もしカープに強力な親会社が付いていたら
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- 実際1950年代に親会社探しをしていたらしい。
- その時は日本生命や専売公社(現JT)が候補に上がっていた。
- また、史実では1967年までの財界共同経営時代に、マツダのほか、中国新聞・広島電鉄・広島銀行・山陽木材などが名を連ねていた。
全般[編集 | ソースを編集]
- 江藤、金本、シーツ、ラロッカは今でもカープで活躍中。
- 二岡も巨人に取られる事はなかった。
- 希望枠時代にも多数の有力選手の獲得に成功している。一方、一場事件では広島も裏金問題に巻き込まれていた。
- ゆえに今でも黄金時代が続いていた。
- 逆に阪神は暗黒時代が続いていた。その場合「伝統の一戦」は巨人×広島に取って代わっていた。
- 新井も。
- 川口和久も。
- おそらく丸も引き留めている。
- 二岡も巨人に取られる事はなかった。
- とっくに新球場の建設、もしくは市民球場の改築が行われていた。
- 2000年ごろには完成していた。
- 中米一の施設を誇るカープアカデミー卒の外国人選手が活躍しまくっていた。
- 囲い込みの為に外国人枠撤廃を求めた。
- WBCでは日本代表の前にアカデミー出身の各国(キューバ、メキシコなど)代表選手が大きく立ちはだかる。
- カープの選手の年俸は2倍近くにはなっている。
- 鈴木本部長による鬼査定はない。
- リーグ優勝・日本一の回数は、飛躍的に伸びていた。
- チームカラーが赤になっていなかったかもしれない。
- 球団旗に使用されている紺色のままだった可能性が高い(事実、赤の前は、紺色がチームカラーだった)。
企業別[編集 | ソースを編集]
ライブドア[編集 | ソースを編集]
- 新球団争いで楽天に負けた後に、広島買収を企んでいたが、松田家の反対で失敗。
- チーム名は「広島ライブドアフェニックス」といったところか?
- 球場も、新球場ではなく、旧広島市民球場をリフォームしていたかも。
- ついでにサンフレッチェとJTサンダーズを買収し広島のスポーツ界を一手に握る。
- ニッポン放送買収騒動で、フジテレビと対戦することはなかったかも。
マツダ[編集 | ソースを編集]
- 「マツダが正式に親会社になっていたら」という意味合いで。
- 「広島マツダカープ」になっていた。
- マツダの旧社名は「東洋工業」なので、現実通りの可能性も。
- 上に書かれている事が全て実現していた。
- 松田元はマツダの社長になっていた。
- マツダがオールスターゲームのスポンサーになることはなかった。
中国放送[編集 | ソースを編集]
- 球団名が「広島RCCカープ」となっていた。
- 2009年からの広島新球場の名称は「RCCスタヂアム(スタジアムではない)」となっていた。
- RCC以外の局での中継が制限されていたかも。
- 多分例外あり。
- RCCはTBSと不仲を極めていた。
- しかし、広島VS横浜戦はTBS系独占放送!
- TBSで横浜の情報を流そうとするとRCCはすかさず広島の情報に差し替える。(どこぞの如く)
- 中国新聞の系列スポーツ紙が出来ていた。
- 史実では「スポーツ中国」を1964年1月に発刊したが、1年で廃刊の憂き目に。
DEODEO[編集 | ソースを編集]
- 球団名が「広島デオデオカープ」となっていた。
- 後に「広島エディオンカープ」となる。
- サンフレッチェ広島との連携がいっそう深まっていた。
- 優勝したら、DEODEO全店で優勝セール大開催!
福屋百貨店[編集 | ソースを編集]
- 球団名が「広島福屋カープ」となっていた。
- リーグ優勝した暁には、期末決算セールより値引き率が高いセールが開催される。
東洋水産[編集 | ソースを編集]
- 球団名は同じ。
- 「広島マルちゃんカープ」は…ないか。
- この会社の商品と丸佳浩のコラボキャンペーンの企画名になったか、丸が所属していた時期にファンのジョークで言われていたかもしれない。
- 「広島マルちゃんカープ」は…ないか。
- R-1のスポンサーにはつかなかったと思われる。
- よってもっと位の高いスポンサーが付き賞金は1000万になっており、M-1、キングオブコントとしっかり肩を並べている。
- リーグ優勝時、この会社で製造された商品のセールが全国のスーパーマーケットで開催されるため、知名度は現在以上に上がるかもしれない。
JT[編集 | ソースを編集]
- 広島専売公社カープ時代を経て、広島JTカープになっていた。
- Vリーグとの連携が深まっていた。
- 国営企業が親会社だった時代は何かと国鉄スワローズと比較されていた。
- リーグ優勝した暁には、カープ坊やをパッケージにでかでかと印刷したタバコを発売していた。
- 専売公社時代から保有していた場合、主力選手や監督がたばこを吸う広告が存在していた。
- なお、現在はマナーアップCMへの選手起用がよく行われている。
- 親会社がCMに球団の選手ばかり使っていた場合は出演選手に「桃の天然水」の呪いが及んでいた恐れあり。
日本生命[編集 | ソースを編集]
- 球団名が「広島日生カープ」となっていた。
- 「セ・パ交流戦」のスポンサーはどうなる?
