もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄
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少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
- 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
- 1年以上増備が行われていない形式でお願いします。
- 関連項目
- もしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄 - 導入計画があったが未成に終わった車両はこちらへ。
独立済み[編集 | ソースを編集]
三陸鉄道[編集 | ソースを編集]
36-100形・36-200形[編集 | ソースを編集]
- 震災前からリアス線が全線三陸鉄道管轄だったらかなり増備されていた。
- 石巻線がBRTになる前までなら石巻直通の列車も大幅に増加していた。
36-Z形[編集 | ソースを編集]
- 観光用として出すが、地域の足や石巻線などがBRTになっていなかったら仙台駅乗り入れ用として増備されていた。
- 当然、観光用だけでなく仙石線の着席列車としても大いに活躍していた。
秋田内陸縦貫鉄道[編集 | ソースを編集]
AN-2000形[編集 | ソースを編集]
- 急行『もりよし』が増備されていたら1両どころか連接編成の車両が数両表れた。
- 2両編成が5編成位用意されていた。
AN-8900形[編集 | ソースを編集]
- 連接車両での増備を続けていたら、4編成位は出ていた。
阿武隈急行[編集 | ソースを編集]
8100系[編集 | ソースを編集]
- バスやJR東北本線との対抗の為、転換クロスシート編成も表れていた。
- 座席指定列車も出ていたが、それでJRやバスとの競合を図っていた。
伊豆箱根鉄道[編集 | ソースを編集]
5000系[編集 | ソースを編集]
- 鋼鉄車両の第1編成は置き換えられていた。
- 8~11編成まで増加して全て一部転換クロスに替えていた。
7000系[編集 | ソースを編集]
- 転換クロスシート搭載でE231系やE233系に併結に対応した5両編成の電車が出ていた。
- 修繕寺特急の運行も相まって利便性を大きく向上させた。
- 湘南新宿ラインの編成の内、付属5両はこの編成が対応していた。
- それによってこの電車が西武新宿線や池袋線あたりで見られた。
富士急行[編集 | ソースを編集]
5000形[編集 | ソースを編集]
- 史実では事故車の補充で1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
- 小田急2200形や京王5000系の譲受車はなかった。
- 1編成しかないことを理由にラッピング車になることはなかった。
- 今頃は6000系に置き換えられている。
- 引退が2019年より後だった。
長野電鉄[編集 | ソースを編集]
10系[編集 | ソースを編集]
- 史実では1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
- 東急5000系や営団3000系を購入することはなかった。
- 長野電鉄は譲渡車に頼り切ることはなく、その後も自社発注車を導入していた。
- 東急8500系や東京メトロ03系も購入しなかった。
- そもそも長野電鉄に新車を導入できるほどの体力があったら・・・。
- しなの鉄道同様県などの補助金を利用していたかも。
- 長野電鉄は譲渡車に頼り切ることはなく、その後も自社発注車を導入していた。
- 1編成しかないことを理由に早期廃車になることはなかった。
- 今頃は冷房化やワンマン化改造されていただろう。
2100系[編集 | ソースを編集]
- 史実では2編成のみ導入されました。
- 特急「ゆけむり」の本数が史実よりも多くなっていた。
富山地方鉄道[編集 | ソースを編集]
9000形[編集 | ソースを編集]
- 3編成で、基本は富山都心線のみでの導入だった。
- T100の代わりに低床車両として導入されていた。
- 富山ライトレールと紛らわしい配色になっていたかもしれない。
- 富山駅南北直通前に配色変更があったかも。
- TLR0600形も併合後本形式に編入されていた可能性がある。
10020形・14720形[編集 | ソースを編集]
