もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/関西私鉄
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少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
- 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
- 地下鉄についてはもしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄#地下鉄へ。
- 1年以上増備が行われていない形式でお願いします。
- 関連項目
- もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄 - 導入計画があったが未成に終わった車両はこちらへ。
近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]
270系[編集 | ソースを編集]
- 史実上ではモ277を含め9両が増備されたところで増備完了し、三岐鉄道移管後の増備は行われていない。
- 260系は登場しなかった。
- 全4連化、冷房化を早々と達成していた。
- サハ130やサハ140はいち早く引退していた。
1020系・1026系・1620系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では奈良線向けに1020系5本20両、1026系10本46両、大阪線向けに1620系6本26両でおしまい。
- 6連、および1233系、1252系、1437系への編入車が更に増えていた。
- 大阪線・名古屋線向けにも1020系が、奈良線にも1620系が投入されていた。
- 9200系が3連のまま名古屋線に転用されていた。
- 田原本線向けにも1020系3連が登場していた。
- この兼ね合いで生駒線は3連ワンマンとなっていた。
- 5800系は投入されなかった。
1200系(旧)[編集 | ソースを編集]
- 史実では4連×1編成のみが投入されました。
- 1980年代になって2250系からの機器流用車が登場していた。
- 当初から冷房完備だったので、1000系ではなく1200系となっていた。
- やはり新1200系が登場すると1000系に編入されていた。
- 2250系の台車は本系列に流用されたため、新1200系に流用されることはなかった。
- 1980年代後半になると820系や680系のモーターと8000系の制御装置を流用してカルダン駆動化と界磁位相制御による省エネ化が行われていた。
- やはり名古屋線所属となっていた。
- 一部はB更新が施され、抑速ブレーキ取り付けや台車の空気ばね化もなされていた。
1220系・1422系[編集 | ソースを編集]
- 史実上は1220系列50本100両、1422系列21本42両でおしまい。
- 3連が登場していた。
- 結果、名古屋線の旧型3連全滅も早かった。
- さらには名古屋線急行も7連化されていた。
- 番号が不足するため、1830番台や2030番台の番号も使用されていた。
- 奈良線にも1430系列が投入されていた。
- 阪神乗り入れ対応にもなっていた。
1240系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では1本2両のみの改造で終わりました。
- 5本10両が改造され、大阪線・名古屋線から1233系が消滅していた。
- 1259系の改造数が4本少なかった。
1420系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では1本2両のみ。
- 途中から史実上の1422系や1430系と同一の機器に変更され、1423系や1428系などに形式変更されていた。
- 日立製VVVFを持つ1213系が登場していた。
- さらには南大阪線向け6605系も登場していた。
- 奈良線9020系は9000系ベースのGTO-VVVF車だった。
- アルミ車体の本格採用がシリーズ21まで遅れた。
1810系[編集 | ソースを編集]
- 史実上は3連9本、2連8本の計43両で終わり、後に6増12減で37両体制となり、2013年までに31両が廃車された。
- 車体更新時に抑速ブレーキや回生ブレーキが取り付けられていた。
- さらには3連の2M1T化も一部に行われていた。
- 結果として大阪線にも現れていた。
- 廃車は2410系と同時進行となっていた。
2050系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では2本6両のみでおしまい。
- 名古屋線生え抜きの車両が現れていた。
- 1本はク2591と編成を組んでいた。
2410系[編集 | ソースを編集]
- 史実上は45両増備。これが増備されていたら?
- 史実上の2430系も2410系を名乗っていた。
- 増結用Mc車のモ2490形が登場していた。
- 一部にトイレが取り付けられていた。
- 1810系の置き換えのために名古屋線にも早期にやってきていた。
- 結果として1810系は平成のうちに全滅していた。
2800系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では3連4本、2連2本、4連11本の計60両が登場し、後に1両が2006年に廃車された。
- 3連化対応の4連が大量に増備され、名古屋線転属の度に1両ずつ廃車されていた。
- 結果として1000系、1010系の消滅も早かった。
- 2連や3連のトイレ付きL/C仕様改造車も登場していた。
- 第18編成以降は角屋根のアルミ車体だった。
- 途中で近鉄初の界磁添加励磁制御車両も現れていた。
- 増結用Mc車のモ2840やM車のモ2890も登場していた。
- 結果として近鉄名古屋線に5両急行も現れていた。
- さらには名古屋線が令和に入ってもVVVFゼロの可能性があった。
3000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では試作1編成のみの導入に終わりましたが、これが量産されていたら?
