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
- これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
- 「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
- =観光列車の設定に意欲的だったら、である。
- むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
- キハ85系に編入していた。
- 車体構造が異なるので番台区分はされていた。
- 当然、東海色に変更していた。
- 京都丹後鉄道
- 大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
- 鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
- 今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
- 連結器・エンジンは交換され、KTR8000形と共通運用を組んでいる。
- JR九州
- 水戸岡デザインにリニューアルされていた。
- 恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
- 場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
- JR西日本
- 「つやま」か「みよし」に投入されていた。
- 快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
- あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
- 但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
- 形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
- 東武鉄道
- この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
- うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
- 東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
- その場合は喜多方まで直通していたかもしれない。
- うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
- 史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。
- JR四国
- 徳島をベースに「むろと」「剣山」「うずしお」に運用されていた。
- それによりキハ185系は普通運用に転用されていた。
- タイ国鉄
- 少なくとも長距離列車に使用されることはなかった。
- ローカル線のサービス改善につながっていた。
- ベトナム国鉄
- 車齢10年未満ではないが、機関換装などを済ませ重宝された。
- 上記タイ国鉄と同様にローカル線のサービス改善の緒となっていた。
300系[編集 | ソースを編集]
最初から6両編成で登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 上飯田線の車両も6両化されていた上、鶴舞線と共通運用もあり得た可能性も。
- 三河線複線化次第ではこれに派生した4両編成の車両が出る可能性も。
2000系[編集 | ソースを編集]
最初から4両編成で登場していたら[編集 | ソースを編集]
落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。
- 製造数が史実よりも多くなっていた。
- 8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。
5700系[編集 | ソースを編集]
5300系と廃車順序が前後したら[編集 | ソースを編集]
- 5700系に廃車が出たのは2017年でしたが、2009年から廃車が出ていたら?
- 全車が機器流用対象となった。
- うち界磁チョッパ制御は6750系に機器を提供し、本線に転属していた。
- 結果として全廃も2011年と早かった一方、5300系はしぶとく後年まで残っていた。
- それでも5300系の5312Fと5313Fは運転台機器供出のため史実通り淘汰されていた。
- 5300系の一部の台車・主電動機が7000系の発生品に取り替えられていた。
- FS315の淘汰は急務と思われたため。
- 3150系の製造数が史実より少なかった。
3扉車として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 現実より引退は遅れていた。
- 2022年現在全車両現役。
- 混雑緩和のためロングシート化は行われていたかもしれない。
- 2022年現在全車両現役。
- 前面が鉄仮面と同じになっていたが、窓配置のみ異なった。
- 座席配置などのレイアウトは1200・1800系に流用されていた。
- 近鉄5200系よりも早く3扉転換クロスシートが採用されていた。
- ある意味同時期に登場した山陽5000系と比較されていた。
- 近鉄5200系も4扉車として登場していた。
- 新5000系と完全な共通運用になっていた。
6000系[編集 | ソースを編集]
地下鉄直通仕様が存在したら[編集 | ソースを編集]
20m車にするという協定があったため、100系が別途作られましたが、これが存在せず6000系だったら?
- 機器類のみ史実上の100系と揃えられた。
- 6800系・3500系の地下鉄直通仕様も存在したが、前面が2代目3300系と同様になった。
- 3500系の地下鉄仕様は小牧線にて使用される。
- 地下鉄3000形は19m車として製造された。
- 増結は中間車2両増備ではなく、増結用の2両編成が用意された。
6500系[編集 | ソースを編集]
前期車が貫通型として製造されたら[編集 | ソースを編集]
- 前面構造鉄仮面は6500系および6000系9次車からの採用です。
- 7100系の前面が踏襲された。
- 5700系・5300系もこれらを踏襲した。
- 三河線ワンマン化改造は優先して施工される。
- 金魚鉢仕様の登場と側面構造は史実通り。
- 本線系統でも貫通幌設置がなされている。
6750系[編集 | ソースを編集]
史実より早く置き換えられていたら[編集 | ソースを編集]
2009年から廃車が始まった結果、車齢20年を迎えられたのはたったの8両でした。
- 2次車の車体のみ本線に転属し、機器類は冷房含め1000系全特車の廃車発生品に取り替えられていた。
- 上記5700系が廃車・機器供出となった場合、こちらは冷房存置になっていた。
- 2次車のみは当初よりカルダン駆動・電磁直通ブレーキへの改造に対応していたため。
- 1次車の廃車は史実通りだった。
- 5000系の製造数は4本少なく、代わりに1000系の1001Fも機器流用されていた。
- 5700系廃車の場合は史実通りだった。
8800系[編集 | ソースを編集]
完全新車だったら[編集 | ソースを編集]
7000系パノラマカーからの機器流用ゆえ最高速度120km/hに対応できず2005年の空港線開業で廃車になりました。
- 名鉄100系抵抗制御車と全く同じ機器を採用していた。
- 歯車比のみは82:17=4.82になっている。
- 格下げ改造と中間車新製に関しては史実通りだった。
- それでも特急政策の見直しで2008年に廃車されたが、機器類が一般車か6750系あたりに流用されていた。
西日本鉄道[編集 | ソースを編集]
5000系[編集 | ソースを編集]
界磁チョッパ制御の編成が出ていたら[編集 | ソースを編集]
- 6000系でも界磁チョッパ制御が採用されていた。
- 8000系で界磁チョッパ制御が採用されたかは微妙。
- 平成の世に入り、抵抗制御から直接VVVFに飛んだ相模鉄道と西鉄が比べられることはなかった。
6000系[編集 | ソースを編集]
界磁添加励磁制御を採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 6050系は存在せず、7000系でVVVFを初採用していた。
- ある意味同じ境遇を辿った山陽電気鉄道と西鉄が比較対象になっていた。
8000系[編集 | ソースを編集]
VVVF編成が出ていたら[編集 | ソースを編集]
- 少なくても3000形に置き換えられることはなかった。
- 逆に電源コンセントなどを活用して座席指定車として活躍しそう。