- 名鉄から14710形を購入することはなかった。
- 非自動加速制御車がすぐに淘汰されていた。
- 増結用Tc車が現れなかった。
- 10020形のワンマン化も見送られなかった。
- 引退は還暦を迎えてからになっていた。
14760形[編集 | ソースを編集]
- 吊り掛け車の全廃が早まっていた。
- 電気指令式ブレーキや界磁チョッパ制御を試行採用した編成が出てきていた。
静岡鉄道[編集 | ソースを編集]
A3000形[編集 | ソースを編集]
- 2両固定や1000形の置き換えだけでなく静鉄の増便の為に2両編成と4両編成が更に増備されていた。
- 当然、フリークエンシー強化の為、4両固定編成での運用が大幅に増加していた。
遠州鉄道[編集 | ソースを編集]
1000形[編集 | ソースを編集]
- 4両固定編成の車両が増えていた。
- 4両固定運用増加に併せて一部編成は転換クロスシートを採用されていた。
2000形[編集 | ソースを編集]
- こちらもやはり4両固定化されていた。
- 天竜浜名湖鉄道の直通に併せて直通対応編成も増加していた。
名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]
100系・200系[編集 | ソースを編集]
- 8両編成が出ていたほか、小牧線も200系の増備で対処されていた可能性がある。
- 300系は登場せず、本系列が300番台に突入していた。
- 上飯田線からも7000形は登場せず、3050形の増備車として登場していた。
- ラッシュ時の輸送力列車として本線や犬山線などの名古屋口の列車に運用されていた(実際に運用されていたことあり)。
300系[編集 | ソースを編集]
- 6両編成として増えていた他、編成数も増加して犬山線の利便性が高まっていた。
- 豊田線向けの100系・200系も早々と置き換えていた。
- 番号が足りないので400・500番台の車両も出ていた。
モ800形[編集 | ソースを編集]
- 3編成の導入でした。
- 600V線区は多少延命できたかもしれない。
- 廃止して譲渡された場合、豊橋鉄道にももう少し譲渡されている。
- イベント用を除けば780形と800形とT1000形だけに統一できたかもしれない。
- それでも運動公園前行きの運用には2018年4月まで入る事は出来なかったか、史実より早い時期に改造がなされた。
- イベント用を除けば780形と800形とT1000形だけに統一できたかもしれない。
6600系[編集 | ソースを編集]
- 当初は2両編成15編成製作される予定だったのが、栄町延伸の建設費が高騰した為、6編成に減らされました。
- 導入時に15編成だった場合、3780系の転属は無かった。
- 史実と同じ6編成でスタートした場合、徐々に増備され二次車以降は冷房付で導入された。
- 最終的に2両14〜16本導入し、3780系と6600系の2形式になっていた。
- 1980年代後半〜1990年に中間車増結し、同時にロングシート・冷房化された。そして、回生ブレーキ付きなっていた。
- ラストナンバーが「16」編成だったら、サ6650のラストナンバーは「サ6666」のゾロ目になり、賛否両論の話題となった。
- 3780系と併存だった場合、6600系4両化に合わせ3780系は廃車となり、豊橋鉄道か、富山地方鉄道へ高性能化の上譲渡された。そして、一旦ロングシートに改造されたのも再び転換クロスシートに再改造された。
- 史実より長生きし2014年まで活躍していた。
1030系・1230系[編集 | ソースを編集]
史実では、6両編成4本が製造されました。
- 名古屋鉄道の顔として、活躍していた。
- 廃止が史実よりも遅れていた。(史実では、2019年に全廃)
- 7500系の特別整備は史実より早く打ち切られていた。
- 1次車のみの施行となっていた。場合によってはその1次車にも特別整備が行われず1030系化された編成があった。
- 1850系も増えていたかもしれない。
1600系[編集 | ソースを編集]
- 忠実では特急用パノラマカー置き換えのための4編成の導入に留まりました。
- 導入されるとしたらパノラマDXも置き換えているはず。
- よってパノラマDXの廃車が早まっていた。
- 予定通り、一部特別車の急行に用いられていた。
- 当然全車特別車特急も残っているはず。
- 1000系も残っているので5000系は誕生しない。
- 乗客減少からそれはない。
- それでも廃止するなら、2300系が増えたかもしれないが。