- 当初の計画通り、京都市営地下鉄烏丸線に乗り入れていた。
- 烏丸線乗り入れと同時に6連化されていた。増結車はVVVF制御になっていた可能性も。
- 後の制御装置更新で全車両VVVF化されていた。
- 3200系は登場しなかったか、登場しても両数は少なかった。
- 烏丸線乗り入れと同時に6連化されていた。増結車はVVVF制御になっていた可能性も。
- 京都・橿原線のみならず奈良線の運用にも入っていた。
- 近鉄はこれ以後アルミ車ではなくステンレス車を標準としていた。
- 8000系の8069Fが近鉄唯一のアルミ車となっていた。
- 史実の3200系もステンレス車として登場した。
- 日本におけるオールステンレス車体の普及が現実よりも早まった。
- 史実では国鉄205系が登場する1980年代中盤までオールステンレス車体の製造は東急車輌のみだったが、これに近畿車輛が加わるため。
- 本形式が量産化されても、他路線にも電機子チョッパ制御車が投入されるとは限らない。
- 電機子チョッパ制御は製造コストがかかり、高速運転には不向きであるため。史実では本形式の試験結果を踏まえ、よりコストが安くて高速運転にも向く界磁チョッパ制御が採用されている。
- 電機子チョッパ制御の採用は、地下鉄乗り入れ用の本形式のみで終わっていたと思う。
- 電機子チョッパ制御は製造コストがかかり、高速運転には不向きであるため。史実では本形式の試験結果を踏まえ、よりコストが安くて高速運転にも向く界磁チョッパ制御が採用されている。
- やがて近畿車輛も当時としては東急車輛に肩を並べるステンレス車メーカーとなった。
- ただそれでも近鉄は全車両への全塗装は続けていたかも知れない。
3220系[編集 | ソースを編集]
- 史実では、3編成18両が製造されました。
- 京都市営地下鉄烏丸線に乗り入れる普通列車、急行列車の本数が史実よりも多くなっていた。
- 天理や橿原神宮でも、京都国際会館行きの急行が見られた。ただし西大寺以南はKL車のみの運用。
- 3222F、3223Fのように、KYOTO-NARAの特別塗装で運行されていた。
- 2000年代に名古屋市営地下鉄金山線が開業して名古屋線に乗り入れる際、富吉に3250番台が配備される。
5200系[編集 | ソースを編集]
- 13編成52両が製造されたが、近鉄の主流とは言い難い。
- 近鉄でも転換クロスシートが主流になっていた、
- 混雑による苦情で一部がロングシートになっていたかも。
- L/Cカーはなかった。
- それでも奈良・京都線や南大阪線仕様が登場することはないだろう。
5800系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では奈良線向け5本30両、大阪線向け2本12両、名古屋線向け1本4両でおしまい。
- 名古屋線にも増投入されていた。
- 日立製VVVFの車両も現れていた。
- 名古屋線向け2連や3連も登場していた。
5820系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では奈良線向け5本30両、大阪線向け2本12両でおしまい。
- 名古屋線にも投入されていた。
- これは4両編成になっていた。
- 1000系が早期淘汰されていた。
5820系(大阪線)[編集 | ソースを編集]
- 史実では、大阪線に6連×2編成が投入されました。
- 大阪線の準急・普通は、6両編成で運行されていた。
- 10両編成で運行される列車が史実よりも多くなっていた。
- あるいは急行運用に集中的に投入されていた。
- 名古屋線にも投入されていたかもしれない。
6600系[編集 | ソースを編集]
- 史実では、2連×4編成が投入されました。
- 6800系電車の廃車が史実よりも早く進んでいたかもしれない。
- 9820系電車が史実よりも多く投入されていたかもしれない。
- 4両バージョンも登場していた。
- 1400系の南大阪線バージョンとなり、こちらが6400系を名乗っていた。
- その後登場するVVVF車は史実とは逆に2両が6600番台で4両が6400番台を名乗っていた。
- 1400系の南大阪線バージョンとなり、こちらが6400系を名乗っていた。
6820系[編集 | ソースを編集]
- 史実では、2連×2編成が投入されました。
- 南大阪線の長編成化が史実よりも進んでいた。
- 「こふん列車」に仕立てられていた編成があるかもしれない。
- 養老鉄道が東急から車両をもらう事はなかった…のか。
- そもそも養老鉄道が6820系を新車で導入していた可能性も。
- 岐阜県内をシリーズ21が走行することに。
- そもそも養老鉄道が6820系を新車で導入していた可能性も。
- 4両固定編成も登場していた。
8000系アルミ車[編集 | ソースを編集]
- 史実では1編成が試作的にアルミ車体を採用しただけでしたが、その後の8000系が全てアルミ車になっていたら?