- ENEOSか三井住友銀行か?
- 2010年あたりから、ブシロードに変更。
- ENEOSか三井住友銀行か?
- 日生球場で近鉄戦は開催されなかった。
- 2軍の本拠地に日生球場が充てられていたかもしれない。
- ただ、年に何回か大阪で主催試合が行われていた。
- 社会人の日本生命野球部は、カープのユースチーム扱いになっていたかも。
JR西日本[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島JR西日本カープ」となっていた。
- チームカラーは勿論青色。
- 本社が大阪なので京セラドーム大阪での主催試合も行われる。
- また、岡山辺りでも主催試合が組まれる。
- 広島にもある程度新車が導入されていたかもしれない。
- 関西でもある程度カープファンが増えていた。
- カープICCCAがエリア全域で販売されていた。
- 阪神ファンは移動に出来る限りJR西日本を使わないようになっていた。
- ブルーライナーズになっていたかもしれない。
- その場合本拠地は小倉だったかも。
大創産業[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島ダイソーカープ」となっていた。
- 優勝したらダイソー全店で優勝セール、と言いたいが100均なので…。
- それでも優勝記念商品は発売されるだろう。
- 流通企業が親会社になったことで福岡ダイエーホークスと何かと比較されていた。
青山商事[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島青山カープ」となっていた。
- でもチームカラーが赤なので矛盾するような気が…。
- 選手の着るスーツなどはここがプロデュース。
- 優勝した場合「洋服の青山」全店で優勝セールを行う。
- 始球式には「洋服の青山」のCMキャラクターになっているタレント(佐々木希・武井咲etc.)が呼ばれていた。
福山通運[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島福通カープ」に。
- 近鉄は早期に球団を手放していた(福山通運は近鉄グループのため)。
- 近鉄が球団を手放した後はカープを応援するようになっていた。
- 近鉄沿線にカープファンが増えていたかも。
- 近鉄が球団を手放した後はカープを応援するようになっていた。
- 福山雅治はここのファンになっていた。
広島電鉄[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島電鉄カープ」に。
- もしくは、関連会社の「広電ストア」「広電観光」に合わせて「広電カープ」。
- カープが実史通り赤ヘルになったら、広電の全ての車両が赤にカラーリングされていた。
- グリーンムーバーではなくレッドムーバーになっていた?
広島銀行[編集 | ソースを編集]
- 球団名は「広島ひろぎんカープ」に。
- 通帳には、球団のマスコットキャラクターが描かれる。
- また、貯金箱などのノベルティーグッズも球団関連のものとなる。
中国電力[編集 | ソースを編集]
- ペットマークの「カープ坊や」、ユニホームなどその他もろもろはそのまま。
- 変わったところといえば、ユニホームならびにヘルメットに「中国電力」のロゴワッペンが入っただけ。
- チーム名は「広島エネルギアカープ」に変更。
フマキラー[編集 | ソースを編集]
1952年に大下回春堂(現・フマキラー)の社長が球団取締役だったことがあります。
- 1955年頃に正式に親会社となった。
- チーム名は「広島フマキラーカープ」に変更。
- もしかしたら、赤ヘルにはならなかったかも。
両備ホールディングス[編集 | ソースを編集]
- 場所が場所なので中国バスの影響が強い。
- オーナーは言うまでもなく小嶋光信。
- たま駅長が来場する企画が組まれていた。
- だがめぐりん騒動で身売りが検討される。
オタフク[編集 | ソースを編集]
- チーム名は「広島オタフクカープ」だった。
- 赤ヘルにはお馴染みのマークが入る。
- 優勝した翌年には、カープ坊やとコラボレーションした商品が売り出される。