- 1000系も残っているので5000系は誕生しない。
- 当然全車特別車特急も残っているはず。
- 連結すると他にほとんど例のない5両or7両になってしまうのが課題。
- 7両は犬山線や常滑線、5両は河和線辺りがメインか。
- 現在では3300系列との連結も日常的。
- 一部列車で9両編成が爆誕している。
- 急行ではなく忠実の2200系のような運用になっていた可能性が高そう。2200系は導入されなかったかもしれない。
- 空港特急の予定でもあったとはいえ、イメージアップしたいだろうから2000系に関しては全く変化なし。
- と言うか史実の2300系が2200系として生産されて1600系と連結していた。よって1700系への改番も史実通り。
- どう頑張ってもク1600形が余ることになるが、編成数によってはMc車化や中間車化改造が行われていたかもしれない。
- モ1750形を1両ずつ追加増備して余剰廃車ゼロだった可能性がある。
- 両数がそこそこ多ければ1600系専用の一般車と増結車が製造され1000系のように組み替えられていた。よって2200系の製造数が減り1030・1230系の全廃が早まっていたかも。
- 2200系がない以上、無理に特別車2両+一般車4両にする必要性は無いと思われ。一部特別車1000系のこともあるが、運用が別の以上共通化する必要性もないし。
- 2000系による1600系運用の代走が見られたかもしれない。逆は余程のことがない限りやらないだろうが。
- 現在でも西尾線で運用されていた。
- 忠実通り吉良吉田行き急行の型になるかもしれないが。当時のダイヤのままだと福地駅のダイヤが大変なことになる。
- 上記のような3+2両の特急になるか。ホームからはみ出すけど
- 最近になって、忠実の1700系のような塗装に変更され始める。
- 前面の方向幕もフルカラーLED化されていたる。
- 4連が出ていた。
- その4連がミュースカイ向けに改造されていた。
3150系・3300系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では4連15本、2連22本で増備を2015年までに完了し、以降の増備は9500系に移行した。
- 5300系、5700系、6000系非ワンマンが本系列で全数淘汰されていた。
- 6500系や6800系も一部置き換えていた。
- 増備途中で前照灯のLED化や、VVVFのSiC化、主電動機の全閉型化などの改良が図られていた。
- 史実上の9100系・9500系も3150系・3300系を名乗っていた。
4000系[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸線が6両されていた他、本数と増えていたので瀬戸線の利用者も増加していた。
- 本線系統の4連も本系列に移行していた。
5000系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 史実上では4連14本56両を増備。それ以降の増備なし。
- 1000系第1編成も更新されていた。
- 5700系も後に更新対象になっていた。
- 顔は9Rがベースになっている。LCDも採用している。
- 5300系も一部は3度目の更新が行われていた。
- 2両編成の5500系(2代・仮)も登場していた。
愛知環状鉄道[編集 | ソースを編集]
2000系[編集 | ソースを編集]
- 愛知環状鉄道の複線区間が増えて4両固定編成や6両固定編成が増加していた。
- 愛環の本数が増えて利用者も増加していた。
- JR東海化したら313系に編入されてその形で2000系増備していたかも。
- 複線区間や輸送力が多かったら現実以上に増備していたかも。
- 転換クロスシートを採用していたかも。
- 愛環車の中央線乗り入れが実現していたら、あり得た。
- 能勢電6002Fみたいな感じで、普段はJR線内ばかり走っていて、愛環の乗り入れは名古屋⇆瀬戸口の運用だけだったりして。
四日市あすなろう鉄道[編集 | ソースを編集]
260系[編集 | ソースを編集]
- 1982年に8両、移管後に6両が増備され合計14両体制となったが、さらに増備されていたら?
- 少なくとも四日市あすなろう鉄道の全3連化を達成していた。
- 三岐鉄道北勢線にも投入されていた。
一畑電車[編集 | ソースを編集]
7000系[編集 | ソースを編集]
- 1両4編成が導入される予定ですが、もし、一畑電車の全車置き換えに至るまで製造されていたら?