- 近鉄の通勤車両はこの時点でアルミ車体を標準としていた。
- それでも3000系は史実通りステンレス製になっていただろう。
- 8400系は8000系のアルミ版になっていたと思われる。
- 試作車が史実通り8000系を名乗っていた場合は後に8400系に編入。
- 大阪線2410系・2430系以降も狭幅のアルミ車体になっていた可能性がある。
- この場合ク2591が2470系と組むなどもってのほかだった。
- 連結器の取り付け位置変更時にはもちろん変更を実施。間違っても2両編成の間に組み込むことはない。
- 車重が軽くなるので、抵抗制御車の界磁位相制御化が史実以上に行われていたかもしれない。
- 大阪線・名古屋線にもアルミ車体が普及した場合、こちらには界磁添加励磁制御化を行われた車両も現れた可能性がある。
- 標準車体化も史実より早く行われていたかもしれない。
8800系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では2編成8両のみの製造にとどまりましたが、8810系の代わりに増備されていたら?
- 1400系の方は史実通り登場していた。
- 第3編成以降は3000系と同じステンレス車体での増備となっていた。
- 後に3000系も8800系に編入されている。
9200系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では4本12両でおしまい、その後4連化されて16両体制となった。
- 京都線の3連減少によりすぐさま名古屋線に転属していた。
- このため、1480系の消滅も早かった。
9020系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では奈良線向け19本38両、大阪線向け1本2両でおしまい。
- 大阪線に増投入、名古屋線にも投入されていた。
- 機器類の相違で名古屋線向けは9052系あたりの電算記号ECとなっていた。
- 結果として2410系と1810系が2015年位ですでに全滅していた。
9020系(大阪線)[編集 | ソースを編集]
- 史実では、大阪線に2連×1編成が投入されました。
- 大阪線の準急・普通は、6両編成で運行されていた。
- 10両編成で運行される列車が史実よりも多くなっていた。
9820系[編集 | ソースを編集]
- 史実では奈良線に6連×10編成が投入されましたが、もっと増備されていたら?
- 大阪線にも投入されていたかもしれない。
- 大阪線用は5820・9020系と同様50番台の車番となり、ク9320形は9351~と付番されていたことから、9200系のサ9350形がサ9310形に改番された理由がわかるようになっていた。
- 大阪線用はトイレ付きになっていた。
- 増備途中から車内にLCDが付くようになっていたかも。
- 運用効率を上げるために4両編成も登場していたかも。
- 京都・橿原線の定期運用から撤退することもなかった。
10000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では1編成のみ試作的に投入されました。
- 10100系の登場は2~3年ほどずれ込んでいた。
- 阪伊特急のみならず、名阪や名伊特急にも充当された。
- もちろん名阪ノンストップ特急にも入っていた。
- 1973年以降は京都線特急にも使用。
- 早期廃車は無かった。
- それでも10100系と同時期には引退していた。
結局短命じゃん - あるいは両端電動車ユニットのみしぶとく残された。
- それでも10100系と同時期には引退していた。
680系[編集 | ソースを編集]
- 史実では2両編成2編成のみ改造されました。
もしも史実の683系も改造されていたら…。
- 第3編成は電動車新造モ683+クハ583が史実のモ683の流用だった。(モハ683の運転台はクハ583からの流用)
- または、将来の予備車不足を想定し、第1・2編成の運転台を流用(運転台跡は完全切妻化)していたら第4、第5編成も製造され、2両5編成になっていた。
- 史実の釣掛特急車両・18000系は改造されず、史実の18200・18400系がそれぞれ18000系・18200系になっていた。
- 昇圧時に電磁直通ブレーキと抑速発電ブレーキを増設し、伊勢・志摩特急にも使用されていた。
- 史実通り1975年に一般車格下げ、伊勢ローカルの顔となるも、1992年に引退した。
16010系[編集 | ソースを編集]
1981年に1編成のみ製造されました。もっと投入されていたら…
- 朝夕ラッシュ時とGWと夏季と冬季などの多客期には、16000系電車との併結で4両編成で運行されていた。
- 16600系電車が史実よりも多く製造されて、16000系電車の廃車が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 関係ないのでは?
- 中間車も製造されて、4両編成で登場していた可能性もあり得る。
- そうなった場合、車番は「16161、16061」という様になっていた。
- いずれにしろ、持て余すので26000系は登場しない。
- むしろ、投入されて、16000系電車の廃車が早まっていたのではないか。その場合、吉野特急は他の近鉄特急と大きく見劣りすることはなかった。
- 16000系電車の大井川鉄道への譲渡が史実よりも早まっていた。その代わりに、南海21000系電車か京阪3000系電車のどちらかが譲渡されることはなかったかもしれない。
- 元が16200系としての投入で、史実上の16200系は6221系あたりを名乗っていた。
- 増備車は当初からリクライニングシート装備になっていた。
16400系[編集 | ソースを編集]
史実では1999年に2編成のみ製造され打ち止めとなりました。
- 2000年代前半迄には上記の16010系を含む南大阪線一般特急は16400系に統一されていた。
- この場合は全編成2両編成に統一し、4両編成は消滅を前提とする。
- 理想は2両10編成が望ましかった。
21020系[編集 | ソースを編集]
- 史実では21000系リニューアル工事に伴う不足を補うため6両×2本のみ導入されましたが、もっと増備されていたら?