- 2024年よりさらに4両の追加投入が決定。
- これにより2100・5000系は1本を残し全廃される。
- 東急1000系は一畑電車に導入されなかった。
- もしかしたら7000系は2両編成になっていたかもしれない。
- 3000系全車のみならず、2100系・5000系も置き換えられていた。
- 下手をしたら1000系の譲渡先全廃第一号になっていた。
高松琴平電気鉄道[編集 | ソースを編集]
10000形[編集 | ソースを編集]
- 史実上では、台車を営団から手配して1編成2両で終わり。
- 1010形が現れなかった。
- 急行運転が廃止されなかった。
- 琴電で電動カム軸式を標準化されていた。
- 21世紀になっても活躍していた。
1010形[編集 | ソースを編集]
- 史実上では1編成2両のみで終わり。
- カルダン駆動化は早期に行われていた。
- 現在でも琴電で完全新造車が増備され続けていた。
- 冷房化されていた。
伊予鉄道[編集 | ソースを編集]
610系[編集 | ソースを編集]
- 史実では2両2編成のみで製造終了。
- 2次車は1996年製造でモハ303編成から台車・制御装置を流用
- ブレーキは1次車に合わせ電磁直通ブレーキへ換装か、または1次車の方が全電気指令式ブレーキへ換装。(その際に2代目600系へ改番もあり)
- 2次車・1996年度製造 613F・614F
- モハ613(モハ303)+クハ663(サハ504)
- モハ614(モハ304)+クハ664(モハ603を電装解除)
- 3次車は1997年製造で台車も新品だった。
- 3次車・1997年度製造 615F・616F
- モハ615(モハ603のモーター+新品台車)+クハ665
- モハ616+クハ666
- 史実より早く伊予鉄道は冷房化100%を達成した。
水島臨海鉄道[編集 | ソースを編集]
MRT300形[編集 | ソースを編集]
キハ20系置き換え用に製造されたが、6両で製造が打ち止められた。もし、キハ20系全車置き換えに至るまで製造されていたら?
- JR東日本からキハ30形・キハ37形・キハ38形を購入することはなかった。
- 同世代のキハ20形冷房車を非冷房キハ30形で置き換えることもなかった。
- 在来車とシステムが異なるため、運用も効率よく行われていた。
広島電鉄[編集 | ソースを編集]
1060形電車[編集 | ソースを編集]
- 宮島線専用の高性能電車だったが市内線直通車の増備に方針が転換されたため1両しか製造されなかった。
- 下回りが京阪のお古だった1050形ではなくこちらが2両連結化や冷房化といった改造を受けていた。
- 宮島線からの高床車消滅は史実よりやや遅れ90年代中頃までずれ込んでいた。
- 阪急の中古を改造した1070形・1080形は登場しなかった。
- 運転台が先頭部分の片側に偏っていたため前面展望が楽しめる電車としてファンの間で知られていた。
- トップナンバーの1061号は引退後に宮島口か楽々園あたりで保存されていた。
- 万一この形式による市内線乗り入れが実現していたら現在の広電の姿は大きく異なっていた。
- 都電荒川線や東急世田谷線のように市内線のホームが嵩上げされていたかもしれない。
- なお史実では1060形乗り入れのためには市内の橋の補強工事が必要だったので断念している。
- 名鉄岐阜市内線でもホームが嵩上げされ鉄道線車両の路面乗り入れが実現していた。
- 下手をしたら市内部分地下化もあり得た可能性がある。
- 全金属製・カルダン駆動の小型車で使い勝手が良く、廃車後は他の地方私鉄に譲渡された。
- 軌間や車両限界を考えると琴電志度線が有力か。
- いや、ドア配置を変更して叡山電鉄の可能性も。
- その場合鞍馬線の急勾配に対応するため抑速ブレーキの取り付けが行われていた。
- いや、ドア配置を変更して叡山電鉄の可能性も。
- 軌間や車両限界を考えると琴電志度線が有力か。
西日本鉄道[編集 | ソースを編集]
3000系[編集 | ソースを編集]
- 転換クロスシート編成が増えて5000系置き換えも増加していた。
- 6両固定編成も大きく増え、甘木線用のワンマン運転も増加していた。
7000系[編集 | ソースを編集]
- 以降の3000系や9000系は4扉編成が増えて5000系の廃車が加速していた。
筑豊電鉄[編集 | ソースを編集]
3000形[編集 | ソースを編集]
- 2000形を種車とする3車体連接車も登場した。
- 種車の西鉄1000形やその譲渡車の広電3000形・熊本市電5000形にも同様の車体更新が施された。
- (準)新車の導入によって西鉄北九州線は廃止を避けられたかもしれない。
- 5000形は導入されず、筑豊電鉄は令和になっても全列車吊り掛け車両で運転される状態が続く。
- 途中でタネが枯渇し、カルダン駆動・電気指令式ブレーキの新造車も登場していた。
地下鉄[編集 | ソースを編集]
東葉高速鉄道2000系[編集 | ソースを編集]
- 新製当初から10両編成として出ていた。
埼玉高速鉄道2000系[編集 | ソースを編集]
- 新製当初から8両編成として出ていた。
- 利用者が多かったら増発目的で増えていたかも。
営団地下鉄06系[編集 | ソースを編集]
- 史実では1編成のみしか導入されなかったが、これがもし量産されていたら?
- 6000系の置き換えは史実よりも速いペースで進んでいた。
- 余剰となった6000系が北綾瀬支線用に改造されるだろうから、ハイフン車と5000系は早くから運用を離脱していた。
- 05系に北綾瀬支線に転属した編成はなかった。
- 当時としては6000系の置き換えは時期尚早なのでむしろ東西線あたりに5000系置き換え用として転用されていた。
- その分、05系の製造数が減っていた。
- 青帯の6000系を見ることができていた。
- 2次試作車の6101編成は廃車になっていた。
- 余剰となった6000系が北綾瀬支線用に改造されるだろうから、ハイフン車と5000系は早くから運用を離脱していた。
- 副都心線開業に伴う07系の移転先は千代田線になっていた。
- 帯色も同じなので形式以外区別する要素がなくなる。
- 厳密には「本格」移転。2008年に実際に期間限定で千代田線を走行したことがあるので。
- それでも6000系を完全に置き換えるのは難しいだろうから16000系は導入されている。
- 但し導入数は史実よりも少なかった。
- ただ、千代田線にホームドアが取り付けられるとなるとドア位置が他車と異なるのがネックになって16000系に置き換え→廃車という運命をたどるかも。
- そうなるとしたら07系同様東西線に転属の方があり得るんじゃない?
- いや、ホームドア設置時期が東西線と同時期になるだけだろう。
- そうなるとしたら07系同様東西線に転属の方があり得るんじゃない?
営団地下鉄07系[編集 | ソースを編集]
- 7000系の置き換えは史実よりも速いペースで進んでいた。
東京メトロ05系[編集 | ソースを編集]
- 5000系の置き換えは史実よりも速いペースで進んでいた。
東京メトロ9000系[編集 | ソースを編集]
- 試作車を除いてすべての編成が8両化がすすめられた。
東京メトロ10000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では36編成導入されましたが、もし7000系を全て置き換えるくらい増備されていたら?
- 8両固定編成も製造されていた。
- 7000系は全車ジャカルタに譲渡されていた。
- 17000系は登場しなかった。
東京メトロ15000系[編集 | ソースを編集]
- 05系の製造が早めに打ち切られていた。
都営地下鉄5200形[編集 | ソースを編集]
- 史実では2編成(後に1編成に組み替え)しか導入されなかった。
- 最初から5200形として登場していた(史実では5000系6次車として導入)。
- 6000形や10-000形同様、途中からオールステンレス車になっている。
- 窓の構造などにもマイナーチェンジが幾らかなされていた。
- この為8両化の際には10-000形同様、従来車に後期車を増結させる手法を取っていた。
- 1号線(浅草線)の8両化が1980年代に進んだかも。車体更新の際完全に中間車化される車両が。(更新の際)運転台が簡易化された車両も(旧馬込車両工場の設備上)。
- 上記の8両化が1980年代のうちに完了すれば,5000形は(運用上)19編成に纏められる。
- 窓の構造などにもマイナーチェンジが幾らかなされていた。
- 5300形は史実ほど投入されず、しばらくは5200系と5300形が6:4程度の割合で運転されていた。
- とはいえ13-000形の導入と同時期に5400形(仮)によって5200系の置き換えが進んでいる。
- ↑10-300形(10号線用)では?5300形は現実と同じく5500形に置き換わるが,5400形(仮)は2020年代に,5500形の追加増備で引退するだろう。