- 名阪特急は甲特急のみならず乙特急も「アーバンライナー」として運転されていた。
- 甲特急は21020系が主に使用され。21000系は乙特急がメインになったかも。
- 史実ではなかった8両編成が実現していたかも。
- 間合い運用で伊勢志摩方面にも運用されていた。
- 22600系の投入両数は現実よりも少なかった。
- 増備車には充電用のコンセントが設置されていた。
- 追って既存編成にも設置。21000系にもつけるかは微妙だけど。
22000系[編集 | ソースを編集]
- 当初の予定では、1996年までに112両で製造される予定だったのが、86両で製造されました。もし予定通りに112両で製造されたら
- 近鉄特急の増発と長編成化が史実より進んだ。
- 12200系電車は史実より廃車が早まっていたかもしれない。
22600系[編集 | ソースを編集]
- 史実では4連×2本と2連×12本の計32両が製造されました。
- 12200系の置き換えが現実以上に進み、上手く行けば2010年代中盤に全廃されていた。
- 4連もさらに増えていただろう。
- 一部の編成は製造当初から阪神乗り入れ対応になっていた。
- 南大阪線用の16600系の増備も進んでいた。
- 2016年以降も製造が続いていた場合、製造当初から新塗装となっていた。
叡山電鉄[編集 | ソースを編集]
デオ300形[編集 | ソースを編集]
- 史実では2両だけ製造されました。
- 阪神の小型車を譲り受けることはなかった。
- これの台車などを流用し車体を新造したデオ600形も登場しなかった。
- その高性能ぶりから叡電のエースと言われていた。
- 連結運転も積極的に行われていただろう(史実では引退直前に短期間だけ行われた)。
- その収容力を活かし紅葉のシーズンなどには大活躍した。廃車は史実のデオ600形と同時期になっていた。
- デオ800・900形もこれと同じ寸法を採用していた。
デオ900形「きらら」の第3編成[編集 | ソースを編集]
- 計画時には第3編成の計画もあったようでしたが、結局は2編成で打ち止めとなりました。
- カラーは緑色になっていた。
- あるいは前の2編成とグラデーションになるよう黄色になっていたかも。
- デオ600形はこれの登場と引き換えに廃車になっていた。
京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]
800系[編集 | ソースを編集]
- 2008年1月のダイヤ改正以降も京津線のダイヤは15分間隔で運行されていた。
- 増備するとしたら、2008年の太秦天神川延伸時。この時から、京阪800系が太秦天神川に乗り入れていた。
- 機器は3000系に準じた東洋2レベルIGBTだった。
1000系[編集 | ソースを編集]
- 1985年の淀屋橋~樟葉間急行8両運転開始は2200系ではなく1000系で行われていた。
- 増結される車両のうち2両は当時余剰となっていた旧600系の690・691号車(元700系)の車体が流用され、残り3両は新造されるか旧600系の車体流用で賄われていた。
- もしかしたら8両5編成ではなく、8両6編成だったかも知れず、その場合は4両となった。
- それでも増結された車両は史実の2380形同様、8両運転の減少に伴い余剰となり、廃車された。
旧3000系リニューアル車[編集 | ソースを編集]
史実では1995年に1編成だけ改造されました。
- 8000系は鴨東線開通に伴う不足分だけ製造され、後は3000系のリニューアルで賄っていた。
- あるいは8000系を数編成製造し、3000系のリニューアルが並行して行われた。
- 車内は8000系と同レベルにリニューアルされている。
- リニューアルに伴い中間の運転台を撤去し、7両貫通編成となっていた。
- これと同時に制御装置も8000系と同様のものに更新。
- テレビカーは1両だけとなっていた。
- リニューアル当初はダブルデッカーは登場せず、最終編成で試行的に改造される。
- 8連化と共に8000系も含めダブルデッカー車を新造し増結。
- 旧3000系の富山地方鉄道への譲渡は実現せず。
- 富山地鉄は当初の予定通り阪急2800系を譲り受けていた。
- 2010年前後になると新3000系が増備されて置き換えられていた。
- 8000系が1編成しか新造されなかった場合、リニューアルは行われずこちらも置き換えの対象になっていた。
- 旧3000系(場合によっては8000系も)置き換え用の新3000系にはダブルデッカー車が組み込まれていた(既存編成にも組み込むかは微妙)。
- 1900系や2200・2600系は現実よりも早く置き換えの対象になっていた。