都営6300形[編集 | ソースを編集]
- 1・2次車は当初から8両編成だったので6500形に置き換えられなかった。
都営地下鉄10-000形8次車[編集 | ソースを編集]
- 史実では2編成しか導入されなかった。
- 試作車は置き換えられていた
- 経年の浅い中間車2両は8次車に組み込まれる。
- 1・2次車も置き換えが早まっていたかも
- 10両化の際は7次車の中間車が組み込まれる。
- あるいは300R形に準じた中間付随車を新製される。
- VVVF化が行われていた。
- 10-300形に置き換えられなかった。
都営地下鉄10-300形(2次車)[編集 | ソースを編集]
- 最初から10両対応編成が増えていた。
- 10-300R形以外の廃車は発生しなかった。
横浜市営地下鉄3000形(1次車)[編集 | ソースを編集]
- 史実では新横浜〜あざみ野間延伸に伴い6連×8本が導入されていたがそれよりも更に増備を続けていたら。
- 1000形の淘汰が早まり90年代であっという間に消滅。
- 冷房化や旅客案内表示機も付かなかった。
- よって3000R形の登場も遅くなったかもしれない。
横浜市営地下鉄3000V形(5次車)[編集 | ソースを編集]
- あざみ野駅~新百合ヶ丘駅まで延伸した場合、さらなる増備の為に編成を増やしていた。
- 場合によっては4000形に引き継ぐ際にも増備を行っていた可能性も。
横浜市営地下鉄10000形(1次車)[編集 | ソースを編集]
- 当初から6両編成として登場していた上、利用者増加に備えて20編成6両の陣容でまとまっていたかもしれない。
- 川崎駅や二俣川駅延伸が早まっていた場合は、更に増えて30編成6両になっていたかも。
名古屋市営地下鉄3050形[編集 | ソースを編集]
- 1994年までに58両が増備されて以降、2007年から増備が再開される予定でしたが、東山線5000形の置き換えが優先されボツになりました。
- 増備車は3159Hに組み込む中間車2両を除き東芝IGBTに変更された。
- ドアチャイムも設置される。
- 製造開始から15年目となる2008年で増備を終え、以降3年間増備を保留にし、2011年の増備からN3000形に移行していた。
- N3000形の本数が4本程度少なかった。
名古屋市営地下鉄6000形[編集 | ソースを編集]
- 桜通線の利用者の多さに配慮して全編成が8両化が行われた。
名古屋市営地下鉄6050形[編集 | ソースを編集]
- 全編成が8両化されていた。
- 刈谷や枇杷島延伸によって増備が更に行われていた。
名古屋市営地下鉄7000形[編集 | ソースを編集]
- 名鉄300系と共に6両編成車が増加していた。
- 小牧線の本数増加と上飯田線が栄まで延伸していた。
大阪市営地下鉄旧20系(10系試作車)[編集 | ソースを編集]
- 史実では谷町線に4連×1編成が急行運転を想定し投入されましたがさらに増備されていたら?
- 中央線の車両は40系となっていた。
- 谷町線に30系の転入はなかった。
- 御堂筋線に来なかった。
- 史実の10系は全て量産車のデザインで存在する。
- 今頃30000系に置き換えられていた。
- 1973年以降大市交で導入された電車は、全て電機子チョッパ制御を採用していた。
大阪市営地下鉄20系[編集 | ソースを編集]
- 史実では中央線に6連×7編成、谷町線に6連×9編成が投入され(最終的に中央線に集結)ましたがさらに増備されていたら?