- 7000・7200系が現実以上に製造されていた。
- 旧3000系が大量に残っているので、新3000系は違う形式(11000系あたり?)になっていた。
3000系[編集 | ソースを編集]
史実では2008年に8連×6編成が製造されました。
- 快速急行・特急以外の急行などにも運用されるようになっていた。
- 6000系などのロングシート車による特急運用が減っていた。
- 2020年を目処にプレミアムカー組み込みが行われるが、全編成には及ばなかった。
- 13000系の製造両数が現実よりも減っていた。
- 9000系との共通運用が増加していた。
- 出町柳駅だけでなく宇治線特急も増加していた。
- プレミアムカー導入に伴い余った中間車を使ってあと2編成くらい作っていたかも。
- その場合、快速急行が毎時4本に増発されていたかもしれない。
5000系[編集 | ソースを編集]
史実では1970年~1980年に7連×7編成+代替え車1両が製造されました。
- 朝の列車がすべて5ドアになっていた。
- 高コストのため途中から座席昇降が省略されていた。
- 13000系の製造両数が現実よりも増えていた。
- 2600系30番台は登場しなかった。
7200系[編集 | ソースを編集]
史実では8連×2編成と7連×1編成が製造されました。
- 1960年代に登場した1900・2200・2400・2600・1000系などの旧型車両の廃車が早まっていた。
- 遅くとも2010年頃までには全廃されていた。
- 9000系登場後も増備が続いていた。
- 9000系電車が2020年現在でも8両編成で運行されていた。
9000系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では5本40両でおしまい、後に4両が10000系に編入されている。
- 一般の特急も増加していた。
- 宇治線特急も増加していた。
- 10000系の10003F以降も7連化されていた。
10000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では4連×6本計24両が投入され、後に2本が7200・9000系を組み込んで7連化された。
- 製造当初から7連だった編成も存在していた(史実では後に改造で7連が登場)。
- 本線でターコイズグリーンの7連を見ることができた。
- それでも中之島線開業後に新塗装になるのは史実通り。
- 本線でターコイズグリーンの7連を見ることができた。
- 1900・2600系0番台の引退が早まっていた。
阪急電鉄[編集 | ソースを編集]
2200系[編集 | ソースを編集]
- 電機子チョッパ制御の実用試験車として神戸線に投入されましたが、結局量産はされませんでした。
- 7000系の登場はなかったか、遅れていた。
- 史実の8000系が7000系として登場した。
- 他の車両と連結できないので、運用に制約があった。
- どちらかと言えば普通運用中心になっていたかもしれない。
- 現在はVVVF改造されているかも。
- それと同時に他の車両と連結できるように改造されていた。
- 製造数によっては史実通り6000・7000系へ編入されていた。
- それと同時に他の車両と連結できるように改造されていた。
2800系[編集 | ソースを編集]
- 後継の6300系電車も史実よりも多く製造されていた。
- ロングシート車で代行運転することはなかったかもしれない。
3100系[編集 | ソースを編集]
- 宝塚線の主力として、活躍していた。
- 廃車が史実よりも遅れていたかもしれない。
5200系[編集 | ソースを編集]
- 史実では、25両製造されました。
- 5000系電車のT車が製造されていたかもしれない。
- リニューアルの対象になっていた。
- 前面を7000系7007Fと同一のものに更新されていた。
8000系・8300系[編集 | ソースを編集]
- 6000系以前の車両は置き換えられていた。
- 8両固定編成も多かったが、10両固定編成も大きく増加していた。
- 特に3000系列や5000系列の廃車は早まっていたかも。
- 堺筋線直通車も増えていた。
8000系40番台[編集 | ソースを編集]
- 史実では増結用の2連×3編成のみ投入されました。
- 史実では登場しなかった8両編成が投入されていた。
- 8両編成では4個モーターの3M5T編成となっていた(2両編成は3個モーター)。
- 車両番号は8010F~となっている。
- 8300系4次車(8040形とほぼ同仕様)を見る限り、8009Fも存在するのでは?
- 3000・3100系は現実よりも早く廃車となっている。
- 全車両能勢電鉄に譲渡もあり、オートカーの引退も早かった。
- 3100系(鉄仮面)の本数が史実より多かったかも。
- 全車両能勢電鉄に譲渡もあり、オートカーの引退も早かった。
- 5000系のリニューアル工事は行われなかった。
- アルナ車両は現在でも普通鉄道用車両の製造を続けている。
- 当然、9000系列・1000系列や北大阪急行9000形はアルナ製。
- 東武50000系・60000系ももろちんアルナ製。ステンレス車だった可能性もある。
- 阪神5700系もアルナ製だった。
- アルナ車両の工場は今も尼崎市にある。
- 阪急正雀工場の敷地がアルナ車両に取られなかったため、毎年春秋に正雀で開催されている阪急レールウェイフェスティバルはコロナ禍になるまで事前応募なしで参加できていた。
- 京都線では8340番台も登場する。
8200系[編集 | ソースを編集]
- 史実では1995年に2連×2本のみ投入されました。
- 神戸線以外にも宝塚線にも投入されていた。
- これの京都線バージョンが開発されていた可能性もある。
- 8040形は存在しなかった。
- 阪急以外に大阪市営地下鉄御堂筋線などにも混雑緩和のため座席収納車両が導入されていた。
- それでも混雑率の低下に伴い後年一般的な座席に変更されていた。
9000系[編集 | ソースを編集]
- 神宝線の7000系や6000系の置き換えが更に進んでいた。
- 今津線や伊丹線、箕面線の直通する車両も大きく増えていた。
9300系[編集 | ソースを編集]
- 堺筋線直通の京都特急が運行されていた。
- ロングシート車も登場していた。
- 車番が9999の編成が登場していた。
1000系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 8両編成×21編成が製造されました。2022年度以降増備がない。
- 宝塚線にいる5100系を全部淘汰する。
- 今津南・甲陽ワンマン用の3連、箕面・伊丹ワンマン用の4連も製造される。
- 6000系はワンマン化+大規模修繕されるどころか、4連化されることなく廃車になる。
- 箕面は流石に8000系と共用か。
- 伊丹の7000系も1988年生まれと比較的若いので、続投。
- 3連は、1000系で初のMc車ができていた。
- 2編成併結して今津北線で代走することも考慮し、電連と連結幌も装備される。
- 今津北線では、6連で投入され、5000系を淘汰。
- 神戸線から京都線に乗り入れる快速特急にも充当される。
- 2000系の登場が遅れた。
1300系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 8両編成×16編成が製造されました。
- 京都線用の1300系も増備され、3300・5300系を完全に置き換えていた。
- 8両の他7両も登場していた。
- 堺筋線乗り入れ用車両がVVVF車に統一されていた。
- 8300系の初期2編成は、リニューアルされることなく早期廃車。
- 4両編成の車両が製造され、嵐山線に充当される。
- 6300系はこれで完全引退。
- 1300系でワンマン運転を開始した場合、8300系の嵐山線代走運用はなくなる。
- 2300系の登場が遅れた。
阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]
1000系[編集 | ソースを編集]
- 6両や2両だけでなく4両固定編成も大きく増加した。
- 6両だけでなく、4+2の6両編成も現れていた。
- 武庫川線用のワンマン仕様も登場していた。
- そのため、5500系のタイガース仕様2連も存在せず、5700系の製造両数も現実より少なかった。
5201形ジェットシルバー[編集 | ソースを編集]
- 史実では2両のみ試験的に投入されました。
- 以後阪神の普通用車両はステンレス車両が投入されるようになっていた。
- ちょうど南海高野線の平坦区間用車両のような感じになっていた。
- 「青胴車」は存在しなかった。
- ステンレス車に青帯と言う可能性もある。
- 途中からオールステンレス製車体の車両が導入され、阪神に東急車輌製の車両が入っていた。
- 5231形は東急7000系などとともに日本最初のオールステンレス車両となっていたかも。
- 以後ジェットカーは基本的に東急車輛製のオールステンレス車両になっていた。場合によっては1000・5700系も東急車輛→総合車両製作所製となり関西唯一のsastinaが導入されていた可能性もある。
- 武庫川車輌はなかったかもしれない。
- 5231形は東急7000系などとともに日本最初のオールステンレス車両となっていたかも。
5311形[編集 | ソースを編集]
- 史実では2両編成2本が導入されました。
- 武庫川線運用に青銅車の運用も加わるようになった。
- 勿論、ワンマン運転対応工事も行われ、ドアブザーや自動放送装置も付いた。
- 5261形2次車もそれなりに増備され、4両固定編成化改造の対象になっていたかも。
5550系[編集 | ソースを編集]
- 史実では5311形置き換え用として1編成のみ投入されました。
- 5001・5131・5331形と言った青胴車の置き換えが早まっていた。
- 少なくとも5131形と5331形は直ちに代替対象となった。
- 3編成目でゾロ目ナンバー「5555」が登場していた。
- 増備が進むと神戸方Tc車の車両番号(5560形)が重複する可能性があるので改番が実施されていた。