- 御堂筋線中百舌鳥延伸時おける新車増備は10系ではなく20系となっていた。
- その後も21系登場まで増備されていた。
- 10系は8連×16編成で打ち止めになっていた。
- 但し10系9連化用の中間車(1900形)は20系と同一の車体になっている。
- よって10A系(10系のVVVF改造車)は存在しない。
- もしくは9両化のタイミングで改造の上バラして組み込んでいたかも。
- 10系の引退は史実より2年早い2020年だった。
- 御堂筋線の10連化にあたっては現実の10A系同様10系を改造の上バラして組み込んでいた。
- そのため10系から20系への編入がかなりあった。
- 中央線用20系のVVVF更新、高速対応化が終了するとこちらも車体とVVVFの更新が実施されていた。
- 車両番号は30番台となり、後に登場する谷町線用が50番台となっていた。
- 昭和時代のうちに工場機能が緑木に一元化されていたらこうなっていたかも。
大阪市営地下鉄30系冷房改造車[編集 | ソースを編集]
- 史実では新30系と呼ばれる後期タイプのみ冷房改造されましたが、初期タイプの改造も行われていたら?
- さすがに全車両改造されることはないだろう。
- 恐らく旧7000・8000形は改造の対象から外されていた。
- 中央線と千日前線への投入もあった。
- さすがに御堂筋線は新20系に置き換えられていただろう。
- 中央線用については近鉄けいはんな線の学研奈良登美ヶ丘延伸に伴うスピードアップを機に廃車あるいは谷町線か四つ橋線に転用されていた。
- 新30系に関しては全車両冷房改造されていた。
- 史実では新造から10年経たずに廃車された3043・3543・3597の3両も改造されて延命していた。
- それでも2000年代後半~2010年代前半に30000系への置き換えが実施されていた。
- 30000系は御堂筋・谷町線以外にも投入されていた。
- 堺筋線の60系も史実よりも多くの車両が冷房改造されていた。
- 66系初期タイプの新造は天下茶屋延伸とそれに伴う8連化に伴う不足分だけに終わっていた。
- 谷町線以外でも末永く活躍している編成も存在していた。
- 冷房改造の時期が早かったら(1980年代後半に検討されたことがある)こうなっていたかもしれない。
大阪市営地下鉄60系[編集 | ソースを編集]
- 1969年の動物園前〜天神橋筋六丁目間開業時に製造したのみ。
- 阪急線内急行運転や高槻市以遠乗り入れが市交車でも行われていれば、あり得た。
- 時期的には1979年〜1989年頃だろう。
- 中間運転台無しの6両固定で登場。
- 天下茶屋延伸が史実よりも早かったらあり得た。
- 上述の初代20系の成果次第では、電機子チョッパ制御を採用していた。
- 阪急7300系は最初から堺筋線乗り入れが可能だった。
- 流石にFRPシートはやめている。
- 冷房を最初から搭載していた。
- 集電装置も下枠交差型パンタグラフに変更。
- 60系の完全引退は2004年以降だった。
- 後期増備車の8両化の際は、中間車を新造していた。
- 流石に前期車(1969年生まれ)が組み込まれたのでは?
神戸市営地下鉄西神・山手線3000形[編集 | ソースを編集]
- 史実では西神南駅開業分並びに増発目的で6連×6本と少数が導入されていましたが、もしもそれ以上増備し続けると。
- 1000形は機器更新されることなく早々と淘汰が進められ、引退した。
- 1998年から置き換えが始まっていた。
- 当時としては3次車の置き換えは時期尚早なので3次車の3編成は残ったほか、1・2次車に組み込まれている3次車は3000形に編入された。
- 1998年に増備された編成はGTO-VVVFからIGBT-VVVF搭載で新造された。
- 夢かもめ開業以降に導入された編成はドア開閉警告音がブザーからチャイムに切り替えられた。
- パンタグラフもシングルアーム型に変更。
- 西神・山手線内でもワンマン運転が行われるようにもなったかも知れない。
- GTO素子が老朽化したら機器更新されていたかも知れない。
- 6000形の置き換え対象にはならなかった。
福岡市営地下鉄2000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では空港線の延伸開業に伴い6連×6本が製造されましたが、さらに増備されていたら。
- 地下鉄開通時に導入された1000系8本はリニューアルされず、置き換えられていた。
- 2000年以降に増備された編成はシングルアーム型パンタグラフ搭載で新造されていた。
- 1000系の後期車は残ることから、4000系は史実通り導入される。