- ちょうど14編成で5500系より前の青胴車の置き換えは完了するため改番実施無しで終わりかねない。
- 武庫川線向けにも入る場合、5580-5690等として製造していた。
- 5700系は登場しなかったかも。
- というか、こちらが5700系を名乗っていたかも。
- あるいは、製造数が5500系の玉突き補充分と5001形置き換え分の合計10本のみに留まった可能性がある。
9000系[編集 | ソースを編集]
- 2000系の置き換えが進んでいた他、4両編成も増えていた。
- なんば線直通するまでは4+2の6両編成も増えていた。
9300系[編集 | ソースを編集]
- 史実では最後まで生き残った3000系(7801形一次車、3521形)置き換えに6両編成3本が導入されました。
- 8701形や2000系、7801形二次車の引退が1000系投入前並びになんば線開業前に早々と行われていた。
- 更にワンマン運転対応車両もラインアップされた。
- 1000系の製造両数が減っていた。
- 8000系の後期車両が近鉄直通仕様に改造されていた。
- ステンレス鋼になって増備していた。
- ステンレス鋼車両はなんば線開通後、近鉄直通用として増備していた。
- 車体はE231系ベースだった。
南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]
1000系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 6両・8両編成での運転が史実よりも多くなっていた。
- 6両固定編成が増えて空港急行の運用も大幅に増加していた。
- 2両編成も増加して6+2の空港急行編成も増加していた。
- 4両編成も増加してサザンプレミアム増結や6000系列の置き換えにも使われていた。
1000系50番台[編集 | ソースを編集]
- 史実では、1編成のみ導入されました。もし、増備されたら…
- 増備次第では、7000系の廃車が早まっていたかもしれない。
- 3000系の登場もなかったかもしれない。
- 2編成を併結した8両編成が見られた。
- 2両編成と連結した6両編成も見られた。
- 高野線への転属はなかったかもしれない。
- 12000系「サザン」の自由席車としても運用されていた。
2000系[編集 | ソースを編集]
- ステンズームに対応した特急車両が登場していた可能性も。
- いわゆる高野線用の一般車と併結して運用された可能性も。
- 『こうや』や『りんかん』の一般種別として運用されていた可能性も。
- 特急車両は30000系を置き換える勢いで登場したかも。
8000系(初代)[編集 | ソースを編集]
- 電機子チョッパ制御車として高野線に登場しましたが、結局は1編成しか投入されませんでした。もし量産されていたら?
- 登場からしばらくは準山岳区間(三日市町~橋本)への乗り入れができなかったため、運用が制約されていた。
- 主に普通や泉北高速線直通の準急に運用されていた。
- 界磁チョッパ制御車の8200系は登場しなかった。南海線の9000系も電機子チョッパ制御車になっていた可能性がある。
- 6200系と同時期にVVVF改造されていた。
- 8000系(2代目)は別の形式を名乗っていた。
- 真っ当にいけば、3000系かな?
8000系(2代)[編集 | ソースを編集]
- 4両編成13本在籍だが、さらに増備していたら?
- 高野線にも導入されていた。
- 南海6000系にも廃車が発生していたかも。
- 泉北高速鉄道3000系が南海に編入されなかった。
- 本線か高野線のどれかの車両が2200系・2230系置き換えに支線に転用していたかもしれない。
- 本線所属の2000系が高野線に里帰りしていた。
- あるいは本線系統の支線に転用され、2200・2230系を置き換えていた。
- 4連のみならず2連も登場していた。
- 7000系の全廃が早まっていた。
- 8300系の製造数が減っていた。
- 6両編成も導入されて、『サザン』の10両化が現実化していた。
- 6両編成が増加する一方、クロスシート編成も増えて12000系の『サザン』の併結運用が増えていた。
- クロスシート運用が増えていたので『サザン』と共通運用をしていた。
- どこかのタイミングで、関西唯一のsustina車体を採用していた。
- なにわ筋線乗り入れに抜擢され、阪急の線路も走行する。
9000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では、4両編成10本、6両編成2本で投入された。
- 4両編成の増備が続いてたら、6両編成の車番は「9521、9021」という形になっていた。
- 8両編成での運行が史実よりも多くなっていた。
- VVVF制御の試作車が登場していた。
12000系[編集 | ソースを編集]
- 2017年現在4連2編成のみ在籍しています。
- 10000系の置き換えが現実以上に進んでいた。
- 1992年製造の増備車も比較的新しいものの中間車で活用法がないので廃車されていただろう。
- いや、地方私鉄に譲渡されていたかもしれない。
- 1992年製造の増備車も比較的新しいものの中間車で活用法がないので廃車されていただろう。
- 途中から近畿車輛製に変更されたかも。
- その場合、泉北ライナー用12000系も近車製になっていたかも。
- 走行機器が8300系と同一になっていた。
- その場合12300系あたりになっていたかもしれない。
- 仙北ライナー用の編成が増えていた10000系は全て置き換えられていた。
- なにわ筋線開業後は、『サザンエア』として直通運用番台増加した。
- 高野線特急『りんかん』も増えていた。
20000系[編集 | ソースを編集]
- 「こうや」用の特急車両。4連1本の製造に留まった。
- 冬期運休の解消や臨時列車のために更に増備されていた。
- 21001系による代走や臨時列車はなかった。
- 21001系は全車ロングシート改造されていた。
- 遜色特急が減っていた。
- のちに後継の30000系は、3本か4本に製造された。
- 大阪府内のどこかの公園で静態保存されていた。
31000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では4両1編成のみ投入されました。
- GW・夏休みなどの繁忙期には「こうや」の更なる増発が可能となっていた。
- 車両検査に伴う通勤時間帯における「りんかん」の8→4両の減車はなかった。
- それでも31000系増備車はVVVF制御ではなく抵抗制御で投入されていた。
- 他の編成と性能を合わせるため。
- 泉北高速鉄道直通の座席指定通勤特急も実現していた。
- 恐らく11000系がこちらに運用されていた。
- 泉北ライナーが21世紀初頭に登場していた。
- ただし列車名は違うものになっていたかもしれない。
- 泉北ライナーが21世紀初頭に登場していた。
- 恐らく11000系がこちらに運用されていた。
- 高野線特急の増便が実現していた。
- ステンズームである2000系列との併結対応編成も増えていた。
11000系[編集 | ソースを編集]
- 史実では4両1編成のみ投入されました。
- 「りんかん」の8→4両の減車はなかった。
- 泉北ライナーへの投入は史実通り。
- よって、12000系の投入はなかったかもしれない。
大阪府都市開発・泉北高速鉄道[編集 | ソースを編集]
7020系[編集 | ソースを編集]
- 史実では2007年~2008年の間に6連2本、4連1本、2連1本の製造に留まった。もし、置き換え対象である3000系全車置き換えに至るまで増備していたら?
- 3000系を全廃に追い込んでいた。
- 南海へ移籍する車両も更に増えていた。
- 南海8000系・8300系の製造数が減っていた。
- 史実では各1本だけの製造に留まった4連、2連も更に増備されていた。
- 9300系は存在しない。
- 現実的に考えれば、セミステンレス車は7020系、オールステンレス車は9300系での置き換えになりそう。
山陽電気鉄道[編集 | ソースを編集]
3000系アルミカー[編集 | ソースを編集]
- 史実では4連×2編成のみ製造され、その後は鋼製車体に移行しました。
- その後の山陽の車両はアルミ車体を主体にしていた。
- 3050系も当初からアルミ車体で登場し、3200系のアルミカーも登場していた。
- 薄黄色と紺色のツートンカラーは現実よりも早くに姿を消していた。
- 2000系改造の中間車である3550形は3000系組み込みに合わせてアルミカー風の塗装に改められていた。
- 完全冷房化は現実よりも遅かったかも。
- アルミ車体は鋼製車体と比べて冷房改造が難しいため。
- アルミ車体が現実よりも早くから普及していたかも。
- 国鉄301系も量産され、103系1000・1200番台は登場しなかった。
2300系[編集 | ソースを編集]
- 史実では3両2編成で改造終了となった2300系。更に2700系全車が改造されていたら?
- 異端車の2700-2701号は分割され、3扉中間車に改造された。
- 或いは2000系の中間車と交換し、サハ2500になっていたか、2000系一次車が電装解除され、2700-2701が二代目2000-2001になっていた。
- 先頭車は2700系3扉量産型に揃えられ、2000系も場合によっては3扉貫通型に改造され、2008Fも貫通扉付3扉車になっていた。
- これらの事は全て1978年に行われた。
5030系[編集 | ソースを編集]
- 史実では6連×2編成と5000系増結用の8両が製造されました。
- 増備車は4連で製造され、5000+5030系の6連に連結されている5030系中間車を抜いて6連化していた。
- 5030系が抜かれた5000系は4連化され、3000系の置換え用に充てられていた。
- 増備車は前面・側面の行先表示がフルカラーLEDになっていたかも。
- 4両編成は場合によって阪神なんば線直通に対応した列車が表れていたかも。
6000系[編集 | ソースを編集]
- 3両編成×13本、4両編成×5本が製造されたが、2022年3月をもって増備が中断。
- =5006Fの事故廃車がなかったら。
- 3000系アルミ車のリニューアルが行われることはなかった。
- 鋼製車体は2025年までに全部廃車に追い込むことができた。
- 神鉄6500系のように、三菱sic-VVVFを採用した編成が出ていた。
神戸電鉄[編集 | ソースを編集]
6000系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では4連2本が投入され、以降は6500系に移行しました。
- 公園都市線も4連化されていた。
- 1000系の廃車が早まっていた。
- この時点で、2扉車は消滅。
6500系[編集 | ソースを編集]
- 史実上では3連7本が投入され、2020年以降、増備がない。
- 3M1Tの4連が登場していた。
- 1000系と3000系が全廃されていた。